「期待度◎鑑賞後の満足度◎ 壮大な戦国絵巻コメディ。綺麗事の多い戦国時代劇の中で此の様なリアルな描写の戦国ものがあっても良い。でもリアルさだけを求めた映画ではない(矛盾してますが)。そこが北野武映画。」首 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 壮大な戦国絵巻コメディ。綺麗事の多い戦国時代劇の中で此の様なリアルな描写の戦国ものがあっても良い。でもリアルさだけを求めた映画ではない(矛盾してますが)。そこが北野武映画。
①学校の歴史の授業で教えてくれないだけで、昔の日本では女とするのと男とするのとあまり認識に差はなかったらしい。家を続かせる為には勿論子を成さねばならなかったけど。
特に戦国時代は顕著で、何故か本作では登場しないけれども前田利家と織田信長とは肉体関係があったし(恋愛感情が有ったかどうかは分からない)、織田信長と蘭丸との関係は有名というか、元々小性はそれもお務めの一つだったし。
明智光秀と荒木村重とがそういう関係だったという話は読んだことは無いけども(ただ有っても不思議ではない時代です)。
武田信玄が家来(だったかな?)に熱烈なラブレターを出していることも有名な話。
上杉謙信は、女っ気がないところから「上杉謙信=女」説も有るが、単に男一筋だったからかも。
だから多分当時は少なくとも武士の間では「バイセクシャル」という観念はなかったと思う。みんなやってたから。
もし織田信長が天下を取っていたら男同士の関係に現代ほど偏見はなかったのでは、と思う事がある。
女好きだった豊臣秀吉と徳川家康が天下を取ったので今みたいになっちゃった気がする。
明治時代に西洋の文化(キリスト教文化)を取り入れた際に同性愛は良くない!みたいになっちゃったけど、かつて其方の方面では先進的だった日本が今では欧米に遅れを取っているのは皮肉。
江戸時代迄は辛うじて「武士のたしなみ」という形で残ったけれど。
戦(いくさ)の前や後ではアドレナリンが出てテストステロンも多く出ただろうからセックスがしたくなる。でも戦場の中まで女性を連れてこられない。だから男同士でする、という実用的な面もあったんでしょう。
それに「人をみたら泥棒と思え」じゃないけど、いつ裏切られるか分からない、味方でもいつ首をかかれるか分からない、相手に情けなんかかけていられない(劇中で何度も“忠誠心”を問われたり会話に出てくるのもそれゆえ、でも下剋上の世界だから当たり前なのだ)中で唯一信頼出きるのが(体の)契りを結ぶこと、恋愛関係になることだったという側面もあったと思う。
ただ、“サムライの惚れたはれたは××××××”との明智光秀の台詞にあるように絶対的なものでもなく、契りをを信じた人の良い荒木村重の末路と、織田信長のふいをつけた明智光秀との違いをみせるドライな視点も北野武ならでは(史実では、生き残るのは荒木村重の方ですが)
②と、前置きが長くなったけれども(一度書き留めて置きたかった)、描写はリアルだけど(本当に人を切ったらあれ程血が出るし-というか、もっと迸る様に思う、首を集めて並べて洗ったのも本当、戦国時代の女たちは男達が挙げてきた首を洗いお歯黒をつけ如何にも身分の高い武将の様にみせた-報酬が高くなるから-という下級武士の娘が書いた実録記も残っている)、戦国時代を描いた映画を作るのに実際に近い描写をしているだけで、リアルさだけを描きたかったわけではないと思う。
③現代人の感覚ではあまりにもアッサリと人が殺されるが、“日本人はすぐ人を殺すのにはビックリした”と安土桃山時代に来日したルイス・フロイスの日記に書いてある。
④登場人物の内面が一切描かれていないのも興味深い。そういう面から見ると実にハードボイルドな映画だ。
⑤ビートたけし扮する豊臣秀吉が、豊臣秀吉を演じているよりビートたけしそのもの、というのも計算ずくのことだろう。
⑥ビートたけしの豊臣秀吉、大森南朋の丹羽長秀、浅野忠信の黒田官兵衛のトリオの芝居は殆ど漫才みたい。
ボケ役のビートたけし、ツッコミ役の大森南朋はともかく、浅野忠信は真面目な芝居をしているのに何とも言えぬ可笑しさが漂う。
⑦小林薫扮する徳川家康に関しては、影武者説は特に目新しくはないけれども、しつこいくらい何度も描かれるのが段々可笑しくなってくる(影武者にされた者の顔面のひきつりも描いているのに)ダークなユーモアのセンス。
⑧織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も、その天下取りも、実際はこんなもんだったんじゃない?という面白いけれどもシニカルな視点も北野武ならでは。
扮する俳優陣の、その視点に添った人物造形。
(確かに、シリアス好きな日本人の心性、カリスマを求めたがる一般人の心性が後々形成される信長像、秀吉像、家康像を作って来たのかも知れない)
⑨明智光秀が織田信長を討ったのは、織田信長の悪魔のような諸行に耐えられなくなった為ではなく、魔王の様に想い従って来た信長が世襲を考える単なる普通人だったから、という解釈は面白い。
なお、織田信長を討ったので明智光秀は悪臣扱いされるが、当時としては当たり前のこと(下剋上)を行動に移しただけ。
主君を討つのが「悪」と見なされるようになったのは徳川の世になってから。
⑩大した芝居はしていないようで、佇まいだけで腹の底が知れない千利休を造形する岸田一徳の存在感。
⑪声に出して笑ってしまったのは二箇所。
一つ目は、高松城水攻めを締め括るシーン。介錯を頼んだ荒川良々扮する清水宗浩が(普通は腹に刃を刺した時点で首を落とすんじゃなかったっけ?それはもう少し時代が下がってから?)、首を落とされる前に顔を上げたら秀吉の兵が高松城に攻め込んで行くのを見て“ええっ”と言ったところ。その後落とされた首を家来が水に飛び込んで拾うシーンも併せ(本来悲壮感溢れて描かれる場面なので)不謹慎だと思いつつ笑わずにはいられなかった。
もう一つは、「中国大返し」のエピソードの中で力士のような男達に担がれた渡しに乗った秀吉が酔ってゲロを吐くところ。笑ってしまった。
色んな映画やTVで観てきた「中国大返し」だが、このシーンも含め、本作の描き方が一番実態に近かったのではないかと思わせた。
⑫史実では、荒木村重の謀叛の後、織田信長は荒木村重の妻子・側妻を小屋に閉じ込めて火を放ち焼き殺したのだが、本作は河原での打ち首になっていたのは“首”というテーマを強調したかったためか。
⑬サムライなら誰もが欲しがる“首”を農民だった秀吉は蹴っ飛ばす(秀吉と同じく農民ながらのし上がりたかった茂吉が“首”に拘って友達を殺したり命を落とすことになったのとは対象的-中村獅童好演)ラストに北野武監督の本意(反骨精神)が表れている様に思うし、題名を“首”にした意味もそこに有るのではと思うけど、どうだろう。
⑭茶化し、とリアル。この二つを違和感なく融合したことが本作のユニークさ且つ面白さだろう。