TAR ターのレビュー・感想・評価
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研ぎ澄まされた聴力の故に!
立ち上がりの超ゆっくりとしたテンポに比べて後半のテンポの速さに追いつけなくなります。
もっと演奏シーンが多いと思っていたけど?意外に少ないのが残念!
聴衆の前で指揮する前段階の指揮者の苦悩と自分の思い通りに演奏を進行させるための努力を思い知りました。
音
まさに今、日本でも世界的にも社会問題になっていることを見事に取り上げている作品
予備知識は一切なく、ケイト・ブランシェットが出演しているという理由だけで鑑賞したが、やっぱりすごい演技だった
シリアスな映画に対してこんなコメントを残すのは気が引けるが、、、冒頭に表示されるこの映画のタイトルは史上最も小さかったのではないだろうか
It's totally fiction.
転落か再生か
完璧な女性指揮者が、身勝手さとそれがもたらす結果により苛まれ転落してゆく物語。
完璧なまでにコントロールされた映像と音響によってそれが描き出されるため、観客は目を離すことが出来なくなるほど。特に音響はごく小さな音が物語上の鍵となったりするため、充実した環境で観たいところ。配信ではダメだな…
カメラは終始主人公を追っており、しかも多くが音楽論を語るシーンなのにこれほど惹きつけられるのはケイト・ブランシェットの演技力の賜物だろう。しかし当初は男性が主人公として企画されていたというが、こりゃ彼女にしか出来ないや…
アシスタントの女性はどこかで見たことあると思っていたが、「燃ゆる女の肖像」の人だったのね。脇の役者陣も素晴らしかったが、演奏も演技もする楽団員の人たちはどういう人たちだったのだろうか…
劇場でこそ観るべき良作。
2度目の鑑賞で印象が大きく変わったので追記。
(以下ネタバレ)
評価も上方修正。
まず、登場人物の名前や関係性を理解した上で観ると、演出意図がはっきりと理解できるのに驚く。当たり前だが、すべてのシーンに意味があり、すべての台詞に意味がある。役者の表情にも効果音にもすべて意図がある。
あまりにも的確で、これ以上削れないのも宜なるかな。
そういう意味では完璧な出来。
また、ラストは『再生』を意味しているのだということもおそらく間違いない、という理解に至った。
リディア…いやリンダが実家で見るビデオの番組の中でバーンスタインが「音は次の音に繋がり、それこそが音楽であり尊いのだ」というような意味のことを語り、彼女が涙する。人生もまた次のステージに繋がり彼女はアジアに赴く。
そこで彼女は作曲家の意図を理解するために面会を希望するが大阪からの作曲家は来ない(カプコンのミュージックチームだから来る訳ない)。それでも彼女は楽譜を読み込み、演奏会に向かう。そして不安を抑える薬は必要ない。彼女は薬を飲まずにステージに向かった。
これが『再生』でなくてなんなのか。
マッサージのシーンはそこに異物として挟まれているが、あの「5番」の視線が彼女が過去に搾取していた女性たちからの視線としてリディアに向けられた、そのことで自分のやっていたことの醜悪さにようやく向き合った、ということではないだろうか。
自分の過去にも向き合い、音楽に真摯に向き合う姿勢を取り戻した(おそらく)リディアではなくリンダの『再生』の物語だと、今回は理解できた。
あの「バーンスタインに師事」というのも時期合うのかな?と思ってたが、あの番組で学んだ、という意味なんだろうな…
才能と権力を手にした者の境地。
才能と権力を手にした者の境地。
そういう男性はよく見てきましたが、そこに性別は関係ない、という切り口がおもしろみのひとつかと。
ケイト・ブランシェット演じるリディア・ターは、指揮者として音楽業界から認められた人物。(実在の男性音楽家2名がモデルの、オリジナルキャラクターだそう)
リディアは、絶対音感を持っているがゆえ、精神的なプレッシャーを日常の"生活音"から感じ取り追い詰められていきます。
常人には感じ取れないレベルの不快感が、彼女を蝕んでいく姿にゾッとします…まさにホラーのうす気味悪さ。
予備知識入れずに見て問題ないですが、定点撮影の長回しが多いので、集中力保てるコンディションで臨むことをおすすめします…!
