バビロンのレビュー・感想・評価
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“盛者必衰”の様式美を守った悲劇
「バビロン」(原題:Babylon)。
いやー3時間9分。圧倒的な物量投入で飽きさせないところは見事というしかない。作品の評価には賛否両論あるけれど、お金かかってます。
『ラ・ラ・ランド』では、映画の”テクニカラー”時代をオマージュしていた。本作でデイミアン・チャゼル監督は、”無声映画からトーキー映画”時代を舞台にしている。映画愛好家のための大河ドラマPART2とでもいうべきか。
ネタ的には『アーティスト』(2011年)の焼き直し部分もあり、下品なシーンを笑えない人にとって、ひどくガッカリさせられることは間違いない。クールな悲愴感があった『アーティスト』とは大きく異なる。
本作のいいところは、栄華を極める支配者が転落していく「悲劇」のフォーマットに忠実なところ。“盛者必衰”の様式美を守っているところがうつくしい。「平家物語」である。
いつの時代も自信過剰なトップは反吐が出るほど下品で、序盤でそれを強調しながら、後半の転落とのコントラストをつける。一方で、多くの悲劇作品がそうであるように、人間の愚かさが浮き彫りになるサマは「喜劇」とうらはらだったりする。見方によっては笑いが絶えないコメディでもある。
ストーリーは、夢を抱いてハリウッドへやって来たメキシコ青年マニーと、彼と意気投合した田舎出の女優ネリーのロマンスを軸に、無声映画の大スター・ジャックとの出会いにより大きく動かされる2人の運命を描く。もちろんネリーはスターの階段を駆け上がっていくわけだが、やがて、トーキー映画の革命の波が業界に押し寄せてジャックとともに没落していく。
ある意味で、昔の人気俳優=ブラッド・ピットと、新進気鋭の女優=マーゴット・ロビーというキャスティングは皮肉っぽい。いま一度、俳優業に力を入れはじめたばかりのブラピの実力は間違いないが、なにも悪いところはないのにその演技に苦笑してしまう…。
音楽は間違いない。すでにゴールデングローブ賞の最優秀作曲賞を受賞しているジャスティン・ハーウィッツの音楽はキャッチーさは、耳に強烈に残る。『ラ・ラ・ランド』と同様だ。
それにしても最近、3時間級の映画多くない? 『RRR』(179分)、『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』(192分)、『レジェンド&バタフライ』(168分)、『バビロン』(185分)…。インターミッション(休憩)入れるべきかはどうかは別として、映画が終わってから時計を見てギョッとしてしまう。
(2023/2/10/ユナイテッドシネマ豊洲/Screen8/G-12/シネスコ/字幕:松浦美奈)
チャゼルの映画愛に魅せられる
こんな下品な映画、久々に見たわ!
序盤のパーティシーンとか最高かよ!
このご時世なかなか感じられないエキサイトさ
マーゴットロビーにしか出来ない役柄だとは思ったけど
もうああいう役ばかりで、なんだかなぁ
malegazeからは解放されないのね
とはいえ、レディフェイとのケミストリーは
良かったなと思いつつ……。
個人的には監督とのペアも凄い好きだった
あのガムのシーンね!!!!ああいうのね!!
あと、キャリーマリガンとの対談で本人が言ってたけど、
マーゴットは実際にああいう涙の流し方できるらしい
訓練したんだそう。本当にすげえ役者だわ……
ラストも映画好きを黙らせるような閉じ方で、
なんだか終盤でトビーマグワイア出てきたり
グダグダしたりしたけど、あれ以外ないよね
ジャック・コンラッドの人生の終わらせ方も
感慨深かったし、ネリー・ラロイの死も
新聞の訃報だけで終わってたのが妙にリアルに感じた
あと何と言ってもシドニー・パーマーね!?
あの侮辱される屈辱は堪らないよ、涙が出たよ。
あれ以上の冒涜ある??
