「【”孤独の果てに若き女が実行した凶事。私、オルガ・ヘプナロヴァーはお前たちに死刑を宣告する。”彼女が、家族や社会から疎外されたと思い込む過程を淡々とモノクロで描く様が寒々しく、恐ろしくも哀しき作品。】」私、オルガ・ヘプナロヴァー NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”孤独の果てに若き女が実行した凶事。私、オルガ・ヘプナロヴァーはお前たちに死刑を宣告する。”彼女が、家族や社会から疎外されたと思い込む過程を淡々とモノクロで描く様が寒々しく、恐ろしくも哀しき作品。】
ー フライヤーによると、今作は1973年にチェコスロバキアの首都、プラハの中心地で路面電車を待つ群衆の中に突っ込み、8人を殺害し12人を負傷させ、絞首刑に処された女性、オルガ・ヘプナロヴァーの実話を映画化したものだそうである。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤から、オルガを演じる端正な顔をしたミハリーナ・オルシャニスカは常に不機嫌そうな顔で、家族と接する。
銀行員の父と歯科医の母を持ち、経済的に恵まれた生活を送っているはずの彼女は何に苛立っていたのか。
・その理由が徐々に明らかになる。彼女は精神的に不安定であり、大量の精神安定剤を服用し自殺未遂を起こすし、精神病院に収容されても囚人たちから暴行を受けるのである。
・そんな彼女に、母親は笑顔一つ見せない。これは、私の勝手な推測であるが後年、彼女が供述していた”家族からの暴行”とは、母親や父親の彼女への”無関心”だったのではないだろうか。
多くの人は、生まれてから親から過大なる愛情を持って育てられるものだと私は思っているのだが、彼女はそうではない。
だが、同じ境遇の人は他にも多数いるだろう。では、何故?
・それは、彼女が成長する中で芽生えたレズビアンの資質である。レズビアンが悪いと言っているわけではない。彼女は、最初に愛したイトカを始め数々の女性と関係を持つが、悉く別れている。1970年代初めのチェコスロバキアでレズビアンは、社会的にはマイノリティである。彼女が後年供述した”社会からの暴行”はこれを意味していると思われる。
■この陰惨極まりなき極北の映画が優れているのは、そんなオルガ・ヘプナロヴァーが、”自分は社会的被害者であり、故に社会に復讐する。”と言う誤った思想形成が如何にされたのかを、ドキュメンタリーの如く、淡々と描く手法であり、彼女を演じたミハリーナ・オルシャニスカの屹立した哀しき存在感に尽きると思う。
<彼女は、凶事を行った後も淡々と警官に自身が行ったと告げ、刑務所に来た母が初めて涙を見せても表情を崩さず、弁護人に対しても”精神薄弱とは言わないで。”と言い、極刑を告げられても表情を変えない。
だが、収監され2年後に絞首刑に処される時に、彼女は激しく抵抗する。
そして、映し出される絞首刑にされたオルガ・ヘプナロヴァーの姿は、衝撃的である。
更に、その後に流れる無音のエンドロールが、この極北の作品における彼女の怒りと絶望とその果ての死の後味の悪さを際立たせているのである。>