ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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巨大ザリガニを捕らえる為、禁断の湿地帯を目指す!
そんな映画では全くなかった。それどころかザリガニは一瞬も映りません。
爆発ヒットしたミステリー小説が原作で、2021年の本屋大賞も受賞して、この短期間で映画化にまで至った経緯から話の面白さはお墨付きということでしょう。
作者自身が保護活動をしているというノースカロライナの湿地帯の自然、動物、虫達の映像が美しい!
音楽は「ライフ・オブ・パイ トラと漂流〜」のマイケル・ダナ!君に決めた!
そして主人公が暮らす湿地帯の家の実在感が半端ない。舞台美術がすごい!宮崎駿もビックリ。ジブリパークにこれが本物だと見せつけたい!この時点で映像化して良かったと思った。
そして撮影監督は「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」のポリー・モーガン!
恐怖に対峙する子供の成長を捉えるキャメラ!B級ホラー映画で鍛えられた無駄な金を掛けない工夫を凝らしたワンショットのカメラワークで決めてきます。かっこいい!
配役も完璧。本作の為に書き起こされたテイラー・スイフトの主題歌「キャロライナ」も、ラストの余韻に浸りながら歌詞が全てを補完する素晴らしい主題歌だった。ちゃんと歌詞を翻訳して流した配給会社!素晴らしい!
原作のクライマックスにあった巨大ザリガニとのバトルシーンがカットされていた(嘘)ので、★マイナス0.5
塩茹でのザリガニを期待した浅はかさ(笑)。
主演の女優さんや湿地帯の風景など、なかなか綺麗で目の保養になったこと、そして最後のゾッとするオチも含めて大変印象的な作品でした。
ただ、全体的に「湿地帯に住む生活感」というのが表現出来ておらず、寓話的、悪く言うと絵空事みたいな雰囲気がただよっていた点は唯一のマイナスだったと思います。
生活感の演出という点で、欠けて居たのが日々の食材調達、調理、食事シーンですね。
貧しそうな小さな子供が居たとして、一番気になるのが「毎日どんな食事をとっているか」です。採集活動で生活資金を得ることが出来たとして、購入したとうもろこしの粉(でしたか?)を当時、どうやって調理してたか気になって仕方ありませんでした。
彼女が成長するにつれて湿地帯で採取できる食材だけで日々の暮らしは全く困らない、なんならフルコースでも作れる、って設定にしたらより、鑑賞者との距離が近くなり共感度が上がったと感じました。
題名にあるザリガニも、幼少期に母親からザリガニの群生するポイントを教えてもらっていて、お腹空いたらそこで食材調達しなさいって仕込まれていた可能性をまじめに予想してました。ザリガニは当時から日本でも普通に食べられており、意外に美味しいそうな。
古びてはいるが、カラッとして湿気をまるで感じないアトリエみたいな彼女のお家は、撮影用のセットなんでしょうけど、不便な田舎暮らしの経験のある私には観光宣伝用にしか見えませんでした。
では。
綺麗と美しいは違う
原作未読、あくまで映画内の情報のみの感想です。
原作がベストセラーということで、映像化に重きを置いて所々描写を端折った感がありますがそれはさて置き、映るもの全てがとにかく小綺麗過ぎて終始気になってしまいました。
主人公は文字通り沼地でその日暮らし、毎日貝を拾い集めて主食はとうもろこし粉。そんな劣悪な環境でも髪のキューティクルは保持され日焼け肌荒れとも無縁……というのは彼女の生得的な体質だと言えなくもなく、何より美男美女の恋愛ドラマがあるのでギリギリOKですが、それでもシーンが変わる度にばっちりスタイリングされた衣装を纏う必要は?というか、資本は?
