正欲のレビュー・感想・評価
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原作を読んだ後に見るとガッカリする映画
原作では啓喜や夏月、佳道は各々自身が感じる他者との違いに違和感や違いを感じ悩むキャラクターとして生き、精一杯もがきながらも決して他人に直接攻撃的な言動、行動を起こす事が無い。映画では啓喜は嫌な父親かつ高圧的な検事となり、夏月は佳道への嫉妬?裏切りと感じた事により佳道宅の窓ガラスを割る行動をするなどの奇怪な行動を起こす。
恐らく原作では田吉が引き受けていた人間の嫌なところを思う存分発揮するキャラクターの要素を映画では引き受ける役所が無く(田吉は出てこない)各々に振り分けたからだと思う。
啓喜は自分の価値観では特殊性癖者を受け入れれないが、他者を思いやる検事だし、もう少し妻や息子への愛情を持ったキャラクターだと思う。夏月は自分の特殊性癖に対しての葛藤が映画での夏月のように自分勝手なキャラクターでは無いと思う。
正直、修は死なないと佳道と夏月の関係性を深めれないと思うのでシナリオ変更のミスだと思う。
しかし、他の方の印象はいい映画だと見受けられるので原作を読む前に観たかったと感じた。
八重子役の東野絢香さんの演技は凄く良かったと思うので彼女の他の出演作は是非見ようと思う。
シビアなレビューですが、原作通りに作るだけでは映画の良さも出ないと思うので、原作読まれる前に是非観てほしい作品だと感じました。
もう戻れない
夏月が佐々木に「もう戻れない」と言うシーンが良かった。
普通でない人の多くは、他人に理解されることを諦めているだろうから、夏月のように「もう戻れない」という心境に至ることは多くないのではと思う。
夏月はこの後、普通に生きられるのだろうか。。と考えながら映画館を出た。
他に印象に残ったセリフ
・生き延びるために手を組みませんか
・居なくならないから
・普通のこと
映画自体は想像できる範囲の展開
主人公に対比する形で出てきた対人恐怖症も異性恐怖症の登場人物が中途半端な描き方過ぎる
恐怖症とは日常生活を普通に送る上では困難なハンディキャップでしかないしそれに第一水や児童やその他に快楽を求める特殊性癖ではないのだ
恐怖症は日常生活を送る上で困難を極めている特性でそれを主人公たちの求めるような“生活の質”としての快楽や悦楽と同視しないでほしい
何を根拠にしてこの作品の登場人物として恐怖症のキャラクターを登場させたかったのだろうかと最後まで否、見終わって今ですら疑問は残るのだった
原作のようにある一定の分量を持って描くなら分からなくもないが浅い人物描写に題材を軽く扱う商業作品に怒りのようなものが芽生えた
映画自体は想像できる範囲の展開で目新しくもないのだった
欲望のあり方
性の欲望は人それぞれ違うことは分かる。
それぞれの性(欲望)のあり方について、ここ数年での変化は映画化までの時間より早かった様に思える。
そのため水という流動的なものから得られる欲望があるとしてもよいだろうし、欲望が一つだけとは限らない点も理解できる。その欲望を満たすことは何処にあるのだろうか?