それでも真摯に演奏する姿に痺れた
入館証返すシーンも格好良かったし、
彼が最終的に流れ着く居場所も、そうだよなとなった
どのシーンも人も衣装も風景も美しく楽しかった
何シーンかもういっかい見直したいんよな
いつしか魔法は解けて…
ハリウッド
言わずと知れたアメリカ
西海岸の映画の都
元々20世紀初頭は
NYやシカゴが映画の
中心だったものの
権利管理がうるさく
独立系の製作会社の
目を逃れて西海岸に
こぞって移動したとも
言われている
また単純に西海岸の方が
天候が良い日が多く
撮影に適している
といった事情もあったとか
今作は1920年代からの
映画産業をたどりながら
サイレント映画で隆盛を
築いたジャック・コンラッド
という俳優の栄光と没落
また映画産業に夢を見て
やがて果てた人々を
ディミアン・チャゼル監督が
独特のエッセンスで仕立て上げた
チャゼル監督は前作の
ファースト・マンで
史実通りあまりに謎めいた
男だったアームストロング船長の
描写において非常に面白く
今作も楽しみにしていました
で感想としては
200分近い尺ながら
そう長いと感じることもなく
作り手たちの映画に対する
思いを受け止められたし
非常に「割り切った」描写が
ポリコレ配慮でヤワヤワした
表現に終始する昨今の
映画界に一石を投じる
ものである印象を受けました
…ただアカデミー賞だとか
賞レースにする感じの
作品には思わなかったかな
お金もかけすぎかと…
1920年代のアメリカ
いわゆる映画にまだ音声がなく
字幕を挿入することで構成していた
時代のムービースター
ジャック・コンラッドは
昼間は撮影
夜は屋敷で(これぞの)
乱痴気騒ぎを繰り返す毎日
そんな現場で助手を務める
マヌエルは気まぐれで
ネリー・ラロイという
女優の卵を助けて
出演するはずだった女優が
オーバードーズで使えなくなった
機会にネリーを売り込み
チャンスを貰います
マヌエルも泥酔したジャックを
家まで送ったら妙に気に入られ
近くで働くようになります
当時の映画撮影の
「現場」はすごいもので
荒野の炎天下のど真ん中で
なんでも撮影
モノクロだし音声も後入れ
照明もないのでそこら中で
色んな映画を撮影
戦争のシーンでは
安ギャラでテキトーに集めてきた
エキストラにとにかく戦わせ
戦争さながら死傷者が続出
死者が出ると
酒を飲んでいたので…
っていうのは当時の禁酒法を
揶揄しているのでしょうかw
無声映画なのに
ムード演出なのか
現場で生演奏しているのが
印象的でした
そしてネリーは破天荒な演技や
いつでも泣ける特技を披露し
一気に注目の新星になります
マヌエルはネリーに惚れて
いましたがあっという間に
手の届かぬ存在に
そんな自分はジャックの補佐を
しながら要所で役に立ち
信頼を得ていきます
カメラが回ってないと酒で
ぐでんぐでんなものの
やる時はビシッと決める
ジャックに尊敬を抱いて
いたようです
しかし時代は進み1920年後半
映画に音声が乗るようになり
いわゆるサイレント映画から
トーキー映画が実現します
そうなると現場は一気に
音声を撮るために静かに
細かなマイクの位置
劣悪な録音小屋など様々な
困難があり
新しい体制に慣れない
現場やネリーが苦しむ
シーンは時代の移り変わりを
如実に表していました
そしてジャックもネリーも
トーキー時代にあっさり
対応できないという烙印を
押されてしまうのです
何より悲しいのは
上手いとか下手とかでなく
サイレント時代に輝いた人々の
「時代は終わった」という風潮
だけで片付けられてしまった所
いわゆるヒット曲がある歌手が
