オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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天才なのかもしれないが…
人間としての魅力はない。科学者というより政治屋として描かれ非難されているが
最終的には評価されるもそれは虚無だった。この映画で描かれる連中はまともじゃないってこと(笑)はっきり言って原爆は添え物だったよ
天才物理学者も女と国家には振り回される
天才物理学者オッペンハイマー博士の伝記映画です。ケンブリッジ大学への留学以降の半生を描いています。
映画の冒頭、留学先で実験の失敗を叱責された彼は指導教官を毒殺しようとします。「当時俺はホームシックでちょっとおかしくなっててさ…」と後にサラリと振り返りますが、なんとも奇妙なエピソードです。「倫理観の破綻した天才」という印象を持ちました。
常人には見えない天才ならではのビジョンを、映画は幻視的なシーンを重ねることで表現します。原子の世界を花火で。原爆の被害を白い光と風と女性の皮膚の剥離で。何度か繰り返されますが、映像表現には新鮮味を感じません。
天才科学者の彼は、何一つ自分でコントロールすることができないように見えます。男女関係しかり、兄弟関係しかり、水爆開発をめぐる権力闘争しかり。そんな彼のセックスは女性上位です。彼は巻き込まれ型の人物であり、「NO CHOICE」と呟きながらどんどん原爆作製計画に巻き込まれて行きます。
彼はアインシュタイン先輩を「もう終わった人」と軽視するような傲慢さを持っていますが、一方彼自身も次世代「水爆の父」テラー博士から考えが古いと突き上げを喰らいます。
やっと自分が活躍できる場を与えられた彼は、ロスアラモス国立研究所の建設と原爆実験を成功に導きます。ストリングスのBGMが緊迫感をあおりますが、「三位一体」実験が成功するのは周知の事実であり、スリルはありません。
「他に選択肢はない」「すべての戦争を終わらせよう」を合言葉に原爆開発に勤しみ、その成功を祝う科学者達。科学者としての虚栄心と倫理観の間で苦しむ姿はほとんど描かれません。彼らは自分たちの仕事がもたらした大惨事に、その後どのように向き合ったのでしょうか。科学者たちの苦悩を描くNHKテレビ「フランケンシュタインの誘惑」の方が見応えあるかも知れません。
オッペンハイマー、ラビ、テラー、アインシュタイン、ボーアと多くのユダヤ人の天才科学者が本作のメインキャストです。ナチスの迫害に対し彼らは知性と創造力で対抗し、その成果物は日本人に向けて使用されることになります。
陸軍長官を交えた原爆の実戦使用の検討会議。「科学者は想像力で理解できるが一般人には見せてやるまで理解できない」「神の力の啓示を与える」と原爆使用に前向きな発言をしています。原爆投下とそれに伴う日本の降伏により、彼は一躍時の人に。その反面、水爆開発に後ろ向きな彼はもう「用済み」扱いを受けます。天才科学者といえども、国にとってはただの「駒」でしかない無情な現実が突きつけられます。
いつも自分の意志を明確にしないまま状況に流されているように見えてしまうオッペンハイマー。そんな彼と対象的なのが、一人は妻キティ。窮地に落ちた彼を励まし、「戦え!敵と握手をするな!」と叱りつけます。妻を主役にして妻の視点から描いていたら、もっと見ごたえのあるドラマになっていたのかも知れません。もう一人は原子力委員会委員長のストローズ。世間知らずでウブなオッペンハイマーと、叩き上げの老獪で野心的政治家、キャラクターの対比が鮮やかです。共通点はふたりともユダヤ人であること。ストローズはオッペンハイマーにメンツを潰されたことを根に持ち、彼の影響力を削ぐためにスパイ容疑で罠にはめます。さらにストローズはJFKとの間にも禍根を残します。もしかしたら後のJFKの暗殺に絡んでいたのではないかと勘ぐってしまうような含みをもたせたシーンでした。史実かどうかは分かりませんが。