期待の通り、とにかくケイト・ブランシェットの演技が圧巻。。
まさに狂気…
予告編では「衝撃の…」という言葉が使われていますが、じわじわ来る系だと思うのでじっくり読みとること。そしてケイトの演技を堪能するといいかと思います…!鳥肌たった。。
絶頂のその先
栄光を手にした指揮者が狂気の果てに得るものとは……という予告や、絶頂極まった瞬間を映しつつもどこか不穏な闇が目立つポスタービジュアルからして、私のオールタイムベストである『セッション』みたいなのを期待していたんですが、だい~~~~~~~~~ぶ変な映画だったな………!!
上映時間158分の長尺のうち、2時間は溜めに要したように恐ろしくスローペース、かつ現実か幻想なのか見紛う描写がちらほら見られ、解釈に異常に困る怪作と言えます。
僕が『セッション』大好きなのは、あのパワハラファッキンクソハゲが絶頂に至ったその瞬間に潔くエンドロールに入るという引き算を極めた構成にあります。
あのハゲも教え子のニーマンも、ぶっちゃけクズなままだし、正直あの後に2人とも大成するとも思えないんだけど、それでもあの最高の瞬間≪セッション≫を演奏できたんだ…!って部分に物凄いカタルシスを得てそのまま終わることができたわけです。
ところが本作に関しては敢えてその絶頂の続きを描いている。
暗転&スタッフロールに響き渡る民族歌……といきなりエンドロールを意識した画面から始まる辺りそれは顕著です。
その後も専門的な話が組み込まれた音楽の講演や授業を何の面白みもなく長回しで流し続けるなど、かなり挑戦的な作り。
これは本作が絶頂に至った主人公の女性指揮者ターの転落劇であるが故でしょうか。エンドロールを迎え、完成された理論を並べ立て、そしてそこから突き落ちていくだけ……という。
それにしても、その後も話の全容が見えないまま、多忙なマエストロの日々が描かれるのですから困惑しちゃうんですよね……
基本長回しだし、説明も少ないし、合間に本当にちょっとした奇怪な事や音が起きるといった調子なので、話の骨子を掴むのにも苦労しました。2時間かかってやっと「転落劇」だって理解しましたからね。疲れる……
アパートに響き渡る異音の正体など、物語が進むことで明らかになる「奇怪」もありますが、謎のまま終わってるものも多いので気にかかるところ。
本の送り主や深夜遅くにひとりでに動き出すメトロノーム、ランニング中に聴こえた悲鳴、オルガは何故あんな廃墟に住んでいるのか(もしくは最初からいないのか)、消えたスコアの行方……真相・暗喩諸々が画面のあちこちに仕掛けられており、悉くを見落としている感じなので焦ってしまうんだぜ……
だからといってこれもう1回観たいか?って言われたら、そこまでではないってのが正直なところなんだよなァ……本作は凄くスローペースかつ長尺だから単純に観返すのも苦労しますからね。あと、音楽の知識が必要とされる場面とかになると完全にお手上げ状態だし。
音の拘りに関しては滅茶苦茶感じられましたが、まさかオーケストラ以上に生活音とか雑音に力入れてるとは思いませんでしたね。
その中にターの精神異常を反映させた幻聴紛いのものまで混ぜるから余計に混乱させられます。要は突き詰めれば、究極「クラシックも所詮雑音に過ぎない」ってことなんでしょうけど。
その雑“音”をも“楽”しむ、言葉通りの「音楽」こそが真髄ですが、一度頂点に立ったターはそういう権威にまみれて本質を見失っています。
劇中で描かれる彼女の中にかいま見える選民意識や傲慢さ、そしてちょっとずつ明かされる女性関係のだらしなさやハラスメント疑惑ってのは、その副産物に過ぎないのかもしれません。
ただ、ターがクリスタという自殺した女性と関係を持っていたってことは事実っぽいんですが、微妙にその加害性の有無に関してはボカされているんですよね……
劇中でリークされた映像ってのは、冒頭の長回しに付き合った観客ならわかるように、かなり恣意的に編集されたものだったので。その辺のハッキリしなさがこの映画の骨子の見えづらさに繋がっていた気がします。
僕としてはあれだけ多くの奏者を束ねて、理想的な音のために引っ張っていく指揮者ってのはエゴイストであるべきと思っているんですよ。いや、もちろん『セッション』のハゲみたいなのは論外ですよ?
