オレンジ・ランプのレビュー・感想・評価
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他人事では無いと実感させられました。
貫地谷しほりさんの演技が本当に素晴らしいと思いました。39歳で認知症と言う、思いもがけない事になってしまった主人公さんが繰り広げる物語ですが、実際のとこ、挫けてしまい絶望になりがちですが、貫地谷しほりさんと和田正人さん夫婦が手と手をとりあい、時にはぶつかりながらも、二人で乗り越えて、いろんな意味でポジティブに容量良く生きてく様が描かれているのに感涙致します。胸が熱くなりました。最後に家族(子供達)もお父様の事を尊重して大切に思ってくれるとこに泣けます。おすすめ映画です。是非、観てください。
認知症とは悲観するのではなく付き合っていくもの
39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断され、絶望の縁に立たされるが、自分の思いを伝えることで諦めない人生を手に入れた実在の夫婦のお話。 時々ドラマや映画にもある題材だが、私自身無知で認知症をよく知らない為、"若年性アルツハイマー型認知症"と聞けば 気の毒に思ったりもしていたし、もしも自分もなってしまったらどんどん出来る事がなくなってしまうのだろうかとか、どうしたらいいんだろうとか大体は不安になったり辛い気持ちになってしまっていた。 しかし今日の鑑賞はとても勉強になった。 もちろん晃一さんの不安に押し潰されそうな気持ちもとても伝わってきたし、真央さんのどうしていいか分からないが良いと言われることは何でもやってみようという晃一さんを思いやる気持ちや、晃一さんを心配する余りサポートしてるつもりが結果的に追い詰めてしまうのだということもすごく伝わってきた。 でも忘れても出来ることは沢山あること、周りの方達の協力も素晴らしく、認知症の方のサポートをして働きやすい環境をつくることも、出来ることなんだなと明るい気持ちになれた。 やれることは自分で、出来ないことだけ周りを頼りにする。認知症とは自分が思っていたのとは少し違うようだし、認知症だからと悲観してはいけないのだ。 最後の老夫婦がたい焼きを食べるシーンがグッときてしまった。さっきまで無気力にしていた認知症の妻が、あんなにも美味しそうに頬張り、あなたも大好きだったわよねと半分こにして夫に渡す。認知症の介護で疲れきっていたであろう夫も、ほとんど忘れてしまっている妻も、それを吹き飛ばすかのように何とも幸せそうな2人にこの映画の真髄を感じた。 認知症になってもその尊い気持ちだけは覚えていたいと切に願う私自身だった。
『明日の記憶』からの社会情況の変化を示している
働き盛りの男性サラリーマンが若年性アルツハイマー症に罹り、家族で支え合うという展開としては、2005年制作の『明日の記憶』とほぼ重なるが、本作では、職場の理解やデジタル機器の利用、そして街頭での支援の求め方も示され、社会的支援体制が行き渡った時代性が感じられる。ただし、2004年制作の『私の頭の中の消しゴム』や2016年制作の『八重子のハミング』のように、重度化した状態を描いているものではない。
認知症に対してネガティブなイメージしか抱いてこなかった人も、本作をご覧になれば、見方が一変することでしょう。けっして「認知症になったら人生終わり」なんかじゃないのです!
