落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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愛の欠落
タイトルはオットー・プレミンジャー監督『ANATOMY OF A MURDER(邦題;或る殺人)』からの引用だろう。ジェームス・スチュアート扮する弁護士が、女房を寝とった酒場の主人を殺した軍人の無罪を勝ち取るお話だ。売れっ子作家の女房サンドラが同じく作家の旦那サミュエルを殺したのか、はたまた単なる自殺だったのか、を問うリーガルミステリーという点は共通している。さらにいうと、容疑者が真っ黒にも関わらずそれとは逆の判決が下るというオチもおんなじだ。
しかし、2023年のパルムドールに輝いた本作の場合、事実はどうだったのかが最後まではっきりとはわからない。単なるミステリーとは明らかに異なった余韻を漂わせて終幕するのである。劇中ちゃんと回想シーンが出てくるじゃないか、とおっしゃる方がいるのかもしれないが、監督のジュスティーネ・トリエに言わせるとあれは事実に基づいた回想ではなく、登場人物たちの(曖昧な)記憶らしい。女流作家サンドラ(サンドラ・ヒュラー)の弁護士がこんな台詞を言うのだ。「事実はどうでもいい、周りがどう思うのかが重要なのだ」
この監督の映画を観るのは今回初なのだが、トリエの近作のシナリオは、ほとんど同じ映画監督でトリエのパートナーでもあるアルチュール・アラリとの共同執筆で仕上げているらしい。まさに本が書けずに鬱になっていた(らしい)旦那のサミュエルとサンドラの夫婦とほぼ同じ関係にあるのである。因みに本作の役名とそれを演じる役者の芸名もほぼ同一で、虚構と現実(イメージと事実)を曖昧にぼかす演出効果を狙っているのだろう。
この後、サミュエルが落下した時についた血痕分析、フランス人とドイツ人の経済格差婚問題、サンドラの性癖(バイセクシャル)、ひいては事件が起きていた時に夫が大音量でかけていたインストルメンタルに男尊女卑の意図が隠されているとかいう事件には直接関係ないジェンダー問題まで飛び出し、そのたびに陪審員並びに観客は、やっぱ有罪じゃね、いや自殺だろ、などと監督トリエのイメージ操作によりコロコロと意見を変えさせられていることに気がつくのである。
自分には優しかった父ちゃんの無念は痛いほどわかるのだけれど、問題は起こった事実よりも目の見えない僕にとって今何が必要かってことなんだ。アルベニスのスペイン組曲アストゥリアスを力奏し革命を起こす気満々だったダニエルだが、いつの間にかショパンの葬儀曲に使われたプレリュード第4番を割って入ったサンドラに弾かされてしまうのだ。お父さんの自殺を素直に認めなさいと。初めから誰がこの家のBOSSかってことを最もよく理解していたのは、本作で堂々のパルムドッグ賞に輝いたボーダーコリーのスヌープ(本名メッシ)だったというわけなのだ。
この感覚は、そう、HUNTER×HUNTERを読んでる気分!
一つの事件にフォーカスして150分描かれる。
法廷シーンはかなりのセリフ量かつ、長時間であるが、そこに夢中になれるかが、大きな分かれ目となる。
まるで、漫画であるのに大量の文字で心理戦と駆け引きが描かれるHUNTER×HUNTERを読んでいるような感覚でなった。
自分は大好きであるので、一言一句漏らさず聞こうと集中して観ることができた。
その心理戦もさることながら、夫婦関係、セクシャリティ、障がい、親子愛など、さまざまな要素が組み込まれながら、観客自身が陪審員のように揺れ動きながら体験できるのが新鮮であった。
法定内のカメラワークも覗き込む視点で、惹き込まれる。
裁判というものは、論理的でありながら、人が判断する以上、感情に左右されるものだと痛感する。(少なくともこの作品では)
真実はどうかはわからないが、いささかキャラクターが立ちすぎているがために、意外性というものは少なく感じた。
とはいえ、さすがの俳優陣の演技で、評価されるのも納得の一作。
にしても、邦題が直訳でも日本語的にハテナで、どれくらい観たいと思えるのか。こういうときにお得意の意訳を使ったほうがいい。
脚本は監督とパートナーの共同執筆
ちょっと違った法廷もの
「犯人は妻か」の真相を解き明かす法廷ものではなくて、一つの家族のドラマでした
思っていたのと違ったけど、主人公サンドラ演じるザンドラ・ヒュラーと子役の男の子、この2人の演技がすごかったと思います
自分も裁判に参加しているような気持ちでいろんな証言や検察の言い分を聞きながら進むストーリー
物的証拠が出るわけじゃなくて、出てくるのは状況証拠ばかり
だからザンドラも怪しく感じるし、息子の証言も本当の事なのかと疑ったり、みんなが自分の思惑通りに裁判を進めようとしているように思えて真相は何なのかラストまでずっと考えていたけど、そういう終わり方なのか…でした
この作品にはあの終わり方が良かったようにも思います
ストーリーには全然関係ないけど、やっぱり子供にとって両親が仲良いのが一番だとつくづく思いました
息子さんの今後が心配になった。
題名が「落下の解剖学」とか・・・大変意味深長に感じましたので、当初医学的な見地から真実に辿りつくミステリかと思いました。
しかし、検死のシーンなどあったもののそこに言及するのはほんのわずかで、殺人事件の法廷シーンを軸とした家族ドラマ、人間ドラマがメインの構成です。
殺人の容疑がかけられた女性作家が、自身の無実を証明するために、旧知の(元恋人?)の敏腕弁護士と共に法廷で戦いますが、自殺、他殺のライン・・・いずれも決定的な物的証拠はなく状況証拠を積み上げていくしかない状況。また、被害者の第一発見者である息子は事故で視神経に障害があり、かつ彼の証言も現場検証時に矛盾してることなど決定打に欠けます。日本の法廷じゃ物的証拠に乏しいから推定無罪だろうけど、フランス司法はどうなんでしょか?
