ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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法廷ミステリーの描き方が変わった
法廷ミステリーと言えば、従来は裁判の中でドンドン新しい証拠、あるいは違った切り口の考え方が出てきて、裁判の形勢が変わって行くというパターンが多かった。
古くは『12人の怒れる男』、最近では『コリーニ事件』など。
この作品では裁判シーンが少なく、また新事実の披瀝さえもない。
にもかかわらず時間がかかったとはいえ形勢が逆転した。
本作品では2つの事が暗示されている。
1つは陪審員制度(日本では裁判員制度)の危うさ、ひいては司法制度そのものの危うさ。
陪審員(裁判員)は目の前の事実に着目しながらも、噂・世論・差別・先入観・忖度など、最近は同調圧力と表現されている物で冤罪を引き起こす可能性を孕んでいる。
マスコミによる誤った誘導や最近ではSNSの広がりによってなおさらその傾向は強まっている。
またその逆に本来有罪であるべき者を同様の要素で無罪放免としてしまう可能性もある。
「O・J・シンプソン事件」などはその典型的な例であろう。
2つ目は主人公の女性のように小児期に家族に遺棄されても、一人で生き延び、なおかつ学者・研究者を超越する知識を有するまでになる。
そんなことが現実にあるのだろうかと思うが、決して無いとは言い切れない。
既成概念を取っ払って行かないとこれからの社会には対応できないのではないかと思わされた。
それにしても被害者は事故死なのか殺害されたのか?
どちらにしても如何にして死に至ったのか?
手がかりは本編の中にあるのだろうから、もう一度見てみたいと思う作品である。
彼女は自然に生き本能に従った
小説を図書館で借り半分から3分の2ほどを読んだところで返却期限が来てしまい、主人公の逮捕や裁判の判決、物語の結末を知らない状態での映画鑑賞でした。
鑑賞後の余韻、清濁の混じり合った感情の落としどころが分からない感じ、ハッピーエンドでスッキリ終わらない結末が心にトゲのようにいつまでも残り、もう一度映画を観るか小説を読み直すかしようと思っています。
主人公の彼女の行動原理は湿地で自然を親として育った娘として自然界の原理原則に従っていて、それは街の人たち、それは支援してくれた雑貨屋の夫婦や読み書きを教え最も長く彼女と一緒の時間をすごした彼ですら、真の姿を見ることが出来ていなかったのではないかと思った。ただ、そのことが彼女や周りの人たちを不幸にするものではなく、むしろ幻を信じた人たち、判決をくだした陪審員たちや彼女をさげすんだ街の人々や息子が死んだことで彼女を法廷でののしった遺族ですら、良心や道徳心を思い出し、差別意識に気が付いたことでその後の人生をプラスにしたとさえ思える。
終始、街の人々は湿地で育った彼女を見誤り続けた。彼女は自分からは生い立ち以外何も言わないし弁明もしない。なぜなら理解されないと思っていたし、結末を見れば誰1人として彼女を理解していなかったのだから、彼女のことを分かっていたし理解できたのは、ただ彼女自身だった。彼女は自然に生き、生存を渇望し、そして賢く生き抜いただけの事だったと感じた。
※以下ネタバレ含※
感想書き終わって他の人のレビューも見て回って来たのですが、この映画の予告で大どんでん返しがあると宣伝していたようで、そのことで期待を裏切られたとおっしゃっているレビューが高評価を得ており、やるせない気持ちになった。
その方に非はなく、そう宣伝した広報の担当者が悪い。
これってそういう話しじゃ無いですよね。
パラサイトみたいなのを期待して観にきた人は肩透かし食らって帰ったことでしょう。
裁判では無罪になったけど、本当はやったんじゃないかなって思いは自分もあったし、最後に「やっぱり彼女がやってました!っビックリしたでしょ?」をメインテーマにしていたなら、んー、、薄々そうかもなって思ってたよってなるもんね。
ただ、この映画のテーマとするところはそこじゃ無いはずなんですよね。人間社会の規範の外で生きる自然界をサバイバルして来た娘の生き様とでも言うんですか?そういうもっと深い(語彙力なくなった)テーマがあるのを感じて欲しいんだけどな。勿体無いな。
例えば、裁判終わって未来の旦那とハグする前にお腹さすったり、カマキリの描写とか、この辺見逃すと全く違う話しにみえちゃうよね。
編集者との食事でのホタルの話なんて分かりやすい伏線だったし、色々やってくれた弁護士に感謝なのか何なのかよく分からない去り際の振り返りと目線。あれも違和感があったわけで、はじめからあの弁護士おじいちゃんの優しさにつけ込んで利用するつもりだってあったんだよねー?覚えてたもんね昔会った優しい人だって。いやあの後学校で嫌な思いしたから仕返ししてやるって元から思ってた可能性すらあるわけで、って思ったら怖くないですか?