2025年には高齢者の5人に一人は認知症になると言われています。そうなると多くの人にとって認知症は身近な問題となって迫ってくることでしょう。 そこで、あなたの大切な人が認知症になったら? あるいは、あなた自身が認知症になったら? これは、39歳で若年性認知症と診断された夫とその妻の9年間の軌跡を、実話に基づき描き出す、優しさに満ちた希望と再生の物語です! モデルとなったのは、主人公と同じ39歳で認知症と診断されながら、10年後の現在も会社勤務を続けつつ、認知症本人のための相談窓口の活動や自身の経験を語る講演などを行っている丹野智文さん。本作は、認知症とともに笑顔で生きる丹野智文さんの実話に基づく物語なのです。 認知症になった主人公を支えようとする職場や地域の仲間、そして家族の温かさに、思わず涙が溢れました。今まで認知症なんて関係ないやと見過ごしてきた人も、認知症に対してネガティブなイメージしか抱いてこなかった人も、本作をご覧になれば、見方が一変することでしょう。けっして「認知症になったら人生終わり」なんかじゃないのです! 本作をご覧になれば、「認知症になったら終わり」という偏見を捨て、「認知症になっても人生を諦めなくていい」ことを実感し、そのための手立てを見出していくことができます。 認知症本人や家族が、認知症とどのように向き合えば笑顔で生きられるのか。認知症になっても安心して暮らせる社会とは? その一つの指標となり得る本作は、年齢を重ねていく全ての人がより良く生きるためのヒントにも満ちています。 特に、認知症であることをオープンにする意義や、仕事や日常生活を続けるための工夫。「自分で出来ることは自分でしたい。困った時だけ助けてほしい」といった気持ちを伝える勇気。そして大切なことは認知症患者と家族や職場の人たちが、気持ちを伝え合うことです。それによってより良い大らかな環境が実現し、認知症の人の心の重荷を軽くすることができるのです。誰にとっても大切なのは、辛い時には周りを頼っていいのだという本作の主張に、大変共感できました。 39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された只野晃一(和田正人)は、妻の真央(貫地谷しほり)と2人の娘を抱え、不安に押し潰されそうになる厳しい現実に直面していました。そんな晃一に妻の真央は何でもやってあげようとするが、晃一は日ごとに元気がなくなっていったのです。 しかし、認知症の集まりに参加し、認知症と共存しながらも仕事や社会で活躍している参加者たちとの出会いをきっかけに真央と晃一の意識に変化が訪れます。「人生をあきらめなくてもいい」と真央と晃一が気づいたことにより、家庭や職場、地域など2人を取り巻く世界もまた、変化していくのでした。 なぜ晃一が普段通りの生活を送れるようになったのでしょうか。そこには晃一が忘却しても大丈夫にする自身の創意工夫ばかりでなく、晃一を支えようとする周りの温かい心。そして真央からの、「一人で抱え込まなくて、もっとみんなに甘えていいのよ!」という優しい言葉があったからこそなのです。 ところで、日本では認知症のシンボルカラーとして使われるオレンジ色。本作のタイトル「オレンジ・ランプ」は、“小さな灯”でも、みんなで灯せば世界はこんなにも明るくなる”という、認知症になっても安心して暮らせる社会づくりを象徴しています。そして 実際に劇中には、ランプ型懐中電灯の「オレンジ・ランプ」が登場します。真央が手にするランプは、彼女の不安の象徴です。しかし、物語の後半では、逆に晃一がランプ手にして真央に向き合う時、それは全く違う灯火となりました。彼が照らし出すのは、「ともに生きる」ことの本質です。本当の「やさしさ」なのです。 このランプは、認知症を照らすのではなく、人間を見る普遍のまなざしの灯りとなって晃一と真央のふたりを照らし出したのです。 最後に今の医療では認知症になったら回復は不可能です。しかし、認知症からの回復ではなく、ありのままの「人間」を取り戻す「人間回復」なら可能でしょう。 晃一は認知症になったことがきっかけで、人間回復し、「笑顔で生きる」ことの大切さに気付かされたのです。そして今や全国を公演で回って、自らの体験を語り、「笑顔」を全国に拡げています。 モデルになった丹野智文さんは、本当にお地蔵さまのようなお方だと思いました。 【参考】「笑顔で生きる」と涙 〜映画「オレンジ・ランプ」を観る〜 ~本作モデルの丹野智文さんの初号試写体験記(リンク禁止のため検索してください。)
