関心領域のレビュー・感想・評価
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私は、この映画と自分との間に高い壁を建てるか?
隣と私は陸続き。河もつながっていて、空もつながっている。関係なくないのに、自分に都合よく見えなく聞こえなくなる人間の怖さ。
何も情報なく見に行ったがために、じわじわにじんてくるような恐怖にしばらく放心してしまった。
「この家族は恐ろしい」といって自分から遠ざけるのは、ヘス一家と私自身との間に高い壁を建てて、無関心でいることなのではないか?もう関係してしまったこの家族と私は、確かにつながっているのだ。そのことに気づいたとき、変な汗が出た。
無関心領域
冒頭から野音をやけに拾うなぁと思いながら観ていましたが、他の場面でも同じだったので、なるほど環境音をあえて取り込んでいるのかと理解しました。
なんか叫び声みたいなのが聴こえるなぁと思っていたら、アウシュヴィッツ収容所のすぐ隣が舞台だと気付いてゾッとしました。
異常な環境に居るのにふつうの、むしろ裕福な暮らしをしていて、子供たちも元気に遊びまわっている。この対比は辛辣で新鮮。
ただそこから物語が動かない。
異常な環境でも慣れてしまう。慣れてしまう適応能力を私たちは持っているのを知っているから。
アフリカの子供が毎日たくさん餓死しようとも、侵略戦争で命を落とそうとも、私たちは贅沢な悩みに真剣に苦しんで生きていく。
テレビ画面越しに伝えられる海の向こうの出来事に時折胸を痛めることもあるけれど、何ができる訳でもないし明日も仕事だし突然大雨は降るし、麻痺して生きていくしかないから。
だから次の展開が欲しかったなぁと思います。
もうひとつ物語自体に仕掛けがあっても良かったのではないでしょうか。
たっぷり寝たあとに観たのに猛烈な眠気で途中寝落ちしてしまいました。
アウシュビッツ収容所を主題とする映画の新たな貌
1所長一家の日常生活を通して、アウシュヴィッツ収容所のホロコーストを描く。
2映画は収容所の隣に住む所長一家のピクニック場面から始まる。そして一家の豊かで秩序だった生活描写が続く。しかし、そこに収容所の実像を示すショットが次第に挟み込まれていく。収容所から運び込まれた服飾小物や貴金属を使用人たちと楽しげに分け合う場面。釣りや川遊びの最中に不気味に濁って来る川。濁りの原因は焼却された遺骨や遺灰である。圧倒的なのは、昼夜問わず聞こえ来る所内の怒号や悲鳴、銃声などの音。そして煙突からの黒煙。所内の行状を一切見せずにそこで何が行われているのかを如実に示す。とても効果的であり、斬新な手法であった。
3 所長と妻の関心は、手にした権限や暮らしを守ること。収容所から聞こえる音や眼に入る煙、そして恐らく洩れてくる臭い、すなわち日常的なホロコーストの証には無関心。所長は現場の責任者として、国策を実現するため効率的な施設運用を実行している。その点では当時の価値観に照らせば優秀な組織人であり、仕事として割り切っている。強権的な所長像を想像していたが、冷静な軍人であった。それゆえ最後の場面では、ハンガリーを対象とする新たな抹殺計画を担う重責が作用し吐き気を催したと思う。
一方、その妻は家や庭は我が城であり、主として仕切る中で、収容所は暮らしを維持するための必要条件として捉えるようになったのではないか?
