悪は存在しないのレビュー・感想・評価
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もっと多くの人に観てもらいたい
寝ても覚めてもやドライブマイカーを彷彿させるような演技で、濱口監督ならではの演出でとても魅力的でした。
最初のシーンや車を出発させるシーン、木々の間にぴったり人を配置してるシーンがとても印象的でどのように撮影が行われたのだろうと気になりました。
音楽も画にとても合っていて、リズムがぴったりで楽しく観ることができました。
この画や音の美しさをもっと多くの人に観てもらいたい!!
ジェネリック豊川悦司
2024年劇場鑑賞167本目。
きれいな汚い空が木と共に映されているオープニングがしばらく続いて眠気が出ましたがきれいな水の山の中で水を汲んでいるところでちょっと癒されて持ち直しました。その後ここで行方不明か?とかここで死体発見か?と期待を次々スルーしていき、これどこが着地点なんだと思ったら唐突な展開で急に終わってしまいました。
別の方の考察でなるほどなとは思いましたが、自分は考察しないと伝わらない映画はそもそも伝える力が欠けていると思っているので評価はこんな感じです。
後主演の方が顔がなんとなく豊川悦司に似ているのに喋り方や声がそっくりなので、今後トヨエツ使いたいけどギャラが高いし・・・という人はぜひこの主演の方を使かってはいかが。
難しい
自然を守ることが法令遵守だけではできないとのメッセージ。会社の方針に疑問を持った2人が地元に歩み寄ろうとするが、子供の行方不明事件が起きる。一緒に探し助けようとした会社員を裸絞。考えさせる映画なので自分には謎のままでした。
説明の無い映画は嫌いじゃないが…
や〜久々ラストにモヤモヤして劇場を出てきた(笑)
ラストに回りくどい謎解きや解説や説明する映画は嫌いだが、これはもうちょいグランピングの話も回収しろよっていいたいかな
内容や映像は全体的に作り手の観念的なところが多く、観客を意識してないのか、自己満足的なところが多く感じた
悪い映画じゃなかったけど、劇中のセリフを引用するなら自分の表現と観る人へのバランスが大事って思う
こりゃ、わからんよ(途中は面白いが)
濱口竜介監督ということ以外事前情報をほとんど入れずに観た本作。冒頭の薪割りや水汲みのシーンや、意外と長いワンカットを観ながら、これは失敗したかもと思ってしまった。あれだ、アートよりのやつだと。
ところが、グランピング施設建設の説明会の話が出てきたあたりから徐々に面白くなってくる。村の人達からすれば土地を汚し荒らそうとする奴ら。でも彼らにも抱えるものがあって完全なる悪人ではない。現場に行かずに村の問題を軽視したアドバイスをするコンサルは個人的に嫌いなタイプの人間だけど。
村の住民と芸能事務所の人間の絡みが進む中でどうなっていくのか気持ちが高まってきた中、最後に事件が起き不可解な結末を迎える。自分もそうだったけど、戸惑う人多いだろうな。なんとなくで推測できるような材料もないから、どういう意味なんだって考えてしまうもの。最初はアートっぽく、途中面白くなって、最後不可解。相当ハードルが高い。途中のやりとりが評価を底上げしているからなのか、個人的にはなぜだかそんなに悪い印象ではないが、手放しに絶賛なんてできない。こりゃ、わからんよ。
後で説明を読んだら少し納得。元々映画として作り始めていない。少し棒読みなセリフもそれなら受け入れられる。
すべては、バランス
星5をつけたの久々か…
