バビロンのレビュー・感想・評価
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前提知識が必要な映画
『当時のハリウッドは開拓時代の西部のように何もかも許される無法地帯でした。それを、この映画で観客に肌で感じてほしかった』というデミアン。
聖書に出てくるバビロンがインモラルな罪深き都であり、それを当時のハリウッドに重ねているという前提を知らなければ、ただただ不快感しかないかもしれない。
サイレントからトーキーに変わる中での様々な苦しみや、ハリウッドの品行方正な表の世界ではなく、オーディエンスに知られてこなかった穢れた裏側がクローズアップされていて、そこに人種差別、LGBTQを盛り込んだ『大作』となっている。
20年代は無法地帯で自由奔放なハリウッドも1929年の世界大恐慌を迎え、モラルの取り締まりが厳しくなり、30年以降のトーキー時代の到来と共に倫理規定がハリウッドにも適応された。実際にブラピ マーゴットが演じる役柄も時代の流れについていけなくなった役者達をうまく演じており、語られなかったハリウッドの裏側にスポットが当たった作品となっている。
音楽はまたもやジャスティンハーウィッツで、意図的なのか、重要なシーンで使い古されたメロディが耳障りだった。冒頭の曲は乱痴気騒ぎを盛り立てる新鮮さがあったが。
偽善的なハリウッドらしいゲームチェンジではあるが、行き過ぎたポリティカルコレクトネスなど、オーディエンスは求めていない。特にここ数年の作品群は配慮が作為的すぎて気味が悪い。映画のクオリティをさげるポリコレは不要である。
監督のエゴが剥き出しなので、刺さる人には深く刺さる、そんな映画なのかもしれない。
【華麗なるギャツビーと比較になる(ディカプリオ版)】ブラピ初の「ハズし」か?有機的結合が❓❓
3時間超え、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー
事前の大作感が半端ない。
結論から言うと、1920の時代考証的に
ディカプリオ「華麗なるギャツビー」に圧倒的に軍配。
当時の空気、服装、アナログ感
全て「華麗なるギャツビー・ディカプリオ版」が遥かに正確で当時の空気が漂ってくるようだ。
本作はその意味において、女主人公の髪型といい
1920年代をあんまり感じない「現代版1920」の感じ
言いたいことはわかりますよ
無声映画から出発した映画の変遷
当然トーキーに移行の段階で振り落とされたものたくさんいたでしょう、そこはリアル。
飽きることは無いてんこ盛り作品ではある
でも、なんか話、エピソード広げすぎて、有機的に結びつかない。
想像だけど「ストーリーをリアル😊、人間性、キテレツ追求しすぎて失敗してるような・・」
イヤイヤ、最後は正統派でうまくノスタルジックにまとまっている。
テンポも画面構成もエピソードも「怖いもの見たさ」を満たしてくれて良い。
だが、有機的結合が無いのだ。
ブラピ【不敗伝説】に陰りか?
【ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド】
の「かたやぶり」なブラピ はやや継承してるが、1960ではなく1920はブラピの良さが
イマイチ発揮できてない。
意外に、黒人のトランペット吹く人、この人が、当時の苦悩を表現していて
「わかるわかる!その悔しさ❗️」的なカタルシス。
マーゴット・ロビー 今までの人生で実体験含め、最大レベルのゲロ、それは良い
ディエゴ・カルバ の好青年もまあ良いですね。
ただブラピの本来の実力はこんなもんじゃ無いだろう❗️
時間は短く感じます、誰でもわかる。でも面白さが❓❓の作品。必見の問題作。
あと、一度は必見ですが、二度は必要ない作品と感じました。
流れゆく映画業界の価値観
え、やりすぎじゃない?とまず思った。
序盤のとんでもパーティからただならぬ映画であることは実感した。
無声時代に人気があったジャックやネリーもトーキー映画で多少の成功を収めたマニーも時代にのまれて成功と挫折を味わいまくっている姿に痛いほど感情移入できた。
自分がいける!と思った映画や演技が時代の流れの中で笑われ評価を失う様が酷すぎた。
そんな目まぐるしく変化するハリウッドで自分の実力による成功の実感、確かな人生観なしに生き残っていくのは本当に難しいんだろうなあと思った。
あっさり別の女性と家庭を持つマニーの未来が、ララランドであっさり別の男と家庭を持ったミアとなんだか似ているようにも思えた。
