カンフースタントマン 龍虎武師 : 映画評論・批評
2023年1月3日更新
2023年1月6日より新宿武蔵野館ほかにてロードショー
世界中の映画に影響を与えた香港アクションの真髄を目撃して欲しい
1970年代から90年代の香港のカンフー映画やアクション映画が、世界中の映画に多大な影響を与えた理由とその原点を知ることができる貴重なドキュメンタリーである。
カンフー映画のルーツは中国の京劇にある。1960年代には香港に4つの京劇学校ができ、サモ・ハン、ジャッキー・チェン、ユン・ピョウはもちろん、後にそれぞれのスタントチームとなるメンバーも青少年時代に各京劇学校での厳しい訓練によって、武術と演技の基礎を叩き込まれたのだった。彼らがどのような厳格な教育を受けていたのかは、映画「七小福」(1988)でも知ることができる。
そして、彼らが卒業する頃には京劇の人気が下火になってしまったことから、活躍の場を映画のスタントに移すことに。当時の香港映画のカンフーシーンは京劇の流れを汲んだ、舞踏のような戦い方が主流だったので、多様なアクションに対して彼らは柔軟に演じることができた。だが、ブルース・リー主演の「ドラゴン危機一発」(1971)が大ヒットすると、舞踏ではなく実践的なものが要求され、カンフー映画に変革が起きる。さらに、そのブルース・リーが1973年に急逝してしまうとカンフー映画の人気は低迷し、スタントマンの多くが職を失うことになってしまったのだ。
それを打破したのが、本物の武術を取り入れたカンフー映画で活気を取り戻したサモ・ハン。さらにユエン・ウーピン(「マトリックス」アクション指導)が監督し、ジャッキーが主演した「スネーキーモンキー 蛇拳」「ドランクモンキー 酔拳」(1978)の大ヒットによって、アクション・コメディを確立。彼らはそれぞれスタントチームを作り、お互いに負けないアクションを生み出そうと競争を激化させ、1980年代は「香港のスタントマンにとって最も危険な時代」と言われた。スタントマンたちは「決して“NO”と言わない」という常軌を逸した精神で、香港アクション映画の最盛期を支えたのである。
建設中のビルから爆破による落下、急停止した2階建てバスから窓を突き破っての落下など、見ているだけで痛くて、命を落としてもおかしくないシーンの貴重なメイキングやアーカイブ映像が次から次へと登場。アナログ時代の撮影現場で理不尽にも命を懸けたスタントマンたちの姿には胸が熱くなる。ドニー・イェンやツイ・ハーク監督らに加え、実際に活躍したスタントマンたちが当時を振り返る。彼らの顔を見て、作品を思い出せる人はかなりの香港映画通だ。
香港の映画スタジオの盛衰、スタントやアクションの歴史をひも解き、その光と影に迫っていく。と同時に、1997年に香港はイギリスから中国へ返還されると、共産党政権、中国本土との関係が徐々に影を落とし、かつての勢いを失ってしまった現状も描かれている。活躍する場が減少した上に、デジタル時代に命がけのスタントマンになろうという若者は少ない。そこでレジェンドスタントマンたちは、次代を担う人材を育成し、スタントマンによるアクションを受け継がせていこうとしている。
なぜ世界中の映画に多大な影響を与え続けているのか。それは生身の身体によるアクションという、アクション映画の原点がもたらす興奮や感動を思い起こさせてくれるからだろう。
(和田隆)