6月0日 アイヒマンが処刑された日のレビュー・感想・評価
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顔を見せない
本作で何を感じるか考えるか
世界中に網を張り巡らせ、
数千万のユダヤ人同胞の無念に応えるべく
やっとの思いでアルゼンチンに潜伏中を
拉致してイスラエルに連れて来、
勾留して裁判、当然のように死刑確定。
イスラエルには死刑が無いが特例としたのか。
上告する権利は認めるが、棄却。
世界中が見守る中、合法的に事を進める。
なぜ合法的でなければならないか。
虐殺された数々の尊い命を思うと、
きちんとした法律で裁き罰せねば、
ナチと同じになるからである。
アイヒマンを虐殺したわけではない。
その罪の重さから処罰したまでという
事実を残しておかねばならないからである。
1961イスラエル
アイヒマンを誘拐のように連れて来たから、他は全て合法的に行いたい、と言う高官。
死刑を執行する国は色々あり様々な方法や規則の元行っている。
執行後遺体を残すと、ましてや遺族に返すと、ナチ思想家たちに崇められ墓地が聖地となりかねない、という危惧を抱いていた。
そこから考え出されたのが、火葬。
しかし、イスラエルでは禁止されていて行われておらず施設もない。
その為方法を模索していた。それも極秘に極秘に。
警察署のハイム大尉の友人ゼブコが所有する工場で、一人用の焼却炉を作成し、焼却もゼブコが受け持つ算段。
ゼブコは言う。
「狂犬は生きたまま連れて来い。焼かれ悶え死にさせたい。」
ゼブコのユダヤ人としての怒りの発現。
それを偶然聞いたダヴィッド。ゼブコに捕まり叱られたが、秘密厳守の元、賢くて細くて身軽なダヴィッドを仲間として作成作業開始となった。
授業中、先生の話をちっとも聞かず追い出されるダヴィッド。しかし、酸素の特性をよく知っていた。
ポーランド
ホロコーストから生き延びた者として、またイスラエル警察に出向の形をとるモサドの一員として、
観光客に自身の実体験を語るミハ。
ナチに逆らい鞭打ちの刑になったこと、
雪道が滑らないよう、砂を撒けと指示され、
撒いたのは、‥‥。
一人分の灰はごく少量だが、
灰の山がいくつもできていた話。
ミハは、穏やかな印象であるが、
実体験を政府に利用されて観光客に話すような見せ物になるな!と忠告するユダヤ人協会の
アダに言う。
伝えなければいけないのだ❗️と。
イスラエル警察のハイム大尉の任務とは。
アイヒマンを処刑当日のその瞬間まで、
その身を守ることである。
何人からも処刑の瞬間まで
殺害されることが起こってはいけないのだ。
処刑という処罰を下すことができないのだ。
アイヒマンの近くに警備する人間、床屋など接する人間etc.
ホロコーストの生き残りであってはいけない。いつ感情に駆られて刃を向けるかしれないからだ。
新しく来た床屋、ハイム大尉にピストルの銃口を向けられながらチョキ、チョキと手を動かしていた。
処刑にあわせて焼却炉も完成。
イスラエルで唯一処刑できるのは、
5/31から6/1までの間。
先に火をつけ遺体を中へ。
モハドのミハがイスラエル海域外で散骨。
合法的に人知れず遺体を残さずにやり切った。
いずれはわかるだろうが、大々的に世界に発表もしない。大きく取り上げられたくないのだ。
虐殺の第一人者であるが故、大ニュースにしたくないのだ。 無かったことにしたいのだ。
ゼブコは、ダヴィッドを解雇した。ゼブコが気難しいながら、従業員を大事にするのは見ての通り。
この度のことは、若い未来あるダヴィッドには、忘れて欲しいのだ。学校でしっかり知識を身につけ新たな世界に羽ばたいて行って欲しいのだ。
だけど、現在、ダヴィッドは、wikiの担当者に、自分のことを載せてくれるよう頼んでいる。(少年時代と似ても似つかぬ人なのが‥‥)
証拠は無い。
ということは、本作真実かどうかわからないのか⁉️
という結末。
[追記]
•他の方のレビューを拝読して、アラブ系云々の意味が少しわかりました。ナチの被害を直接受けていなかったから、ダヴィッドは、必死に語る先生の話に聞き入ってなかったのだと。
極秘。
死刑判決を下されたアドルフ・アイヒマン、処刑されたアイヒマンの死体を灰にするまでの話。
13歳の少年ダヴィッドがある工場で働く事に…アイヒマンの遺体を焼却する為の焼却炉の製作を…工場で勤務する者達とダヴィッドのストーリー。
今は当たり前にある火葬場、1961年頃はこんな感じだったんですか?それとも場所的な?
