イノセンツのレビュー・感想・評価
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監督は童夢を読んでいるに違いない
子供たちの静かな超能力バトル。
監督は童夢に影響受けていると思う。
もちろん童夢のような派手な展開はないが、団地、子供、超能力、障害者
そしてラストのベランダから覗く子供達など。
大人の知らないところで静かに超能力の戦いが激化していく様子は良かった。
ただ、幼い子に過激な事をさせるのは見ていてちょっと心が痛むかな。
あのような過酷な争いは大人でもなかなか耐えられるものではないからね。
まあ、むしろ子供だからこそ持ち得る残酷さが出来たのかもしれないが。
派手な演出こそないがじわじわとくる恐怖が、平凡な日常に大人が気づかないところで
迫ってくる様子がいい。近くにいる大人は誰も役に立たないという状況はなかなか面白いと思う。
ベンは邪悪だけど、家庭環境をもう少し描いても良かったかもしれない。
ベンが人を傷つけることに躊躇がないのはサイコパスだからなのか環境によるものなのか
わからなかったからね。猫を殺すシーンはサイコパスの象徴なのかとも思ったが、、
前半も面白かったんだけどちょっと静かすぎて退屈かも。
まあ、後半も静かだけどね。
アニメ的なバトルが多い中、静かなバトルでも盛り上がるんだなあと思いました。
良かったと思う。
舞台のノルウェーの団地は結構日本のものと似ていて日本人に総入れ替えしても
普通に気づかないかも。
大人には、秘密。
原題
The Innocents
ノルウェー題名
De uskyldige
感想
大友克洋「童夢」からインスピレーションを得た驚異の映像に、世界が震撼&絶賛
『ミッドサマー」『LAMB/ラム』に続く北欧発のサイキック・スリラー
退屈な夏休み。無垢な子供たちの遊びが、狂気に変わる。
終始不穏な雰囲気が漂いゾッとする作品でした。やっぱり子供って怖いです。
子供たちの静かなる団地サイキックバトルでした。
ベンの純粋な残虐性が恐ろしかったです、猫にトドメを…母親に…。
痛々しい描写ありです。
イーダ、アイシャ、ベンの子役らの自然な感じの演技もよかったです。アナの自閉症の演技は難しかっただろうに…
ラストも静かに終わりましたね。
※衝撃の夏休みが始まる
危険な遊び
イーダ(9歳)
その姉で自閉症のアナ
アラブ系のベンジャミン(ベン)
インド系のアイシャ。
この3人の少女と一人の少年のサイキック・ホラー映画です。
引き込まれました。
不思議で神がかりで邪悪で無垢(?)
でもって、少しはズルい。
でもアナはめっちゃ無敵でかっこよかった!!
自閉症の子どもはある意味で選ばれた子どもかも知れない。
特殊能力を持つ故に、
言葉が話せない、
他者と意思疎通が出来ない、
相手の顔を見ない、
などの代わりに、
聴こえないものを聴き、
見えないものを見、
細密な絵画や、作曲、計算、ジグソーパズルなどが得意、
だったりする。
この北欧ホラーは子どもたち4人がサイキック能力を持ち、
その中の一人が邪悪な心を持っていたことから、
不気味な事件が多発する。
「ミッドサマー」と「LAMB/ラム」の不思議な魅力に取り憑かれた私は、
この映画のまた一味違うサイキック・スリラーにも引き込まれました。
子ども4人が主役。
ノルウェーの低所得者向けの団地に越してきたイーダと姉のアナ。
アナは自閉症で言葉を離さない。
イーダに近づいて来た少年・ベンは見たところアラブ系の顔立ちをしている。
ベンは小石を超能力で移動させたり、大木を真っ二つに折ったりできる。
小石や大木ならまだしも、悪意はエスカレーターして行く。
もう一人の少女・アイシャはインド系の優しい少女。
顔や手ににアトピーなのか白斑がある。
アイラはブランコに揺られていたアナとなぜか意思疎通が出来るようになる。
そしてベンのサイキック能力は人に向かって、
いじめっ子の脚を折ったり、
大人を操っていじめっ子を殺させてしまう。
そして、
遂には自分と敵対して来るアイシャを憎み、
危険を感じたベンは、
アイシャの母親の意思を操ってアイシャを
惨たらしく刺殺させるのだ。
無敵に思えたベンだが、畏れを感じたイーダは
ベンを歩道橋から突き落とす。
それでも平気だったベン。
しかしアイシャを殺されたアナは
最強のサイキッカー。
主導するのはアナ。
水辺に立っと波がさぁーっと押し寄せて来る。
そして砂がサーっと引いてくる。
そしてベンは遂に‼️
この映画が特異なのは、大人が徹底的に無力で蚊帳の外であること。
子どもたちだけの孤独な闘い、
イノセンスとの訣別、
それをメタファーにして描いた成長物語なのだ。
日本の漫画「童夢」by大友克洋の40年前の作品をベースにしている。
北欧と日本・・・遠くとも意外と近いのだと感じた。
そしてこの映画のヒロインは自閉症のアナ!!
