ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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病んでる人にはこれが現実?
ボーの憎めないキャラに引き込まれ一緒に旅してる気分に。不死身のように目が覚めるけど…もしかしたらどこかの時点で亡くなってる?
所々理解でき、その他はわからない。
長い冒険小説を読んでるようだった。
ボウのトラブル
まず、あわてて家のカギ盗難トラブル。
母の死トラブル
トラブル、トラブル、トラブル
女性に誘惑され、行為におよんだ。
行為後、女性が死んだトラブル。
女性もそういうことあるんだ。
母は生きていたトラブル。
ラスト、ボウの死トラブル。
どちらかと言うと
どこまでが現実で どこからが妄想かわからない物語
私は全部が誇張もされていない現実なんじゃないかなと感じました
私の両親は健在なんですが、途中死んだらどうしようと怖くなり 終盤の展開は救いでした
主人公は病んでヨタってますが、常に社会性を持ち合わせていて善良で。少なくとも、自分のことしか考えてないのに自分より他人を優先しています。見習わなければ...
臆病なことは罪なのでしょうか?劇中 彼が心配する不安な予測を嘲笑うかのように、常に予測不能な災難が降りかかります。不条理と言えばそれまでなのですが、よく考えたら世の中なんてそんなもん。罰でもなんでもないはずです
自分を責めることと 後悔と反省は別なもので。映画を通して主人公がとった行動の一つ一つは誰も責められないものでした
そう考えると。誰しも もし人生を何回やり直せたとしても同じ選択や同じ決断を何度もして、結局今と同じ自分になる。それが結局ベストだったと気がつくんじゃないかとこの映画を観て思いました
おばけやしき
次から次へと色々なことが起こり、ある意味ライドのようでした。
理解不能なことが多かったのですが、細かいことは、気にしないで良い映画なのかなと思います。(奥が深いのかもしれませんが、わたしには分かりませんでした。)
これは、ホラーというよりは、コメディと思うと、楽しかったような気もします…
他人の夢
眠っている他人の脳ミソをぐちゃぐちゃに搔きまわしながら潜り込んで、
その脳ミソが見ている夢の中を当て所なく彷徨っているような感覚でした。
出口がなく、他の入り口も見えず、
混沌の中を流され続ける。
それはラストシーンまで続きます。
その感覚は、遠い昔に桂枝雀主演の「ドグラ・マグラ」を観た時とそっくりです。
すっかり忘れていたのに、鑑賞後鮮明に思い出しました。
我が人生の中で、「ドグラ・マグラ」と「ボーはおそれている」は、
双頭のトンデモ映画になりました。
これが商業映画として成立しているのは本当に驚きです。
ホアキン・フェニックスの演技がなければ、星ゼロでした。
そう言えば、子供の頃にこんな夢を見ました。
学校から帰ったら家の中に誰もいなくて、
その後天井裏を覗いたら、
天井裏に母親の抜け殻がビッシリ隙間なく列んでいた。
びっくりして天井裏から降りたら、
母親が立って無表情でこちらを見ていた。。。
もしかしたら、今はこの映画を受け入れられなくても、
そのうち受け入れることになるのかもしれませんね。
これは傑作だった。
アリ・アスター × ホアキン・フェニックス
突然怪死した母のもとへ帰省しようとする(たぶん自分のように不安障害を患う)ボーの旅。妄想ともとれる非現実的で奇妙な出来事が次から次へとおきてなかなか先に進めない。車で6時間の道のりが壮大な旅となった。
ボーが精神を病んだ妄想野郎であることは間違いなし。自業自得なグダグダ感が好きだった。心地良すぎてずっと観ていたかった。長尺を覚悟して臨んだけど、あっという間に終盤へ。
そう、空気を変える思いのほかシビアなクライマックス。ダメダメな自分は最後までユルユルでいって欲しかったけど、ダメダメなボーが糾弾されるのもやむを得ず。
何はともあれ今年のベストの一本だろう。
不思議な展開と取り返しのつかない結末
序盤の展開は、自分も遭遇したら困るだろうな、というものであった。次の展開は、何か変だな、という感じだった。その次は、不思議な世界になっていき、序盤の謎解きにつながりを感じた。終盤は、二重のどっきりがあり、言い訳したいところもあったが、結末は取り返しがつかなかった。
「ボーはおそれている」は悪夢のような映画だった
良い意味で悪夢みたいな映画だった。3時間の長丁場。
相当に人は選ぶ作品だと思うが、自分は良かった。
# 夢が現実か
世の中には、夢が現実か分からない映画というのは他にもある。
大抵の場合、まずは現実が舞台だと思わせておいて、途中から「これは夢ではないか?」と思わせる演出が段々と散りばめられ、後半に何が夢で現実かの区分けが明らかにされる。
