イルカはフラダンスを踊るらしいのレビュー・感想・評価
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ヤングケアラーを題材にした良作
決して暗い部分を表に出さない。死なないし血も流れない。それでもシーンと演技でバックボーンにある大変さや辛さ、ヤングケアラーとしての難しさがちゃんと理解できる作品。笑いもあるし、見ていて不愉快じゃない、悲しい涙でも無い、色んな事でちょっぴり泣ける映画です。痴呆が進むおばあちゃん役の福井裕子さんがめちゃくちゃ名演技です。娘役もめっちゃくちゃ素晴らしいです。年配の俳優さんと若い俳優さん達のMIXはここ最近の邦画のレベルを底上げしてると思います。介護は辛い事ばかりじゃないよ。感謝や楽しさも日常にあるから頑張ってね!って言う作品です。
63分で描いた現代社会の一端。
舞台挨拶付きで鑑賞。社会問題にもなっているヤングケアラーが題材ですが決して重くなりすぎず、かと言って深刻でない訳でもないというところがとても現実的な描き方だなと思いました。
高校3年生のサト。自宅には介護が必要な祖母がいるが昼間はヘルパーさん、夜は父親がいるためイメージにあるヤングケアラーとは少し違う。それでも認知症による物忘れや徘徊など症状が徐々に進行してゆく祖母から目が離せない日々が続く。
そんな中サトが友達も巻き込んで大好きなおばあちゃんに素敵なサプライズ旅行を計画するという物語。楽しく優しくそして現実と向き合いながら家族の在り方からヤングケアラーを考えるきっかけになるような作品です。
舞台挨拶では「本当はマリファナを育てる犯罪の映画が撮りたかったが思うように進まず期限が迫って来た為、身近な家族の物語でなおかつ近場の関東で撮影できる、でも東京だとお金がかかるから逗子辺りで」というのがきっかけで生まれた映画という話が実に興味深かったです。
いわゆるヤングケアラーの問題提起の映画と解するとその提起はほとんどない…
今年20本目(合計1,112本目/今月(2024年1月度)20本目)。
いわゆる「ヤングケアラー」の子の職業選択権などを扱う問題提起型の映画…には見えます。
ただ60分ほどの映画なので、そのことはちらっと出る(なお、「ヤングケアラー」という語も出ない)ものの、終始明るい映画であることは明確で、一方でこの映画はクラウドファンディングで作られた経緯があり、そこでは「ヤングケアラー」という語は出ていました。私は出資はしていませんがサイトがあったのは知っており、どの程度扱われているのかな…と思ったらほとんど扱われていませんでした。
そうすると、60分ほどの短い準短編と言いうるこの映画で述べたいところは…というのもはっきりせず(ハワイに行くだの行かないだのという話で8割の話題は尽きる)、一方でヤングケアラー問題について問題提起をして何らかの「回答」を出している映画とは明確に違うので、そこが厳しいかな…といったところです。
ストーリーとしては、認知症が出始めたかな…というおばあちゃんと「ハワイにいきたい」というものの予算不足で何とかなるかならないか…という「いろいろな工夫」を描いた作品で60分ほどなので無駄なシーンがほぼなく、「趣旨がわからない映画ではない」点はいえます。ただ、一歩進んで問題提起のタイプの映画だと解するとそれはないので、どう採点するかが難しいところです。
評価は以下くらいです。
ただ、当方は行政書士の資格持ちで、この論点が法律上どういう解釈になるのか等把握までしてから見に行ったという「特殊な属性である」点は明確にしておきます。
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(減点0.5/ヤングケアラー問題に対する問題提起が何もなく、事実上観客に丸投げ状態)
・ もっとも60分というほどの映画なので、これを扱うと60分では到底結論が出ないことから、ヤングケアラーの子の「ハワイに行く工夫」を色々描いたという「子の工夫」のほうにストーリーを寄せたというのは理解はできるのですが、やはり今現在でも現在進行形で問題提起がされているヤングケアラー問題に対しては何らかの「映画なりの回答」が欲しかったかな、というところです(問題「提起」がされているのかも微妙。実は「ヤングケアラー」という語すら出てこない)
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(減点なし/参考/ヤングケアラーと民法877条ほか)
ひとくちに「扶養義務」といってもいろいろなものがあります。
(1) 親が未成年の子、それに準じる年齢(※1)まで、親が子に負うもの
(2) 夫婦相互間
(3) 直系血族と兄弟姉妹(877条)
(※1) 大学進学が当たり前になった今、一般的な4年制大学を想定したとき、22歳までは「延長して」負うもの、と解する(あるいは留年しても、常識的な範囲まで)のが通説的な理解です。
このうち、(1)と(2)は「生活保持義務」といって「自分と同じ生活水準を相手にも与える義務」、(3)は「生活扶助義務」といい、「もし余裕があれば、その余った経済力で与えられる範囲で与えるだけのもの」というのが普通です。
そしてこの映画でいうヤングケアラーは、(3)にあたるケースであり、ほかには、(3)が参照するように、いわゆる生活保護申請時の「兄弟姉妹などへの調査」、あるいは「きょうだい児(※2)に関すること」がありますが、これも「もし生活に余裕があれば…」程度で、「自分を犠牲にしてまで扶助せよ」とはなりません。生活保護を申請すると、「兄弟姉妹の話」になりますが、そこでの問い合わせは形式的なものであるというのはご存じの通りですが、それでも行われるのは877条と生活保護法ほかの規定があるからです。
