ソウルに帰る : 映画評論・批評
2023年8月8日更新
2023年8月11日よりBunkamuraル・シネマ渋谷宮下ほかにてロードショー
世界が注視する俊才監督が新鮮なアプローチで描いた、アイデンテイティ難民
2022年カンヌ国際映画祭、ある視点部門での上映を皮切りに、各国で高い評価を受けた本作は、フランス生まれのカンボジア人、ダビ・シュー監督の長編フィクション2作目にあたる。
フランスでは海外との養子縁組がポピュラーだが、韓国では1950年代の朝鮮戦争の余波で、子どもを養子に出す家庭が急増した。本作はそんな背景を踏まえた現代の物語だ。
生後数カ月で父親に養子に出され、フランスの家庭にもらわれたフレディは、フランス人同様に育つ。日本でバカンスを送るはずが運命のいたずらで韓国になり、さらに韓国で親切な人々に出会ったことで、実の両親を探す旅に出る。
だが、フランス育ちの彼女は韓国語が喋れない。「典型的韓国人の顔」と言われると、「わたしはフランス人よ」と語るが、もともと両親を探す気はなかったと言いつつも、唯一の手掛かりだった出生時の写真を持ち歩き、じつは親に捨てられたという思いから心に大きな傷を負っている。ようやく父親と再会が叶い、「一緒に暮らそう」と提案されるものの、フレディにとってはすべてにカルチャー・ギャップがありすぎて、「幸福な和解」に至るどころか、鬱陶しいと感じてしまう。
一方、母親からは何の音沙汰もないことにひどく傷つき、何年経っても誕生日が来るたびに、「実母はどこかでわたしのことを思っているだろうか」と考える。そんな揺れ動く自分をどうにもできず、自虐的に生きるフレディが痛い。
シュー監督は、知人の経験をもとに脚本を書いたそうだが、二国間で定まらないアィデンティティに浮遊する感覚は、彼自身の経験も反映されているのだろう。主人公に寄り添いながら、複雑な感情の揺れを的確に掬い取る。夜のクラブに流れる催眠的な音楽、韓国の歌謡曲など、音楽も巧みに用いながら、フレディの内面のトリップを表現するのも心憎い。
オ・グァンロク(パク・チャヌク映画の常連)、キム・ソニョン(「愛の不時着」「ベイビー・ブローカー」)らが脇を固めるが、ヒロインを演じるのはビジュアル・アーティストで演技経験はなかったというのが驚きのパク・ジミン。彼女も韓国で生まれ、9歳でフランスに家族と渡った移民だという。勝ち気で自立し、奔放な一方で、誰のことも真に愛せない孤独なフレディを、体当たりで表現し、映画を牽引する。
出口のないフレディの人生は、どこに向かっていくのか。本作は現代のグローバリゼーションのなかで見過ごされがちな、「アイデンテイティ難民」のテーマを新鮮なアプローチで切り取っている。
(佐藤久理子)