証拠がないのにスパイだと告発されたオッペンハイマー。密室での聴聞会のシーンが延々と挿入されます。「自分はスパイではない」と証明することは悪魔の証明であり、当然明確な結論は出せません。国に対する忠誠心を証明しろ!というの無理な話です。日本人という外の敵、共産主義者という内なる敵に容赦しないアメリカが描かれます。聴聞会でスーツ姿の男達とオッペンハイマーの妻が見守る中、突然素っ裸で演技をさせられる異様なシーンが挟まれます。プライバシーを暴かれる羞恥心と罪悪感を映画的に表現したシーンですが、そのあざといシーンのせいでR指定になり子供らが観られないのは残念なことです。
彼の政治的な思想信条はどうだったのか。共産主義へのシンパシーはあったのか。ユダヤ教による宗教的背景はどうなのか。ユダヤ人としての苦悩があるのかないのか。どんな両親のもとにどんな環境で育ったのか。幼少時の特異な体験はないのか。兄弟の関係性はどうなのか。内面にどのような葛藤を抱えていたのか。科学者としての虚栄心はどうだったのか。多数の人命を奪うことになった罪悪感はどうだったのか。生命倫理観はどうなっているのか。なぜ東宝は公開を見送ったのか。本作を観てもよくわからないままでした。ただうつろな表情と「われは死神なり。世界の破壊者なり」というクリシュナの引用による抽象的な言葉があるだけ。あるいは幻視的な特殊効果のシーンが挿入されるだけ。オッペンハイマーという人物に焦点をあてながら結局彼がどんな人なのかよくわからない、不思議な映画です。原爆あるいはオッペンハイマーという人物はそもそもたかが3時間の映画で語れるほど小さな事象ではないということかも知れませし、オッペンハイマーは題材であり主役はクリストファー・ノーランなのかも知れません。
映画の中で彼がもっとも苦悩するシーンは元カノの自殺を知った場面です。本来彼には見えないはずの浴槽での自殺シーンが描写され、彼は気が違ったように嘆き悲しみます。本作中でクールな彼が感情を露わにする唯一のシーンでした。遠くの何万人という異教徒たちのむごたらしい死よりも、身近な一人の女の死の方が彼を苦しめたようです。
【彼の生涯】
1904 ニューヨーク生まれ
1925 21歳 ハーバード大学を首席卒業
1936 32歳 カリフォルニア大学、カリフォルニア工科大学教授就任
1943 39歳 ロスアラモス国立研究所の初代所長に就任
1945 41歳 人類初の核実験であるトリニティ実験に成功
1947 43歳 プリンストン高等研究所所長に就任
1954 50歳 スパイ疑惑により公職追放
1960 56歳 初来日
1963 59歳 エンリコ・フェルミ賞受賞
1967 62歳 喉頭がんで死去
【追記】本作の宗教的側面について
この映画は宗教映画でもあります。
本作の描くロスアラモス国立研究所の描写はまるで一大祝祭空間です。ここは宗教施設でもあり、無神論者(共産党員)や異教徒は立ち入れません。立ち入った者は罰せられます。
「他に選択肢はない」「すべての戦争を終わらせよう」を合言葉に原爆開発に勤しみ、その成功を祝う科学者達。科学者としての虚栄心と倫理観の間で苦しむ姿はほとんど描かれません。それはなぜか。言葉では語られませんが、『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という暗黙の了解があったからではないでしょうか。
悪天候の中、「朝には回復する!砂漠のことは俺がよく分かっている!5時半決行だ!」と宣言するオッペンハイマーはもはや科学者というより司祭様です。「三位一体」実験の成功により祭りは最高潮を迎えます。
スティムソン陸軍長官を交えた原爆の実戦使用の検討会議。オッペンハイマーは「神の力の啓示を与える」と神の名を出して、原爆使用に前向きな発言をしています。
原爆投下とそれに伴う日本の降伏により、彼は一躍時の人に。大衆に熱狂的に迎えられる彼の心の中では、ひそかに重大な「宗教的変節」が起こっています。原爆被害の実態を知った彼は『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という前提を疑ってしまいます。これは重大な罪に当たります。
