正欲のレビュー・感想・評価
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【追記 2人が共有し隠しているのは水フェチだが、水フェチは他人に理解されずフツーじゃないと言われるものの象徴。】水しぶきはたぶん何かの隠喩。オーラを消しても萌える。
【追記】
レビューを上げた後、みんなのレビューを見て1つ驚いたレビューがいくつか有ったので、急きょ追記することにした。
映画で出てきた水フェチだが、これをただ 「水の流れを見るのが好きな人」レベルのフェチとみなしていると思われるレビューが散見されるが、とんだ大間違いだ。2人の水フェチは水の流れに性欲、エクスタシーを感じるレベルで、なおかつ人間に性欲を感じないのだ。だから理解されず、おかしいと思われるかもしれないと思って隠す。
僕はまさかガッキーが自慰の場面を演じるわけないよなという思い込みから、しばらくは僕のスケベ心のイヤラシイ勘違いだろうと思っていた。だけど後半、2人が正常な人のセックスってどんなものなのかなと服を着た真似事をする場面を見て、さっきの場面はヤッパシ○○で2人の水フェチは性欲、かつ人間には性欲を感じないんだと確信した。この性欲は2人にとっては正欲(正しい欲)だ。
水のしぶきや流れが好きなレベルの水フェチならともかく、それにしか性欲を感じないのは他人に言ったら理解されなくてフツーじゃないと思われるから知られたくないと考えるだろう。もしそれも分かった上で、この水フェチとLGBTは隠さなくても今の日本なら全然大丈夫だよって言われてしまったらこの映画は成り立たない。取りあえずはフツーじゃなくて異常と思われるかもしれないから隠しておきたい何かの象徴ととらえるしかない。
【以上、追記終わり】
夏月(新垣結衣)と佐々木(磯村勇斗)は、ほとばしる水しぶきが大好きだ(噴水が好きなのではない)。中学のとき壊した蛇口から噴水のように吹き出る水しぶきにまみれて喜びにひたる2人。こんな変なことが好きで喜ぶなんておかしい。他人には絶対理解できないに違いないし、人に言えばきっと変な人だと思われるから胸に秘めている。しかしここに奇跡が起こる。こんなワケわからん嗜好を持った2人が同級生として出会うのだ。有り得ん。神様のイタズラだとしか思えん。
こんな自分は誰にも理解してもらえない。自分はひとりぼっちだ。この事はずっと心に閉まって生きて行かなくてはならない。そう思っていたのに、自分と同じ者がいた。この喜びを分かち合える者がいたのだ。それが例え1人でもかまわない。自分はひとりではない。自分のことを分かってくれる者がいた喜びは何物にも代えがたい。それも自分と同じクラスにだ。
しかし別れが訪れる。佐々木が横浜へ転校してしまう。ひとりポツンと残される夏月。ここで映画の技法だと思うんだけど、画面上で夏月がキューっと小さくなって見てるこっちに夏月の喪失感、寂しさが伝わってきた。夏月かわいそー。映画見てる観客もうみんな普通ここで泣いちゃうだろ。ワシは泣かん、男の子は泣くなと言われて育った世代だからじゃ(アホ)
で、有り得んことにまた神様がイタズラする。佐々木が地元へ戻って来る。女を自宅へ連れ込んでしけこむ佐々木と、あとをつけて様子を伺う夏月。ストーカーだがストーカーではない。夏月には佐々木に対する恋愛感情がないからだ。理解し会える同志だ。たまたま女と男だっただけだ。この後2人は結婚するが(籍は不明)恐らく二人には恋愛感情というものがないし、分からないのだと思われる。結婚という形が恋愛感情というものが無いことを隠す隠れミノになるから回りにバレない。夏月が寺井(稲垣吾郎)に初めて会ったとき、奥さんぽい雰囲気があると言われたのも夏月の自信と安心感から来るものだろう。
そういうわけで、ガッキーが佐々木の家のガラス窓を叩き割ったのも当然だ。あの時、夏月は佐々木が正常の世界へ行ってしまったと思い込み、世界で唯一の仲間を失った悲しみと怒りを目一杯ぶつけたのだ。
後に佐々木と結婚した夏月が、「もう私ひとりで生きていた世界に戻れんかも」 としみじみと言う場面が印象に残る。
で、また神様がイタズラする。3人目の水しぶき仲間がロリコンで捕まった流れで、佐々木が捕まってしまう。中学のときと同じく1人ポツンと残される夏月。この場面でも夏月がキューっと小さくなる。でも今の2人は中学のときとは違う。検事室で夏月は稲垣吾郎に頼みたかった佐々木への伝言の内容を口にする。「いなくならないから」。佐々木が聞いたら勇気100倍。
この場面では吾郎ちゃんがキューっと小さくなる。フツーな吾郎ちゃんはフツーでない息子を受け入れられず、パートナーと息子を失っていた。フツーな吾郎ちゃんがちょっと可哀想になる。「俺はフツーなだけだ。フツーのに何が悪い?」と嘆くゴローちゃんの叫びが聞こえてきそうだ。
検事の寺井はフツーの人代表。息子がフツーじゃないのが悩みで、息子をフツーに戻したい。学校行くのがフツーだろう派だ。パートナーが泣きながら寺井に言ったセリフが印象に残った。「どうして息子のバグを分かってあげようとしないの」
この映画ではフツーの人がかなり悪者扱いされてて少し分が悪い。
水しぶきが楽しいなんてフツーじゃないだろと言う寺井に夏月が言うセリフもイイ。
「あなたが信じなくても私たちはここにいる」。 てガッキーカッケー、どっかで使ってみたいよ。
大学生の神戸と諸橋についても1つ。ケンカして立ち去ろうとする師橋に神戸は理解できないだろうけどと前置きして自分のことを伝えようとする。もちろん諸橋は分からない。だけど諸橋は、自分とは違う種類だけど”人には理解してもらえないもの”を神戸も抱えて生きていることを知って、「きっとどこかに君を理解してくれる人がいる」みたいなこと言って神戸を励ます。いいシーンじゃないか。ここの部分だけでも原作者のメッセージが伝わって来るよ。ホント映画とか作ってるクリエーターってすごいといつも思わされる。
あと 「セックスってこんな感じかな?ごっこ」の場面が有り得んと思える人は(僕も理解出来ん人)は、アロマンティック、アセクシャルを検索してみるといい。僕は、理解は出来んが、まあ世の中にはそうい人もおるようじゃな、ぐらいには思っている。
ちなみにアロマンティック、アセクシャルの人たちの苦悩、悲しみはハンパない。
感想。
相互理解ってホントむつかしい。理解という言葉を定義するのもムツカシイ。
以前どこかで聞いた”2つの円の重なった部分”ていうのを思いだ出す。
新垣結衣が出ているの知らなかったら、僕はきっとよく似た人だなと最後まで思い続けたと思う。俳優ってたまに、うだつがあがらない地味なヤツの役やるときオーラ消すんだよ。驚くよ。
あと理解というこよについて僕は人は理解しあえない派。 差別については思っていても否認・差別的言動は気を付けてしないようにしよう派。
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