アナの超能力はギフト。
アイシャのためにも強く生きてほしい。
タイトルがまさに…
このタイトルから、子供の残酷さを描いたホラーだと思うじゃないですが。それも、間違ってはないけど子供の絶望のようにも思える。主要登場人物のうち2人は、移民ではないかと思えるしシングルマザー家庭に見える。もう一人は自閉症の姉を抱えた家族。大人に頼れない子供達の物語。
なお、サイコスリラーとあるけど、一昔前なら、超能力バトルといっていい内容。
子供達だけの静かな戦い
ほぼ、童夢と言われるけど童夢読んだことないので読んでみたい。
映画としては、すごく良いクオリティだと思う。
面白かったところは、子供達にそれぞれ
ヤングケアラー、親の精神病、ネグレクト、虐待、いじめなどの社会的問題の背景も含めて4人にカルマ値の様なものが設定されているようにみえるところで
自閉症のお姉ちゃんアナが1番白く、次にアナとテレパシーがあるアイシャ、主人公イーダは中立からやや黒寄りベンが1番黒くダークサイドに近いってなっていて。
主人公がカルマ値が悪方向に振っている状態で物語スタートなのが秀逸だなと思った。
子供は無垢な天使ではなく、社会環境や教育、コミュニティによって善悪の判断が成長していく過程と物語が上手く噛み合ってる。
超能力の正体的はなんなのかと考えてみても超常現象とゆうよりは
大人への成長の過程で忘れてしまった子供の感性や想像力による不思議なものってゆう解釈ができるのも好き。
(その辺りはパンフレットの監督インタビューが補助線として読み応えがあった)
主人公のイーダが子供特有の残酷さを持ち合わせていながら、自分で考え、悪と自分の責任を認識し、邪魔だと思っていた姉と手を繋いで戦う一夏の成長物語。この映画の中に大人は出てくるけど子供達に介入せず、ただただ背景として存在するのみで「子供の世界」を馬鹿にすることなく尊厳を持って、クールな目線で捉えてるかっこいい作品だった。
最後の戦いは興奮したし、うんと小さな子供や犬しか気づかない静かな戦いかっこよかった。
悪役として登場するベンは、力が強まることでどんどん暴走し人や動物を傷つけてるが
加害をしたあとに、涙を流したり
本当に孤独を感じている子供でもあって、ただの邪悪な存在として描かないのも、厚みがあって良かった。
子役達は皆んな魅力的だったな。
映画館で鑑賞
子供の実在感
外見は静かに静かに、子供の世界だけで進んでいく話。
クライマックスがまさかの「ただ立ってるだけ」という絵。もちろん遠目にはという話ですが。
「童夢」に似すぎているという話もありますが、純粋であるが故の残酷さが子供達の実在感と共に迫ってきて、見応えのある作品でした。
「超能力」に「科学」を見た
団地(集合マンション)を舞台にした、その辺に普通にいる一般人が繰り広げるサイキックバトル! これはまさに大友克洋の「童夢」を思わせる。「童夢」は漫画世界におけるリアリティを革命的に更新したけど、この映画はさらにそのリアリティを上書きした感じ。現実に超能力が存在したとしたら、どのよう場所でどのような人間にどのような状況で発生するのか、その力がどのようなものなのか、圧倒的なリアリティがある。子役の演技力も驚嘆するしかない。
タイトルの「イノセンツ」というのは、「無邪気」「無垢」「純粋」みたいな意味だろうか? しかしポジティブな意味というよりは、子供が「無知」ゆえに歯止めのかからない残酷さや、他人や動物への想像力の欠如をもつ存在である、非常にあやうい不完全なものでことを示唆しているように思う。