4 遊びに来た母親が一晩で黙って消えた。収容所で行われていることに想像が及びその恐ろしさに気づき忌避したと思う。また、地元の名も無き女性が夜陰に紛れて食べ物を運んだ姿は神々しい輝きを放った。映画は、歴史の記憶を残す博物館として、丁寧に維持管理されている現在の姿を示して終わる。この映画を通し、歴史を学ぶと同時に何に関心を向けるのか個人の度量を試されるように思えた。
どんな気持ちになったか色んな人に聞きたくなる作品
上映開始前から気になっていた関心領域。
アカデミー賞の音響賞を受賞していることから、これは映画館で観たほうがいいよなと思いつつも、アウシュビッツ収容所の塀の外に住む所長家族の話ということは知っていたので、内容が内容なだけに鑑賞するタイミングをずっと見計らっていた。
やっとちょうどいい時間ができたので鑑賞してきた。
言葉に迷うが、映画館で鑑賞してよかった。映画館で鑑賞したからこそ、気づいたこと、思うことがあったからだ。
ネタバレ…?は一応ご注意を。
最後に個人的な疑問を綴るが、あくまでも個人の考えです。
■日常に溶け込む虐殺と人権侵害
・生活と虐殺が同時進行している日常
2階建ての広々とした邸宅。プール付きの庭。毎日手入れする植物。自慢の温室。かわいいペットの犬。理想の環境。
子どもの見送り。庭の手入れ。家族の団らん。夜には夫婦で思い出を語る。
視覚的には、綺麗で美しい、家族の日常が描かれている。
そんな中で、少し遠くから、昼夜問わず、発砲音、怒号、叫び声が聞こえる。
家族のちいさな赤ちゃんが泣いている声と同じ、当たり前の生活音や環境音でしかなく、誰が気に留めるでもない。
この映画は塀の外の話なので、塀の中の人たちが殺されたり、殴られたりする描写はない。
塀の外では、遠くから聞こえる銃声と叫び声が聞こえ、焼却炉の煙突から絶え間なく出る黒い煙が家の中から見え、夜はカーテンを閉めても外が炎で明るい、ということが日常。
それでも、見えていなくても、確実に塀の中では人が殴られ、殺され、焼却炉で焼かれている、ということも日常なのだ。
この生活音や環境音、映画館だったからしっかり聞こえたが、家で観たら気づけるかわからないかもしれない。それくらい、日常に溶け込んでいる。
家に泊りがけで泊まりに来たドイツ人のおばあちゃんは、立派な家や働き者の旦那と幸せに暮らしている娘の様子を見て安心していたようだったけど、この異常な環境に逃げ出した。無関心ではいられなかったのだろう。
・冒頭、音が止む時
音だけでいうと、冒頭から印象的だった。
映画の冒頭、こもった「ぼーーーーーーーー」という音と、金属に反響したような、何かの音が聞こえる。叫び声か、もがいている音かしっかり聞き取ることはできなかったけれど、間違いなく生き物の音。たぶん、人間。
少しすると、その何かの音が途切れる。また何かの音が少しする。音が、しなくなる。
ああ、命が奪われたんだな、とわかる場面。
冒頭から、かなりきつかった。
・世間話で当然のように話す人権侵害と略奪行為
私は、かなり歴史に疎く、知識がある方ではない。
それでも、ナチスドイツがユダヤ人をアウシュビッツ収容所で大量虐殺をしたことは当然知っていた。映画のテーマも、観る前から知っている。
それでも、ショックだったシーンがある。
所長の妻の母(おばあちゃんと呼ぶ)を家に招いた時、庭を歩きながらしていた世間話。
おばあちゃんは言う。(原文ママではなく、ニュアンス)
「この塀の中に知り合いがいるの。知り合いが塀の中に連れていかれるとき、私はあの人の家のカーテンが欲しかったのに、向かいの家に持っていかれてしまった。あのカーテン、気に入っていたのに。」
明らかにユダヤ人を人間だと思っていない描写だと衝撃的だった。
まず、知り合いが塀の中に行けばどうなるか知っているのにも関わらず、心配するでもない。ユダヤ人だから、収容所に連れていかれるのは当然なのだ。
百歩譲って、心配する言葉は出てこないとして、「この塀の中に知り合いがいるの。」の次に続く言葉が、「カーテンが欲しかったのに。」だ。異常としか言いようがない。
極めつけは、「気に入っていたのに。」
普通、気に入るというのは、自分のモノに対して湧く感情ではないだろうか。他人のモノに対して、気に入っていた、という感情が湧く…人を人だと思っていないから出てくる感情だと思う。
人権侵害と略奪が日常に落とし込まれ、よりリアルに身近に感じられて、ショックを受けた。
このシーンの他にも、衣類や日用品など、ユダヤ人から奪い取ったものを平然と使っている描写、命を奪ったあとの灰を肥料として撒く描写がある。
その他にも、大虐殺をしている施設の所長が子煩悩で動物好きだったり。良心から置かれたりんごの奪い合いでユダヤ人同士でも争いが起き、ナチスに殺されるという限界の状態だったり。
描写に対して感情を何度も書いたり消したりしながら考えたが、どう文字に書き起こせばいいかわからなかった。
話の流れとしては穏やかで、目に見えた大きな展開はない。
穏やかな日常から垣間見える戦争、虐殺、人権侵害に、ずっと胃が重たく、呼吸が浅くなる映画だった。
■関心と無関心
・日常生活への浸食
映画を観終わったあと、気持ちも足取りも重いまま帰ろうとしたところ、アンティークアクセサリーやヴィンテージ小物を売ってるお店があったので、ちょっと気分転換で寄っていこう、と思い眺めていたら、ユダヤ人から奪ったの中にはにこういうアクセサリーとか、綺麗なものたくさんあっただろうなと、全く関連性のない無駄な想像力が働いてしまい、一気に見れなくなってしまって、すぐにその場から離れた。
なんでこんなときだけ想像力が豊かなんだ…!普段浅はかなのに!