予告動画にもあった「アイヒマンは灰になるまで刑務所を出さない」…ユダヤ人を大量虐殺に関与…さぞ恨まれてたんでしょうね。
焼却炉の試しで羊かヤギで試し焼きと処刑されたアイヒマンを焼却炉に入れるシーンは何か見慣れないせいか何か嫌だった。
なかなか賢ったダヴィッド君、仕事で頑張ったのに何も無かったことに(笑)
ラストまで溜めた握りこぶしはナイスパンチだったよ!(笑)
Incinerator
アイヒマンが処刑される日の一般人の日常を描く一風変わった作品です。少年、刑務官、ホロコーストの生き残りと3つの視点で描かれるオムニバス的な作品でもあります。
少年が俺様タイプのやつで、とにかく反抗しまくって迷惑かけまくり、態度は大きいと大物感がありますが、それとアイヒマンに関係性が何かあるかと言われるとほぼ無いなと思いました。先生に向かってユダヤ人は人種じゃないと言ったシーンだけは良かったかなと思います。
刑務官は心境穏やかではなく、ずっとソワソワしていたのはアイヒマンの担当官としての責任感を感じていたのかなと思います。にしてもジャーナリストはいつの時代でも厄介ですね。
ホロコーストの生き残りの警察官はアイヒマンの行為の訴訟担当をしているのですが、ここの話が個人的にはとっ散らかっていてまとまりが無かったなと思いました。このタイミングで頭がポカーンとしてしまったのも拍車をかけてしまいました。
大きな波が無いので映画よりもテレビの再現とかでじっくり見る方が楽しめるのかなと思いました。アイヒマン関連作品には触れるべきだなとはチラッと考えたので見てみようかなと思います。
鑑賞日 9/11
鑑賞時間 20:20〜22:15
座席 C-9
おしい
面白いですが物凄く荒削りな感じですね
最後アレなら最初にも前振り入れておいたほうがとか
刑務所の場面とか看守の心情の見せ方とか
アイヒマンの見せ方とか
ガスの順番とか
ツアーとか
持っと細かい所を詰めていけばもっと面白くなったのではないかと感じてしまいます。
悪い作品ではなく物凄く惜しい作品ですね
☆は3.5ですが3.8くらいはあると思います。
ヒリヒリとした感情
史実をほぼ知らない状態で鑑賞した為、途中で何か映画的な展開が起こるのではないかと終始色んなヒリヒリした感情を抱きながら観ていた。
ユダヤ人とは何か?という問いかけが学校の中であったが、私自身もよくわかっていなかった事に気付かされたし、ユダヤ・アラブ・イスラエルなどそれぞれの歴史を知った上で鑑賞するとまた違った感想になるのかも。
実話ですか?
ナチスの大物の処刑にしてはなんかひっそりだったんだな。
ナチスはユダヤ人の遺体を焼却って言ってたらしいからアイヒマンも報いとして焼却ってことでいいかも。でも本当にあの少年の考えたので焼却されたの?