(※2) ある家庭に子が2人以上いるとき、ある子が障がい児(者)である子が健常者の場合、それを「健常者の側からみた視点で」、本人(健常者にあたる児)を「きょうだい児」といいます(姉妹兄弟関係なく使われる)。なお、障がい児(者)にも色々あり、重度身障でも自立して健常者並みの生活力があり、時として逆転することも当然ありますが(大震災などで経済事情が逆転することさえありうる)、そのような文脈では通常使用しません。
つまり、ヤングケアラーの子もその要扶養者に対しては「自己の経済・家庭等をそのままにすることを前提に」余裕があれば、程度のこと以上は民法上も行政も求めてきません。ましてヤングケアラーの子の場合、その子の進学や就職がそれによって阻害されるのは不当であるという事情から行政が色々聞き取って「それならこちらで対応しましょう」ということで結局老人ホームなどに入居することになるからです。ただ、その「行政につなぐまで」が制度上わかりにくかったり、仮に行政につないでも福祉行政の課にいても「親族をみるのは当たり前」みたいな回答をする職員がいたりというのもこれまた事実です。
ところがこの映画ではこの「ヤングケアラーの子の進路選択、将来の住まい、人生設計…」といった部分は多少出ますが(教員との進路調査か何かのシーン)、後はもう60分「ハワイに行く行かないの工夫のお話」になるので、問題提起がなく(行政が出る余地もなかったりする。福祉課等も一切出てこない)、それもそれで「趣旨は理解するが、数少ないこの手の問題提起型のタイプではもったいないな」というところです。
(減点なし/参考/いわゆる「ヤングケアラー」と旧民法と現民法での解釈)
旧民法といっても、第二次世界大戦より前の帝国憲法だったころの民法です。このころは親族編は「家族中心」の作りで、個人があまり尊重されていませんでした。「家族を支えるために各自協力せよ」といった趣で、このころには「子に対して親を「実際に」介護せよ」という大審院(現在の最高裁にあたる)の判例もあります。
ただ、戦後になって作り直された民法では「個人の尊重」がうたわれるようになったため、このような「具体的な協力」を求める規定は削除され、解釈上も、あるいは関連する法(生活保護法など)も、「余裕があればお金を出してもらえれば」といったものになり、実際に「(ヤングケアラーの子の当事者の)進路を奪う」といったことには「法律上の解釈上」ならなくなりました(ただし、福祉行政がしっかりしていなかったり不親切だとやはり同じ結論になるので、そこは注意が必要)。
サトちゃんといえばオレンジの象
認知症のおばあちゃんの面倒をみながら演劇の世界を夢見る高校3年の話。
昼間はヘルパーさんが来てくれたりもするけれど、母親はおらず父親と祖母と3人暮らしという家庭環境で、ヤングケアラーといえばそうなのかも知れないけれど、父親との関係も良いし、おばあちゃんのことも望んでやっている様な…。
そんなおばあちゃんの認知症の進行とパーキンソンも相まって、施設への入所を前におばあちゃんが望んでいたハワイ旅行へ!!となって行くとっても優しく良い子なサトちゃんだけど、大人の事情ももうちょっと汲んであげて下さい!ちょっとだけ恐いです!
最早勘違いさせる気無いだろ!とツッコミたくなる流れだけれど、その気持ちだけで幸せになれるお話しだった。
スパリゾートハワイアンズとアクアマリンふくしまのコンボの方が良いんじゃね?とか言っちゃダメだからね。
私のおばあちゃんも認知症でした
東京で生まれ育ち、父方のおばあちゃんが福岡にいました。
小学校低学年の頃まで福岡に一年に1回は行くたび「来年もいくからね」と
おばあちゃんに約束していましたが、次第に親の都合で行きづらくなり
電話での「来年こそは行けるようにするね」に変わり、
とうとう会えないままおばあちゃんは私のことを忘れてしまいました。
今でも後悔しています。
この映画のサトちゃんは、そんなおばあちゃんのためにできる事はないかと
親の反対や自分の進路のことよりもまず考え行動したところに感動しました。
あの時何ができただろう。
死んじゃったら何もできないから、たとえ綺麗事だとしても、現実的に難しかったとしても
何か自分にできたことがあったんじゃないかって、この映画を見て思いました。
これはヤングケアラーや病気モノの映画じゃない
終始明るいトーンで進み病気の説明が少ないのは、家族や大事な人が弱る時に、若い人や元気な人がどう生きてどう関わり、どう支えるかということに重点を置いているからだと思う。
辛い現実を辛いものとして描き、ありのまま寄り添うことも大事だが、年寄りも夢を諦める理由を自分にされたら溜まったもんじゃない。
高齢化社会、逆に逞しい若者が増えていくのだと思う。
「ありがとう」と「さようなら」
ヤングケアラーと老人介護の問題を通して、成長していく家族(祖母、父、女子高校生の娘)の物語
たとえ一番身近にいる家族だとしても、誰かのことを想い行動すること。それが、人を愛することだということを改めて感じます。
(実際の現場が、この映画のような場面ばかりではないことを認識しつつ)それでも家族の笑顔が見たいと思う気持ちは大切ではないかな。
以前何かの映画でのセリフ「ありがとう と さようなら は言える時に言わなきゃダメ」を思い出した。
俳優の皆さんはそれぞれの役どころにピッタリとハマっていて、とても素敵でした。
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