アステロイド・シティのレビュー・感想・評価
全222件中、161~180件目を表示
理解不能
監督の作風や傾向も楽しむのが
「真の映画好き」と言われた事があるのだけれど
個人的にはそんな概念もなく鑑賞作品を
選んでおります。
で✋
ウェス・アンダーソン監督作品
好きな人、結構多いみたいですが、
どうやらわたしには合わないようです(笑)
2022年に公開され結構話題になった
フレンチディスパッチ ザ・リバティ、カンザス、イヴニングサン別冊(長いよ、タイトル)
ティミーが出てたから観たけど←
物語としてはとても難解でした。
本作も、ウェス・アンダーソンらしい?抽象的かつ
シュールで難解。
プッと笑えるシーンもありますが、もう脳みそが拒否反応😂
宇宙人がめちゃくちゃかわいい👽
劇中劇という構造
アステロイド・シティという一世を風靡した演劇をテレビ番組で司会者が紹介する…という構成の映画。いわゆる劇中劇で、テレビ番組の世界は白黒、アステロイド・シティの世界はカラーという演出で明確に区別される。
とはいえ、ほとんど全編アステロイド・シティの世界で、テレビ番組の世界は要所要所に数分放り込まれるだけ。しかし正直に言って、この数分が映画としての没入感を薄めてしまったと思う。
話の展開ごとに白黒のテレビ番組の世界が挟まれるため、大部分を占めるアステロイド・シティの世界で何が起こっても、これはフィクションなんだよなと変に分析的に捉えてしまうのだ。だから、本来コメディとしては一番盛り上がるはずだった宇宙人が出てくるところも、そりゃフィクションなんだからこれくらい大げさになってもおかしくないわな、と思えてイマイチ笑えない。
そのぶん、白黒のテレビ番組の側の世界に、何か重要な意味があるのではないかと期待する。喩えるなら、アステロイド・シティの世界で起こることが、漫才でいうところの「フリ」であり、「オチ」は無意識にテレビ番組の世界の方に求めてしまうのだ。しかし、結論を言ってしまうとテレビ番組の部分では笑える部分があまりなく、かといってアステロイド・シティで起きたことの説明として十分に機能するわけでもなく、宙ぶらりんのまま映画が終わってしまった。
もしかすると、映画として観るべきはアステロイド・シティの世界ですよ、ということを強調するためにテレビ番組の部分を白黒にしたのかもしれない。普通に考えたら時系列的にはアステロイド・シティの世界こそ白黒であるべきだし。けれど、そうなのであれば最後のテレビ番組の世界における「出演者が突如として「目覚めたければ眠れ」を連呼するシーン」は不必要だったような気がする。あの意味不明かつ強烈なシーンのせいで、その後アステロイド・シティの世界で起きたことを冷静に観てしまった。
総じて、劇中劇という構造にする意味がいまいち感じられない映画だった。いっそのことアステロイド・シティを現実の世界として描いてしまうか、劇中劇として描くにしても現実の世界を最初の数分だけにしてしまった方が面白く鑑賞できたと思う。
ウェスアンダーソン監督のオハコである「一つ一つのシーンの視覚的な美しさ」は今作でも健在だったため、それを観る目的であればオススメできないこともない。
自販機で土地を売る
トロッコに乗せられ、起伏もないまっすぐな道を進む。
途中には数多くの脇道があり、逐一覗き込むのだが、そこに在る意図が分からない。
意味深なオブジェだったり、古代文明の展示だったり、何もない行き止まりだったり…
個人的には、そういう印象。笑
ただでさえ意味があるのか分からない会話に、品番などの数字の羅列やら小難しい単語やらが頻出。
拾うべきかどうか迷っているうちに字幕を追いきれなくなったり。
感情の乗らない芝居も、内容があれだと、その場で台本渡されてぶっつけで読み合わせしているかのよう。
終盤、主役が「ワケ分かんないよ!」と言い、演出家が「それでいいんだ」と言う。
これがそのまんまこの映画に思えてならない。
独特の色彩と、あえてリアリティの無いのっぺりとしたセット、カメラアングルなんかは面白い。
でも、センスや技術を見に行ってるわけではないので、もう少し物語が欲しい。
外国人の俳優には疎いので、みなさんが書かれている“豪華俳優陣”にもピンと来ず。
序盤は面白そうだったんだけどなぁ…
一体全体これは・・・・・
ちょっと複雑過ぎて・・・
不思議映画
むむむ・・・
前日に「PATHAAN」をアタマ空っぽにして鑑賞したツケが回ったのか、脳みそフル回転でもなかなか理解が追いつかない、久々に観終えて疲労感を覚える作品でした。
作家や脚本家の説明やリハーサルシーンがインサートされてくるので、アステロイドシティで繰り広げられているのが現実なのか劇中劇なのか、整理がつかないままどんどん展開していきます。
それでもなんだかジワジワ来るし、中毒性を覚えるんですよね。
そして映像はアンダーソン監督らしい、スクエアで左右シンメトリーが多用される「あー、そうだよね」なものでした。
爆笑じゃないけれど笑えるし、1950年代のアメリカも味わえる作品でした。
何回か観るとまた印象変わるのかなぁ。
さっぱりわからないಠ_ಠ
それでもおまえはウェスアンダーソンを見に行くのか?
