イニシェリン島の精霊のレビュー・感想・評価
全306件中、81~100件目を表示
内戦の不毛さ
昨日まで親友だったのに急に「お前と付き合っていても時間の無駄だ。話しかけるな」と絶交された主人公(小学生か?)納得出来なくてそれ以降も元親友に絡んでいくが…というストーリーを終始見せられる。困惑する主人公を演じるコリン・ファレルは普段からやや八の字眉毛だが、それが困り顔でどんどん八の字眉毛になっていく。このままでは眉毛と眉毛がくっついてしまうのでは…と心配になる。バットマンでスーパーヴィランを演じていた面影は微塵もない。ハッキリ言って観ている方からしたら理解しがたいし不毛だ。だがこの不毛なやり取りがアイルランドの内戦を表現しているらしい。なるほどなぁ…とは思うがこのプロットは映画内では全く説明されないのでかなり人を選ぶ作品だと思う。戦争は不毛だが、同じ国の中でお互いがいがみ合う内戦はもっと不毛だ
コルムがパードリックを拒否した理由はこの際どうでもよい。 人間の不条理と孤独・そして自分を見つめる行為を、皮肉交じりに映像化しているのだから。
窓である。
石造りの窓が象徴的に使われていて、これは社会を映し出すもの、外の世界を見る、相手を見るという意味もあると読んだ。
オープニングで、パードリック(コリン・ファレル)がコルム(ブレンダン・グリーソン)の家の窓を覗く。ガラスの反射で初めは中の様子をうかがえないが、パードリックが体をずらすとコルムが背を向けてタバコをふかしている様子が見える。パードリックがまた体をずらすと再び反射で家の中は暗くなってしまう。
このシーンが作品すべてを表しているように感じた。相手との距離、こちらの出方によって(心の)中を垣間見ることができるような。距離が近すぎても見えないし、ガラスの反射は自分自身をも映すのにそれを自覚しないことには見たいものも見えてこない。
そして孤独である。
外部と閉ざされた「島」と「石造りの家」という空間で「存在」するだけの暮らし。この閉塞感が人をかたくなにさせ固執化してしまうのではないか。
シボーン(ケリー・コンドン)は外の世界へ出ていった。彼女は本を読み自分の居場所と生き方、つまり希望を手に入れようとしている。アイルランド内戦(1922年?)の頃の歴史的事情には詳しくないが、むしろ対岸の火事と並行して、人間の不条理と愚かさに気付くかどうかという暗示と受け止めた。
マーティン・マクドナー監督の描くねじ曲がった皮肉たっぷりの心の闇は説明できるものではなく、決してハッピーエンドではないが、この人の方向性は好ましいと感じる。
パードリックとコルムの対照的なキャラクターが、ドミニク(バリー・コーガン)というスパイスで味付けされ、寒々しい島と海岸線、余分なBGMを排した自然の音(動物の声、足音等)により味わい深い。
コリン・ファレルは役作りなのか、凡庸な顔の作りで、パードリックの困惑と孤独を上手く演じていたし、ブレンダン・グリーソンはもういてくれるだけでグー。
バリー・コーガンは『ベルファスト71』『聖なる鹿殺し』で注目していたが、今後独特の存在感で良い脇役として成長していくのだろう。
そんなこと?が長期化する面倒くささ
おじさんになってからの絶交ってとても面倒くさくてこじれやすい。私の周りで起こった絶交案件では、一人の友人が別の友人と揉めて絶交状態に。周りの友人たちが怒っている側をなだめようとしたが、まぁ頑なで人の意見なんて聞く耳を持たない。あいつが酷いことを言ったんだ!の一点張り。絶交状態がものすごく長期化している。終結の見通しなんてまるっきりない。 本作のパードリックとコルムの絶交パターンは私の友人のそれとは全く違うのだが、あまり他人事とは思えない。ただ、話しかけてきたら自分の指を切り落とすって脅し方はどうにも納得できない。報復するぞ!ではなく、俺を傷つけるぞ!ってどんな脅し文句だよ。それほどの本気度を見せてる!ってことになるのか。いやいや、ただのイカれた野郎にしか見えない。作曲したいからお前のバカ話に付き合うつもりはないってだけでそこまで言うかな。だから、よほどの理由があるのだろうと思うしかなかった。 ところが、最後までそのよほどの理由はわからずじまい。