ほかげのレビュー・感想・評価
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ほかげ、とは、戦争の灯影
戦争で家族を失った女と戦災孤児が出会い一緒に生活を始める…という話なのだが
戦後間もない日本。疲弊した人々、瓦礫の中の闇市、そんな中で半分崩れかかった小屋のような家で居酒屋を営み、時には身体を売りながら生きる戦争未亡人と盗みをしながら生きる戦災孤児、この二人が出合い、生活を共にし始める。そんな二人が肩を寄せ合い生きていく心暖まる話なのかと思って観ていたのだが…。
この二人に絡む男たち、元教師の若い男、そして謎の男アキモト、戦争を何とか生き延び日本に帰ってきたものの心的外傷に苦しむ男たちの話でもある。
戦争によるPTSD。これをテーマにした名画は多い。「ディア・ハンター」「タクシードライバー」「アメリカン・スナイパー」などなど。アキモトの下りでは「ゆきゆきて、神軍」(これは凄まじいドキュメンタリー映画で僕は途中から震えが止まらなかった)を思い出していた。「ゴジラ-1.0」もそこにテーマがあったと僕は思っている。
僕たちは先人の灯りの中で生きている。
「ほかげ」
・・・知らない言葉なので調べたら「火(特に灯火)の光」だそうで。
この題名はラストの少年に芽生えたであろう気持ち、
感情を言い表したのではなかろうか?と思います。
さらに文字は「火影・灯影」と書くそうで・・・。
塚本監督作品「野火」の「火」が落とした影の世界(後の世界)を描く
という意味も兼ねているのかな?
さて、本作。主演の趣里さんはじめ、俳優陣の圧倒的かつ確かな演技で
最初から引き込まれ一気に観てしまいました。朝ドラとのギャップを
感じたのもつかの間でした。いやぁ、すばらしい女優さんですね。
これだけでも鑑賞の価値があるとおもいます。
「野火」では戦争を、本作では戦後を描いていますが、共通するのは
「生々しさ」です。
きっとこうだったんだろう戦後の風景と人々。
戦争の傷で人間の大切なものを失ってしまった者たち。
生活のすべてを失い生への渇望のみで生きている者たち。
戦時をいまだに続けざるを得ない人。
そこには明るい未来なんてものは存在せず、勝手に背負わされた
負に対してなんとか抗っている人々が居るだけです。
けど、、だけど、心にくすぶっている「希望と願いの灯り」はあるわけで、
体内に取り込んでしまいどうしようもなくなってしまった者の中には
「繰り返してはいけない戦争の火」がくすぶり続けているわけで、
でも、多くの人には幸せだった「戦前の記憶と人間としての感情の灯り」はあるわけで、
それらは他者と関わることでちょっとずつ手から漏れて光るのです。
それこそが「ほかげ」であり。それに照らされ未来に導かれるのが戦後を
生きていく子供たちだったのではないでしょうか?