物的証拠とされた赤い繊維も、元々は未来の旦那のニット帽でしょ?ずさんな捜査のせいで、そのニット帽の元々の持ち主まで辿り着かなかったものの、現場に残ってたものがその繊維だけって、つまり彼女の狙いは、、、ってことでしょ?深読みし過ぎ??
そう思って観た人って少数なの?
せっかく想像する余地がいっぱい残された作品なのに、目に見えたストーリーにしか関心が向かないのって本当に勿体ないな。とか偉そうにごめんなさい。
とにかく、自分は本気で楽しめたしあと何回か観ます。見落としとかまだまだあるもんね絶対!
ネイチャーライティングとエンターテイメント
湿地帯の住人としての生き方
光と闇、水と緑溢れる湿地帯を舞台に
名作
ツッコミどころがたくさん🦞
主題がわかりにくいと思いながら最後まで観ました。
ツッコミどころが満載でした。結局、カイアが犯人で、捕食者を殺していたのですね。
でも、いったいどうやって?変装して深夜のバスに乗り、短時間で大の男を突き落とし、何食わぬ顔で編集者と朝食を摂り…。稀代の悪女でした😅
殺された彼の親御さんは、モヤモヤするだろうなあ。どんな悪人でも、かわいい息子には違いない。裁判の仕方も、ものすごく雑です。あのネックレスも、取る必要ないし、あんなわかりやすいところに隠して、テイトも気づかないだなんて。
結局、湿地が大好きで、町の人から疎んじられているけれど、自分からも避けていたし、うーん、何がいいたいのかがもう一つよくわからず、モヤモヤしました。湿地の泥や砂は、都合の悪いものを全て隠してくれるということでしょうか?
エンドロールの歌詞がすごい。
原作では、ツッコミどころがちゃんと説明してあるのでしょうか?半分まで読んでいるので、後半を楽しみにします。
美しい景色と濁った世間
(原題) Where the Crawdads Sing
なかなか興味深い内容の作品でした
スケールでかい。彼女の人生が一本の作品に
美しい自然には残酷さも秘めている
湿地でひとり暮らし続けている少女の話。
美しい自然を描かれた映像を観るだけでも価値がある。
その美しさとは対照的に少女の残酷な半生を描くことが印象的だった。
殺人事件の容疑者とされ、法廷での出来事からこれまでの少女の半生を描いていく様子は、とてもテンポ良く観ることができた。
自然を教科書にして育った彼女だからこその行動には納得だった。
これは怖さではなく、はじめての感情。 「Carolina」の歌詞が、込み上げる気持ちに纏わる布のように絡んできて、震えた。どうしようもなく。
湿気を帯び躍るようなエネルギーを放つ植物たち。
樹木は壮大な時間をかけ空へ向かい、揺れる葉の隙間からやさしい光を届ける。
水面を揺らす風と鳥たちのざわめき、原生種の花々の香りが漂うなかで虫たちは賑わいを増す。
神々が鎮座する領域で安らかに繋がりゆく命。あるいはひっそりとそして時に残酷に朽ちる刹那。
深く重い摂理は、人間社会の後づけの概念やルールなど太刀打ちしようもない。
1950年代〜ノースカロライナ
巨人が両腕を広げたようなその湿地帯で、カイアは幼少期から家族と別れひとりで生きる。
たくましく純粋でのびのびとした娘に成長しやがて町に住む青年と恋をする。
1人目はカイアの兄の同級生で幼ななじみテイト。2人目は町の有力者の息子チェイス。
そんなある日、湿地で発見された遺体。事故か事件か。
町ではあれよあれよと噂が立ち犯人にされる〝湿地の娘〟カイア。
ついに拘束され陪審員裁判にかけられている法廷での様子と過去の流れを混ぜ込み展開していく。
なぜカイアはひとりになったか。
なぜ殺人容疑者としてそこにいるのか。
事件の謎、真実は…
サスペンス、ミステリーにとどまることはなく多様性をもって最後まで誘い続ける。
そう、語り手は犯人探しだけをさせたいのではなかった。
時代背景からも読み取れる、戦地から戻った軍人のストレス、貧富の差、人種的差別、権力がもたらす歪みなどに、人間の偏見、エゴ、集団意識がつくる無神経な排除の構造など、現代に至っても普遍的にある陰に密かにスポットをあてる。また、あたたかい記憶に与えられる力、数少なくも手を差し伸べようとする存在の尊さにも。
絶望と孤独の先に何があろうとたちむかったカイアの一生を通じて訴えかけてくるのだ。
そして何より、目を見張り息をのむような繊細で豊潤な自然界の描写が不可欠だったことを納得させるのは、生き物として知り尽くした自然界がカイアに授けたものを知ったあとだ。
叙情的な味わいーではいいつくせなく胸に刺さるのはなぜだろう。
確かめたくて翌日にもう一度観た。
