バビロンのレビュー・感想・評価
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最高に下品で、最高にオシャレ
これまでに幾度となく題材となったテーマ&時代ですが、さすがのチャゼル監督。天才的な編集で3時間以上の長尺を一気に魅せてくれます。およそ100年前の物語。ある登場人物たちが100年後を語るシーンにはグッと来ました。
「俺はもう孤独じゃない」
中々の阿鼻叫喚の地獄絵図が繰広げられる群像劇 ネット上では既に考察やネタバレがあるので
大体、そういう話で間違ってはいないし、兎に角品行方正とは真逆の映画に仕上がっている
映画史を紐解くという側面もあり、無法状態がベースでの、映画界とマフィアのアプローチも又興味深い
自分の感想といえば、兎に角今作品、ガラスの割れる音が多すぎる 多分意図的ではあるのだろうが、粉々に砕け散ったガラス片は絶対に誰かを傷付けていることだろう 勿論作品中にそういうシーンは出てこないが、ガラスコップや窓ガラスの破片はそれ単体は美しいと同時に凶器にもなり得る 破裂音も高く、驚きと恐怖ももたらす "映画"という表現方法のメタファー、そのものではないだろうか そしてラストの抽象シーンでのインクの滲みは、フィルムの薬剤、嘔吐、排泄、人間の感情、そしてガラス片や撮影中の事故死での夥しい血が、それこそ"ミソ○ソ"に混ざり合う様を暗喩していると考察するのだが、間違っているだろうか・・・
計画性も何も無い、行き当たりばったりで一攫千金を勝ち獲れた野蛮性をノスタルジーという蜜でコーティングした時代を検証する上でも重要な作品である
自己満映画史
ラ・ラ・ランドで大成功を収めた若きデイミアン・チャゼル監督、音楽のジャスティン・ハーウィッツ、撮影のリヌス・サンドグレンの3人トリオが手掛けるなんと180分越えの超大作。
ディエゴ・ガルバ演じる青年マニーの視点を借りながら、1920年代の無法地帯、狂乱のハリウッドの世界を疑似体験する映画。らしい。
主観映像を多用したカメラワークでまさにアトラクション感覚で体験できる今時の映画。
さらに早くもゴールデン・グローブ賞を受賞したイケイケの音楽でオープニングから盛り上げてくる。
が!!やっぱりハリウッド映画史を語るような映画はスピルバーグやイーストウッド監督等の巨匠の域に達した方に頼む案件かな〜。と思いました。
チャゼル監督には50年早い。
話のテンションとしてはウォールストリートの無法地帯を描いたスコセッシ監督の「ウルフ・オブ・ウォールストリート」に近かったが、狂乱もドラッグもエロもあっちの方が断然上。やはりギャングの街で育って本当の闇を知っているスコセッシ監督と裕福に育ったチャゼル監督とではどうしても差がついてしまう。
また、タランティーノのようにめちゃくちゃB級映画フェチズム全開で歴史改変もしてしまう「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のような映画にすれば楽しかったのかもしれないが、同じキャストを使っているのでこれもやはり差が出てしまうだろう。
何故このキャスト、この題材を選んだんだ彼は笑
本作は象の糞に始まり、娼婦のオシッコプレイやマーゴット・ロビー渾身のゲロ放射、そして締めはハリウッドのケツの穴と呼ばれる謎の洞窟(空調設備どうなってる?笑)など必要以上に下品な演出が多く、「ハリウッド映画史なんてカッコつけた映画じゃないぜ」というチャゼル監督の意思表示かもしれないが、正直照れ隠しにしかみえない笑
ラ・ラ・ランドの時のようにどストレートな映画でも良かったんじゃないかと思った。
映画愛云々に関してはどんなスタッフ・キャストも映画愛を持って作品づくりに臨んでいると思うので、それを敢えてラストシーンのニュー・シネマパラダイスのような映画のワンシーンを繋いで映画史を総括するような演出にしてしまうのはあざとくて寒かった。
