TAR ターのレビュー・感想・評価
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さっぱり分からん ベトナムで酒店?
今週の大本命として観て来ましたが、正直なところ、さっぱり分からない内容でした。セリフに音楽の専門用語が多いです。勿論、私の理解力不足です。
クリスタの自死があるのですが、そもそもクリスタって誰?という感じでした。
中盤で、ターを襲った男も誰か分からずでした。
ターが最後に行った所は、ネタバレ解説を見るとベトナムだったのですね。セリフで大阪と字幕にあったり、酒店の看板もあったので、日本にも行ったのかしら。
最後にコスプレのような人達が出てきて、さらに混乱しました。
スリラーだけど、伏線が繋がってない感じで、すっきりしませんでした。
ラスト残念
同じオーケストラで同じ曲でも指揮者の好みによって変わる、前半は録音を成功させたいターがグイグイくる展開。
やがてスキャンダルとか怪しい展開に。
でも最後はターが逆境を克服して録音演奏を成功すると期待してましたが。
マーラーの5番もうちょい聴かせて欲しかった。
クラシック音楽好きならわかると思うが
最初の1時間半くらいはクラシック音楽の詳しいうんちくがたくさん出てきて、わかる人には面白かろう、という話。うんちくはほとんどが正鵠を得ていて、ややクラシック音楽オタクの私にはとても面白かったです。私にとってリアリティの担保にはなる。例えばカラヤンがその権威を利用してひいきの若い女性クラリネット奏者(ザビーネ・マイヤー)をベルリンフィルに入団させようとしてもめたことなんかも思い出させますし、バーンスタインが世界を回って若者のオーケストラを指導していたことなんかを想起させるシーンもある。EGOT獲得(メル・ブルックスも獲ってると言って笑うシーンもあるが笑、クラシック音楽業界だけでない業績もあるということ)、ベルリンフィル首席着任がどれだけ凄いことか、ということを知ってる必要はありますね。ただ、こんな話を続けて落としどころはどういう話なんだろう、と不安になります。ていうかわかんない人には全然面白くないし物語に入れないでしょう。というか長いことストーリー成分が薄い笑。丁寧にリディアの人物像を描いたってわけですね。こういう人物だから後々ああいうことになるという布石ではある。一応必要な描写なんです。
ブーランジェ、オルソップ、シュトゥッツマン、ジミー(!)・レヴァイン、チャールズ(って呼んでました! 日本では「シャルル」だ)・デュトワ、デュ・プレ、バレンボイム、MTT(ディスられてましたね笑)とか、どんな人たちだか知ってますか?当のオルソップはこの映画を観て文句を言ってるらしい。まあ世間はリディアをオルソップになぞらえて見るだろうしねえ。
それから、ベルリン・フィルハーモニーザールとして現れるホール。ちょっと本家と似てるけど(知らない人は似てることすら分からないし、知ってる人には似て非なるものだと判るところが微妙だ笑)ドレスデンにあるホールですね。
音楽はマーラーの5番がメインです。劇中で5番がリュッケルトの詩に唯一関連がない、って言ってるけどなぜだろう。ここには私は異を唱えたい。事実はリュッケルトに最も関係あるのに。4楽章(アダージェット)なんて同時期に書かれた「リュッケルトの詩による歌曲集」の「私はこの世に忘れられ」とそっくりの曲だよ。リハーサルのとき「ヴィスコンティの映画で知られてるけど気にしないで」なんていってたのに字幕は「有名だけどね」程度だったのはいささか残念。この映画を観るような人ならヴィスコンティを出したほうがニヤリとするだろうに。ことさら他でもない5番を選んでるってのいうも、ヴィスコンティとその映画の同性愛を想起させる狙いもあるんでしょう。
これを含めリハーサルシーンでドイツ語の指示には字幕を出さなかったのはどういうことだろう?手抜きだったら許せん。でも音楽の指示だからなんとなくはわかりましたけどね。
