「長野県諏訪湖にほど近い小学校。 クリーニング店で働くシングルマザー...」怪物 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
長野県諏訪湖にほど近い小学校。 クリーニング店で働くシングルマザー...
長野県諏訪湖にほど近い小学校。
クリーニング店で働くシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)は、ある日、5年生のひとり息子・湊(黒川想矢)がいじめに遭っているのではないかとの疑念を抱く。
幾日か経た後、その疑念は確信にかわり、いじめの主体は教師にあるように思えた早織は、学校へクレームを入れに訪れた。
そこでは、担任教師の保利(永山瑛太)のみならず、校長先生(田中裕子)も死んだような眼をして、頭を下げるだけだった・・・
そして、、担任の保利からはなぜこのような事態になったのかはまるで理解ができないままで、保利の眼では湊を虐待したことなど一度もなかったとしか思えなかった・・・
といったところからはじまる物語で、母親・早織と担任教師・保利からみた事態の顛末はまるで異なっている・・・というのが映画の導入部。
いや、導入部と書いたけれど、ここまでで1時間以上経過している。
それぞれの視点からの事態は、様相が異なっており、いわゆる黒澤明監督『羅生門』的でもある。
で、大人ふたりの視点からの物語のあとに少年の視点の物語がつづられるわけで、早織の息子・湊と彼の友人・依里(柊木陽太)の物語が本編のメイン。
ここで映画かれる物語は、かつてならば「奇妙な」と形容される類の友情譚なのだけれど、現代の価値観からいえばそれほど奇妙でもない。
依里は、ある種のギフテッドのような才能があるのだけれど、周囲との同調性はなく、なかんずく中性的な魅力にあふれている。
(ギフテッド的才能なのはわかりづらく、観ている間はある種の発達障害にも感じられました)
さて、そんな依里だから周囲の男子生徒(男子だけなのは、よく見るとわかる)からは疎外されて、いじめの対象になっているのだが、本人は唯々諾々、馬耳東風、そんな馬鹿なことには当事者でありながら我関せず。
そんな依里に好意を抱いていく湊の物語として、一本の独立した映画でもよかったのではないかしらん、と思った次第。
思春期前夜の少年の恋愛とも友情ともつかない物語を、映画は、『銀河鉄道の夜』『スタンド・バイ・ミー』のモチーフも用いて描いていきます。
坂本龍一の音楽と相まって、切ない感じが醸し出されてきます。
さらに、依里少年の無邪気さが、意図的な邪気はないのだけど、すべてが善意ではないという感じで、妙に大人以上に大人びていて不気味なところも魅力なのだが・・・
で、個人的に評価が悩ましいと感じたのは、前半の大人ふたりの視点をわざわざ切り出してみせる必要があったのかどうか、というところ。
たしかに、ものごとは一面的でなく、みた人によってそれぞれの受け捉え方はかわり、真実とは遠ざかっているのかもしれませんが、後半の少年たちの物語と比べると、なんだか図式的になっているような感じがしないでもない。
また、後半の少年たちの物語に、校長先生の視点がはいっているもの、観ている方を混乱させます。
(組織のなかで、虚(嘘)をとおして、自分を守ろうとする身という共通点はあるものの。また、校長先生と少年ふたりが同じコインの表裏というにしては、なにかコンテキスト的には弱い感じもするわけで。)
ということで、ラストシーンも含めて傑出したシーンもあるのだけれど、どこか「ヌエ的な映画」という感じを拭い去ることができず、もろ手を挙げて評価するところまではいかなかったです。
なお、ヌエというのは「猿の顔、狸の胴体、虎の手足、尾は蛇」という日本の昔の架空の動物ですが、ま、その実、レッサーパンダだよね、という動物学者もいるようです。
ははは、レッサーパンダ。
湊くんと依里くんのようでかわいいね。