認知症になったらもうおしまい、という不安を取り除いてくれる
アンソニー・ホプキンスの「ファーザー」で、ホラー映画のように強烈に植え付けられた認知症になることの恐怖や不安。 認知症という病気に対する無知からくる偏見、不安。 そういったものを取り除き、もしも病気にかかった時の対処、心構え、思いやりの大切さを教えてくれた。 これも映画のもつ役割の一つ。 ひとりでも多くの人に観てもらいたい作品です。 流行りの映画と二本立てにすればいいのに。それとも「ファーザー」と二本立てで上映すれば、、。 ネッツトヨタはワッツトートにしなきゃいけないのかな。いい会社なのに。
発想の転換
というのが人生にとってはとても大切ですね。 6年前くらいに丹野さんの講演を仕事がら聞く機会があり、大変感銘を受けました。 日本てすごいなと思います。帰り道がわからなくなっても思いやりで帰れる。 映像でみるとなおのことすごいなぁと感じました。 心の中に持っている思いやりって大切ですね。 考え方で困難を少し大変なくらいにできるなら色々考えて生きていけたらと思いました。
ナンパと間違われるシーン
私も街でサポートを必要としてる人がいたら、助けてあげたい。そうは思ってはいるけど、街で声かけてくる男性はほぼナンパ。道聞くフリして声かけて応えたらナンパだったってことが多すぎるのよ。だから最近は声かけられても無視。目合わせたり立ち止まったりしたらイケると思われずっとついてくる。こういう被害があるせいで、障がいを持った方やサポートが必要な方が助けてもらえないことがあるんだな。 オレンジバンドは、認知症本人もつけるのかな?そしたら分かりやすいし助けてもらいやすくていいですね。もっと周知されますように! 認知症を扱った作品って重くなりがちだけど、これはほっこりストーリーでよかった。タイトルの「オレンジランプ」って懐中電灯のことだったんですね。確かに、認知症=徘徊のイメージあるけど本人からしたらそう括られるのは嫌だろうな。私も家族が認知症だと診断されたら、病人みたいに扱ってしまいそう。だけどそれが本人からしたら苦しいってことがこの映画で分かった。 鑑賞中好きな人の顔が浮かんで、もしその人がこうなっても私はそばで支えてあげたいって思った。認知症を扱った作品って必ずパートナーがいるんですよねぇ。独身の人はどうするのよ。周りの人や社会のサポートがあったとしても無償の愛で介助してくれる人って家族くらいしかいないじゃないですか。認知症ではないけど「こんな夜更けにバナナかよ」は独身男性だったけど周りにサポートしてもらってましたね。やっぱり日頃の行いを改める必要がありますね。晃一も元々は営業トップで信頼があり、妻とも関係は良好、フットサル仲間からは愛されてる。認知症になっても、誰しもああなれるわけじゃないですよねぇ。 ところで只野家の家って「波紋」と同じ家!?それが気になって仕方なかった(笑)
周りがいい人過ぎる気もするが
2023年劇場鑑賞157本目。 若年性認知症を扱った映画は何作か観ましたが、男性は珍しいかも。最初にTVの取材で思ったような苦労話が出ないのでイラつくシーンで意地悪だなぁと思いましたがその後はいい人達しか出てこなくて本当にそんなうまいことばかりかなぁ、という感じでした。苦労なんかなかったですよ、と冒頭で言っていた割にはめちゃくちゃ苦労していましたけどね。 後半の工夫しはじめたり、助けを求めるようになってからは優しい映画でした。
オレンジの輪が支える!! あきらめない人生の再スタートを描いた作品
認知症になっても自分らしく生きる 家族や周りの人に頼りながらも、 自分で出来ることは自分でやる! 暗くなりがちな若年性アルツハイマー病を 題材にしていましたが、会社や社会に理解を 深めることができたストーリーでした。 海でサーフィンする姿を、砂浜から見守る 家族が温かい眼差しに見えました。
この人のドキュメントはテレビで見たけど、和田さんが良かった 地元の...