ただ、ハッキリ指揮者の人間性がクソって断言してる『セッション』と違って、本作はそのハッキリしない描写のまま「ターは傲慢である」って断罪しているようでこの演出はあまり好きじゃないんですよね……
こういう展開にする以上は、少なくとも「クリスタの自殺の遠因はターの加害性にあった」って部分はちゃんと突きつけないとフェアではないと思うんですよ。
あと、世界的権威だろうとなんだろうと、アパートでピアノを弾いたらそれは騒音だ……って隣人に突きつけられるのはかなり露悪的というか、夢がないなって。
ピアノの音がしたら、あまりに素晴らしい演奏だったんでアパートの皆が逆に窓を開ける『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』みたいな展開のが僕は好きなんですよね。それくらいには音楽に理想を抱いているんです。
そういう意味では本作のターが落ち切った先……の描写は個人的には希望と取れましたかね。
東南アジアのだいぶ田舎で、そして音楽的権威とは無縁そうなイベント(モンハンの劇判演奏なのかな?)で指揮を振るうという、これまで積み重ねてきたキャリアからしたら明らかに不釣り合いだけど、それでも純粋に音楽に向き合える場所は手に入れられたんですから。なんせ音に貴賤はないのだから、奏でられるだけで幸せとも思うのです。
侮れない! 見事にハマった「問題作」
努力を重ねた末、壮年期で権力を掴んだ成功者が、自らの力を過信するあまり周囲が見えなくなって…という古典的な寓話。
しかし本作がユニークなのは、その見せ方です。第一に、主人公をX世代の白人レズビアンに設定したこと。第二に、物語の舞台を、今なお男性優位が根強いクラシック音楽界にしたこと。第三に、物語が進むにつれてホラー・ミステリー風にじわじわと「変調」していくこと。
この三つの仕掛けに、私はまんまとハマりました(笑)。
実のところ、本作に描かれる「クラシック音楽界」はかなり単純化されており戯画的です。例えば、歴代名指揮者たちのアルバムジャケットを素足(!)で選別するシーンだとか、マーラー・サイクル(マーラーの交響曲全曲録音)で最後のレコーディングが第5番、といかにも“映画映えする”設定であるとか、非白人系でパンジェンダーの男子学生の「わかりやすい」貧乏ゆすりだとか、民族音楽研究からクラシックへの道へ進んだという主人公のキャリア設定とか…。
(ちなみに交響曲第5番のオケ・リハのシーンで、主人公は楽団員に対し「ヴィスコンティのことは忘れるように。映画をよく知っていても演奏には全く役立たない」と言い放ちます。言うまでもなく、これは映画『ベニスに死す』のこと。)
映画前半ではそんなカリカチュアされた世界が業界用語てんこ盛りで描かれるものだから、「クラシック業界に場を借りた、イマドキな世代間/ジェンダー間の対立の話ね」などと油断して観ていると、いつの間にか前述のホラー・ミステリーゾーンに迷い込んでいて、あわあわする羽目に(笑)。
ここから得た「教訓」は、本作のケイト・ブランシェット同様、アンソニー・ホプキンスの怪演が圧巻だった『ファーザー』を思い起こし、伏線が張り巡らされた前半部から心してかかるべし!ということ(笑)。
ところで、全編を覆うミステリアスな空気感に一役買っていると感じたのが、ベルリンのアパートで主人公が作曲中のピアノ曲です。彼女の「不穏」な心象風景を象徴するかのような単音の連なり…。
と、ここで連想したのが、キューブリック監督の遺作『アイズ ワイド シャット』で使われていたリゲティ作曲「ムジカ・リチェルカータⅡ」です。おぉ怖っ!(余談ですが、本作のトッド・フィールド監督は俳優時代『アイズ ワイド…』に出演。ケイト・ブランシェットも、ノンクレジットながら登場人物の吹替を担当していたのだとか)。
ほかにも「不穏」繋がりでいうと、深夜、聴覚過敏に苛まれる主人公や、“何か”に怯える幼いひとり娘のシーン、アパートの隣人のエピソード、冷厳なベルリンの点景描写などからは、ルカ・グァダニーノ監督版『サスペリア』を思い起こしたし、湖・雨・水溜り・浴室シャワー・台所のシンク・コップの水など一連の「水」にまつわる事象は、タルコフスキー監督の『ストーカー』『ノスタルジア』を連想させます。あくまで個人的な印象ですが。