そして、これこそは、いつもみたいに書きすぎないレビューを!と思ってだいぶ我慢中😅
〝湿地は光の世界…
〝…点在する本当の沼〟
そうだね、カイア。忘れないよ。
カイアのそばで見守ってくれた人々に私は敬意を込めたい。
その世界観に浸かり本能に触れるなにかを感じにぜひ観にいかれることをおすすめしたい。
稀有な映画だ。
(訂正済み)
独りで在ることを選択した少女
幾度か出てきた「淡い悲しみ」と言う言葉がとても印象的でした。幼い者を理不尽に縛りつける悲しみ、人が生きていく上で背負わなければならない悲哀。でも、カイアは悲しくとも、屈しなかった。
◉カイアの選択
カイアの父は自らを護るため、孤立して暮らす。ある意味、とても潔い。だが、家族は父に着いていけず湿地を去る。世間に出れば辛い思いもするだろうが、やはり孤独よりは他者との交わりを選んだ。
しかしカイアは、父さえ去った湿地で生きることを決めた。戦争から生還した父の人生は、ほぼ無色に近いようなものになってしまったと思えるのですが、カイアは孤立の中で、自然に溶け合う暮らしを続けて、自らの世界を構築していった。
◉湿地で輝く
カイアは生存のためジャンピンやメイベルとの間に人同士の触れ合いを経験し、やがて積極的な男と女の関わりにも踏み込んでいく。
デイジー・エドガー=ジョーンズ演じるヒロインの、消え入りそうなぐらい繊細なのに、簡単にはへこたれない、したたかな表情。そして少年のような雰囲気を強く漂わせるのに、思いがけず肉感的な肢体。名前の付けようのない不思議な宝石であり、湿地でのみ輝き続ける存在として描かれている彼女の姿に、観る者は惹かれていった訳です。
チェイス殺しの嫌疑をかけられても、カイアは身の潔白が晴れるかどうかより、とにかく湿地を離れずに済むことだけを切望する。
自分の意思に命をストンと預けられる。本当に強いなぁ!
それでいて恋心に身を委ねる時の、素直な欲望。頑なであるのに、デートにすぐに応じたり、男を家に招いたり、かなり奔放!
◉独りで在ること
人にとって、生涯で多少なりとも触れ合って、更に喜怒哀楽を共有できる相手は、ほんの一握り。それでも自分を大切にして生きていれば、誰かと出会えるし、おまけに残酷な運命にも出逢ってしまう。
やがてカイアの元に戻って来る恋人も、一度は彼女から離れていった。身勝手な恋人にも散々、振り回される。それでもジャンピン夫妻はカイアの生き様に優しく寄り添ってくれたし、弁護士トム・ミルトンもカイアへの偏見に怯むことなく、彼女に振りかかった疑惑を必死で解いてくれた。老いてはいたけれど、実に男前でした。
カイアの生き方が表していたものは、「独りっきりで居ること」ではなくて、「在り方として独りで生きること」だったと、私は思いました。湿地を隔てた所でカイアを思う隣人は一握りではあっても居て、そこに人同士の繋がりはあったのですからね。
カイアは自然科学の知識体系を独力で身につけた。少し超人過ぎやしないかとビックリしましたが、鳥・昆虫・魚・貝や植物の細密画に没頭する。それは「独りで在ること」を確かめて、かつ満たされるための作業も兼ねていたのだと思いました。
◉湿地は消えない
この物語の一方の骨格であった、カイアへの疑惑の謎解き。物見台周辺に足跡が無かったこと、板が1枚外れていたこと、本の打ち合わせ前後のアリバイ、そして赤い毛糸。それらの疑惑がほぐれていった道筋は、ストーリーに描かれた部分に限定すれば、論理と言うより老弁護士の熱量の結果と感じました。
ただ人の足跡は湿地の満潮で消えた……と言うのはちょっとワクワクしました。そして湿地の中の沼に溶け込むように、カイアは息を引き取った。
湿地は人々の存在を静かに呑み込んで、ずっと在り続ける。
ザリガニって鳴くの?
今日は12月1日。映画の日ということで、いつもなら映画館ではまず観ないだろうと思うジャンルの映画を観てきました。
「ザリガニの鳴くところ」このタイトルからして観に行かない。小説ならありかもしれないけど、映画のタイトルとしてはどうかと。レンタルでも借りないかも。
でも、観て良かった。良作です。
ジャンルとしては、法廷ミステリー、ラブストーリー、そして女性の半生を描いたヒューマンドラマ的な要素もあるのかな。
湿地帯の自然の中で生きた女性の半生を描いていて、そこに変死体事件や恋愛が絡むのですが、原作が良いのか脚本が良いのか、はたまた演者が良いのか、ストーリーに引き込まれました。
でもザリガニは最後まで出てこなかったよね?
痴話もの
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