ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
全439件中、241~260件目を表示
最後のどんでん返しに絶句!
タイトルの「ザリガニの鳴くところ」は、安心安全な場所だという意味でした。ヒロインにとって、いつまでも愛する場所だったということなのでしょうか。最初は、これでもこれでもかと不幸は続きます。軍隊生活のトラウマを持った父親が、家族を虐待したため、家族のみんなが出て行きます。そして本人の父親まで出て行きます。残ったヒロインは、村八分の状態の中で、湿地帯を愛し生き続けます。その少女の姿を見ているだけで涙が溢れてきます。一人暮らしの彼女は、貝を取り、生物の絵を描きながら生活していくうちに、テイトと恋をしますが、一旦裏切られます。続いて、チェイスと恋をしますが、この男は暴力を振るう男性です。この男性が亡くなったことによって、その犯人としてヒロインに嫌疑がかけられ、法廷闘争が行われるというのが、この作品のミステリーの部分です。ヒロインを守ろうと弁護士が活躍しますが、その有能さは秀逸です。そして、ヒロインがついに勝った時には、思わず小躍りしてしまいました。その後、最初の恋人のテイトと復縁し、やっと幸せの人生を歩み出すのです。それからはまるで夢のような幸せな時間なのです。ヒロインの幸せそうな顔が画面の中で溢れたときには、泣くしかなかったです。やっぱり人生は前半と後半があるのでしょうか。前半が不幸でも後半は幸せになるということは、多分セットで人生はできているのでしょう。だから、前半の不幸に見えることも、全て幸福の一部なのだと私は確信しました。ところがです、最後のどんでん返しには絶句でした。なんとも言えない終わり方に、不思議な感慨を味わいました。追記 背景の湿地帯はとても美しくてずっと癒されてました。
城から頑なに出ない「囚われの姫君」の物語。あるいは、純粋無垢な「沼沢の魔女」の物語。
うーん、お話はふつうに面白かったんだけど。
てか、テレビドラマとして流れているのを観たとしたら、「ふつうに面白い話だった」って書いて終わりだったと思うんだけど、映画館で観る映画としては、あまりにテレビ的な作りだったような……。
原作未読(文庫のミステリは読むけど、単行本はなかなか手が出なくて……)。
予備知識ゼロでの視聴。
冒頭の、若干チンケなオオアオサギのCGから、微妙にうさんくさい感じがするものの、いきなり一瞬だけどアメリカササゴイらしき鳥が映って、バーダーとしてのテンションがあがる。
湿地帯が舞台だというから、てっきりルイジアナのバイユーに棲む、ケイジャンかクレオールの(英語もしゃべれない)少女が出てくる話かと思っていたのだが、どうやらノース・カロライナのディズマル湿地が舞台らしい。じゃあ、住んでるのは一応ふつうの白人なんだな。
『ザリガニの鳴くところ』というのも、本当にザリガニが鳴くような場所があるのかと思っていたが、パンフによると原著者が母親から聞かされた「自然の声に耳を傾ける」みたいな言い回しらしい(ザリガニは特段鳴かないとのこと)。
そもそも、日本人が『ザリガニが鳴くところ』と聞くと、なんだか田んぼのどぶ臭いアメザリがスルメで釣られて泡吹きながらキュイキュイ鳴いてるようなイメージが浮かぶのではないかと思うが、一般的にザリガニというと訳語はCrayfishであり、Crawdadというのは若干ニュアンスが異なるのかもしれない。それに「鳴く」といっても原文は「sing」。もっと詩的な感じである。
原題だと「小型のロブスターが潜む水のほとりで耳を澄ましていると、あたかも彼らが歌う声が聞こえてきそうだ」くらいの、澄んだ語感のタイトルだという可能性は大いにあると思う。
ともあれ、「Marsh(湿地)は、必ずしもSwamp(沼地)ではない」という印象的なナレーションで、物語はスタートする。
で、このMarshが、とにかく綺麗なんだよね。
なんかふつうに自然の王国、水の楽園、鳥の楽園って感じ。
ネガティヴな要素がみじんも感じられない。
いや、綺麗で何が悪いんだ、ヒロインにとっては実際に楽園なんだろって話なんだが、街の人からさんざんMarsh Girlって蔑まれて、「臭い」「汚い」って言われて居住地差別されてる少女が主人公なのに、土地にほとんど「汚い」要素が皆無ってのは、それで果たしていいんだろうか??