それは自慰行為も含むことだけど。
登場人物たちそれぞれのそれも含め描いて欲しかった。
描いたキャラもいるのだけど。
そして導入部がとても長く感じ、点と点が結ばれ線になってから結末に至るまでの展開が坂を下る様に早く感じられ、もう少し起伏を付けても良かったんじゃないかと思えた。
拘束されるまでの心理描写とか。
あと警察署内であそこまで冷静に居られるのだろうか?何か他人事の様に描かれてる様にも感じられた。
何をいいたかったのか…
結局何を言いたいのかわからなかった。自分らしさを持っていきたい佐々木や人に心を開く習慣がなかったダンス部の男が小児性犯罪者に巻き込まれた事に関して、自己実現をしたというよりバッドエンドに感じてしまった。結局、自分らしく生きることは悪だといいたいのか、監督や筆者の意図が汲み取れなかった。それともよく知らない人と会うことが~という話なのか。正欲といっても小児ポルノは犯罪。水フェチは犯罪じゃない。というか水フェチは主人公二人に関しては思い出に紐付けられたフェチシズムな気がするので純粋に思い出を想起するものでフェチでないと思う。この2つを関連付けた犯罪者が事態をおかしくしてる
あと、時系列に一度混乱した。子供の父が持っている藤原の記事はその当時最近のものなのか、佐々木と桐井が中高生のときに起こった事件なのかわからなかったからタイムスリップ要素あるの?と思った。
佐々木
彼が生きる希望を持てない理由が明確に描写されていなかったため、共感できなかった。桐井との対話では、親がなくなったがよかったと思った、おれは冷酷だと言っていたが彼は心が弱いタイプな気がする。やや感情に流されやすい気がした。ネットの関わりで事件に巻き込まれているのが彼にとって幸せかというとそう思えない。彼は元々こういうタイプなの?
子供
佐々木と同じようなタイプな気がする。父母が異なる欲を持って対立しているのであれば、家のがしんどくないか?と思ってしまった。背景描写が甘すぎる。いじめにあっているなら細かい描写が欲しかった。
桐井
彼女は中学生以降の記憶しかなく彼への執着が見え隠れしていたことが彼女の欲だと読み取れた。よってあれこれと遊んで婚活やセックスしたくない。執着心から彼の窓を割ったからこそ免罪は弁解したい正義感が働いたのか。
ダンス部の男
子供の父とは別の冷酷さを感じた。ただ生来持ってるものだろう。男性恐怖症の女の子に最後共感する気持ちが芽ばえたのはビックリした。その女の子は別の女と理解しているだろうし、藤原を名乗ってる男に騙されてるとは思わなかった。
追記
ジェンダーの話とは思わなかった。ただ人生のレールに乗るか否かという大きいくくりであって、セクマイやアセクシャルとは関係がないと受け取ってしまった。エリート検事稲垣の家庭に関しては「育て方、生き方規範」でありジェンダーだの関係ないだろう(父と母の典型例っぽいが)。水フェチはガッキーと佐々木くんの絆の間に生まれたものであり、少なからず恋愛感情はあるように受け取った。「水」はハンドルネーム藤原と佐々木とダンス部男が繋がるきっかけであって趣味のようなものだと受け取ってしまいました。
水フェチってことですよね
共感する人も近くにいて明日生きていたくないといった気持ちになる葛藤が描ききってないと思う。この映画だけを観ると水と戯れること、動画を観ることで欲求が満たされるなら、人の迷惑にもならないし、犯罪にも関わらなくて済むので生き辛い感が伝わらない。
ゴローちゃんの家庭は酷かったな。レトルトのカレーのみとたぶん冷凍物のオムライスのみを当たり前の様にサーブするあの奥さんの冷たさがとても印象的だった。
〝普通のこと〟です。
インパクトあるタイトルでひき寄せられ、放つメッセージは何だろう?と予告からわくわくした。
数えきれないほどの個性が集まるこの世だ。
生きていれば他者の思考・嗜好・志向との相違を感じる。
それは普通のことで正解や不正解もない。
誰にとってもそれは「正欲」であり、生きようとする欲=「生欲」ということなのだろう。
登場人物のエピソードを巡りながら考えさせるメッセージ達はなんだか幾度も打ち寄せる海水に似ているなと思った。
