エゴイストのレビュー・感想・評価
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愛とは、エゴとは。
体の重ね方は人それぞれで、そこに込められているものが何なのかも人それぞれ。そこにセクシャルなんぞ関係ない。
ファッションで武装していた人が、大切な人にあげた色味がシンプルな服を着て、
彼が続けていたことを守りたくて同じことを続け、時間すら閉じ込めるように冷凍庫へ閉まっていた人が、一人静かな部屋で食べ、
愛が何なのか分からないと言った人が、細く弱くなった手を握り、
辛いことばかりだった世界が、彼によって救われた。
自分を縛っていた物事の対を一つ一つ優しく、愛で結んでいくような映画だったんじゃないだろうか。
エゴとは一体何だろうね。
音がとても良い作品でした。
彼の中学時代の話はおそらく原作だともう少し描かれているんでしょうか。もし、映画でももう少し描かれていたらと思いつつ、あまり説明的に見せられても違ったんでしょう。
関係ないとは思うけど、浩輔さんがふとした時に鼻でよく呼吸をするなと思っていて時々苦しそうで、だげどエンドロールの最後、ゆっくり呼吸をするような息が聞こえて、なんだかホッとしました。
色んな愛の形
エゴにも色々あるんだね。
俺がこんなに愛しているんだから、全部は無理だけど少しくらいなら金もだせるから‥中途半端な金で相手の生活スタイルを変更させ、朝も晩も過酷な労働してるの知りながら、そこら辺は無頓着に頑張れよとか言って、自分は宝物を得た上、母親も巻き込んで良いことしている的な幸せいっぱいの気持ちになって‥周りも皆んな幸せだよねは、やっぱりエゴイストか‥。いろんな意味で深いよなー。面白かったで終わらない。あと引くわ。鈴木亮平も宮沢氷魚も気負いのない自然な演技で、清潔感があって、綺麗で、凄く素敵だった。脱力。
夜へ急ぐ人
愛とはなにか
カメラワークの揺れで途中退席……
宮沢氷魚と鈴木亮平のラブシーンは美しいだろうなという期待を胸に映画館に行きました。確かにとても美しく撮れているし、2人の俳優さんの爽やかさもあって、2人の関係は自然と受け入れられるものでした。
ただ1つ残念だったのは映像が揺れ過ぎていて、三半規管の弱い私はほぼ最初から映像を見続けることができず、目をつぶって音を聞くのみ、大きな話の転換の場でついに途中退席してしまいました。気象状況による気圧の変化もあったのかもしれませんが『カメラを止めるな』以来の途中退席となってしまいました。最後まで見ていないので、どこかでまた見る機会があれば見るかもという気持ちです。
「エゴイスト」の意味は全体を俯瞰できていないので不明のまま。見ている途中で思ったのは、これがもし男同士じゃなくて宮沢氷魚が女だったらかなりチープな話になるのだろうなということでした。いや、もし鈴木亮平が女だったらかなり突飛な話に……と具合悪い中、妄想しましたがこれもそこまで。最後まで見てから採点したかったです。
カメラが揺れる映画は、事前に告知をしていただけるとありがたいです。次回は酔い止めの薬持参で一番後ろの席で見るか、家の小さい画面で見ることにします。
可愛い
劇中めまいが。。
『あのこと』と『百花』
友達になれないタイプ😅
タイトルの意味も含めて泣かされてしまった
ゲイに対する偏見や嫌悪感みたいなものは全くないが、自分とは違う世界の話なので映画やドラマでゲイの恋愛が描かれるとどう受け止めればいいのかわからなくなる。
本作での鈴木亮平と宮沢氷魚のベッドシーンがかなり攻めたものだったことに驚き、さらにとてもキレイだったから戸惑ってしまった。でもそこ止まりで他の感情が揺り動かされることはなかったから、自分の男色性は皆無であることを確認できた。
さて、この映画。ゲイの恋愛物語と思っていたが、途中から全くテイストが変わる。相手の力になりたいと思うわがままについて描かれる。それを果たして愛と呼べるのか。鈴木亮平演じる浩輔の行動に、それでいいのか?と思うところあったが、あそこまで突き抜けるとそれもありと感じてしまう不思議。
最後、お互いの思いをわかりあえたかのような終わり方とタイトルの意味に、自然と涙が流れてしまった。なんてこった。男色性が皆無なおじさんでも泣けるいい映画だった。
それにしても鈴木亮平のゲイ演技はすごかった。知り合いでゲイの人がそれほどいるわけではないが、ふとした瞬間に見せる仕草や言葉じりがとても自然に思えた。それに会話の内容。あれはアドリブなんだろうか。少し笑ってしまった。
調べると〈エゴイスト=他人のこうむる不利益を省みず、自らの利益だけ...
