「いつしか魔法は解けて…」バビロン マスゾーさんの映画レビュー(感想・評価)
いつしか魔法は解けて…
ハリウッド
言わずと知れたアメリカ
西海岸の映画の都
元々20世紀初頭は
NYやシカゴが映画の
中心だったものの
権利管理がうるさく
独立系の製作会社の
目を逃れて西海岸に
こぞって移動したとも
言われている
また単純に西海岸の方が
天候が良い日が多く
撮影に適している
といった事情もあったとか
今作は1920年代からの
映画産業をたどりながら
サイレント映画で隆盛を
築いたジャック・コンラッド
という俳優の栄光と没落
また映画産業に夢を見て
やがて果てた人々を
ディミアン・チャゼル監督が
独特のエッセンスで仕立て上げた
チャゼル監督は前作の
ファースト・マンで
史実通りあまりに謎めいた
男だったアームストロング船長の
描写において非常に面白く
今作も楽しみにしていました
で感想としては
200分近い尺ながら
そう長いと感じることもなく
作り手たちの映画に対する
思いを受け止められたし
非常に「割り切った」描写が
ポリコレ配慮でヤワヤワした
表現に終始する昨今の
映画界に一石を投じる
ものである印象を受けました
…ただアカデミー賞だとか
賞レースにする感じの
作品には思わなかったかな
お金もかけすぎかと…
1920年代のアメリカ
いわゆる映画にまだ音声がなく
字幕を挿入することで構成していた
時代のムービースター
ジャック・コンラッドは
昼間は撮影
夜は屋敷で(これぞの)
乱痴気騒ぎを繰り返す毎日
そんな現場で助手を務める
マヌエルは気まぐれで
ネリー・ラロイという
女優の卵を助けて
出演するはずだった女優が
オーバードーズで使えなくなった
機会にネリーを売り込み
チャンスを貰います
マヌエルも泥酔したジャックを
家まで送ったら妙に気に入られ
近くで働くようになります
当時の映画撮影の
「現場」はすごいもので
荒野の炎天下のど真ん中で
なんでも撮影
モノクロだし音声も後入れ
照明もないのでそこら中で
色んな映画を撮影
戦争のシーンでは
安ギャラでテキトーに集めてきた
エキストラにとにかく戦わせ
戦争さながら死傷者が続出
死者が出ると
酒を飲んでいたので…
っていうのは当時の禁酒法を
揶揄しているのでしょうかw
無声映画なのに
ムード演出なのか
現場で生演奏しているのが
印象的でした
そしてネリーは破天荒な演技や
いつでも泣ける特技を披露し
一気に注目の新星になります
マヌエルはネリーに惚れて
いましたがあっという間に
手の届かぬ存在に
そんな自分はジャックの補佐を
しながら要所で役に立ち
信頼を得ていきます
カメラが回ってないと酒で
ぐでんぐでんなものの
やる時はビシッと決める
ジャックに尊敬を抱いて
いたようです
しかし時代は進み1920年後半
映画に音声が乗るようになり
いわゆるサイレント映画から
トーキー映画が実現します
そうなると現場は一気に
音声を撮るために静かに
細かなマイクの位置
劣悪な録音小屋など様々な
困難があり
新しい体制に慣れない
現場やネリーが苦しむ
シーンは時代の移り変わりを
如実に表していました
そしてジャックもネリーも
トーキー時代にあっさり
対応できないという烙印を
押されてしまうのです
何より悲しいのは
上手いとか下手とかでなく
サイレント時代に輝いた人々の
「時代は終わった」という風潮
だけで片付けられてしまった所
いわゆるヒット曲がある歌手が
その後の活動を続けていても
「一発屋」の烙印を押され
揶揄されるようなもの
ジャックは当初は気にしないで
いたもののマヌエルは
トーキー時代にそれまで
裏方同然だったシドニーを
役者側に抜擢することで斬新な
ミュージック映画を仕立て上げ
時代に乗っかっていきます
かたやジャックは自分の能力を
一番認めてくれていた
フラれるとその都度
落ち込みやすい友人ジョージが
ついに自殺してしまったことで
精神的に後ろ盾を無くし
時代に置いて行かれた自分を
自覚していきます
ネリーもマヌエルに支えられ
これから映画産業の主流に
なりつつあるハリウッド進出を
目指しコネクションを作るべく
頑張ってみますがどうしても
馴染めずに大暴れ
マヌエルの顔を潰してしまい
ギャンブルに溺れ借金まみれ
マヌエルもシドニーに
出資者に要求されたとはいえ
人種を蹂躙するほどの
無茶な要求をして愛想をつかされ
うまくいかなくなっていきます
それでもネリーには泣きつかれ
一度好きになった女だからと
いうのもありネリーの借金返済
を工面しますがそれは
小道具が作った偽札で切り抜ける
というとんでもないものであり
結局バレてメキシコに逃げよう
とネリーに持ち掛けますが
それも叶わず…
そしてジャックは
すっかり魔法が解けた
ように消えた自分の将来を
悟り自ら…
冒頭の乱痴気騒ぎの中心人物の
あまりに悲惨な最期には言葉も
ありませんでした
日本でいうと
石原裕次郎は映画の世界で輝いて
いこうという時代にテレビ放送が
始まったことでいち早く
テレビドラマの世界に打って出て
石原軍団を作り上げ時代を作りました
でも流れに乗れずに消えていった
歌舞伎役者たちがいたのです
そして石原軍団もその後
活躍できるフィールドを託す
後継者を創り出せず消えていきました
生き抜いていくやり方が何か
あったのかというとやったところで
世間にはもう過去の人にされていた
というあまりに悲しい事実を
この映画は表現していた部分には
チャゼル監督の意図を強く
感じられたところです
エンディング近くは
なんとか落ち延びて
家庭を築き旅行がてら
ハリウッドに戻ってきた
マヌエルが遠ざかっていた
映画館に映し出される
ジーン・ケリーの美しい歌声に
涙する姿は野望に燃えていた
若い自分の情熱を惹起する
ものであったという
印象的なシーンでした
ニューシネマパラダイス
のあのシーンさながらです
過激なシーンが多分にあり
あれマーゴット・ロビーのあれ?
っていうびっくりするシーンも
ありましたが
自分はこの映画の映画をテーマに
した「つくりもの」であるという
部分のセルフパロディなのだろう
と解釈しているので
あまり真剣に考える必要は
ないと思っています
チャゼル監督らしい
独特の余韻を味わえる作品でした