ヒロインのカイアにも、ちっとも被差別児童/被差別女性としてのネガティヴさが付与されていない。
「裸足が汚れている」という「記号」だけで、「いろいろあって綺麗に描いてあるけど、まあそう思って観てね」みたいな扱いになっている。
実際には、少女時代から大人になるまで、髪は常に洗い立てのようにさらさらで、お肌はつるつる、汚れていないどころか日焼けもしていない。服も小ぎれいで、ほとんど天使のようだ。
成長してからは(新人さんなのにすごいデジャヴがあると思ったら、ヴァイオリニストのヴィルデ・フラングによく似てるのね)、湿地でひとりで生活してるというのに、腋もつるつる、乳首も浮いていない。
ここまでくれば、これこそがむしろ製作者の意図した「仕様」だと思って差し支えないだろう。
決して、ヒロインにとっての聖地である湿地帯を悪くは描かない。
ヒロインを決して汚したり、物乞いのような風体に描いたりはしない。
架空の物語として、聖化され、浄化された(purified)土地とヒロインしか、画面では見せない。
でも、この差別と被差別の物語を描くのに、そんなきれいごとでやってて、映画って本当に成立するものなのか??
ふだんフランスやイタリアの昔の生々しい映画ばかり観ているから、そう思うだけか?
今のアメリカ映画って、こんな感じなのか? でも、ジャック・ケッチャム原作の『ザ・ウーマン』や『ダーリン』ですら、もうちょっと「野生児」は小汚く描いてたぞ?
しょうじき、僕には製作者がリアリティから目を背けているようにしか思えなかった。
だって、「臭くない」Marsh Girlは、別にいじめられないじゃん。こんなに美人なんだから。
おそらくなら原作でも、動物学者ディーリア・オーエンズの鋭い眼差しによって、自然は美しく描写されているのだろう。カイアも「自然の象徴」として、美しく描かれているのだろう。
でも、それは文字で書かれている以上、あくまで主観的な描写であって、「湿地の住人から見たら美しい自然でも、街の住人からしたら汚く淀んだ沼地」「彼女を好きになった青年からすれば野性と聖性を漂わせる美少女でも、街の住人からしたらただの小汚いアウトサイダー」という両義性はしっかり保たれていたはずだ。
だが、それを映像化するに際して、表面的に美化された形をメインにこうやって一方的に定着させてしまうと、逆に話の重要な一面が見えなくなってしまうのではないか? 少なくともこの映画を観ているかぎり、湿地は忌むべき場所ではちっともないし、ヒロインもまた忌避されるような存在では全然ないからだ。
要するに、「なぜ社会が湿地とカイア(=自然)を敵視し、排除し、開拓して調伏しようとするのか」の部分の根拠が、きれいさっぱり欠落している。
本来は湿地は恐ろしいところだし、臭いし、汚いし、普通の人間なら怖くて生活などできない場所であることを観客に「隠したうえで」、この映画は街の住人を単なる「悪意と偏見の塊」として非難し、断罪しようとするのだ。それってアンフェアじゃないの?
お話自体の語り口も、総じて気になる。
ひとことでいって安易というか、実にテレビ的なのだ。
出だしからして、きわめて説明的な酒場のやり取りが出てきてげんなりする。
劇のト書きならわかるけど、映画なのにこの段取りの良すぎる状況説明ってありなのか?