決して生ぬるくなく傷を探してはしみ込んでくる。
波打ち際で立つ足元に目をやるたび、都合よく保身してくれる砂たちを繰り返し連れ去る。
〝普通のこと〟があなたに〝どうあるか〟。
根っこの部分に、他を害したり傷つけないことを絶対のルールとして、
〝では、どうあれば〟と聞いてくる。
その問いは、彼らの縦とか横とかななめが繋ぐ接点を巧妙に繋ぎながら最後まで力強く続く。
その最後である夏月の姿はとりわけ印象的だ。
佳道についての聞き取りをする寺井の正面で一切たじろぐことのない彼女。
自分を理解されることのない異端だとあきらめ他者との距離をとり生きることに疲れていた彼女が、似た感覚を持つ佳道と過ごすうちに自他の自然な感情や感覚を肯定できるようになったのを確信できる姿がそこにあった。
それは身についた寛容性だ。
自分らしさに向き合い心地よく生きる術がなし得たことだと思った。
同時に安堵がよぎり、この肩に入っていた緊張が解け血が回り出したようにふわりと体が温まった。
さらにそんな夏月のその背中をまたひとつ、すっと寺井の前で押してみせた言葉。
それは偶然と夏月の勇気が手繰り寄せたぬくもりの重みのちからだった気がしてならないのだ。
あたたかい背中にまわした夏月の指先が触れたのは他ならぬ自分の素直な感情。
人の温もりという安らぎに似た愛おしさがこちらにも漂ってきたのを感じながら夏月の前に開かれゆく長い道も見えた。
私たちのまわりにはいつもあのメガネがそこらじゅうに転がっている。
ふとしたきっかけで手にとるのは他者かもしれないし自分かも知れない。
その使い方次第では、過去から現在、海の向こうも身近に見聞きするものも起きる過ちはこの足元から簡単にまるくつながっているのだろう。
このしょっぱい波がざわめく間は剥き出しになった自分の素足をみつめることになるだろう。
日が暮れて遠くの灯台の薄明かりしかなくなっても、ただそこで、ひとりで。
「いなくならないから」
多様性って簡単に定義づけできないどこまでも果てしないものだと思う。理解しようとしても、結局個人の中にある知識や経験からしか生まれないのだから各々勝手に枠を作って、簡単に分かった気になったり、ありえないと思ったり、勝手に引いたり、批判したり、自分より下にみたりする。ありえないものを内側に抱えたり隠したりしながらどれだけの人が生きてるのか、目には見えないものがどれほど大きなものか、みんな見落としている。そもそも理解しようとすることが正しいのか?理解できないことは悪なのか?考えさせられる。
中盤、夏月の同僚の言葉にぞっとさせられる。きっと本人にとっては何気ない言葉。むしろ自分は正しいことをしているという態度。仮にも悪気なく世の中こういうことが至る所で起こっているのかななんて思うと本当にぞっとする。
夏月と佳道の2人。手を組むって、なんだか契約のようで嘘をつくようだなと予告編を見て思っていた自分の浅はかさを思い知る。手を組もうがその姿が他人にどう映ろうが、ただ必死でみんな生きて、生きようとしているだけで、生きていくための手段ってそれこそ正解も不正解もきっとないのだと思う。所謂普通ではないものを抱えていても、他人には計り知れないほどの孤独を抱えていても、もしたった1人でもそれを大事にありのままに共有できる人がただ側にいるのなら、生きる理由として十分だ。「いなくならないから」というセリフ。ここだけ切り取ると何気ない言葉。別の視点から捉えるとある意味皮肉な言葉。これほど力強い言葉があるだろうか。一生忘れられないラストシーンとして胸に刻まれた。
引き込まれた!
原作読んで観賞。
役者の演技がよかった。
特に夏月役の新垣結衣、八重子役がよかった。
最後の場面の「いなくならないから」は名場面だ。
自分をさらけ出した信頼関係こそがリアルな繋がりではあるのだと。
それを紡げていなかったのは画一化された環境で普通の家庭を築こうとしていた啓喜のほうなのだと。
あらゆる常識に対して色々な角度で見識を持てるようにしたい。
芳道、夏月、大也、八重子のような人たちがこれから生きやすくなるような社会の発展を願いたい。
2時間半では難しい?