その後の活動を続けていても
「一発屋」の烙印を押され
揶揄されるようなもの
ジャックは当初は気にしないで
いたもののマヌエルは
トーキー時代にそれまで
裏方同然だったシドニーを
役者側に抜擢することで斬新な
ミュージック映画を仕立て上げ
時代に乗っかっていきます
かたやジャックは自分の能力を
一番認めてくれていた
フラれるとその都度
落ち込みやすい友人ジョージが
ついに自殺してしまったことで
精神的に後ろ盾を無くし
時代に置いて行かれた自分を
自覚していきます
ネリーもマヌエルに支えられ
これから映画産業の主流に
なりつつあるハリウッド進出を
目指しコネクションを作るべく
頑張ってみますがどうしても
馴染めずに大暴れ
マヌエルの顔を潰してしまい
ギャンブルに溺れ借金まみれ
マヌエルもシドニーに
出資者に要求されたとはいえ
人種を蹂躙するほどの
無茶な要求をして愛想をつかされ
うまくいかなくなっていきます
それでもネリーには泣きつかれ
一度好きになった女だからと
いうのもありネリーの借金返済
を工面しますがそれは
小道具が作った偽札で切り抜ける
というとんでもないものであり
結局バレてメキシコに逃げよう
とネリーに持ち掛けますが
それも叶わず…
そしてジャックは
すっかり魔法が解けた
ように消えた自分の将来を
悟り自ら…
冒頭の乱痴気騒ぎの中心人物の
あまりに悲惨な最期には言葉も
ありませんでした
日本でいうと
石原裕次郎は映画の世界で輝いて
いこうという時代にテレビ放送が
始まったことでいち早く
テレビドラマの世界に打って出て
石原軍団を作り上げ時代を作りました
でも流れに乗れずに消えていった
歌舞伎役者たちがいたのです
そして石原軍団もその後
活躍できるフィールドを託す
後継者を創り出せず消えていきました
生き抜いていくやり方が何か
あったのかというとやったところで
世間にはもう過去の人にされていた
というあまりに悲しい事実を
この映画は表現していた部分には
チャゼル監督の意図を強く
感じられたところです
エンディング近くは
なんとか落ち延びて
家庭を築き旅行がてら
ハリウッドに戻ってきた
マヌエルが遠ざかっていた
映画館に映し出される
ジーン・ケリーの美しい歌声に
涙する姿は野望に燃えていた
若い自分の情熱を惹起する
ものであったという
印象的なシーンでした
ニューシネマパラダイス
のあのシーンさながらです
過激なシーンが多分にあり
あれマーゴット・ロビーのあれ?
っていうびっくりするシーンも
ありましたが
自分はこの映画の映画をテーマに
した「つくりもの」であるという
部分のセルフパロディなのだろう
と解釈しているので
あまり真剣に考える必要は
ないと思っています
チャゼル監督らしい
独特の余韻を味わえる作品でした
最高に下品で、最高にオシャレ
これまでに幾度となく題材となったテーマ&時代ですが、さすがのチャゼル監督。天才的な編集で3時間以上の長尺を一気に魅せてくれます。およそ100年前の物語。ある登場人物たちが100年後を語るシーンにはグッと来ました。
「俺はもう孤独じゃない」
中々の阿鼻叫喚の地獄絵図が繰広げられる群像劇 ネット上では既に考察やネタバレがあるので
大体、そういう話で間違ってはいないし、兎に角品行方正とは真逆の映画に仕上がっている
映画史を紐解くという側面もあり、無法状態がベースでの、映画界とマフィアのアプローチも又興味深い