この映画は逆だ。まず最初にまるで夢かのような出来事が繰り広げられ、それが「夢ではなく現実であること」のサインが突きつけられるのだ。
観客はずっと「何が夢で現実なのか」「どんな秘密が隠されているのか」「真実は何なのか」と揺り動かされることになる。
# カフカ
まるでカフカの小説の「変身」や「城」のように何をどこまで進んでも真実が分からず、永遠に彷徨い続ける。
# スラム街
ボーはスラム街に住んでいる。
その街でボーは走りながら自宅のドアを開く。何故ならそうしないと、わずかな瞬間に一緒に住居に侵入しようとするジャンキーがいるのだ。何故彼の自宅が狙われているのかは不明だ。
# スラム街の無関心
街の治安は荒れ果てており、人が人を襲って血まみれにしてきても誰も助けもしない。無関心が行き着くところまで行ってしまっている。
ボーが家を出た隙に、街の住人たちはボーの家にその大勢が押し寄せる。そしてボーの家をパーティー会場にしてボーは家から閉め出されるのだ。
こうやって文章に書くと浮世離れしている気がするが、映画を観ながらだと何が現実なのかが分からなくなる。
# 妄想と現実
「恐らく現実の一部分がボーの妄想なのではないか」と思わせはするものの、その区分けは巧妙に隠されていて分からない。
たとえば一夜明けて悪い夢から醒めるかと思いきや、そこにはパーティーの後の散らかされた部屋がそのまま残っており「それが現実だったこと」のサインが示されるのだ。
かと思えば風呂の天井には何故か太った弟が張り付いており、耐えきれずに落ちてきたりする。
精神疾病でせん妄という症状は本当に現実感があり、現実と幻覚の区別が付かないらしいが、この映画でもリアルとアンリアルを見分ける材料は巧妙に観客から隠されているのだ。
# セラピスト
ボーはスラム街に住んでいるにもかかわらず、セラピストにかかっている。どこからそのお金が出てくるのだろう。
海外映画ではセラピストを揶揄するような作品が多い。この映画でもいかにも信用ならなさそうなセラピストが出てきてボーにカウンセリングをする。
主に母と子の関係についてだ。
母の死母が死に、ボーは葬儀に参列しようと旅をすることになる。
# 様々な謎
なぜボーはスラム街に住んでいるのか?
なぜスラム街の住人たちはボーの家に押しかけようとするのか?
なぜボーは録画されていたのか?
なぜ録画内容に未来が映り込んでいたのか?
ボー保護した夫婦の目的は何なのか?
ボーの父親は誰だったのか?
# 真実は?
遂に真実が明かされるかと思いきや、明かされない。真実の次に妄想、夢、現実、そしてまた真実、いやこれは違う…。
マイナーな劇団の芸術みたいに自分は実際に見たことはないが「マイナーな劇団が素人には難解すぎる劇を演じる」というようなシーンがたまに他の映画に出てくる。
その難解さを素人臭いままにせずに、究極まで突き詰めるとこんな映画になるのだなと思った。
# ポップコーン男
今日の映画館では近くの男が規則正しくポップコーンを食べていた。
カップの中をゴソゴソ…ゴソゴソ…パクッ…クシャク…。これを映画の最初から最後まで繰り返すのだ。なんと律儀な。
ポップコーンは音が出にくいからこそ映画館のスナックとして選ばれていると思うのだが、食べ方によってはやはり音が出る。
長い
ホアキン・フェニックスが主演ということとこの作品のタイトルのこの二点だけに惹かれて映画館へ
どんな映画なのだろうとワクワクしながら観ておりました
えっ?? ??ん?…… ?んーん??……
何だこれ
見始めて1時間ほどでやっと何とか分かってきました
「常識に囚われていてはダメだ、映画の世界は何でもアリなのだから、裸のランチだってそうだったじゃないか」
などと説得力のない言い訳を自分に言いながら見続けていたら新たな問題が発生
な、長い、かなり長い
ボウの恐怖の妄想なのか何なのか分からないものをいつ終わるかも分からないまま見続けるこの刑はなんなのだ
これはかなり重い刑罰ではないたまろうか
しかし意外と見てしまう、訳も意味も分からないけど見てしまうのだ
この手の作品は知っていたらまず見な、絶対スルーなのだが見入ってしまってる
でももう二度とは見ないぞ、しかし今はとにかく気になる
ボウはどうなってしまうのだ
それにしても私はいったい何の映画を見ているのだろうか
やっぱり……
ミッドサマーでダメだったので
今回はどうかな?と期待を持ちつつ観てきましたが、やっぱり無理でした。ごめんなさい🙏
言いたいことは少しは分かる気がします。
ですが、表現方法がトリッキー過ぎてて、硬い頭の私には理解出来ない事ばかりでした💦
あと長時間なのも途中で疲れてしまって、集中力が欠けてしまったかなー!