ふつうは子供は無力であるゆえに、その不完全さが大きな問題にならないのだが、それの不完全な存在が大人には見えない(理解の範疇を超えている)強大な力をもってしまったらどうなるのか、と考えざるを得ない。
子供たちの様子や心理は、何か舞台であるノルウェーの社会のゆがみをあらわしているっぽい。同じ集合マンションの中での幸・不幸の差、多様な人種の中での差別(?)、貧富の差みたいなゆがみがあって、最も弱い立場である子供たちがそのゆがみをひきうけている。
ただ、僕はこの映画を観ていて、監督の意図とは全く違うかもしれないのだけど、この子供たちが今の人類を象徴している気がして仕方なかった。
つい数百年ほど前における科学革命で、「科学」という自然に隠されたささやかで神秘的な力を発見し、無邪気に喜ぶ人類。はじめは遊ぶ程度にその力を楽しんでいたが、実験をくり返しながら、この力をもっとうまく使いこなすことに夢中になる。そして、原子爆弾をはじめとする、一歩間違えれば人類を破滅させ、地球環境を一変させることができるくらいな強大な力を手に入れるほどになり、そこではじめてこの力に恐怖を感じるようになった。
人類はこの強大な力をコントロールし、うまく使いこなせていけるだけの、倫理観も、自制心も、智慧も、合理的思考も持ち合わせてはいない、いまだ「幼児」の段階だと思わざるを得ない。
この映画の子供たちが、子供が扱うには危険すぎる強大な超能力をもってしまい、ハラハラどきどきしながら見守る心理は、まさに人類が科学技術をうまく使っていけるか、とハラハラする感じに似ている。
オトナは蚊帳の外
一切が子ども社会の中で起きた出来事で、オトナは蚊帳の外。
子供は原始的で、社会に染まってないのでオトナのようにルールを持たないから恐ろしい。
心のまま欲求のまま正直に行動する、無邪気で無実なイノセントたち=子どもたち。
子供社会では理屈も道理や倫理も関係なく力のあるものが勝つ。
そこで強いものに対抗するには、同様に力でしかなく、同じ土俵で勝負できるのは子供だけ。
知的障害者の姉が疎ましく、親の見ていないところでつねったり、酷いのはガラスの破片を姉の靴に忍ばせて怪我をさせてりもする、妹の無垢な残虐性に心が冷えたが、かと言って妹が姉を愛していないわけではない。子供はそういうものだ。
そしてベンは、悪意のみその遥か上を行く。平気で猫にあんなことをするサイコパス(恐らく)の彼がヒトをも操る強い力を持ってしまったらなすすべなしでひたすら怖い。見ていて無力感でいっぱいになるが、唯一対抗できそうなアナという存在に希望もある。想像した通りだけど、ベンより力の劣る姉に妹が力を合わせてベンを駆除したのは良かった。
そして猫!事前に何も知らず、正視できませんでした。
ベンよ、お前も同じ目に合え!と思ってしまった。
気持ちの優しいアイシャと子供を愛していたママの惨劇がやりきれない。
監督がインスパイアされたという「童夢」も団地の住人の話だったが、こちらの団地には移民等低所得者が住むところという意味合いも加わっている。
母子家庭でおそらく移民で、白斑症のアイシャの孤独感、ベンのすさんだ感じ、周囲のだれも彼、彼女に注意を払っていないところなど、この団地内なら普通にありそう。
そして、子役恐るべし!