救いは基本的になく、ただただ絶望を感じ続ける本作ではありますが、
クライマックスの描写と、遠くに聞こえる刹那の音が、
次代への願いのようであり、渡されるバトンのようでもあり、
新たな時代を始めるスタートの合図の様でもあり。
雑踏の先に明るい場所があることを願わざるをえないし、それは僕らが
つくっていくものなんだろうと思います、改めて。
・・・やっぱり忘れちゃいけないことなんだよね。
戦後の実相は底知れぬ漆黒の闇だった
1 戦後間もない頃の闇市で、一人生き抜く少年の姿を通じ、戦後の実相を描く。
2 あらすじは次のとおり。
何処とは特定できない町の闇市。一人の女性が青線的な商売をしている。そこに恐らく壮絶な体験をした孤児が出入りする。孤児はその女性と兵隊上がりとともに一時の家族ごっこをしたかと思えば、金を稼ぐために市中で出会った男の危ない用事を手助けすることに。果たして彼は・・・。
3 戦禍で焦土と化した中から日本人の戦後がはじまった。戦争から解放された喜びはほんの一瞬、その後は明日のない現実のみが残る。多くの人は身近な人や住む家を失い、希望が見つけられないその日暮らし。人々の心は荒み、なりふり構わず自己の欲望のまま行動する。何も持たない女は体を売り親のない子供はかっぱらいで生きていく。男は体に血や硝煙の臭いを残し、まだ戦場の記憶を引きづっていた。戦後まもないころは、まさに暗黒であった。本作は、そうした時代背景の基で日本の何処にでもあった戦後の実相が描かれた。全体的に救いのない映画となった。
4 映画のなかで印象的だったのは、疑似家族として繋がったエピソード。微笑ましさを通り越し狂気を纏っていた。そして、バイタリティー溢れた子役。それにしても画面が暗くおどろおどろしいのには参りました。
覚悟をもって観なければならない作品
反戦映画と言ってしまうのは簡単だけど。戦争に奪われ傷ついた人達の重い暗い物語である。
趣里が演じる女は焼け跡の中の居酒屋の建物で暮らしている。そこに戦災孤児と復員兵がやってきて奇妙な共同生活を始める。ほかげとは、狭く暗いこの居酒屋の壁に映る彼らの傷ついたこころに他ならない。復員兵は戦場の恐怖に怯える。戦災孤児はおそらくは空襲の恐怖に怯え夜な夜なうなされる。そして女は身体を売って生きなければならない運命を嘆き恨む。彼らの想いはほかげのようにゆらゆらと揺れ繰り返し彼ら自身を苛むが彼らは居酒屋の闇に囚われ出ていけない。特に女は。この居酒屋には奥の間があり女の心の闇、そこには戦争に奪われた夫と子への想いが潜む。そこにはもはや火影すら届かない。途方もない暗闇である。
映画の後半は森山未來の演じる復員兵と戦災孤児の旅が描かれる。あらすじを読んだときはなぜ復員兵が二人出てくるのか、前半の居酒屋の復員兵が後半の復員兵と同じであっては何故いけないのか疑問に思っていたが旅の目的が分かることにより理解できた。この復員兵は戦争の被害者であるとともに加害者でもある。
彼はある妄執に囚われている。その意味では、彼は女の住む暗い居酒屋に同じく住んでおり、壁に映る火影を見つめているのである。
私は、もちろん塚本晋也の人となりを知らない。でも恐らくは心やさしい人なのだと思う。この映画では、女にも復員兵たちにも孤児にも、希望の光がみえる瞬間が描かれる。凄まじい情念をもって生きていく女の暮らしにも一瞬ホッとする情景があるし、復員兵にもやろうとしていることを躊躇する場面がある。こういったシーンを置いたことは塚本の本質的な優しさによるものだと思う。でも結局、彼らは暴力や病気などにさらされ、他人を拒否し過酷な宿命に突き進んでいく。
私には、こころ優しい塚本が歯を食いしばってこのドラマをつくっているように思える。戦争の過酷さを描くということはそれだけの覚悟がいることなのである。塚本は表現者としてその責務を果たそうとしているようにみえる。だから観客である我々も受け止めなくてはならない。受け止めたからといって何が出来るかはよく分からないけど。
灯された救いの火の頼りなさと、その影の深さ
ほかげ(火影)と聞くと、NARUTOのイメージが浮かんでしまう自分もどうだかなぁと思いながら、改めて意味を調べてみた。すると、「火の光、灯火」と「灯火に照らされてできる影」どちらも表しているらしい。なるほど、映画を観終えると、塚本監督がこのタイトルに寄せた思いのようなものが少しわかった気がした。
