バビロンのレビュー・感想・評価
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デイミアン・チャゼルの「←今ここ」映画
映画の中で語る映画論(映画界論かも)ってのちょっと苦手なんですよ、この映画は人がいっぱい出てきて、どんちゃん騒ぎがあって、前半カジュアルに人が死亡しちゃうのでその分は楽しめます。
3時間以上の上映時間は妥当かなぁ、チャゼルのメッセージへの共感度合いで好き嫌いは分かれそう。自分の場合はそんなに好きな作りじゃないけど、わかりやすい対比が多々盛り込まれてて、ド派手なので星3.5つけちゃいますね。
ゾウの失禁(うんこ)で始まりマニーの失禁で映画人生が終わってるので、肛門期スタートってことでフロイトの発達論が念頭にあるのかもしれない。
「自分たちは長く続く何か大きなものの一部なのだよ」と監督・脚本家が語っている(今ここ)ので、マニーが最後に泣いたのは「やらかした自分の人生」が映画界の未来に続いていることを認識できた涙、逆にコンラッドは長く続く何か大きなもの一部だったことがわかって絶望したってことだと思う。かつて作品賞が取れなかったチャゼルの心情が入っているんだとすればちょっと熱いかもですね。
エリノアとコンラッドとの会話で、これからコンラッドのようなスターは何百人も現れるってだろうってのあるんですけど、ここで鬼滅の刃の思い出したのは自分だけでは無いはず!まあ縁壱の方が偉いが。
ハリウッドの幽囚たちが描く、淫靡で儚い黄金絵巻。 花火のようにパッと短いランタイムじゃダメなんすかね…。
サイレント映画時代のハリウッドを舞台に、夢と野心に燃える映画人たちの栄華と衰退を描き出したヒューマン・ドラマ。
監督/脚本は『セッション』『ラ・ラ・ランド』の、オスカー監督デイミアン・チャゼル。
ハリウッドの大スター、ジャック・コンラッドを演じるのは『セブン』『オーシャンズ』シリーズの、オスカー俳優ブラッド・ピット。
女優を夢見る奔放な女性、ネリー・ラロイを演じるのは「アバウト・タイム 愛おしい時間について』「DCEU」シリーズのマーゴット・ロビー。
ハリウッドを牛耳るギャングのボス、ジェームズ・マッケイを演じるのは『スパイダーマン』シリーズや『華麗なるギャツビー』のトビー・マグワイア。なおマグワイアは本作の製作総指揮も担当している。
ジャックの再婚相手であるブロードウェイの女優、エステルを演じるのは『ファンタスティック・ビースト』シリーズや『mid90s ミッドナインティーズ』のキャサリン・ウォーターストン。
ネリーのライバル的女優、コリーン・ムーアを演じるのは『スリー・ビルボード』『ガンズ・アキンボ』のサマラ・ウィーヴィング。
ジャックの妻、イナを演じるのは『TIME/タイム』『her/世界でひとつの彼女』のオリヴィア・ワイルド。
第80回 ゴールデングローブ賞において、作曲賞を受賞!
古代バビロニアの中心都市バビロン。そこは「大淫婦」と称される繁栄と退廃の都だった。
本作で描かれるハリウッドは、まさにこのバビロンの如き混沌の坩堝。光に群がる虫のように、夢と栄光という黄金に誘われてやってきた人間を幽囚にする魔境である。
当代きっての名匠デイミアン・チャゼル監督は、都会的で洗練された、どこかデタッチメントな雰囲気を醸す筆致によって1920年代の黄金郷を見事に現代に再現してみせた。
過剰なまでに華美で露悪的な世界観はリアリティがあるとは言い難いが、監督の目指しているのは現実の再現というよりは人々が持つイメージの再現なのだろう。
「こうだったんじゃないのか?」「こうだったらエキサイティングだよな」という観客の夢を具現化しており、この夢物語の中で観客を3時間以上も遊ばせてくれる。
本作は舞台美術や衣装などの細かなディテールや、ジャズを基調としたクールな劇伴を思う存分味わいたいという観客には大変喜ばれることだろう。
チャゼル監督は、「夢を掴むための犠牲」と「女のいない男たち」を一貫して描き続けている。
本作でもそれは健在で、「夢」を叶えるための覚悟を観客に問いかけた上で、仮にそれを叶えたからといって幸福になるとは限らないことを提示する。
彼が紡ぐのはきまって残酷な物語なのだが、今回はより一層悲劇的で皮肉なものになっているように思う。
彼の作風のもう一つの特徴はエンディングのキレの良さ。