原作を読み、最近の小説で最も夢中で読めた作品だったので、
映画を観たくなり映画館へ
原作既読済みの映画鑑賞時に、いつも思う感想が、
自身の思い描いた原作通りに行かないと嫌!って感想が必ず付き纏います😵
原作を好きな時程特に。。
今回もそのような感想でした
桐生さんの謎の奇行や、原作で好きな田辺の好き放題コメントシーンが無かったり、寺井啓喜が、自身のマイノリティを自覚させられるシーンが見たかったな、などなど、
小説を読み終わった後のような、いい気持ちにはなりませんでしたが、良いシーンもあり、
八重子と大也の言い合いのシーンは原作と違っていましたが、言葉や演技に迫力もあり、桐生さん佳道との絡みのシーンも、お互いの繋がりが感じられて良かったです
原作とはまた違った良い映像化を期待して、また映画館に向かいます
時代の映画
群像劇、特殊な性癖をもつ主人公たちの葛藤、理解できない検事。
物語のテーマは非常にわかりやすい。ガッキーと磯村さんの純粋さと稲垣さんの堅物さ、とてもよかったです。
群像劇が、交わるまでが遅い印象。見ている僕も、そう言う趣味を理解できない為、前半は見ていて退屈です。
個人的には猛烈な衝撃作 もう観る前の自分には戻れない
『生欲』
「自分がどういう人間か、人に説明できなくて
息ができなくなったことってありますか?」
私はあります。
「明日が来なければいいと思って生きてきた」
そんな人の気持ち、理解できますか?
「誰にもバレないように、無事に死ぬ為に生きてるって感じ」私もそんな感じ。
家庭環境 性的指向 容姿
異なる5人の人生が、少しづつ繋がってゆく。
正しい欲とは?欲に正しいも不正解もないのでは?"普通"って何?普通じゃない癖(フェチ)を持ってたら捕まるの?可笑しな世界だ。
異なる5人なのに、5人全ての気持ちが理解できた。共感した。苦しくも、嬉しくも、羨ましいとも思った。
「どうせ私の気持ちなんて誰もわからない」
そう思って生きている人達に、
そう思ってない人にも
是非観て頂きたい。痛烈な衝撃作。
理解できないかもしれない。嫌悪感を抱くかもしれない。
私のように逆に苦しくて泣いてしまうかもしれない。でも、世の中にはこういう人間が山ほどいる。この世界の中に誰か一人でも理解してくれる相手が居たら、抱きしめ合える人が、居たら、居て欲しいと願う。私にも居たら良かったのになと、昨夜も3時頃も、今も、毎日、毎晩、絶望する日々。
「いなくならないよ」その言葉のあとの、とてもシンプルな愛の歌 Vaundy「呼吸のように」が、この作品を観終えたエンディングだからこそ深く胸に刺さり、涙が止まらなかった。
入院前からずっと観たかった作品
この近辺では昨日で上映終了でした。間に合った、、、良かった、、、この作品に出逢えて良かった。原作ではより深く登場人物の過去が知れるということもわかったので、時間があれば読んでみたいと思った。
⚠️以下ネタバレ含んだ私の感想です。
「これで擬態できないかな?世間なみに。この世界で生きていく為に 手を組みませんか?」
この言葉を発した磯村勇斗くんにきゅん。
そりゃ嬉しいさ。そこで初めて心からガッキーの笑顔が。ほっとした表情。私も指輪💍貰った事あるしさ、ヴィヴィアンのよ。今でも持ってるよ。付けらんないけど。
「逃げ癖がついた人間は生きづらいまま」
仰る通りでございます。
カレーオムライス 私の好きな得意な料理
同級生や友達の結婚式には出た事がない。この歳で一度もない。他人の幸せが辛い。コース料理が食べれない。不登校だった。男性恐怖障にもなった。人間不信にもなった。
拘束前に押さえつけられたトラウマで。触れられるとパニックやら過呼吸やらフラッシュバックやら手の震えやら。でも好きな人の画像は保存します。スクショします。見てるだけで幸せなのです。
人生の通知表 大晦日 お正月子供のアイコン
「うっさい話し掛けんな」「何その目 こっわ」
私もあの目ひん剥いた目👁で発した事があります。
はじめてのおつかい嫌いは大嫌いです。
明日生きていたくない人死にたい人
社会の一員流れに乗るのが「普通の人間」なんですか?