離れたあとも、車の音、人の話し声などの環境音に意識がいってしまって、暑い日なのに鳥肌が止まらなくて背筋がぞわぞわした。
ちょっと気持ち的にしんどかったので、音楽を聴きながら帰り、仕事をして意識をできるだけ逸らそうとした。
コロナになっても食欲旺盛でちょっと太ったくらいだが、鑑賞後は食欲が湧かなかった。
・どんな気持ちですか?
これから書き連ねることは、私個人の趣向で、皮肉ではなく単純な疑問で、マナーとか、ルールでもない。気分を害す人がいたらごめんなさい。
この映画を観る前にポップコーンを買って、鑑賞しながら食べていた前の席の人。白ワインを買ってきて、楽しそうに入ってきた男女。
映画中にスマホの通知音らしきバイブ音を何度も鳴らし、エンドロールになったら、即、スマホを開いた子連れの夫婦。(これはやめてほしい)
私としては食や酒が進む内容でも、鑑賞後にスマホが気になる内容でもないので、ちょっと驚きだった。
飲食に関しては映画館側からしたら私より単価が高いわけだから、絶対に彼らは悪くない。もしかしたら、買っちゃって後悔してるパターンだってあるかもしれない。
じゃあ、飲食をしなければ満足か?と言われればそういうわけでもないし、もっと言うならバックボーンにある歴史を前提として知っているべきだし、ちゃんと知識がある人からしたら、お前、この映画観て何理解した気になっちゃってんの?その解像度で食欲ないの?と言われても仕方ない。ど正論だと思う。
ただ、自分はしない思考、行為なので、何を思い、その行動を選んだのか、どんな気持ちなのか、知りたいと思ってしまった。
最後に、関心領域のHPにこんな文言があったので、引用を借りて締めたい。
スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?平和に暮らす家族と何かを書き留めておくことはどんな違いがあるのか?そして、あなたと彼らの違いは?
意外にドラマ性のある、現在に反転して反復する、無関心領域の重要映画
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
映画を観始めた時は、アウシュビッツ強制収容所のルドルフ・ヘス所長(ルクリスティアン・フリーデルさん)家族の物語であり、題材的にこの家族に感情移入させない演出をしているように感じられ、ドラマ性を極端に省いた映画に最後までなるのではと思われました。
しかし意外にも、(背景に流れる収容所の銃声などの音以外に)所長とその子供が川遊びしている時に収容所で虐殺されたユダヤ人々の遺骨が流れて来たり、白黒の夜の場面でポーランド人の少女が夜の間にユダヤ人たちの昼間の労働場所にリンゴを配って歩いたり、所長家族の母親が収容所で何が行われているか察して屋敷を知らない間に離れたり、所長の妻ヘートヴィヒ・ヘス(サンドラ・ヒュラーさん)が収容所での虐殺を無視し続け田舎暮らしを必要以上に肯定したりなど、ギョッとする描写含めて、単調にならないドラマ性の描写が少なくない映画になっていると思われました。