これは彼がまだ映画監督になる前、脚本家だった時代の作品にも見て取れる特徴であり、『ラスト・エクソシズム2』や『グランドピアノ 狙われた黒鍵』といった、作品自体の出来は「う〜ん…」といいたくなるようなものでも、そのエンディングははたと膝を打ってしまいたくなるような出色の出来である。
今回のエンディングも、優しさと映画に対する愛が詰まった素晴らしいものだった👏
偉大なことを成した者も、道半ばで息絶えた者も、全ては大いなる流れの一部でしかない。いままでにも増して非情で悲劇的な映画だったからこそ、このエンディングで救われたような気持ちになれた。
天才デイミアン・チャゼル。彼が撮るのだから最低限の品質は保障されている。箸にも棒にも引っかからない映画では断じてない。
その上で言いたい。
………ながいしつまらなかった(ボソ。
いやこれ、あまりにも長すぎやしませんか?「あぁ。もうそろそろクライマックスだな…」と思って時計を見てみるとまだ2時間しか経っていない。ここからさらに1時間もあるのかよっ!?と絶望的な気持ちになってしまった。
こんだけ長けりゃ、面白かった場面も色褪せちゃうっつーの。
本作は3人の登場人物をそれぞれ主人公にして描くアンサンブル映画。
正直いってこれが帯に短し襷に長しといいますか、無駄に長いのにも拘らず語りが足りていない。
冒頭のパーティーシーンや破茶滅茶な映画撮影シーンなど、一つ一つがメガ盛りマックスって感じの長さなのに加え主人公が3人もいるからまぁ物語の進行が遅い。そりゃ3時間超えるわ😅
だがしかし、190分は長いとはいえ、3人の栄光と挫折を描き切るには十分な時間とはいえない。
最も気になったのは映画人を夢見るメキシコ人・マニーのパート。ジャックの付き人だった彼が映画会社の重役に登り詰めるまでの過程がぶっ飛ばされているから、「えっ、いつのまに?」感が否めない。
ジャックに関しても、彼の遺作となったクソ映画がどのくらいクソな作品なのか映像として見せて欲しかった。
また、袂をわかったマニーのことをジャックがどう思い何を感じていたのかも描かれていない。師弟の確執なり対立なり和解なりは描いて然りなのでは?
ネリーに関してはレディになる為の特訓描写が一切描かれていなかったので、社交界をぶち壊すという一連のシーンも「そりゃネリーならそうするわな…」という感じで観てしまい、なんだか上滑りしているような印象を受けてしまった。
多分これ、ドラマ向けの脚本というか物語なんだと思うんです。尺が1話1時間で1クールあれば、十全に描き切れたのかも知れないが、一本の映画に纏めるにはちょっと厳しかったんじゃないの?
長すぎるランタイムと同じくらい気になったのは、後半マニー&ネリー編とジャック編の温度に差がありすぎたこと。
我が世の春が過ぎたことを知ったジャックが拳銃自殺するというトラジックでリアルな展開と、ギャングに偽札を渡してしまって大騒動を巻き起こすというコミカルでシュールな展開。この2つが並列的に進行するので、一体どういう感情で映画を鑑賞すれば良いのかよく分からん。
第一、この映画は1920年代ハリウッド残酷物語のはず。ギャングに偽札渡して破滅するって、それ1920年代もハリウッドも殆ど関係ないじゃん。
荒唐無稽な映画にしたいのであればもっとコメディ寄りに作るべきだし、純文学的な映画にしたいのであればもっと写実的な展開で物語を進めるべきだったのではないだろうか?
大便、小便、ゲロといった汚物や乱交パーティーが盛りだくさん。
とにかくドギツい要素がてんこ盛りだが、それら全てがあんまり汚く映っていない。
都会的で洗練されているのがチャゼル監督の持ち味ではあるが、ここはもっと汚く映して欲しかったところ。
絢爛豪華な夢物語的世界観を強調したいのであれば、汚かったり残酷だったりする描写はありのままスクリーンに映し出すべき。なんか気取ってる感が拭いきれていないんだよな〜…😑
とにかく、キャリアが進むにつれてどんどん冗長な映画を撮るようになってしまったチャゼル監督。
『セッション』の頃を思い出して、100分くらいの映画をサクッと作って欲しい。本作だって、もっと的を絞って物語を紡げば120分くらいで描き切れるだろうに。
パッと夜空に散る花火のような、景気の良い映画が観たいっす。
長けりゃ良いってもんじゃないよね。。。
ラ・ラ・ランド、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド、ニュ...