で、娘を置いて出ていく母親の顔にカメラが寄ると、でかでかと殴られた跡が。
なんてわかりやすい。やっぱりテレビ的だ。
あと、撮り方。ほぼすべてのシーンで、しっかりヒロインにピントが合っていて、流麗ではあるが面白みのかけらもないカメラワークがつづく。見やすさ重視。このへんもテレビ的。
そのくせ、普通に観ていて、僕にはよくわからない部分もやけに多い。
なんで子供(しかも複数)を連れずに、置きざりにして母親は出て行ってしまったのか。
なんで母親が呼び寄せたわけでもないのに、上から順番に子供が出て行ったのか。
父親がいなくなったのに、カイアが母親を探しにいかない理由はなんなのか。
娘が嫌がってるからといって、保護が強制執行されない理由はなんなのか。
雑貨店の奥さんはなんで計算だけしか教えず、文字は教えなかったのか。
カイアは6歳で遺棄児童になって、家にはテレビもなくて、文字も読めないのに、どこであんな豊富な語彙力と知識を身に着けていたのか(青年に文字を教えてもらっただけで、すぐにすらすら書物が読めるようになるって設定自体が、しょうじき漫画的でナンセンス)。
なんか、「誰が観てもわかるように」という部分では徹底的に安直に、説明過多に作ってあるのに、肝心のキモに当たる部分はいろいろ「まあそんな感じ」でやり過ごしてしまっているように思う(たぶん小説で読めば委細書かれているのだろうけど)。
製作陣の揺るがぬ方針として、「カイアと湿地を汚く描かない」というルールがあるのは先述の通りだが、もう一つ注目すべき点として、「カイアの湿地への執着を、徹底して肯定的に描く」というのがある。
ふつう、この手の特定地域の住人であることの弊害を描く物語の場合、主人公には「土地に縛り付けられる理由」がある。「土地からどうしても離れられない因果」がある。
でも、カイアにはそれがない。
カイアのありようは、一見「囚われの姫君」のように見える。
だが、本当は、自分でわざわざ囚われているのであって、石にかじりついてでも、ここから出ないと決めたヒッキーのような姫君である。
カイアが湿地を離れないのは、湿地が好きで、湿地に自分の居場所が確固としてあって、湿地こそが彼女の縄張りだからだ。
だから、母親に置いて行かれても自分は行こうとしない。
父親に出て行かれても自分は出て行かない(もう自由の身なのに!)。
施設に入れられそうになったら、全力で逃げ、全力で抵抗する。
恋人が連れ出そうとしても、梃子でも動かない。
恋人が来てくれるときだけは相手をするが、自分から出向こうとはしない。
恋人が出て行ったら、ひたすら待ち続けて、戻らないと別に探そうとはせずに諦める。
湿地で得られるものだけで時給自足して、湿地を描いて金にしようとする。
それで得た金で、自分の家の周辺の土地を買うときだけは、きわめて能動的だ。
意地でもこの縄張りは手放さない。
意地でもこの縄張りからは出ない。
彼女は湿地から出られないのではない。
彼女が湿地から出ようとしないのだ。
しょうじき、かなりの偏屈だと思う。
何が彼女をここまで依怙地に、湿地帯に執着させるのか。
母親を待っているような台詞が最終盤に出てくるが、それは湿地に執着する体のいい口実だ。
結局、彼女は幼い頃すでに、この湿地の「主」になることを、自ら定めていたのだ。
彼女の魂は、この湿地と結び付けられている(と信じている)から。
彼女は、この湿地でいるときにだけ、特別な存在でいられる(と信じている)から。
彼女は、この湿地から離れると霊力を喪ってしまうから。
それは、土地の霊脈に依拠して生きる、「魔女」のような存在。
あるいは「シャーマン」か。はたまた「精霊」か。
カイア=湿地そのもの、といっていいのかもしれない(実際そういう台詞がある)。
だから、彼女はジグモかトタテグモのように、ずっとここで巣を張って、生き続ける。
入って来る男には意外に簡単になびくが、そこから出ていく人間を敢えて追おうとはしない。
その生き方に合わせてくれる男となら寄り添える。
では、その生き方を脅かす男が出てきたら?