よかったです
今年見た映画で一番でした。
アメリカの無声映画からトーキー映画ごろの映画界のお話で、映画という炎にひきつけられたスターとそのシステムの一部になりたかったスタッフのお話で、ユニーバーサルのアトラクションとよく似た映像が流れ、そのアトラクションが好きな私は面白かったです。定年間近の私には、なんとなく共感できた映画でした。
長い!…けど
最初の感想はやっぱり長い!ですw
ただ、それを感じさせない程の熱演。
思わず見入ってしまうほど。
トーキー映画への切り替え時期、それぞれの想いがあったり、華やかな面、薄暗い面がそれぞれ描かれていており、内容としては興味深いものではありました。
成功する者もいれば、時代の流れに乗れず落ちていく者。
ある意味自分の想いを貫く者。
様々な、人達が絡み合い、時代が流れていく様が見えます。
まぁこういう映画なので、好き嫌いは分かれそうですね。
パーティシーンや撮影シーンなど派手なところもあるのですが、ストーリ的な面白さ、ワクワクするような事はあまり無いかな。
観終わってまず頭に浮かんだのは
昨秋、(マーゴットも出演する)『アムステルダム(22)』を観た後、その時点における95回アカデミー賞予想を調べてみると『アムステルダム』『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け(23)』は既に候補から外れていることに驚きました。そして、さらに『バビロン』も苦戦しているとあってちょっと信じらとすら思っていたのですが、、、実際ノミネーションが発表されみると確かに前者二作品は名前なく、また『バビロン』も主要賞に引っ掛からずに、美術賞、衣装デザイン賞、作曲賞の技術賞のみ。
それでも、デイミアン・チャゼル、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビーはいずれも監督、俳優としてだけでなく、プロデューサーとしても実績があり、まさに本作品で語られる「映画への愛」が感じられる信頼のメンバーで非常に楽しみにしておりました。
ちなみに、ブラッドとマーゴットの共演で映画業界を回顧する映画ということで、誰しもがどうしても『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(19)』を比較すると思いますが、私としても観ていてやや「既視感?」と無意識にも感じてしまう部分は否めません。
ただ、特に前半の華やかなパートは観ていて楽しいし、ブラックなギャグも笑えるし、何と言ってもブラッド、マーゴットの素晴らしさにお礼を言いたくなります。ちなみに、主役はこの二人にかき回されるマミーを演じるディエゴ・カルバ。この人、本作がハリウッドデビューとのことですが、いい表情もするし、味もあって楽しみな俳優さんです。
さて前述にて「前半の華やかなパートは」と断りを入れましたが、この作品の難はやはり「189分」という上映時間の長さです。この映画、基本的にテンション高めで音楽も鳴り響き、興が乗りすぎてカオスになっていく状況を背景に、さらに上乗せでブラックなギャグを連発するという味の濃さが「良さ」でもあるのですが、終始これの繰り返しで後半は疲れるし、正直飽きます。何なら、彼が悪いわけではありませんが、シーンとしてトビー・マグワイアのパートはごっそり無くてもいいと思えるくらい。ちょっとしつこいかな。
観終わってまず頭に浮かんだのは、少々残念なことに「疲れた」でした。。。
思ってたのとはかなり違ってた 見終わって紹介文読見直してみたら 違...
思ってたのとはかなり違ってた
見終わって紹介文読見直してみたら
違わなくはないんだけど
この映画の感じを
マイナス要素なく
公正に文字化するのは
難しいのかもしれない
映画の歴史をエキサイトに
序盤の展開が下品で汚いので合わない人が多いと思います。はちゃめちゃが過ぎる気がしますが長尺感を感じないのはアクターの好演という事なのでしょう。
何でもありの業界をかなりオーバーに演出するとこんな作品になっちゃいましたという事にします。
マーゴット・ロビーの素晴らしい演技力が光る秀作である事は間違いありません。
19
意欲作では有るが「バビロン」という題名が惹起する毒気が足らないのと最後が甘い。
①途中から、これは「裏『雨に唄えば』だな」と思っていたが、最後に本当に『雨に唄えば』が出てきたのにはちょっと驚いた(+ちょっとエヘン!)