ボートでいくら逃げてもママの掌
毎日新聞の映画評が好意的でキネマ旬報の星取り評が良かったので騙されて観てしまった。いくら前作の「ミッドサマー」がヒットしたからといってこの手の監督にやりたい放題やらせてはいけないとつくづく思う。極度の被害妄想マザコン中年男は逃げても逃げてもお釈迦様(ママ)の掌のうちでありましたということなのだろうか3時間この出鱈目な世界に付き合っているのは映画的楽しさをとっくに通り越して辛いですもう勘弁してください(特に第3幕の森の中の演劇パート)。監督のアリ・アスターいわく「みんながどん底気分になればいい、居心地の悪い思いをしてほしいと思って作った」とは何たることだろう!オーマイガー!でもそんなこと言われれば恐いもの見たさの心理が働いてしまうのだからそれこそ人間の心理は恐ろしい。映画は確かにルールもお手本もなく自由っちゃ自由、しかしプロデューサーはもうちょっと興業のことを考えてもいいんではないか?「せめて2時間半にしろよ」とか。それにしてもエンディングで隠されていた「父親」の真実の姿があらわになるシーンの衝撃ったらありゃしない。エンドロール(そもそもロールしない!)に音楽が一切なくラストカットを延々引っ張って現場ノイズだけで押しまくった画期的幕切れは昨今のエンディング音楽偏重へのアンチテーゼでちょっと感心した。
最悪な妄想旅
母親が亡くなったことを知り、家に帰ろうとするが夢か現実かもわからない様々なトラブルに巻き込まれ、なかなか辿り着けない最悪の旅を描く。
極度な不安症で精神科にかかるボー(ホアキン・フェニックス)は最悪な日々を送っていたが、母親が住む実家に飛行機で帰ろうとするが、トラブルに巻き込まれ出発できないでいると、母親が急死したと聞かされ、慌てて帰ろうと家を飛び出す。
帰ろうにも帰れない奇妙奇天烈な旅路を4章仕立ての3時間の長尺で描く映画。
1章で登場する危険地域にある自宅の世界観があまりにも現実離れし作られた世界なのでこれは不安症の妄想世界で、現実と妄想を行き来する展開なのかと予測したが、
そのまま、夢かうつつかわからないまま物語はどんどん深みにはまっていくのだ。
2章、3章と世界観が一変するので飽きることはない。
ただ、何を言いたいのか考察し始めると難解すぎて、3時間は疲れてしまうだろう。
ここは考えるのを放棄し、イマジネーションの炸裂する映像世界をただ堪能するのが正解かもしれない。
とんでもない、最悪な旅を体現するホアキン・フェニックスの演技がなければこの映画は成立しなかったのではないか。
母親と息子の関係、血のつながり、献身的に育てた事の見返りは求められるのかとか、家族のつながりがテーマなのかとも思う。
ハマらなかった
大好物のアリ・アスター。
なのに、初めて寝てしまった…。
夢か現実か妄想か、を3時間は辛い。
私がハマらなかっただけで、演技やCGなどの演出技術は素晴らしいから
ストーリー1点+演出技術1点=2点
という点数付けも失礼とは思うものの、、、
むむむむむむむむむ。
点数付けって難しい。
新たなバディの誕生か。
日曜日のお昼に満席。アリアスター監督ってこんなに人気あるんだと嬉しくなり着席。
冒頭からぶっ飛んだシーンに引き込まれたけど、森のシーンで小休止笑 最後は母親と仲直りかと思ったら、予定調和を外す展開で終わり。後味の悪さは相変わらずです。
不安症のボウをホアキンが熱演。スコセッシ✖️ディカプリオよろしく、アリアスターとの相性は抜群で新たなバディが生まれたことを確信しました。
今回は新たにホラーコメディ?に挑戦。アリアスターの進化も感じられた一本でした。
次は恋愛ものとか作ってくると嬉しいな。一筋縄ではいかない作品になるだろうけど。
弱さは罪か?正義なのか?