いや、たしかに終盤は「まさかここでエンドロールくる?きちゃったらどうしよう??」と慌てたところでほんとにエンドロールが来てしまい、一周回って気持ちよかった。それも終わり方のあまりの潔さに好感を持ったのと濱口竜介監督のテイストがそもそも私は好きだからというのが大きい。「なんだこりゃ」という人がいるのもわかる。でも好きなのだ。上手く理由が説明できない、自分にとっては久々にゾクッとするような美しい作品に出会えたなと。
見終わってすぐ他の人の考察読んじゃったけど。その人の考察がすごすぎて全て納得した。
まずこの作品は序盤からかなり人を選ぶと思う。かなり冗長な長回しが続く。私も思わずスクリーンを見ながら「今晩の夕飯何にしよう」と意識を飛ばすほどだ。でも嫌な感じがしないのは、映像美と石橋英子の贅沢な音楽のおかげ。私、ハッキリ言うと映画の中で「音楽」をかなり重視しているので、この音楽だけでも既に高得点…
濱口竜介監督の作品そこまで沢山見てるわけではないけど、緩急の付け方が心地よい。作品のテンポそのものが音楽のようだなと思う。私はその「バランス」がとても好きだ。そして終盤にかけて「バランス」が傾いていく、不穏に…
でもまさかここまでとは。面食らった。
花ちゃんの存在感もすごい。出番は決して多くないのに彼女の存在が作品テーマの根幹である気がする。
自然も人間も傷ついているのだ、ということだと思う。印象的なのは枝に付いた血。でもその前にもシカの死骸など直接的なイメージが出てくるし、奥さんの存在も既に他界しているだろうから、生よりも死を纏った映画だと思えた。だから最後の巧さんの行動も唐突であって唐突ではなかった。ずっと死は側にあった。
でも彼の行動に悪意はなかった、殺意もなかっただろう。最後首を絞められた彼は生き残った描写もあったし、死の淵に行ったのはあの親子だった。まさかグランピング施設建設からこんなテーマに飛ぶなんて思わなかったしもっともっと重くてしんどいテーマだった。でも途方もなく美しい映画だった。
ザ邦画
角川シネマ有楽町で鑑賞
ファーストデーですが空いてました
長らく都内一館でしか上映しておらず
見られなかったですが、公開規模が増えて
見られました
アカデミー賞受賞監督の新作なのに
公開数少なすぎるだろ、と思ってたのですが
見終わって納得
これはtohoシネマズではかからないだろうと
地獄のような説明会からの
高橋カワイイからのラスト
これは飲み込みづらい…
石橋英子の音楽がもっと全面に出た映画かなと
思ってたのですがそうでもなかったです
難しい
映画館で見るのは監督作品はドライブマイカーに次いで二作目
後の作品はcsにて
前作とは違い 著名な俳優は出て無い
森の空を映す映像から始まる
監督は余り演技経験の無い人を上手く
していくのに長けた人かも
最後のアレは何を現すのかな
悪の存在は過程にある。そして、我々、地球人への警告?。
映画館で6月16日に観賞した。村人の問題意識の強さや的を得た論理的な批判的思考能力の高さには敬服した。「美味しい」「かわいい」「おもしろい」などの理由がつけられない語彙の連発に嫌気がさして嫌厭していたが、この映画によって、私の、特に最近の日本映画に対する認識が高まった。
この監督の作品を初めて観たが、この映画を観たいなあと思わなかった。日本語のクラスで学習者の二人が観てきてネタバレなしで他の学習者や私の質問に答えてくれた。予告編を見ただけで映画について意見を言い合ったり想像力も使って話しあうので外国語学習にぴったりだと思う。コンテンツから語学を学ぶことは学習動機をあげるし....