と、毎回問われてるような気がして結局毎回観に行ってるな。ファンもファイナンスも世界観も確立され、世界中出たがる俳優陣も山とおり、もう背景すらコントロールして完璧な制御下である意味コンセプチュアルなフィルムアートを鑑賞してるような感覚になる。
だだっ広い何もないアメリカの西部、そこは原爆実験と宇宙の痕跡のある場所。宿と食堂と軍と地元民。それらをウェスアンダーソン風にまとめるとどうなるか、こうなる、とくる。間に挟まる劇作家のエピソードも絶妙な外し具合でなんだかウェスアンダーソンの盆栽を見てるような感じ。セリフがまったく頭に入ってこないのだけど、まあいいか、たいしたこと言ってるのかどうかもよくわからないのだけど、観たよ、と思いながら反芻する。グランドブダペスト以降こういうのが極まってきている。次は何をどうするんだろう
ある意味‼️❓タブーに抵触する‼️❓恐ろしきメタファー‼️❓
核兵器と自動販売機と宇宙人がテーマになる舞台劇風の映画。
舞台劇風なので、100%大嘘ですよ、が前提のコメディと思いきや、ある意味、本気度が高い。
時代的に核実験なのはあうけど、その恐ろしさをアメリカの庶民は誰一人知らない。
また、外国は治安が悪いので自動販売機がない、その理由をアメリカの庶民のほとんどは知らない。
UFOとは未確認飛行物体なので、ほとんどは中国やロシアの飛行物体であるが、未確認だからそう呼ぶ、宇宙人はいるだろうが、エンタメやマスコミで取り上げているようなものではない、宇宙人とされているものは全て違います、NASAも CIAも国防総省もそう分析してる。
とゆうことで、映画のテーマは、嘘話で人権侵害することはどうゆうことかとゆうこと、日本では関東大震災での国やマスコミのデマによる虐殺、など。
総じて、変な演出による、コメディ劇仕立てのサイレントホラー、異色なのでほとんどの人は気づかない、オソロシヤ、よろしくお願いします🤲
あまりコメディっぽくない
アステロイドシティで
授賞式にきた子供とその親たちが
宇宙人をみたことにより
機密保持のためにアステロイドシティに隔離される
セリフなどがユーモアがあるが
短い場面をツギハギにした感じがあり
あまりコメディっぽく感じない
途中で劇の舞台裏みたいなシーンもあるが
「アステロイドシティ」は劇中劇みたいな感じだった
一応章ごとに分かれており
1章はアステロイドシティにきた親子たちが、宇宙人を目撃してしまう
2章は宇宙人をみたことによって機密保持のためにアステロイドシティに隔離されてしまう
3章は子供が外に情報を出したことにより、隔離が解けて終わるという感じ
全体的に「超秀才」とか子供の俳優はよかったが
登場人物が多いだけでそこまで生かし切れてなかったように思った
旅の途中で、家族と。
2023年。ウェス・アンダーソン監督。近くで頻繁に核実験が行なわれるアメリカの砂漠地帯。数千前の隕石とクレーターが残る寂れた場所で、子供の科学発明の授賞式が行われる。集ってくるそれぞれの家族、休暇で訪れた女優、校外学習をする子供の集団、の真上に、なんとエイリアンが現れて、、、という話。映画作りの設定(映画の中では演劇ということになっている)や役者自身の体験にまで話が及んで物語の枠組みを揺るがしていく、アンダーソン監督お得意の展開。
妻を失ったライターの男は4人の子供(うち長男が受賞者)を連れて妻の実家へ遺骨を運ぶ旅の途中。車が故障してさほど親密ではない妻の父を呼びだしている。妻の思い出に泣きくれる男だが、女優と(エイリアンも?)の出会いによって新たな一歩を踏み出せるような気がしている。これが大きな物語の流れ。そこに、エイリアンの登場、政府や軍による監禁と隠ぺい、ジャーナリズム精神によるその暴露(電話線のハイジャック)など「犬が島」的な逸話が加わっている。エイリアン登場までは物語の枠組みへの言及・説明が多く、過剰に設定や過程や意図を説明しようとしているが、それがなんだか嫌味や皮肉に見えてくるのは気のせいか。その分、説明できるはずがないエイリアン登場の脱力感、拍子抜け感はハンパない。この落差がすごい。
NO VACANCY
1955年、人口87人の砂漠の町アストロイド・シティで宇宙人騒ぎが起きて足止めされる人々をみせるという劇と舞台裏を放映するTVショーという体の作品。
5000年前に隕石が落下したクレーターが観光名所になっているアストロイド・シティで車が故障した男と子供たち、そして化学賞を受賞して招待された子供たちとその親が集まって巻き起こって行くストーリー。