出演者では、ケイト・ブランシェット、ノエミ・メルランのレズビアン役はもうここらでいいかな、と。むしろ、コンサートマスター役のニーナ・ホスは堂に入っており、見事な名演だと思いました。
そんなホスをブランシェットが、BGMにスタンダードナンバー「Here's That Rainy Day」をかけながら、ハグして慰めるシーンは、さらりと見逃しがちですが本作の白眉といえるほど素晴らしかったです。この曲、戦前のフランス映画『女だけの都』を原作としたブロードウェイミュージカルのナンバーだったのですね。本作で流れる曲はインストですが、原曲の歌詞を調べるとなかなか意味深で、この抱擁シーンと照合すると一層味わい深いですね。
だらだらと感想ついでに最後、もう一つだけ。
この作品は、私がステレオオーディオで交響曲のCDを最初に聴いた時のオドロキを彷彿とさせた初めての映画となりました。最初の1音でドッカーンとくる音圧の凄まじさをこれほど忠実に再現した映画は、ちょっと他に思い当たりません。ぜひともダイナミックレンジの広い劇場でご覧になることを猛烈プッシュしておきます。
音やリズムを支配したい主人公が、段々と調子を狂わされ、徐々に人生を...
音やリズムを支配したい主人公が、段々と調子を狂わされ、徐々に人生をコントロール出来なくなっていく様を、静かだけれどソリッドに、ダイナミックに描く。
キャンセルカルチャー、芸術至上主義vsポリコレ、ポストフェミニズムなど、幾重にもテーマが複雑に絡み合っているので、紐解きは大変。
・なぜ、モンハン?
・オルガが謎めいてよくわからない
・被害者側をfade-outさせることでそこに寄り添う話にはせず、加害者側メインで描く。ただし、反省などの心情は分からないまま。
・会話劇メインで画や会話で仄めかすものが多いので、読み取りや解釈が多く求められる。特に、会話での伏線や仄めかしが多い印象。
・燃ゆる女の肖像、パリ13区の、ノエミ・メルランが出ている。画的にすごく印象的。エマニエル夫人どう演じるのか気になる。
・東南アジアを都落ちに使っているが…
2度見るにしても、何かしらの解説を聞いた上でじゃないと意味ないと思える映画。
加害者であり被害者。そして表現者
『TAR』なぜこのタイトルなのか?終盤にその意味がわかります。
今、この時代に語られるべき物語です。
序盤はまるでドキュメンタリーを見ているよう。
ケイト・ブランシェットの演技がとにかく素晴らしい。
表面には出ないように取り繕いながらも、その内面は興奮でゾクゾクしているのが手に取るようにわかり、その生々しい感覚が見ているこっちにまでダイレクトに伝わってきて、一緒にゾクゾクしました。
常に凛とした女帝のイメージをまとっている彼女が、恋する乙女みたいに骨抜きになってる演技は滑稽でもあり、かいがいしい演技は傷ましくもある。
さすがはアカデミー主演女優賞ノミネート。
今年のアカデミー賞のテーマは“ハリウッドドリーム”
平等なチャンスと正当な評価。「映画で夢を創る人の夢が叶うハリウッド!」だったと感じるので、エブエブ旋風が巻き起こるのにも納得。
でも、マイオスカーはブランシェット様に捧げたい。
どんな社会にも大なり小なり力関係があり、権力者の采配で決定することも多い。
とくに技術や数値など目に見える評価ではなく、表現力や芸術性といった主観に左右される分野では、実力の正当な評価はなかなか難しい。
ましてやプロとして対価を支払われる立場ともなれば、様々な利害関係も生じる。
そんな悪い慣習がはびこる業界に意識改革が起こっているのは誰の目にも明らかです。
アカデミー賞も、ボイコットやmeetoo運動を受けて差別/格差/ハラスメントを無くす取り組みが始まり、今年の賞に結びついたと感じています。
その一方で、急速な意識改革による“いきすぎた弾糾”が生じているとも感じます。
あたかも敗戦国の戦犯のような責められ方で全てを否定される。
実際、人の意識を変えるということは、敗戦国と同じような衝撃を受け入れることに他ならない。
昨日まで崇拝していた存在が悪になり、信じて疑わなかった価値観が覆される。
ローラーで地ならしをするように、関与の大小や影響に関係なく全てをリセット。
乱暴な荒療治だけれども改革するにはそれぐらいのことが必要で、私たちは今そのインパクトを目の当たりにしているのだ。
最新の価値観に照らし合わせて再評価していくなかで、過去の作品を擁護するのは甘さなのか?
