ほかげのレビュー・感想・評価
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最後まで観たら、すごい傑作だった。
映画で戦争を伝えたい、
そう話す塚本晋也監督。
鮮烈だった「野火」に続き大きな仕事を成し遂げた。
現在64歳の塚本晋也。
戦争体験は私たちと同じに、書籍、映画作品、ニュース画像などからの
疑似体験だと思われる。
なのに、なのに、このリアルな戦後直後の人間のリアル!!
なんなんだ!!凄過ぎる。
そこに復員兵の《森山未來》の飄々とした存在。
戦争孤児の《塚尾桜雅》(今9歳になったばかり、撮影時は8歳か!!)
《趣里》の役名は女。
趣里の作品に身を捧げる熱演も見事だった。
この3人を軸にストーリーは紡がれる。
やはり衝撃的なのは後半の片腕の復員兵のパートからの終盤。
眠気も吹っ飛んだ。
この映画の出演者は、女(趣里)
戦災孤児(塚尾桜雅)、テキ屋の男=森山未來(復員兵)
中年(利重剛)
優しそうな男(大森立嗣監督)
など固有名詞のない人間たちなのだ。
ところが片腕の復員兵は突然名を名乗る。
アキモトシュウジの名を出して、ある男を呼び出すのだ。
呼び出し役は戦災孤児の少年。
その前に伏線がある。
拳銃・・・戦争孤児が死体の側に転がっていたのを拾って
宝物にしていた。
復員兵はそれを目当てに孤児に近づき
ある目的を果たすのだ。
呼び出された男はアキモトの戦地での上官。
“おうアキモト、久しぶりだな“と上官。
“その節の、礼と詫びと償いに来ました“と復員兵。
そして4発の銃弾が上官の男に撃ち込まれる。
1発目は、
タナカ・ヒデキの分です。
2発目、
ニイジマ・タダノブの分です。
3発目、
ナカタ・シゲキノの分です。
ナカタは貴方の命令で俺が殺しました。
どうしても捕虜を銃剣で刺せなかったナカタ・シゲキを俺が
殺しました。1番の親友でした。
タナカもニイジマも貴方の命令で捕虜を刺殺し、女を犯し、
俺は何十人も、人を殺しました。
“うなされのたうち回りつつものうのうと生きています。“
4発の銃弾はわざと急所を外して撃たれる。
地獄の痛みを長く耐え、自分の罪と向き合えと言うことだ。
上官は“戦地のことではないか?“
そう言う。
(実際にそうかも知れない。忘れる者は忘れる、
(自分の中で折り合いを付けて
(涼しい顔で妻とちゃぶ台を囲み和やかに暮らしていた)
森山未來の変幻自在な演技は、片腕の復員兵に血を通わせ
時に軽妙、
時にユーモラス、
時に狂気を帯び、
この作品の音楽の石川忠もすごい仕事をした。
この音楽無くしてこの映画の魅力は半減したと思える。
時に不穏に、時に歪み、時に脅す。
塚本晋也監督は、
監督・脚本・撮影・編集の4役をこなしている。
いい作品には気合の入った役者の本気の演技が見れる。
肩に力の入った趣里に較べると、森山未來のチカラの抜き方が
絶妙で対照的。
やはりキャリアの違いを見せつけたが、
それにしても子役の塚尾桜雅。
9歳足らずでこの演技。末恐ろしい天才子役の出現か!!
