イニシェリン島の精霊のレビュー・感想・評価
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おもしろい、おもしろくないの次元で語ってはいけない作品…。
マーティンマクドナー監督作品である以上、「何も起きない」のは覚悟の上でしたが、「映画を観る」というより「舞台を見ている」ような感じでした。
作品全体としては「誰一人感情移入できない」もので、中盤、寝ましたw
(スリービルボードも結局2日に分けてみたな…)
コルム、感染症になったりしないのかな…。
ロバと犬が可愛い映画です。
ドミニクはなんの象徴なんでしょうね。死という形ですが、あのつまらない島から逃げられた…と解釈するべきなんでしょうか。
私、田舎に住んでなくてよかった…と思いながら映画館を出ました。
追記:この作品、元々監督が戯曲として書いたものだそうで。
ブラックなユーモアに目が離せない
イニシェリン島というのは架空の島で実際には存在しないということである。島の対岸ではアイルランド人同士で内戦が行われており、島の人々はそれと全く無縁な平和な暮らしを送っている。どこか朴訥とした安らぎを覚えるが、同時に世界から見放されてしまった絶望感、寂寥感も感じた。まずはこの特異な舞台設定がユニークで、作品に寓意性をもたらしていると思った。
そして、その寓意性を最も象徴的に体現しているのが、突然姿を現して予言をほのめかす老婆の存在である。その超然とした佇まいは、明らかにこの世のものとは思えず、個人的にはベルイマンの「第七の封印」の死神を連想した。実は、彼女は物語終盤のキーパーソンになっている。
作品のテイストは、前半は割とコメディライクに傾倒しており、クスリとする場面も多い。しかし、後半のコルムの常軌を逸した行動あたりから徐々にサイコスリラーのようなテイストに切り替わっていく。この独特なタッチは確かに面白い。また、先の読めない展開も魅力的で最後までスリリングに楽しむことが出来た。
監督、脚本は「スリー・ビルボード」で注目されたマーティン・マクドナー。本作は元々は彼が劇作家時代に書いた戯曲を元にしているそうである。彼はアイルランドのアラン諸島を舞台にした三部作を構想し、そのうちの2本を舞台で上演、残りの1本を今回映画化したということである。
それを知るとなるほど、本作は確かに舞台劇っぽい作りに思える。必要最小限の登場人物で進行する会話劇主体の作りは、映画というよりも舞台劇に近い感じがした。おそらく舞台として上演しても成立しそうな作品かもしれない。
しかし、だからと言って本作が映画的ではないと言うとそういうわけではない。島の美観には魅了されるし、マリア像や十字架が画面に映り込む風土にどこか神々しさも覚えた。こうした丁寧なショットの積み重ねに確かな映画的な魅力が感じられた。
物語はパードリックとコルムの対立を軸にしながら、パードリックの妹の自律、村の若者ドミニクのドラマなどが語られていく。夫々に上手くラストで着地点を見出しており、脚本自体はかなり良く出来ていると感心させられた。
また、パードリックとコルムの隣人同士の不毛な争いには、当時のアイルランドの内戦が暗喩されていることは確かで、そこにマクドナー監督のメッセージも感じ取れた。氏はアイルランド人の両親から生まれたという出自を持っているので、今回の物語に一方ならぬ思い入れがあるのだろう。
それにしても、昨日まで仲の良かった友人同士が、ここまで憎しみあうとは、傍から見ると実に滑稽極まりない。
確かにコルムの気持ちも分からないではない。しかし、物事には順序という物がある。何も告げずに突然絶交するとは、大人のやることではない。ことの発端は彼にあり、その後も自傷行為で嫌がらせとは大概である。
パードリックも決して悪い人間ではないのだが、コルムの言うとおり退屈な男であることは間違いない。しかも、かなりの依存体質で同居する妹がいないと一人では何もできない有様である。基本的に幼稚な男で、そんな彼が暴走するとどうなるか…。昨今の自暴自棄的な事件を連想せずにいられない。
キャスト陣は皆、好演していて見応えがあった。パードリック役のコリン・ファレルはいよいよ深みのある演技が板についてきた感じで、ここにきて最高のパフォーマンスを見せている。
妹役のケリー・コンドンはマクドナー作品では「スリー・ビルボード」に続いての出演になるが、今回はかなり重要な役所を貰っていて大変魅力的であった。
また、ドミニク役のバリー・キオガンは知的障害という難役であるが上手く存在感を出していたように思う。
すべてはAny time
はい。よく私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。
まずは極めて個人的なお話しです。すいません。
私は神社仏閣が大好きなんですよ。他のレビューでも結構語ってます。
それで一番良く行ってる神社は神田明神。理由が有ります。それは・・・あかりちゃん!