さて物語。本編には迷路模様などいろいろ謎めいたアイテムが出てきますが、別に回収されません笑。つじつまが合わないところは全部妄想ってことなんでしょう。予告編にはもっと迷路模様のシーンが出てきてるんですが本編映像には出てこない。本当は「《3人》での南米のフィールドワーク」などが描写されていたんでしょうがカットされたんでしょうね。この辺がちゃんと描写されていればクリスタとの関係とか、もっと分りやすかったと思います(「伏線が回収されません」なんて批判は少ないでしょう笑)が、3時間を超えちゃうんでしょうねえ....でも公開版の本編は竜頭蛇尾というか尻すぼみ、もしくは説明不足の感はありますね。リディアの描写をあれだけ丁寧にやったのに。そのバランスどうよ。
表面的に見ると、傲慢で権力に酔ったカリスマが権威をかさに着て悪事を働き失脚するって話かと思いこみがちですが、そんなに単純な話ではなさそうです。表向きリディアの言動はそれなりにまともです。ジュリアードのアカハラっぽいエピソードも私はリディアの言い分の方が真っ当だと思うし、副指揮者セバスチャンの解任だって(理由はともかく)本人と話してちゃんと筋を通そうとした。なまじっか(醜聞や批判を恐れて?そんなものは怖くないはずだがなぜか微妙にバランスをとって)正当な判断としてフランチェスカを副指揮者に指名しなかった。そのために却って大きな困難を招いてる。あくまでわがままを通すのならフランチェスカを選びそうなものなのに(副指揮者としての資質については曖昧でしたが)。クリスタの家族による告発も、本当に性的搾取があったのかどうかについて明示的には描写されていない。「(真偽は別として)告発されたらおしまいなんだ」っていう皮肉なセリフもありましたが。この辺りは観客によっていずれの解釈(リディアが徹頭徹尾悪者として描かれているわけではない)もできるようオープンになっていて興味深い(でもメールを削除したりして怪しくもある笑)。いずれにせよ悪意のあるSNSに引っかかったらもうおしまいという、必ずしも本人の善悪とか真偽と関係のないキャンセルカルチャーを皮肉ってることにもなってるんですね。その一方、栄光の陰で生活や健康や心は蝕まれていく、という芸術家の悲劇もしっかり表現されていました。このような多義的で重層的なヒロインをケイト・ブランシェットが完璧に演じておりました。ケイト・ブランシェットが当てられなければこの映画は断念する、って監督は言ってたそうです。
終盤はちょっとかわいそうでしたが、あそこまで狂気に走っちゃうか、ってのはやや疑問。
でも総じてつくりは悪くなかったとは思う。K. ブランシェットの演技がいいから一定レベルなんだな。
冒頭のプライベートジェットでのTikTok(動画チャット)は誰が撮影して誰とチャットしてるか、ってことについて考察します。順当に考えればベルリンから(インタビュー番組出演のため)NYに飛んでいる最中にフランチェスカがクリスタとチャットしてるんでしょうね。直後にNYのシーンになりますし。「まだ愛してるの?」みたいな文面からも腑に落ちます。
チャット主はオルガだって説もありますが、私は違うと思います。後半にリディアが告発されて公聴会みたいなのに出席するためにNYに飛ぶシーンがあります。この時にオルガが撮影したという説です。違うと思う理由(1)この映画はシーンの急展開はありますが、時間軸はそれほど大きく前後しません。終盤のフライトシーンが冒頭に来る必然性は薄い。ありえないとは言えませんが。違うと思う理由(2)チャットの内容からするとオルガはフランチェスカと対話してることになります。クリスタが死んでから後のフライトですから。フランチェスカとリディアの過去を知っていないと書けない内容です。とするとオルガはフランチェスカと前からの知り合いであるということになる。オルガはフランチェスカ側が送り込んだ刺客だ、ということになります。これは私は無理があると思う。リディアが依怙贔屓するようなルックスで、しかもブラインドオーディションで皆から余裕で認められるほどの腕前の刺客を用意することは不可能だと思う。リディアの没落のきっかけになったことは確かだけど、それを狙った刺客だとすると迂遠すぎる(絶対そうなるかわからない)気もするし。映画なんだからありだよね、と言われればそれまでですが随分なご都合主義で、それではこの映画の価値が下がると思います。刺客じゃないまでもフランチェスカに丸め込まれた、と考えられなくもないですが、それにしてはチャットの内容が深入りしてる。