『殺してはいけないという戒律はユダヤ教徒の内側にのみ有効で,異教の民には適用されない。神が殺せと命ずれば,それは絶対的な命令である。人間の判断が入り込む余地は微塵もない。もし,人が倫理や感情を持ちだして神の命令にそむけば涜神(とくしん)となってしまう。したがって,命令=契約を素直に,忠実に実行するのが正しい信仰の姿なのである。命令=契約に対して一切の疑義をさしはさむことはできない。』
(諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ 第8講:一神教における愛と平和と皆殺し 東京農工大学大学院技術経営研究科教授 松下博宣 より一部抜粋)
トルーマン大統領との面談で、「自分の手が血塗られた気がする」と正直に吐露したオッペンハイマーを大統領は「科学者ごときが責任を感じるなぞw」「泣き虫!」と罵倒します。トルーマンもオッペンハイマーの宗教的信念の揺らぎを見透かしています。「いまさら日和りやがって!このヘタレが!」と言わんばかり。大統領の全く悪びれず堂々とした態度はどこから来るのか。もちろん、『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という宗教的信念からでしょう。
神の忠実な下僕であるストローズもオッペンハイマーの変節を見抜き、彼を宗教裁判(異端審問)である聴聞会にかけます。
オッペンハイマーは原爆を作った罪で断罪されたわけではありません。
彼の犯した罪は…
①無神論者(共産党員)へのシンパシー
②異教(ギリシャ神話やヒンドゥー教)の言葉を口にしたこと
③神の摂理である水爆開発へ疑義を挟んだこと
④核兵器を「国際管理」という名目で異教徒の手に渡そうとしたこと
また、ストローズを原子力委員会の最初のコミッショナーに抜擢したのはトルーマン大統領でした。トルーマンにはエドワード・ジェイコブソンというユダヤ人の親友がいることは有名であり、そしてトルーマン大統領は後にイスラエルの建国を承認します。さらにストローズはイスラエルの核計画の父と言われるベルクマン博士を支援したと言われています。
ストローズの商務長官就任に関する公聴会。上院議員の投票により否決されます(賛成46、反対49)。反対票を投じた中には将来大統領になるJFKとリンドン・ジョンソンがいたそうですが、本作でストローズが口にするのはJFKの名前だけです。JFKがカトリック教徒だったからかも知れません。
原爆がなぜ長崎に落とされたのか。だれがどのように決めたのか、いまだに明らかにされていません。『「長崎の原爆投下は日本とカトリック教会への攻撃だった」(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)』という考察もあります。
本作には悪魔と天使の対決も用意されています。悪魔は無神論者(共産党員)でオッペンハイマーを性的に誘惑するジーン。天使は妻のキティ。聴聞会の場で、ジーンとキティはにらみ合いの直接対決を演じています。
この映画で最も印象的なシーン。ジーンの自殺を知ったオッペンハイマーが森の中の木にすがるように泣き崩れ、それをキティが励ましています。不倫相手の自殺を自分の妻に話したり、それを聞いて励ましたりする夫婦がいるでしょうか。極めて不自然なシーンです。これは夫婦の姿ではなく、悪魔の敗北と天使の導きを示唆した宗教的シーンではなかったでしょうか。原爆の作製と使用を神の命令と信じればオッペンハイマーは良心の呵責に苦しむ必要はありませんが、元カノの自殺には耐え難い苦痛を感じたようです。悪魔と天使の間でオッペンハイマーの心は激しく揺れ動いているようです。遠くの異教徒の大量の死も、彼の心をこれほど揺さぶりはしません。
原爆とこの映画の共通点はどちらもキリスト教徒とユダヤ教徒の手によって作られ、異教徒の理解は必要としていない点にあると思います。アカデミー賞の受賞やロバート・ダウニー・Jrの態度も含めて、「異教徒」である日本人のわれわれには理解が及ばない点が多々あるし、彼らもまた理解を求めてはいないのではないでしょうか。もしドイツの降伏が遅れていたとしたら、トルーマンは同じキリスト教徒の上に原爆を落としていたのでしょうか。
いっぱい賞取るのも分かる、良く出来た映画。特に一番の山場であるトリ...
