エゴイストのレビュー・感想・評価
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愛とエゴは表裏一体
エゴイスト、そのタイトルがついた意味を鑑賞後考え続けている。
恋人が死んだ後もそのお母さんの世話を焼くなど、なかなかできることではないのだ。
享受する側が、息子も私も愛してくれてありがとうと、思うのであればそれは愛だと思うのだが、与えている側が愛だと思っていない。愛が分からないのだ。
あくまでも自分のエゴとしての行動であると自覚しているから、与えても与えてもごめんなさいと謝るのだ。
なるほどなあ。やられたな。
愛もエゴも表裏一体なんだ。
好きな人の誕生日にプレゼントをあげることを想像してみてほしい。
多分、予算を告げてなんでも好きな物買っていいよとお店に連れて行って買ってあげれば間違いなくその相手は喜んではくれるだろう。
でも相手には何も聞かず、自分がその人に似合うだろう、その人が思いついてもいないけど絶対使えば便利だろうといったものをプレゼントしたくなるし、サプライズであげたくなる、それがエゴなんだと思う。
どちらも同じ金額だとしたら、一体どちらが自分にとって満足なんだろう。
実は人に自分のプレゼントしたいものを与えることもエゴイストな行為なんだないと思い至る。
車に乗ってドライブに行かせてあげたかった。
そんなシーンはこの映画のどこにもないのに、宮沢氷魚のみずみずしさ、鈴木亮平の七変化な演技力生々しいラブシーンを前半でみていることで、あたかも二人があの軽自動車で海へドライブしたシーンが目に浮かぶのだ。
見てもいないのにね。
そんな不思議な突き刺さる作品であったのは間違いない。
いち当事者として
最近界隈で話題だったし、ドリアン・ロロブリジーダさんが出演することもあって鑑賞。
劇場は9割方女性客ばかりで、逆に浮いてるくらいの状況だった。
ゲイの立場から言えば、本当にリアルというか、日常というか。
子どもも持てない、結婚もできない、
身体の関係とお金の関係が中心だからこそ、
心のどこかで諦めてるし、心のどこかで縋ろうともしてる。
実家との繋がりもどこかギクシャクしたままで、縁談の話になると、仕事が忙しいだの言ってはぐらかすところなんて、自分を見ているかのようだった。
気持ちを繋ぎ止める方法が、お金とかお土産っていう即物的なものになりがちだったり、
体の関係が恋愛に先立ちやすかったり、
「愛がわからないんです。」って台詞は、多くの当事者にとって共感できるものなんだと思う。
エゴイストってタイトルがこんなにも腑に落ちるのはやっぱりいい映画だったからだろう。
見終わった直後は、「愛とは」という命題の答えが与えられたような気がして暖かい気持ちにもなったけれど、色々考えていくとまた違った感情にもなる。
一人称の視点だし、主人公の浩輔のエゴが最終的に「受け取る側が愛だと思えばそれは愛である」という答えに辿り着く物語であることは疑いない。
一方で、恋人の龍太もやっぱりエゴイストで、受け取れないとは言うものの、やっぱり浩輔の資金援助を当てにしていたわけだし、一見過労と思わせる死因だって、本当のところはわからない。もしかしたら病気を隠していたかもしれないし、そういう意味では自分の死期にも気づいていたんじゃないだろうか。母親に浩輔を紹介したのだって、パートナーという事を隠していたわけで、そうなると「何のための紹介なの?」と思えて、自分の死後、母親を助けて欲しいっていう願望が透けているようにも感じる。目論見通り浩輔は母親に資金援助するわけだし。
そして、龍太の母妙子。この人もまごうことなきエゴイストだと思う。本人に全く悪気はないけれども、自分の息子と恋人という2人の青年の人生を搾取し続けた。浩輔にとっては救いであり、自分の行動を肯定してくれる愛に溢れた人物なのは間違いない。でもその一方で嫌な言い方をすれば、他者の善意を当てにして自らの生活を成り立たせてしまう人。病弱で、という設定はあるものの、公的支援するなり、大人としてすべきことを放棄してしまった人に感じる。でもそれは龍太も浩輔も自ら進んで行なっているわけで、それを受け入れるのだって当事者が納得してるんなら周りがとやかく言うことじゃない。それこそゲイバーでの友人の反応のとおり。
登場人物全員がエゴイストで、決して誰かが悪いわけじゃない。各々のエゴが生々しく描かれていくのね。と。
モデルになった人々はもしかしたらもっと純粋なのかもしれない。でも確かに「自伝的小説」ではあるけれど、「自伝」ではないからこそ実在の人物とは切り離して考えるべきなんでしょうね。