チャット主がクリスタだって説。プライベートジェットにリディアと2人きりで乗ることはなかったでしょうからありえません。クリスタとリディアに関係があったのはベルリンに住むよりずっと前の話(リディアのプライベートジェットもなかった頃)だし、そのころの行動は《3人》が基本だったようですし。というわけでフランチェスカで決まりです。
いずれにせよ明示的には示されてないから、観客に解釈の自由は残されていますけどね。
最後のシーンについて、知らない人にはモンハンとは分からない(とか近くにオタクがいないとこの映画の理解に至らない)って文句言ってる人がいるけど、少なくともエンドロールに"Monster Hunter Orchestra"ってメンバー表が出てきますから、こういうモンハンのコンサートがあるんだな、ってことは察しが付くと思うんだけどね。
細かいことですが日本のポスターが"TÁR"でなくアクセントなしの"TAR"になっているところがちょっと気に入りません。この「アクサン」あるなしはリディアの人物描写の一部なんです。彼女の本名はLinda Tarrなんですが(最後の方で実家へ帰ると この名前が出てくる)、ヨーロッパ(非英語)風に見える(聞える)ようにLydia Tárという芸名を使っているのです(アメリカの音楽家はヨーロッパでは格下に扱われる傾向があるから)。冒頭の長いインタビューシーンでもわかるように、彼女は周到なイメージ戦略をとっているということ。芸名もその一環。この映画の広報担当者は報道に対して「重要な注意事項が 1 つあります。タイトルは TÁR です。常にすべて大文字で、文字 A の上にアクセントが付いています」というメールを送ったそうです。ある動画で彼女は「(監督に告げられた映画の題の)Tarって変な苗字だな、って考えてるときにたまたまブダペストの薬局の看板の一部に「tár」って部分があったのでこれだ、って思って監督に写メしたら採用になった。Tarの上にアクセントをつけたのはブダペストなの」って言ってました笑。 また、トッド・フィールド監督とケイト・ブランシェットがこの映画を語るYoutubeで、監督が「アクセント付きの"Tár"はアイスランド語で「涙」の意味だ」って言ってケイトが「そうそう、アイスランド語だったわよね」と応えてるなんてのもありました(だからこのタイトルにした、とは言ってない)。意味深いタイトル。ま、とにかく邦題つける人/ポスター作る人も気を遣ってほしいってこった。
フランチェスカ役のノエミ・メルランってどっかで見たなと思ったら「燃える女の肖像」の彼女ね。ちょっとエマ・ワトソンに似てると思ったから覚えてた。
ちょっとトリビア:最後の東南アジアのロケはフィリピン:ルソン島だと思います。なぜなら「地獄の黙示録」はここで撮られたからです。それから、泳いではダメな理由として「川にクロコダイルがいるからだ」といわれてリディアが「こんな内陸に?」と尋ねると「マーロン・ブランドーの映画云々」と答えるという話になってますが、クロコダイルは和名「入り江わに」というくらいで、アメリカの方では海辺にいるワニなんですね。だから「内陸?」の疑問が出るというわけです。ですが、調べたところフィリピンのクロコダイルはむしろ淡水を好むようです。だから地獄の黙示録と関係なく、もともと内陸にも棲んでるらしい。「マーロン・ブランドー云々」はジョーク(もしくは都市伝説?笑)なわけだ。どーでもいいか。
実話かと思ってた
あまり前情報入れずに観に行って、途中まで実話だと思って観てた。
クラッシックにも現代音楽にも知識がないので最後よくわからなかったですが、ここのレビューのいくつか読んで納得できましたが、もう一度観たい。
長いけどケイト・ブランシェットの演技とは思えない迫力ある姿にまったく飽きることはなかった。
インタビューのシーンやバッハを否定する学生に説いて聞かせるシーンとか、ドキュメンタリーかと思ってしまうほど。俳優さんてすごいな。
それにしても、バッハ認めない学生の論理ってなんだかな。こういうの増えてくるんだろうな。
平日昼間にもかかわらず結構お客さん入ってた。
しっかりした大人向けの作品が観たい人もたくさんいるんだと思って安心した。
重厚感ある画と静謐で不穏な空気感
女性指揮者の栄光と心の闇を描き出すサイコスリラーともいうべき作品。
