落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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スヌープ
カンヌで高評価を得てアカデミー賞に殴り込んで来た期待の作品、朝イチ目をこすりながら観に行きましたがかなり混んでて前目の席での鑑賞に。でもミニシアターは前でも観やすいのが良いなと改めて思った次第です。
ミステリーがメインなのかなと思っていましたが、基本は法廷劇がメインで、そこに家族の物語が加えられているという構成で、思っていたのとは違いましたがすぐに頭を切り替えて観れましたが、それでも会話劇メインで進展があまり無いのは退屈だなと思ってしまいました。
突然自殺してしまった父親を見つけた息子と母親、母親に殺人の容疑がかけられ、裁判に向かう…といった感じの作品です。
法廷劇は思っていたよりも弁護・検事共に自由に動き回っていたので、フランスだとこういう感じなのかなと思いましたが、なんだか高度なレスバトルだなぁとSNS社会に生きる人間な感想がポロッと出てきました。
主題には添いつつも、お前は同性愛だーとか小説はこういう暗示をしているんだーとか結構めちゃくちゃ言い合ってて、でもそれが下品には見えなかったので、頭の良い人たちは言葉の選び方も上手いんやろなーと思いました(小並感)。
観客の視点は完全に傍聴員みたいな感じで、現場で一緒に裁判を聞いてるみたいな感覚になる体験型になっていたのはちょっと面白かったです。カメラワークがぎゅっと一人の人物に寄るのとかまさにそれだなと思いました。
父親の視点の方に寄って観ていたので、どうしても奥さんの行動にも身勝手なところがあるし、被害者ヅラしすぎじゃないか?とかなり疑いながら観ていました。
奥さん全く自分に非がないとアピールしているのもかなり嫌で、なんとかして奥さん有罪になってくれと思ってしまうくらいにはUSBの音声で印象がガラッと変わってしまいました。
それもあって裁判の決着は奥さんの勝利という形になってしまったのもなんだかなぁとモヤモヤしてしまいました。
息子がかなり怖い行動をしているのが一番印象に残っており、父親が苦しんでる理由は薬なんじゃと思ってワンコに飲ませるシーンはゾゾっとしました。子供ながらの探究心が故にやってしまった事とはいえ、実際に死ぬ間際までワンコがなっていたのを見ると、この子も判断力に相当問題があるのでは…と育てる環境で考えも色々変わるんだなと思いました。
今作の中で手放しに褒めちぎりたいのはスヌープを演じたワンコで、表情が豊かで苦しそうにしてるところなんかリアルすぎて胸が痛みました。今まで観てきた俳優ワンコの中でもピカイチのワンコでした。この子に助演賞をあげてやってください。
ワンコ以外はよくあるフランス映画に法廷劇を加えた感じなので、すごい映画なんだろうなとは思いつつ自分には合わなかったなぁという感じの作品でした。俳優陣がアカデミー賞を取るのは理解できるんですが、作品がそういう賞を取れるポテンシャルがあるかどうか…これはアカデミーの審査員たちに委ねるしかありません。
鑑賞日 2/29
鑑賞時間 9:35〜12:15
座席 B-2
味わい深い映画‼️
フランス法廷劇
予告だけ観て鑑賞、意図せずして良い法廷映画を引いた。
作中の「重要なのは事実ではなく、君が周りからどう見られるかだ」というような台詞、まさに参審制や陪審制の曖昧さを表現しているのかな。
後半に出てくる口論シーン、
あ、なんか旦那さん可哀想かも、いややっぱり奥さんが可哀想かも、いやでも、やっぱり……客観的に見ているつもりの自分の判断がいかに曖昧で主観的なものかを突きつけられる感じ、本当に嫌になる、上手い。
他の弁論シーンも同様、家族のストーリーを一部見せられている我々には検察官がめちゃくちゃ嫌な奴に見えるんだけど、傍聴席から聞いてみればむしろ馬鹿げた弁論を繰り広げているのは被告人側なのかも、客観性ってなんなのか…。
元々フランス映画の独特なテンポに苦手意識があったのだけれど、この作品を観て私が苦手なのはフランス語のテンポなのかもと思い直しました。
子供には
裁判の現場は辛いですよね。しかも、自分の親同士が原告と被告だと、何も良い面は無いですからね。でも、最後に自分の意思を自分の言葉で発言したのは偉いですね。大人でも中々できないでしょう。