またこの映画は、実際のアウシュビッツ強制収容所に隣接する家で撮影がされていて、その画面に迫る空気感もこの映画を決定的に恐ろしい映画にしていると思われました。
映画の題材自体は、余りに酷いナチス・ヒトラーによるユダヤ人虐殺であり、誰もが知るアウシュビッツ強制収容所に関する話ですが、虐殺の場面を直接は一切見せず、逆に淡々とした基調でその悲惨さを表現し切っている重要な作品だと思われました。
ただこの表現方法は正解でこの表現方法では最高点をたたき出していると思われながら、一方で映画としての傑作になるにはかなり難しい表現方法だとも思われ、今回の点数となりました。
ナチス・ヒトラーによってなされたユダヤ人の虐殺は、映画で描かれたとおりに当時の一般の多くの人々には無関心の領域だったと思われます。
そして、今作のユダヤ系のイギリス人であるジョナサン・グレイザー監督は、アメリカ・アカデミー賞の国際長編映画賞の受賞スピーチで、現在のイスラエルのガザの攻撃によるパレスチナ人々の犠牲を、ハマスによるテロの犠牲と共に触れています。
この映画『関心領域』は、当時のユダヤ人々の立場とは現在に反転する形で、ガザ地区やヨルダン川西岸地区にイスラエルのユダヤ人々に押し込められたパレスチナ人々への世界の「無関心領域」として、反復して照射されています。
この映画は、当時と現在の悲劇を、ねじれながら私達に見つめさせる、現在にとって重要な重い作品であるのは間違いないと思われています。
見やすくていいと思う
戦争や虐殺のひどさについては色々なところで語られるけど、この映画はビジュアルとしてはとても見やすくて、なおその内容を効果的に伝えててすごいと思う。内容と言うか、もちろん史実を伝えるものではあるけど、未来に同じことを繰り返さないためにはどうしたらよいのか考えさせる力を持っているように思う。見始めてすぐに感じるのは、収容所の隣に住む家族の異常性だけど、悲惨な状況下にある人達を無視して自分たちだけ平穏に暮らし続けようとするのは、ヘス一家だけではないと見ていて気付かされる。ホロコーストも恐ろしいけど、今起きていることや自分の関与もすごく恐ろしく感じられてくるし、素晴らしい恐怖映画だと思う。
あと「関心領域を見て今、起きてる虐殺に関心を持とう」的な表現をSNSで散見したけど、関心領域の「関心」は他者に対する思いやりとか気遣うような関心(が無いということ)だけじゃなくて、ナチスが支配権を拡大しようとした土地に対する関心であったり、ユダヤ人を積極的に殲滅しようと関心を持って取り組んでいたりだとか、そういう悪意や恐怖も示唆していると思う。だから関心領域の「関心」を、本当に世界中の関心を必要としている人達について使うのはちょっと印象悪いと感じる。
「オレこの映画好きなんだよねw」
最初はポスターを見てみたいと思ったけど、こんな内容だとは•••
幸せな海外の家族の日常
お子さんが3人いてワンちゃんもいて大きな家で庭が綺麗にされてて幸せな普通の日常を映し出す•••
そういえば最初真っ暗な映像だったなぁ•••
なんか銃声?っぽい音•••
これは叫び声?
黒い煙••• 毒ガス室?500度で焼く?
ヒトラー万歳?