翻って学校に行くシーンだけわざわざボロ衣装で顔も当てつけのように泥だらけにしたりと、なんともインダストリアルな美醜のコントロールに見えてしまう。
※いくらなんでも裸足というのはやり過ぎじゃないですかね。人生難易度インフェルノモードの『少女ムシェット』ですら木靴は履けていたのに。
恋仲になる男も貧乏設定ですが、同じく小綺麗過ぎる。整髪料を撫でつけ、パリッとしたインナー白Tシャツに無骨なワークジャケットを着こなす絵に描いたようなハンサム。私が夏場愛用している、今年3年目に突入したヘインズ赤パックTシャツの首元なんて見るも無惨にヨレヨレですよ。現実、貧しさというのはまず視覚から表れるものなんです(だからみんな金持ちになりたがる)。
また、この映画は最近たまに見かけるようになった無煙映画でもあります。50〜60年代のアメリカの片田舎で、登場人物はおろか道ゆく人すら誰も煙草を吸っていないなんてあり得ないですが、喫煙は絵面が汚いので綺麗な映画には不要なんでしょう(煙草を買うシーンだけは辛うじてありますが、パッケージも写さない徹底振り)。
おそらく、主人公を通して描きたかったのは宣伝文句の「美しい自然」ではなく「野生」でしょう。
裸足は野生の象徴で、10代半ばを境に激しく入れ替わる衣装はオスを引き寄せるための擬態にも見えるし、動植物への異常な興味は生存本能からくる知恵とも言えなくもない。
そのテーマがあるのならば、人工的で作為的な画面はどうしてもノイズになってしまう。
キャラクターも良い人は知的な人格者、悪い奴はふしだらで暴力的、老弁護士は清貧で大衆は排他的。とてもモダンな道徳観で、自然や野生とは縁遠いものです(だからこそ、あの終わり方だとも言えますが)。
成功が約束された期待値の高い作品なので、美しいとされるものしか見せたくない気持ちは分かります。が、貧しく愚かで汚いものにも美しさは宿るし、その部分を表現しないと本作のウリである「衝撃のラスト」に正しく繋がらないのではないかと思いました。
自然の美しさと恐ろしさを圧倒的な映像美で描く
2022年に見た映画の中でTOP5に入る。
「ザリガニの鳴くところ」は、ノースカロライナ州の湿地を舞台にした物語である。主人公の少女カイアは、幼い頃に家族に見捨てられ、一人で湿地で生きていくことを余儀なくされる。彼女は自然と共生する方法を学び、その過程で自然の本質を深く理解していく。この作品は、カイアの人生を通じて、我々が忘れかけている自然本来の姿や、人間と自然の関係、そして孤独や生存、偏見といったテーマについて考える機会を提供してくれる。
この物語を支えているのが、湿地帯の美しさを余すところなく描き出す卓越した映像美だ。デイジー・エドガー=ジョーンズ演じるカイアの繊細な演技と相まって、観客は冒頭から現代社会から切り離された自然の世界に引き込まれていく。
しかし、この美しい自然は同時に危険も内包している。湿地帯は美しくも危険な場所であり、カイアは常に自然の脅威と向き合いながら生きている。これは、我々が忘れてしまった自然の両義性、つまり慈愛と無慈悲さを併せ持つ存在としての自然を思い起こさせる。
この環境の中で、カイアは生存のための知恵と技術を磨いていく。彼女の習得した技能は、自然の一部となることで得られた、本能的かつ洗練された知恵の結晶といえる。
「ザリガニの鳴くところ」は、現代社会で失われつつある自然との共生の在り方も問いかけている。カイアの生き方は、自然に耽溺することで得られる自由と、同時にそれがもたらす孤独や危険にも言及している。
カイアが享受する自由は、湿地帯の豊かな自然の中で、彼女は学校教育という社会の枠組みから解放され、自然を教師として生きる術を学んでいく姿として描かれる。鳥の羽根を集め、貝殻を拾い、自然の中で自由に探究心を育んでいく様子は、現代社会では失われつつある子供時代の原風景を思い起こさせる。
しかし、この自由は同時に深い孤独をもたらす。カイアは、社会から隔絶された環境で、人との触れ合いや愛情を得られない孤独な日々を送る。この孤独は、彼女の内面に深い傷を残し、人間関係を築く上での障壁となっていく。
さらに、自然の中での生活は常に危険と隣り合わせである。例えば、突然の嵐や野生動物との遭遇など、文明社会では経験しない危険が日常的に存在する。また、社会から孤立していることで、人間社会の危険にも無防備になる可能性がある。
オリビア・ニューマン監督の繊細な演出は、これらのテーマを巧みに織り交ぜ、観る者に考察を促す。特に最後のワンシーンの見せ方は、鑑賞者にとって「自然」そのものを考える役割として、この上なく機能しているといえるだろう。
この映画は、我々に自然の本来の姿を再認識させ、人間と自然の関係性を見つめ直す機会を与えてくれる。また、自然の中で生きることの美しさと厳しさ、そして人間社会との関わりの重要性を、観る者に深く考えさせる作品となっている。
まとめると、この作品は単なる自然讃歌ではないということだ。それは、自然的であることの美しさと困難さ、自然の持つ慈愛と残酷さ、そして現代の人間が社会から切り離されることの困難さを描き出す、複雑で壮大な物語なのである。「ザリガニの鳴くところ」は、我々に忘れかけていた自然の本質を思い出させ、自然との新たな関係性を模索するよう促している。
サスペンスかと思ったけど…
善悪の捉え方
ノースカロライナ州の湿地の大自然を舞台に家族から見捨てられて孤独に生きてきた少女の半生を恋愛、ミステリー、法廷ドラマを混じえながら描いたストーリー
ストーリーの主題は、他人からのレッテルや差別
ストーリー展開や内容がとてもよく、自分的には、今年観た映画の中でもトップクラス
主人公カイアは、内向的で純粋そうに見えるが、厳しい家庭、生活環境の中で自然と共に逞しく生きてきただけあり、芯の部分はとても強く、時々殻から出るとすごい行動力を発揮する
一方、殺されたチェイスは、カイアを弄ぶ性悪のDV男と捉えられるが、本当にそうだろうか?