精霊の予言をコルムが知ってしまった故の行動と予想していただけにかなりの肩透かしをくらった。他の人のレビューも読み漁って、なるほどそんな意味が込められていたのか、もしかしてこんな意味なのかもなんていろんな解釈を知ったのだが、それでもやっぱり腑に落ちない。それはたぶん時代とあの島の閉鎖的な雰囲気と共同体としての同調圧力を理解しきれないからなんだろう。 指を切るくらいなら、早めにパブから帰って時間を作ればいいだけじゃん、なんて思ってしまう。もしかしたら、自分がくだらない話を続けるパードリック側の人間だから鈍感なだけなのか? ふと、絶交案件の私の友人がこれを観てどんな感想を抱くのか興味を持った。今のうちに勧めておいて数年後に(サブスクとかで観た)彼の感想を聞いてみよう。これは俺の話とは全然違う!悪いのはあいつなんだ!と答えそうではあるけど。やはりおじさんの争いはしょーもないし、長期化する。
指切りは、鬱屈から抜け出るための代償だったのか?
深緑色や灰青色の物憂げなパステルカラーに満ちた島が語りかけてくる、人生の退化と諦め。生きていくには、それしかないのだ。嫌なら、自力で変えようとすればいいし、出て行けばいい。でも、そのために何を捨てられるのか、何を犠牲に出来るのか?
それまでの経緯も、二人の男の過去も描かれず、いきなり始まるコントじみた諍いと、コントのような惨劇。絶対、許すまじ! と言う強い怒りを表明する時、アイルランドでは、指を切り落とすのか? 映画を観た後に、調べてしまいました。
◉妹の決心
パードリックの妹シボーンの行動が、この作品の中で唯一の正解に思えました。兄を置いて島を出るしかない。キャッチの「すべてがうまく行っていた、昨日までは。」も事実ではないと思います。かつてもこれからも、この島でうまくいくことなどないはず。
私の洞察の浅さから、正解でないものが正解に見えているだけかも知れないです。やはりこの作品は惹かれるものはありますが、難解。
海と丘と、砂地と草地でできた、染み入るような美しい島の景観。道の分岐点で、通る人々を見下ろしていた聖母像。この島では、人生なんかどちらへ行こうと大した違いはない。何も考えずに生きて、酒を浴びながら死んでいくしかないのだ。
◉コルムの覚醒
「退屈な存在」であるパードリックを絶縁して、これからの人生は音楽に捧げるのだと宣言するコルム。島が与えた残り時間のあまりの少なさに怯えて、彼は叫ぶ。俺は何かを残したいんだ。
演奏家が自分の指を失くして、一体どうするのだろう。そこまでパードリックへの憎悪に身を委ねていいのか。遂にバイオリンを弾けなくなったコルムが、学生たちの演奏に聴き入る姿は凄絶だったが、疑問は膨らみ続けました。ただ、コルムはそれでも先の人生も見ていたように感じました。
すると指切りが示したものは、人生を変えて意味あるものにするには、時に理屈では考えられないほどの犠牲・代償が必要だと言うことの暗喩だったのでしょうか。
それぐらい、島の閉鎖世界の呪縛は強烈なものなんだと言われれば、理解できそうです。
ドミニクも思い詰めた姿でシボーンに告白、アッサリ振られると死んでしまった(自死だと思えました)。「命懸け」の恋の結果として、命を放棄した。
◉パードリックの不幸せ
「お前と居ても何の益もない」と決めつけられ、それを覆せないパードリックの悲哀。情けなさは、やがて激しい怒りに形を変える。
物言わぬロバやボーダーコリーが、パードリックの心の内を覗き込むようにして慰めてくれていた。いいや、もしかすると親友に馬糞の話しかしない飲ん兵衛オヤジに呆れていたのかも知れない。お前の話し相手は俺たちだ。
ただ、そもそもパードリックに特別な落ち度があったのかと言う問いに対する、スッキリした答えも思いつかなかったのです。
コルムの人生にとって、パードリックの存在自体が忌み嫌うべきものだったとすれば、あの泣き顔に共感したくなります。優しさでは、誰も覚えていてくれない……とまで言い放たれるし。辛いです。
沖の向こうの本島では、アイルランド内戦が勃発していた。それは悲惨な事実。一方でイニシェリン島では古い友人たちの不思議な戦闘が繰り広げられていた……。
後にこれが「コルムとパードリックの闘い」と呼ばれることになるのか?