それに、作中に現れるチャイコフスキーの悲愴。チャイコフスキー自身も同性愛者という噂もあったこともあり、観終わった今考えるとこの交響曲と構造が一緒なのかも、とも思い始めた。
ともかく、こうやって見終わった後も色々と考えたり気づいたりすることが多く、それだけ「良い映画」だった。
鈴木亮平はさすがだった
ゲイの浩輔は東京でファッション誌の編集者として働き、1人で自由気ままな生活を送っていた。そんなある日、浩輔は母を支えながら暮らしているトレーナーの龍太と出会った。浩輔と龍太はひかれ合い、セックスするような関係となり、時には龍太の母も交えて食事したりして、満ち足りた時間を過ごしていた。龍太の母に、自分の亡き母への思いを重ねてた浩輔は、中古の軽を購入し、龍太と2人でドライブの約束をしていた日、龍太は現れず・・・という話。
BLやゲイは苦手なんだけど、浩輔役の鈴木亮平が素晴らしく、そんなに違和感なく観れた。
セックスシーンは「窮鼠はチーズの夢を見る」ほど過激じゃなくて良かった。
ゲイとか関係なく、母親思いの2人の息子の話として観ればウルウルすると思う。
題名のエゴイスト、って誰のことなんだろうと考えてたが、イマイチよくわからなかった。浩輔なのかな?
いい意味で、「思ってたんとちゃう」
「同性愛者」を描いたってもんじゃない。ただ単純に「愛」って一体なんなのかもう一度考えてみてと問われた映画だった。
「愛」と聞けば恋や結婚を思い浮かべるが、この映画では親子の間にある「愛」というものを常に軸にして進行する。
自分はこういう映画こそ差別や偏見のない世界を目指すにあたってスタンダードになるべき映画だと思う。
差別を受けた側の人間に焦点を当てて世間からの認知を少しでも得ようとする動きは決してダメではない。むしろ発展において大事なことである。
しかし、ここ最近あまりにも過剰な配慮をしている作品(主にハリウッド)が見かけられる。例を出すと、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の中で女性同士のキスシーンが導入されていた。このシーンについてアメリカでは様々な議論が巻き起こった。
私が「度を越している」と思った理由は、このキスシーンを男女のキスと同等の扱いをせず、むしろ強調していた点だ。もうこの時点で無意識に差別しているのと変わらないのだ。
この『エゴイスト』においては、同性愛はただの恋愛であり、その恋愛を通して鈴木亮平さん演じる浩輔がどういう人間として生きていくかを見届ける作品だと思いました。
最後に一言。鈴木亮平さんはいま日本で最高の俳優だと確信できた。
セックスシーンはいらない
エゴイストの意味
私は漫画や小説ならBLとか同性愛表現は読むのですが、実写のものはあんまり免疫がありません。正直私が観ていいものなのかな…?と思いつつ、鈴木亮平さんの演技がすごい!と聞いて観てみました。
最初のあたりからガッツリ絡みシーンがあるのでビックリしましたが、鈴木亮平さんも宮沢氷魚さんも、完全に恋人同士としてその場に存在していて、とても自然。恋人関係になった2人が幸せそうで、特に浩輔さんの、好きでたまらないのがあふれてる感じが素敵で2人のシーンをずっと観ていたくなるくらい。
タイトルは「エゴイスト」。
浩輔さんの、恋人を自分だけのものにしたくてお金を払ってでも手元に置いたこと。お母さんに自分の母親を重ねて、断られてもお金を渡すこと。それはある意味で利己主義と言われればそうなのかもしれない。
でもお母さんが言ったように、受け取る側が「愛だ」と感じたなら、それは愛なんだと思います。
その言葉が、浩輔さんに届いてよかったと思いました。
幕切れも秀逸。エンドロールで涙が止まらず、喪失感がすごい。けど2人が出会えてよかったんじゃないかと、ある意味幸せを感じます。
鈴木亮平さんがどこかのインタビューで語っていましたが、最初と最後に出てくる「エゴイスト」の印象がまったく変わります。
こういう作品に出会えるから、映画館に行くのはやっぱりやめられない。
日本映画がまた好きになりました。
【SEX描写に注目がいきがちだが…】
あの愛の続け方は自分にはできない
恋人そして息子を亡くした二人は互いに支え合っていなければこの先は無かったから?そしていつかはどちらからか手を離す時が来るような⁉︎これをエゴイストと表現したのかなぁ
しかし突然死から回想シーンも無くエンドロールへ何でしょう帰り道でのこの喪失感。
誰もエゴイストではなかったような?
