イノセンツのレビュー・感想・評価
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無垢…しかし邪悪
サイコキネシス
8月10日(木)
吉祥寺に行ったのでUPLINK吉祥寺で「イノセンツ」を。シニア料金が1,300円になっていた。
以前から言っているが、北欧の映画は油断ならない物が結構多い。本作も仲々だ。
夏休みに団地に引越して来た姉妹、姉が自閉症で言葉を失っているので母親は姉に手を掛け、構ってもらえない妹は面白くない。夏休みで学校にも行かないから友達もいない。ヴァケイションで出かけている家族も多く団地も閑散としている。そんな中で姉妹は二人の子供と仲良くなるのだが…。
この二人と彼らの母親との関係の描写が足りない。この後に起こる事件の伏線になるだけにもう少し描いて欲しかった。
ハリウッドならラストのサイコキネシス対決は派手になる所を抑えた形で終わったのが北欧風か。
映画は面白いのだが、猫が…。妹は蛇が嫌い。猫好きと蛇嫌いには、しんどいシーンがある。要注意。私もビックリした。猫と蛇は一緒に出ないよ!
言い忘れたけど、自閉症の姉役の娘は演技が上手い。元ネタは大友克洋。監督が大友克洋好きらしい。
天才たちの競演
ベンやばい、邪悪すぎる。アイーシャは最初から最後までかわいい、これは無垢な天使。イーダは最初憎たらしさ故にブサイクにしか見えなかったのが中盤から可愛い女の子にしか見えなくなる。そしてアナ、ディカプリオ以来の天才現るって感じ。見終わってからあの人生最悪の映画の一つテルマの脚本家だとしり、しかもこの映画も脚本を書いてると知り驚きアンド見る前に知らなくて良かった。知ってたら絶対見なかっただろうから。邪悪ベンは今までもいじめられてたろうし、それまでその力を使わなかったのはヘンだなと思うけどアナと出会ってみんな覚醒されたと見るとつじつま合うから良し。ベン役の子、英語が話せるならアレックス・ウルフくんの後釜狙えるな。
猫のシーンはやめて欲しい
幼い頃には生と死の事などは漠然としか分からず、それが昆虫など自分より弱い者へ流れてしまうこともある。人はそうして成長していくのだと思うが、本作に登場する子どもらはそれと同時に不思議な力を見出してしまうのである。本作で描かれるのは「無自覚な狂気」であり、それが一番怖いものだと改めて感じた。
初めこそイタズラ程度だったものが次第に狂気を帯びて来るようになる描写は何とも言えないリアルさがあって怖かった。その興味本位から生まれた狂気の矛先が猫に代わり(このシーンが猫好きには非常に不快である)、挙げ句の果てに人に行ってしまうという重いテーマの作品なのである。
物語にはそれほど大きな起伏も無い様に思えるが、平坦にも思える映像が彼らの心情だと思うと尚更怖い。 本作の注目すべきはメインキャストを演じた子役たちだ。主人公の障害を持った姉と、段々と狂気じみてくる少年、特にこの2人の動向から目が離せなくなる。彼らには退屈な夏休みという事しか共通点は無く、それが絡み合ってここまでの事態に発展するとは誰が想像しただろうか。舞台は日本で言う団地の敷地内のみ、能力の発端等も不明、子ども目線で全て描かれるという閉鎖的とも言える条件で良くここまで広げられたと思う。世間一般どこかヒーロー映画疲れが言われている昨今、そこに一石を投じる映画なのかもしれない。
子供達の演技の凄み
純粋で無垢な最高のサイキックホラーですね。
大人は判ってくれない
テルマ(2017)の脚本家が監督にまわってつくった映画。
少女アイダは引っ越し先の団地でテレキネシスやテレパシーがつかえるベンやアイシャに出会う。自閉症の姉アナも精神感応ができるようだ。
当初はあそび仲間だったベンはサイコパス気質があり、能力をつかって人を傷つけるようになったので対立する。
道徳倫理や社会通念のない子供が凶悪な能力をもっていることが、基地外に刃物のような様相を呈し、見ていてすごくはらはらした。息詰まる映画だった。
映画は見たままの印象で、いじめや無理解な大人などの寓意は読み取れるものの、とくに明らかなメッセージにはなっていない。
が、子供らは大人の理解できない高度な能力をつかって大人の解決できない問題に対処しようとしている。その豊饒ともいえる子供らの能力世界から見たとき、大人たちの経済的な生活の諸問題などが、ばかばかしいものに見えるという構造において、皮肉や風刺が成立している。
アイシャの母は台所でいつも泣いているが、大人らは各々、生きづらい俗世間をどうにか生きていかなければならないゆえに、つねに自身の悩みと屈託に沈んでいる。それが無関心や無理解の態度となって子供にあらわれる。
一方で子供らはテレキネシスやテレパシーをつかって人類の敵となるであろう邪悪を倒そうとしている。
ところが大人からは子供は子供でしかなく、アナは意味をもたない非言語の自閉症スペクトラムにしか見えない。
de uskyldigeという原題を翻訳機にかけたら“あどけない”とか“罪のない人”などと翻訳された。
じっさいには恐るべき能力をもった者が、端からは(大人からは)無力なde uskyldigeにしか見えないということの逆説をこの映画は言っている。