②「ハリウッド・バビロン」という本がある。
本当の意味でのハリウッドの黄金期である1920年代~1950年代(本作の背景と重なる)、表向きは“夢の工場”であったハリウッドの裏がいかに背徳と退廃とにまみれていたかを描いた所謂一種の暴露本ではあるが、特に1920年代のハリウッドの裏側が如何に乱れていたか、乱痴気騒ぎや酒池肉林で爛れていたかを描いた辺りを本作は冒頭のパーティーシーンで上手く描写・再現している。デブの俳優がセックスプレイの挙げ句、端役女優を死なせてしまう件(くだり)は実際にあった事件を下敷きにしているし、余りにスキャンダルが続くので1930年代にハリウッドに風紀取締組織が出来たくらい。
ブラッド・ピット演じるジャック・コンラッドは、監督によるとダグラス・フェアバンクスやジョン・ギルバート(声が高過ぎてトーキーに移行するときに人気が落ちて自殺した)をモデルに造形したと言っているし、ネリーはジョーン・クロフォードをモデルにしたのではないかと私は思うし、レディ・フェイはサイレント時代の人気スターだった中国系女優アンナ・メイ・ウォンをモデルにしているのも一目瞭然(因みに日本人の早川雪州もサイレント時代のハリウッドスター)。
女性映画コラムニストのエレノアは、映画スターの生殺与奪を左右したとも言われるルエラ・パーソンズがモデルだろうし、当時はいなかった筈の女性監督も登場する(アリス・ギイへのオマージュ?)。
他にも実在のハリウッドスターの名も頻繁に登場して、黄金期のハリウッド映画が好きな私としてはその虚実混じった世界は楽しめた。
③カメラの調達が何とか間に合って落日寸前に撮影が出来たシーン、ネリーがその扇情的なダンス(ジョーン・クロフォードだね)といつでも涙を流せる演技で見事代役を務める撮影シーンも映画好きとしてはたまらない。
が、ここまでの熱量は確かに凄かったのに、あとはだんだん熱量が落ちていく。
④本作の中心プロットとしてはサイレント映画の大スターだったジャック・コンラッドが過去のスターとして没落していく姿と、映画界に夢を求めた二人の若者が夢を叶えた後堕ちていく姿を平行して描きながら“映画”というものを描くことだと思う。
(観る前は、第一次世界大戦で疲弊した欧州を抜いてアメリカが世界の大国として躍り出て繁栄を極めたローリングトゥエンティであり、映画というものが大衆文化として確立し映画スターがセレブとなった狂乱の1920年代を舞台にした映画だとてっきり思っていたが、トーキーを経て1952年―『雨に唄えば』が公開された年―までが描かれるとは思わなかった。)
ブラッド・ピット扮するジャック・コンラッドは映画スターというものの神話性と通俗性とを表裏一体で体現している存在として描かれているけれども、最後に自殺するところは余りに予定調和的過ぎて面白味がない。
マーゴット・ギター扮するネリーがセックスシンボルとしてスターダムにのしあがった後転落する様も(転落するところは、ジョーン・クロフォードではなくクララ・ボウがモデル?)これまた在り来たりの流れ。
マーゴット・ギターも『アイ、トーニャ』や『ワンス・アポンナ・タイム・イン・ハリウッド』では良かったのに、最近は似たような内容のない役ばかりでどうかな、と思う。
マーニー役をメキシコの俳優に演じさせた意味もあまりよく分からないし。
⑤懐かしいところでは、ルーカス・ハースがかなりオッサンになって登場。
妹のジュリア・ロバーツと違ってすっかりB級映画専門になってしまったエリック・ロバーツがネリーの父親役で久々にA級映画に出演。
⑥ハチャメチャでも退廃的な映像なら良いのだが、象の脱糞シーンに始まってネズミを生きたまま食べたりとか汚いシーンが散見されるのにもやや辟易。
上流階級のパーティーでネリーが料理を食い散らかした後噴水のようにゲロを吐くシーンは(どんだけ食うてんね)『エクソシスト』のパロディ?