デイミアン・チャゼルは大した演出家じゃないのかもしれない。
ブラピもマーゴットロビーもよくこんな映画に付き合ってあげたと思う。さすがプロ。
ただこれだけ予算もキャストも集まるんだから、やはりアカデミー賞受賞という力はすごいんだなと思いました。巨匠感を出そうとして出て来たのは糞とゲロだけだった笑
映画史はスピルバーグに任せて、厨二病VSハゲの「セッション」のようなアツい映画を待ってます。
来週2/17はポール・バーホーベン、ルカ・グァダルーノ、パク・チャヌク監督作が公開する大混戦!笑
酒薬タバコ差別なんでもありの3時間
物語の緩急が凄すぎて、鑑賞後はどっと疲れた。
ハリウッドらしいパーティーシーンは、やっぱりこれだ!と思わせる。一方、エログロシーンが結構出てくるので苦手な方は要注意。R15指定で男女のそういうシーンやゲロ、血など放映できるギリギリラインは全て話の中に出てくる。男女や親子では絶対見に行かない方がいい作品だと思う。帰り道気まずくなります。
キャストに対して思ったことは3つ。
①ブラピは主役ではないこと。あんなイケオジを、酔い潰れたおっさんにさせてしまう監督恐るべし。
②マーゴットロビーの圧倒的存在感。彼女が出てくるだけで、話が盛り上がるし絵面が強い。
③美化したキンタロー似の中国人が出てくる。アジアンビューティーで独特な雰囲気が、素敵だった。
LALALANDみたいな恋愛キュンキュンを求めていかないこと。全く系統の違う作品だと理解してから、鑑賞した方がいいと思う。また、劇中に流れてくるサックスの音が物語を引き立てる。音楽が流れるだけで、高揚した。
1920年代のハリウッドは、めちゃくちゃで全てがうまく行かない。うまくいかない期間が長く、面白くない作品かも思ったけど、最後のシーンで全て持って行かれた。最後を見た上でもう一回最初から見たいと思う。
汚ネタの許容度でも評価が分かれる?ちょっとブラックなハリウッド昔話
舞台は1920年代のハリウッド、サイレントからトーキーへの移行期。ブラピやマーゴット・ロビーを起用してデイミアン・チャゼルが描く、スターの栄枯盛衰。これらの要素で私の期待はいやが上にも高まっていた、のだが。
冒頭の猥雑さを極めたパーティーのレベルのテンションが、基本的にずっと続く感じだ。序盤は賑やかな画面が楽しかったものの、3時間という長尺も相まって、見ているこちらがだんだん息切れしてくる。一息つけるシーンは、体感でクロールの息継ぎ程度の短さ。ちょっと、緩急のバランスが偏り過ぎかなという気がする。登場人物にじっくり感情移入するような時間的・映像的なゆとりがない。
それと、汚物の場面を殊更に挿入する意図が正直よく分からなかった。業界のダーティさの暗喩?にしても、冒頭いきなり象の糞(しかもゆるい)、ネリーの嘔吐(何かの仕掛けかCGか分からないけどやたら勢いを強調してた)、マッケイの手下の痰吐き、マニーの失禁、あとついでにネズミを食べる、これ全部必要ですかね。
度が過ぎると、見る側(人によるが)の生理的嫌悪感だけをいたずらに煽る形にならないか。お勧めする相手を選ぶレベル。
ラストのさまざまな映画や色のフラッシュバックも、光の点滅に近いようなどぎつさがあり、その中に「アンダルシアの犬」の目玉を切るシーンが紛れていたりして、久しぶりに映画で生理的に気分が悪くなってしまった。
(手持ちカメラ映画「ブレアウィッチ・プロジェクト」を最前列で観て乗り物酔い状態になって以来。普段は鈍感なのだが、お腹が空いていたのもよくなかったかも)
長いアバンでのパーティーのごちゃごちゃしたハイテンション感自体は華やかで妖しくて、見応えもあって好きだし、テンションを押し上げる音楽の力もすごい。その後屋外で行われていたサイレント映画の撮影風景は当時の様子が分かってとても面白かった。ネリーが泣き方の演技を細かく変えて自分の力量を認めさせる場面は爽快だ。