いえね、神馬のドンキー・・・じゃなくてポニー。
可愛いんです。
ある時です。いないんですよ。いつもの場所に。諦めて聖橋方面に行きました。すると、なんと・・・
向こうから歩いて来た‼️神職さんがお散歩させてたんだね。またお正月に行った時なんですが、猿回しをやってたんです。猫も好きだけど、馬も好き、お猿も好きなんです。
とりあえず猿回しが終わって、あかりちゃんの所に行きました。すると猿使いのお兄さんになんか話しています。聞き耳を立てます。
あかりちゃんにお猿を紹介したいんですが?
神職さんはやんわり拒絶。見慣れない動物を見せて興奮させたくないんでしょう。見たかったけどね。
モンキー ミーツ ドンキー
うん。韻踏んでる!
ポニーだよ‼️
あかりちゃんはこんな感じで神職さんや巫女さんに愛されています。ちなみに真夏は放牧に出すのでいません。声を大にして言いたい。
動物好きに悪い奴はいない‼️
さてと・・・どうもこの映画は海外で評判が良いですね。私のフォロワー様も高評価。
ただね・・・低評価の人の気持ちもわかるんです。孤島で高齢者の男性と中年の男性の大げんか。延々と続く訳です。最初から最後まで。何を見せられているんだろう?
実は私もそう思いました。当初は。
大げんかしたのは実は訳があった。最後には仲直りして大団円。
全然違います。
いえね映画を観てる人ほどそう予測します。なんか狐につままれた感じです。咀嚼出来ない。
時代は1923年、場所はアイルランドの孤島、イニシェリン島。いつものようにパードリック(コリン・ファレル)は親友のコルム(ブレンダン・グリーソン)の家に向かいます。
海辺の家。木がない。犬がいる。
おーい、まもなく2時だよー 一緒にパブに行こう。
コルムはタバコを吸ってます。出てこない。
島で一軒しかないパブ。コルムはパードリックを避けます。徹底的に。
コルムは言います。
お前といると退屈だ!二度と話しかけるんじゃねえ!
今度話しかけたら、俺は左手の指を切るからな!
コルムはバイオリン弾きです。左指は命と同義語です。そして確執はエキサイトしていきます。続きは劇場でお確かめ下さい。
あとイニシェリン島の景色が良いんです。一言で言うと・・・めっちゃ
ブエナビスタ‼️
解説 ブエナビスタとはスペイン語で素晴らしい景色と言う意味です。同名のこの映画の配給会社とかけています。
解説すな‼️
はい。終わり・・・にしようかなと思いきや終わりません。ここから先はネタばれ、そして妄想です。読まないでいいです。
まず主役二人に次ぐ最重要人物は・・・
ドンキーのジェニー!
人物じゃねえ‼️
ドンキーって西洋では愚鈍と同義語です。もちろんパードリックの事です。本当に愚鈍でね余計な事ばっかしやがって。
そのせいでコルムは左指全部なくなったじゃねえか!
じゃんけんが出来ねえよ‼️
失礼しました。じゃんけんじゃ有りません。バイオリンですね。
ドンキーの話しの続きです。ドンキーっておっとりして優しい生き物です。ただね・・・犬が大嫌い。何故でしょうか?