いっぱい賞取るのも分かる、良く出来た映画。特に一番の山場であるトリニティ実験のくだりは素晴らしい。絶対押したらあかんボタンが押され世界が変わる恐怖と、最高にドキドキするエンタメとを両立させている。爆発の映像はちょっとしょっぱいが、音楽・音響で補っていた。
聴聞会シーンは若干退屈ではあるが、うまい役者が揃って味わい深い。ロバート・ダウニーJr.はアカデミーの授賞式でミソをつけたが、ここでの演技は素晴らしかった。
役者はチョイ役も全部ビッグスターで凄い。しかもみなさんだいたい実際よりちょっと老けた役をやっており、これがまた良い。トルーマンになりきったゲイリー・オールドマンがなぜか谷啓にそっくりでビックリした。
撮影は素晴らしかったが、IMAXで上映する意味があるのかどうかイマイチ疑問。
音楽も素晴らしいが、とにかくずっと鳴っているのでセリフにかぶり気味なのが気になった。
ちなみにDune2と同じスクリーンの同じ席で観たが、映像も音響もオッペンハイマーのほうが数段上だと感じた。
◇贖罪、相対性、そして時間
ノーラン監督作品の主たるモチーフと言えば、初期の『メメント』 から一貫して「時間」そのものです。置き換えられたり、繰り返されたり、巻き戻されたりする可変的な時間軸。そのトリッキーな技法に巻き込まれて、われわれは「意識=時間」が再構築されて洗い替えされるような感覚に晒されます。
時間の魔術師ノーラン監督が、『インターステラー』『テネット』などの作品でSF考証を務めたキップ・ソーンというノーベル賞物理学者を通じて、辿り着いたのがアメリカ🇺🇸の理論物理学者でした。核兵器を世に送り出したオッペンハイマーという人物です。
一人の人間にとっての「時間」とは、継続する自己意識の有り様です。記憶や思い入れや執着の連続体として、存在する「時間=意識」。原爆を開発したオッペンハイマーの気まぐれな心変わりを描き出すことで、生々しい「時間=意識」ドラマが創造されました。
原爆には積極的であったのに水爆開発には反対する姿、優柔不断な女性関係、共産主義者からの転向。自らの一貫性の無さが引き起こした核兵器の時代への贖罪を自虐的に露悪的に曝け出し続けることで、辛うじて保たれる「時間=意識」の物語。
そこには、力強い「善」の姿はなく、絶対的な「神」もなく、果てしなく続く相対主義的な不連続でブツ切りの価値観の虚しさしかありません。一人の歴史上の人物を通じて、現代の解体された「時間=意識」が描き出されているようにも感じ入るのでした。
予備知識が必要な映画
まず、物語の理解に必要なことが作中で説明されない部分が多くあるので、J・ロバート・オッペンハイマーのwikipediaの記事くらいは読んで鑑賞したほうが良い。脳内であれこれ想像して補完すれば恐らく理解できなくもないが、本来それは不必要な負荷だと思うので、事前知識を入れておくことをおすすめする。
物語のあわゆる部分がその時の時代や世界情勢に紐づいている。
原爆そのものよりも、科学と国家安全保障、技術競争、研究効率と秘密保全のバランス、政治的な主義思想など、そういったことについて考える良い機会になった。
我々はトリニティ実験が無事に成功するのを既に知ってしまっていて、その実験に関わる人達の緊張感や不安がうまく想像できない部分があるが、そのあたりの感覚をしっかり描いてくれたのが興味深かった。
今まで観た映画の中で、もっとも恐ろしかった。
原爆の開発過程、オッペンハイマーの苦悩や科学と道義のジレンマ、スパイ容疑の尋問など、見所の多い本作品でしたが、僕は原爆の開発過程から原爆実験、広島への投下のニュースのシーンに震えが止まりませんでした。
今まで観たどんなホラー映画よりも、この映画は
恐ろしかった。特に原爆投下の成功に喜ぶ人々のシーンは具合が悪くなるほどでした。
核兵器のない世の中になることを願ってやみません。
濃密な3時間
ノーラン監督らしいIMAX重低音が心と体に響きます。
ロスアラモスでの実験の爆音が衝撃的でした。
実験の結果が招くであろう被爆地の悲惨さが想像されるが、そこには目が行かず成功を喜ぶ人々の対比が象徴的でした。
次は大東亜戦争開戦の背景、被爆国日本側からみた原爆の惨禍について映画を作って欲しい
