怪物のレビュー・感想・評価
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うがった見方
怪物だーれだ
話が進むにつれ、『怪物』が次々と移り変わって見える
それはそれぞれの立場や視点
そして噂、嘘などからも作り上げられてくる。
そして本当に気づくべき
虐待する親や真実を隠す教師、嘘をつく子供は
誰からもみつからない
さて、
ホシカワ君は
あのチャッカマンで放火をしたのだろうか
そう考えた時に
火災のビルの側で女の人と歩いていただけで
キャバクラに通っていると噂をされたホリ先生を
思い出す。
『うがった見方』
それについてホリ先生が語るシーンもあるところがまた面白い。
学校が大切だから本当は孫を轢いたのに
夫に代わってもらった校長先生
それは本当か??
この映画を観る中で
うがった見方で登場人物を見ずにいられた人はいるのだろうか
誰もが自分の観たいように
相手をみているのかもしれない。
虐待する父親はもしかしたら
自分自身も親から同じように育てられてきたのかも
これも、私が見たいように見たかたちです。
怪物というwordの使い方、予告も上手い!
まず、音楽
邪魔にならない主張の塩梅が素晴らしく、本当に美しかった!!!
そして、何にも増して、子どもたちの瞳が美しくて、
それだけで、なんだか泣けてきた…。
人は誰にとっても、捉える側の価値観で怪物になりえる、
母親の「私が話しているのは人間?」のセリフの通りで、
彼女からしたら、話の通じない先生たちは怪物で、
保利先生からしたら、生徒も先生たちも母親も怪物で、
理解できないものは、怪物というWordに当てはめてしまえるのかな。
そして、無垢なとは言い切れない大人になりかけの子ども…
湊は、周りと違う自分を見つけたとき、
また、お母さんの期待する人間に成れないかもな自分に気づいたとき、
自分の中に怪物がいるような気持ちになっちゃたのかなー。
汚れていない分、ウヨウヨと不安の怪物にどうしていいか判らなくなっちゃたのかなー。
依里くんは、あんなお父さんでも大好きなんだよね…
だから、戻ってきて欲しいがために、なまけものに徹していたのに、
急に怪物のごとく動き出しちゃった?
ここで、二人に好かれているが故に翻弄される保利先生、
良い人だったのに、かなりの被害者か?!
いちばん、振り回されているし… 苦笑
そして、田中裕子、結局、今回も一番、印象に残っている。
この校長先生が、自分の中の怪物も、周りの怪物も飼い慣らせている、
いちばんの怪物やも知れん。
また、予告編も上手い!
“怪物”というWordに観客の注意を向け想像を掻き立てる感じに作られてて、
これにもやられた!!
子ども時代の息苦しさを改めて感じた。
是枝監督作品は、普段忘れている心の下に沈んだ澱を、下からかき混ぜる。
観た後、いつも何とも言えない酸っぱい気持ちになる。
今回も、そんな映画だった。
私自身、男の子を2人育てたので、つい母親目線で観てしまった。
いやー、この状況、身が持たないよ。
先生方も学校も変だし、父親たちもダメだ。
湊たちが秘密基地を作りたい気持ちは分かる、でも、数々の奇行、危険行為は、ホンマに勘弁して欲しい。
今回一番感じたのは、「学校」という場、ホントに子どもの成育環境としてこのままでいいのかという点。
私自身、学校はしんどかった。
教師で尊敬できる人は10人に1人くらいだったし、クラスメイトで友達になりたい人はほとんどいなかった。
いじめに加担もしなかったけれど、特に助けもしなかった、学校の人間関係に無関心だった。
勉強を効率よくするために通っていたけど、「学校は刑務所のようだな。刑務所はここよりひどいだろうから、絶対に犯罪者にならないようにしよう」と思ったことを覚えている。
少子化対策の前に、今存在する子どもたちにきちんと向き合う必要があると思う。
坂本龍一さんの音楽は、クラシックのように魂に響きます。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
冷静に見れない
深い映画であった
死生感を小学生が考える世界こそ怪物なのかも
怪物は誰なのか探さなくていい。
人は様々な顔を持つ。
怪物だーれだ?