テーマの「戦争と人間」そのものだ。
前半にもう少し引力が有れば、と悔やまれる。
森山未來からの後半の力強さ怒涛の展開。
前半は説明台詞が多く室内ばかりなので、
動きが少なく、暗く重い。
惜しいと言えば惜しい気がするが、文句なしの傑作。
「もはや戦後ではない」から70年近く経とうとしている
2024年映画館鑑賞9作品目
2月24日(土)チネラビィータ
会員料金1500円
監督と脚本は『鉄男』『ヒルコ/妖怪ハンター』『双生児 -GEMINI-』『野火』『斬、』の塚本晋也
粗筋
売春婦の家に転がり込んだ復員兵と戦災孤児
それぞれが大東亜戦争のトラウマを抱えていた
3人の同居生活はしばらく続いたが発砲音で戦地の恐怖が蘇った復員兵は発狂し暴れ追い出されることに
こうして女と孤児の二人暮らしになった
女は自分の子供のように孤児を可愛がった
帰りが遅い孤児を叱り危険な仕事を断って来いと指示した女は戻って来た孤児に嫌いになったと言って追い出した
テキ屋の男と汽車に乗り田舎にやって来た孤児は元上官への復讐を見届けることになる
帰りの汽車賃を渡された孤児は女の家に戻って来た
女は重い病に罹っていた
女と別れる日がやって来た
孤児は幼くして再び自立しなければいけなかった
映画の出来として悪くない
むしろ傑作の部類
若干不満点はあるがほぼ星5の評価をつけたい
出だしも良い
ラストも好き
反戦のメッセージについて特に改めてレビューに書くつもりはない
野火などで既に書いたつもりだ
ガザ地区もウクライナもそろそろ停戦してもらいたいと願ってはいるが決定的な価値観の違いに虚しいばかりだ
俳優陣の熱演がとても素晴らしかった
朝ドラの方も悪くはないがやっぱりこっちの方がいいな趣里は
私娼の役だがヌードにはならない
ヌードになる必然性はなかった
着衣でも充分だから
それを思うとあの映画でヌードになった意味が今でも不明だ
子役の塚尾くんの表情や眼差しが天才的
主演は趣里のようだが実質的に主役なのは彼だろう
かわいい
名前はあまり存じ上げないが復員兵を演じた河野もなかなか良い
森山未來の芝居にケチをつけるつもりはないが汗出すぎ
あれじゃまるで漫画だ
下手くそだけどどっかで観たことがあるなと思ったら大森監督だった
弟の足元にも及ばない大根ぶりだった
妻?役の唯野未歩子は随分と歳を取ったなと感じた
彼女は自分と最も共通点が多い芸能人なので親しみは感じている
思わせぶりな不安を煽る効果音の多用は塚本晋也の世界
だが焼夷弾の焼け野原の映像直前の地鳴りがするような音とテキ屋と孤児が乗った汽車の音は大きすぎる
びっくりしたというか迷惑だ
それにしても『首』は戦争の悲惨さとか反戦映画と言われずましてやあろうことか最も尊敬する武将は誰かとランキング形式で称えられる始末
かたや大東亜戦争がらみなら例外を除けば反戦映画とモテ囃される
これが日本の教育の成果なんだろう
朝日新聞の社員はみんな優等生
自分は劣等生
ほかげさまです
いやおかげさまです
配役
大東亜戦争で夫と息子を亡くし自宅兼居酒屋で売春をしている女に趣里
戦争孤児を連れて復讐を果たす片腕が不自由なテキ屋に森山未來
手提げカバンの中に拳銃を忍ばせている戦争孤児に塚尾桜雅
かつては教師だった復員兵に河野宏紀
女の店に日本酒を仕入れる男に利重剛
大東亜戦争でテキ屋の上官だった男に大森立嗣
上官だった男の妻?に唯野未歩子
目を背けてはいけない
映画『ほかげ』地味な作品なんだけど、その作品創りには敬意を評したい。先の大戦からまもなく百年近くが経とうとしている。喉元すぎれば暑さを忘れ、そんな言葉が頭をよぎる。大戦の経験者の証言もめっきり減ってしまった。また過ちを繰り返すのだろうか。
先の大戦から百年近く
ややもすると美化するような風潮と作品群。
ここ十年ぐらいの傾向のように思えてならない。
あんなむごたらしい戦いの中にあっても、こんな素敵なことがあったとか。
日本のために戦い、命を失った英霊のおかげで今日があるとか。
そうだろうか。
英霊、つまり戦死者。
これは、たんに戦争の犠牲者でしかない。
戦争は、不条理の極みであり。
そこに、真実や正義などない。
ただの国家間の殺し合いでしかない。
そんな暗い時代にもこんな素敵な出会いと恋があったとか。
それが事実でも、それはそれでいい。
ただ注意しないと、いつのまにか大戦自体も肯定的にとらえようとすり替えられること。
『ほかげ』出だしは、まるで一幕劇でも見てるかのよう。
一件のボロ居酒屋。