アカデミー賞ノミネートがこれ…
宣伝ミス
恩と仇は紙一重
タイトルなし(ネタバレ)
2時間半緊張感が絶えない優れた法廷劇。母は父を殺したのか、それとも父は自殺したのか…「誰を信じるか」というよりは、「どちらの現実を受け入れるか」という選択の問題であるように思える。それは被告とされたヒロインの息子だけでなく、裁判自体にも、そして最後まで「真相」が明示されることないこの映画を見る我々にも当てはまる。犬の使い方がとても上手い…というか犬の演技が上手い。主演犬優賞があれば与えてあげたいほど。
法廷ものにありがちなラストではない
ケンカって双方の言い分を聞かないとどちらが悪いなんて判断できない。そもそもどちらかが一方的に悪いってこともあまりないように思える。しかも男女間の諍いなんていろんな事情や思いや今までの積み重ねが絡まった上で起こるんだから判断が難しい。
夫殺しの容疑で逮捕された妻の裁判を中心に描かれるこの映画。物的証拠と言えるのは遺体と血痕のみ。その科学的な分析は前半の方で議論されるが、あとは夫婦仲が悪かった、妻が夫を憎んでいたんだろうという印象や推測の話が法廷で飛び交うものだった。フランスの警察や検察はあれで大丈夫なんだろうか。クソほどに意地が悪いし、ついでに頭も悪かった。
最後の方でアッと驚く展開があるのかと思ったが、意外とあっさり終わっていった。ここらへんがフランス映画っぽい。ハリウッドならもう一波乱起こしていたはず。ただ、最後に犬のスヌープ(ラッパーからつけた名前?)の行動は何かを暗示しているような気がしてしまう。あんな仕草したのを初めて見せられたから。
でも、夫が亡くなった真相がどうなのかってことはメインに伝えたいものではないのだろう。あの法廷で責められるサンドラと、夫との諍いや周りの証言で家族の関係性が変容する様がメインのような気がした。男女間の諍いって本当に面倒だと感じる。上映時間が長いのにそれほど退屈にはならなかった(前半は少し退屈)。なかなかの秀作だと思う。
サスペンスではない
犯人は誰か?を追求するサスペンスではなく、あくまでヒューマンドラマでした。
夫殺しの嫌疑をかけられた妻の裁判が進むにつれて、破綻していた夫婦関係がじわじわと明るみに。
どちらが善か悪か、ではなく、夫も妻もそれぞれ言い分があるよね、というのがリアルでした。
グレーな人間模様をぐじぐじ掘り返していくこの感じ、是枝裕和監督の作風に通じるものがあり。
いかにも、カンヌが好みそう。
(わたしも好き)
主人公は訛りのある英語と仏語を話しますが、後半その設定の理由がわかり、なるほどと思いました。
こういう設定はヨーロッパ映画ならではで、面白い。
どんでん返しや複線のてんこ盛りに頼ることなく物語に引き込む、上質な語り口の作品
ジュスティーヌ・トリエ監督、サンドラ・フューラー主演の本作は、作中英語とフランス語が行き交う状況が示すように、フランスを舞台としたフランス映画です。だからこそなのか、トリエ監督の持ち味なのか、謎と衝撃的な展開がてんこ盛りになりがちなサスペンス映画とはまた一味違った展開、余韻が楽しめます。裏返せば、ジェットコースターのようなドキドキ、ハラハラな展開を期待すると、ちょっとあれっ、てなるかも。
物語の基本的な筋は、山荘から転落死したサミュエル(サミュエル・セイス)の死因が事故なのか他殺なのか、そしてその妻サンドラは無実なのか、を法廷闘争を通じて追及していく、というものです。この基本線が明確であるため、夫の死因に無罪を主張する妻の物語、として観通すことは当然可能だし、それでも十分面白いんですが、この件の背後には、仕事上の二人のいさかい、息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)の視覚障害の問題、サンドラの個人的な問題、果ては彼らの国籍の問題(サンドラはドイツ系、サミュエルはフランス系)などが浮かび上がってきます。
このように主筋を明確にして、一見わかりやすい物語に見せつつ、実際には様々な要素をそれとなく忍ばせているため、一度観通しても、再度見返したくなる魅力があります。派手さはなくとも間違いなく良質な作品なので、今回のアカデミー賞でどれだけ内容が評価を受けるのか、今からとても楽しみな作品です!