ケイト演じるターは、アメリカの5大オーストラで指揮者を務めた後、女性として初めて名門ベルリン・フィルの首席指揮者に就任するという輝かしい経歴の持ち主。
劇中はマーラーの交響曲第5番のライブ録音に取り掛かる様子が描かれる。録音として出ていないのは、交響曲全曲中5番だけで、これが録音されればマーラー交響曲全集としてアルバムが出され、自伝的書籍も発売されるという、まさに黄金期のピークともいえる姿が映し出されるのだ。
冒頭からターのインタビューや大学の講義の長尺のシーンがあり、単調に感じるが、中盤での家庭や職場での不協和音、クリスタという謎多き女性側から告訴されるあたりから、それぞれの要素が呼応するように、栄光が崩れ始めていく。
全体的にはダークで陰鬱な印象。幻聴のシーンはどれもサイコホラーテイストで、緊迫感を上手く演出している。色彩も絞り、画に重厚感を持たせたり、特徴的・独創的なカットも数多くあるので、一定の緊張感を保つことに成功している。
ターの栄枯盛衰のターニングポイントが描かれる本作は、光も強ければ闇も強く現れるということを知らせてくれているようだ。
個人的にターの立ち振る舞いよりも、多様性を主張する無知蒙昧で傲慢で身勝手な若者たちの態度に終始辟易した。
圧巻のパフォーマンスに感嘆
ケイト・ブランシェットによる最高傑作の誕生と言うべき秀作。数々の輝かしい受賞作品と比べても秀逸な特別な作品でありケイトにしか演じる事のできないものだと感じました。
クラッシック音楽🎵は滅多に聴かないしオーケストラについても詳しくありませんが鬼気迫る迫力ある演技に引き込まれます。セリフが続く場面が多く字幕ですべてを把握するのは非常に困難な作品ではあるがケイトの演技を観るだけでも大いに価値ある作品といえるでしょう。
アカデミー主演女優賞ノミネートは当然ですが受賞できないのが不思議というか不可解です。
是非映画館で🎦
映画館でこその作品だと思います♪
53
天才とは
TARが天才あるがゆえに、狂気に落ちてしまう。
演技の凄さと、オーケストラの演奏が聴ける映画と思いきや、ほぼ台詞だらけを演じきった、女優さんの凄さ❗
全く違和感のない演技力
映画の内容より、演じた女優さんを評価したい。
天才だ!
Dull Dull
近年のアカデミー賞受賞作と自分は相性が悪いのは承知で鑑賞。2時間半越えの時点である程度察するべきでしたが、超長かったです。
まず冒頭のインタビューシーン、ここで見事に睡魔に襲われました。物語が面白いくらい動かないまま、延々と会話シーンの連発なのでどうにもつまらないと思ってしまいました。
というか延々会話が続いてるので、オーケストラの壮大なシーンと精神を病む過程を交互に映していく作品だと思っていたので、そこを求めて観にいった身としては思いっきり肩透かしを食らってしまいました。
ター自身、レズビアンという事を公言していて、実際に女性のパートナーや養子もいたりしますが、基本的にその相手に色々と任せっきりで、ターは男性のような生活をしているなーと思いました。仕草が男性っぽいものなので、そこも意識されて演じているのかなと思うと脱帽ものです。長ゼリフを幾度となくこなしたケイト・ブランシェットの演技はお見事でした。
最後も突然終わってしまったので、思いっきりズッコケてしまいました。長いなーいつ終わるのかなーとは思っていましたが、いやそんな急に終わられても…と。
アカデミー賞…どうしてこんなにも合わないんだろうと三度考えることになりました。普段血みどろの映画を観てるのがデカいとは思いますが笑
鑑賞日 5/15
鑑賞時間 11:20〜14:05
座席 H-5
実力だけでのし上がった女性指揮者というファンタジー
作中でもバーンスタインなど実在の指揮者や有名オケの名前が出てくるだけに、主人公リディア・ターが現実にいるかのような感覚に陥るものの、現実問題としてあんな権力ある女性指揮者がいたらクラシック業界はもっと女性に優しくなっていただろう。
作中でブラインドオーディションのシーンがあるが、日本でこれを採用しているオケはどれだけあるのだろう。実際に海外でブラインド形式にしたところ女性奏者の採用率がぐっと上がったと言う研究を思い出した。そうでなければジェンダーバイアスで男性奏者ばかりになってしまうのだ。音大やオケの志望者は女性の方が多いのにもかかわらず。