私はリニアと関連させて水の枯渇化や大自然破壊がテーマで「開発と自然保護のバランスや調和」がテーマだと思っていた。観賞後気づいたが、テーマは少しその方向である。クラスで学習者にリニア中央新幹線|JR東海のホームぺージと信濃毎日新聞に掲載されていた水の枯渇化の記事も入れて、送ったら、
ある学習者が:
新しいリニアにワクワクしてきたのですが、今は少し考え方が変わりました。谷崎潤一郎のアイデア(陰翳礼讃)を考えて、このニュース記事を読んだ後、リニアのJR広告へのリンクをクリックしました。そして自分の反応に驚きました。電車のイメージから、何か怪物を連想してしまったのです。谷崎の言葉を考えると、こんな速い電車が本当に必要なのか、と。(学習者のそのままのコメント)
以下はあくまでも私見で、この映画を一度だけ映画館で観てレビューを書いている。
テーマは バランスだと思う。大きなテーマは 悪は存在しないが、バランスが壊れる過程で悪は存在する。だから注意せよと「その過程に」警告を発していると思う。この英語題の表示の仕方で私はそう感じた。
Evil exists
Evil does exist
Evil does not exist
バランスを崩した(崩された)時に諸々の問題が発生する。例えば、主人公タクミ(大美賀均)の娘ハナ(西川玲)との親子関係。お母さんが生きていて?三人家族だった時は、この三人でバランスが取れていたかもしれない。母親の死で、このバランスが、壊れる前にどこかで気づきが生まれると、このような断絶的な父娘関係にならずにすんで、人間関係に変わっていったと思う。優秀そうでアスペルガー気味で人間社会で機能が果たしにくい主人公タクミ(何でも屋)と娘とのバランスを取っていたのがお母さんの存在だったと思う。娘は遊んでくれる友達もいなければ、(遊ぼうとしない様だ)愛情の表し方の知らない父親は自分の世界に入り込んでしまっている。娘との会話は木々についてで、学校であったことを聞くわけでもないし、甘えさせてもあげない。ハナは母親から受けた戯れたりする愛情をタクミはハナに与えることができないのではないかと思う。家庭での情緒教育や子供の心を育てるのは自然とのふれあいだけで人間との触れ合いが希少。これはネット社会のなかで育っている子供達にも言える。「歌を忘れたカナリヤ」になるなと、監督が警告しているのではないか?区長に鳥の羽をあげて喜ばれたのが彼女が受けた褒め言葉でもあり、注意をされた言葉でもある。「一人でいくな」と区長に言われた開拓を始めた土地に一人で羽集めに出かける。ハナはタクミのように、自然の恵みを持ち合わせていてサバイバルスキルがあるように見えるが、自然環境オタクの弱点はこのような人間性のバランスを持ち合わせていないからハナには機械のように接するだけ。例えば、実例だが、子供のころ情緒や感情の教育を受けていない人は人間の感情と現実とのバランスが悪い。しかしこれは悪ではない。この人が悪に染まるとしたら、他の要因が過程にあるはずだ。
人間は自然の中で、人間は自然とともに共存する。動物もそうである。そのバランスを壊すのは自然破壊や生態系を崩すことである。ここではグランピング(生まれて初めてこの言葉を聞いた)の会社の計画だ。森林生態系を崩していく(もちろん、水域生態系,土壌生態系)人間中心の自然の摂理を無視する行動や活動であり、ここではタクミは自然界の摂理を理解してバランスの乱れを恐れている。タケミも村の人々も自然環境の大切さを十分理解している。森林生態系を崩していくことは悪のようだが、誰かやどこかがこの恩恵を被っている。グランピングの成果から癒しが与えられる人も出てくるだろう。それに、経済も活性化するし多面的に見れば、悪ではないと思うし善悪の問題ではないと思う。悪が生まれるのはその過程の中に存在する行為であると思う。監督はその過程に警告を与えてるのだ。
最後のシーンもバランスが崩れた(崩した)いい例だと思う。
「野生の鹿は人を攻撃しない。 怖がりだから。 しかし、例外はある。 銃に当たって逃げる余力がなければ、人を攻撃することもできる」とタクミは言う。