殺された理由
50CENT
真実は見えていたのか?
前情報なしで「ちょっと席埋まってるぞ」ってことで
観ました。
150分の裁判劇。
事件→え起訴される→裁判→証拠は?→待って息子→判決
観客は決定的証拠も見えない。
私は殺していないはず。
母は殺していないはず。
夫は死にたかったはず。
あえて見せない映画。
後半から少しずつ、見えてくる証拠。
イライラする自称デキる検事。
私たちは完全に傍聴者でした。
かわいくない
とても深みのある作品
評価4.3
ジュスティーヌ・トリエ新作のサスペンス。
と思って観たのですが、とても深みのあるヒューマンドラマでした。
ほぼ会話劇で、迫るようなカメラが印象深位です。
前半は緩く少し眠気さえも伴ったものの、裁判に入ってからの張り詰めた空気に引き寄せられました。
とてもリアリティのある作りで、先にあげたカメラもですがマイクも良かったです。
リップや吐息など細かい音を拾っていて、とても身近に感じられました。
またとても練られた脚本で、段々と明るみになっていく真相は見事でしたね。
それは事件そのものというよりも、その背景に隠れていた夫婦の秘密。
それが少しずつ露わになっていく様が実に見応えがありました。
主人公役のサンドラ・ヒュラーの芝居もすごい。
その表情からは犯行に関わっているのかいないのか、最後まで拭いきれない気持ちが付き纏ってました。
あとスヌープ役の犬。どうやったらそんな演技ができるか不思議すぎます。あれは天才レベルですね。
そして視覚障がいの少年ダニエル。
彼は最初からずっと物語の中心にいるのですが、常に影を落としていました。
間違い(嘘)の証言。
何度も差し込まれるひとりでピアノを弾く姿。
あれは、彼しか知り得ない真実に苦しんでいるように見えるんですよね。
ただそんな中でも、彼は自分で真実を決めました。
そうしてやっと二人が向き合うことができ、家族の再生の一歩となったのでしょう。
謎は謎のまま、とても深みのある作品でした。
自殺ってことで良いんじゃないの?