自分の感想といえば、兎に角今作品、ガラスの割れる音が多すぎる 多分意図的ではあるのだろうが、粉々に砕け散ったガラス片は絶対に誰かを傷付けていることだろう 勿論作品中にそういうシーンは出てこないが、ガラスコップや窓ガラスの破片はそれ単体は美しいと同時に凶器にもなり得る 破裂音も高く、驚きと恐怖ももたらす "映画"という表現方法のメタファー、そのものではないだろうか そしてラストの抽象シーンでのインクの滲みは、フィルムの薬剤、嘔吐、排泄、人間の感情、そしてガラス片や撮影中の事故死での夥しい血が、それこそ"ミソ○ソ"に混ざり合う様を暗喩していると考察するのだが、間違っているだろうか・・・
計画性も何も無い、行き当たりばったりで一攫千金を勝ち獲れた野蛮性をノスタルジーという蜜でコーティングした時代を検証する上でも重要な作品である
自己満映画史
ラ・ラ・ランドで大成功を収めた若きデイミアン・チャゼル監督、音楽のジャスティン・ハーウィッツ、撮影のリヌス・サンドグレンの3人トリオが手掛けるなんと180分越えの超大作。
ディエゴ・ガルバ演じる青年マニーの視点を借りながら、1920年代の無法地帯、狂乱のハリウッドの世界を疑似体験する映画。らしい。
主観映像を多用したカメラワークでまさにアトラクション感覚で体験できる今時の映画。
さらに早くもゴールデン・グローブ賞を受賞したイケイケの音楽でオープニングから盛り上げてくる。
が!!やっぱりハリウッド映画史を語るような映画はスピルバーグやイーストウッド監督等の巨匠の域に達した方に頼む案件かな〜。と思いました。
チャゼル監督には50年早い。
話のテンションとしてはウォールストリートの無法地帯を描いたスコセッシ監督の「ウルフ・オブ・ウォールストリート」に近かったが、狂乱もドラッグもエロもあっちの方が断然上。やはりギャングの街で育って本当の闇を知っているスコセッシ監督と裕福に育ったチャゼル監督とではどうしても差がついてしまう。
また、タランティーノのようにめちゃくちゃB級映画フェチズム全開で歴史改変もしてしまう「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のような映画にすれば楽しかったのかもしれないが、同じキャストを使っているのでこれもやはり差が出てしまうだろう。
何故このキャスト、この題材を選んだんだ彼は笑
本作は象の糞に始まり、娼婦のオシッコプレイやマーゴット・ロビー渾身のゲロ放射、そして締めはハリウッドのケツの穴と呼ばれる謎の洞窟(空調設備どうなってる?笑)など必要以上に下品な演出が多く、「ハリウッド映画史なんてカッコつけた映画じゃないぜ」というチャゼル監督の意思表示かもしれないが、正直照れ隠しにしかみえない笑
ラ・ラ・ランドの時のようにどストレートな映画でも良かったんじゃないかと思った。
映画愛云々に関してはどんなスタッフ・キャストも映画愛を持って作品づくりに臨んでいると思うので、それを敢えてラストシーンのニュー・シネマパラダイスのような映画のワンシーンを繋いで映画史を総括するような演出にしてしまうのはあざとくて寒かった。
デイミアン・チャゼルは大した演出家じゃないのかもしれない。
ブラピもマーゴットロビーもよくこんな映画に付き合ってあげたと思う。さすがプロ。
ただこれだけ予算もキャストも集まるんだから、やはりアカデミー賞受賞という力はすごいんだなと思いました。巨匠感を出そうとして出て来たのは糞とゲロだけだった笑
映画史はスピルバーグに任せて、厨二病VSハゲの「セッション」のようなアツい映画を待ってます。
来週2/17はポール・バーホーベン、ルカ・グァダルーノ、パク・チャヌク監督作が公開する大混戦!笑
酒薬タバコ差別なんでもありの3時間
物語の緩急が凄すぎて、鑑賞後はどっと疲れた。