法廷闘争が進むにつれ検察側は夫婦間のいざこざや女性作家のスキャンダラスな一面をクローズアップし彼女を有罪にしようと画策します。息子さんは母親の隠された事実に直面し、ショックを受け絶望しますが・・・という話。
この映画において観客が求めてるのは真実であって裁判の結果じゃあないのは言うまでもないのです。
しかし真実をあえて「ハッキリさせない」ことで観客の各個人的な検証や憶測を創出させ、作品にある種の余韻を持たすことにはまあ成功してると思います。
ただちょっと気になる点が。息子さん、何か・・・(優れた聴覚記憶で)認知しながらも母親が裁判で不利にならぬ様に「何かしら隠蔽」してませんでしたかね?
彼の今後のメンタル面がとても心配になりました。
まあ、これこそ私の憶測に過ぎないのだけれども(笑)。
真実は観る側に委ねられる
フランスの山間部に住むある家族に起こる事件と、その事件の裁判を介して、この家族の関係性を浮き彫りにする作品。
冒頭、爆音で鳴り響くラテン音楽(恐らくクンビア?)とフランスの山々との不思議なコントラストが印象的だった。因みに個人的にはこの音楽は好みだったが(夫とは趣味が合う!)、作中の奥さんには嫌がらせと受け取られるほど大変苦痛だったようだ。
音楽が流れている間、弱視の息子は盲導犬と一緒に雪溶けの山道へ散歩に出かけるが、帰ってみると父親が血を流して倒れている。この、散歩帰りの息子の足下から盲導犬が遺体へ駆け寄るまでのパンが、何とも素晴らしいシーンだった。
本作については、最初は典型的な謎解きミステリーと認識されるよう、ある種確信犯的に作り手にミスリードされる構成となっていると感じた。(雪山→死体→アリバイ工作→謎解き→ドーパミンじゅわ〜のお決まりパターンを想像してしまったが、それも観る側の先入観だと思い知らされる。因みに私は、映画と音楽さへあれば、アスピリンもエスシタロプラムも不要な人間です…)
中盤から後半に掛けては、法廷シーンが続くが、ある音声証拠をきっかけに、その前後でこの夫婦に対する見え方が大きく変わってしまう。
エンディングで判決が出るが、真相は観る側に委ねられるといった構成で、モヤっとしたまま終了。
個人的感想は、真相は判決とは異なると思う。途中、弱視の息子は当初の証言を変えるが、視覚が奪われた人間は、逆に聴覚や触覚、その他の感覚が研ぎ澄まされるというが、息子の当初の発言は「勘違い」では無かったと思う。
この作品は、謎解きを目的としているのではなく、家族の関係性、特に夫婦関係と母子関係を描いていると思う。それから、真相が不明な事柄は、社会のシステムとして裁判により裁かれるが、判決は必ずしも真実と同じとは限らない様を描いていると感じた。ただ、作品の構成は特徴的だけど、テーマ性としては特に目新しいものでは無く、描かれ方も目を見張るような印象的な表現は無かった。結果、個人的にはそこまで惹き込まれる内容では無かった。
本作の比較対象として思い出したのは、昨年に見た「ザリガニの鳴くところ」、それから、昨年のカンヌ映画祭の審査員長も務めたリューベン・オストルンド監督の「フレンチアルプスで起きたこと」。前者は法廷ものとして、後者は家族における夫や父のあり方をブラックジョーク満載で自虐的に描いているが、テーマ性では本作に通じると思う。
追記:
夫が爆音で掛けていた音楽だが、調べてみるとドイツのスチールパン・ファンクバンド Bacao Rhythm & Steel Band(日本でいうところのリトルテンポみたいなバンドかな?) がラッパー50cent の PIMPという楽曲をカバーした音源のようですね(法廷でも言及されていた気がするが、理解できていなかったw)。てっきりクンビアか何かかと思ったのだけど、何れにせよ嫌いじゃない音楽だったからさっそくAmazon music でダウンロードしてしまった。爆音で流さないようにだけ気を付けたい。。。
神経がすり減る感じがした
本作、何が評価されているのか全く理解できなかった
何を信じるか選ぶ時、どうするか
カンヌやアカデミー賞など、各賞レースを席巻中で大注目のヒューマンサスペンス。