大音量で繰り返されるラテンミュージックの中行われるインタビュー。繰り返される客観性に乏しい主張を繰り返す法廷劇。そして視覚障害。
作品の主旨としては真実を明らかにするタイプのものとは、感覚的にも異なる。何だったんだ?という余韻に、きっと作品のユニークさがある。ほんやくコンニャクを使って犬の意見も聞いてみたい。
白黒決着は最初からついている上での不条理劇
こんな素材で映画が一本出来上がるなんて、驚きな程に会話中心の作劇、しかも舞台は山荘のような自宅と裁判所のみ、なのにこの緊張感を維持するところが凄く、カンヌでもアカデミー賞でも評価されるだけのことはある。なにしろ徹底的に人物にフォーカス、しかもドキュメンタリー調のカメラで、これはこれで映像としての映画がちゃんと成立している。タイトルが恐ろしいけれど、夫が事故死?した真相をこれでもかの粘着質で追及する。その過程ではあらいざらい事象を解剖するかのように暴いて行く、だから解剖学なのでしょう。
冒頭からの親子三人の日常の一コマが描かれるが、ここをぼんやり見てたら元も子もない。すべての発端がこの数分の映像に絡んでくる。で、雪中を散歩に出かけた息子と愛犬(老犬)が家へ戻り犬がすぐさま反応して父親の転落死で映画の幕が上がる。家族しかいないこんな山中で何故? と数多のサスペンス劇場では謎解きが始まるパターン通り、警察から弁護士と入れ代わり立ち代わり検証が始まるのもよくある展開。ただし、大きく異なるのは解くべきヒーローがここには不在だと言う事。ヒーローを主役としたエンターテイメントとは違いますよと明確にしている。
それでは何が主役と言えば、家族三人のこれまでの「わだかまり」を引きずり出し、その見えなかった実態こそが主役と言う事、だから解剖なんですね。であればこそ演ずる役者へのフォーカスは必須要件で、それを担うサンドラ・ヒュラーの演技にクオリティは委ねられる。彼女の演技から明々白々なのは。彼女は完全に「白」だと言う事。図らずも被疑者扱いに陥ったとしても、その困惑と冷静な所作にミリ単位たりとも疑念の余地はない、監督も主演もそのように演じたはず。さて、裁判の行方は・・・、なんて煽る類の映画ではないのです。どんなに不利な状況が暴かれようと、してない事をしていたと誤認されようと、それを跳ね除ける真実の所在を信じている強さこそを観て欲しい。どれほど絶望的な喧嘩をしようと、夫婦だからこその喧嘩であり、根底にある「愛」を見誤ってはいけません。そこに価値があるから本作の出色の傑作ぶりが証されるのです。
それにしても赤いマントに身を包んだ検察官の妙に若いこと! 執拗に言葉を歪曲し単純化する悪意には辟易させられる程のパワーを見せつける。対する弁護士は加藤雅也にそっくりなイケメンで、彼女の支えとして寄り添う様が温かい。要は視覚障がいを持つ11歳の息子の存在で、目撃とは文字通り見えることだから、ここでは聞こえた事実のみが映画にサスペンスを与える。法廷でUSDに録音された音声で喧嘩の様子をスピーカーで流される際のご本人の辛さたるや、到底自分だったら耐え難いと思わざるを得ない。
こと左様に本作では「音」が絶大な効果を発するのです。もとより明るいスティールパンが響き渡るカリビアン・ミュージックが事故の根幹に大音量で響き、息子のピアノの音色、そして法廷での録音と、耳を澄ませて聞き入る努力が観客にも要求される。それともう一つ、言語です。本作はフランス資本の映画であるものの、夫がフランス人設定、妻がドイツ人設定、でイギリスでの生活が長く、金銭的問題によりフランスのペンション経営に至った経緯から、家庭内では英語設定、社会すなわち法廷ではフランス語設定。で、彼女はフランス語は苦手のもどかしさが全編を覆う仕掛け。
ことにも、いよいよの大詰め、息子が最後に証言するシーンが秀逸である。愛犬を病院に運ぶ際の映像が再現されるも、父親の喋る画に息子の声でシンクロのようにセリフが聞こえる。父親の死生観が明らかにされるが、ちょっと息をのむ程に凄いシーンだと私は思う。声質こそ少年のものだが、抑揚から息遣いまで父親の再現です。これをも検察はあくまで主観であり証拠にはならないと声を荒げるものの、陪審員にはそうは聞こえなかったようで。
「私は殺してません」「いや、それは問題ではない、人の目にどう映るかかだ」に端的に示されるように、客観的判断がつかないからこそ、公共の場で白黒決着をつけようと言う裁判制度。無実の彼女に冤罪を着せるリスクが却って増大してしまうと言うのに、この不条理。実に恐ろしい、社会は個人のミスを一切見逃さない正義感が、却って邪悪に見えてくる。傑作です。
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