今まで人生で見た映画で1番不気味な映画だった 不協和音の威力
エンドロールで笑えた なんだろう
「オレこの映画 好きなんだよねw」
って友人達に広めてみよう
エンタメとしてホロコーストを"消費"することは許されるのか。
スティーブン・スピルバーグ監督は「シンドラーのリスト」で得た利益を全て寄付したと知り、彼がホロコーストでの出来事を映画産業におけるいち商品にしたくない揺るがぬ証拠だと思った。ホロコーストに限らず、映画によってショックを受けたり、忘れててはいけないよね、後世に伝え続けないといけないよね、他人事にしてはいけないよね、と我々は幾度も言ってきたであろう。その気持ち、いつまで続けられる?3歩歩けば明日の夕飯どうしよう、あの子にメールしようかななんて切り替えちゃってるかも。関心領域はそうはいかなかった。まさに核心をついていると思った。ここ最近、立て続けにナチス関係の映画を観ていたからちょうど興味があって、公開日に心待ちにしてた映画。ホロコーストを語るに欠かせない名作を観ずに観ていたら、いまいち味わえなかったと思う。収容所の設計図?について会議するシーン。「荷」というワードが出てきたから分かった。映画でよく出てきたので。
追記
第二次世界大戦のさなか、人はあんなにも異常が普通になってしまうものか?ユダヤ人に対する虐殺があんなにも、まるで「当たり前の儀式」みたいになっちゃう、させてしまう戦争の恐ろしさ。戦争の恐ろしさというよりかは指導者という存在の恐ろしさかな。確実にエスカレートしていたはずのヒトラーの主張に流れていくかのように賛同する民衆。徐々に、ゆっくりとそして着実に変化していく時代の流れ、その中に存在する「違和感」に我々は敏感でいないといけないと思う。戦争とまでは行かなくとも、少なからず形を変えて、必ず歴史は繰り返すと思う。
ココから作中のあるシーンについて言及。(ネタバレも何も無いけど予告以外の情報走りたくない方は以下、読まないでください)
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冒頭はながーい真っ暗な画面がしばらく続くシーンで始まる本作品だがそれに添えられたBGMが何とも不気味で斬新。。。A24らしさなのか…?とも思ったり。だが、そうでもしないと観客は惹き付けられないという監督の虚しい仮説からなのでしょうか。はたまた、ヒトラーの用いていた「沈黙」のメタファー的な要素を持っているのでしょうか。アカデミー賞音響部門を受賞しているのも疑問の余地はありませんね。
知ってて、これか!
最初は何も知らなくてただ無関心に暮らす一家の話なのかなぁと思ってました。
音は最初から煽り過ぎ。
始まってから画像が出るまでがかなり長いのでちょっとイラッとしちゃいました。
予告編の映像はやけに明るい感じだったので、違和感を感じましたね。わざと?
最初の湖での湖水浴場面。この水はヤバい水だと思っていたら、やっぱり。カヌーで川に水遊びに出かけた時に父親が川底で何かを拾って、慌てて子供たちと帰宅し、身体を必死に洗う場面。私にはあれはいわゆる喉仏(環椎:第1頸椎)に見えました。
歳の割に動態視力いい方だと思います。
むかしそういうクイズ番組ありましたけど、けっこう得意分野でした。
マジカル頭脳パワーです。
子どもたちが金歯で遊んでいるカットは目を疑いました。これはいかん。
最初、サンドラ·フラーはこの家の主婦ではなく、お手伝いさん役で、奥様の留守中にミンクの毛皮を試着してポーズとったり、口紅塗ってみただけだと思っておりました。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い····じゃないんですね~気持ちわるくないの?
旦那が転勤するのについて行かない妻。家が一番大事。庭の設計や植栽も自分でやったって言ってましたよね。女って家に付く猫みたいなもんだなぁと思いました。子育てにはいい環境だって主張するけど、こういうのを嘘も方便っていうのでしょうね。実際、そういう奥さん多いもん。でも、実家の母親(おばあちゃん)はわかっていたのにねぇ。親子でも違うもんですなぁ。
人間焼却炉の改良にどんどん熱心になってゆくのは、関心領域をサイエンスにずらすことで、殺人の罪悪感をちょっとだけ脇にそらすことができるからではないでしょうか。
オッペンハイマーもそうだったんでしょう。
英題は Zone of Interest でした。