最後まで気の抜けないサイキックホラー
大友克洋氏の『童夢』から発想を受けた映画だけあって、終始残酷だったり痛々しいシーンが続く。
隣で見ていたおじさんは、ぐうすか寝ていたけど、これで寝れるって、ある意味神経図太そうな人だなと思ってしまうくらいだった。
終盤、主人公姉妹が狂気に走った友人と退治するシーンは、プランこの使い方や団地の見せ方など、本当に『童夢』を彷彿とさせた。
しかし、確実に、『童夢』にはなかった子供たちや親や姉妹間の関係が描かれていて、その分、切なさを増していた。
それ上、最後の不穏な姉になってしまっているのは、怖さだけでなく悲しさもプラスされていた。
独立しているのに
怖そうな映画は怖いので見ない私も、正に10代を想起させる大友克洋の童夢という作品絡みの話題に触れるとcan't stop watching. 結果、とても丁寧に重ねる描写も子どもたちの演技も控えめな特撮も含めて良くできた一本の独立した映画という感想に落ち着く。であるからこそ、特にラストシークエンスの、剽窃とも言える酷似が残念でならない。私にとっての作品全体の評価がブランコの柱のように曲がってしまった。
子供は、純真ではない
北欧発サイコスリラー『イノセンツ』、子供が純真なんて、誰が言ったのだろう。そんな言葉が、聞こえてきそうな作品です。それは、ある意味真実です。あくまで、大人になる手前の存在なのだと。ただ、大人にならずに子供のままだと、それはそれで問題なんですが。
北欧発サイコスリラー
おおよそ、子供が純真だなんて、思わないほうがいい。
赤ちゃんのと時は、別として。
物心ついたあたりから、その本性を表す。
別に子供が、悪魔や怪物であるわけではない。
ただ、彼らは、自分一人では生きて行けないから。
大人にとって都合のいい人間を演じているに過ぎない。
では、その本性とは、ただ未熟な存在というだけなのですが。
未熟さゆえに、その嫉妬心、存在の不確かさから来る攻撃性。
そして、残酷さは特筆すべきものだ。
存在の不確かさの生む残虐性
この映画の大きなテーマ。
子供は、自分の存在が、わからない。
それを確かめるために、他者を傷つけることを平気で、することができる。
それは、弱者に対しであったり、昆虫であったり。
ただ、これが、小動物にまでゆくと、事態は深刻だ。
他者の痛みとはどんなものなのか。
痛みそのもののを、よく理解できていないのでは。
何かを傷つけるというところに、性的サディズムが、加わると。
それが、修正されないままでいると、モンスターが、生まれる。
感受性が強く、特異な力を持つ存在、、、
子供を表現すると、こうとも言えるかもしれない。
全部が、全部そうだとは言えないが。
未熟であるがゆえに、そこに特異な能力が、あるとも言えるのでは。
そんな子供のサイキックな一面を、この映画は、デフォルメさせてみせた。
未熟である存在の子供が、その未熟さを修正されないまま大人になったときは。
そんな、人間の引き起こす事件を、現代人は、嫌というほど見てきているはずだ。
人間とは、じつにわからない存在だ。
子供たちの小さな世界で巻き起こる、とても静かな戦いの物語
非常に味わい深い作品でした。
様々な問題を抱え、孤独に直面した子供たちが、知り合って、触れ合っていったと思ったら、ちょっとした行き違いから、対立が生まれ、彼らの持つ“イノセント”と目覚めた力から悲劇的な展開を迎えてしまうお話です。
決してビッグバジェットな作品ではないため、映像表現としては地味ですが、子役たちの演技に加えて、終始不穏さを醸し出す展開の連続で、行きつく暇はありません。大友克洋の童夢の影響を受けた、という話ですが、「団地」という多様性が押し込められた特有の舞台設定も、今の時代だからこそより意味のあるものになっていたと思います。
ただ、監督がどこまで意図したのかは不明ですが、結果的に被害に被るのが移民の家の子供たちであったり、心の病の下に隠れたピュアさゆえにより「強力な力」に目覚めるアナの設定など、“イノセント”じゃない感情に心がザワつきます。
それら含めて、かなりの傑作だと思います。
"殺人"の定義
