「FLYーFRI」フライガール いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
FLYーFRI
最近気に入った食堂にたまに通う そこの"吸い物"が極上に美味しく、メニューの少なさが却って職人肌を感じさせるのが理由である
そこはママが1人で営業していると思うのだが、そのママに、酔ったのを口実に色々ぶつけてしまった そしてママの私に対する反応は「人の話を訊かない」 要は私は"独善"なのである・・・
今作の主人公と共に"揚物スタンプラリー"に参加するフードライターの男は正に自分と同じ"独善気質"な男である 勿論、劇中に様な意地悪な振る舞いは行なわないと神に誓うが、ベクトルは自分と同じであろう
その理由は、劣等感と自尊心に蝕まれている腐敗した動物だから・・・
片や、出自の問題(帰国子女 アジア系ハーフらしい)に於いて、日本に来てからずっとそのモヤモヤ感を抱えながら生きてきた、でもマイペース女の主人公 手繰る回想シーンではその生きづらさが如実に息苦しさを心象付ける
そんなまるで人生の交差点では交わらない2人が雑誌の企画にて件のラリーを取材するというストーリーテリングである
行く道々で、とことん2人は考え方の違いが露呈される 激しい喧嘩はしないのだが、意見の応酬ばかりで同意形成は起きない
但し、その企画を発案した主人公の唯一の友人の女編集者はその彼氏共々、それぞれの行動を共にすることでの化学反応の可能性を探りに尾行し続ける
揚物のチョイスや食べ方等々、お互いの主張が相容れない2人の前途多難さに、道中のヒリヒリ感がどんどん高まる演出
聴覚障害の母と娘のキャッチボール中、逸れたボールを拾った男が、声が聞こえない事を知らず、お礼の挨拶がないとわざと別方向へ捨て、その後主人公が拾いにいくシークエンス、その後に、河原で唯々川の水を掌で掬ってちょっと先に置いてあるコップに汲入れる女児の、何回も往復する姿に苛立つ男が、いきなりコップを持ち上げ、川の水を掬い、効率性を教えるシークエンスは、その傍若無人性が如実に演出されていて暗澹とさせるところのシナリオは秀逸である 道ばたで倒れている人を助けず素通りする等々、他人に寄り添えない余裕の無さに、とうとう堪忍袋の切れた尾行中の友人彼氏に諫められる 勿論背景には本来小説家である自分の作品を引き上げてくれない出版社への苛立ちと微妙なパワハラに対する屈辱等での疲弊が原因も描かれるので、決して男の資質ではなく生きづらさを抱えてしまった事での悪行の数々というのが自然と観客に伝わる造りだ
もう閉店の時間が迫っているのに神社の境内で催されている映画上映会を覘いたりと色々な寄り道が続くのはストーリーのテーマや特性上なので、不自然さは仕方がないが、そもそも現実も周りを見渡せば様々な出来事が起っていて、見過ごすことなく触れていけばその関係性が緩く繋がる事を示唆している事を素直に観客に伝えてくれるのだ
やっと最後のとんかつ店に着き、揚げている音やかぶりつく音、それに耳を澄ませばとんかつからのメッセージが聞こえてくる筈 上映後アフタートークでの監督談では、本当にメッセージを被せた音効を忍ばせたとのことだが、自分にはさっぱり聞こえなかったのは未だに「当然」から抜け出せず、心の縛から解放されていない情けなさを強く感じ取れて愕然とする
本作では、そんな簡単に2人はそれぞれの心のほつれを綺麗には解消できていない でも兆しはきちんと明示してくれている 前半と後半に差し挟まれるゲイとおぼしきカップルを観る視線の変化がそれを物語る 片や主人公のかたくなな他人の拒絶が、今回の企画を遂行したことでの達成感に、今迄の蟠りが氷解していく兆しがみえているのを感じ取れたのである
寓話的で、やもすれば説教臭くなってしまうきらいはあるが、しっかりとそこをストレートにスクリーンに映し出す真面目さに好印象を抱いたのであった