この物語の中核は、おそらくそういう話だ。
先に述べたように、原作者にとってカイアは自然(ガイア)そのものの象徴のような存在である。
文明の民から忌避され、征服すべく攻撃され、その潜在的「悪意」について常に疑われてきた存在。
だから、作中で出てくる「自然に善悪はない。自衛の本能があるだけ」という独白は、まさに作品を象徴する概念であり、きわめて重要な意味を担っているわけだ。
『ザリガニの鳴くところ』は、絵に描いたような女性映画でもある。
原作者は女性。プロデューサーのリース・ウィザースプーンも女性。
監督のオリヴィア・ニューマンも、脚本家も、カメラマンも、主題歌も女性。
男性のメインスタッフは、編集と音楽くらいか。
女性スタッフが結集して、不屈の少女のサバイバルを描き、その結果としての「獲得物」を描く。
そう考えると、やっていることは最近観た『ドント・ウォーリー・ダーリン』や『ファイブ・デビルズ』とも軌を一にしている。要するに、サスペンス/ミステリー仕立てで「女性の復権」を語る映画は、いまや封切り映画のメインストリームを形成しはじめているのだ。
最後に、ミステリー映画としての感想を簡潔に。
この映画の場合、結論としては「本命Aが犯人」か、「大穴Bが犯人」か、単なる事故死かの三択でしか実質ないので、どこに落ち着いても実はたいしてサプライズの要素はない(というか裁判の途中で、ほぼどう終わるつもりかは予測がついた)。
推理の過程に関しても、60年代の屋外で展開される話で、やたら指紋が重要視されているのは若干ピンと来ない。それに干潮・満潮などは、地元の警察が足跡の捜査をするなら真っ先に調べる要素のはずで、いかにも新事実みたいに弁護士が出してくるのは解せない。
なにより、このミステリーの謎解きでいうと、ヒロインにアリバイが成立するかしないかという最重要の話題があるのに、後から突然出してくるのは、製作者都合の叙述としかいいようがない。
総じて、面白くはあったが、もう少し作りようはあったような。
タイトルなし(ネタバレ)
【良かった点】
たった一つの事件を基に、主人公の少女の人生を振り返る作りをとっており、切り替え方によっては観づらいものになるがこの映画は切り替えが見事でとても観やすかった。過去と現在が繋がっていく快感があり、見応えも抜群。ラストシーンの真犯人の場面は、ラストまでこちらも騙された。邦画にありがちな実際に殺人を犯すシーンがなかったのもお洒落。
【良くなかった点】
特になし。
全ての女性への応援歌
昆虫は道徳心を持っていない。自然界に悪意はない。
「ザリガニの鳴くところ」とは?ザリガニって鳴く?何の比喩?
その疑問は、いくつかの考察があるのでそちらに譲るが、個人的には「ザリガニの鳴き声ほどひっそりとした、人知れぬ場所」が、外敵からの逃げ場所ってことだろうなとは感じた。
もちろん外敵とは猛獣の類ではない。人間だ。それも、身近にいる親であったり、友達を装って近づいてきたり。湿地でひとり暮らすカイヤにとっては外の世界などどうでもいいのだが、その外の世界がカイヤを放っておいてはくれないのが因果なもの。殺人事件が映画の発端なので、その事件にカイヤが巻き込まれる展開であるのは当然なのだが、最後の最後に、その結末を用意するとはね。美しい愛の物語で終わると思いきや、カイヤ自身が自然界の一部として生きていたことを、うっかりと忘れていた。それをまるで冷や水を掛けられたように最後にひっくり返された気分。でも、それは決して、裏切られた気分ではなく、一種の潔さのようなものが残った。
容疑者のキャラ設定はズバ抜けていい
沼地の娘の湿地帯
動物学者のディリーア・オーエンズが69歳で出した処女長編フィクション小説が原作。それに惚れて、映画製作契約を申し出たのはリング・オブ・ファイヤーで有名なジョニー・キャッシュの自伝映画、ウォーク・ザ・ラインでオスカーに輝いている女優のリース・ウィーザースプーン。監督はやはり女性監督のオリヴィア・ニューマン。
おまけにエンディングテーマ曲はカントリーの歌姫、テイラー・スイフトとオール女性。
プロミシングヤングウーマンのようなズシンと重い映画でした。
1952年のノースカロライナ州の沿岸部が舞台。アメリカ大陸に初めてヨーロッパ人が上陸し、ネイティブアメリカンと対峙した土地。
原題は Where The Crawdads Sing。
ザリガニは鳴かないんじゃないの?