勿論、大人ならばそれは法律により厳しく律しられる事 しかし、未成年者に於いての殺人は一体どう定義づければいいのか? そんな究極且つ決して結論に到達できない問題を露出した作品である
まるでオモチャのように人の生死を扱うこと 同時に内面的な沸き立つ普遍性としての"被害者への共感性"を子供の時から備わっている事が前提に立つと、その扱いを盲目的に糾弾してしまうだろう 自分を苛める親、知り合い、そして否定的スタンス、それ以上に自分を攻撃する輩・・・ どうか消えて欲しい、そう願うのは通常の思考である そしてそんな鬱屈の中で、輝かしい可能性を発見する それが"超能力" 今風で言えば"チート"と置き換えられるだろう よく言われるのは親の教育、家庭環境、躾けといった、本来現在社会に於いて最低限学ぶべき教えや、それを補完する親子の愛情、安定した経済環境に於いて、そういった鬱屈は軽減されることであるとは一般的に流布されている そしてここで"果してそうだろうか?"なんて言葉に続けて例外的な概要を話し出すのが教育論としての出だしであるが、自分は教育者ではないので語る術はない そして多分、須く人間がその不完全さを甘受して、初めてその疑問は、矛盾を突破できるのであろうと、出来もしないことを神視点で語ることの愚かさをここに明示しておく 哲学者でも宗教家でもない自分がレビューできること それは、人間は進歩を続けることを弛まず、その恐怖に震え続けるのも又、人間であるという馬鹿馬鹿しさということ 秩序?枠組?安心?安全? それを超えるのは、今作のような"超能力"なんて解りやすい事象ではなく、もっと原始的な事かも知れない
トンでもない角度で打球が飛んでくるのは野球だけじゃないからねw
無垢ゆえに、残酷な世界
子供視点に一切の妥協がないのが心を打った。
●疲れ切った大人は無力で、保護化にある子供は頼り甘えてはいても大人の世界を一切信じていない。子供社会だけで世界を完結させている。
●大人たちに悪人はいない。どちらかといえば良識ある善人だ。しかし、不条理を止められないばかりか気づきさえしない。その描き方や捉え方がいい。
●登場する子供たちの描き方がリアルだ。弱者に対する冷徹とずるさ。最小限の言葉のやりとり。爪の先の汚れ。障害。リアルな現実はそのまま不幸を内包していることを感じる。
●超能力の描き方にセンスを感じる。派手に見せるのではなく、じりじりとした緊張感があり、さらに丁寧な見せ方だ。
●ラストの対決も素晴らしい。ここでも視点は徹底している。
平和で静かな日常で子供同士の殺し合いが行われ、大人は最後まで気づかない。
素晴らしい。
自分の子供時代を思い返せば、何不自由なく過ごしていても、たしかに世界の残酷は感じていた。世界は人の意志を超えてそもそも残酷なのだ。
基本ネタバレ無し。最終段のみチョットネタバレしてます。
ヨアキム・トリアー監督の「テルマ」「わたしは最悪。」の共同脚本で注目を詰めたノルウェーの鬼才エスキル・フォクト監督による長編監督2作目となるサイキック・スリラー。郊外の団地を舞台に、大人の目の届かないところで不思議な超能力を身に着けた子どもたちが、無垢ゆえの残虐性でその危険な遊びをエスカレートさせていくさまをリアルな筆致でスリリングに描き出します。
そんな超能力映画ではあるものの、ハリウッドのスーパーヒーロー映画のように、人が空を飛んだり、ビルを破壊したり、天変地異を引き起こしたりする描写は一切出てきません。それなのに、あらゆる場面に静謐かつ繊細な緊迫感がみなぎっている独創的なスリラーでした。
●あらすじ
ノルウェー郊外の団地。両親と引っ越してきた9歳の少女イーダ (ラーケル・レノーフ・フレットゥム)は、自閉症で言葉が話せない姉のアナ(アルヴア・ブリンスモ・ラームスタ)ばかり優遇されていると感じて不満を募らせていました。そんな時、不思議な能力を持つ少年ベン(サム・アシュラフ)と知り合い、仲良くなります。
一方アナは、離れている相手と意思疎通できる少女アイシャ(ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイム)と仲良くなっていくのです。
ベンは念じるだけで物を動かす力を、アイシャはアナとテレパシーで話す力を持っていました。