この人のドキュメントはテレビで見たけど、和田さんが良かった 地元の区役所がやっている認知症サポーター養成講座が コロナ前から気になっていたけれど、 延ばし延ばしにしないでそろそろちゃんと受講しようと思った 3.5に違い4
本当に多くの人に観て欲しい作品
評価が高いので鑑賞。 「オレンジバンド」の意味すら知らなかった。 祖母も父も認知症だったのに、、、 いい人が多すぎてちょっとリアリティにかけるけど、これもリアルなんだろうと。 もちろんこんなにいい人ばかりじゃないだろうけど、 認知症になると家族大変だな、、と思ってしまうけど、本人目線は逆に新鮮に思いました。 さ、、、15分後に、不良が殴り合う映画だ。
今週の「裏対抗枠」。多くの方に見てほしい超良作。
今年216本目(合計867本目/今月(2023年7月度)2本目)。 (参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))。 (おことわり) 実際の存命する人物がいらっしゃいますので、評価については作品について触れるものであり、本人ないしご家族等に対する人格攻撃の意図はないことは明確にしておきます。 認知症を扱った問題は多いですが、その中でもいわゆる「若年性系」を扱った映画です。 実在する現在も存命の方をモチーフにして作られたため、あることないこと入れることはできず、「この意味で」ある意味ドキュメンタリー映画のような様相になります。 また、看護師会や医師会、ほか、厚労省などの後援協力がかなり多く、それだけ良作ということでもあり、またこの手の映画はどうしても「正確さ」が論点になりますが、それらの後援協力がついているということは、(映画という娯楽を考慮したとき)あまりにわかりにくすぎる点等はカットしたり説明を入れたりした部分はあるものの、あることないこと入れてはいないはずです(苦情が殺到しそうです)。 認知症というとどうしても老人の方のものが一般に問題になりますが、若年性認知症というあまり聞きなれないものもあるんだ、ということを啓発する良い映画だと思います。今週はどうしても「インディジョーンズ」が本命枠で来そうですが、こちらもぜひぜひ見てほしい映画です。 採点に関しては下記、また、この映画の発展的な見方と言える論点についても触れておきました(実はちらっとだけそれを彷彿とさせる発言があります)。 ------------------------------------------ (減点0.3/なぜ福祉サービスを受けることができないのかについての説明が不十分) ・ 要は介護保険の制度上、若年性認知症の第2号加入者は40歳以上なので、39歳だと受けられない、ということですが、ここはちゃんと説明があってよかったのではないかな…と思います(映画の説明は微妙に足りていない)。 ------------------------------------------ (減点なし/参考/序盤に「野菜の名前を多く言ってください」などの検査のシーン) ・ 「長谷川式」と呼ばれる認知症かどうかを簡易的に調べるテストで、幅広く行われています(野菜の名前は「できるだけ多く」で、5個までは点数なし、10個で最大5点、同じものはカウントせず)。 ※ この検査で、「果実的野菜」に分類される「メロン」「いちご」等を回答した場合、どのように採点されるのかは謎。 (減点なし/参考/認知症と任意後見契約、そのトラブルについて) ・ 映画の中で出てくる認知症の描かれ方は、ごく初期の段階かと思われますが、認知症は治らない病気だとされます。つまり、程度の差はあれ、どんどんひどくなっていくわけです。 このため、将来、何かあったときの財産管理等を士業(さむらいぎょう)と結ぶことがあります。一般的なのは弁護士ですが、行政書士や税理士が担当することもあります(何せこれからの高齢化社会で行政書士はダメだの税理士はダメだの言い始めていると足りなくなる)。 そして、認知症が進んだなという段階で、家庭裁判所に補佐・補助人に自身が任命され、引き続きお世話ができるようにという2段階の「セット契約」です。 このことは一般的に(行政書士以上または、介護系資格の)法的・福祉系資格を持っている方が任命されることが多いのですが、少なからずトラブルが存在します。 これらに任命された方は、家裁に申し出ることで本人の財産から一定の報酬を請求することを求めることができます(民法)。「できる」だけで、「払わない」場合もありえますが、通常は一般的な基準に従って支払われているようです。 