子供のためでもアホのためでもない大人の映画
Movie Magic!
「ララランド」のラストは「巴里のアメリカ人」、今回はまんま「雨に唄えば」。ジーン・ケリーファンとしてはうれしいけど、長くない? よかったけど。
ラスト近く、劇場で「雨に唄えば」を観ている人たち、老いも若きも男も女も子供たちも、みんながしあわせ。
映画愛に溢れたとても良い題材なんだから、「雨に唄えば」みたいなみんなが楽しめるような作品にしてくれれば良かったのに。排泄物や子供に見せられないとこカットすれば2時間くらいに収まるだろうに。それじゃ面白くないのかな。
あまりにも映画ファン受け狙ってるというか、面白かったけど観客3人しかいなくて心配。
タイトルが出るまでのパーティの狂乱はそれはそれで興奮したけど、撮影風景が面白かったなぁ。
ピーター・ボクダノビッチの「ニッケル・オデオン」が観たくなった。
チャゼル節
チャゼル作品らしい怒涛のたたみかけ
カオスに次ぐカオス
チャゼル作品は
綺麗事をやらないからリアル
どこまでもアナログ
だから心にくるものがある
チャゼル監督の奥さんもいい役で出ていたのが嬉しい
音楽もララランドのコード使っていた気がする
やりたいことやったんだろうなって映画だった
ラストはアツかった、、俳優陣も音楽も最高だった
翌日もバビロンに引っ張られている
これまでのチャゼル作品にもあった狂気と情熱
これが映画の歴史なんだよと突きつけてきて
敬意も感じて作品を通して昇華している
考えれば考えるほど愛
「雨に唄えば」へのオマージュたっぷり
チャゼル監督にしてはなかなか良かったです。でもなげーよ。ちょっといろいろ盛り込み過ぎてとっ散らかっちゃったね。もう少しフォーカスを絞って凝縮したほうがいい映画になったんじゃないかな。例えばトランぺッターのシドのエピソード。それはそれでいい話で監督が描きたかったんだろうけど、この映画全体として必要かと言われるとそうでもない気がするんだよなあ。
トーキーへの転換期の話で、「雨に唄えば」へのオマージュたっぷりでした。「踊る騎士」のメイクで「ピエール」とか言ってるシーンがあるし笑。「雨に唄えば」もそういう過渡期の話なわけですが、トーキーに適応できなくて消えていった俳優って多いんでしょうね。
マーゴット・ロビーは熱演でした。魅力的ですね! でも○○みたいな声って可哀想でしたが、まあ当たらずとも遠からず?
ゲロゲリゲゲゲ
トランペット奏者の成り上がりと苦悩のシーンが、音楽も含めてGOOD!
auマンデー『バビロン』
予告編は、ブラピとマーゴット・ロビーが、古き良き時代のハリウッドの出来事をテンポよく演じるような感じでしたが・・・
冒頭のドラックあり乱行ありのサーカス会場のような異人変人オンパレードなパーティシーンに圧倒される!
ブラピ演じる大スター・ジャックと、Mロビー演じるスターになる為何でもありの新人女優と映画製作を目指す青年が入り乱れる三者三様の物語
サイレント映画の撮り方のシーン演出は面白く観れましたが、そこからトーキー映画への流れ含めてまぁ長い。。。。。
私的には、トランペット奏者パーマーの成り上がりと苦悩が、演奏も含めて、この作品の見どころのような気もします。
もう一つ楽しみにしてたトビー・マグワイアの出演シーンは、ほんの少しでした^^;
マーゴット・ロビーの終始破茶滅茶で捨て身とも思える演技で、アカデミー賞ノミネートされなかったのはショックかも!?