やがて4人は一緒に過ごすようになり、互いに自分たちの不思議な能力を磨き、次第に思い通りに使いこなせるようになって無邪気に戯れ合っていました。しかし次第にベンの「力」が暴走を始めだします。ベンが力を母親に向けたことから、悲劇が始まるのです。 さらにいじめられっ子のベンがそのパワーを悪用したことで、イーダらは危機的な事態に陥っていきます。
●サイキックスリラーというよりホラーに近い怖さ
子供たちが超能力で戦う物語は、SFやサイキックスリラーと呼ばれるジャンルですが、印象はホラーです。道徳観念に縛られず、純粋だが残酷で、無邪気さが一瞬で悪意に転じる子供の世界が怖いところ。
団地とその周辺が世界の全てで、大人のルールや概念は通用しません。戦いは善悪の彼岸で展開するのです。
好奇心に満ちた遊び盛りの子供にとって、念動力やテレパシーは魔法のようなもの。その半面、超能力は人を傷つける暴力にもなりうるものですが、まだ思春期に至らない4人には物事の正邪の区別がつかず、人知を超えたパワーを制御することもできません。「わたしは最悪。」で米アカデミー賞脚本賞にノミネートされたフォクト監督が探求を試みたテーマは、まさにそこにあったのです。
●隠されたテーマとして描かれる子供の変化と成長、未知なる“覚醒”
主人公のイーダは親の目を盗んで姉に意地悪したり、ミミズのような無力な生き物を踏み殺したりする女の子として登場します。彼女には悪意も敵意もありません。純真無垢であるがゆえの子供の残酷さの表れです。
フォクト監督は大人の目が届かない子供の生態をリアルに描きながら、4人のうち唯一超能力を持たないイーダが、ベンとの闘いの中で責任感や他者への思いやりに目覚めていく姿を映し出す。超能力をメタファーにして子供の変化と成長、未知なる“覚醒”の可能性を描いた作品でもあるのです。
●リアリズムに徹した演出
演出は北欧独特のリアリズムを継承しています。超能力での戦いもハリウッドのようにCGで派手には描かれません。すぐ近くにいる大人たちが気づかないほど地味なのです。それがかえって異様なまでの緊迫感を生んでくれました。
陽光きらめく団地や森の風景をカメラに収めつつ、不安定に揺らぐ子供の感情と、風のざわめき、水面の波紋などの自然現象を共振させた映像世界が胸騒ぎを誘うのです。
優れた撮影、音響効果に加え、子役たちの迫真の演技も特筆ものです。
ただ、猫を団地の高層階から突き落とすという動物虐待の直接的描写は不快でした。リアリズムのためのあえての描写で、実際に虐待しているわけでもないでしょうが、気持ちが萎えました。
●日本のマンガ作品にインスパイア
本作はフォクト監督が1990年代後半、大友監督の映画『AKIRA』に衝撃を受け、マンガを探して、その原型となったマンガ『童夢』に出会ったのです。なので巨大団地、子ども、超能力という舞台装置は、「童夢」とそっくり。
しかし激しいアクションが描かれた「童夢」と違い、画面は終始穏やか。それでも、団地が持つのっぺりした無機質な空間と、家族連れが和やかに遊ぶ温かみの双方を生かした演出がたくみです。空を飛んだり殴り合ったりはせず、戦いは平穏な日常の裏でひそかに繰り広げられます。アクションを抑制したからこそ、不穏な空気と迫り来る脅威を、ヒシヒシと感じさせてくれたのです。
フォクト監督はこう語ります。「爆発なんてやったら、いま氾濫しているスーパーヒーロー映画と似たものになってしまう。逆を行って、観客が息を殺して見入ってしまうスリラーを作りたかった。小さな石や葉っぱ1枚が震え、砂や水面がざわつく。子どもたちだけが気づき、見つめるミクロな世界。そこに、リアルと地続きのファンタジーがあるんだ」と。
●最後にチョットだけネタバレ(これからご覧になる人は読み飛ばしてください)
撮影監督は北欧で評価の高いシュトゥルラ・ブラント・グロブレン。子供たちの超能力対決を印象的に切り取りました。
アナとイーダ対ベンの最終決戦は、母親たちが買い物でいない午後に決行。ベンに操られると、母親も危険な存在になりかねないのです。背景の高層階のベランダから両者の対決を意味ありげに見下ろす子供たちも、正面と肩越しでしっかり押さえます。