市井の人々の温度差
「イスラエルの様々な市井の人々」が主人公のオムニバス的で地味な作りでした。
アイヒマンは出てくるものの、特に物語を動かす人物としては描かれず、設定条件や背景みたいなものなので、そこを期待して行ったら肩透かしのはず。
それでいて面白い。
ユダヤ人の感性から最も遠い、アラブ人移民の少年。
責任感が強く、職務に忠実なモンゴル系刑務官。
ホロコーストの生き残りのユダヤ人。
同じイスラエルの中でも人種や世代で、ナチへの怨みの温度差がある事実や、ユダヤ人の定義の曖昧さを示していたのが上手い。
ユダヤ人とは何か?
人種か?宗教か?
イスラエル人とは何か?
国家としてのイスラエルはどうあって、どうなるのか?
ユダヤ人の生きる道は?
そんなことを観る者に考えさせつつ、ナチスの行ったユダヤ人虐殺は絶対に忘れないし、許さないという決意を込めた作品と思いました。
忘れさせたくない
1961年のイスラエル。
逃亡先からモサドによって拉致されイスラエルナチス戦犯アイヒマンの処刑、宗教的に火葬が認められていないイスラエルで、アイヒマンの遺体を火葬するための
主人公のダビッド少年と焼却炉を作る工場の人たち。
途中です。
視点とか捉え方とかは面白いから、 もう一捻りできたら良かった とこ...
視点とか捉え方とかは面白いから、
もう一捻りできたら良かった
ところどころ判り辛かったし
ただ、ユダヤ人は人種のことじゃないって、
はっきり言ってくれたのは好き
それ言っても信じてくれない人少なくないから
焼却炉作りの下町ロケット的な話ではなかった
2023年劇場鑑賞213本目。
ユダヤ人の処刑を数多く命じたナチスのアドルフ・アイヒマンを捕まえたイスラエルが処刑する事を決めたが、死刑が初めてなのと、イスラエルの習慣通り土葬にしてしまうと遺族が遺体を持っていってしまうのでそれを避けたく火葬にしたいが焼却炉がない事情で町工場に依頼するという予告。
てっきり焼却炉を作るドタバタを描く話かと思っていたのですが、どちらかというとアイヒマン処刑に関わる三人の主役のドラマという感じでした。
アイヒマンが何を思ってああいう蛮行をしたかということは一切語られず、イスラエルの人の感情だけ描かれていたのは第三国の自分から見ると物足りませんでしたが、当事者の国民から見るとまた違った見え方がしたのかもしれません。
ナチスへの怨念を市井の人々の視点で描く
傑作と迷うことなく断言します。イスラエルにとって歴史的な重大局面に関わってしまった市井の人々を描き、そのドタバタぶりにナチスの悪行の重みを静かに掘り起こす。ナチを断罪する映画はそれこそ無数、そもそもがハリウッド映画での敵役として硬軟あらゆる作品において、ナチス・ドイツ程明々白々な仇役はなかったのですから。なにより本作のキーマンに少年を据えて描く骨格が、観客をごく身近に思わせる作劇として秀逸でしょう。この少年の存在が事実なのか創作なのかは不明ですが、政治的大局を政府高官達のよくあるドラマから、直接携わった人々のストーリーに成し得た事の勝利です。
第一幕は、まるでイタリアの戦後のリアリスモ映画の趣で、「自転車泥棒」の雰囲気そのまま。そもそもがスタンダードサイズのスクリーンにも関わらず、四隅が少し弧を描き、いまどき滅多に見ないやや荒れた画質(後で調べたら16mmフィルムとか)、えっまさか当時の制作?と半信半疑で始まります。妙に懐かしさを想起するのはそのためでした。
登場する主人公が目も鮮やかな美少年ダヴィッドで、父親がアラビア語しか喋られず、ヘブライ語に翻訳するのも彼の務め。と言う事はユダヤ人と言ってもメインのヨーロッパ系ではない少数派と提示される。このダヴィッドが年端もゆかないのに鉄工所で労働をさせられるのが発端。要は家計を助けるためでしょうが、少しでも大人に見せるために父親と靴を交換するなんて、慎ましい描写が目を引く。開巻早々に教室のシーンで教師が生徒に問う「ユダヤ人と言う人種はいるか?キリスト教は西欧人のものだけか? ユダヤは宗教である。西欧系もスラブ系もアラブ系もいる」と。2022年の新作映画にも関わらず、根本定義をダメ押しする丁寧さです。火葬の慣習のない国ですが、悪の権現アイヒマンなんぞ墓に埋葬なんてとんでもない、埃同然の灰にするための焼却炉の依頼に来るのが、投獄している刑務官のハイムであり第二幕に進む。