誰が怪物なのか、わからない。
全員が見る角度を変えると怪物に見えたり天使に見えたりする。
怪物は探さなくていい。
みんながみんな怪物の顔と人間の顔を持っているのだから。
2時間ドラマのサスペンスやミステリーとは対極だ。犯人探しをして最後に、こいつが犯人だった!と分かってスッキリする。
そういう作り物が嫌いだ。
だからなんなの?この人が犯人だから何?と一気に心は物語から遠ざかり、どうでも良くなってしまう。
だけどこの作品は違う。
頭を使って犯人を探すのでは無い。
心の方が物語に吸い寄せられ惹き込まれていくような感覚だ。
火事は全てを失うものでもあり、遠くから見ると美しくもある。
猫を葬るのは残酷にも見えるし、優しさも垣間見える。
こびりついた床の汚れをこそぎ落とすのは頭の下がる行為にも見えるし、自らの罪をこそぎ落とそうとしているようにも見えてくる。
少年二人が本当に素晴らしい。
片方ずつ靴を分け合って歩くシーンはたまらなかった。
2人だけの宇宙が存在する廃列車。
いつか逆再生する日は来るのかな。生まれ変わりはあるのかな?
坂元裕二の脚本は細かすぎていちいち他人に言いにくい事や言わなくていいこと、自分でもよく分かっていないけど、モヤモヤしていることを本当に上手く的確に代弁してくれるから好きだ。
言葉に出来ないことは吹奏楽の音に載せればいい。
声は出なくても怪物の悲しい鳴き声のように、いつか声に出せるまでいつまでもいつまでも響き続けるのだろう。
109のプレミアムシアターで贅沢に鑑賞した。
坂本龍一の美しいピアノの音を、坂本龍一が日本一音のいい映画館だと評した映画館で観る事ができたのも本当に素晴らしかった。
怪物とは?
現在、騒がれているLGBT、それを抱えた幼い子供。
病気だ、治す、という劇中の発言には、非常に心痛を覚えさせられました。
夕闇通り探検隊というゲーム中でも、発達障害の少女に同じ『治す』という表現が使われていて、その点を問題点化されていました。
正にそうした『普通』とは違う、という点がもたらす他人からの評価によって苦しめられる構図は同じものを感じましたね。
普通じゃないことを排他する、一般論という名の感性が産み出す、誰かを何処までも追い詰める善性の形をした型に嵌め込むそれが、本題の『怪物』なのだと、私は思いました。
結局、普通じゃない、とは、一般的ではないというマジョリティへのカテゴライズではないんだなと。
自分とは違う価値観である、という排他の思考なんだと言われたような、そんな映画でした。
だからこそのラストは、そこに至るまでにようやく気付いた先生と母は……誰も報われないなと、思わされました。
いやいやいやいや
子どもの嘘からだいぶ大人が人生台無しですし、保健室の先生、体操服に着替えてる時に虐待に気付いてくださいね?お風呂場で死にそうになってたのにあんな走れますか??え?結局BL?放火の犯人、何故バレない?
テーマは複雑でどこも問題だらけなんでしょうけど、ちょっとネタぶっ込みすぎ違いますのん?
最後収集つかなくなってるやーん!
賞レース的にはお好きそうな作品やね。
怪物は誰か
怪物観ました。
皆んな、いい、いい
言うもんだから期待高で映画館へ。
情報は出来る限り、入れないようにしていたので、タイトルと出演者、監督、坂本龍一ぐらいの情報で観に行きけました。
タイトルが強烈なので、初めは誰が、何が怪物なんだと、自分でもタイトルに先入観があるためか知らない間に怪物探しをしていました。
それぞれの視点で展開していくうちに、
怪物らしき物や人物がどんどん変わっていき、
混乱しましたが
基本は皆んないい人じゃん。皆んな一生懸命に生きてるよね。と思ってきました。
その内にLGBTの色合いが濃くなり
ラストシーンを見終わった頃には、
怪物探しをしている自分が、
実は怪物だったのでは、
と思ってしまった次第です。
是枝監督に怪物探しをしているあなたが、あなたの思考こそが怪物を生み出し、不幸の連鎖を引き起こすのだと、突きつけられてしまった感じでした。皆さんはどうでしたか?