特定外来種ミシシッピーアカミミガメも出てきた。ワニも気持ちよさそうに半身浴。
映像がすごくキレイ。
ムール貝は海の貝。
沼地の娘?
淡水なのか塩水なのか?
気になって仕方ない。
調べたら、沼地のロケはルイジアナ州の Blue Bayou の舞台だったミシシッピー川下流の入り江。大きな塩水湖があるあたり。
Watchtower の下に町のボンボンのチェイスの死体が発見されて、沼地にひとりで住む若い女が容疑者として逮捕される。
死体に群がるザリガニの映像が見られるかと思ったが、なかった。町の老弁護士が弁護を買って出てくれて、女の過去が次第に明かされる展開。雑貨店の黒人夫婦以外、ヒトから隔絶した生活を送るカイアだったが、入り江にボートを出して、一番仲の良かった兄のジェイブの釣り仲間のテイトに再会する。テイトは学校に行かなかったカイアに読み書きを教え、図鑑を与え、自然生物の精緻な絵を評価し、出版社も紹介してくれた。その才能を開花させてゆくカイア。ワシと白鳥の羽の交換日記のような初々しい清らかなお付き合い。そして湖に飛び込んで泳ぐカイアのワイルドな美しさ。湖で抱き合う美しい男女のシーンはとてもいい。テイトのボタンダウンのシャツの匂いを嗅ぐカイア。いとおしさが溢れる。
生物学者志望のテイトは遠くの大学に進学。絶対帰ってくるといいながら帰って来なかった。約束の場所の夕陽は悲しいほどに美しかった。花火もひとりで見た。とうとう夜があける。裏切られたと思い込んだカイアにちょっかいを出してきたチェイス。マッチョのイギリス人俳優。テイトとは対照的。チェイスに湿地帯を開発されてしまうカイア。チェイスは結局父親と同じDV野郎たった。決定的なのはレイプと本の印税で綺麗にリフォームしたカイアの家をめちゃくちゃに。大事な絵や標本もぐちゃぐちゃ。ストーカー行為に怯えるカイア。カイアの縄張りに土足でズカズカ踏み込んだチェイスにバチが当たった。
出版社との打ち合わせに行った日のアリバイはかなり強力だった。
いつの間にか戻ってきていたテイトの毛糸の帽子の赤い繊維が証拠になってテイトが捕まってしまうのか?
テイトとチェイスの喧嘩の仲裁をして、毛糸の帽子を自分のデニムのオーバーオールに擦り付けていたジャンピン?
警察官になって戻ってきた兄のジェフがカイアを護るためにチェイスを殺害したのか?
陪審員たちが沼地の娘への蔑視や先入観に囚われずに正しい判断をしてくれるのか?
しかし、
細工された本に封印されていたサクラ貝のネックレス。
貝愛の秘密。
ガーン😱
カイアが最後に見た夢。去って行った母親が戻って来た儚い夢。
自然児だったカイアの女一代記。
一途で頑固なカイアへの畏敬。
カイアって名前。川崎さんちの麻世君の奥さんもカミツキガメ並みに獰猛でタフだった。
原作のディリーア・オーエンズ。長く添った同じ動物学者の夫と熟年離婚している。そして、この小説を書いた。
何があったのか劇場。
気になって仕方ない。
殺す代わりに小説を書いた?