真実を求める「謎解き」ではなく、人間の多面性や、信じること選ぶための要素、事実と想像の曖昧さなど、人の感情の複雑さや人間の多面性を目の当たりにし、なんともスッキリしない作品でございました。(褒めてます)
不審死した夫の妻が被疑者となるなかで、キーパーソンになるのは視覚障害を持つ息子。彼の目が見つめる先にある、以前は揺るぎない信頼と愛情でしかなかったものが、様々な姿を見せることで心が揺さぶられ自分でも分からなくなっていく様が見事。愛犬スヌープを演じたメッシ君の最高の演技と共に、とても印象に残りました。
ラストの余白もまた良き。
観たあと感想を聞いたり言い合ったりするのもまた楽しいタイプの作品なので、これからの反芻も楽しみです。
作中の息子さん、こんなの一生背負うよね
家族を心から理解して、心から愛してると言えるか
真実とは何か(否定できないことは可能であること)
2023年。ジュスティーヌ・トリエ監督。フランス高地に住んでいる大学講師の夫、ベストセラー作家の妻、そして視覚に障害を持っている息子。ある日、夫が転落死してしまうが、調べるうちに他殺の可能性が出てきて、妻が逮捕されてしまう。自殺か他殺かをめぐる裁判に息子が巻き込まれていき、という話。
謎が解決されたり嘘が暴かれてりして真実が明らかになるということではなく、そもそも事故または自殺では納得がいく物語にならないために、そこに人の作為(殺人)の可能性を浮かび上がらせようとすると、否定できないことは可能である、という論法によってなにもかもが疑わしくなっていく。客観的な納得を求める法的な枠組みによって「動機」が探られ、可能性や思惑によって作り上げられ、当事者を混乱させていく。すごいのは、それに対して被告の妻が真実を盾にして戦うのではないことだ。当たり前だが死んだ人間の自殺の動機などわかりようがないので、私がやったのではないと言い募る以外に道はない。むしろ、自分に有利なことをでっち上げようとはしない倫理観を貫いており、真実は夫の自殺なのだろうなと観客に思わせるのもこの倫理観だ。思わせるだけで決定としては提示されないが。
「真実はわからない系」といえば黒澤明「藪の中」という名作があるのでどうしても比較したくなるが、とりあえず、あちらでは関係者それぞれのエゴで意図的に真実が隠されており、最終的にはすべてが暴露されてより高位のヒューマニズムによって乗り越えられている。それに対して、こちらでは真実は意図とは関係なく不明のままであり、それが乗り越えられることはない。
何かの動物に似てない人は信用しない
そんな事まで明かされるのかよ
検察側の追及は容赦ない。そんな事まで明かされるのかよ。弁護側は真実はどうでも良くて陪審員への心象を良くするんだってちょっと厳しい戦いなんじゃない。
ドイツ人とフランス人がロンドンで出会って彼の故郷のフランスでの生活を選ぶ。ドイツ人の彼女は母国語を話す事がなくなり英語で暮らすも裁判では仏語で話す事を要求される。
作家としてヒット作を出した彼女と、その作品は俺のアイデアだったと卑屈になって行く彼。
二人の生活がすれ違って行く。でも言ってみれば当たり前でそれを乗り越えて行くのが人生だとも言えるんだけどなあ。
自分の時間って何だろう?料理したり掃除したり洗濯したり子育てしたり生活の全てが生きると言う事じゃないの。確かに彼女は好きなように過ごしているかもしれないけど、それは家庭内であっても隣の芝生が青く見えるだけかもしれない。
そんな風に思うとどちらにしても動機が弱い。
でももし周囲に彼女への疑惑を抱かせる為に彼が故意にふっかけて録音をしたのだと考えるとまた違った解釈が出来るわね。
そしてラストシーンで彼女に寄り添った犬(スヌープ)は何を知っているの?何を依頼されたの?
「ザリガニの鳴くところ」では無罪判決に「よっしゃー」と思ったけど今作はそうなりませんでした。
主演女優の演技力を観る映画だった。
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