私はエンディングの坂本龍一の曲が流れている中で、しばし呆然としてしまいました。
好きな映画ではないけど、映画を観たと言う実感が湧く映画でした。
出演人ですが
初めは安藤サクラさんの自然な演技に感心してましたが、永山瑛太さん、田中裕子さんは更によかった。
それに匹敵するぐらい子役の2人は素晴らしい。
kids are alright
心の中の怪物
人は誰でも内面に怪物を宿しているのだと思う。
他人の家の火事を見て興奮したり、他人のゴシップをあれこれ詮索して楽しんでみたり。
自覚はなくてもきっかけ次第で誰しもが相手にとって怪物的な存在になってしまう可能性があるのだ。
まずはシングルマザーで小学生の息子湊を育て上げてきた早織。
彼女は湊の言動に違和感を覚え、学校で苛められているのではないかと彼を問い詰める。
すると湊は担任の保利に暴力を振るわれた、「お前の脳は豚の脳だ」と暴言を吐かれたと衝撃の告白をする。
真相を確かめに学校に乗り込んだ早織だが、校長を初め学校の教師たちはまるで血の通っているとは思えない事務的な態度を取るばかりだ。
やがて現れた保利は誠意の欠片もなく、誤解を与えてしまったことだけをぼそぼそと謝罪をする。
誤解ではない、実際に暴力を振るったのかどうかを厳しく問い詰める早織だが、学校側はまったく真摯な対応を見せない。
その後も保利の湊に対する接し方は変わらず、早織は何度も学校に詰めかける。
そして湊の友達だという依里の証言で、ようやく学校側も保利が生徒に暴力を振るっていた事実を認める。
しかしそれだけで事態が収まるわけではなかった。
夜中に家を抜け出し山の中の廃トンネルに入ったり、自傷行為をしてしまう湊に早織はついつい感情的に接してしまう。
そしてある台風の夜に、湊は姿を消してしまう。
人はどうしても自分や自分の大切な人を傷つけられると、周りが見えなくなってしまいがちだ。
どこか自分を俯瞰する視点を持たないと、焦れば焦るほど事態は悪くなってしまう。
早織にとっては不誠実な教師たちが怪物に見えたかもしれないが、学校側も早織をモンスターペアレントだと認識していただろう。
そして物語は保利の視点へと変わる。
早織の目からは不誠実に見えた保利だが、不器用な彼は彼なりに児童と真摯に向き合おうとしていた。
ある日保利は教室で暴れる湊を抑えようとし、誤って怪我をさせてしまう。
彼の視点では確かに暴力を振るったと湊に誤解をさせてしまったようだ。
彼は早織に弁解しようとするが、学校側は事態がややこしくなるからと黙っているように彼を促す。
かと思えば最終的に学校を守るために彼にすべてを認めて謝罪するように迫る。
依里による日常的に保利が湊に暴力を振るっていたという証言は、彼にとってはまるで心当たりのないことだった。
やがて彼は辞職に追い込まれ、誤解を解こうと湊に迫るが、それがまた事態を悪化させてしまう。
保利にとっては学校側も自分に不利な証言をした児童たちも怪物に見えたことだろう。
大切な一人息子を助けたい早織と、誤解を解きたい保利の心情はとても共感出来る。
が、最後に描かれる湊と依里の心情は非常に個人的で共感するのは難しいと思った。
死んだ父親のようにはなれないとコンプレックスを抱く湊と、父親に虐待を受け、「お前の脳は豚の脳だ」と蔑まれ続けてきた依里。
お互いに強く惹かれ合うものがあるのだが、依里はクラスで苛めにあっており、湊は仲良くしているところを人に見られたくない。
だから人前では湊は依里に対して残酷な仕打ちをしてしまう。
他人から見れば湊が依里を苛めていると受け取られても仕方がない。
二人が誰にも気兼ねすることなく心を通わせることが出来るのは、廃トンネルを越えた先にある廃電車の中だけだ。
ここは二人にとって特別な場所となる。
鬱屈したものを抱えた二人は、いつしか保利を悪者に仕立て上げてしまう。
二人にとっては正統的な理由があったのかもしれないが、人生を狂わされてしまった保利があまりにも不憫である。
それでも保利が自分に落ち度があったのだと、湊を救おうと懸命に働きかける姿には心を動かされた。
この作品を見て、例えば残酷な事件を起こした犯人がいたとして、真相を知らない人々はその犯人を怪物のように捉えるだろうが、ひょっとするとその犯人は誰も理解者がいないまま追い詰められるところまで追い詰められてしまった犠牲者である可能性もあるのではないかと思った。
無自覚に、あるいは無神経にその犯人を追い詰めてしまった人々の中にも怪物は存在するのだろう。