いずれにしてもたんに異能の子供らを描いたのではなく複合の寓意を持たせようとしている感じがあった。ともすればベンは「大人は判ってくれない」のジャン=ピエール・レオに見えなくもない。
この感じはテルマにも通じていて、テルマは見た人毎にいろんな印象のある映画だった。個人的なテルマの解釈は「宗教二世の悲劇」であり、それはこんな感じ。
テルマは厳格な信者夫婦の子に生まれた。つづいて弟のトロンが生まれるがなんらかの要因で死なせてしまう。両親は悲しみから逃れるために、何かと小賢しいテルマに弟の死の責任をかぶせる。心因性の発作も悪魔憑きのようにとらえて抗精神病薬を飲ませてテルマをグルーミング=手なずける。
こうしてテルマは両親にコントロールされて育ったが、親元を離れ寮生活をはじめ、アニャに出会いお酒をのんだり性的な高ぶりを経験し、また自身の診療歴を知って、両親によるグルーミングから徐々に覚めていき、最終的にアニャとふつうの学生らしい生活をつかみとる。
この解釈のばあいは超常現象の描写がぜんぶ両親の妄想であり、もとよりテルマは発作がある以外はふつうの子だったが、肥大した狂信者である両親には彼女がモンスターに見えていたのだった・・・。
この映画イノセンツもそのように大胆な解釈もできるようになっていて、すなわちそれぞれの自由な想像に委ねるという特長が作家・脚本家として優れていると思った。
imdb7.0、RottenTomatoes97%と73%。
姉と私の忘れえぬひと夏の経験。子供はみんなイノセンツ。
福祉国家として有名なノルウェー、かつては移民政策にも積極的で一時期移民の数は人口の一割を超えるほどに。しかし極右過激派の男がその移民政策に反対して連続テロ事件を起こした。「ウトヤ島、7月22日」はそのテロ事件を描いた作品。その事件をきっかけに保守政党が政権を握りノルウェーは移民規制に舵を切ることとなった。そんな経緯があるだけに移民の子供が悪役の映画なんて作って大丈夫なのか、ただでさえ移民には風当たりが強いというのに。この監督は移民反対派の人間なのかな。
監督のインタビュー記事を読むと、オーディションで人種性別関係なく演技力で選んだら結果的にあのキャスティングになったとのこと。移民という設定自体はキャストが決まった後に改編したらしい。ちょっと勘ぐりすぎたかな。
小学生の頃、捕まえたバッタの足を友達が楽しそうに一本一本むしり取っていた光景は今も脳裏に焼き付いている。無邪気でたわいもない子供の遊び、しかし残酷でもある。他者への思いやりの感情がまだ芽生えてない幼き頃、そんな幼少期のひと夏を描いた異色の作品。
それぞれの事情を抱えた子供たち、イーダはまだ幼く甘えたい盛りにもかかわらず両親は自閉症の姉につきっきりで、その寂しさを紛らわすためかまたは姉への嫉妬からか細かな嫌がらせをしたり、虫を殺したりしている。
ベンは母子家庭で体にあざがあることから母親から虐待を受けてるようである。アイシャはソマリア難民の母親が夫を亡くしたばかりで情緒不安定。そして自閉症のアナ。そんな問題を抱える四人がひと夏をともに過ごす。四人は無二の親友になれるかと思われた。
だがベンの抱える闇は深刻だった。涙を流しながらも動物をたやすく殺してしまうほど、もはや心のバランスを失いかけていた。監督は善悪の分別がつかない頃の子供時代はみなそれなりに悪いことをしたものだというが、昆虫を殺すのと哺乳類を殺すのとではわけが違う。人間と同じ赤い血が流れてる動物を快楽で殺せる人間は過去の実例からもわかる通り次は人間を標的にするものだ。
母親の命を奪ってしまったベンは歯止めが利かなくなり三人に対しても牙をむく。そんなベンに三人が立ち向かう。自閉症のアナは唯一の理解者アイーシャを奪われてベンと対峙する。互角の能力を持つ二人だが、そこに同じく能力に目覚めたイーダが加勢して二人は勝利するのだった。
この経験で少しだけ成長し、イーダとアナの絆は深まった。そしてお絵描きボードにただ殴り書きをしていたアナの手が止まるラストカット、彼女の進歩をうかがわせるシーンだと解釈した。
幼少期の忘れえぬ甘酸っぱい成長譚とサイキックスリラーを足したような作品。ただサイキック描写の部分は少々物足りなかった。大友克洋の童夢にインスパイアされたなんていうもんだからどんなアクションが見られるかと思ったら肩透かしを食らった。
サイキックアクションといえば古くは「スキャナーズ」の頭部破裂、血管浮き出しまくりの血しぶき出まくりから、北斗百裂拳を食らった悪党が体を爆裂させるかのような「フューリー」の人体大爆発までと、ありとあらゆるサイキック描写を堪能してきた自分としてはいささか物足りない。かといって心理的に怖がらせてくれるかと思いきや「シャイニング」には遠く及ばない。監督のインタビューを読むとどうもサイキックホラーというジャンル分けも無理があった気がする。やはり子煩悩な監督が描いた子供たちの幼少期の成長譚ととらえるのが無難なんだろう。
演技力で選んだというだけあって四人の子役の演技は圧倒的だった。難しい役どころを見事に演じていた。
子供故の残虐性、無邪気さは狂気をはらむ
次は私?!