トーキーになってから、スタジオでネリーが大学生(?)を演じるシーンの撮り直しは、繰り返しがちょっとしつこかった。
雑音が入って何遍も取り直して現場がうんざりする、というのは分かるが、テイクの繰り返しを全部そのまま観客に見せて、観客を実際にうんざりさせる必要はあるのかな?この辺は時間を削れたのではと思う。
マッケイを見ながら「トビー・マグワイアに似てるなあ、まさかなあ」と思っていたらトビー・マグワイアだった。彼の出演作を全部チェックしてはいないが、こんな役やったことあったっけ?とてもいい雰囲気が出ていた。
私が、チャゼル監督の前作までの流れで、人間の内面を描き出すドラマを見るつもりになっていたのがよくなかったのかも知れない。無名の男女が業界で名をあげようとする設定や、一部の劇伴が「ラ・ラ・ランド」に似ていたりしたのでつい引っ張られてしまった。
(ちなみに、ブラピに新進女優役のマーゴット・ロビー、ハリウッド、で「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」も連想した。)
一見映画愛を歌う作品のようにも見えるが、何故か映画への愛が迫ってこない。作中で映画の夢を追いかけた主要キャストがことごとく雑なバッドエンドになっているからだろうか。
本作はいっそエログロドタバタのブラックコメディとして受け止めた方がまだしっくりきそうだ。その中に、流行り廃りに取り残されてゆく業界人の悲哀が、スパイスのように入っているということだ。
【Once upon a time…】
予告編だけの情報で鑑賞したが思ってたのと違って映画愛に溢れる熱い作品。プロローグの乱痴気騒ぎのパーティーシーンは怖いもの知らずに飛び込む迸る熱気と欲望渦巻くカオス感てんこ盛りで掴みはOK。『ラ・ラ・ランド』のジャスティン・ハーウィッツが手掛けた音楽も強く印象に残る。
終始刹那と焦燥が入り混じる何とも言えないワサワサした感じが過渡期にあった当時の映画業界の肌感覚だったのだろうと想像。
エピローグで映画製作の表舞台から転落した男が、ジーン・ケリーが雨中をタップダンスしながら”Singin' in the Rain“を歌う映画史に刻まれる名シーンを観ながら涙しつつも最後に笑みを浮かべる表情が、時代に乗り時代に翻弄された心の機微に触れていた。
鑑賞中はさして感じなかったが189分はちと長いかも。
【”混沌と狂乱からの衰退。”サイレントからトーキーに移行していく時代、サイレント俳優の変遷をアーティスティックに描いた作品。デイミアン・チャゼルのサイレント&トーキー映画への敬意が溢れた作品である。】
ー 時代は1920年代のアメリカ、ハリウッド・・。サイレント映画全盛期、ジャック・コンラッド(ブラッド)は豪勢な宴を開き、我が世の春を謳歌していた。
そこに現れた、貧乏で名もなき、けれど気の強き女優の卵ネリー・ロライ(マーゴット・ロビー)と未だ何物でもなき男マニー(ディエゴ・カルパ)。
やがて、ネリーは偶々映画の役を貰い、見事なる涙の演技で、スター女優を蹴落とし、マニーもジャックに気に入られ、彼の付き人の様な立場になって行く。
が、時代は徐々にトーキー映画に移っていった・・。-
◆感想
・サイレントからトーキーに移行していく時代、サイレント俳優だった男が落ちぶれて、トーキーで成功した女性が彼を救う「アーティスト」をチラリと想起させるが、この作品の持つ”混沌”と言っても良い程のゴージャスで破綻し掛けている世界観に徐々に呑み込まれて行く。
ー サイレント映画での戦争シーンなどや、象がのし歩くジャックによる豪勢な宴のシーンなどは圧巻である。-
・だが、時代が進みサイレント映画が下火となり、トーキーに移行して行く中、サイレント映画俳優のジャックやネリーの姿。
ー ジャックが新しき演劇出身の妻に、映画の大切さを激しく語るシーンは沁みたなあ・・。
”誰もが演劇を観れる訳ではない!だが、映画は誰もが何度も観れるんだ!”