そう、バグ。この作品を観た夜中にバクった。
では、私の癖を晒しましょう。
私は眼鏡とスーツと白衣が好きです。
子供の頃嫌いだった注射も採血も点滴も今では当たり前のこと。好きか嫌いかと問われれば好きだ。思い出して下さい。佐藤健の恋はつづくよどこまでも を
全国の女性がきゅんとしたはずです。それと一緒です。イケメンの医者に惚れた。それだけの事。
拳銃や手錠も好きです。『Switch』という漫画がありハルというキャラクターがどストライクです。オタク?そうなんでしょうね。
それの何がいけないんでしょうか?
大人の男性が小さい男の子が好きな事は犯罪ですか?確かに売買は駄目。
でも、好きな事は仕方がない。
その線引きは非常に難しい。
薬だってそう。捕まる薬とそうでない薬の違いって何ですか?もうわかりません。
どうかまだ、終わらないで欲しい。
上映を続けて欲しい。一人でも多くの方に、この苦しみを知って欲しい。
この苦しみを、誰かと分かち合えたなら、、、
法の正しさと生きづらさ
とても現代的で難しい、複雑なテーマを扱った作品。
原作ファンや俳優のファンでもなければ、何か目的を持って映画を観るというのはかなり減ってきているかもしれない。そういう意味でこの作品はサブスクで観ようとすればスマホや他の日常の作業や雑音にさえ飲み込まれてしまう可能性が高く、集中して作品と向き合わなければ何を伝えたいのかも分からないと評価されてしまうかもしれない。
分かりやすさで言えば本作は分かりにくいし、複雑で、同時期に検察を皮肉る作品としては公開された『法廷遊戯』の方が一般的に評価されやすいと思う。
しかし自分が思いもしない、全く別な角度から鈍器で殴られるような衝撃でいえば本作の方が空恐ろしさを描いていると個人的には思う。
タイトルの「正欲」は性欲でもあると同時に多くの人が口にする「普通」や「一般」「平均」としての「正しく」あろうとする姿やそれに擬態して自身の欲望を隠す様を表しているのだろうか。
昨今、LGBTQに代表される性的マイノリティが世界的に注目を集め、諸外国の中には同性婚などに踏み切る国もある。
日本でもLGBT法案が通過し、心の性は女性と自認する身体の性は男性の人が女性の公衆浴場に入ろうとする問題や性犯罪者、小児性愛の問題が議論されているが、そうした中で既存の法律や社会規範が前提としているモノが崩れつつある現代だからこその作品だと思う。
作中には様々な他の人とは違う、自分にとって当たり前の欲を持つ人が登場する。作中に登場する日付から2019年を舞台である時代背景を念頭に考える必要があると思う。
非常に挑戦的な作品で、法の全体としている社会的規範や常識で計れない人々に対して適度な距離感とグレーをはっきりさせようとする現代の在り方に対する皮肉が込められていると評価している。
特に中盤移行のそれぞれの人物がどう繋がっていくのかは、本作の肝で、一般的に良い人とされる人が一番怖いという教訓でもあると思う。
また大学生の表面的なだけの言葉のキャッチボール、YouTuberの社会を知っている風に見せる演出などへの皮肉の込められ方も含めて演出が巧み。
★1.5は公開時期が時流を捉えるにはLGBT法案が通る半年〜1年前が適切だと思われた点。
また後の時代にどう評価されるかはわからないが、ホテルでのバストアップで夏月と佳道が語るシーンは解像度が高すぎ、ノイジーさや暗さが足らない気がした。
まるでそこだけ後から撮り直しでもしてツギハギをしたようなトーンの違いを感じた異物感から。
また夏月と八重子をどちらも黒髪ロングで揃えるのは意図してなのかキャラクターのイメージがダブり気味に思えたから。
以下、主な登場人物について。
★稲垣吾郎演じる「寺井啓喜(ひろき)」は横浜地方検察庁で働く検事。作中でもっとも模範的常識人だけれど、一番辛い立ち回りかもしれない。物静かに見える役柄から反転する怒号、苛立ちの演技は作中ダントツ。
不登校YouTuberに感化されて我が子がYouTuberになる。学校に行く時より我が子が生き生きとしていると喜ぶ母親。耳障りの良い事を言って広告などで収益化をしている人は詐欺師同然と…次第に夫婦と親子の関係は別居から協議離婚調停へ。いわゆるモラハラやペアハラ(ペアレンツ・ハラスメント)の役所。
