「もうひとつのmissing」ミッシング humさんの映画レビュー(感想・評価)
もうひとつのmissing
我が子の失踪
その母・妻の境地を、限りなく何かを覚悟して演じるような石原さとみの姿がある。
余裕のない切実さが生む家族の溝を彼女の苛立ちが深みへと掘り続けその穴に自らを葬ってしまうのではないかと思うほどの緊迫感、悲壮感が続く。
その傍らで冷静さを保とうとする父・夫を青木崇高が微塵の違和感なく演じる。
妻の心が半ば壊れていくような状況で何とか踏ん張る彼の存在がもたらすものがどんなに必要だったかをしみじみと感じさせるのだ。
しかも向き合う相手の人柄までもが彼の一挙一動からみえてくる細やかな演技が惹きつける。
安息のない当事者の心情に並ぶもう一つの大きな柱が、担当記者が生業とする報道において中堅として上司や部下に感じる違和感、対峙しながら浮き彫りになる自分自身への葛藤だ。
意見は持ちつつも結果として大きな力に流されながら来た彼の道のりがはっきりとみえるし、後輩たちの価値観にはさらに変化があるのがわかる。
二つの柱は一見寄り添うようでいて実は押し合い歪み脆さを見せ静かに嫌な音をさせて絡み合う。
ずっと居心地の悪い映画だ。
情報の在り方に疑問を呈した作品はたくさんみてきた。
その度におもう私事がある。
〝マスコミ〟というワードがまだ眩しかった頃、ある講義を好奇心いっぱいで聴いていた。
壇上の元報道アナウンサーが誇らしげにその役割りの未来を語っていた。
もちろんリスクについても話されていたが、いまのイメージを想定するものではまるでなかったと思う。
あれから瞬く間に手軽にみんなの手中となった〝情報〟の世界。
そのイメージは怖い匂いをすっかり身につけた気がする。
迷惑メールに慣れ、誰からの連絡にも警戒心が防御し、悪いニュースには枕詞のように〝ネット〟や〝SNS〟が出てくる。
ビジネスとして採算第一の興味へ走る方向性は、あるものをないことにし、ないものをあることにするほど歪みながら膨らんだ。
それに呼応して競うように理性を欠いた言葉があらわれ、無責任に面白おかしくさせながらさらに飛び交う。
手軽なストレスの掃き溜めのようにもみえるその窓の向こうは身震いするほど殺伐としているが、薄いガラスはいつ破れるかもわからない。
ふとした拍子に誰かか、この自分の指1本で。
私たちは、きっと何かをどこかに無くしたままだ。
だから、この物語は主張するのだろう。
あえて誰もが想像しうる実際の事件をなぞらえ土台にして。
あえてマスコミのど真ん中に立ち続け実生活で母となった彼女の自らの強い意志を据えて。
そんななか、時間をかけながら変化する彼らの機微を見逃すわけにはいかない。
どうしようもない苦しみのなか握る手の温もり、別の母子の問いかけに堰を切るようにようやく溢れた涙、虹の光の先にふれる指のやさしさ。
そこに気づき胸をぎゅっとしめつけられる私たちはまだ立ち帰れるのではないだろうか。
嘆くのはいい〝加減〟を体験して比較しているからこそ。
ならばせめて、今、自分ができることを考え行動しなければならないのだと思う。
訂正済み
humさん
拙いレビューに、勿体無いお言葉をありがとうございます。
もうひとつのmissing、タイトルのメッセージに理解が及んでいなかったと感じました。手と指の表現も素敵です。
嘆くだけでは変わらないので、いまは各々ができる事を「行動する」のが大切ですし、humさんのように発信できる所でキチッと考えや懸念を発信する事はとても有意義な行動だと思いました。根本解決の一環としてのネット上の公序良俗の向上については、幼き世代から学校教育の場でオープンスタンスで教育する事も必要だと思いますね。長文についてKY大変失礼いたしました。
では、どうすべきか、どうなるべきかに私もアイデアや意見はありますが当コメント欄では字数足らずなので、また良い機会に触れたいと思います。いまは落書きが「誰でも見やすい所に出されてしまっている」事が問題なので、スマホの存在にに匹敵すると思しきブレイクスルー要素である、AIの進化が起点となりそれは減る(ように見える)時代が来ると思います。
今はなんと、手のひらにネットワークを携帯している時代ですので、いくらでも好きな時に好きな文字数で「落書き」できるわけです。問題はメディアサービス側が企業目的ベースで「カキコ」できる状態からほぼ無制限ルールにしているため、知見と落書きが混在した無法地帯化してしまっていること。尚且つ見たくなくても見てしまう、半公的エリアにそれがただ流れしてしまっていることが問題です。
ネット上での書き込みや呟きは「レビュー」を別とすればいわゆる「落書き」と同義と考えてますが、そうであるならば悲しいかな、江戸時代の昔からある事ゆえ世の中から無くならないのでしょうね。昔は城壁の影や、近代では公衆トイレやら(最近見かけませんね落書)、人に見られない場所でこっそりとやるのがそれだったかと。
コメントありがとうございました!
映画という、エンタメを介在して喚起する啓蒙があるとすれば、本作は作者の意図が強く織り込まれた作品だと思います。その上でhumさんのレビューはそれを至極正面から受け止めて返す内容と思い、以下長文はた迷惑と思いつつも記載するものです。
コメントありがとうございました。
やるせなさは事件が解決されるまでなくならない。それでも仰るとおり、沙織里は自分ができることをして少し前に進めたのですね。
色々考えさせられる作品でした。
共感ありがとうございます
レビューの最後の自分で考えて行動する、同感です。
悲劇の殻にこもっていた沙織里も、同様の失踪事件解決のために行動することによって、悲劇の殻を破り再生への光明を見出します。
他者を想い、他者のために行動することで、気付きます。
情けは人のためならず。人は人によって傷つくこともありますが、
人によって救われることもあります。
では、また共感作で。
ー以上ー