第二幕は死刑施行のその時まで、投獄されてるアイヒマンへの扱いに神経を尖らす様が描かれる。ややコメディタッチのオーバーアクションとして描かれ、刑務官のハイムはまるでピーター・セラーズのよう。アイヒマンも当然描かれるものの顔だけは写さないのも解る気がします。しかし職員の多くは家族をナチスによって殺害されており、怨念が画面一杯に拡がる。
そして第三幕はポーランドのアウシュビッツで生き残りとして真実を語るミハと言う男にフォーカスされる。このパートだけは焼却炉の話とは別枠で、なにも伏線として絡まないけれど、微妙なニュアンスを明確にしておくために描かれる。生き証人としての本音を、見世物でいいのか?の問いを通じて真正面から答えるシーンは本作の白眉でしょう。
こうして話は鉄工所に戻り、いよいよの6月0日を迎える。鉄工所のゼコブ社長やら工員のヤネクなどの心温まるエピソードも添えて、映画は重層的に拭いきれない重荷を描く。本作は古い映画ではありませんよ、と案の定、ラストには現代となり初老のダヴィッドが登場する。もう少し面影残した役者にして欲しかったですがね。自らの体験を歴史の証人として編集者に掛け合うも「証拠がないとどうしようもない」と冷たい。「真実であればいずれ明らかになるでしょう」のセリフで幕を閉じる。
こんなヘブライ語の作品が、なんとオスカー女優であるグウィネス・パルトロウの実の弟ジェイク・パルトローによる監督作とは驚き。米国におけるパルトロウ家は大変な資産家でユダヤ教の由緒あるラビの家系だとかで、本作に繋がるわけです。にしても大金持ちのボンボン息子が、家系のオリジンに立ち返り本作を造り上げるなんて、お見事です。
歴史は無名の人々によって造られる
〔アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男(2015年)〕の後日譚。
先の一本は終戦後アルゼンチンに逃れた『アドルフ・アイヒマン』を追う
ドイツ人検事『フリッツ・バウアー』の執念を描いたもの。
対して本作は『アイヒマン』の死刑執行に関わった人々を描く群像劇。
そしてまた、そのこととは直接に関係はないエピソードも
(勿論、ホロコースト批判にはなっているものの)挿入される
風変りな造り。
『アイヒマン』の登場場面ですら、極めて過少だ。
原題は〔June Zero〕で、タイトルにもある6月0日の意。
時刻のずれを修正するための「閏秒」は
通常なら59秒⇒0秒となるところを
59秒⇒60秒⇒0秒と間に普通には無い1秒を挿入する。
それにも模し、
死刑制度の無いイスラエルで超法規的に
5月31日と6月1日の間の深夜に執行したことを表したもの。
ストーリーを構成する二つの軸は、
『アイヒマン』を収監する刑務所の担当刑務官と
死刑執行後の死体を焼くための焼却炉の製造を委託された工場の人々。
『アイヒマン』は国家の法の名の下に断罪されねばならず、
私怨で殺害されたり、裁判の最中に病死するなどはあってはならないこと。
それらを防ぐために、些細なことにも注意を払い続ける刑務官の日常は
傍目には滑稽に見えても、神経の消耗度合いはいかほどものだったか。
また、イスラエルでは火葬が禁止されているため、
そのための設備がそもそも無い。
下手に土葬をすればその場所が
「ネオナチ」の聖地となる可能性がある。
最終的に遺灰は、領海外に撒かれるとの周到さの一方
焼却炉を急遽造る依頼をするのだが、
その過程でのてんやわんや。
とりわけ、炉の設計図の元となったのが
「ナチス」が多くのユダヤ人の死体を焼いたものと同じだったことは
何たる歴史の皮肉か。
携わった多くの人々が歴史に名を残しているのに対し、
本作の狂言廻しの一人である少年の『ダヴィッド』は市井に埋もれてしまっている。
それを取り戻したいとの最後の挿話は
人間の性の深さを感じさせるもの。
タブロイド
アドルフ・アイヒマンの処刑後に火葬する為の焼却炉を作った人たちの話。
手癖の悪い少年が、父親の紹介で鉄工所で仕事をすることになり巻き起こっていくストーリー。
こわ〜いイメージを植え付けられた社長に頭の回転の良さを買われたダヴィッド君と鉄工所の仲間たち、そしてホロコーストの生存者等々の話しだけれど、これって事実なんでしょうかね?