ベストセラーになって、印税、映画契約金など全部でいくらになったのか?
元・旦那は悔しくて寝れないね。
2022.12.1 追記
二回目を昨夜観ました。気になった映画は何回も観た方が自分のためになると思います。動機は雑貨屋のジャンピンが怪しいと思ったからです。戻ってきたテイトが桟橋でカイアの痴態を友達に話し笑いものにするチェイスとつかみあいになる場面。ジャンピンが中に入り止めます。テイトの赤いニット帽を拾って自分のオーバーオールでホコリを拭く場面がありました。年取ったテイトがカイアの死んだあとにめくる日記にはサクラ貝(イタヤ貝)を首にかけたチェイスの絵があって、カイアが捕食する相手としたことが明らかにされているので、カイアが深夜の一時間の間にやったんだということになりますが、やはりカイアひとりでは難しい気がしました。テイトの驚愕した表情からはテイトは関与していないことは明らかですが、カイアを実の娘のように思っていたジャンピンと兄のジェイクがカイアのアリバイが成立する時間に合わせて共謀した可能性は充分にあると思いました。ジャンピンは墓場まで持っていったんでしょう。この映画は女性と黒人に寄った作りが明らかですが、ノースカロライナが舞台であることから、ネイティブアメリカンに対する動物学者の作者の思いも感じられました。アメリカザリガニは日本では外来種です。カイアは町の人間からすればよそ者だと弁護士のおじさんも法廷で明言していましたので、人間の都合で連れてこられたり、排除される外来種に対する同情やアメリカ大陸のネイティブアメリカンにとっては侵略者であるヨーロッパ人はまさしく外来種ということになりますから、なかなか深い暗喩がこの映画には込められていると思いました。そこのところが世界中で売れた要因だと思います。アメリカの混迷はまだまだ続きそうですね。
美しい自然とその裏にある生き抜くための知恵
ラストの展開は予想の範囲内でしたが、あそこまで引っ張ると思っていなかったので「このままではいい話で終わってしまう……」と多少焦って見ていました。
しかし、あそこまで引っ張ることで、裁判後の生活自体がテイトへの復讐であり、強きものの庇護に入る自然の掟に従った行動であることがわかります。
まさにカイヤが語る「自然に善悪はなく、生きるか死ぬかだけ」というお話でした。
一部レビューや感想で「恋愛もの」としてのみ評価してる方が多いのは、ネタバレを避けるためなのでしょうか?
感情移入し過ぎて真実がぼやけた
ザリガニの鳴くところで生きるカイアの物語
映像も美しく、とても面白い映画でした。
サスペンス映画として裁判からの回顧シーンで物語は進行していきますが、仮にサスペンスの要素がなくても6歳の時に親に捨てられて、ただひとり湿地で生きてきたカイアの物語としてだけでもじゅうぶんに面白い。
湿地でひとりで生きてきたからといって野性的なだけでなく知性や母親譲りの絵の才能も持ち合わせ、そしてとてもオシャレなカイアはとても魅力的でした。
カイアがひとりで生き抜くうえで、文字を教えてくれた恋人のテイトと、生活のサポートをしてくれた雑貨店のシヤンピン夫妻の存在も大きかったですね。
カイアを演じたデイジー・エドガー=ジョーンズは知らない俳優でしたが、とても良かったです。
ラストシーンは衝撃的ですが、納得はできるものでした。カイアは学校や社会で学んだのではなく自然の摂理から生きる術を学んだのですから。
つまらん
キッスとエッチを連発するだけ。
安ぽいなぁと思ってしまいました。
湿地帯に住める?殺されてもおかしくない場所で昔からの家族の棲家を守っていたのか?命がけだなぁと。テンポが良くないから好みに分かれる映画。見終えた後気持ち悪いってなりました。グロい感じはないのに、レビューで楽しかった。恋愛映画ってあったから、ときめきがあるのかと思っていたら、設定に無理があり過ぎて何故恋に落ちるのか?いまいちわからない。やっぱり遊びかと納得したりして、最後は幸せを掴めて良かった。
彼女は、罪を犯したけど無罪になりました。優秀な弁護人のお陰か?謎?