タクミは鹿という自然の生態系の賜物に娘がどう対応するか確かめたかったように思えてならない。娘は父親のように帽子を脱いで尊敬の念を表している。それは自然の創造物の賜物である野生の動物と人間、ハナとの対峙である。娘と野生との突如の対峙を見守りたかったと思う。見たかったのかもしれない。ハナにはその野生と融合する素質があると思っていたとも思う。また、鹿とハナを見つけた瞬間、タクミにはハナを救い出す方法が考えられなかったとも思う。しかし、プレイモードの高橋啓介(小坂竜士)が叫び声を上げ、ハナと鹿のバランスを崩したと思う。それを(正当)防衛しようとしたのが、タクミであったと思う。
「ハッ」と気づいた時は娘は傷ついて倒れていた。タケミが「ハッ」と気づく時はいつも手遅れだ。
極論かもしれないが、娘を使うことで自然の賜物と人間である娘がバランスをとれたことが証拠になると思ったのではないか(不幸にも、そうは問屋がおろさなかったが)。娘が救われ、そのバランスを見たかったから、オレンジジャケットを身につけている高橋啓介の叫びを抑えた。でも、当てが外れた。またこの叫びに加え自然環境とアンバランスなジャケットの色はより鹿を獰猛にさせたのではないか。高橋啓介の自然の賜物に傍若無人なもの知らない態度が悪をもたらす結果になるが、高橋は自分の態度がバランスを崩したと気づいていないのだ。
地球は、社会はバランスを失っている。でも、それに気づいている人々はどのくらいるだろうか。リニア開発、アマゾン森林破壊、地球温暖化、次から次へ起こる戦争などなど数をあげたらキリがない。
SNS, そして、AI環境が人間の心の病気により拍車をかける。また、その心を失ないかけている人間が、不安定な状態で人間を育てる。 アンバランスになる訳である。
村の人はバカじゃありませんよという黛(渋谷采郁)の言葉がひかる。
我々の社会でAIの一億総白痴化はもうすぐそこにまできている
でも、私たちはバカじゃない
人間性を失いつつあるこの社会へ、地球への警告を監督が示していると思う。
我々が、人間として、または地球人として、批判的思考や問題意識をもって行動することが悪を存在させない一つの方法であると言っていると思える。
問題意識と批判的思考能力の強い村人のように自然と人間の調和を意識化に入れた啓蒙的思想を強めよと監督は我々にメッセージを与えていると思う。
似非自然主義
自然の中に溶け込むようにして暮らす親子を描きたかったのでしょうが、日夜山の中で暮らしているという設定にも関わらず、父娘ともども新品でピカピカの服を着ている時点で急速に冷めてしまいました。娘なんて眉まで綺麗に整えてますよね?全体的に山の中で暮らす父子家庭っぽさが皆無でした。傷ついた鹿に自分達を重ね合わせるようなエンディングへとつなげるのであれば、もう少し泥臭い生活感をにじませるべきではないでしょうか。本作ののテーマであるはずの人と自然との共生って、森の中を歩くシーンと、水汲み、薪割りぐらいにしか描かれていませんよね。
またグランピングに関する説明会のありようにも、違和感しか覚えません。説明された内容で行政が開発許可を出したのだとすれば、住民が責めるべきは許可権者である行政でしょう。合併浄化槽の位置や容量に問題があるのだとすれば、それで良しとした行政が悪いのは言うまでもありません。さらにそんな欠陥事業に補助金まで交付するというのであれば、どう考えても悪は行政側にあるわけです。ところが本作に登場する住民達はただひたすらに事業者のみを糾弾し、批判し続けます。ルールに則って開発を進めようとする事業者が悪しざまに言われる所以はありませんよね。この町に住む住民の中には、物事の道理を理解している人間は一人もいないのでしょうか。
他にも様々引っ掛かる部分ばかりが目立ち、個人的にはさっぱり楽しめませんでした。職業「便利屋」でお金には困っていないと言いつつ、具体的な仕事内容は水汲みぐらいしか描かれないし。その割にピカピカの新車のSUVを乗り回しているし。水汲みってずいぶん儲かる仕事なんですね。そこは使い古したジムニーとか軽トラで良かったんじゃないですかね?田舎暮らしや自然との付き合い方、行政の仕組みについてよく知らない人達が、頭の中に思い浮かんだそれっぽいイメージをよく調べもせずにただ並べて作り上げた映画、という印象です。エンターテインメントである以上フィクションが前提になるのは当然ですが、最低限のリアリティーは担保して欲しかったと思います。
徹頭徹尾、サスペンス
村上春樹の原作でもなく、西島秀俊が主演でもないとなると、ロードショー公開が広がらないのが、日本の映画界なんだなあ、とボンヤリ考えながら映画館に入る。