ところがここで問題になるのは、「本人の財産から」という部分であるため、非常に「せこい」人は、「異様なまでに個人間の生活に干渉する」「ジュース1本買っただけでも怒る」「新幹線に乗ったら夜行バスにしろ」だの、いちいち口を出してくるケースが少なからず存在することです。これは法上、「本人の財産から支出して与える」以上、本人が積極的に財産を減らす場合はともかく(パチンコにのめりこむ場合等)、どうでもよい、ジュースを1本買っただの何だのにまでケチをつける人は一定数いて、これが「専門家に任せた場合のリスク」の一つです。 ----- ※ 「本人の財産から支出する」以上、当然、それ(成年後見業務)を業務(仕事)として行っている当該専門職からすると、極端な支出は当然やめてほしいと思うものの、一方で当然に補助人・保佐人のレベルではかなり自由度も高い制度でもある(民法)、そのバランスをとるという特殊な性質を持つ事情があるため、「あきらかな無駄遣い」以外に介入しすぎると人権蹂躙の恐れもあるという事情もあるため、この仕事は行政書士なり司法書士なりで選ぶ方は積極的には多くはないようです。 ----- 一方で「当事者で何とかする」(要は、(ケースによりなるかならないか不明だが)老老介護となる場合)ことも考えられますが、これがいろいろな点で悲惨な結末を迎えたのはこれもまた多くの方が知っている事実です。 この「認知症の方を対象とした財産管理のお世話」のお仕事の類型は、行政書士以上でも実際に広く行われているところ、コンプライアンスが低かったりするともめごとが絶えず、一方でこの状況では当事者(家族側)が全員高齢者となっており、「契約の解除」すらよくわからない…といった状況になっている場合さえあります(やり方自体は民法を読むなりするだけだが、「一般人」が専門職相手にそういう権利を主張できるというそういう状況にない、ということ)。 映画内ではこれらのことはちらっと出てくる(あの「あんこは食べるなよ」の部分はそれを「間接的に」とらえているといえる?)だけですが、認知症を取り巻く福祉サービスは実は国や市町村ではなく、財産管理等の観点ではいわゆる「サムライ業」が一般的であるがために、一定数のトラブルは見られます。 この映画はそのような契約を結んでいない(軽度だったから)ので描く場所がなかったから、ということになると思いますが、この「認知症の方のケア」の論点ではどうしても出てくる法律的な問題であり、そこは何らかケアが欲しかったところです。 ※ ただ、上述した通り、あることないこと描けませんので、減点なしの扱いにしています。
再スタート。
39歳という若さで若年性認知症と診断された妻と娘が二人いるお父さんの話。(実話)
もの忘れがひどく、同じ事を繰り返すで病院に診察へ、診察結果は若年性アルツハイマー型認知症、病気を患った本人だけでなく周りの家族、仲間、会社の人間が病気へ向き合うストーリー。
作品観ての率直な感想は他人事ではないし、恐い病気ですよね...記憶が薄れる、記憶がなくなるって、もし自分がこの病気を患ったら生き地獄だなっと思ってしまうと思います。何も知らない私からすると。
ただ作品を観て思ったのは、病気を患った本人は諦めるのではなく、出来る事は自分でやり出来ない事は強がるのではなく人へ助けを求める、また周りの人間は心配だからといって特別扱いや何でも取りあげるのでなく普通に接してあげる事が病気の進行を遅らせるのかなと思った。何もさせないのもよろしくないですしね。
本作は若年性認知症の話でしたが、私の両親は健在、でも両親のどちらかがこの病気を患った時に私はちゃんと向き合えるのか心配。
近い将来の自分を観てるみたいだった。
39歳で若年性アルツハイマー型認知症になった和田正人演じる晃一と貫地谷しほり演じる妻の真央のお話。そりゃ、こうなるわさ。自分の家族に認知症の人がいないんだもん、どんな症状なのか分からないから、心配度数がアップして世話を焼かれすぎて、旦那が怒る。分かる〜っ!本人にしてみればちょっと思い出せないだけなのに、重病人の様にしっかりセルフケアしろって説教されてるみたいだもん。やだよ〜。それにしても晃一が働いている自動車販売会社の皆さん、凄い親切。だって営業のエースが、認知症になって会社にちょいちょい迷惑かけてんのに、彼の気持ちを理解してあげてサポートする事に。そんな会社ありえる?悪い人は一切居ないとても優しい映画で、ずっと共感ウルウル。とても楽しめました。 ちょっと残念だったのが、最初に9年後48歳の晃一が夫婦で元気にインタビューされてるシーンから始まったところ。それ、オチじゃん!この話、悲しくならないのが分かっちゃった。それに2人の娘が機嫌悪いって言ってたのに、そのシーンが全く無かった。何で?