脚本案の段階ではは主人公は元々男性だったらしく、男性なら映画でよくあるパターンの転落話ではある。女性という点が新しいものの、美術や建築業界と同じくクラシック業界も超がつくほどの男社会なので、女性が実力「だけ」でのし上がるのは、現在でもほぼ不可能であるため、作品はややファンタジー感がある。
もっと金や権力のバックボーンがあるか、人心掌握のバランスに優れた人間でないとリディアがあの地位に上り詰めることは実際不可能だろう。やっかみや嫉妬、足の引っ張り合いはアート界において日常茶飯事である。それらがある人間があの程度のスキャンダルや陰謀で転落するとは考えにくい。作中ではすでにカミングアウトによる炎上をいなしているはずの設定なのだから。
ターはバーンスタインの弟子という設定だが、小●征爾が「自分もバーンスタインの誘いに乗ってたらもうちょっと早く出世したかもしれない」と某所で語っていたことを思い出す(真偽の程は知らないが)
とはいえ、上記の点が鑑賞中殆ど気にならないほど170分のめり込んだのは、なんと言ってもケイト・ブランシェットのリアルな役作りだろう。狂気とともに転落してもどこか美しく気高さを保っている主人公はどの場面でも美しかった。
アジア系には批判されそうなラストではあるが、作曲者が誰であれどんな曲あろうと真摯にスコアと向き合う主人公の姿であると思いたい。
サントラ盤のCDも買いました
映画のサントラ盤がドイツ•グラモフォンから発売されていて、クラウディオ•アバドのマーラー交響曲第5番と同じようなデザインという凝ったもの。実際にケイト•ブランシェットが指揮した第5番のリハーサルの模様も収録されていました。しかもAmazonで買うとLPレコードの紙ジャケットがついてくるのです。
様々な事件があってターは失脚。若い頃に影響されたレナード•バーンスタインのテレビ番組「ヤング・ピープルズ・コンサート」のビデオを見直して再起のきっかけを得る場面が感動的でした。
実際のベルリンフィルは大人の事情で登場せず、演奏会場もベルリンフィルハーモニーホールではありませんでした。出演したのはドレスデンフィルだったようです。
エルガーのチェロ協奏曲のソリストに選ばれるソフィー•カウワーは本物のチェリストで女優初挑戦だったらしいです。覆面オーディションでもダントツの美音で聞き惚れました。
旋律 栄光 絶望 狂気
分野を超えて評価される天才指揮者ター。
自著や新盤の出版を控え注目を集める最中、様々な問題に頭を抱えることとなる。
世間からの注目が集まれば、当然指揮者としての彼女だけでなく、人間性などにもフォーカスが当てられる。
中でも彼女の失墜に影響したであろうクリスタについて、回想にある通り肉体関係があったことはおそらく間違いがないにしろ、クリスタに対する音楽的な評価に私情が含まれていたかどうかまでは描かれていない。
その空白を補完する一つとして、チェロのソロパート担当をオーディションするシーンがある。
このシーンではステージに奏者の姿はなく、チェロの演奏だけが聴こえる。
ターは奏者個人への感情を排してオーケストラに臨んでいる姿が描かれているのではないだろうか。
ただ、各所の描写から特別な感情を抱いていたことは事実なのだろう。それら含め、序盤で揶揄していたロボットに彼女がなりきれなかった部分であり、終盤で流れた言葉には表しきれない複雑な感情の賜物である。
バッハやベートーヴェンの時代とは異なり、スキャンダルで才能が潰える時代。ことの良し悪しとは別に、この顛末に哀愁を感じる。
前評判は余り良くなかったのですが、有名な女優だし、アカデミー賞にノ...
前評判は余り良くなかったのですが、有名な女優だし、アカデミー賞にノミネートされたし観に行ったのですが。
今でもハラワタが煮えくり返る思いです。ストーリーはつまらない、名演でもなんでもない、BSや配信の映画を見ていた方が良かった。全く金と時間のムダです。
No.5
女性で初めてベルリン・フィルの主席指揮者となった天才リディア・ターがトラブルに巻き込まれる話。
チャットでネタにされている様子から始まって、公開インタビューで音楽に纏わる話しを語るター…ヤバイ、音楽素人な自分には7~8割言っていることが解らない!