犬は狼の末裔だから。
ご先祖さまを散々食い物にしやがってよ‼️文字通りだよ‼️
ドンキーってまだ野性が残っています。犬を見ると激オコになって首筋に噛み付いて踏んづけます。DNAって有るんです。
さてコルムについてですが劇中ではほぼ語られていません。バイオリン弾きですが後輩が来てセッションしています。当時としては高価な蓄音機も持っています。
本土の音楽学校の教師です。セミリタイアして10年前にインシュリン島に移住しました。周りから尊敬されてます。常識人だし優しい人。パブでは煙草は吸わないしね。
ある日の事です。衝撃的な出来事が起こりました。なんと大病に侵されている!余命宣告も受けました。
病名はサイレントキラー 肝臓ガン。
俺が死ぬのはしょうがない。ただなあ・・・
パードリックはどうする。長い時間一緒にいたし家族同然だしな。あいつは俺が居なくなったら凄まじい衝撃だよな。ひょっとしたらひょっとするかも。
実はコルムも同じ気持ち。WW1で死んだ息子の代理だしな。そこで一計を案じてパードリックに自分を嫌いになるように仕向けたのです。
実はこの物語は対立じゃない、愛情の物語。
いやね妄想です。
そう考えるとパードリックが警官に殴られたあと一緒に馬車で帰ったりとか.パブで悪態をつかれたあと面白いと言ったりが腑に落ちます。
指を切ったのも、死を目前にしているのだったら出来る。どうせ死ぬしな・・・
最後近くパードリックはコルムが切った指を飲みこんで死んだドンキーのジェニーの復讐に走ります。実に愚鈍。
明日の2時にお前の家に火を付けるからな!
ここです。不自然な場面。逃げても反撃しても警官に通報してもいいところ。しかし、しない・・・
思惑が当たりました。パードリックは俺を嫌いになった!なんならパードリックに殺されてもいい。
コルムの家は丸焼け。でもコルムの犬は助けて家に連れて帰った。なにしろ不倶戴天の敵、ドンキーは消えていますから。
翌朝、気になりコルムの家を見に行きます。コラムの愛犬を連れて。ところが・・・
コルムは生きていました。海を眺めています。
犬を一晩、面倒みてくれてありがとうな!
パードリックは・・・
Any time‼️
いつでもな・・・です・・・(字幕はお安い御用だ。)
パードリックのドンキーは消えました。察したのです。永くない・・・
心優しいコルムは愛犬の行く末も心配していたのでした。大丈夫。パードリックがいる。ドンキーもいない。
もう一回声を大にして言います。
動物好きに悪い奴はいない‼️
どうでしょうか?私の解釈は?ネガフィルムがポジフィルムに変わりましたか?
解釈は各自の自由。監督がそう言ってますからね。
反対の意見も良し、賛成の意見も良し。そう言う映画だからね。
マーティン・マクドナー監督に聞いてみたい。私の解釈はどうですかと?きっとこう答える。
The anser is blowin in the wind
答えは風の中だよ。わっはっはっ!
もちろん答えは知りたいんですが、同じ熱量で知りたくありません。永遠の嘘を付いて欲しい。
ふうー 久しぶりに考えた映画です。知恵熱が出そうです。しかし長いなあ、ははーん、あいつのせい。あいつね。
イニシェリン島の精霊
お付き合い頂きありがとうございました。
子どものような主人公を象徴している映画音楽がイイ感じ
鍵盤打楽器やハープが童謡やファンタジーを連想させる
インドネシアのガムランっぽい感じも、精霊(バンシー)に合わせに来ているのかなと
教養もユーモアも才能もない主人公
岩盤と石垣でできた不毛の島
指を切り落とす展開もそこまでボルテージが上がるわけではないし
撮影や演出も至って普通、キャラクターの成長も見られない
正直この映画がオスカーに多数ノミネートされていることが驚きで
他にもノミネートされる作品あっただろうと思う
「退屈な」主人公たちと一緒に
映画って退屈なんだなと思ったぐらいだった
だけど、音楽や雰囲気は楽しめる
好き嫌い分かれそうだけど、私は好き
舞台は1923年イニシェリン島。本土では内戦が起こっていた
遠くからの爆撃音に
「やれ、気の済むままに」の台詞
仲の良かった親友からの突然の絶交宣言。
なんでなんで?と思って観ていくと、理由は「まぁ、なんとなく気持ち分かる」
主人公はもう彼に構わないで欲しかった😂ちょっとしつこい😂
プッチグロあり
出てくるちょっとおかしな青年が不気味でいい味出してくるので注目
主人公の妹もとてもいい役どころでした
自然豊かで映画館で観ることによってとても引き込まれました。
これはアカデミー作品賞あるかも⁉️
何きっかけなの?