それにしても絶交の後も、コルムがパードリックに見せた優しさが、何となく気味悪く、しかし非常に温かくて癒されました。結局は大事な大事な友人だった?
見下しているのは誰だ
イニシェリン島の精霊を観た。 島の景色は美しく、期待が高まる。 その美しい島に住む男は家畜の乳を売って生計をたてている。妹と二人で暮らし、小さな美しい島で生きている。 隣にある本土では内戦が行われており、砲弾の音が時折り聞こえるが、その島までは何の被害もない。 何もない島に住む男。 唯一の趣味はビアホールに友人と行くこと。 毎日決まった時間に彼の家を訪れる。 いつものように飲もうと誘うが、いつものように行かない。彼は深く考え込んでいる。 そんな彼に突如、お前とは飲まないと言われるー。 序盤のこの始まりにやられた。続きが気になる。二人はこの後どうなるのだろう。 次第に自分がこの“退屈な男”なのではないかと重ねてしまう。 自分にとって大切なものは何だろうか。 登場人物の誰もが“誰かを見下している”。理由は違えど、島の人間は皆そうだった。 価値観を考えさせられる良い映画だった。
人生に別れを告げる時
ゴツゴツした岩と灌木の島に点々と立つ無機質な住まいに、家畜と生きる人々の息抜きは、粗末な酒屋の一杯の酒と歌。 長年の親友に無言の絶縁を突き付けた彼。寄る年波を自覚すればいずれは別れる時が来る、その時を待つよりも、ヴァイオリン仲間の長老である今しかないと、全てに別れをつげる一歩として、友情を断ち切る決断に至った彼は、禍々しい行動に出る。外部から閉ざされた孤島の因習や伝説が絡んだアイルランド版楢山節考 。 人生は死に行くまでのヒマつぶし・・・
相容れない価値観の衝突
どうしてこんなに切なく悲しくなるんだろうと、何度も涙が溢れました。 退屈な日常を愛し、コルムと過ごす時間をもっとも大切にしていたパードリック。 人生の残り時間のすべてを音楽にかけると、自分の生き方を決意したコルム。 互いに嫌いになったわけではないし、慕いあっているとわかっていながら、彼らの価値観が両立することはありえません。 島の人々の楽しみといえば、パブで飲む酒と卑しい噂話。 島の人々は、パードリックとコルムがなぜ意固地になって互いに狂気じみた行動をとるのか、理解できないし理解しようともしません。 対岸の内戦を「何のために争っているんだか」というように、傍観者にとってはひまつぶしの話のタネでしかありません。 本作を観ていると、ふたりの決意や狂気的な執着に引き込まれながらも、時にふっと傍観者の視点に置かれるような感覚を味わいます。不思議。 レビューを拝見すると、観る人によって印象は様々のようです。 私は、パードリックは素朴で善良な人間だと受け止めました。 無学で面白みはなく退屈な人間かもしれませんが、卑しい話にはのらないし誰かを不当に扱ったりしません。 変わり者のドミニクがよく懐き、とっておきの密造酒を飲み交わすくらいです。 妹のシボーンが島の暮らしに飽き飽きしながらも、パードリックを一人にできず苦悩するくらいです。 きっとコルムもそんなパードリックを好んでいたのでしょう。 しかし、創造的に生きると決意したコルムにとって、パードリックに関わっていられる時間はなくなったのです。
疎遠になった友に鑑賞をすすめました。
北海道の礼文(れぶん)島が好きだけど そんな礼文島に似た美しい島であっても こんなことになったら住めない… ‘’人生は死ぬまでの暇つぶし“ と思うしかない バリー・コーガンや動物たちから目が離せません。 こんな静かな映画なのに寝ませんでした!