⑦ハリウッドを再訪したマーニーが偶々入った映画館で上映されていたのがなんと『雨に唄えば』。その中のサイレントからトーキーに移行したときの撮影所のドタバタを描いたシーン(『雨に唄えば』を観てもらえば分かりますが、かなり笑えます)を観て、かって自分が映画界で働いていた時のこと、サイレントからトーキーに移行した時の大変だったこと(そう言えば、ジャックから『ジャズ・シンガー』を観るようにNYまで観にいったのはマーニーでしたね)(本作では7テイクでやっと録り終えたシーンを丁寧に描いていたが最後にスタッフが死んでしまったことで笑うに笑えない苦いエピソードになってしまった)を回想して涙ぐむところは、本来であればしみじみと胸を打つシーンになる筈なのだろうが、『ニューシネマ・パラダイス』『カイロの紫のバラ』のパクりかい、という思いが先立ってしまった。
⑧根本には“映画愛”があるのだとは感じるが、1950年代まで引っ張ったことで映画が間延びしてしまった。3時間長の尺にする必要があったのかも疑問。
1920年代のハリウッド草創期の狂乱を描くに留めた方が映画としてカッチリとしたものになったように思う。
享楽の終わり
TC PREMIUM THEATERで鑑賞(Dolby-ATMOS・字幕)。
冒頭から中盤はまさに享楽の宴。劇伴の強烈なビートが当時の時代の空気感を鮮烈に浮かび上がらせていました。
後は栄枯盛衰の物語。トーキー映画の台頭により、サイレント映画のスターたちは時代遅れの存在になっていき…
マーゴット・ロビーの演技に魅せられました。奔放なセックス・シンボルを体当たりで演じ、その大胆さは後の破局をも連想させ、いざその瞬間の虚しさはなんともやるせない…
トビー・マグワイアも出色。ほんの少しの出番でしたが、これまでのイメージを覆すイカれ具合で、メイクや汚い歯、喋り方に至るまで、徹底された役づくりに舌を巻きました。
ハリウッド・バビロンの栄華と崩壊を叙事詩的に描いた本作の勢いは、3時間と云う長丁場を感じさせない凄まじさ。
トーキーの登場が発端になる展開は「悪魔の手毬唄」を想起させ、時代の変化が齎した悲劇がとにかく切なかったです。
しかし、時代が何度移り変わろうとも、彼らの栄光はしっかりとフィルムに焼きつけられている。その姿は作品の中に永遠に残り続け、観る者の心に夢の火を灯していく。
その中の誰かが新たな時代を担い、映画文化を形づくっているのだと、映画会社の枠を越えた名作のシーンをコラージュして見せることで示しているラストシーンが印象的でした。
こうして歴史がつくられていく…
[余談]
ラストに登場した映画が「雨に唄えば」だったのが面白いなと思いました。同作は未見ですが、確かサイレントからトーキーに移行する時期に、時代の波に乗った俳優の成功を描いたミュージカルのはず。本作とは真逆の視点から同じ時代を活写した映画を印象的に使った趣向に痺れました。
期待して観に行きました。
まったくもって良い感じで意味不明。
蒲田行進曲みたいな意味合いなのだろうか?
個人的には蒲田行進曲はそれほど好きではない。
ララランドは大好きな映画でした。
なので、意味不明だったけど星四つです。
下品な演出にはうんざり。描きたいという気持ちが空回りして、場面は激しく入れ替わり、登場人物への感情移入を阻むことになってしまいました。
映画『バビロン』作品レビュー
ハリウッド草創期、映画作りのルールも規制も確立していなかった時代を描く物語。品行方正とはいかない登場人物たちの振る舞いに、眉をひそめる向きも多いことでしょうが、映画の青春時代を表現するためにはリミッターを外し、はじける必要があったのだと思います。
とにかく何もかもが過剰の作品です。登場人物たちの愛や夢、野心も、制作者たちの情熱も。ここまでする必要があるのでしょうか!と思ってしまいます。「セッション」「ラ・ラ・ランド」を手がけたデイミアン・チャゼル監督の才気が発揮された本作。カメラも自由に動き回り、安定しません。心の内にある衝動を抑えきれないようでした。
そのため描きたいという気持ちが空回りして、場面は激しく入れ替わり、登場人物への感情移入を阻むことになってしまいました。多幸感あふれる「ラ・ラ・ランド」」のような偶然知り合った男と女の出会いと別れを期待するムキには、とんだ肩透かしを食らうことでしょう。