そこに夫と子供を失った一人の女性。
居酒屋は、表の看板。
体を売ってその日その日を生きてゆく。
息が詰まりそうな空間と芝居。
ああ、戦争の傷跡とはこういうものかと。
誰も目をそむけたくなる。
そう、戦争の本質とはそうなんだろうと。
あえてそのことから目をそらさず映像化したことに、拍手を贈りたい。
丁寧な作品創りと、俳優陣の演技がいい。
後半は、打って変わって動的に
このあたりは、上手だなと。
闇市の喧騒。
傷痍軍人の物乞い。
そして、なによりも戦争によって心を病んでしまった者の傷跡。
薄暗い路地裏にたむろする帰還兵。
あてどもない彷徨と絶望。
森山未来の帰還兵がいい。
拭いきれない罪の重圧。
なんとか過去を清算しようとする姿。
清算などできないのだが。
作者は、繰り返し戦争の不条理を訴えてくる。
そんな時代に翻弄される人間。
正義はどこに行ったんだろう。
そう戦争に正義などない。
嫌というほど伝わってくる。
だから見ていて、決して心地良いものではない。
心地よくなる戦争映画があるとしたら、そっちのほうがおかしいのだと。
戦争という出来事に、真正面から向かい合った製作陣に頭が下がる。
それぞれに強くのしかかる戦争
ほんの数十年前のことなのに、戦争当事国であっだ、戦争当時社会であったことのリアリティがなくなって久しい。気がつけば失われた30年というけれどお金、経済や政治的な立場、グローバル化と言いながらグローバルとは反対の方向にいく失われた30年は戦争のリアリティ当事者性も失われ無惨な歴史修正や反知性が跋扈している。
そんなことを強く感じざるを得ない作品。
役者さんたちは渾身で素晴らしい。渾身すぎて力強すぎてかえってそのことかわからなくなるくらいだ。
大人たちは皆モノローグだ。人との関わりを最低限避けたり自らの体験した戦争の地獄にうなされたりそれでも目的があったりなかったりで人に近づき近づかれ、でもこの作品に出てくる女も帰還兵も皆モノローグ。子どもに話しかけ関わりを持っても彼らの世界はもうモノローグから出ていけない。子どもと戦災孤児となり子どもも自らの戦争体験身内の死や恐怖孤独にうなされるが、彼は対話する。1人で言葉少なく、目を見開いて世界と向き合わざる得ないから、良い人が悪い人か嗅覚で判断し経験値を高めていく、彼は対話し他人と呼吸する。
モノローグに人を押し込める戦争は、被害者も加害者も一重だと思う。
【今作は、戦争終結後も、心に痛みや闇を抱える人たちの姿をシビアなタッチで描いた、ワンシーンも戦闘シーンが無いが故に強烈な印象を残す、見事な反戦映画である。】
1.女(趣里)は半焼の小さな何もない居酒屋で独り暮らし。襖の向こうは誰にも見せない。ある日、そこに泥棒をした男の子と、元教師と言う男が転がり込む。
男の子は拳銃を持っているが、女は”そんなものを持っていては駄目”と言って茶筒にいれてしまう。
男は初日こそ金を持ってきたが、居座る。だが、ある日男の子により、彼が働いておらず町の片隅でボンヤリ座って一日を過ごしている事が告げられ、女は男を追い出す。
そして、男の子も真っ当な仕事をしていない事が判り、女は男の子も追い出す。
- 襖の向こうには、線香とご飯が添えられた位牌が二つある。-
2.男(森山未來)は、男の子と一緒に歩いている。川で魚を取ったり、トウモロコシを食べたり。
そして、ある日。男は頭がオカシクなった男が閉じ込められた建物に行って、窓から手を入れ、その男の頭を撫でてやる。男の子が”何をしたの?”と聞くと男は”皆、面白い奴だったんだよ。”と答えるのである。
更に別の日に、男は立派な邸宅にコッソリと忍び込み、裕福そうな老夫婦の姿を見た後に、男の子に”夜に成ったら、あの男を呼び出してくれ。俺の名前を出せば来るから。”と言う。
そして、夜。初老の男が着物姿でやって来る。”久しぶりだな。腕は残念だったな。”と語りかけ、男も敬礼をしながら男に対峙する。軍での元上官である事が判る。
男は、男の子から拳銃を貰い、且つての戦友たち(上官の男の命令で、捕虜の処刑をした後に、精神がオカシクなってしまった者。処刑を拒否し、殺された者。)の名を叫びながら初老の男の身体のあちらこちらに銃弾を撃ち込む。
そして、”お前はその痛みを抱えたまま、生きていけ。”と冷たく言い放ち、”これで戦争が終わった!”と夜空に腕を差し上げ叫ぶのである。
3.男の子は久しぶりに女の家に戻って来る。女は”病気になってしまったよ。近づいちゃ駄目だよ。この間は酷い事を言ってごめんね。”と襖越しに謝り、男の子に”真面目に働くんだよ!”と叫ぶように言葉を掛ける。