先日のレジェバタも長く感じたけど、この映画も覚悟して観ましたが3時間9分以上に長く感じたってのが正直な感想です。
刺激的
BABYLON
とにかくこの時代に流行していたジャズが作品をリズミカルに盛り上げていた(+1)
ネリー、マニー、ジャックのオムニバス的な構成が飽きさせない構成で数本の映画を一気に観たような価値があった(+1)
次何が起こるのかワクワクさせられ、カメラを届けるシーンでの3人の映像が音楽に乗ってテンポよく最高潮に達するまでの演出が素晴らしかった(+1)
オープニングのパーティーシーンをはじめ、説明不要で
、とにかく音楽と映像の熱量に圧倒された(+1)
オリエンタリズムが流行していたとはいえ、差別ではなく、この作品では、個人的には不要だった(-0.5)
ラスト、眼がチカチカした笑(-0.5)
時折、ララランド、セッションの感じが見え隠れ。。
この時代のハリウッドの光(美しい幻想)と影(悍ましさ)が描かれ、「雨に唄えば」で描かれたサイレント映画の裏ではもっと悲惨な出来事があったんだなと感じた
大衆へと降る古代都市
Babylon
主要4キャラクター達は皆、映画に対しては誠実に向き合い、真摯な仕事をしている。
時代に合わせ、変わっていくことは意味のないことか。
記者は、流行の移り変わりは、何かが悪いわけではないという。冒頭の酒池肉林は、後に違う形で姿を再度見せることになる。
成長と時代と共に価値観は変わるが、最終的には、皆正しく幸せになりたかったように思える。
マニーは、ネリーに対してずっと誠実でいた。本人からしてみれば、愛しているので当然か?その現実のシーンが、映画の錚々たる名シーンに包まれている。映画文化だけでなく、それを愛する大衆の生活を讃えたエンディングに、ジャックの強調した娯楽の重要性が重なっていく。
想像以上に胸に響く
チャゼル監督とブラピ、くらいの期待感で観に行ったけど、想像以上に胸に響く映画だった。
サイレント映画時代の栄光に一時間、トーキー時代での挫折まで一時間、そしてそこからのすざまじい転落人生は息つかせぬ展開であっという間。最後の締めくくりはグッとくる。大スクリーンで見れてよかった。
音のない映画を撮っていた時代のドタバタ、
初めて音を撮ることになった時のやきもき、
時代とともにただ終わってしまった人たち、
ララランドの曲!?と思うあの音の外れた鍵盤、
そしてパーカーの見事なトランペット
音楽との絡みもよく、面白かった。。
劇中にも何度か出てくる雨に唄えば、歌しか知らなかったけど、ちゃんと見てこの時代の移り変わりをまたなぞってみたい。
しかしアメリカの退廃時代を描いた乱痴気騒ぎとアンダーグラウンドの悪趣味さ、過激に描いたことはわかるが心の底からこの国とは相入れないと思ったわ。R15だけど日本の高校生こんなの見て大丈夫なのか?とやや心配。。
イメージしてたのと違った
23-022
「映画愛」に震える物語。
かくも「映画」というものは愛しいものなのだろうか。デミアン・チャゼル監督の眼差しは<創造するものたちへの限りない愛>に溢れ、狂乱の20年代ハリウッドを、このうえなく魅力的な祝祭空間として描いた。サイレントからトーキーへの移り変わりの悲喜こもごもは、これまで様々な映画作品でモチーフとされてきたものの、それは高みから見下ろして語る歴史であった。しかしこの『バビロン』は血を流し苦悩する、虚飾に生きるしかない<映画屋>の物語。時代から取り残される役者というのは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(クエンティン・タランティーノ監督 2019年)で70年代に落ちぶれた往年の西部劇俳優をディカプリオが演じ、その友人でありダブルであるブラピが**を**してマルチバースなハリウッド史を表現していたのが記憶に新しい。ともあれ、トーキーに対応できなかった様々な人々と、生き残り切れなかった有象無象が、悲しくも消え去っていく残酷なら必然。しかし、連綿と続く「映画」という夢の世界は、そんな者たちさえ<歴史の一部>として現在まで続いているという、チャゼル監督の鎮魂の物語である。
冒頭の30分近く描かれる、狂乱淫靡な即物的享楽だけが<正義>であったギョーカイに、破裂しそうな野心を持ってチャンスを得ようと潜入する主人公たちに、189分続く悦楽を鷲掴みされる。そしてラスト10分の、130年にわたる映画史に残る古今の名作が、眩暈を呼び起こすフラッシュカットで提示される。これらの編集はチャゼル組のトム・クロス。16ビートの疾走する勢いで、作品全編の緩急自在なリズムと、冒頭の狂乱とクライマックスの映画史で観客の血圧をぐいぐい押し上げる。
まことに映画という愉悦に浸らせてくれる、見事なお点前であった。
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