両者池を挟んで向き合い、犬がほえ、砂が巻き上がり、赤ん坊が泣きごえをあげます。最後はブランコに座ったベンが邪気を送り、アナとイーダは手をつなぎ必死の防戦。姉妹の足元の砂が動き、緊迫感がマックスに描かれていくのです。
そしてどちらかがガックリと頭を垂れた瞬間、特撮がらみの引き画で遊具がバタバタ倒れ、どちらかの勝利を知らせるのです。そんな周囲の大人たちが知るよしもない子供どうしの真昼の念力合戦が撮られました。
猫が死んで犬も死ぬ
猫は元々テレパシーが使える女の子の飼い猫で、逃げ出したのを物を操れる男の子に見つけられ、尻尾を掴んで嫌がっているところを身動きが取れないよう拘束し、階段から落として骨折して逃げてうずくまっているところを頭を潰して殺します。
犬は死んでいるのを発見します。
しっかり怖い北欧スリラー
大友克洋「童夢」にインスパイア―ドされた北欧発のサイキックスリラー。
なんか面白そうだな、と軽い気持ちで観に行ったら、しっかり怖くて参ってしまった。
序盤に猫さん虐待シーンがあり、そこで心をへし折られながら残りの100分あまりをなんとか耐え抜いた。猫さん好きには閲覧注意作品である。
主人公をはじめとする4人の子供たちはそれぞれ生きづらさを抱えている者どうし。共感しあいながら仲良くなるも、目覚めた能力を使った遊びがエスカレートして、取り返しのつかない事態に陥っていく。大人たちに対する復讐めいた行動をとるのだろうとは予想していたが、まさか子供達どうしも殺し合いになろうとは…。分かってはいたけど、子供という生き物の無邪気な可愛さの中に潜む意地悪さ…残酷さって、本当に怖い。
ラストカットは残酷な遊びがまた連鎖していくように見えてならなかった。最強を証明した姉がその特性上ほとんど言葉を発しないがために色々と想像してしまうのだ。
「もうやめてくれと思ってもやめてくれない。
ずっと子供を怖いと思っていたけれど、やっぱり間違ってなかった。
この作品のお陰で、これから心置きなく子供を怖がれる。」
尾崎世界観のこのコメントに500万回イイねを押したくなった。
童夢は、1990年代にデヴィッド・リンチ監督により映画化される構想があったらしいが、それも観てみたかったな…。
Cruel
サイキックスリラーとか久しぶりに観るなーと思い劇場へ。この手のジャンル、好きなんですがDVDスルーになる事が多いので、劇場で観れてよかったです。
子供の小さな残虐性が集まって超能力と化し、悲惨な出来事に繋がっていく…という感じの静かな作品で、思い描いていたビームがドカーン!みたいな作品ではありませんでしたが、ヒューマンホラー的な視点で楽しむことができました。
主人公イーダの姉のアナが自閉症という設定、失礼な発言にはなってしまうんですが、どうしても行動の一つ一つにイライラしてしまったんですが、これが物語が進むに連れて、感情表現ができるようになったり、自分の意思を伝えれるようになってから、アナの成長がはっきりと分かるような見せ方になっていて良かったです。
マイナスな点では無いんですが、ベンが猫を屋上から突き落として、まだ生きてることを確認したら首を踏みつけて殺すのはかなり心にずしっときました。本物では無いのは分かってるんですが、これまたリアルに見えるので、猫が好きな人は要注意です。人並みに猫が好きな自分でも相当なダメージを食らったので…。
ベンがシリアルキラーの兆候があるのも興味深くて、猫を殺すのもそうなんですが、会話に応答しなかったり、すぐにキレたり、能力を使って母親を痛ぶったりなど、とにかく異常性が前面的に出ているのは差別化としてとても良かったと思います。しかも反省の態度はしっかり見せるので、嫌いになる一歩手前なキャラなのも不思議です。
最強モードになって人は操るわ、物は浮かすわ、遠隔操作で殺しを行うわのエグい祭りの様でした。その能力ををコピーしたアナがねじ伏せたのも静かな衝撃がありました。
終わり方がサッパリした感じだったのは続編への布石なのか、それともネタが尽きてしまったのか、団地の子供たちに超能力が備わっているのか、もう少し壮大な終わり方にしてくれたらなーとは思っちゃいました。
子役の子達の演技が本当に素晴らしく、ベンを演じたサム・アシュラフくんの大人と子供の狭間の表情を見せる演技には度肝を抜かれました。