ハリウッドらしいパーティーシーンは、やっぱりこれだ!と思わせる。一方、エログロシーンが結構出てくるので苦手な方は要注意。R15指定で男女のそういうシーンやゲロ、血など放映できるギリギリラインは全て話の中に出てくる。男女や親子では絶対見に行かない方がいい作品だと思う。帰り道気まずくなります。
キャストに対して思ったことは3つ。
①ブラピは主役ではないこと。あんなイケオジを、酔い潰れたおっさんにさせてしまう監督恐るべし。
②マーゴットロビーの圧倒的存在感。彼女が出てくるだけで、話が盛り上がるし絵面が強い。
③美化したキンタロー似の中国人が出てくる。アジアンビューティーで独特な雰囲気が、素敵だった。
LALALANDみたいな恋愛キュンキュンを求めていかないこと。全く系統の違う作品だと理解してから、鑑賞した方がいいと思う。また、劇中に流れてくるサックスの音が物語を引き立てる。音楽が流れるだけで、高揚した。
1920年代のハリウッドは、めちゃくちゃで全てがうまく行かない。うまくいかない期間が長く、面白くない作品かも思ったけど、最後のシーンで全て持って行かれた。最後を見た上でもう一回最初から見たいと思う。
【Once upon a time…】
予告編だけの情報で鑑賞したが思ってたのと違って映画愛に溢れる熱い作品。プロローグの乱痴気騒ぎのパーティーシーンは怖いもの知らずに飛び込む迸る熱気と欲望渦巻くカオス感てんこ盛りで掴みはOK。『ラ・ラ・ランド』のジャスティン・ハーウィッツが手掛けた音楽も強く印象に残る。
終始刹那と焦燥が入り混じる何とも言えないワサワサした感じが過渡期にあった当時の映画業界の肌感覚だったのだろうと想像。
エピローグで映画製作の表舞台から転落した男が、ジーン・ケリーが雨中をタップダンスしながら”Singin' in the Rain“を歌う映画史に刻まれる名シーンを観ながら涙しつつも最後に笑みを浮かべる表情が、時代に乗り時代に翻弄された心の機微に触れていた。
鑑賞中はさして感じなかったが189分はちと長いかも。
【”混沌と狂乱からの衰退。”サイレントからトーキーに移行していく時代、サイレント俳優の変遷をアーティスティックに描いた作品。デイミアン・チャゼルのサイレント&トーキー映画への敬意が溢れた作品である。】
ー 時代は1920年代のアメリカ、ハリウッド・・。サイレント映画全盛期、ジャック・コンラッド(ブラッド)は豪勢な宴を開き、我が世の春を謳歌していた。
そこに現れた、貧乏で名もなき、けれど気の強き女優の卵ネリー・ロライ(マーゴット・ロビー)と未だ何物でもなき男マニー(ディエゴ・カルパ)。
やがて、ネリーは偶々映画の役を貰い、見事なる涙の演技で、スター女優を蹴落とし、マニーもジャックに気に入られ、彼の付き人の様な立場になって行く。
が、時代は徐々にトーキー映画に移っていった・・。-
◆感想
・サイレントからトーキーに移行していく時代、サイレント俳優だった男が落ちぶれて、トーキーで成功した女性が彼を救う「アーティスト」をチラリと想起させるが、この作品の持つ”混沌”と言っても良い程のゴージャスで破綻し掛けている世界観に徐々に呑み込まれて行く。
ー サイレント映画での戦争シーンなどや、象がのし歩くジャックによる豪勢な宴のシーンなどは圧巻である。-
・だが、時代が進みサイレント映画が下火となり、トーキーに移行して行く中、サイレント映画俳優のジャックやネリーの姿。
ー ジャックが新しき演劇出身の妻に、映画の大切さを激しく語るシーンは沁みたなあ・・。
”誰もが演劇を観れる訳ではない!だが、映画は誰もが何度も観れるんだ!”