街の有力者の息子と恵まれた家庭環境、街では常に友人に取り囲まれ、孤独とは程遠い、カイアとは正反対の環境
しかし、彼がカイアに話している内容から察するに、やたらと干渉し自分の意見を一切聞いてくれない過干渉な親、周りにいるのは自分が街の権力者の子供と言う肩書きに擦り寄ってくるホントの友人とは呼べない連中、更に勝手に親同士に決められた婚約者
彼は、きっとすごい孤独を感じていたのだと想像できる
そこに現れた孤独中でたくましく生きるカイアに、本当に惹かれたんだと思う
彼の本性は、本当に婚約者がいるにもかかわらず、カイアを弄びDVをするような劣悪な人間なんだろうか?
自分は、それ以前のカイアと過ごしていた時の彼が本の彼なのだと思う
その証拠に彼女から貰った貝殻のネックレスは肌身離さず、最後まで身につけていたことからも、本当にカイアのことを愛していたのだと想像できます
彼女の名前を耳にしたい
よく聴くラジオ番組で、池澤夏樹&春菜父娘が絶賛していて「ブックマーク」していた原作。遅読で積読が減らない私は、結局今回も「映像化」されたものから先に鑑賞となりました。
で感想ですが、意外なまでに「潔くシンプル」で「美しさが光る」作品です。
シーンは湿地帯の風景を鳥を追いかけながら進みつつ、主人公カイアのナレーションで始まります。まずはこの自然の美しさに目を惹かれます。
そして、発見される変死体から一気に進む捕物がプロローグとなり、そこから回想と法廷シーンで展開していきます。これが過剰な演出を一切加えず、そして淡々と語りながら進んでいく物語はまるで既視感すら感じるほど「古典」で、そしてこれぞ「映画」な仕上がりに惹き込まれます。
おそらく高評価は、単なる「面白さ」への賛美ではなく、「深く感じ入って、強く印象に残る作品性」を讃えるものであると理解することが出来、そして一映画ファンとして喜びを感じます。
さらに、なにより素晴らしいのがカイアを演じたデイジー・エドガー=ジョーンズ。生き抜くために身に着けてきた能力と強い意志を、言葉数少なくも繊細な表情で演じ、とても自然で印象的で且つ美しい。出来ることならこれからの賞レースで「彼女の名前を耳にしたい」と期待しています。
そして勿論、デイジーの演技を惹き立てるのは幼少期のカイアを演じるジョジョ・レジーナの魅力ある演技も忘れてはいけません。素晴らしい。
それにしてもドラマ『ザ・モーニングショー(19)』でも「アンフェアな社会で生き抜く女性」を演じるリース・ウィザースプーンのプロデュース、納得の一本です。今後も彼女の作品に期待が膨らみます。
蛍の共喰い
評価高いけど、そこまで期待していなかった。予告詐欺感あるし、あんまし面白そうじゃない。そんな感じで劇場に行ったんだけど、これがもうヤバい。想像の何百倍も面白かった!!!最高のサスペンスを目にしてしまったよ。満足感エグイな...。
序盤からもうとんでもない引き込み。
言葉にして説明するのは難しいけれど、とにかく作品についつい没頭してしまう。まさに、小説を読んでいるかのように。ものの5分で、あ、これ面白い映画だと確信。おどろおどろしい音楽と空気感が一気に世界に引き込む。没入度合いで言えば、「すずめの戸締まり」を越して今年1位。
アガサ・クリスティ作品のような味わい。
ストーリー、品格、演出、緊張感などなど、見応えたっぷりの超絶質の高いサスペンスドラマ。ちょっとしたホラー要素もあり、見ていて本当に飽きない。話の構成もパーフェクトと言っていいでしょう。ありがちな見せ方だけど、一瞬たりとも掴んだ観客の心を離さないし、なんならこっちとしては見とれてしまう。
人間関係と自然界の描きが本作の見どころ。
シンプルながらにすごく深く追求されているし、物語との交わらせ方も綺麗なため、作品自体に厚みが出ている。というか、そもそも人物描写もよく出来てる。全世界で大ヒットした小説原作なだけあって、本当に何から何まで抜かりがなくて、セリフの一つ一つに重み、キャラクター一人一人に抱える想いがあって、ここまで面白く見れた。