★東野綾香演じる「神戸八重子」(かんべ)、金沢八景大学の学祭実行委員で「ダイバーシティフェス」を企画。兄弟もいるが、男性から性的に向けられる視線に吐き気や過呼吸になる程の男性恐怖症で、自分の言いたい事も面と向かって言えない。空気が重くなるような絵に描いたような陰気なタイプ。長い黒髪が重々しさマシマシに伝わり、そこから覗く表情は焦点がここではない何処か遠くを見ているようで光はなく、息が詰まりそうな演技が怖い。
★佐藤寛太演じる「諸橋大也」(だいや)、金沢八景大学のダンスサークルの花形。昨年のミスターコンテストの準ミスター。水に対して性的興奮をするが、人に暴露できず、誰にも理解されない事をダンスにぶつける。口数が少なく眼光の鋭さとキレのある動きの奥に何を考えているか分からない不気味さが同世代の学生には大人びて格好良く見えるかも。
★磯村優斗演じる「佐々木佳道」(よしみち)、偏愛を中学時代の桐生夏月と分かち合う。広島育ちだが中学3年の途中で横浜に転校。両親が事故で他界し、広島に戻り、同級生の結婚式で夏月と再会する。
★新垣結衣演じる「桐生夏月」、イオンモールの寝具売り場で働く販売員。結婚適齢期を迎えても恋人を作らず、親や周りから不思議がられ生きづらさを抱えている。メイクの影響もあるだろうけど、年齢相応に影のある演技も出来る女優さんなんだな改めて感じた。
許可証
彼女にとっては彼が。彼にとっては彼女が生きててもいいっていう許可証なんだろうと思う。
⭐︎5.0は決して面白かったわけではなく、減点に値する要素が見当たらなかったからだ。
マイノリティの人々の目線というか生き辛さの話なのかなぁと思いながら観ていたのだけれど、そんな局所的な話を入口にして、人が根源的にもつ仕組みの話になっていった。
承認欲求って言葉は、他人から認めてもらいたい欲の事だと思っていたのだけれど、この物語にもソレは当てはまり…たった1人にでもいいから必要だとされる事も、承認欲求が成就された形なんだと思う。
人ってのは、そんなに弱いのかなぁと思う反面、確信をもって同意してしまう自分もいる。
別に1人で好き勝手に生きていきゃいいじゃんよ、なんて思っていたのだけれど、きっと俺は本当に1人になった事がないのだと思われる。
俳優陣は皆様、素晴らしかった。
新垣さんと磯村氏は特にだし、男性恐怖症の女性も抜群だったなぁ。
新垣さんの台詞がいちいち刺さり…どこにも居場所がなく「地球に留学してきたようだ」とか「命の形が違うんだよ」なんて言ってた彼女が、彼と抱き合い?「世界の中心になったみたい」なんて台詞は、それまでどれほどの疎外感を受けていたのだろうと思うし、そこまでだった疎外感はたった1人の理解者によって砂の城の如く崩れるのだと思えた。
彼女が稲垣氏に向ける台詞も味わい深い。「惚気をきいてくれてありがとう」って。
おそらく理解できない感情だったと思うし、唾棄する程の嫌悪感もあったんだと思う。でも彼女は惚気る。他の人が標準装備している欲求がちゃんと彼女にもあったわけだ。
依然、内側は変わらない。
特殊な性癖もそのままだし、自分が普通になったとも思ってないだろう。なのだが他人に自慢したい事が増えたのか、それとも自慢できる程、自身に自信がもてたのか分からないけども、一度切られた彼女の堰は塞がる事はないようだった。
生きていく上で「理解者」の存在って絶大だなぁと思える。
俳優陣は、そんな感情の機微を巧みに表現してくれてた。
演出も上手いなぁと思うのは、稲垣氏のパートで…彼は精一杯歩み寄ろうとしてるのであろうなぁと思う。動画撮影の際に同席してたりするのは、きっとそういう事なのだろう。
あんな風に奥さんに泣き喚めかれて、子供に反論されたら、自身の正当性は落ち葉のように吹き飛ぶ。お願いだから泣かないで、と。彼に同情してしまった。多様性の現状を如実に表してるパートだと思えた。
長らく家長制度を継承してきた日本社会において、奥様と子供は弱者にあたりもして、それはそのまま日本の社会にも変換できる。