最後のシーンで怖って思いました。
告白と迷ってこちら選んだけど、どっちもどっちだったかも?
涙が引っ込んだ
2022年劇場鑑賞272本目。
時間が合わず2500円のグランシアターで鑑賞。なんか眠そうな映画なのに、こんなリクライニングシートで観たら絶対寝るわと思ったのですが・・・。
文学作品みたいなのを想像していったらいきなり殺人事件が起きて、あれこれミステリーだったのか?と思いきや事件そのものより容疑者の女性がフォーカスされていきました。
なんやかんやありまして、事件から歳月が流れたところまで描かれるのですが、そこで「ああ、物語はここまで描いたのか」と涙を流したのですが、その後の展開に涙がひっこんでしまいました。
ネタバレになるから書けないのですが、ああいう展開だととんでもない意味になってしまうのでとんでもないオチだなと思いました。
余韻半端ねぇー
美しい情景で描かれる恋愛モノでした
湿原は観察すればどこまでも美しい自然なんだ
湿原とか沼は今までのイメージでは陰湿で暗くて怖い所だった。いや、そうではないんだ。
光、水、動物、植物。みんないきいきしていた。
ラストはやはりそうだったのか!
弁護士さんグッドジョブ。
沼系女子、爆誕💣
自分の世界だけで生きていきたい、
内向的な女性のメンタルが生々しく描写されています。
重くて難しいテーマを、よくぞここまで❗️👏
普段から弱くて大人しいフリをしている女性程、
裏で相手をコテンパンに叩きのめす事を考えているものです。
あまりの生々しさにノンフィクションなのでは❓と疑ってしまいます。
ラストシーンは視聴者に嫌な予感を与えつつ圧巻のクロージング。
事件の真相についても、彼女が本当に愛する人も。
この衝撃をぜひ劇場で❗️とオススメしたいですが、
一つだけ注意点が。
映画のシーンとして想定されるデートには全く向かないです。清々しいほどに😂
それが都心週末でも空席が目立つ背景の一つでしょうか。
オススメは1人または重め作品が好きな友達とじっくり観るか。
はたまた、自分のペースで読める原作を読んでみるか。
楽しみ方を選べる点でも魅力的。
沼系女子、そんな新しいカテゴリが出来そうなインパクトのある作品でした。
心震えるラブストーリーの秀作
原作未読の予備知識なしで観たため、サスペンスだと思っていたら、いわゆるラブストーリーで意外でした
ストーリーは特に目新しさや驚きもなく淡々と進みますが、作品自体はアメリカのノースカロライナをバックにした重厚で美しい映像と緊張感漂う上手い演出で、結果とても高い品格を備えた見応えのある秀作として完成されています
幼少期に親兄弟に見捨てられ、沼地で孤独に生きてきた少女カイヤが成長し抱くピュアな恋心が見ていて切なく、それを弄ばれた事が判った時の絶望感がたまらなく悲しかった
そして自然界では善悪が無く、雌カマキリは身を守るために雄を殺す、と劇中 口にする様にカイヤは雌カマキリと化して自分を弄び暴力的になったチェイスを葬ったのでしょう、私の中でもアリな選択です
その主役のカイヤを演じるデイジー・エドガー=ジョーンズさんが役にピッタリハマっていてエネルギッシュな確かな演技で魅せます、それに加えとても綺麗で素敵な女優さんでした、今後の活躍に期待です
最後はカイヤは人生を全うし、"ザリガニの鳴くところ"でママと再会し逝く
とても見応えのある秀作でした
全439件中、241~260件目を表示