日本での公開に賛否のあった、原爆の父オッペンハイマーを観てきました❗天才物理学者が大量殺戮兵器を作り、その為に多くの日本人を殺してしまった❕
また、彼は面談したトルーマン大統領に対し「私は自分の手が血塗られているように感じます」と原爆開発を後悔するようなことを言ったことや、水爆再発に否定的なことを話したため、後に共産主義の疑念を持たれ失墜してしまう‼️
オッペンハイマーは広島への原爆投下による犠牲者が五万人程度と聞かされたが、実際にはその三倍もの民間人が犠牲になったことに心痛めてしまった❕
彼は純粋な学者でアインシュタインとも親交があった人物❕殺戮兵器を作るのではなく、自分の理論が正しい事を証明したかっただけなのかもしれない‼️
今年1月に広島平和記念公園で原爆ドームと原爆平和記念資料館を訪れたためオッペンハイマーには良い印象をもっていなかったけど、同地を訪れている外国人が説明書きを食い入るように読み、資料館では涙する外国人を多く見たので、この映画で原爆の酷さ、戦争の悲惨さを改めて考える良い機会になりました‼️
山崎貴監督はこの水爆実験によりGODZILLAが産まれた事を映画にして米国で大ヒットした❕皮肉なものだけど、やはり唯一の被爆国として反対の立場からみた原爆の悲惨さを映画にして欲しい‼️
タイトルなし
原子爆弾ではなく人間を描いており、日本での公開が危機一髪だったのがわからない。広島だ長崎だ言う人には、実験成功を喜ぶ祖国アメリカの体育館や公聴会、果ては未来の地球にまで落とされた原爆と水爆が見えなかったのか。落としたのは人間でアメリカ人ではない。ドイツ日本ソ連、全人類でボタン押したと言って良い。被害者面は周りに任せれば良い。
またフォローイングを見てからだと構造が同じで手腕の恐るべき進化がわかりやすい。
ちなみにノーランをIMAX GTで見るようなこだわりの強い人ってどうして両サイドの肘掛け使えるのが当たり前だと思うのだろう。両隣と米ソよろしく冷戦状態になってしまった。自分も良くないな、肘掛けぐらい良いじゃないか。
とまで書いた後になりますが、
広島長崎に原爆を落とした後に自分の思考を変えたとなると、確かに原爆の威力を描けよ!と言いたくなりますね。
考えが遅くて駄目だなあ。
傲慢な科学者と靴屋
我々庶民では理解出来ない科学者と靴屋の話を時系列をごちゃ混ぜにした映画。後から白黒とカラーで科学者と靴屋を分けてあるようだが、説明なしだとわからない!科学者の後先考えない探究心、政治家の傲慢、命令による殺人を何とも思わない軍人…一応オッペンハイマーは日本人の殺戮を後悔するシーンは少しあるが、映画は赤狩りの方に重きを置いていた。アメリカ、科学者の傲慢も詰まり切った映画でもあった…
オッパッピーではない
ストローズっておっさん誰?とか、小部屋での聴聞はなに?とか基本的展開での疑問はもちろん、次々とさまざまなキャラが登場し、ノーランが大好きな時系列いじりが入り、さらに時間軸に沿って人物が歳を取っていくので、オッペンハイマーと本作に関する予備知識がないと正直、話がよくわからない(と思われる)。
のりぴーではなくオッピーの半生を3時間観せられる映画なので人物への興味がないとよりしんどいが、原爆の父という点で被爆国の国民としてはスクリーンを観続けるモチベーションがあるといえなくもない。原爆の恐ろしさはオッピー目線で入れてるけど、広島・長崎後、ヤンキーたちの喜びようを見せられるとやはりムカッ腹が立ってしまった。反面、後半のソ連に原爆技術が渡った?という疑惑の会話劇は事実は決している話だけにけっこう退屈。まあ、小バカにされたとの勘違いだけで嘘をでっち上げたストローズの低レベルな人格には呆れるが、役者がアカデミー授賞式での露骨なアジア人差別をしたロバート・ダウニーJr.だけに納得感はある(後付け)。
主人公の高慢な感じや女好きも描きつつ、6週間でオランダ語を身につけ講演したり、複雑な数式を見ながらあーでもこーでもないと議論する人間はどんな頭の構造なのかとは思うし、マンハッタン計画のためロスアラモスに街まで建設しちゃう徹底ぶりには恐れ入る。こんな顔アップばかりの映画をわざわざIMAXで撮ったり、撮影のたびに大セットをおっ立てたりしちゃうノーラン監督自身もかなりヤバいと思うのだが、それゆえオッペンハイマーに共感して映画にしたのかも(勝手な想像)。