その後はまあやはり言ってる言葉に解らない部分も結構あったけれど、起きている出来事はなんとか解るからついて行けたと言って良いのかな?w
確かに音楽や楽団に纏わるお話しだはあるけれど、まずターは同性愛者の設定で交際相手は楽団員、からのまさかの恋愛模様みたいなものとかもドロドロ絡んで来る感じ。
しかも劇中で進行していることも、何があったのかどうなったのかを拾わずハッキリ見せない物が多々というつくり。
まあ、サスペンスではなくあくまでもそういう出来事を受けてのターの機微をみせるってことで、そういう意味ではなかなか面白かったけれど、それでもやっぱりもう少し明確に示して欲しいと感じるものが多かったし自分には長かった。
そしてラストは…そう見えた?そうじゃないとやってられない?夢ではないですよね…。
音響が素晴らしく面白い
内容や設定が複雑すぎてちょっと難しい、しかもかなり長いので、少し忍耐を要しました。でも、素晴らしい音響、色んなところから迫ってくる音などがかなり面白かったし、何よりも演技をしているものを微塵も感じさせないケイト・ブランシェットが、ター以外の何者にも見えなくて、凄かったです。
マーラーとかジャケとか音楽家とかを擦りまくる演出は最高でした。人と人との相関関係やドラマがシビアで難しいものばかりだったので、音楽的な小ネタはかなり笑えて、ある意味救いです。
少し難しいといっても、ストーリーや展開はしっかりと見ていれば容易に理解できる内容でしたが、ラストとか含め理解を超えるところもあったので、それをどう消化できるのか・・・個人的には消化しきれなかったという印象です。
次のフェーズ
これまで、貧困・性差別・様々なマイノリティや社会的弱者に寄り添う様な作品がたくさん作られて来た。
世の中は、そういった問題の撲滅には至らないものの、それが「問題」として多くの人々に理解される所までは来たという印象。
この現状の中で、引き続きそういう作品が作られる意図にはもちろん異論ないものの、作品で描かれる被害者を見る度に「でも、現実の社会的弱者がみんなこんなに善良で誠実で純粋で勤勉なワケでははい」という(当たり前と言えば至極当たり前な)点は、どこか居心地の悪さを感じていた。
そしてこの「TAR」では、その先。
かつて「弱者・マイノリティ」のカテゴリーに分類されていた人物が「多様性が肯定され始めた社会」の中で、才能や努力によって大きな力を手に入れ、その力の濫用、エゴや傲慢によって身を堕としていく姿が描かれる。
彼女が手に入れ、行使した「力」は、まさに過去の弱者たちを苦しめた「力」そのものだった、という皮肉。
物語の大きな流れとしてはそれ以上のことはないと思うのだが、正直なところ観ている最中は「これ、何の映画?」とずっと考えていた。
2時間半と結構長い作品中、とにかく散りばめられたピースがちゃんと回収されることなく散らばったままなので、解釈もこちらに委ねられていく。
ミステリー?
サスペンス?
ホラー?
社会派?