大規模マンション内で起きる連続殺人事件、超能力少年少女たちによるサイキック・バトル、そして問題のラストシーンが、大友克洋による漫画『童夢』にそっくりだという。監督のエスキル・フォクト本人が白状しているので間違いないだろう。私は本作を観ていてパク・フンジョン監督の『The witch』をふと思い出したのだが、ド派手なアクションの代わりにこの映画、恐怖がジワジワと忍び寄ってくる北欧らしい静かな雰囲気が特徴だ。
自閉症の姉アナを持つ妹のイーダ、テレパシー能力に優れたアトピー少女アイシャ、そしてアナと同等のサイコキネシスが得意技のベン。ほぼ育児ネグレクト状態のベンは近所の子供たちから除け者にされているられっ子で、引っ越してきたイーダに自分の能力を見せて友だちになる。アイシャは言葉が喋れないアナの気持ちを伝える通訳のような存在で、超能力ごっこで盛り上がった4人はすっかり意気投合仲良しに。しかし、心に闇を抱えていたベンは次第に狂暴化、女子3人でなんとかベンの暴走を食い止めようとするのだが...
4人の中で最も強力な能力を持っているのが、実は自閉症のアナであり、さすがのベンも一対一の勝負では歯が立たない。しかしこのアナ、アイシャのヘルプがなければ喋ることもままならず、肝心な時に「ウ~ん、ウ~ん」うなってるだけてまったく役に立たない。このじれったさが実に効いていて、静かなトーンながら緊張感が常に場を支配しているのである。身の危険を察知したノンケ少女イーダはベンをノラネコ戦法?で排除しようとするのだが.....
アナの血を引いているイーダ、そしてマンションの窓から、アナ姉妹vsベンのラストバトルを観戦していた子供たちも、おそらく超能力者だったのではないか。つまり、北欧の森に佇むこのマンションは超能力者の子供たちだらけだった、という設定だ。彼ら彼女らはアイシャやベンのように、移民のワンオペ家庭で親から満足な愛情を注いでもらっていない子供たちだったのではないだろうか。この点、両親がちゃんと揃っているイーダ姉妹の家族とは若干異なっているのである。
親に潰されそうになった子供は大人の気持ちを読むようになると、『ナイトメア・アリー』のインタビューでギレルモ・デル・トロが語っていたが、ベンやアイシャの場合もまさにそれ。現在3組に1組が離婚している日本においても、親の愛情に飢えている子供たちがおそらく急増中のはずであり、もしかしたらもしかするのである。恐るべき宿敵をやっつけて一件落着の姉妹だったが、今度はママの愛情をめぐって仁義なきサイキックバトルを繰り広げるのかもしれない。「次は私?」なんたって超能力に目覚めたイーダには前科があるのだから。
名作です。
猫は死にます。しかも序盤に(ジョバンニ)。
夏休みにノルウェー郊外の団地に引っ越してきたイーダと知的障害を持つ姉のアナ。
意思疎通が図りづらいアナと遊ぶのがつまらないイーダは超能力が使える地元の少年ベンと出会い、姉を放置して2人で遊ぶようになる。
一方で、アナに近寄ってきたのは心を読むことの出来る少女アイシャ。
特殊な能力でコミュニケーションを取れることを知った4人の子供たちは秘密の遊びを通して仲良くなっていく。
しかし、子供たちの無垢な感情は次第に暴走を始め……
いや、面白い。
まずポスターからしてセンスを感じる。
力が反転した世界、子供が純真だとか力が弱く儚げな存在だとかそんな常識を180度ひっくり返してくる、とんでもない映画。
子供の純粋な悪意、本能的な残酷さが描かれるが、それが人間、動物として本来の姿なのかもしれない。
この残酷さは罪ではない。だからこそ厄介だ。
大人が絶対踏み入ることのできない子供だけの世界は、一見非科学的で空想の世界のようにも思えるが彼らにとっての現実だ。
力が弱くまだ世界を知らない子どもたちだからこそ、超能力という最強の武器を手にしてしまえばもう誰にも止められない。
この映画の何がすごいって描写のリアルさ。
つい最近成人した自分の中でさえ子供の頃の経験や感覚は忘れてしまっている部分が大きい。