プロメテウスの後悔
被害者が見えないと云う指摘があります。加害者の苦悩は分かるとして、被害者の苦痛を伝えないでは、リトルボーイも、ファットマンも、その本当の恐ろしさが伝わらない。だから、未だに核は無くならない。それどころか、ガザをヒロシマのように…と言い出す議員まで。
計らずも、この映画は、落とした側と、落とされた側の温度差を、世に知らしめることになりました。
公開前から、映画の出来を評価するのではなく、この映画の存在自体、是非が問われています。
私はこの映画を否定しません。少なくとも、この映画がなければ、爆撃者と被爆撃者との温度差を、ここまで痛感することは、なかったはず。それだけで、意味があると思います。どう思うかは、ヒトそれぞれですが…。
以上、本作の事前情報を、レビューしてみました。
やはりと云うか、流石と云うか、ノーラン節、炸裂の時系列ですね。ついて行くのに苦労します。でも、社会正義を振りかざし、声高に一方的な正しさを押し付けるのではなく、一個人にスポットを当てた心理描写の方が、このデリケートなテーマには、良かったと思います。
因みに、原爆の研究は、米ソだけでなく、このクニでもしていたそうです。仮にこのクニで完成していたら、皆様は、どんな映画を創ります?。ヒトは自らの業火に焼かれて、灰になるだけの存在なのか、更なる進化を遂げるポテンシャルを秘めた存在なのか、どちらがいいと思います?。
いずれにせよ、過去を変えることはできない。今、そこにある温度差を、解消することもできない。それでも、過去と今を知ることで、今よりマシな未来を描くことは、許されるのでは…。
本作が、その一助になることを望みます。
「ナイト・ブレーカー」
原爆被害は、極東の島だけではない。と云うか、原爆開発チームは、放射能の人体被害を、理解していたのか疑わしくなるお話。古い映画なので、視聴困難やも知れませんが、探して観て下さい。全て実話だとすれば、呆れ果てる話です。
結局同じことを繰り返しているんだな
映画館にて鑑賞しました。
もっと様々な背景を勉強してから見ると違ったんだろうな、と思いました。自分の学のなさが恥ずかしいのですが、オッペンハイマーが原子爆弾を開発した物理学者だということも、正直、この映画の宣伝で知ったぐらいです。
原子爆弾の開発までを描く映画かと思い鑑賞しましたが、その後の部分がメインでした。ストロースが色々語ることや原子爆弾開発までのオッペンハイマーの様子が描かれることで、随所に挟み込まれる聴聞会のシーンの重さがどんどん増していきました。前述したようにシーンの重要性というか面白さが後半になるほど大きくなるため、逆に前半の聴聞会のシーンは、若干の「なに言ってるんだ感」は感じました。
この映画で印象に残ったシーンは2つあります。
1つ目はトルーマン大統領とオッペンハイマーが面談した時のトルーマン大統領のセリフ「恨まれるのは開発者じゃない。落とした人間だ。」です(たしかそんな言い方だったと思いますが…)。このセリフは為政者と科学者の覚悟(なのか面の皮の厚さなのか…?)の違いを見せつけられた気がします。短いシーンですが、個人的にはかなり印象に残っているシーンです。
2つ目は終盤のアインシュタインとオッペンハイマーが会話しているときのアインシュタインの言葉「時が経てば君は祝福されるだろう。それは君を許したからではなく、彼らを許すためだ。」です(たしかそんな言い方だったと思いますが…2)。この映画を通して一番印象に残ったセリフですね。祭り上げられた側だから感じることができる視点だし、まさにその通りだな、と思ってしまいました。
にしてもこの映画を見ていると、人間は結局同じことを延々と繰り返すんだな、と思ってしまいますね。
難しい映画だった。2つの意味で。
公開から1週間以上経ってようやく映画館に観に行くことができた。
いつものとおり、できる限り事前知識を入れずに観たのだが、一言で言うと「難しい映画」である。
■難しい① 映画のスジの理解が難しい
学者を中心に登場人物が多いが、誰が誰なのか、何をした人なのか説明がほとんどないので、主人公との関係性、マンハッタン計画との関係性がよくわからない。