悪しき価値観を引きずることになるのか?
一つの音から次の音へ。一つ一つの音の繋がりが音楽となり未来に続いていく。
歴史として振り返った時に、やっと答えが見えるのかもしれない。
本作の主人公は悪しき慣習のなかでサバイブしてきた。
音楽が自分を幸せにしてくれる筈が、いつしか地位や名声の為に音楽を利用して、周囲の人をも利用していた。
冷蔵庫の音にも過敏だった彼女は、街の雑踏の中に音楽を聴く。
音楽に優劣が無いように、人にも優劣はない。
全ての音楽に敬意を表するように、音楽を創る人、奏でる人、全てに敬意を表する。
そこから生まれた音楽は聴く人々の心に響き、またその聴衆にも優劣はないのだ。
圧巻のラストに心が震えました。
試写会にて
ケイト・ブランシェットの演技が卓越してた。
"リディア・ター"の演技は彼女じゃなかったら
務まらなかっただろうし、オスカー主演女優賞を
獲得しても何の違和感もなかったほど。
予告で繰り返された"映画史に残る衝撃のラスト"は
やや誇張的な表現でそのまま受け取るのは少し
危険かと思われるが、社会問題を真正面から
取り上げて展開する本作は作品賞ノミネートも
納得の作品。作中を通じて音がよかったです
迫真の演技に感激!
ケイト・ブランシェットのための映画です。その存在感は圧倒的で迫真の演技は本当に素晴らしかった。
加えて映像、音楽も見応え抜群で、長回しの演奏シーンは迫力がありとても楽しめました。
鑑賞後暫くして主人公のリディア・ターが実在の人物であると錯覚している自分に気付きハッとしました。
リディアの出会い
予告を見た後にシャンタル・アケルマン監督のアンナの出会いのオマージュシーンがあるのを知って、とても好きな映画なので楽しみにしていた
映像も音楽もリディアにも満足
孤独に彷徨い続けるリディア
公開前なので感想が書き辛いけど、モンスターにはなりたくない
SCREENさん、試写会をありがとうございました
とにかくケイト•ブランシェットの芸を観る作品!繊細な表情や演技など...
とにかくケイト•ブランシェットの芸を観る作品!繊細な表情や演技など、じっくり堪能できます。不穏な感じが隠されたミステリアスな展開も良かったです!ただ会話多めでストーリーもちょっと分かりにくい158分。体力と集中力がある時にオススメ。
トッド・フィールド 監督 16年ぶりの長編は ドイツのオーケストラ...
トッド・フィールド 監督
16年ぶりの長編は
ドイツのオーケストラで首席指揮者に任命された
初の女性指揮者の苦悩を描いた作品
この物語は、唯⼀無⼆のアーティスト、
ケイト・ブランシェット に向けて書いたもの。
天才的な才能を持った女性指揮者リディア・ター。
天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。
音楽に対し純粋で天才
男性社会の中でも実力で上り詰めるも
様々な要因が絡み合い
徐々にテンポが崩れ
自分自身もコントロールできなくなる
傲慢さのせいか、渦巻く嫉妬なのか、、、
LASTの描かれ方にも賛否両論
差別的に受け取るか
肯定的に受け取るか
個々の見解によって分かれるところ
LGBTQ、SNS
多様性を求めながらも
違うものは認めない(排除する)風潮
様々な問題を抱える社会への風刺作品⁈
誰の視点で観るか…
聡明な美しさ、壊れゆく様、狂気
ケイト・ブランシェット
最高です!!!!