男の子は、その言葉を聞いて且つて、盗み食いをした路上の雑炊屋で働き始める。そして、暗い防空壕に入って行く。そこには、教師だったという男が、虚無的な顔をして座っている。男の子は、その姿を見て男が大事に持っていた教科書を置いて去るのである。
ー 戦争孤児の男の子の表情が、序盤から徐々に大人びてしっかりとしていく過程を、その瞳と共に見事に描いている点が、素晴らしい。-
<今作は、戦争が終わっても心に傷や痛みを抱えながら生きる人々の姿を、シビアなトーンで描いた見事な反戦映画なのである。>
<2024年2月3日 刈谷日劇にて鑑賞>
敗戦後の女性の生き延びていく道
主演の趣里氏の目つきは、岸井ゆきの氏とも見紛うほど鋭いものでした。敗戦後の混乱期に男手を頼りながら生き延びていこうとすれば、『ゴジラ-1.0』の浜辺美波氏の演じた女性よりも、こちらの役柄の方が実態に即しているであろう。ただ、塚尾桜雅氏、河野宏紀氏、利重剛氏の演じるそれぞれの出入りする男性への態度が、そのときの気分によって違うのには戸惑いを感じた。
森山未來氏が演じた男性が、上官に復讐したいという気持ちはわかったけれど、それで戦争が終わったと言って良いのかという疑問は残った。
塚尾桜雅氏はもちろんのこと、報復を受けた上官を含むすべての登場人物の行く末に、少しでも喜べる生活が訪れてほしいものである。
居酒屋から覗く闇の戦後社会
『ヴィタール』でまさに作風の「跳躍」を見せた塚本監督は、『野火』で更なる変貌を見せた。その『野火』と本作『ほかげ』をあわせて「戦争」をより立体的に描く。「日本映画が描く戦争とは『銃後』だ」との伝統に則るなら、本作こそ正統派戦争映画なのかもしれない。
「穴蔵から覗くかのごとき都市」から「居酒屋から覗く戦後社会」へ。焼け残った居酒屋で売春をしている女の元へやって来る者たちに、刻印された戦争の傷痕を見る。また、社会学者の宮台真司が、初期塚本作品に見出した「自己確証が(意外にも)自己破壊を帰結することで(意外にも)癒される」というモチーフは変奏され、本作で、ふたりの男に分かち持たれた。復員兵は戦争の悪夢に侵食されて廃人となる。テキ屋の男は『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三のように、かつての上官に復讐する。自己破壊と他者破壊。その根源に戦争があることを、間接的に描き出す。
『KOTOKO』で自己パロディを通過し、日本の近現代史の中の「戦争」を注視することで、塚本作品は一層深みを増した。居酒屋の女が、性感染症(おそらく梅毒)に罹り、戦争孤児だった「坊や」と別れる際に、盗んだ拳銃を置いて行かせる。塚本作品も「個人的暴力」から「国家的暴力」注視へとシフトしたのだ。
深み
立川での上映に間に合わず、愛車ホーネットを駆って2時間、船堀で鑑賞。直接の言及が限られていても我々には想像力がある。人が極限状態で何をしてしまうのか、先の大戦が彼方に遠くなる中、薄まろうとも伝え続ける意味を感じる。
役者は子役の表情が良かった。趣里は表情は良かったのだが、発声が良すぎ声を張りすぎ。セリフ、意識と声に違和感。まあ監督がOKしてる以上彼女の問題ではないのだが。
戦争孤児と戦争未亡人の仮りそめの幸せ
さすが塚本晋也です。令和の焼跡闇市映画。見応えありました。短編映画だった?と思うほど濃密な時間があっと言う間に過ぎ去った感じ。完璧に近い脚本と映像でした。
朝ドラのブギウギの趣里とはまるで別人。凄みがありました。魂のこもったセリフ。焼酎瓶を定期的に持って来るオヤジが斡旋屋で、焼け残った小料理屋で商売させられていた。
後半最後のほうで顔を見て逃げて行ったところをみるとひどい梅毒疹が出来ていたんでしょう。それで少年には入って来るなと。
闇市でなけなしの1円札で薬を買おうとするけなげな少年。闇市まで聞こえてきた銃声はおそらく彼女が自殺したんでしょうね。出征前は小学校教師だった兵隊は廃人に。結局、疑似家族にはなれませんでしたが、短い夏に女が見た仮りそめの幸せが不憫でなりません。
ほかげは帰還兵が飯盒の蓋の上に灯した固形燃料の灯りで彼女の仮りそめの幸せをの象徴なんだと思いました。
森山未來の役の元兵隊はこれでやっと戦争が終わったと言ってましたね。
彼を通して少しはカタルシスを感じました。
少年は闇市の煮込み売りのオヤジにくっついて生き残れたのか?