けたたましいファンファーレとともに豪奢と退廃をきわめたパーティーが開幕します。ときは1920年代、ハリウッドはサイレント映画の時代でした。栄華の絶頂にあるサイレント映画期のハリウッドの大立者宅で開くパーティー派手なパーティーから物語は始まります。そこには夜空に輝く大スターから新人の星屑まで、果ては象すらやってくるのです。🐘パゥぅぅ~(^^ゞ
そのパーティーに象を運んできたマニー(ディエゴ・カルバ)は新人女優ネリー(マーゴット・ロビー)と運命の出会いを果たします。マニーは映画界入りの夢に向けて奮闘し、パーティーに来ていた大スターのジャック(ブラッド・ピット)下で働き始めることになります。またネリーは女優デビューに向けた成功のきっかけをつかむのです。
しかし、ハリウッドは大きな変革期を迎えつつありました……。
ド派手なパーティーシーンは誘惑と堕落に満ち、道徳が乱れた罪深き都市バビロンは、ハリウッドを象徴しています。繁栄したものはやがて廃れ、映画がサイレントからトーキーへ変革を遂げる中、ジャックら3人の運命が変わっていく様が悲しかったです。
といわけで、パーティーの場面が凄く強烈です。酒にドラッグ、さらにセックス、常識に背を向けたどんちゃん騒ぎが展開するのです。感覚をマヒさせる饗宴は露悪的で、最初から暴走気味に描かれます。
ジャックは二日酔いで撮影に臨みます。現場は混乱の極みですが、奇跡のような瞬間が訪れるのです。沈みゆく太陽の光の残滓をつかもうとするカットは荘厳で、美しかったです。アウトサイダーたちが集まり、すべての情熱を映画にぶつけます。熱狂的な音楽がグループ感に拍車を掛け、観客を物語の渦に巻き込んでいくのでした。
トーキーの時代になると一転、物語はトーンとテンポを変え、取り澄ましたお偉方が登場します。「音」を武器にしたトランペッターがいて、マニーがプロデューサーとして頭角を現す一方で、成功にしがみつこうとするネリーは、麻薬に手を出し、周囲に毒を放つなど荒れていきます。落ち目のスター、ジャックの場合、もっと深刻でした。時代に取り残される物悲しさ、そして誇りを表現したピットの演技が見事でした。
下品な演出にはうんざりしましたが、音楽やファッションのきらめきは見事。スターが放つ光と影、成功を夢見るネリイのような若者を消費する大衆の残酷さは今も変わらず、ハリウッドを彩っているはずです。
そんなサウンド映画への移行期を舞台にした夢と幻滅の一大ロマンを描いた本作ですが、弱冠38歳のチャゼル監督がこの時代を経験しているわけではありません。すべては教科書を繰って勉強した結果だといえそうです。本作のテキストとなったのは、ミュージカル映画「雨に唄えば」。そしてケネス・アンガーによる書籍「ハリウッド・バビロン」だそうです。サイレント映画の黄金時代への限りない憧憬から書かれたハリウッド裏面記を、チャゼル監督は歴史として語ろうとするのです。
ケネス・アンガーは、黄金期ハリウッドで秘されたゴシップをこれでもかと暴露してみせます。しかし、それはもちろん無声映画の壮大なる輝き、映画草創期の神々への崇敬があってこその行為なのです。チャゼル監督にその心があるでしょうか? 残念ながら象の糞から映画を始めずにはいられないチャゼル監督には、涜神(神を冒涜すること)はできても神殿を建てることはできない、と言わざるを得ません。
最後に、映画で大事なものは、観客の存在です。ジャックは、何番目かの妻である舞台女優が唱える高等な芸術論に反発します。そしてチャゼル監督は、スクリーンに相対するこちら側、物語に夢中になる観客たちの顔を映し出しました。映画は喜びだ!そして自由であり、制限はなく、どこまでも飛んでいけるのだ!映画『エンドロールのつづき』のラストにも通じる、若き天才監督の力強い宣言でした。映画愛を強く感じたラストでした。
至極のブラックユーモア
「ラ・ラ・ランド」「ファーストマン」のデイミアン・チャゼルの新作。「狂乱の20年代」と呼ばれ、アメリカの文化・芸術が大きく花開き、映画が一大産業に成長した時代のハリウッドを舞台に、サイレントからトーキーへと移り変わる映画業界を描いた作品。