それぞれの親の育て方、それぞれの子供の判断、現代的なテーマをベースにしつつも、ダークな雰囲気は澱むことなく、最初から最後まで保っていてとても良かったです。思っていたのと違うので少し評価は低くなりましたが、ダークなものをお求めな方にはオススメできる作品になっています。
鑑賞日 8/3
鑑賞時間 14:35〜16:40
座席 F-14
子ども恐っ
思っていたより残酷描写がリアルで恐かった。
恐くみせるのが上手で終始ハラハラしました。
子どもの曖昧な善悪の行為が上手く表現されていて、昔の自分の体験を思い出させてくれました。
無邪気、好奇心、うっぷん晴らしなど。
無垢なる邪気が蔓延している怖さに大人はビビります。
映画館で予告編やポスターを見てから興味が湧き、大友克洋のあの「童夢」からインスピレーションが湧いたとなれば俄然に観たくなるのは当然。
楽しみにしていた作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…ヤバい。こればヤバいぞ。
関西で観たから関西弁に直すとアカンやつですわ。
ポスターからして妖しさプンプン。
ノルウェーを舞台にしているだけで怪しい雰囲気が漂うのに終始ヒタヒタと妖しくもそこはかとない儚さが同居していてヒヤッとする。
サイキックスリラーと言う括りにはなるけどサイキックスリラーと言うとなんか薄っぺらく感じるけど、まさしくその通り。
大友作品には数多くのクリエイターが影響を受けてるがこの作品はきっちりとその感化を昇華している。
北欧のスリラー系作品と言えば、近年では「ミッドサマー」が代表格で「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「ギルティ」なんかがありますが、怪しくも美しくそこはかとない冷たさが漂うようなイメージ。
決して派手ではないけど淡々と怖さを醸し出しているのが癖になるんですよね。
他の人の感想でも言われているが無邪気な悪意と言うか無垢なる邪気がある意味「無邪気」で物凄く怖い。
悪意無き悪意と言うのは大人の世界でよく言われる自身の正義を振りかざした行為になるが無垢なる邪気は純粋だけにタチが悪いし、ストレート。
この無垢なる邪気と言う表現がホントピッタリです。
またメインとなる子供達の演技も抜群で4人がそれぞれにキャラが確りと立っていて、配分も絶妙。
特に自閉症のアナ役の女の子の演技はめちゃくちゃ良い感じです♪
イーダ役の女の子を見たときに2000年に公開され話題となった「ロッタちゃん はじめてのおつかい」を思い出した。…あっ!?あの作品も北欧映画だわw
猫のシーンは正直踏み込み過ぎな感があるけど、ここから一気に無垢なる邪気感が浸透していく。
猫好きには目を(耳を)覆いたくなると思うけど、このシーンをよくぞ入れたと思います。
個人的には「異端の鳥」を思い出した。
あの作品も賛否両論があるけど、観る側を刺激するフックポイントが設けられていて、それだけにとどまらない映像美があるので物凄く印象に残っているんですよね。
終始目が離せない怖さがあるんですが、ラスト手前の髭の男性がイーダ達父娘の後に続いて団地の中に入ろうとしたのはベンに操られていたからかと思うんですが、その後の回収が無いのでちょっと?が付くのが惜しい。
子供達の中に蔓延る特異な力が蔓延していき、それによって起こる様々な事件に大人が誰も気付かない。
それがまた日常的になっているのが怖いんですよね。
作品的にはM・ナイト・シャマラン監督なんかの作品に雰囲気が似通ってますが個人的には数段上。
シャマラン監督もこれぐらい抑えるところは抑えて、踏み込むところは踏み込んで欲しいですw
無邪気とは「ねじけた所の無く、素直でなんの悪気もないこと。 また、そのさま」と書かれてますが、この作品にはその意味合いを真逆ですが、違う意味で無垢なる邪気=無邪気な作品。
「童夢」や「ミッドサマー」が大好きな人なら絶対ハマると思うし、とにかく妖しい作品好きにもピッタリw
派手な演出を抑えた寡黙な怖さが秀でた作品でめちゃくちゃお薦めです♪
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