凄い剣幕で自身の権利を主張する。今まで是だった事が否定されていく。弱者救済と言えば聞こえは言いが、弱者という立場の人達から脅迫されてるような状況にもなりうる。
どこまでを許諾してよいのか困惑する。
その先の未来の予測が立たないから。
その予測出来ない未来を度外視してでも対応するのが現代の風潮ではあり、変革の渦中でもあるから致し方ないとは思う。
稲垣氏の立場は絶妙で…言ってる事は分かる。理解しようともしてるけど素直には受け止められない。でも、お前ら俺を悪者にするなよ…みたいな感じだった。
実際、タイトルである「正欲」だけど、性欲にかけられたりもしてたけど「正しい欲望」とか「正当な欲望」なのだと思う。
人としてある正しい欲求や欲望。
マイノリティである人達にもそれは装備されてて、だからこそ生きにくいって話なのだけど…「水」程度な事ならば受け入れもする。
でも作中にあったように小児性愛者とかカンニバルとかなら多様性の項目からは除外する他ない。
百歩譲って需要と供給が一致しているのならば、どうぞその狭いコミュニティで謳歌してくれとは思う。
人肉を食べたい人と、自分の肉を食べて欲しい人がいて、互いの欲望が満たされるなら補完しあえているのであろう。ただ、それ以外の人を巻き込むなとは言いたい。
殺人とかになってくるとまた話は違う。
そう言った意味でも稲垣氏の職業が検察官なのかな?人を管理する基準である「法」に関連させているのは技ありだった。
磯村氏らの処遇が気になるところではある。
前例からは判断できない動機があって、それを認めなきゃいけないのが現在の多様性社会でもある。法が追いついてないと言うのがた乱暴だと思うのは、元々そういう性質ではないからだ。
法の枠組みを逸脱してるというか網羅できてる訳がない。彼らに適用しきれない法によって彼らの人生は変わってしまう。
普通じゃない彼らを普通の価値観で推し量る。そんな理不尽さを抱えているとも言える。
ラストカットも絶妙で…稲垣氏のリアクションも良かったけれど、立ってる場所による価値観の分断って日常的に起こるのだなぁと思える。
閉ざされた空間に1人残る稲垣氏と、その空間から出ていく新垣さん。それは旧世代の常識に囚われた人々の暗喩のようで、彼はその中で悶々と自問自答を繰り返すのだろうか?
それとも、安全な檻から出ていく無謀な冒険者を意味するのだろうか?いずれにせよ、その扉は閉まり、両者を隔てる壁によって分断される。
どちらかがその扉を開けない限り分かり合える事はないのだろう。
厳選と言うと語弊があるのだけれど、新垣さん達は唯一無二なんだと思われる。個体数が少ないからと言えばいいのかな?その関係性が「愛情」ってものに変化していくのならば、稲垣氏が交わした結婚っていう愛情が根底にあるはずの契約は安心とか建前とかなのかもしれず…唯一無二と言う根拠は新垣さん達と比べて薄いようにも感じる。
まぁ、子供っていう未知なるものを抱えた時点で比較するべきものでもないようにも思うけど。
ラストに至り、かなり重たい天秤を突きつけられたようでもあった。
「人は1人じゃ孤独も感じられない」なんて歌詞があったけれど、誰かが居ないと自分すら分からない不自由な生き物なんだなぁと思う。
一昔前までは「普通じゃない=異常」って価値観だったように思うけど、昨今は「普通じゃない≠異常」になっていて、細分化もされていってるって事なのだろう。
分かりきってる事だけど、普通じゃないって事だけで罪に問われる事などない。
ただ一つ。
ズルいなぁと言うか浅ましいなぁと思うのは、ビジュアルによる印象の違いだ。
美くしい人が主張するものは正論と受け止めがちな自分に気づく。きっとそうでない人が主張すると暴論に聞こえてしまうのだろう。
とても愚かな思考だと自覚はする。するが…条件反射にも近いような気がしてる。
展開が遅い
4~5人の登場人物の視点でグルグル進行していくため、どうして展開の遅さを感じずにはいられなかった。
動き出したのも1時間経過したぐらいからだったと思う。
そこから一気に面白くなった。
映画館じゃなきゃ見れない作品とも言える
稲垣吾郎さんがハマり役!
