「無いことも描く事の是非」怪物 mrkc7さんの映画レビュー(感想・評価)
無いことも描く事の是非
同じ出来事を複数の目線で見て比べると違うものに見える、という描き方は好きな手法ではある。が、この作品はおそらく意図的だろうけど、違う物を見せてる。
例を示すと保利先生は目線によって全く違う描かれ方をしている。謝罪の時に飴を舐め出す異常性。これは母親の疑いというバイアスが見せた幻であり現実なのだろう。
私が好きな目線を変えると見え方が変わるというのは、あくまでも「同じ物」を見せるのだが、本作はある意味見た角度の違いに感情や内面を通した「その人にしか見えない事実」を描いている。
これは描き方として正しいのか?
私には鑑賞者の見方に委ねないやり方のように見えた。
それが悪いとは思わない。作り手の意図がストレートに映る、こう見て欲しいという意図の通り受け取れる。悪いことでは無いと思う一方、じゃあ真実はどうなのか?
全て見れば保利先生は謝罪の途中に飴を舐め出すような人では無いとわかる。じゃあ飴を舐め出す演出は必要だったのか?
この映画の本質はいない怪物を鑑賞者が見つけたくなる事へのアンチテーゼではなかろうか。その作品でこの手法を取ったのはどういう意図からか?
考えさせられる作品だった。
にしても、子供が叫びながら走る演出ってどうなんだろうねw
ここまで【演出・手法に関して】
【映画の中身に関して】
子供って平気でウソをつく、大人は立場で嘘をつく。
子供は残酷で大人もまた残酷だ。
どちらも後戻りは難しい。
子供も親も先生もほとんどの人のほとんどの言動に悪気はない。だからみんな幸せになってほしいな。
【音楽:坂本龍一 に関して】
パンフレットを見て知ったが書き下ろしと演奏は2曲のみだったそうな。難しい作品に向き合われたが「残念ながら」と記されていた。それでも静かに映画を支えるに足る良い音楽だと思いました。