冒頭のシーン。コーエン兄弟の「ミラーズクロッシング」を思い出す。
森
残雪
少女の一人歩き
チェーンソウ
ナタ
薪割り
鹿撃ち
銃声
羽根
チェロ
都市と地方
不信感
不機嫌
曖昧で人任せな町内会長
無責任なコンサル
適当な社長
クソみたいな仕事に嫌気する社員
想像力の欠如
徹頭徹尾、サスペンスだ。それも途轍もなく強度が高い。
だから、寝なかったもんね。
配信が始まったなら、結末を先に知ってから見る人に、ぜひおすすめしたい良作です。
やっぱり面白い。
2度目の観賞でした。あの映像はとんでもなく引き込まれますし、ストーリーって言うよりあの会話劇が面白くてたまりません。
主人公の巧さん役の方、プロの演者さんではないとの事ですが内面の読めない怖さが素晴らしかった、あの役にぴったりです。娘の花さん役の演者さんも自然により近い子供の神秘性(大人の思い込みですが)を体現している様で本当に素晴らしかった。
東京の芸能事務所やコンサル会社の面々もどうしようもなく滑稽で東京人として恥ずかしいやら何やらで笑うしかなかった。あのラストは初見では思わず「えっ?」と声が出てしまいました。
目を少しつぶって開いても同じシーンだった
前半がものすごく時間をかけて丁寧(褒めてません)に描かれていて、中盤でやっと盛り上がりが始まったかと思えば、それはおいといて別事件があってそこからはまるで30秒のジェットコースター。あっけなく終わる。それぞれの主義主張立場役割があるから悪は存在しない。
言いたい事のいくつかは咀嚼できたと思っていますが、これを名作とするならしても良いと思いますが、これからの未来の映画作品がこういうものばっかりになったら、私は嫌です。
悪は存在しない(2023)
J-WAVEさまにご招待いただき、J-me SPECIAL PREVIEW『#悪は存在しない』に伺いました。
折角誰よりも早く作品を鑑賞できるのだから先入観なく観たい、という理由で、事前情報は殆ど入れずに行きました。
試写会応募の動機は、「ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞作品だから」ではありません。
「あの『ドライブ・マイ・カー』の次がこんなにも地味(失礼)なのは何故なんだ」です。
『ドライブ・マイ・カー』の次の作品ですよ?
濱口竜介作品に出たい役者さんならいくらでもいたことでしょう。
なのに、監督の名前よりも目立っていた石橋英子さんの音楽と印象的なタイトルバックの後に登場する主人公らしき男の顔には、まるで見覚えがないのです。
長回しの薪割シーン、無駄のない、慣れた手つきで次々に薪を割る彼の姿を見て私は不遜にも、「あーなるほど、オスカーを獲った後は自らハードルを上げ、本物の山の男を連れて来て、役者の知名度に頼らない作品で世界の観客を試すのですね、わかります」と思いました。
その「山男」が『ハッピーアワー』の製作スタッフさんだったことを知るのは、映画を観終わった後です。
私はジビエが好きではありません。
「命をいただく」も、ちょっとよくわからないというか、日々の生活の中で強く意識することはありません。
里に下りて来てしまった熊を殺処分した村役場に「可哀想」と電凸する人の気持ちはもっと解りません。
グランピングで提供されるものは自然とは呼べないどころかむしろ自然破壊だと思うが、だからと言って本物の自然に触れたいんだぜと獣道しかないような場所に突入するのは無理、死んでしまいます。
「自然との共存」、言葉にすると途端に陳腐になってしまう命題について、各論では漠然と答えは持っているけれども、それらは互いに完全に整合性が取れているのかと自問すると、自信ゼロです。
「自然との共存」、これほどモヤモヤするテーマはちょっと無い。
この作品は、そのモヤモヤに、「一定の答え」或いは「より正しい思考の方向性」を見せてくれます。
ラストシーンは衝撃的です。
起こったことは映像になっていますが、説明がありません。
自然はあまりにも強大で、自然の中で生きる高いスキルを持ち、自然との共存について「一定の答え」を持っていたはずの巧が、いとも簡単に壊されてしまいます。
「悪は存在しない」はずなのに、なぜ自然も人も犠牲を払わなければならないのか。
ちょっと見たことのない、ある種実験的な、しかしストーリーも訴えかけてくる主題も明確な、だが決して結論を押し付けてはこない作品です。