と言っていいのかわかりませんが、本当にハマり役でした。
稲垣さん演じる寺井は、いつも『正しい』んですよね。
それでいて、ピュア。
登場人物の中で、一番ピュアかもしれません。
寺井は自分の"正しさ"を振りかざします。
それは時に家族、または仕事で会う被疑者たちに対して。
その、『正しいが正義』と信じて疑わない姿、逆に清々しかったです。
それが稲垣さんの雰囲気と合わさって、どこか憎めないんですよね。
映画全体としては、原作にはないシーンが大胆に入ってるな、という印象でした。
でも、このシーンはカットしないで!というシーン
(ビジネスホテルのシーンや、中学校の蛇口のシーン)
はきちんと盛り込まれており、安心しました。
原作とイメージが違うなと思った方がお三方。
まずは神部八重子です。
映画のあそこまでオドオドしてる子が学祭の実行委員になるかな?と。
もう少し、普段は割と普通な学生という印象でもよかったのかなと。
次は寺井の部下です。
原作では体育会系のイメージだったので。
最後は夏月の両親です。
ちょっと年齢上すぎません?
おじいちゃんおばあちゃんに見えました。
いろいろ言いましたが、原作の雰囲気はそのままに、うまくまとまっており、観てよかったです。
映画の方が後味よかったかも。
みんな寺井に言いたいこと言ってくれましたもんね。
えっ!こんな作品
稲垣とガッキだから舐めてた。原作は、朝井リョウやし。しかし、違うやん。びっくりだよ。
稲垣みたいな人多いね。特に、偉いさん。自分が法律だって。ラストは、救われるね。待ってるって
変わった人でも生きていけるよって!
ラストシーンは物足りなかったが・・・
アセクシュアル(無性愛者)・水フェチというマイノリティを扱った映画。ガッキーファンの私としてはストーリーはさることながら、まあまあ作品として楽しめた。服を着たままの夏月(ガッキー)の模擬セックスシーンとか、佐々木佳道人(磯村勇斗)の家の窓ガラスとぶっ壊すシーンとか、まずそうにご飯を食べるシーンとか、今までにない彼女の様々な演技を観ることが出来たし、いまの社会に内在しているいろんな問題を彼ら視点で意識させてもらえた。
でも、まあ、いまどきのLGBT問題など、古い頭の私らの世代には少々理解しがたいところもあった・・・。わからないこともないが、私らを含め、おじさん達の代表=寺井啓喜役(稲垣吾郎)の標準思考は古いと説教をされているような映画だったかもしれない。マイノリティに拘りすぎると、標準ってなに?って、悪いこと?って聞き直したくなる世代だからね。とはいえ、やかましいわと切って捨てられない時代・・・。
大学生神戸八重子役の東野絢香(いい味だしていたよ)がアセクシュアルな問題に悩むのはリアルだが、あのガッキーでは少し現実感が乏しいかもしれない。もちろんアセクシュアルといってもいろいろなものがあるようなのだけれど。でもガッキーがヒロインだから映画の興行としては成立するのだろうなあ。
ガッキーの最後の台詞「いなくらないから」が、この映画の肝かもしれないが、それでも、ラストシーンは物足りなかった。この手の、観客に結末を委ねる作品っていうのはエンタメとして不十分だと私は思う。ま、ともかく、ガッキーが頑張っていたので、★3.7あげたい。
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