何だかんだと社長は良い人だったけど、ダヴィッドさんは相変わらず俺が俺がで成長出来なかったみたいな描写いります?w
アイヒマンは登場するものの人物像ははっきりとはみせず、あくまでも処刑の背景でこんなことがありましたという、なかなかユニークな作品ではあったかな。
「最後のシーン」に対する是非
私にとって「ナチス関連」は学生時代に勉強したことより、大人になって映画や本で知ったことが知識の殆どです。その中でも印象に残った作品が『ハンナ・アーレント(13)』で、その衝撃に思わず(その日)続けて観たのが『スペシャリスト 自覚なき殺戮者(17)』。たまたま続けて観られる環境にあったのもついていたのですが、その後も興味をもてたことは有意義なことだったと思っています。
アイヒマンは戦後捕虜収容所から逃走、その後アルゼンチンへ逃亡して潜伏していたところをモサド(イスラエル諜報特務庁)に拘束され、そしてイスラエルへ連行。その後、裁判を経て死刑となるわけですが、この作品は判決の直前から始まります。
現代でも、というか現代だからこそ勘違いされがちな「ユダヤ人とは人種ではない」ことが改めて気づかされるのが主人公の少年ダヴィッドの存在で、彼はモロッコからの移民者で学校の中でも「はぐれもの」の立場。教師からも「問題児」のように扱われます。
判決直前ということもあり、町中がアイヒマンへの復讐心でピリピリムード。ただ、見方を変えればハンナ・アーレントの言う「ごく平凡な人間が行う悪」を思い起こさせる人々の言動が見え隠れすることに気が付きます。
そんな中で歴史上だと見えてこない人物・アイヒマンが収監されているラムラ刑務所で、アイヒマンの警護にあたる刑務官のハイムが非常に興味深い存在です。ちなみにハイムもモロッコ出身。立場上、比較的バイアスが小さいだろうという前提で就いている任務であるはずですが、兎に角、死刑執行前に何かあってはならないその状況に、走り回るハイムのプレッシャーに同情してしまいます。
そして、サイドストーリー的に語られるイスラエル警察の捜査官ミハを軸としたシーンが、地味ながら重要なことを伝えようとしています。劇中、ミハが自身がナチから受けたトラウマと言って過言ではない経験について、外国人に対する語り手になることを意図的に強いられる状況に、「人身御供になる必要はない」と同情されます。しかし彼は「当事者が語り、伝えることは重要」と返します。これ、何気にこの映画の最後のシーンとも対になる話だったりするのですが、そもそも、繰り返し語ることはそのことを風化させないためだけでなく、後年、事実を不都合と感じる人間は破廉恥にも「そんなことはなかった」という輩が出てくるのも悲劇的な実情です。興味がある方は、ホロコーストを否定する相手と戦う『否定と肯定(16)』などを参考にしてみてください。
と、いろいろ気づかされる作品ですが、正直、いきなりこの作品観ても残念ながらそれほどの感動はないと思います。事実を基に創作されているようですが、個人的に、最後のシーンはちょっと興覚めかな。
少年の成長物語としてまあまあかな
ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判と処刑と埋葬を当時の庶民側から描いた変わった作品でした。
宗教的・文化的に火葬の風習がないイスラエルで遺体を焼却する為に焼却炉を秘密裏に作ることを命じられた親方と
盗みも当たり前のように行う少年ダヴィッドとの主従関係を中心に面白おかしくシリアスな時代を描いています。
ラストに数十年後のダヴィッドが中年になり焼却炉の製造が人生で一番の記録に残る出来事と話すところは微妙な気持ちになりました。
おすすめ度は普通で期待した程ではなかったです。
なんとなく散漫としたお話で予想していたのとちょっと違った