だが、ジャックが、満員の観衆が自身が主演しているトーキー映画での本来なら涙するシーンで大笑いしている姿を劇場のドアからそっと見ている姿。
ある女性評論家は、ジャックの時代は終わったというエッセーを雑誌に記載するが、ジャックに対しては、”貴方の演技が悪いわけではない。時代が変わっているのよ・・。”と呟くシーンは印象的である。
更に、ネリーもその”蛙声”を揶揄され、賭博や薬に取り込まれて行く。
■この辺りの映画の描き方が、エログロ&アーティスティックであり受け入れられない人もいるかもしれないな・・、と思いながら鑑賞続行。
・そして、ジャックは会談ですれ違ったホテルマンに多額のチップを渡し、部屋の浴場で拳銃で命を断ち、ネリーも又、賭博での負けのためにマニーの助けもありつつも、一人夜の街にフラフラと歩き消えて行く。
ー そして、新聞の片隅に載っていたネリーの死。且つては、スター女優だったのに・・。ー
■今作では、ブラッド・ピッドの演技は勿論であるが、個人的にはマーゴット・ロビーの目力とスターダムに駆け上がる様と没落していく様を見事に演じた姿が、印象的である。
<ラスト、家族を持ったマニーが且つて、重役にまで上り詰めた映画会社の門の前で守衛と交わす言葉。
前半の混沌たるサイレント映画時代の熱気と、中盤から後半にかけてのトーキー映画の波に乗れなかった俳優達の哀切なる姿が印象的な作品である。>
映画サイコー
映画サイコーといいなさい、そんな映画。
映画の世界で成功することへの青臭い情熱、時代に翻弄され人気になった次の瞬間挫折していく苦しみ、それでも捨てられない狂おしいほどの映画への思い。成功は眼を焼くほどの閃光のような輝きをもって描かれるが、そのためにそれが失われたときの絶望、闇の深さ、虚無感はすさまじい。
そんな諸行無常の世界に対比して語られる、映画作品の永遠性。ラストは映画が今後も永遠普遍に文化の王道として未来に続いていくことを思わせる。このごろ映画館上映作品じゃなくて、はじめからサブスク配信用として作られてる作品が増えてることへの反論なんだろうか。
若者の映画の世界への挫折を描いているこの映画自体がまぎれもない大作映画で、監督自身も大物監督だっていうことが不思議。
たぶん、今の監督の気持ちではなく、かつて映画の世界に憧れていたころの自分の情熱を純粋抽出してドロドロに煮詰めてエッセンスにしたんじゃないか。
ララランドみたいだなーと思って、似たような結末になることを予測してたので、終盤の展開には驚かされた。
サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の1920年代。映画...
サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の1920年代。映画で成功することを夢見ながらも時代や運命に翻弄されていく俳優たちの栄光と凋落をハイスピードに描く。最初からエンジンガンガンにふかしてアクセル全開。倫理観バグった中での、半裸全裸ドラッグ排泄暴力拳銃等、アウトでクレイジーな要素のオンパレード。
自分の存在が性的客体としてしか見られず、知的にも見下されることに屈辱を感じたマーゴットロビーが、名誉男子的に男前に振る舞うことで、傷つきながらも己の自尊心を奮い立たそうと懸命に全身で怒り、暴れ狂う。いや、乱れ狂う。凄まじい魂の叫びである。
並べて語ると本当に怒られそうだが、映画のための映画という意味では、エンドロールのつづきと通ずるものがある。あまり書くとspoilerになるが、根底にあるのはある意味どちらもpureで無垢な映画愛。こちらは見かけは手垢に塗れているかもだが、根底にあるのは無垢な魂。
以下、注意点と評価ポイント。
最初から急傾斜の超ハイスピードジェットコースターに乗せられて、トンデモない次元にぐわんぐわん連れて行かれる。ララランドで甘い世界観に惹かれた頭で見に行くと、まるで胸ぐら掴まれてガラス瓶で頭カチ割られに行くようなものなので、シートベルトは超必須。世界観とか話の方向性はある程度確認してから行った方がいい。
ふいに訪れるマーゴットロビーのサイレント映画シーン、あれぐらいの静寂と余韻が緩急つけて定期的にある映画だったら評価上がったかもしれない。
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