とある男性の死体が湿地帯で発見され、その湿地帯に住んでいる主人公が容疑者となってしまう物語。本作では、その事件の裁判が現在の物語として展開していくのだけど、これがまたとても面白い。ラストの伏線開始と驚きで、よりその裁判の秀逸さが感じられる。とても味わい深い作品。主人公の成長過程みたいなのがもう少し丁寧に描かれていたら、より良かったんだけど、これでも最高に面白かった。
予想していない面白さに面食らいました。
タイトルとポスターは微妙ですけど、中身は最高級のサスペンス。わざとこんな風にしているのかなと思えるほどに。考察すればするほど面白く、噛みごたえ、見応えのある素晴らしい作品です。秀作だらけの今月ですが、RRRに次ぐ面白さでした!ぜひ、劇場で。(ちなみに劇場は私一人でした。)
原作を読みたくなる秀作
2021年本屋大賞 翻訳小説部門 第1位🎉
2019年・2020年アメリカでいちばん売れた本📖´-
鑑賞後、原作を読みたくなった秀作。
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これはまさにネタバレ厳禁⚠️⚠️
なので感想を書きづらい🤣
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湿地帯・・・
ジメジメと薄暗く不気味な
雰囲気が漂うイメージ、
ホラー映画の
舞台になりがちそんな印象…。
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映し出される湿地帯や海、
植物、生物、浜辺の景色
湿地帯の暗いジメッとした
そのイメージを一新してくれた。
暗さより美しさのほうが大きい。
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カイアに手を差し伸べる数少ない人たちの
優しさと、彼女が描く湿地帯に救われる。
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カイア(デイジー・ジョーンズ)
テイト(ティラー・ジョン・スミス)
チェイス(ハリス・ディキソン)が
目の保養にもなる😍
湿地の娘がそこで生きて身に染みた死生観
そうはいっても、やっぱり本作はよくあるラブストーリーでした。ただ弁護士の信念には、感銘を受けました。
本作はディーリア・オーウェンズが2018年に上梓した同名の小説を原作としています。
ある日、少年たちが物見櫓に向かい、変死体を見つけます。その遺体は街の有力者の息子であるチェイス(テイラー・ジョン・スミス)でした。現場には足跡もなく、物見櫓には指紋も一つもなく、何も手掛かりもないなか、犯人は“湿地の娘”と呼ばれるキャサリン・クラーク、通称カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)ではないかという噂がどこからともなく広がります。
ジョー・パデュー保安官(ジェイソン・ワーナー・スミス)は湿地帯の中にあるカイアの家を訪れますが、カイヤの姿はありません。家の中を捜索すると赤のニット帽が見つかります。チェイスの衣服から見つかった赤い糸の正体かもしれないと考えた保安官は、ニット帽を持ち帰ります。
そして、鑑定の結果ニット帽とチェイスの衣服から出てきた赤い糸が同じものであると判明します。それを証拠に保安官はカイアを犯人として捕まえます。
街の住人の一人である、引退したミルトン(デヴィッド・ストラザーン)は、カイアが犯人として逮捕されたことを知ると、カイアの弁護士をすると名乗り出ます。
ミルトンはカイアに、弁護をするためにはカイアのことを知らないといけないと説明します。するとカイアは自分の半生について語り始めるのでした。
1950年代。湿地帯の中にあるカイアの家では多くの家族に囲まれていた時期があったとカイアは言います。けれどもカイアの父親クラーク(ギャレット・ディラハント)は日常的に母親のジュリアンヌ(アーナ・オライリー)は年上の兄弟に、暴力を振るっていました。そのためまず母親が逃亡し、続いて兄や妹たちもそしてとうとう一番年の近い兄のジョディも、家を出ていくとカイアに告げます。「何かあったらザリガニの鳴くところまで逃げるんだ」と、ジョディはカイアに告げ出ていってしまったのでした。ついには父親まで当時6歳のカイアを置いて出ていってしまうのです。カイアは湿地帯で一人たくましく生き抜いたのでした。