素晴らしい景色と絶妙な会話劇を楽しみました。
誇張はあるにしろ、閉鎖的な環境では起こりがちな展開、そうした人間の弱さみたいなものをみせられた気がしました。
「仲が良いほどケンカする」っていうのが外国でもあるんでしょうか。ある意味、コルムは友人としてパードリックの意識変容を促したかったのかな、とも感じました。
でも、コルムの気持の変化のきっかけは知りたかったなーと思ってしまいました。
後日追記:
何でもないことがきっかけで、とんでもない争いごとに発展することがあるっていうことを改めて教えてくれるお話であったことに気付かされました。
昨日の友が今日の敵になるのは理不尽か、それとも必然か... 二人の男の断絶を通してガラパゴス的モラトリアムの是非を問う映画
舞台は内戦に揺れ動く1923年アイルランドの、紛争などどこ吹く風といった一見のどかで平和な架空の島“イニシェリン島”。
この平和で島民全員が顔見知りの小さい島で、純朴で陽気な中年男パードリックが初老の親友コルムにある日突然絶縁を告げられ、そして…という筋立て。
"国内での政治的対立"という、ともすれば非常にタイムリーな問題を背景として扱ってはいますが、その実、二人の男の諍いを通してモラトリアム的社会引いてはモラトリアム的関係性の欺瞞と脆さを衝いた寓話的面白さのある傑作だと思います。
アイルランド内戦は英愛条約とアイルランド自由国の建国を巡って、アイルランドで行われた内戦であり、独立か帰属かで昨日までの仲間同士が敵対関係となった経緯が有りますので、本作での物語推移も多分にそれを意識してのものだと思いますが、"内戦"といった大きなモチーフが無くともある日突然に人と人が縁を切る、ということは十二分にあり得ます。
表面的には戦争のような非人道的行為とは無縁の、誰もがのんびりと穏やかに暮らせる自然豊かなユートピアのような島の生活ながら、そこで何らかの"気付き"を得た人が何かを成し遂げたりそこから抜け出すことが如何に困難かを暗に語るホラーでもありました。
マーティン・マクドナー監督の佳作!
ユナイテッドシネマ浦和にて鑑賞。
風光明媚な小さい島を舞台に、2人のおじさんが仲違いするが、この喧嘩に対比させるようにアイルランド内戦を描いているのが凄い!
マーティン・マクドナー監督、3枚の看板に続けて、おじさんの些細な喧嘩……意外な展開が見事。
物語は1923年のイニシェリン島という小さな島が舞台。
とっても綺麗な自然の風景が心地よい。しかし、美しい風景の向こう側=対岸ではアイルランド内戦の大砲の音などが聞こえて煙が見える。
しかし、のどかで平和に見えるこの島で、誰からも好かれる男パードリック(コリン・ファレル)が、親友コルム(ブレンダン・グリーソン)から突然「俺に話かけるな!」と告げられてパードリックは困惑して賢い妹シボーン(ケリー・コンドン)に相談する。そして関係修復を試みるのだが、コルムは「これ以上、俺に話しかけたら、俺の指を切り落とす」と驚きの発言。
そして、狭い島の人々を巻き込みながら物語が展開していく……と、このあたりまでは予告編でも見られたのだが、その後の展開が驚き!
