【イントロダクション】
「台湾史上最も怖い」と称される台湾初のホラー映画。かつて禁忌を犯して呪いを受けたシングルマザーが、娘を呪いから救う為に奔走する姿を描いたファウンドフッテージ作品。
監督・製作・脚本はケビン・コー。その他脚本にチャン・ジャウェイ。
【ストーリー】
かつてとある神を祀っている集落に、仲間と共に動画配信の撮影に訪れたリー・ルオナン(ツァイ・ガンユエン)は、そこで禁忌を犯して呪いを受けた。呪いは彼女の両親にも及び、交通事故で命を落としてしまう。呪いを信じてもらえず、精神疾患者として治療を受け、生まれてきた娘は里親に出す事になる。
6年後、精神疾患から回復したルオナンは、シングルマザーとして施設に預けていた娘のドゥオドゥオ(ホアン・シンティン)を引き取る準備を進めており、娘との新生活の様子をビデオカメラに収めていた。施設に居る娘を引き取りに訪れたルオナンは、里親のチーミン(ガァオ・インシュアン)と出会い、彼へのインタビューも記録する。
娘との新生活は希望に満ちたものになるはずだった。しかし、ドゥオドゥオを自宅に迎え入れた初日、彼女に本名である“チェン・ラートン”という名前を教えた瞬間から怪奇現象が発生。ドゥオドゥオもまた「悪者がいる」として、見えない何かに怯えるようになる。
6年前。「超常現象調査隊」という動画配信者グループとして活動していたルオナンは、恋人のアードン、カメラマンのアーユエンと共に、アードン達の親族が営む山奥の宗教集落を訪れていた。迎え入れた親族は「親族しか立ち入れない」と、ルオナンを追い返そうとするが、ルオナンがアードンとの子を宿していた事が発覚し、集落への滞在を許された。
その集落には、“決して入ってはならない地下洞窟”があり、ルオナン達はそれをカメラに収めようと訪れていたのだ。夜中になり、ルオナン達は集落の奇妙な祈祷風景や全身にお経を書かれた少女を映像に収める。やがて、彼らは地下洞窟の入り口へと足を踏み入れ、赤子の鳴き声を聞いたアーユエンとアードンは、それを確かめる為に洞窟の中に入って行き、アードンは命を落とし、アーユエンは発狂して飛び出してくる。中で一体何があったのかは、アーユエンの手持ちカメラに全て収められていたのだが…。
【感想】
「台湾史上最も怖い」と称されているホラー映画だけあって、それに相応しい恐怖演出が随所に施されている。特筆すべきは、ホラー設定や演出に『リング』(1998)や『呪怨』(2002)といったJホラーのような要素が多く見受けられる点だ。これはJホラーファンだという監督も意識して取り入れた様子らしく、アジア圏の作品としては、ハリウッド的なスプラッター演出よりJホラー的な演出の方が親和性が高いのだそう。個人的には、暗闇から大黒仏母がドゥオドゥオに手を伸ばす瞬間の映像を「replay」して見せるという演出に、『ほんとにあった呪いのビデオ』を彷彿とさせられ、作中1番の演出の“嘘”ながら面白く感じた。
作品は主にルオナンの手持ちカメラの映像で構成されているが、彼女が知り得ない、立ち入れない場所や時間帯は、病院や街中の監視カメラの映像を用いたりと、物語を成立させる為の演出に工夫が感じられる。また、呪いの発端となった6年前の事件は、ルオナンが仲間と共に配信者活動の一環として宗教集落を訪れていた事にする事で、無理なく事件の経緯を記録映像に収めている。
とはいえ、終盤のドゥオドゥオがどんな窮地に陥ってもルオナンが必死にカメラを向け続ける姿はツッコミ所満載なので、その辺りの”リアリティ“を最後まで担保する意味でも、もう少し演出に工夫がほしかった感は否めない。
呪いの元凶である“大黒仏母”は、「血を好む」「生首を持っている」といった風貌がインド神話の“カーリー神”を思わせる。ラストで顔を覆っていた布を剥いだ瞬間、どこまでも続く空洞の中に夥しい数の歯が抜けた跡のような穴が空いており、強烈なインパクトを残す。
余談だが、主演のツァイ・ガンユエンがお笑い芸人の紺野ぶるまさんに見えてしまって仕方なく、またチーミン役のガァオ・インシュアンはロバートの馬場さんとアンタッチャブルの柴田さんを足して2で割ったような雰囲気だった。
【呪いの分散】
“ホーホーッシオンイー シーセンウーマ”
雲南の高名な和尚が語るには、これは祈りの言葉ではなく、〈禍福倚伏死生有命(かふくいふくしせいゆうめい)〉という言葉が訛った発音であり、その意味は「自らの名前を捧げて、共に呪いを受ける」という意味になると言う。
この言葉を多くの人が唱えるほど、呪いの力は弱まるとされ、ルオナンは娘を呪いから解放するために、我々観客にこの呪文を共に唱えるように最初から促していたのだ。
この「娘の呪いを解く為に」という動機が、『リング』からの影響を特に強く感じさせた。
【総評】
Jホラー的な恐怖演出の数々、考察し甲斐のある呪いの設定は、ここ日本でも「何処かの田舎の山奥にありそう」という説得力を感じさせ、異国の文化ではない不思議な親近感を覚えさせられた。やり過ぎな印象のあるラストも、悪趣味の全開さに作り手の熱意を感じられて良かった。