「自然に悪は存在しないが、人に悪は存在する 自然への謙虚さを忘れたとき、その報いは訪れる」悪は存在しない ITOYAさんの映画レビュー(感想・評価)
自然に悪は存在しないが、人に悪は存在する 自然への謙虚さを忘れたとき、その報いは訪れる
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何か悪いことが起きるのではないかと、ドキドキしながら観ているのは少し嫌なものです。
その顛末を見せるのが映画の一つのパターンだから。
(たまに、何も起きない平安の安らぎを見せるパターンもある。)
娘が一人で歩いて帰宅するのもどうかと思って観ていると、案の定行方不明に。
銃声が2発聞こえたのは、鹿が撃たれたのだろう。
帰宅途中、ぶらぶらしていた娘は、手負いの鹿と遭遇し、愛でるつもりで、不用意に触ろうとしていた。
そこで、娘を見つけた主人公は、一緒にいた高橋が声を出して鹿を驚かせ、娘に怪我させることが無いように、必死で羽交い絞めにして押さえつける。
その後、見ると鹿はおらず、娘が横たわっていた。
途方に暮れた男は娘を抱いて、去るのだった。
「悪は存在しない」とは、鹿のことか。
鹿が人を襲うのは悪意からではないから。
グランピング場開発で助成金を無理にでもせしめるのは悪である。
自らは出張らずに通り一遍のコンサルをして強引に進めるコンサルタントも悪。
自然の怖さも忘れ、つい娘を迎えに行くことを忘れてしまう父。
手負いの鹿は襲ってくることを、東京の人間には偉そうに説明する反面、娘には言って聞かせていない。
何をおいても最大限の努力で、子供の命を守るのが親の務めだ。
それを怠ることこそ、最大の悪だ。
説明会では、住民側に立ち、それでも自分たちも以前はよそ者だったと言いながら、いつしか謙虚な気持ちを忘れ、自然をわかった気でいた。
その報いがあったのだ。
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