ワンス・アポン・ア・タイム……的な
その時、島で起きた出来事、みたいな 見てる途中でこれってよくある、あちらの方にしかわからないその時代や国での出来事や習わし絡みで、日本人にはわかるまい映画か?!とふとよぎった。 映画館で見たから1つの映画として楽しんだけど、 じゃあ誰かに勧めるかといえば勧めないし、自分がもう一度見るかと言えば、多分もう見ることは無いであろう
精霊の魔法の杖
まちがいなく忘れられない映画の一本になると思う。
脚本の妙、役者の演技、映像の効果、どれも最高だった。
最も心を鷲掴みにしたのがドミニクの存在だ。
物語を理解するための補助線としての役割に加え、バリー・コーガンの演技力で、不世出のキャラクターが誕生したと思う。
そのドミニクは冒頭不思議な棒を拾う。先に鉤が付いている。漁具にも見えるが、島育ちのドミニクもなんの道具かわからない。
そんな棒を手に、ドミニクはパードリックの傷心に寄り添い、シボーンを絶望から救う。
特にシボーンとの絡みが絶妙だった。シボーンが警官に「だからだれからも好かれないんだな」と言われ、もう死んじゃおうかな、という感じで湖のほとりに立っていると、警官の息子であるドミニクがやってきて唐突に愛を告白するのだ。シボーンはもちろん断るのだが、笑顔を取り戻している。島を去る勇気も得たはずだ。
哀れなドミニクは水死体となり、あの不思議な棒の鉤で岸に引き揚げられる。
あれは精霊の魔法の杖か、死神の鎌か。
ラストでは不気味な老女がその棒を手にパードリックとコルムを見つめている。精霊の企みはまだ続くらしい。
答えもない、カタルシスもない、救いもない映画だけれど、何度でも観たい。たぶんその度に発見があるだろう。
whiskey2杯ビール大量
アイルランドと言えばギネスではあるけど、基本はビールなんだな。話には聞いてたがちょっと意外。それとARAN諸島とARRAN島を混同してた。 細かい防風壁?が印象的な風景。木も育たない島でのんびりと暮らしてる。きれいな景色と文句なしの俳優陣で引き込まれる。 外界からの刺激は強いけど遠いから日々の暮らしにも刺激が欲しくなる、そんな話かな。人間関係は密なときも疎の時もそれなりにバランスはとれる。ただちょっとしたことで崩れる。国際関係も同じだけど、修復するのが正解なのか流れに任せて新たなバランスに持ち込むべきなのか。 ちょっと不快な夢を見てるような登場人物と話の流れ。生活感もあるような無いような。 野外でも陰の無い場面が多くフィルム時代なら陰鬱な絵になったんだろうけど。 明るい悪夢。
イニシェリン島の精霊
昨日観た「バビロン」に続き、2日連続で意味不明な映画を観てしまいました。 内容はわからなかったけれど、お金を返してほしいというようなポンコツ映画ではなかったので退屈ではなかったです。 ロバはなぜ死んだのか。指をかじったくらいでは死にませんよね。
究極のギスギス映画
仲の良かった2人が喧嘩する。 これだけのプロットで映画が作れてしまう。 それが映画の面白いところだと思う。 単純なだけに次の展開がどうなるか気になってしまう。 昨今外見で判断するのも宜しくないが、 コリン・ファレルの普通にしていても悲壮感が漂うような顔立ちが今作品ではどハマり役で、 嫌われてる。なんで?何もしてないのに。 これが実に終始可哀想である。 主演に引けも劣らず、出てくる俳優の演技がみんな素晴らしく、まるで本当に存在しているかのような田舎集落感を出している。 この島全体のギスギスな不快感を観客まで巻き込んで体験させられる、言わばコメディ版アリ・アスターのような作品である。
見て損はない映画です
何だこりゃ?っていうのが最初の感想でしたが、Youtubeで考察を調べてやっと理解することができました。 ドライブマイカーよりレベル高いんじゃないでしょうか。 分かりづらいですが、とても深い内容であり、アカデミー賞向きというか、直感的なものが好きな私的には違うかなと思います。 考察を理解した上でもう一度見れば、見方も変わるのかも知れませんが、じゃあ見に行くかと聞かれれば行かないですね。 でも、見て良かった映画です。