大物俳優、新人女優、新人スタッフ、ジャズトランペッターの4人のメインキャストのエピソードを通してハリウッドの栄枯盛衰を物語るのですが、それぞれのエピソードのブラックユーモアがほんとに面白い。
舞台は「古き良きアメリカ」なのですが、決して当時を懐かしむような話ではなく、メッセージ性が強い映画ですね。「映画は何のため、誰のために作るのか」「時代の変化には抗えない」「ポリコレ、ホワイト化」。1920年代を舞台としながら、現代に通じる価値観の変化を訴える作品です。
感じたのは、クリエイターは時代の流れに逆らったり、適応するなんて出来ない。一度スポットライトを浴びてしまえば、捨てられるか、去るかしか選択肢はない。ただ、一つ確実に言えるのは、作品は残る、ということだけ。クリエイターはそれで良いが我々はどうすべきか?考えさせられます。
すごく面白いです。ただ、とても悪趣味な表現なので「観る人を選ぶ」かも。ほんとに卑猥で、グロくて、不条理な笑いなので、腹を抱えながら笑うか、終始不愉快になるか、です。しかも3時間近い作品なのでね〜、同伴者は慎重にお選びください。
駄作。3時間超えの長編、時間の無駄。
映画への愛が感じられない。正直な感想は表題の通りである。他人にはとても勧められない。
無声映画からトーキーへと移り変わってゆく時代を舞台にして映画界で成功を夢見る若者及び映画を芸術に高めようとする俳優を描く。
無声映画時代の映画の撮り方がわかって勉強になったが、誇張が過ぎて興ざめになる。導入部の象や人間の排泄物の映像及び乱痴気宴会の描写で鑑賞する気を喪失した。
この映画の監督は、傑作「ラ・ラ・ランド」を作った人らしいが、ゴシップ屋の記者が落ちぶれかかっている俳優ブラッド・ピットを評する言葉を、そのまま監督に捧げたい。時代に取り残されたと。
考えてみたら『ラ・ラ・ランド』『セッション』でこの監督終わり?
監督や俳優の名前で売ろうとする映画に良いものは無い。それが今回の教訓。音楽はラ・ラ・ランドのアレンジ。映像はCGは少なめだろうが、タランティーノへのリスペクトで新鮮味はないし、タランティーノを超えていない。超えているとすれば、下品な所だけ。また、その下品行為が何を意味するのか?最後まで分からなかった。
1920年代後半から1930年代の狂乱の映画界の話としているが、こう言った独特のキャラクターがいたから、狂乱であったわけではない。経済がそう言った経済だったと高校の世界史で教えてもらえるはずだ。トーキーになって、それまでの俳優達が翻弄させられた逸話(雨に唄えば)は、昔の映画にも沢山描かれている。出し尽くされた感はある。映画の流れは、日本の『キネマの天地』の様な下品で騒がしい場面から、突然『雨に唄えば』を登場させ、『ニュー・シネマ・パラダイス』になって、最後に『2001年宇宙の旅』になる。気持ちは分からないでもないが、この流れでは、エキセントリック過ぎて、この監督の映画に対する愛が全く感じられない。音楽は良いと思うが!前述の通り『ラ・ラ・ランド』のアレンジだし、JAZZぽい音楽も1930年代とは思えない。
前半のノリで、後半も突き進んでいれば…
ゲロや、う○ちの描写は、やり過ぎだけど、エロは歓迎。前半のカオスな世界観が、後半で無くなってきたのがとても残念。もっと弾けて欲しかったわ。
サイレントからトーキーに変わるあたりの映画撮影シーンなんぞは、興味深く面白過ぎだった。
そんな豪華絢爛でゴージャスでエネルギッシュな展開が後半も続いていればほんと良かったのに。
オイラにとっては3時間、前半がノリノリだったせいか、後半はモタつきがあったにも関わらず決して長くは感じなかった。
前半最高!後半失速。で。
「マーゴット・ロビーいい」
今年18本目。
最初で心掴まれる。
冒頭ある楽器の演奏とマーゴット・ロビーのダンスで3時間面白そうと感じました。マリ・クレールと言う冊子で赤い服のマーゴット・ロビーとディエゴ・カルバの写真が映っていましたが、今作マーゴット・ロビーの赤い衣装が一番見たかった。凄い綺麗。1927年の無声映画からトーキー映画に代わる激動の時代を描いた作品。一番好きな日本語訳はある場面で「It's OK.」が気に入っていると訳されたシーン。自分も「It's OK.」といつも言っていたい。
全385件中、281~300件目を表示