人を選ぶ作品だと思います。
私にとっては不快で、終始こころの中が嫌な気持ちで一杯になる作品でした。
主人公が苦労しているのはわかりました。
長時間視聴するのは苦痛でしかなかった。ということを、観客が感じるために作った作品であるならば、素晴らしい完成度です。
健常者(?)から主人公を見た時は、どんなシチュエーションになるのかな?と思って見ていましたが、結局わからず。
主人公側の人達もそう感じているのかな?と考えてみたり。
最初の方は、コメディと思って見ると楽しかったです。
エディプスコンプレックス/去勢
寝不足だったのもあってか、「これはリアルか?それとも虚構か?」と意識を朦朧とさせながら鑑賞した。
なるほど『ボーは恐れている』では、何気ない日常のなかで私たちが想像しうる最悪の事態の結果が実際に起こる。ボーの不安障害からくる空想がすべて現実のものとしてボーに恐怖を与えるという意味で、この邦題なのか。
ボーの母親は、彼の祖母から随分酷い扱いを受けたと語っていたが、やはり生育歴は認知に大きく影響を与えるようで、ボーの母親の母性はかなり歪んでいる。ボーが幼い頃に母親の思い通りに行動しなかったのは、恐らく発達の遅れのせいだろう。ボーは、悪いやつではないと思うので、ただただ不憫におもう。
最初のカットが母親のお腹の中から始まるのは、ボーと母親がいかにエディプス的繋がり、同一状態にあるかを端的に提示するためだろうか。そして、ボーの分身と共に、父親が天井裏に閉じ込められてしまうのは、本来克服しなくてはならない父親からの逃避を意味するのかもしれない。天井裏に男性器のような形をしたモンスターがいたのは、はるか昔に閉じ込めた父親の象徴が永年の時を経て醜く肥大化した超自我?を意味するのかも?
さすがに無理がありますかね^^;
トンデモ級の里帰り
「ヘレディタリー継承」ではチャーリーの顔力に圧倒され、「ミッドサマー」では身勝手なカルト村に拒否反応が出て本作も観る前から身構えてしまいました。
が、所々笑える場面もあり(バスタブでボウとおじさんが回転していたのは最高でした笑)、作品を楽しむというより、アリ・アスターの世界を楽しんだ感じでした。
原案、脚本もアリ・アスターがやっているなんて
脳内どうなっているんでしょうかね…笑
劇中で流れたヴァネッサ・カールトンの「Thousand miles」は実家までの道のりを語っているようで笑えたし、ベッドシーンのマライア・キャリーも作風にはマッチしてなくて逆にそこが個人的には良かったですね。
序盤で怒った母親に手を引かれて連れていかれる男の子がいましたが、遊んでいた模型のボートが横転していてラストシーンと何だかシンクロしました。(真意は分かりませんが…)
なんだかんだで次回作も観てしまうと思います。
母と息子のアリ・アスター節の話‼️
良い評価をされてなく、期待しないで鑑賞。
これが、面白く、長い尺に関わらず飽きる事なく鑑賞。
聖人と狂人を演じて来た、ホアキン・フェニックスじゃないと成立しない‼️
アリ・アスターは天才かも?
どれが現実?
メンタルがおかしいのか、単に怖がりなのか、妄想癖がひどいだけなのか、
何が何だかよくわからない主人公がボーという男性。
母の突然死?のあと、亡き母の葬儀のために実家に帰ろうとするも
次々起こる異常な事態、そして光景。
どれが現実なのか、どこまでが妄想なのか、単に不安になっているだけなのか、
それとも悪夢なのか。。。
そして、これは過剰な母の愛、そして子との衝突なのか。
最後の最後までわからなかった。
年末に観たナポレオン、以前観たジョーカー、
同じ俳優さんですよね笑
3時間もあるのに、ただただ長い。
そして、珍しく途中寝落ちした。(10分ほどだが。。。。)
どう解釈したらよいのかさっぱりわからない映画でした。
全220件中、21~40件目を表示