関心領域だと Region とか Field かなと思いました。Zone だとついつい Sexy Zone の方、いやいや違います。「ゾーンに入った」みたいな意味がありますので、単に塀を隔てた区画の違いではないんでしょうね。そういう意味ではあの奥さんは完全にゾーンに入っていました。
赤外線暗視カメラの映像のような夜に外に出て行く娘のシーンが気持ち悪かった。
とても変わった映画で、カンヌ国際映画祭のグランプリ。 怪優サンドラ·フラーじゃないと勤まらない役だったとは思いますが、面白いかっていうと、悪趣味な映画でかなり眠くなりましたので、星はこのくらいです。
アウシュビッツ収容所のことはあまり知りませんが、映画で学んだことがほとんどです。
所長クラスだといろいろありますよねぇ。ああ、嫌だ嫌だ。
ヘス夫人の姿が映し出すもの
アウシュビッツに隣接するヘス所長宅は、鳥のさえずりが聞こえ、豊かな自然に恵まれ、個人の平和な生活を享受している家族がいる。そんな姿がドキュメンタリーのように描かれている。しかし、ヘスの妻へ―トヴィッヒが鏡の前で試着する毛皮のコートは、隣の収容所で虐殺されたユダヤ人の着ていたものであり、そのポケットに入っていた口紅は、そのコートの持ち主のものである。「無邪気にも」その毛皮を試着し、口紅を唇に塗る彼女の姿は、
今、パレスチナのガザで起きていること、すなわちイスラエル軍によるガザ攻撃で虐殺されたパレスチナ人の遺品を我がものにして笑い合うイスラエル兵と重なる。ガザで、人間が、子供が、女性が、毎日毎日、大量に虐殺され、飢餓死を強いられている。そのことを自分とは関係のない遠い所で起こっていることとして無関心に放置することは、まさにヘス夫人の姿ではないか。この映画を観てから、私自身が何の悪気もなくやっている日常の行動、勤めに行くための洋服を選んだり、お化粧をしたりといった行動1つ1つが、ヘス夫人のそれと重なり、グロテスクに思えてならなくなった。そして問いを突き付けられる。今、ガザで起きているイスラエルのパレスチナ人の虐殺に対し、言葉や行動を持って抗議の意思を表さない限り、ヘス夫人のやっていることと同じではないかと。グレイザー監督が、「関心領域」アカデミー賞授賞式のスピーチで、ガザでイスラエルの攻撃に苦しむパレスチナ人への注意喚起を述べたことを忘れてはならないと思う。
鑑賞者への問いかけ
「関心領域」という言葉のタイトルだけで妙に感情に引っかかっていた。
見たいものだけみる。見たくないものは無視する。自分の都合の良いように生きる。自分だけが痛くも寒くもなければそれで良い。隣で苦しんでもがいている人がいようとも。
サンドラ・ヒュラーの笑い声が不気味で怖かった。そして見事でした。人は状況によって、どこまでも残酷で酷い事を綺麗な顔してできるのですね。
でも子供達はそれを見抜いている。今後の彼等の人生にどのように影響していくのか…
それでも真夜中にりんごを作業場に埋めていた少女の必死な姿があった。危険を犯してまで塀の中の人を救いたいと行動している少女。
さて、あなたはどっちだ。と作品に問われているようで苦しかった。関心と無関心を隔てている高い壁は自分事でどれだけ考えられるか、覚悟の差だと思う。胸が痛い映画でした。
音響で恐怖と異常性を描き出す見事な作品
冒頭の真っ暗な状態で鳴り響く不穏な音。
まさに音の重要性を強調しているようなオープニングでした。
そこから場面が変わって、実に牧歌的な家族の姿が描かれるのですが、
徐々に違和感や異常性を観客は気づくことになります。
まずもってアウシュヴィッツに収容されているユダヤ人の持ち物と思しき物品を物色したり、
(ザンドラ・ヒュラー演じるヘートヴィヒは試着などもやっている)
高い壁の向こうにそびえる収容所から聞こえる銃声や悲鳴、そしてモクモクと煙が立ち上る煙突。
間違いなく壁の向こうでは残酷に人が殺されているわけで、
そこに一切の関心を持たないヘス一家。この一家は幸福を標榜しているんですね。
ただ、ヘートヴィヒのお母さんが泊まりにきて、逃げるように帰ったりする描写で
やっぱり普通の感覚だと、絶対いたくない場所だということがわかりますし、そりゃそうだろうと思います。
夫ルドルフの転勤が決まったと知ったときの妻、ヘートヴィヒの反応がもう恐怖でしかなかったです。
ずっとこの地(この家)にとどまりたいと強い意思を持つヘートヴィヒには、もう異常性しか感じられなかったです。
彼女が17歳の頃から夢見た生活が、このアウシュヴィッツの隣の立地での贅沢な生活だったのですね。