ただ、観終わった時に、もう少しスッキリしたかった…(^^;
マーティン・マクドナー監督の前作『スリー・ビルボード』を観たのは、2018年1月の試写会だったので5年経っているので、久しぶりに観たくなった。
この映画、今年のアカデミー賞で9ノミネート、どのくらい獲れるかが気になる(笑)
2人のおじさんは勿論だが、妹を演じたケリー・コンドンは素晴らしい演技力でアカデミー助演女優賞は確実?
<映倫No.49362>
イニシェリン島の精霊
理不尽の絶交されて、復縁しようとする話。
それ以上でも以下でも無い気がした。
僻地で起こった小さな出来事だが無限に大きな出来事に思えてくる不思議。
次回に期待。
2つのアイデンティティ
前作『スリー・ビルボード』では娘の強○殺人をきっかけに、怒りで周囲が見えなくなった母親が巻き起こす騒動をブラック・ユーモアたっぷりに描いていた本作を監督したマーティン・マクドナー、戯曲も手掛けている両刀使い、かつアイルランド人の両親を持つイギリス育ちで二重国籍保有者である。
1923年内戦勃発中のアイルランド本島が向こう岸にのぞめる架空のイニシェリン島が舞台。お互いの素性がバレバレの島の住民同士、道ですれ違うたびにお互い挨拶をかわすほのぼのとした様子が冒頭映し出される。妹シボーン(ケリー・コンドン)と二人暮しの兄パードリック(コリン・ファレル)は今日もパブで駄弁るため飲み仲間のコルム(ブレンダーン・グリーソン)を誘いに家に立ち寄ったのだが、様子がどこか変だった.....
無二の親友に「お前が嫌いになった。話しかけたら俺は指をきるぞ」と一方的に突き放され途方に暮れるパードリック。この不条理劇の主役パードリックとコルムはつまるところ、マクドナーの2つに引き裂かれたアイデンティティ(イギリスとアイルランド、映画監督と戯曲作家)のメタファーなのではないだろうか。70年生まれのマクドナーは現在52歳で、最終クォーターの人生を映画監督として生きる発言をしているという。
ブレンダン演じるコルムの部屋に飾ってあった能面は、まさにそんなマクドナーの2二面性を暗示していたのかもしれない。パードリックに絶縁状をつきつけ余生を音楽に捧げたいと語るコルムの姿は、2足の草鞋を捨て映画監督として生きることをきめたマクドナーの決心とまんまオーバーラップするのである。それは自分の身体に流れているアイルランド人の血を捨てるという暴挙でもあるわけで、突き放しても突き放しても自分にすり寄ってくる精霊のごときパードリッジに内心未練タラタラなのではないだろうか。
妖精バンシーに死を予告され残された時間があまりないことを知った時、心の平静(生活の安定)を得られる道(イギリス人映画監督)を選ぶべきなのか。それとも、自分のオリジンに逆らわない素朴な生き方(アイルランド人劇作家)を選ぶべきなのか。そんなマクドナーの心の葛藤を2人のベテラン俳優に仮託した作品だったのではないだろうか。おりしも、ブレグジットの影響により監督の母国アイルランドではイングランド帰属派と北アイルランド統一独立派との間で内紛が激化していたのだ。
音楽家としての命ともいえる指をなくし家まで失ったコルムと、仲のいい妹と可愛がっていたペットを失ったパードリッジはラスト、「これで手打ちだな」「いや、まだあんたが死んでない」とかいいながら一応の平和協定を結ぶのである。「戦争をしてればいいこともある」との物騒な発言は一体何を意味していたのだろう。より深いレベルにおける相容れない両者の理解、あるいは、(死ぬまでの)最高の暇潰しともとれるマクドナーらしい毒のある意味深な言葉なのである。
正直、こういう、愚かしい暴力的な映画は見たくない。でもある種宗教...