なんともシュールな、二人の男のいさかいの成り行き…。
時は1920年代、アイルランドは独立戦争から内戦へと局面が転換していた、そんな最中。 アイルランド島の西側、ゴールウェイ湾に並ぶ3つの離島をアラン諸島というらしい。 その中の一番大きな島が主な ロケ地のようだが、イニシェリン島は存在しない架空の島だった。 島からは、海の向こうにアイルランド本島が見えるのだが、木更津から東京湾越しに見える川崎よりもはるかに近い。小豆島と高松くらいの距離だろうか。 島の人々は、海の向こうで鳴り響く砲弾音や、立ち上る煙で内戦の戦火が止まぬことを認識するのだが、文字どおりの「対岸の火事」といった体だ。 監督&脚本のマーティン・マクドナーは、アイルランド出身だと聞いた気がしたが、両親がアイルランド出身で、本人はロンドンで生まれ育ったらしい。 ただ、ルーツであるアイルランドの紛争には特別な思いがあるのだろう。両親はやはり離島の人だったようだ。 この映画の二人の男の仲違いが意味不明にエスカレートしていく様子は、独立戦争を終結させるための講和条約締結が着火点となったアイルランドの内戦を皮肉っているのだろうか。 それにしても、二人の男のいさかいは唐突だ。親友だと思っていた男から実は嫌われていたと知ったときのショックは、いかばかりだろう。 二人は20歳くらい離れているだろうか。 ロバを可愛がり、パブでビールを呑むくらいしか楽しみがない男パードリック(コリン・ファレル)と、ヴァイオリン(フィドル)を弾き作曲をする初老の男コルム(ブレンダン・グリーン)とでは、人生の密度が違うだろうことは想像できる。 人生の残り少ない時間をパードリックのつまらない話に付き合って消費したくないと言うコルム。 親友が自分を退屈な男だと思っていたと知り、島の人たち皆が自分をバカだと笑っているのではないかと、不安を感じ始めるパードリック。実際、この男は気が良い分思慮が浅い。 この映画は、よく考えれば声を出して笑ってもよいほど可笑しいユーモアに溢れている。 突然のコルムの絶縁宣言に、パードリックが理由を問いただした会話が秀逸だ。 「お前は、牛の糞の話を2時間も続けた、2時間もだ」 「牛じゃない、馬の糞だ。人の話をちゃんと聞け」 パードリックと二人で暮らしている聡明な妹シボーン(ケリー・コンドン)が、コルムがパードリックを退屈な男だと評したことに対して言い放つ。 「この島に退屈じゃない男なんているの?」 他にも随所に散りばめられているユーモアは、荒涼とした島の風景、小さな集落の人々の閉鎖的な暮らしぶり、対岸で勃発した同一民族の戦争の様子、などが作用して可笑しいのだけれど意味深に感じる。 パードリックはシボーンが言うようにナイスガイなのかもしれないが、パブの店主や常連客が彼のためにトラブルを仲裁しようとはしないあたり、人望があるとは思えない。 彼に寄り添ってくれるのは、少し知恵が遅れていそうな青年ドミニク(バリー・コーガン)だけだ。 このバリー・コーガンが見事な演技を見せる。是非とも、彼に助演男優賞を❗ ドミニクを虐待しているらしい警官である父親、雑貨店の女店主など、異様なキャラクターが登場すると物語の混沌は加速していく。 そして、二人の闘争は次第にバイオレンスの様相を呈していくのだ。 もはや、コルムの行動は残りの人生を充実させたい思いとは乖離している。 だがしかし、これはパードリックを主体に描いているから、コルムや他の登場人物たちが不可思議に見えるのだ…とは言えまいか。 パードリック自身が薄々感じたように、彼は島では好かれた人物ではなかったとしたら… 空気が読めないパードリックと頭が切れて生意気なシボーン。島の住民たちはこの兄妹と距離をおいていたのだとすると… 長年、毎日パブでビールを呑み交わす相手をしていたのはコルムだけだった。 