最初の一歩
見所は主役2人のセックスシーン
序盤に主役2人のセックスシーンがある。
そのシーンを観て感じた事は、居心地の悪さと微かな違和感。
それは濃厚な性描写を見たから、という理由じゃなくセックス中の2人の「熱」が映像から伝わってこなかったから。
行為自体はかなりしっかりと描写されているのに、そこに相手を心から求める欲情は映されず、美しいんだけどマニュアルを一通りこなしましたって印象だった。特に龍太の方は。
その違和感は作中で浩輔自身も「なんか丁寧すぎるんだよね」と口にしていた気がする。
映画を観ている自分も龍太がどうゆう人間なのか掴めず、途中で浩輔の金を持ち逃げして消えるって展開になるんじゃないかと思ってた。
でも、終盤に突然龍太の死が告げられ、その後龍太がどれほど浩輔を愛していたかが分かる。龍太にとって浩輔がどれだけ大切な存在だったかが。
そこで、序盤のセックスシーンの意味合いが色付けされる。
ウリを生業にしている龍太にとってセックスは「義務」の意味合いが強かったんじゃないか。相手を喜ばせなければならない、満足させなければならない。でも義務感から行うセックスほど虚しい物はない。
龍太は浩輔の事を愛してた。本当に大切に思ってる人とのセックスですら、相手を知る驚きや、繋がれる喜びよりも、こうすれば満足するはずという「仕事」のようなモノになってしまう。
2人のセックスシーンから感じた違和感は、そうゆう龍太の哀しみも監督がそのシーンに折り込み、役者2人がそれを表現したからじゃないかと思う。
いわゆるBLモノの消費されるための性描写ではなく、人物の背景をセリフ以外で伝える映画的なセックスシーンが最近の邦画でどれだけあっただろうと思うと、それを見るだけでも充分鑑賞の価値のある作品だと感じた。
(もし監督に尋ね事ができたら、そんな演出意図は全くないですって言われるかもしれないけど笑)
それはエゴか
映画エゴイスト
観終わってまともに立てなくなったの
久しぶり。
何でだろう。
私は自身の目から見た
現代に生きるゲイの2人。
勿論実際にこのような経験を
されている知人もいる。
映画が終わった後のこの“喪失感”は何だろうか。
実の母
愛した人
愛した人の母
「あら、息子さん?」
でも否定しなかった
それほど愛や気持ちがあったのでしょう
家族は血の繋がりで成り立つものですか?
現在の法律上同性での婚姻は認められていない
13人に1人はLGBTQの人とも言われている日本
もう既に私たちの職場や近所
あらゆる所でその場所で普通に生きている人達がいる
ただ愛したい人がいて
共に過ごす時間が愛しい
当事者である私は
共感と心の中で共鳴していた
尽くすことは自己満足なのか
あの愛はエゴだったのか
でも
彼の笑顔や過ごした時間はずっと
変わらないし
彼が生き続ける限り
それは大切な愛の記憶である
演技力が凄い‼️
人としてどう生きるかのドキュメンタリー
愛とはなんぞや アイフルではない
これはもうドキュメンタリー映画!
さすが松永大司監督。
とにかく、全てがすごい。
どんどん惹かれるし、引き込まれます。
鈴木亮平さんでも宮沢氷魚さんでもない。
浩輔と龍太しかいないし、映像もふたりの音や色をそのまま切り取ったよう、、。
宮沢氷魚さんがインタビューで「原作よりも映画が先のがいい」とおっしゃってました。
私は、『予告動画→原作→ネットの記事やインタビュー等→映画→原作』でしたけど、映画が先もよかったかなと思います。
以前、「この映画は、公式含め前知識無しに観たかった!」と悔しく思った事がありましたけど、『エゴイスト』もそうかもしれない‥。
でも、上映開始すると内容に触れる投稿も増えてしまうので、それならば原作読んだ方が良いかなとも思います。
原作がもうすごく良いので!
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