そんな彼女にとって唯一の友人がテイト・ウォーカー(テイラー・ジョン・スミス)でした。カイアはテイトから文字の読み書きや計算を教わります。一緒に過ごす中で、いつしか2人の間には恋心が芽生えていきました。ところが、テイトは大学に進学するために都会へ行くことになったのです。年に1回は会いに来ると約束したテイトでしたが、彼が湿地帯に姿を見せることはなかったのです。
それから数年の時が流れた1965年。19歳になったカイアは湿地帯の研究を進める傍ら、近くの街に暮らす青年、チェイスと恋に落ちていました。2人は結婚の約束をするが、ほどなくして、カイアはチェイスが別の女の子とも婚約していたことを知ったのです。激怒したカイアはチェイスと別れることに。ちょうどその頃、テイトが大学を卒業して故郷に帰ってきました。テイトはカイアに約束を破ったことを謝罪し、もう一度やり直したいと伝えたましたが、カイアはテイトをすぐに許す気にはなれませんでした。
別れを告げられた後も、チェイスは執拗にカイアに付きまとってきました。そして、ついには暴力的に犯されそうになりましたが、カイアはやっとの思いで難を逃れることができました。それからしばらくして、チェイスの死体が発見されたのです。地元警察の捜査の結果、チェイスが前日まで身に着けていたネックレスがなくなっていることが判明するものの、それ以外に目ぼしい手掛かりは出きませんでした。それにも拘らず、警察は事件当日に町の外にいたカイアを殺人容疑で告発したのです。
弁護士にカイアが語るという展開で始まった本作の主軸にあるのは、カイアの孤独と初恋です。テイトに恋をしていくカイアの姿は、ティーンムービーのようなみずみずしさを持って観客にカイアの心の喜びを伝えてくれます。ただ本作の大量宣伝に騙されて、サスペンス映画として見る分には、ただの恋愛映画だったのかとガッカリされることでしょう。殺人事件の真相は、原作と違ってカイアが晩年息を引き取るまで明かされません。ただ夫がカイアのノートから見つけるあるもので、誰が犯人だったか事件の真相を観客にも悟らせる仕掛です。
そういったサスペンスよりも、カイアのテイトととの出会いと別れ、そして再開という恋愛映画の王道を描いた作品でした。
ただそんなラブストーリーやサスペンスよりも、印象に残ったのは法廷でカイアの弁護に当たったミルトンの信念でしょう。
カイアは幼い頃一度、勇気を振り絞り学校に通おうとしたことがありました。学校に通う子供達と自分の身なりをみて、躊躇するカイアの背中を押したのもミルトンでした。
噂を鵜呑みにし、偏見の目で見る街の人と違い、ミルトンは対等に同じ一人の人間としてカイアに向き合います。裁判の最後に陪審員に向け弁護士は、この裁判で裁かれるのは彼女じゃない私たちだと言い放つのです。
噂や偏見ではなく、事実を見てきちんと判断してほしいというミルトンの声が陪審員に届き、裁判の流れが大きく変わっていくのでした。
本作でカイアは単に孤独だけではなかったのです。街の人達から、いつも奇異な視線に晒されて、オオカミが産んだ子供じゃないかと、まともな人間扱いすら受けられなかったのです。そういう風潮に一石を投じたミルトンの信念に感銘を受けました。
最後に聡明なカイアは、チェイスに襲われたときなぜテイトに助けを求めなかったのかという疑問が残ります。けれどもテイトに助けを求めてしまったら、危害が及んでしまうかもしれないということはわかったはずです。だからテイトに頼ることもしなかったのでないでしょうか。幼い時から一人で生きざるを得なかった彼女の生き方。もし追い込まれたら、「ザリガニの鳴くところ」まで逃げればいいとタカをくくっていたのではないかと思われます。
真実の行方は?
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