だが、ジャックが、満員の観衆が自身が主演しているトーキー映画での本来なら涙するシーンで大笑いしている姿を劇場のドアからそっと見ている姿。
ある女性評論家は、ジャックの時代は終わったというエッセーを雑誌に記載するが、ジャックに対しては、”貴方の演技が悪いわけではない。時代が変わっているのよ・・。”と呟くシーンは印象的である。
更に、ネリーもその”蛙声”を揶揄され、賭博や薬に取り込まれて行く。
■この辺りの映画の描き方が、エログロ&アーティスティックであり受け入れられない人もいるかもしれないな・・、と思いながら鑑賞続行。
・そして、ジャックは会談ですれ違ったホテルマンに多額のチップを渡し、部屋の浴場で拳銃で命を断ち、ネリーも又、賭博での負けのためにマニーの助けもありつつも、一人夜の街にフラフラと歩き消えて行く。
ー そして、新聞の片隅に載っていたネリーの死。且つては、スター女優だったのに・・。ー
■今作では、ブラッド・ピッドの演技は勿論であるが、個人的にはマーゴット・ロビーの目力とスターダムに駆け上がる様と没落していく様を見事に演じた姿が、印象的である。
<ラスト、家族を持ったマニーが且つて、重役にまで上り詰めた映画会社の門の前で守衛と交わす言葉。
前半の混沌たるサイレント映画時代の熱気と、中盤から後半にかけてのトーキー映画の波に乗れなかった俳優達の哀切なる姿が印象的な作品である。>
映画サイコー
映画サイコーといいなさい、そんな映画。
映画の世界で成功することへの青臭い情熱、時代に翻弄され人気になった次の瞬間挫折していく苦しみ、それでも捨てられない狂おしいほどの映画への思い。成功は眼を焼くほどの閃光のような輝きをもって描かれるが、そのためにそれが失われたときの絶望、闇の深さ、虚無感はすさまじい。
そんな諸行無常の世界に対比して語られる、映画作品の永遠性。ラストは映画が今後も永遠普遍に文化の王道として未来に続いていくことを思わせる。このごろ映画館上映作品じゃなくて、はじめからサブスク配信用として作られてる作品が増えてることへの反論なんだろうか。
若者の映画の世界への挫折を描いているこの映画自体がまぎれもない大作映画で、監督自身も大物監督だっていうことが不思議。
たぶん、今の監督の気持ちではなく、かつて映画の世界に憧れていたころの自分の情熱を純粋抽出してドロドロに煮詰めてエッセンスにしたんじゃないか。
ララランドみたいだなーと思って、似たような結末になることを予測してたので、終盤の展開には驚かされた。
サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の1920年代。映画...
サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の1920年代。映画で成功することを夢見ながらも時代や運命に翻弄されていく俳優たちの栄光と凋落をハイスピードに描く。最初からエンジンガンガンにふかしてアクセル全開。倫理観バグった中での、半裸全裸ドラッグ排泄暴力拳銃等、アウトでクレイジーな要素のオンパレード。
自分の存在が性的客体としてしか見られず、知的にも見下されることに屈辱を感じたマーゴットロビーが、名誉男子的に男前に振る舞うことで、傷つきながらも己の自尊心を奮い立たそうと懸命に全身で怒り、暴れ狂う。いや、乱れ狂う。凄まじい魂の叫びである。
並べて語ると本当に怒られそうだが、映画のための映画という意味では、エンドロールのつづきと通ずるものがある。あまり書くとspoilerになるが、根底にあるのはある意味どちらもpureで無垢な映画愛。こちらは見かけは手垢に塗れているかもだが、根底にあるのは無垢な魂。
以下、注意点と評価ポイント。
最初から急傾斜の超ハイスピードジェットコースターに乗せられて、トンデモない次元にぐわんぐわん連れて行かれる。ララランドで甘い世界観に惹かれた頭で見に行くと、まるで胸ぐら掴まれてガラス瓶で頭カチ割られに行くようなものなので、シートベルトは超必須。世界観とか話の方向性はある程度確認してから行った方がいい。
ふいに訪れるマーゴットロビーのサイレント映画シーン、あれぐらいの静寂と余韻が緩急つけて定期的にある映画だったら評価上がったかもしれない。
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