趣里演じる女が暮らす居酒屋に転がり込んできた、孤児と復員兵。それぞれが身寄りを無くした3人にとっては、お互いは束の間の救いの存在だったことだろう。けれど、その救いも、復員兵が灯した火のように頼りなく、影はそれぞれが抱えている闇のように深かった。
生きるために体を売りつつ、けれど決して奥の部屋は覗かせないことでかろうじて自分を保っている女。教科書をお守りにして、かつて教師だった記憶にすがる復員兵。拾った拳銃を肌身離さない孤児。
一時は、それぞれの闇を抑えて、うまく行きかけるのだが、闇市から聞こえてきた発砲音をきっかけに、あっという間に関係が崩壊していくところが切ない。
とりわけ、教師だったはずの復員兵は、女を殴り、孤児を投げ飛ばして、お守りだったはずの教科書に目もくれない。
兵士として、戦争という暴力の真っ只中に緊張と共に置かれ続けた結果、心が完全に壊れてしまったのだろう。
それに対して、森山未來の登場後に出てくる旧上官は、潤沢な恩給をもらって、優雅な戦後を暮らしている。その対比がやるせない。
個人的に、女が孤児にかける言葉に少し違和感を感じる場面がいくつかあって、この点数にしたが、全体としてはまとまったいい映画だと思う。
終わらない戦争
薄暗い部屋でひっそりと息をひそめるようにして暮らす女、闇市で食べ物を盗んで暮らす孤児、PTSDに苦しむ復員兵。映画前半は彼らが織りなす疑似家族のドラマとなっている。
戦争のトラウマを抱える者同士、身を寄せあいながら慎ましく暮らす光景に、戦争の”傷跡”が嫌というほど思い知らされた。
どこからともなく聞こえてくる大きな物音にパニック障害に陥る復員兵。戦火の悪夢にうなされる孤児。生きる屍のように体を売る女。戦争は終わっても彼等の中ではまだ戦争は続いているのだ…ということが実感される。
物語は女の視点を軸に展開されていくが、後半から孤児の視点に切り替わり、カメラも薄暗い部屋から屋外に出ていくようになる。重苦しいトーンから解放されて、ここからは孤児とテキ家の男の旅を描くロードムービーのようになっていく。
ここでは何と言ってもテキ屋の謎めいたキャラクターが出色である。彼もまた戦争の傷を抱えて生きる孤独な男で、その顛末には原一男監督のドキュメンタリー「ゆきゆきて、神軍」が連想された。
製作、監督、脚本、撮影、編集は塚本晋也。
本作は「野火」、「斬、」に続く戦争三部作の最終章ということである。「斬、」は江戸時代末期を舞台にしているため若干趣を異にするが、戦時下を描いた「野火」と戦後を描いた本作は姉妹作のように並べて観ることが出来る。いずれも反戦メッセージが強く押し出されている。
印象に残ったシーンは幾つかある。
例えば、テキ屋の最後の”選択”と、その後に続く孤児の自律には、平和への祈りとかすかな希望が感じられた。
また、女が切り盛りする居酒屋は一種異様な雰囲気に包み込まれており、まるでホラー映画のような禍々しさで切り取られている。とりわけタイトルシーンにおけるヒモ男と女のスリリングなやり取りは出色の出来で、一気に映画の世界に引き込まれた。
また、塚本作品の特徴と言えば過激なバイオレンスシーンである。復員兵がPTSDでパニック障害に陥るシーン、テキ屋の男の復讐を描く緊迫感溢れるシーンに目が離せなかった。
俳優の肉体描写も如何にも”塚本印”という気がした。女を演じた趣里のふくらはぎに対するフェティシズム溢れるカット、テキ屋の男を演じた森山未來の鍛え抜かれた裸体を克明に記したカット等にそれを強く感じる。
とにかく本作における趣里の存在感は圧倒的で、同時期に放映されている朝ドラのイメージとは真逆で驚かされてしまった。森山未來はもちろん、孤児を演じた子役の澄んだ眼差し、復員兵を演じた俳優の説得力のある造形も素晴らしかった。
戦争が終わっても人々の戦いは続く
終戦直後の闇市を舞台に戦争に翻弄された人々の姿を描いヒューマンドラマ。半焼けの居酒屋で暮らす女と片腕が動かない男、そして戦争孤児の子供が必死に生き伸びる姿を見事に描いている。特に印象的なのが孤児を演じた子役の表情が素晴らしく引き込まれた。戦争が終わっても人々の戦いは続くことを改めて実感しました。
2024-11
面白かった
塚本監督には頭が下がる
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