コルムは自分の老い先を考えて、自分だけがパードリックに付き合っていることに嫌気が差したものの、簡単には見捨てられない。言って聞かせても理解する男ではないので、自らの身体を犠牲にしてまで空気を読めていないことを自覚させようとしたのだ。 コルムが時折見せるパードリックへの優しさは、鬼になりきれなかった証だろう。 パードリックは、島の厄介者ドミニクを唯一構ってやる善良な男だと自分では思ってるだろうが、実はパードリック自身、コルムだけが構ってくれていたのだ。 …そう考えると、このブラックユーモアには、俄然サスペンスとしての凄味を感じてくる。 結局、パブでパードリックの隣にいてくれたのはドミニクだけではないか。 不良警官のドミニクの父親は、島の連中に成り代わってパードリックを凝らしめていた。雑貨店の女店主は、他の住人たちとは違ってあからさまに態度に出していた…ということになる。 ドミニクは、頭が弱いようで自分のことを理解していた。 彼がシボーンに想いを伝えた後の悲しい末路は、彼自身が選んだのだと思う。 妹が島を去り、ドミニクにさえ背を向けられたパードリックは、愛するロバの死という決定打を浴びて暴走する。 それを受け止めたコルムが「これでお相子だ」と言う。 この物語の結末は見事なまでにシュールで、驚愕するほどにミステリアスだ。 「犬の面倒を、ありがとう」 「いや、またいつでも」 この二人は、この島の人たちは、この先どのように生きていくのだろうか…。
楽園追放を目論む蛇 救いは特にない(気がする)
『イニシェリン島の妖精』を見ました。
途中までは、突然の友情を断ち切られ、不意に自分自身のつまらなさに気付かされ、才能と仲間にも恵まれた元友が羨ましくも妬ましくもあり、みたいなSNSでありそうな話しのアイルランド版なのか、という感じがしていました。それは痛切ではあるものの、劇中でもあるように、12歳かよ、という話でもあります。
ここからネタバレします。
しかし、本当に指を切って投げつけるあたりから、話しは、一気に深刻な感じになってきます。創作に没入しようと思えば、別にもっと無視すればいいだけの話なのに、わざわざ指を切って投げつけるとは! これは、『死んでやる!』みたいなのと同じで、相手側にも好意があるのを前提にしてますよね。「ふーん、それで。そこらへんに捨てとけば」とは言われずに、心を揺るがす事を知っていて、それを狙っている。
楽園追放を目論む蛇。
ちょっと『トーマの心臓』のユリスモールとサイフリートも思い出した。
到底、善意とは思えないけど、「良い人」の楽園から連れ出して、人としての苦しみを味合わせる事が彼の計画であり、芸術だったのではないかなー。
でも、ロバが指を食べて死んでしまって、計画は狂い、蛇自身も傷を負う。
随所に挿入される十字架とマリア像。窓から(動物とか)何かが見ているシーン。神様は、この諍いすら見ていて、(終極的には)許している、という事なのか。そして人は、どこに行こうとも逃れられない(劇中にもあるように「満喫するってなんだ」)。
私自身としては、神様は全て見ているからと言って、救いには感じられないので、もっと救いが欲しかったなー、とは思う。
ドミニクは、あえて楽園を出ない選択をしているように見えるけど、死んじゃうって事は、その不可能性を意味してるのかな。あるいは、背負って死んだ、みたいな事になるのか…。
予言では、2人が死ぬと言われてるけど、1人しか死んでないように見えるけど、あと1人は??
人は一人では生きていけないのか
イングランドの島で、大人の男の友人という貴重なものがある日拒絶されたお話で、残念ながらエスカレートしていく展開には、『まてまて』と呟きながら拝見しました。精霊に導かれたのか、それとも絡まった繋がりは厄介のもので、しょうがなかったのか、2人の関係がイーブンとなるものを求めて物語は続く。
全306件中、81~100件目を表示