普通はとてもまともに暮らせる環境ではないのに・・・。
ラスト近くで、ルドルフが現代のアウシュヴィッツ博物館やガス室の清掃場面を見て、嘔吐する場面があるのですが、
やはり彼も異常を来していたのでしょうね。人間らしさを垣間見た気がしました。
ただ、ヘートヴィヒはモンスターだと思いますし、彼女を演じたザンドラ・ヒュラーの演技はすごすぎますね。
すごい迫力でした。
それにしても夜間にりんごを埋めて歩く少女を暗視カメラで映したシーンは、謎めいていて面白かったです。
善行をしている人が唯一描かれたシーンでした。
ぜひもう1度観たい!久しぶりにリピートしたい映画との出会いでした。
退屈にも慣れる
正直、退屈すぎて退屈すぎて辛かった。だが、それも30分も見れば慣れてしまう。
この映画の収容所の外で暮らす一家も、慣れてしまったという事なのでしょう。
日常生活の中でおっさんの叫び声や銃弾の音が響いていれば、普通の人は気味が悪くて暮らせないし、神経質な人だとうつ病になってしまうと思う。
結局人は自分達の暮らしさえ良ければ、少々の事は気にならないし、慣れてしまえば何も感じなくなるのかもしれない。
自分達と違う種族であると思えばこそ、奴隷制度もあったのだと思うし、日本でもちょっと前までペットも犬畜生とか言われて、真冬でも炎天下でも外の犬小屋に繋がれっぱなしで、人間様が残した残飯を食べているのが普通でした。
全てはその時の常識と外れているかどうかで決まってしまう人間の感覚。その怖さを表現した映画だと思いました。
鑑賞はぜひ映画館で! サブスクで観るならヘッドフォン必須!
映像は淡々とドキュメンタリー風に映されているので、演出上の特徴は音につきます。
ただ、個人的な感想としては演出やプロットに唸らされた、という点は特になく、簡潔に言えば退屈な映画、でした。最近の映画としては比較的短いので苦痛ということなかったですが。
テーマ的にそういうことを言うのが憚られる(世の中の)雰囲気がありますが、結局、実際に映画を見ていると予告編などで説明されている以上の内容や印象が特にないという感じで。
アウシュビッツ収容所にまつわる出来事、状況自体が、すでに長年あらゆる手段で報道されている通り「ホラーそのものでしかない」のですが、だからといってこの映画がホラーであるわけでもないような気がします。
この映画では、遠くから聞こえてくる音以外に収容所の直接的描写がなく、そこは観客の想像力に訴える、というのが演出上の特徴(狙い)なのだと思いますが、描かないのであれば、元々観客が持っている知識を超えてそれが迫ってくることはないでしょうから
グロテスク…
ヘス夫人の言動がとにかくグロテスクで、幾度となく戦慄…
でも彼女にしてみれば国のトップの言うことに従い、幼い頃からの夢を叶えたいだけ。この構図がたまらなくホラー。ウクライナで、ガザで殺戮が続く現代、これを観ている私たちだって同じじゃないの?と問いかけられている気がしてとても怖かった。観客の想像力が試され、軽く監督から突き放される感じは「悪は存在しない」を観た時に感じたものに近いものがあった。また、肝心の作品の主題を全く見せない事でよりインパクトを与えるところは「オッペンハイマー」にも通じるなと思った。こう言う手法を使うのは今の時代の流れなのでしょうか??
正直に言うと、私には塀の向こう側に対する想像力が足りなくて、予想していたほどには動揺しなかった(作品を見る勇気がなくて公開直後は見に行けなかったというほど警戒していたのに)… そんな自分を監督に見透かされ、責められている気持ちになって逆に怖かった部分も…
ちなみに夫人の関心領域には塀の反対側どころか、夫も子供も入ってないんじゃないかと思うようなシーンもあり、いやはや、自分も家族や周囲の人間にもっと関心を持って歩み寄るべきなんじゃ、と勝手に反省したりもした。自分とは距離も時間軸も遠い世界の出来事を描いているのに、とても身近なことに思いを巡らせられるとは思わなかった…
恐ろしいが他人事ではない
自分の家が拘置所に近いので他人事とは思えない作品だった。
ただ、重い内容なのに描き方がいまいち中途半端でなんだか期待したものではなく残念だった。
登場人物たちが印象に残らず区別がつかない人とかチラホラいたり、映像的にも微妙。沢山受賞しているが、この題材を扱うならばもっとふさわしい描き方で作品を作って欲しい。
全472件中、101~120件目を表示