元々映画として企画が立ち上がったわけではないので、知っている役者さんは一人も出て来ません。
しかし一方で、エキストラのひとりひとりにまで背景や役割が与えられていたそうで、スクリーンの隅から隅まで、映っている人々がそれぞれの人生をしっかりと生きていることを感じることができます。
特に「説明会」のシーンは圧巻です。
八ヶ岳の映像が美しすぎるので、ぼんやりしているとラストシーンで後ろから思いっきり頭を殴られて口開いたままスタッフロール、の憂き目に遭いかねません。
与えられた素材を瞬時に頭の中で組み立てて、答え、あるいは「問題」を掴み取れる瞬発力が必要です。
最後に、主演の大役を果たした大美賀均さんについて。
上映後のトークで、彼が無名の役者さんでも「本物の山男」でもなく、制作スタッフさんだったことが判明しました。
つまり薪割りは特訓の成果か、でなければ天才だったということになります。
映画の中では口数少なくなんとなく「棒読み」な話し方だった巧さんが、実はとっても饒舌で楽しい方だとわかって「あれ、演技だったの?!」とものすっごく驚きました。
大美賀均さんは、映画監督でもあります。
心理学でいう抑圧がテーマかなと。
主人公の「たくみ」は、リゾート開発に反対でも賛成でもなく、議論したいと主張していた。しかし本当は、誰よりも開発に怯えていたのでないだろか?彼の妻が不在に見えたのは妻を亡くしたからだろうか?そんな喪失体験の上に、自分の生活そのものを揺るがしかねない会社がやってきて、娘も大変な事態となって、最後には抱えきれない気持ちが暴発したように映った。そして実は、抑圧は主人公だけでなく、村で説明会を開いた二人の会社員にも内在していた。興味のない仕事、合ってない仕事なのに、本心を殺してでも仕事をしようとしている。唯一確かなのは、薪を割る、川の水を汲むという事実だけである。
こんな勝手な解釈をしつつ、『ハッピー・アワー(2015年)』で拝見した役者さん達と再会し、またこの映画も見返したくなりました。沁みる体験をありがとうございました。
観終わってから調べました
巧と花の坦々と過ごす生活にクランピングという新事業が乗り込んでくる。自然を壊しかねないそんな事業に猛反対するのかと思ったらそうでもない。
そんな中、花か行方不明にになり必死に探す。やっと見つけたが手負の鹿と対峙している。すると突然巧は高橋の首を絞めて気絶させてしまう。
倒れた花の生存を確認した巧は花を抱き抱えて走り出す。
唐突にエンドロール。
全く意味がわからない。
これについて言及しているサイトを読むと、あ。そうなんだとは思ったが誰かの解説を見なければわからない映画はどうなの?私は受け入れられないな。
自分的には『Evil does Exist』なエンディング
濱口竜介監督作。
今年の日本映画のベストワン候補となる傑作。
出だしから森の映像と重厚な弦の響きに圧倒される。映画の世界に誘われる。すぐに作品の中に入り込んだ。
自分的には音楽の存在が大きかった。
エモーショナルだった。
時々に感情を大きく揺さぶられた。
自然豊かな高原の町。
自然の中の生活。
知らないからこそ畏敬の念をもつ。
そこで暮らす人たちも遠い存在だ。
訳もなく羨ましいなんて思ったりして。
コロナの補助金を得るためにグランピング施設を作ろうとする芸能プロダクションの二人。村の人々の生活を壊しかねない心無い計画と対応に反吐が出たのも束の間。
二人が心情を語るシーンが秀逸だった。明らかに自分もそっち側の人間であることを思い知らされる。すべての悪の存在を否定してしまうような女性社員の言葉が凄かった。神がかっていた。
悪は存在しないと言うが如き。
そしてそれまでの全てを否定する厳しいエンディングに愕然とする。手負の鹿、主人公の唐突な暴行。
悪が噴出するが如く。
デヴィッド・リンチを思わずにはいられないシュールな展開に度肝を抜かれ、エンドロールで必死に鼓動を静めようとしたがダメだった。
そう、自分的には『Evil does Exist』なエンディングだったが果たして。これからいやというほど反芻することになる。
で、音楽。メインテーマは石橋英子さんなんかなぁ。ヴィスコンティ作品におけるマーラーのように絶対的だった。圧倒的だった。
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