また、オッペンハイマーの聴聞会の目的はおおよそ理解できたが、ストロースの公聴会は何のためにやっているのか、見終って検索するまで意味がわからなかった。米国の閣僚の選出過程など知らなかったので、何のための公聴会なのか理解出来なかったのだ。私と同じように、事前知識がなくて細部の理解が追いつかなかった人も多かったのではないだろうか。
それから、時制行ったり来たりで、実際に起こった事象の時系列がわからなくなる場面が何度かあった。聴聞会でオッペンハイマーが自身の過去を回想していくという演出はいいのだが、何度も行ったり来たりは少し疲れたというのが本音である。
この映画を理解するには(楽しむためには)オッペンハイマーとマンハッタン計画に関する一定の事前知識がないと難しい。知的で難解な映画だと思う。
■難しい② 扱うテーマが難しい
①の難しさに比べればこちらが遙かに難しい。難しさ故に、監督は「核兵器の是非、オッペンハイマーの行動の是非を評価しない」というスタンスを採った。そうしなければ、映画は公開できなかっただろう。その判断は、映画を観た者に委ねられた。
これは原爆の開発に関する映画だが、それに留まらない人間の欲望と探究心、科学と倫理というものを考えさせられる映画であったように思う。
ロスアラモスで研究者達が原爆開発計画をストップさせようとする集会を開いている場面にオッペンハイマーが入っていく場面があった。「ヒトラーは死に、日本も降伏目前なのに、なぜ原爆が必要か?」という一部の科学者たち。こういう人たちがいた、そして政府が決定する直前まで嘆願書に署名して実戦使用を止めようとしていた人々がいたことを知って、科学者の良心を感じると共に、それでも核開発に突き進む科学者達の存在を観て、人間とは何なのかをまた考えさせられてしまう。
もっと強力な兵器を!優秀な人間のクローンを!永遠の命を!賢い人工知能を!
人間の飽くなき欲望と探究心は、制御を失うと人間を破滅の淵に追い詰める。追い詰められてやっと気づいて慌ててルールを、管理をと叫び始める。核兵器もしかり。近年のAIしかり。その繰り返しである。
そして、本編とは直接関係ないように思われるストロースの公聴会を中心としたモノクロの場面。権謀術数を使って富の次に名声を得ようとする権力欲にまみれた男。オッペンハイマーとの対比で描くことで、オッペンハイマーの人物像をより際立たせようという演出だろうが、自分の欲望のために、原子力や核兵器さえも道具に使うこの男の描写は、現代の社会に対する皮肉のようにも思える。
オッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィ、ストロースを演じたロバート・ダウニー・Jr.の演技は素晴らしく、オッペンハイマーの複雑な心情を描く粒子の飛び回る映像や爆発の映像、揺れや音の表現は秀逸だった。
しかし、やはり難しい映画である。
(2024年映画館鑑賞10作目)
科学者同士のたたかいでした
アカデミー作品賞が決まる前から楽しみにしていて、やっと観に行けたという感じでした。
予告CM等でのイメージとしては、原子爆弾という大量殺戮兵器を生み出してしまった人物の罪悪感とか、アメリカの赤狩りの熾烈さを描いているのかなというものでしたが、実際にみてみると、科学者同士の競争と勢力争いの印象が強かったです。
裁判もどきの取り調べ会(?)と回想シーンが織り交ぜられての描写でしたが、ノーラン監督の他の作品のように、振動をともなう大音量の音響と音楽で緊張感をゴーゴー煽る演出で、地味なシーンも派手になり、3時間でも退屈することはありませんでした。
オッペンハイマーの個人的なショック以外はほとんど広島・長崎の描写がなかったのを不満とするご意見が多いようですが、そもそも科学者業界の人々の話であり、政治家や軍人も脇役だったような気がします。あれもこれもとゴチャゴチャ入れると視点がぼやけてしまったことでしょう。大統領の「恨まれるのは私だよ」的な台詞は強く印象に残っていますが…。
核兵器と戦争。誰が何をどう議論しても結論が出ることはないでしょう。立場(利害?)によって意見が異なるのは当たり前です。たしかに日本人としては同胞の犠牲者を思うと悲しみと怒りが前に出ますが、一方でいろんな立場の人々の感覚も想像できなければいけないと思うのです。この映画は、共感するかはさておき、原爆誕生の裏にこんなドラマもあったんだと、視野を広げてくれました。