しかし、この映画を観ている間だけははっきりと幼少期の感覚を思い出すことが出来る。
子供が作っているのではないかと疑ってしまうほど子供の感覚で作られたスリラー映画。
それでいてカメラワークや音楽などどれを取っても良い。
またホラーやスリラーの一面だけではなく死や命について呆気なくも丁寧に描いているのも印象的。
緊迫感の張り詰めるシーンと少し心が温まるようなシーンが交互にやってきたりして感情ジェットコースターだった。いい感じに思いっきり疲れた。
様々な解釈の出来そうなラストシーンも必見。
作品全体の余韻も凄く、鑑賞後に色々と深め甲斐がありそう。
北欧ホラーは一見どれも一辺倒に見えるが実際鑑賞すると全く違う顔を見せる。
観るか結構迷っていた作品だったが観れて本当に良かった。
静かな街で繰り広げられるサイキックバトル。
どのキャラクターも責められないし、逆にそこまで好きにもなれないんだけど(子供たちの演技力は素晴らしすぎる)、唯一好きだったのがアイシャのお母さん。
幸せになって欲しかった……😢
子供の遊びが狂気に変わる
退屈な夏休みを過ごしている子供たちが超能力的な不思議な力に目覚めてしまうサイキックスリラー。無邪気な子供たちの遊びが狂気に変わっていく姿を上手く描いている。これは、世界中の子供たちにも共通するものであり、周囲の環境次第で子供の生活が大きく変わってしまうという強いメッセージ性を感じた。
2023-153
見た後しばらく立ち上がれなかった
鑑賞動機:『童夢』にインスパイアされている10割
『童夢』は何度となく読んでいるが、もちろんストーリーは別物だけど、終盤の描写が思っていた以上に『童夢』でちょっとニヤついてしまった。ベランダとか赤ん坊とかブランコとか、そのまんま。そんなに好きなのね、うんうん。
最初はあまりにもやさぐれているので、大丈夫かと思ったが、子供はバカじゃないというスタンスが変わらないのは良かった。その代わり容赦もないけど。猫好きは…大ダメージを負う覚悟で。
無垢と悪意
エスカレートする力と無垢な邪悪。
起きてほしくないことばかりが起こり、見ぬふりをしてきた自分の意識を炙り出され、強い衝撃と重さに縛り付けられる、あまりにも恐ろしい映画だった。
まっすぐな感情のままに行動する子供たちだからこそ危うい。
悪意を孕まないただのサイキック遊びがどんどん意志を持ち始め、強い悪意に変わっていくさまがどうしようもなく辛かった。
ただ愛されたかっただけなのだろうけど。
最初の凶行、ズーンと衝撃を受けつつ、流れるような行動のシークエンスに目を奪われてしまった。
虫や小動物に対する残酷な行動って子供のころのあるあるだと思う。
大なり小なり誰しもが経験することじゃない?
ただしその中でも無意識にボーダーラインは引いているもので、その辺の境界の無さが露呈するシーンはとても印象的だった。
感情も感覚も知能も見えなかった姉の中身が少しずつ見えてくる瞬間、妹がちゃんと嬉しそうに笑ってくれたことにホッとする。
そしてテレパシーの遊びの中でどんどん「人間らしく」なっていく姉に私も嬉しく思っていた。
これってどういう感情なんだろうね?
障害があるだけで最初からずっと人間なのに、意思疎通ができないだけで途端に「人の形をした何か」みたいな認識がうまれてしまうような。
でもやっぱり妹を守るように立ちはだかる姉の姿にはかなり胸が熱くなるし、サイキックなサポートが無いときのフワフワした状態に戻ると少し残念な気持ちになってしまう。
普段は意思疎通が難しいからこそ、ほんの少しでも感情的な部分や本人の意志が見えた時のコントラストでグッと来るんだろうけど。
派手な演出はないけどどのシーンもインパクトが強い。
圧倒的な恐怖や精神的な負担が大きく、観ていて非常に疲れる上質なホラー映画だった。
タブーとされる感覚もストレートに表現して切り込む姿勢を感じる。
透明な空気を感じる北欧映画独特の映像美がとても好き。
子役がすごい
良質なホラー しかし不快指数高スギ
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