正直、こういう、愚かしい暴力的な映画は見たくない。でもある種宗教的でもある。が、主人公の倫理観はバカで妄想的な相手には通じない。それでも賢い妹との間に愛はあり。
絶望的な映画か。そして、人の手紙を勝手に開けて読むような、悪意の島が呪わしい。
諍いは想いの違いから
まずはイ二シェリン島。寒々しくも非常に綺麗。あんな海辺のパブがあったら行ってみたい。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」と嘯きながら自分の生きた証を残そうとすることに固執するようになった男は人が良いだけの優しい男と決別をする。
それはまるで上昇志向に取り憑かれた男が現状維持に甘んじる男を毛嫌いするような、ちょっとした、しかし大きなすれ違い。想いが仲違いすることから諍いは起きる。きっとアイルランド内戦も同じ。
お互い許し、認め合わなければ、加えて、精霊の気まぐれもなければ仲違いは終わらない。
出演者は皆んなアイルランド出身者でそれぞれ好演。特にドミニクとシボーン、そして何よりも雄弁なのは,コリン・ファレルの八の字眉。
百年前に最果ての島で
昨日までうまく行っていた(とパードリックは思っている)のが信じられないような二人の男の話。
年齢もはなれているし、趣味も違う。
それにしても百年前の離島とはいえ、○と同じ部屋で寝ているなんて、ありえなくない?
海をはさんだ本島では内戦が起こっているのに、そんな他人事みたいに無関心でいるなよっていう事なのかな。
この痛々しい世界に生きている私たち
嫌なことされてるなら仕返しする流れなら理解できるけど、そのベクトルを自分(ブレンダングリーソン)の左手の指に向け、さらに、その指を相手(コリンファレル)の家の扉に叩きつける所業は常軌逸するぐらいでは済まされない。
投げつけた指爆弾が更なる悲劇を生み、指を投げつけられた相手は指爆弾の友達の家を焼く。からの雪解けというか、一次停戦。
一見穏やかな小さな島には、暴力、虐待、セクハラと争いに繋がる種が散りばめられている。イニシェリン島でこうだから、東京ぐらいのサイズ感なら至る所で火を吹いてるってこと。この不幸なループを断ち切るためには、いっそ他人との関係をほどほどにした方が良いのかもと、複雑な気持ちになった。
(鑑賞後10日)——————————————
その後、様々な情報に触れて、この作品までのコリンファレルとブレンダングリーソンの歩み、同性愛、土地柄、知識と無などを知ると、作品が立体的に立ち上がってきた気がする。観終わった後に楽しみ方を知る作品かも。
コリンファレルの眉毛芸に酔う。
のどかな北の島に暮らす男2人の仲違いの話。まあ、なんかじんわり収束するのかと思ってたら違った。素直で素朴で純粋故に傷はどんどん深く広くなっていく。
仲違いの理由もうやむやになり、なんだったのか誰も思い出せない。真ん中くらいまで見て「あれ、これアイルランドの内戦のメタファーやんけ」とようやく気づいた。そういえば劇中でも本土の戦禍が遠くに見えるし。
なんでしょうね、うっかりしたら血が繋がっている様な隣人や、幼馴染がちょっとした考えの違いで反目し、求め合い、傷つけ合い、、、見てても止めようがない。
墓まで持っていくと言ってるし、、、、。
で、見終わってからレビュー読んだり、監督調べたらやはりその辺出身の方で、どんな思いで作っていたのか、指切る必要があるのか、、作ってる本人が一番辛かったかもしれないなどと想像した。
去年「ベルファースト」にも書いたけど、この辺の揉め事はリアルタイムたけど自分の事で精一杯のガキだったからよくわからず、、、、。
ウクライナもだけど地続きの国じゃなくて、島国日本に産まれて本当に良かったと、、こういう映画観ると毎回思う。
邦題の「精霊」が救いを感じるミスリードだな。
原題の「バンシー」だったら死を予感する、出口なしバッドエンドだ。子供の頃に読んだ山岸涼子の「バンシー」って短編まじ怖がったなぁ。
あ、書き忘れたけど、、、サウンドデザインがダメだった気がする。基本アフレコなんだけど、あれだけ海に囲まれた島なのに静かすぎる。
もっと自然の音を演出的に利用出来たんじゃないかな?
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