戦争孤児の少年は自分が拾った一丁の拳銃がもたらしたトラウマをも抱えて生きていかねばならないのは辛すぎます。
早くNHKで地上波放映しないといけませんね。でも、JKが観てわかるかな~
趣里ちゃん、違う感じやね。
女性と戦災孤児は逞しい。
兵隊さんは、気力がなくなる。
復讐に燃えるか?
どっちかか?
戦災孤児の男の子は、キリッとした顔だな。
森山未來なかなかいい。
戦争は、人々を傷を負わす。
けっこうよかった
室内劇なのかと思ったら最後の方は闇市のセットでスケール感のある場面があって開放的な気持ちになる。里親映画的な展開があるのだけど、子どもに仕事を断って来いと外に出す趣里には、一緒に行ってやれよと思う。戦争のPTSDを描く。
復讐をあっさり果たす場面がとてもいい。そうでなくっちゃと思う。
『ブギウギ』を見ていて、今日米開戦2年目だ。その数年後のスズ子(趣里)の姿がまさかこれ?と変な感覚に陥る。
夜の家族
この作品との直接的な関係はないが、今年公開された『ゴジラ マイナスワン』との繋がりを感じさせられた。
戦後のどん底から復興を遂げゼロに戻った日本が、ゴジラによって再びマイナスへと叩き落される。
あの映画でも自分の中の戦争が終わらず、苦しみ続ける人々の姿が描かれていたが、この作品で描かれる戦争の後遺症はさらに生々しい。
日本全土が復興していく裏では、戦争によって受けた心の傷により、マイナスのまま立ち直ることが出来ずに打ち捨てられた人々がいたのだ。
まずは戦争により家族を失い、売春を斡旋されることで無気力に日々を生きる一人の女。
彼女のもとにかっぱらいをしながら野良犬のように生きる一人の坊やが転がり込む。
そして金を作ることが出来ないのに、一人の復員兵の男も毎晩彼女のもとを訪れる。
いつしか三人は夜になると集まる疑似家族になる。
復員兵の男はかつて教師だったらしく、坊やに勉強を教える。
その姿は実直な若手教師そのものだ。
しかし男は昼になると働くこともせずに抜け殻のように蹲っているらしい。
夜、女と坊やのもとを訪れる時だけ人間の生活に戻ることが出来る。
彼が心に受けた傷は重大だ。
大きな音がすると過敏に反応し、恐怖のあまり理性を失ってしまう。
そしてついに彼は二人に暴力を振るってしまう。
坊やは女を助けるために銃を男の頭に突きつける。
坊やが誰にも見せずに肌身離さず持ち歩いていたものが銃であったことに脅威を感じる。
男は何処へと消えていくが、女は坊やと本当の家族になることを願う。
夜だけの家族という形は変わらないが、彼女の坊やへの愛は日増しに強くなっていく。
母と子という関係よりも、まるで男女の関係のように見える二人の姿が危うい。
坊やはなかなか普通の仕事にありつくことが出来ずに、危険な仕事に手を出してしまう。
それを女は必死で咎める。
坊やはある親切な男から仕事をもらったと女に報告するが、その仕事に銃が必要だと知り、女はすぐに断るようにと鬼のような形相で坊やに言い放つ。
そして坊やが再び戻った時、もうこれっきりであると縁を切ってしまう。
坊やは結局仕事を与えてくれたアキモトという男と行動を共にする。
仕事の内容は分からないが、アキモトの様子から真っ当な仕事ではないことが分かる。
そして彼自身が自分の果たそうとしていることに踏ん切りがつかないでいるらしい。
この映画の中では誰もが戦争による後遺症に苦しめられている。
坊やが寝ている時にうなされる姿は尋常ではない。
女は襖の向こうに何かを隠しているし、アキモトもまた夜になると坊やと同じように夢にうなされ、子供のようにすすり泣く。
うまく復興の波に乗れた者に対して、あまりにも彼らの生き方は惨めだ。
この映画の中で、明日への光を感じさせるのは坊やだけだ。
映画の中で銃声が何度も聞こえるが、終盤になってその意味が分かるような気がした。
銃声は戦争によって心を壊された者が、自らの戦争を終わらせるために放つ音なのだろう。
その中にはマイナスのまま立ち直れずに、自ら命を断った者もいるだろう。
あまりにも哀しい余韻を残す作品だ。
塚本晋也監督の作品は本当に画面から放たれるエネルギー量が凄まじい。