どんな天才でも人間関係に例外はない
2時間40分を感じさせない面白さ。
仕事に対して完璧を求めるあまり、周りの人を次々にそんなつもりじゃないけど傷つけていってしまう彼女。
やることなすこと裏目裏目に出てカラカラ空回りしているように見えたけど、彼女にしてみれば、ただ納得の行く仕事をしていただけなんだと思う。
仕事に集中できているうちは全てがとてもうまく行っていたのに、雑用は自分の仕事だと思ってないので、周りのフォローで回っていた雑務を自分でなんとかしなければならなくなってからの変貌がすごかった。
本当に同じ人物ですか?と思う。
仕事さえできれば社会から認められるのか、という問題なのかもしれないけど。
何一つ欠点がない人間なんて人間じゃない。
何かに突出した才能があって、そこに全神経を注いでいたら他に穴ができても仕方ない。だからそれをサポートするチームが要るんだけど、チームの人たちに対しての心の配慮にもう少し重点をおいた仕事の仕方をしないと、人としての信用を失ってサポートを受けられなくなるんだなということを学んだわ。
自分以外は全員他人。
自分を大事にして欲しかったら、自分も他人を大事にしないと。
ケイトの美しすぎてアンドロイドみたいな美貌が役柄の完璧さの象徴みたいに見えた。
面白かった!
オルガ役のロシア人女性は何者?か気になった
教え子が自殺したっぽい…とわかってからは、リディアが追い詰められていく様子がケイト・ブランシェットさすがの演技力でぐぐぐっと引き込まれたけど、正直そこまでの前段が少し長いなと感じた。音楽の専門用語とか、知らない指揮者の名前とか連発でちんぷんかんぷんだったので、リディアはこんな感じのイケイケ女性指揮者なんだなーと雰囲気だけ感じ取りながら見てた。
それにしてもあのロシア人のオルガは女優さん?プロのチェロ奏者?女優さんにしてはチェロうますぎるし、チェリストにしてはチャーミングな演技うますぎるし、どっちなんだろう?どっちにしてもめっちゃオーディションとかしたのかなあ…とか思いながら見ていた。
現代映画技術の最前線。内容には賛否あり。
若くしてベルリン交響楽団で女性初の常任指揮者となったリディア・ターは、かつてレナード・バーンスタインがその天才を認めた愛弟子だった。これまでわずかな者しか獲得していない「EGOT(エミー賞、グラミー賞、オスカー、トニー賞をすべて受賞)」の1人でもある。ドイツとアメリカをプライベートジェットで往復する富裕な暮らしを続けていて、女性音楽家と同棲するレズビアンで、移民の養子を育てている。
目につくものすべてが思うとおりにならないと気が済まない傲慢な性格だったが、世界屈指の成功した音楽家として望むものすべてを手にしていた。しかしあるとき若手音楽家を対象に開かれた公開レッスンを境に、彼女の運命が変わり始める。
文句なく今の映画の最前線をゆく撮影技術。とくに照明とサウンドデザインが秀逸。大物指揮者の日常を細かく追ったり、『ニューヨーカー』誌の名物編集者が本人役で出てきたり、いまの欧米富裕層の生活をかいまみる面白さもある。ケイト・ブランシェットは、高慢で成功した天才指揮者を巧みに演じていて、ことしのオスカー主演女優賞は、問題なく彼女のもとへ行くのでは。
しかし多様性を求めるいまの風潮を「キャンセル・カルチャー」と揶揄する風な物語には欧米でも厳しい批判が出ていて、中身には賛否が別れている。
個人的な好みとしていえば、『別れる決心』と並んで今年度の映画技術の最高峰を示す作品だとは思うけども、とくに積極的に推す気持にはなれなかった。
ところでこの指揮者の名前は「Lydia Tár」。この名前をみて英米の映画好きが連想する、あのハンガリーの映画監督の名前のように「タール」という邦題にするべきだったね。「ター」って柔道の掛け声みたいで変だよ。
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