「怪物だぁれだ」という呼び掛けが何度も繰り返されるが、真相を知るうちに真の怪物などいないのだとも、どこにでも怪物はいるのだとも感じた。
一番印象的だったのが、事務的で感情のこもらない、孫の事故死に関与しているのではないかと囁かれていた校長の伏見の「誰でも手に入れられるのが本当の幸福」だという言葉だ。
本当は幸福はすぐ近くにあるのに、人は人と比べたり、高望みをすることで幸福を手放してしまう。
そしていつしか心に怪物を宿すようになる。
とてもメッセージ性の強い作品で、是枝監督らしいリアルで自然な演出が今回も際立っていたが、やや脚本が技巧的すぎて、『誰も知らない』のようなストレートにずんと心に響くような感動は薄まってしまったようにも感じた。
全員のそれぞれの視点からみた時に分かる作品
あれこれ納得いかない
まず怪物というタイトルがやり過ぎ
相互理解がどうのやら誰もが怪物になり得るやら解説してるが人間なんてエスパーじゃないんだから言われなきゃ分からんのは当然
あんな明確に子供に嘘つかれたらそりゃ大人社会も混乱するわ
だいたい同性愛だのイジメだのより「自分の嘘のせいで何も悪くない教師が自殺未遂まで追い込まれた」方が一生のトラウマだろうがその辺淡白すぎないか
飴もやり過ぎで、あれで保利のキャラがぶれてしまった
いい先生だけどちょっとズレてるかな?程度にすべきなのに完全に非常識なアホだ
子供に嘘つかれて教師に飴食べられたら安藤サクラもモンペになって当然
小学生の同性愛というテーマもピンとこない
体つきも声つきも未分化な小学生同士で本当に自分の性指向をはっきり認識できるのか?
自分が小学生の頃もそんな周囲に性的興味あった記憶もないし単に好きな友達と一緒にいたいってくらいしか無かったしスキンシップしてたらはずみで勃起くらいすることもある
小学生なら男の子っぽい女の子やその逆の男の子もよくいるがそれは性自認というより家庭の環境だろう
自分の性指向を意識して思い悩むのは第二次性徴後なのでは?
同級生の女の子の猫についての話も分からん
湊が猫の遺体を埋葬のため運んだところを見て「遊んでた」と言ったのかもしれないが、聞いた方は「猫を殺した」と誤解する可能性は十分あり、小学生高学年なら誤解されたことくらい察するだろうに何で説明し直さないのか
大事になって怖くなったから、とかならもっと頭の悪い無責任そうなキャラにすべきだった
中村獅童の「豚の脳」という不自然な表現は理由あるのかと思ったが唐突に出てきただけで意味不明
息子に男らしさを求めるくせに花の名前に詳しいという男らしくない趣味に反発せず庭の花にご丁寧に水やってるのも不可解
全部捨てるくらいせえよ
ラストも「わざとギリギリ不自然な描写入れて生死不明にしたろ!」というのが透けて見えてなんだかな
視点切り替えが面白い
何の予備知識も入れず、映画館で観た予告だけで惹かれて観にきたので、ナニか森に得体の知れない怪物が潜んでる…とか、そーゆー類の映画だと思ってましたw
だからホントに途中まではいつ、どんな怪物が出てくるんだろーって、ワクワクドキドキしてましたw
麦野親子のシーンから始まって、お父さんが亡くなってシングルマザーと小学生の男の子の2人での生活だとすぐわかる。
少しずつ様子がおかしくなる息子の湊に不安になり、息子が学校の保利先生にいじめられてるかもしれないとなり、学校に抗議に行く母。
学校の校長先生はじめ、保利先生、その他の先生の様子がおかしい。対応が酷くてイライラする。
特に校長先生。
話合いの中でもしかしたら息子はクラスの男の子を虐めてるかもしれない…という問題も浮上してきた。
その男の子がクラスメイトの星川依里君。
と、物語は湊の母役の安藤さくらの目線で展開していく。
で、その後、息子の湊目線、保利先生目線、校長先生目線、星川君目線と切り替わってちょっとずつ答え合わせをしていく感じで物語が進んでいくのが、すごく面白かった。
大人の醜さ、子供の危うさ、言葉の重み、イジメだけじゃなく、色んな感情をとても上手く表現してた。
全部を解明してくれてはなくて、『え?これって?』という疑問がいくつか残されてて、観る人によって解釈が分かれる部分が散りばめられてた。
かと言ってモヤモヤが残るのとはちょっと違う感じでした。
坂本龍一さんの音たちも、物語ととてもいい重なりをしてて、良かったです(^-^)
是枝監督こそが「怪物」である。
奥深い作品
全1019件中、421~440件目を表示