モノクロでTVショーとして舞台裏をみせるシーンを頻繁に挟みつつ、メインは劇中劇をみせて行くけれど、舞台裏と劇中劇とどちらをみせたいのかさっぱりわからず。
メインで流れるのは劇中劇だけど、やはり劇中劇という体だから、そこで起きることは全てフィクションの中のフィクションということで俯瞰で観てしまい、ストーリーとしての面白さはこれっぽっちも無いし。
一応コメディということだけど、これっぽっちも笑える様なネタも無く、強いてコミカルさを感じるところを言うなら宇宙人と3姉妹ぐらい。
自分には面白さが全然理解できず、物語の面白さを求めて観たらダメなヤツですかね。
虚構と現実の絶妙な按分比
一目で『ウェス・アンダーソン』の作品と了解される
画面を構成する幾つかの定型。
チープなマット合成や、ミニチュアチックな建物、
パステル調のしかし鮮やかな色味。
長く観ていると目がちかちかとしてしまう
『デイヴィッド・ホックニー』もかくやの表現。
一瞬にして、監督が創造した物語り世界に入り込ませるテクニックは見事。
そこではスラップスティックじみた出来事に
時として挟み込まれるペーソスが繰り返される。
また、オールスターキャストであることに於いても。
『ウィレム・デフォー』や『マーゴット・ロビー』等が
ほんの些細な短い登場時間で出ていることの凄さ。
観客だけでなく、俳優たちをも惹き付けるサムシングがあるのか。
「アステロイド・シティ」は「モニュメント・バレー」を思わせる
砂漠のど真ん中のさびれた町。
近隣では核実験が行われ、時として立ち上るキッチュなキノコ雲。
しかし時代設定の1955年を勘案した時に、
これは一面の真実。
『広瀬隆』が〔ジョン・ウェインはなぜ死んだか(1982年)〕で書いたように
周辺では実際に核実験が頻繁に行われていた。
ただ、当該の町はあくまでも架空。
演劇の舞台として創造され、
更にその制作過程がテレビ中継され多くの視聴者が見、
その外側で我々観客が映画館で鑑賞するとの複雑な構成。
一方で、登場するのは実在を思わせる人物。
人気女優の『ミッジ・キャンベル(スカーレット・ヨハンソン)』は
『マリリン・モンロー』か。
当時の彼女は『ジョー・ディマジオ』と結婚しており、
時として暴力も振るわれていたハズ(のちに離婚)。
また、演劇学校で「メソッド演技法」のワークショップに参加しているのも
描かれている通りで現実と符合。
またこのシーンには『ジェームズ・ディーン』を彷彿とさせる人物も登場し、
彼も「メソッド演技法」を多用したハズ。
それにしても改めて思うのは、
こうした知識があるほど楽しめる要素は
監督は勿論散々勉強しているのだろうが、
彼の国の観客たちにも、相応の認識がある前提だろうか。
何時も悩んでしまう。
おっと閑話休題。
この時代に他の著名人も愛用したパイプ煙草をことある毎に吸う
戦場カメラマン『オーギー(ジェイソン・シュワルツマン)』と
『ミッジ』が物語の主軸。
彼は数ヶ月前に妻を亡くしたばかり(の、設定)、
後者については前述の通りで、
共に喪失の痛みを感じている。
そうした登場人物の心の傷を
幾つもの「壁」を越えて
我々は感じ取ることができるか。
ドタバタとした喜劇調に
目くらましされてしまう気も。
虚構の中に現実が入り込む世界観や
入れ子構造も含めて〔グランド・ブダペスト・ホテル(2014年)〕でも使われた技法は今回も健在。
特徴的な画面表現も含め
今後もこれが続くと鼻に付くようになるのでは、と
杞憂に終われば良いが。
もっともそれを「※※※※らしい!」と、
賛美する人も出て来るようだが・・・・。
なんかとても可笑しくて楽しい映画でした
僕は基地の街で少年期を過ごしたんだけど、こっそり覗き込んだ時に見えた″塀の中のアメリカ″をなぜか思い出した。
天才キッズ(僕もああいうゲーム、子供の頃、よくやったなあ、天才キッズじゃなかったけど)とへんてこな宇宙人(僕もああいうの見たかったなあ)、そして次々と出てくるスター達。あれっ?もしかしてトム・ハンクス?ジェフリー・ライト?エイドリアン・ブロディ?ティルダ・スウィントン?マット・ディロン?ウィレム・デフォー?……最後に…あれっ?マーゴット・ロビー?なんか楽しかったぁ(スカヨハだけは出てくるの始めから知ってた)。
音楽も懐かしさいっぱいで良かった。
で映画の内容?よくわからんかったけど、睡眠不足だったけど(目覚めたければ眠れって?)、ぜんぜん眠たくならなかった。なんか懐かしくて可笑しくて楽しい映画でした。
映像、世界観が最高❣️
全222件中、161~180件目を表示