ナチス戦犯のアイヒマンの裁判終盤から判決確定・死刑執行時のお話です。
本人より周囲の人物を描いた作品です。
焼却炉作りを手伝った少年、拘置所での看守責任者、裁判においての訴訟担当者を描いていますがうまくつながっていないので何となく散漫とした印象。
ついでに言えば焼却炉作りを手伝った少年、あまり感情移入できないタイプです(年とったあとの姿も同じ)
本来、裁判における訴訟担当者を前面に出すべき話だと思います。ただ、そんな話はこれまでもたくさんあって目新しさから焼却炉作りの少年にスポットライトあてたんだと思います。
予想していたのとちょっと違っていました。
個々わかりにくい点はあるが、今週の本命枠。
今年303本目(合計953本目/今月(2023年9月度)13本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))。
東京テアトル系列さんの映画とのことで、大阪市では主にシネリーブル梅田で放映されていましたが、tohoシネマズ系でも放映されていました(マイルがたまるし、6回みたら1回無料になるのでお得)。
存在はよく知られた人物ですが、そのときイスラエルでは何があったのか…ということは意外に知られておらず、ここに焦点をあてた映画になります。なお、イスラエルの建国をいつに取るかはそれこそ歴史上かなりの争いがありますが、一般的な近現代での成立以降ということを想定した場合、イスラエルで死刑が宣告・執行されたのは彼が2人目で(1人目はこの事件とは無関係な方)、その後50年以上死刑は行われていないので(死刑自体が回避される傾向にあるようで、一般的には無期懲役(日本相当の言い方)で回避されるようです)、国連の資料等においては「事実上の死刑撤廃国」とされることもあります。
趣旨的に、死刑は決まっていたものの、そのあとどうするのか、つまり、墓地埋葬法(日本基準の法律)にそってお墓でも立てるとそれこそ「信者」(ここでの言い方は、当然表現を考慮したものです)の「聖地」になりかねないことから、絶対に「信者」が現れないように、徹底的に「地球上から存在を完全に消し去る方法」を考えていく、という趣旨のストーリーになります。これが決まればあとはとんとん拍子に進んでいきます。
日本では6~9月頃、毎年何らかの意味でナチスドイツものは放映されますが、こうした映画により、戦争の悲惨さを各国(もちろん、日本は加害国でもあると同時に、原爆による被害国であるともいえる)から発信される映画文化が今後も続けばよいな、と思った一人です。
なお「6月0日」が何を指すのかなどについては、映画の最後のほうにちゃんと説明がありますので大丈夫です。
採点に関しては以下を考慮したものです。
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(減点0.3/「上告したって新しい証拠が出るわけじゃないんだし…」)
・ ここは日本であり、日本で見る場合、日本の法律をある程度念頭に入れてみる(もちろん、現地の法を知っていれば、そちら優先になる)ことになりますが、上告、つまり、最高裁への刑事裁判への上告は、法律審であり事実審(あることが真実である、証拠が何だのといった事柄を争うもの)ではないため、この部分はやや若干混乱を招きます。
※ ただし、日本においても、国民の興味関心の高い事件や、主に死刑・無期懲役が言い渡されることが想定できる上告審においては、慣例的に上告先の最高裁でも事実審の役割を担うことがあります(裏をいえば、単純な万引きほかで死刑になるようなことがない場合、刑事事件においては「事実上」二審制だ、ということです)。
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