山崎貴監督がアカデミー賞授賞式の際におっしゃったように、今度は日本人の立場から世界に向けてのメッセージとなる映画ができるのを楽しみにしています。
プロメテウスの炎
まず、完全には映画を理解できなかった。
映画館の内容で、45年に後悔がなくて、49年から後悔があったとなっていたが、理由が分からなかった。そんな主のレビューです。
映画の表現に関しては、いくつかのカットであまり見たことのない表現方法でうぉおとなった。ただ作品の雰囲気には監督らしさをあまり感じなかった。(監督の作品はすべて見たわけではない)
感想としては最初の1時間弱はなにがなんだかで、映画のリズムが分からず着いていけず、半ばから盛り上がってくる。オッペンハイマーに感情移入は出来なかったけど、次々に変わる展開に目が離せなかった。
内容は、「プロメテウスの炎」。以上。
観る前は原爆がメインテーマだと思ったが、観た後は「科学とは」「科学者とは」がテーマだったのかなと思った。テレビで見た監督さんのインタビューは、原爆に関して興味を持ってもらいたいという感じだったけど。
この映画は、おそらく制作の意図上、原爆に関する配慮をするつもりは一切なく、淡々とオッペンハイマ—が描かれていた。日本で語られている原爆とはまったく異なる視点で描かれていて新鮮だった。監督の意図的なものはない前提で、映画の内容だけを観て振り返ると、プロメテウスの炎の話やオッペンハイマーの語りは、原爆は世界の脅威だから恐ろしくて、人を殺す兵器だからではないように感じて、最初からそのスケールかよと思った。
オッペンハイマーにはなれないし、なりたくないけど、もじ自分がオッペンハイマ―だったら同じ選択を自分もしただろうなと思う。自分の身と身近な人、遠くにいる知らない人を簡単にてんびんにかけて自分にとって良いものを選ぶ。シンプルでシリアスだと思った。原爆に関しては、恐れるだけでは前に進めないと思う。だからといって存在に慣れることによるコントロールでは、限界があるように思う。使わなければいいという簡単な論理が通用しない難しさを感じた。
原爆ではなく、原子力がプロメテウスの炎であってほしい。原爆はあくまで原子力に関する技術の軍事利用であって、原子力の全てではないと信じたい。
背負っている、コントロールしきれているという幻想が脆い人間を強くさせてくれるのかも
しれない。
乱文失礼しました。
オッピーの気持ちを理解したいか?
長崎広島が描かれてないとかいう意見もあるが
私的に一番気になったのは
オッペンハイマー1人の苦悩より
長崎広島で何十万人も亡くなった人や家族の苦悩と比較していないことへの怒りもある
オッペンハイマーがどういう苦しみを抱えたかは長崎生まれの私には知る必要がない映画に思えた
この描き方で3時間は長尺すぎる
徹底してオッペンハイマーの側に立って、というのがノーラン監督の意図だとはわかるが
その心の揺れ動き方があまりにも脆くて見ているととてもツラい
インターステラーを見た時もそう思えた
いちばん近くにいる家族を思い
引いては地球のことを思う、この壮大な思想はノーラン監督は得意としていない、と。
キューブリックのようにもっと答えを委ねる映画にすべきだと思っている
もちろんアカデミーは獲った、
しかしアメリカの賞である
敗戦し原爆を落とされていまだに米軍基地が乱立する日本がこの映画を評価すべきではないのではないか
いろいろと物議を醸したこの映画が「観ること自体」この映画の存在意義だとしたら観ない方が良かったのかもしれないし
アメリカという国のとても上手なプロパガンダなのかもしれない
・キリアンマーフィーの佇まいは素晴らしい
・マットデイモンはなぜここに出たのか?
・常に「音」が気持ちを誘導している俳優の演技や気持ちを見せたいという思いはあるだろうがその音の存在に頼ったノーラン監督の演出意図が納得できなかった
・アインシュタインは自分でアメリカに提言したのになぜあんなことを言うのか、その答えを自分で見つけようとマンハッタン計画に参加しなかったか。
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