人生は個人戦ではなく団体戦
喜びは他人に話すことで倍になり 悲しみは他人に話すことで半分になる 改めて、言い得て妙 だけど、なかなか実践できない、どうしても自分が自分がとなってしまう。 人は、長い人生、知らない誰かに救われていることをもっとよく知るべきである。
前向きに進む事だけ、を謳った作品。
アルツハイマーと診断されたら前向きになるまでが至難な道のりと思うけれでそこは意外にあっさり描かれた。が、ポジティブに考えればいろいろなプラスなことも見えるし前向きに生きていける、って事を知るのに見る価値あると思う。アルツハイマーのことを知るのは難しいし…。中盤からは人の優しさに泣かされっぱなしだった。
【”思いやりという小さな灯。”若年性アルツハイマー型認知症に罹患した敏腕営業マンの深い喪失感と再生していく様を描いた作品。それまでの認知症に罹患した方への誤った考えを、修正してくれた作品でもある。】
ー 映画で観た来たアルツハイマー型認知症者の描き方は、「ファーザー」「アリスのままで」を始めとして、悲壮感漂う事が多い。
邦画でも、高年齢者のアルツハイマー型認知症の描き方は、矢鱈にヒステリックに家族に怒鳴り散らしたり、矢張り暗いトーンで描かれている事が多い。
それが、いつの間にか(幸いにも、近くに罹患した方が居ないため、実態を知らない。)刷り込まれていた事をこの映画を観て、認識した。-
◆感想
・最初に、この映画の出演者の演技は貫地谷しほりさんを除いて、素人っぽい。(ホント、スイマセン。)敢えてなのかは分からない。只、それが却って現実味を帯びたのは確かである。
・鑑賞理由は、余り描かれて来なかった若年型認知症に罹患した方の実話ベースである事である。39歳と言えば、私よりも若い。可なりキツイシーンも多数あるだろうと思いながら、劇場へ行ったが、その予想は裏切られた。
・主人公の只野(和田正人)は、当然悲嘆にくれるのであるが、彼の妻、真央(貫地谷しほり)が心を痛めながらも、表面上は実に明るく夫に接するのである。
そして、只野も掌に”怒らない!”とペンで書くのである。
■印象的だったシーン
1.元サーファーだった夫を持つ夫人(中尾ミエ)が楽しそうにサーフィンをする夫を見て言った言葉。
”認知症の人は、感受性が高いの。だから、家に閉じこめて周りが悲壮感一杯になると、暴れだすの。”
ー これは、知らなかったな。成程。-
2.只野が、会社帰りに家に帰る道が分からなくなった時に、近くの女性に”私は認知症です”と書かれたカードを見せ、男性や若い女性の助けもあり、無事に家に着くシーン。
ー ”周りに、頼れば良い”と言う考え。年配の女性がTVで”認知症だった事が分かったら、生きていけない。”と言っている事と、真逆である。”認知症は隠してはいけないのだな”、と学ぶ。-
3.只野が勤めている、ディーラーの社員たちも皆、彼に優しい。だが、それは只野が努力している姿を見ているためである。
ー 座席を記したモノ。後輩に営業マンのノウハウを記したモノを渡すシーン。-
4.只野が久しぶりにフットサルに参加した時に、仲間達に若年性アルツハイマー型認知症に罹患したと告げるシーン。
ー 仲間が、”俺たちはお前の事を忘れない。居なくなったら世界中、探してやるよ!”と只野に声を掛けるシーン。
只野が罹患する前に、如何に仲間や会社の同僚に慕われ、好かれていたかが分かるシーンでもある。人間関係の構築は、病に罹らなくても、とても大切なことなのであるなあ。-
5.真央が娘二人に、只野が若年性アルツハイマー型認知症に罹患した事を告げるシーンからの、居なくなった只野(実は家に居た。)を真央が必死に探すシーン。そして、娘達もやって来て・・。
ー そして、只野と真央が二人になった際に、二人で口を揃えて言う只野のプロポーズの言葉。”何があっても、ずっと傍に居て下さい。”
”覚えて居てくれたの。”と言って泣き崩れる真央の姿。-
<今作は、私のそれまでの認知症の概念を変えてくれた作品である。
そして、2025年には5人に一人が認知症になると言われている高年齢化社会の中で、私達がやるべきは、認知症に関わらず、”困っている人には声を掛ける”という当たり前の事を地道に、愚直に実践する事なのだと、改めて思わせてくれた作品でもある。>
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