いや、映画の雰囲気がそうさせないだけで、笑おうと思えば笑えるシーンも結構あるし。
最後の「オチ」が急に我々庶民の嗜好に寄せてくるため、その印象が強く残ってしまうけど、観終わった後に「これは…なんだったんだろう…」と変なしみじみを体験する、少し変わった印象の映画。
ただ、もしこの映画を分類するとすれば、迷いなく「ケイト・ブランシェットの映画」だということは言える。
頂点に上り詰めた者の転落
指揮者として頂点に上り詰めたター。
ターの前半の圧倒的なカリスマ性、周りの人間の尊敬を意のままにする姿は見事。
しかし、思うがままに振る舞う傲慢さが次第に反発を招きじわじわと追い込まれていく姿に、権力を持つ者は実力だけで無く高い人間性がなくてはダメなんだなと思った。
ところどころ、不穏で貧乏ゆすりとか不快なシーンもあって、次第に狂気に囚われていく後半は結構ホラーチックで少し恐ろしかった。
権力に溺れ転落していくのは、性別や性的指向は関係なく起こることを描いているのも新鮮。
どう考えてもケイトブランシェットがアカデミーの主演女優賞でしょって思った。
変な映画。だが、もうこの映画のことしか考えられない。
よく分からない映画に出会った時、「わかんね」で済ませることが大概だが、ごくたまに「わかんねーけど、これは何かすごい映画なんじゃないか」と取り憑かれたように頭から離れなくなる映画がある。
そして『ゴーン・ガール』で映画にハマり、現在『TAR/ター』に直面している。
この映画を難解にしているポイントは大きく2つある。
1つは、映画内で引用される多数のクラシックと映画に関する教養が前提となっている点。
冒頭から洪水のように人名と歴史の引用が捲し立てられ、着いていくのに必死になる。しかもそれは単なる引用ではなく、つまり聞き流して良いものではなく(そういうものもあるが)、その後の展開に結びつくものもある。バーンスタインがその良い例だろう。
さらに、あらゆる映画のエッセンスがそこかしこに散りばめられている。
例えばジョギング中の悲鳴。初見は「いったいこのシーンはなんなんだ」と戸惑ったが、調べてみるとあの悲鳴は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のラストの悲鳴と完全に重なるらしい。
つまりあのシーンは、リディアの中に生じた軋みが、彼女の映画音楽の記憶と呼応することで生まれた、彼女の幻聴であることが分かる。
事ほど左様に、様々な教養が映画のかしこに散りばめられているため、一寸の気の緩みも命取りとなる。
もう1つは、解釈が観客に委ねられている部分が非常に多い点。
例えば、序盤に大学の講義で男子学生を論破し授業から追い出すシーンがある。確かにリディアの口調は激しく、まだ10代の学生に対しては容赦のないアカハラと取られてもおかしくはない。
ただ、彼女の論理立ては音楽の教鞭を取る者として非常に筋が通っており、男子学生は大学に入った理由も曖昧ならば、リディアの話中しきりに貧乏ゆすりをしている無礼者の側面も見せる。
本当に彼はリディアの可哀想な被害者なのだろうか?
自殺したクリスタの件も同様だ。
彼女はリディアからの性的強要を拒んだ結果、彼女に指揮者としての将来を絶たれたと訴えて自殺した。確かにリディアは傲慢で、ベルリンフィルも私物化し、若いオルガに靡いている様子も描写される。
だが、本当に彼女が性的強要までしたのだろうか?
少なくとも作中ではそのようなシーンはない。妻のソフィアや秘書のフランチェスカとも関係を持ったようだが、どちらも無理矢理強要されたという様子は見られなかった。オルガに関しても、えこひいきから彼女の得意なチェロ曲を選曲したが、ソロを決める最終的な判断は民主的なオーディションに委ねている。
大学での論破もそうだが、彼女の行動はいわゆる権力を笠に着る状態とは異なり、リベラルな印象も与える。これが議論を呼び、いつまでもこの映画が頭に取り憑いて離れない最大の要因だ。
話の持つそもそもの難解さと、議論を呼ぶリディアの多面性。間違いなく見る人の思考に取り憑き、迷路へと誘う怪作だ。
カリスマは、 主体者も客体も実体は脆弱な関係でしかない。
ケイト・ブランシェットを主演に、
天才的な才能を持った女性指揮者の苦悩を描いたドラマ。
カリスマは、
主体者も客体も実体は脆弱な関係でしかない。
魔性を受容されている時はいいが、
オケの様な共存的となったコミュニティで、
一端でも傲慢と解されるとカリスマはオケ破壊者へと排他されて行く。
そんな世界を独創的なマエストロとして日常を維持していくことの凄まじさは当然のごとく凋落して行くしか見えて来ない。
華々しいマエストロの世界ではない日常の苦悩を描いているのだろうが、
カリスマゆえ、若手であり、女性であり、外様であるが故の本当の困難はこんなものであろうかと思えた。
そんな隙を突かれて、
指揮台を乗っ取られて、
その場で、
首席指揮者が、女性が、若い故に、蹴り上げるとは、
いやいや意外な唐突な展開に度肝を抜かれました。
ター
更には、メコンに入り込んで、
地獄の黙示録よろしくドブからの再起を始める?
この気合いがこそが本当のカリスマに見える。
ター
少し小さな神経質な演技だったが、
蹴りは見事でしター
^^
ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター。
天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、
いまはマーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。
そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。
^_^
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