これこそ反戦映画といえる心に重くのしかかる傑作だった。
こんなに優しい映画もない。
こんなに優しい映画もない。
戦後の苦しい世の中を生き抜く人たちの姿は、
同時に現在を生きる自分たちと重ね合わせて見ることも出来て。
全てを失うことがあっても、
強く生きて、それでもあきらめないでと。
最後闇市に銃声が鳴り響いて、
暴力に争いは尽きることはないだろうけど、
それでも生きていくんだって。
「戦争は終わったんだ」って、
空に手をかざす森山未來の姿が、
また哀しくてたまらない。
加害者側の恐ろしさ
終戦後の闇市が舞台。
戦争という絶望と闇が精神構造を蝕み
極限で肉体的にフラフラで生きる姿を
描いている。
人間が巻き起こした暴挙、戦争をビシビシと
画面から伝えてくる。
趣里さんの暗闇での瞳。そしてあの少年を
助ける為の叫びは印象的。
森山未來さんの演技も。
権力者からの目線と一般の人々からの
目線の温度差を映像を忌ましめるように観いった。加害者側の恐ろしさを伝えたかったのだろう。
あの少年が投げ飛ばされても器を
洗いに向かうシーンが目に焼き付く。
強く生きて欲しい。
地獄の先の地獄、絆とも呼べない絆
少年を中心に、趣里パートと森山未來パートで大きく分かれている。
趣里パートは、全編彼女の店の中だけで展開される。
少年や復員兵と出会い、疑似家族のような関係を築くうちに、機械のようだった趣里が“おかん”の顔を見せる。
それが単なる母性だけからのものでないことが後に明かされるが、一発の銃声が崩壊を招く。
ここで匂わされた復員兵の“トラウマ”が、森山未來パートに活きてくるのが上手い。
復員兵の過去を語らず、ここから派生して想像させるのだ。
こちらのパートは屋外が中心だが、それでも陰影の濃い画面が目立つ。
ただ、この作品の“闇”は、他でよく見られる単に見づらく分かりづらいだけのそれとは全く違う。
絶妙に表情を隠し、そしてそれ故に感情が浮かび上がるようにつくられている。
ダンスも得意とする森山未來はもとより、腕だけで魅せたタイトルバックなど趣里の肉体表現もまた素晴らしい。
子役も表情芝居が抜群で、台詞はやや(仕事内容のところなど特に)聞き取りづらいが、補って余りある。
最後の銃声や彼らのその後など、空白の残し方も適切だったと思う。
戦争を描かず戦争の悲惨さを描いている点も含め、近年稀に見るほど映画らしい映画でした。
疲れから瞬間的な寝落ちが何度かあり、その繊細な表現を堪能しきれなかったことが悔やまれる。
是非、万全のコンディションで鑑賞することをお薦めします。
彼らの悲痛な思いを忘れてはならない
小動物のような可憐さと野生味。不安気な表情、そして時折見せる柔らかな笑顔。趣里さんの魅力、渾身の演技に引き込まれた。
或る決意を胸に秘めた男性を森山未來さんが、かつて心優しい小学校教員だった復員兵の青年を河野宏紀さんが、つぶらな瞳が印象的な戦争孤児を塚尾桜雅君が熱演。
ほぼ満席のキネマ旬報シアターに登壇された塚本晋也監督。平和への思いを優しい声で語られる姿が印象的でした。
戦争の惨たらしさを私達は決して忘れてはならない。
映画館での鑑賞
戦争孤児の強い眼差しの先に…
どんな戦争映画より
戦争の愚かさ虚しさを痛感する
塚本晋也監督の作品。
2014年に公開された塚本監督版「野火」は
今まで体験した戦争映画の中で
最も生々しい衝撃を与えられました。
戦地で植え付けられた
恐怖や苦痛、憎しみは帰還兵の
精神を蝕み続けます。
戦争が終わっても終わらない苦しみ。
広島出身の自分は小学一年生から
8月6日の登校日は全校生徒で
原爆の映画を鑑賞しました。
小学生にはトラウマ級の残酷な表現や現実は
戦争への嫌悪を植え付けてくれました。
絶対に必要な経験だったと
当時の教育方針に心から感謝しています。
信念も良識も矜持もなく
バイデンの戦争ビジネスに加担し
日本を戦争の出来る国へ向かわせる
岸田総理に是非鑑賞して頂きたい。
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