調べると〈エゴイスト=他人のこうむる不利益を省みず、自らの利益だけを求めて行動する人のこと〉だそうだ。映画を観ていても私には何がエゴイストなのか?という思いばかりだった。浩輔と龍太がたまたま男性だっただけで、お互いを思いやり大切に思う純粋な気持ちに心がキュッとなる。龍太の母、妙子が龍太を失って途方にくれる浩輔を母の愛で包み込むいくつものシーンや、浩輔が妙子を心配して世話するシーン。エゴイストの本来の意味の真逆で〈自分の不利益を省みず、相手の利益だけを考えて行動する人〉もエゴイストなのかもしれない・・と観終わって感じた。鈴木亮平の怪演にくぎ付けになる。最初から最後までどこを切り取っても、そこかしこにゲイの浩輔の姿が有って、観ているこちらの方が苦しくなったりもした。
夢と現実の狭間に
温度
「帰らないで」
じぶんの望み(〝エゴ〟)を口にした龍太の母・妙子
病室の機械に繋がれる命の灯りをゆらしながら出た声は
はっきりと浩輔の背中を押した
かつて妙子が浩輔に話した「受け取る側が愛と感じたなら愛なんです。」という言葉が私の頭の中にかえってくる
妙子は最後にその意味を確かめさせたのだろう
〝エゴ〟を貫いた結果が龍太の死と妙子の病を招いてしまったと自分を責め詫び続けた浩輔を救うために、そこに〝あなたの本心で、そのままを生きればいい〟というメッセージをこめたのだと思う
帰り支度をしようとしていた浩輔は、妙子の言葉の意味するところに気付き向き直る
それが同時に、亡き息子(龍太)の人生に対する母の抱擁でもあることを充分に感じとりながら、浩輔は妙子の手の温もりに自分と龍太の温もりを重ねた
限りなく優しいその温度は視覚からわたしの心をも柔らかく包むと
「エゴイスト」のロゴをふたたびふわりとスクリーンに浮かびあがらせてみせたのだ
そして、世の中に溢れるすべては、エゴでありエゴイストでありエゴイズムなのかもしれない
けれど、その本質、変貌の自由さを知っている?
どんなことも、一括りにして捉えることは安直で不自然だと気付いてる?
そんなふうに問いかけてきたのだ
………………
出会ってすぐに惹かれあった浩輔と龍太
浩輔が龍太に自分なりの(〝エゴ〟)愛情を示せば示すほど、自分の状況に負い目を感じ会うことを躊躇するようになる龍太
手離したくない龍太を思いとどまらせるべく、浩輔の思い(〝エゴ〟)は龍太に経済的支援を始め解決の道を探る
龍太は戸惑いながらも受け入れ、職を変え自分も状況を立て直す努力をする
歩み寄るような形でお互いの正直な気持ちを尊重し、押し寄せる波を越えようとしたのだ
やがて闇を抜け、眩い朝日を受け浮かぶ舟にいるようにゆったりとした安らぎが訪れるのを感じながら
以前、浩輔がこどもの時の旅の思い出を語る姿がよほど忘れられなかったのか、龍太から誘った海へ行く約束の日の朝
龍太は目覚めることなく亡くなってしまった
突然の死に、慟哭する浩輔と気丈に振る舞う妙子の姿
龍太を介して親しくなった浩輔に、妙子の裏側に隠した苦悩がわからないはずはなく、ついには〝エゴ〟を承知で龍太の代わりに経済的に生活を支えたいと申し出る
戸惑いながらも妙子は浩輔のその深いわけを理解し受け入れた
浩輔の母が病に倒れた当時は自分は子どもで、母にしてやれることは限られていたはず
ましてやセクシャルマイノリティのためにいじめを受け、理解をされにくい環境は母の死によってさらに逃げ出したい場所となっていったのだろう
そんな浩輔は命日のたび帰省するものの、玄関を開けるまでの故郷の道は居心地が悪そうに見えて仕方なかった
未だに彼にとっての故郷は虚無ともいえる場所であり、忘れたい時間なのだ
上京し自分の居心地を選べる大人になり、精神的にも経済的にもゆとりを得た現在の浩輔が、愛した龍太の母を支援することは、実母には果たせなかった孝行の代わりでもあり、過去の辛い空白の時を埋めて満たすような意味があったのではないか
そんな妙子が、病に侵され余命わずかと知ったのだ
龍太を失い、妙子までも…
本人の前で浩輔はぎりぎりの冷静を保つのがやっとだっただろう
押さえ込んだ動揺を抱える帰り道、自動販売機で小銭を撒いてしまったときにそれは噴出した
初めて龍太に誘われたカフェのレジ、小銭をばら撒き、慌てて拾いながら頭をぶつけた彼の愛しい姿が蘇ってしまったから…
どんなにはがゆくとも手立てがない現実がある
再びそれを突き付けられた浩輔の嗚咽が響く
それほどにつらく背負うのも〝エゴ〟を通した代償なのか?
彼らが互いを思いやり交わす優しく温かなやりとりを振り返るとある答えがみえてくるのだ
3人でアパートの小な食卓を囲む楽しそうな様子、妙子を挟んだ記念写真、街中で手をつなぎたい気持ち、たわいのない寛ぎの空気、素直に感情を寄せ合う二人、枯れた寄せ植えを一緒に新しくととのえる姿、妙子の体調への労わり、病室に飾る花、あたたかい風呂、龍太の部屋に泊めてくれる妙子、手土産に高い方の梨を選びなおす様子(→なぜ高い方を?というレビューを拝見しましたが、ここには、愛する人たちの死を通し、無意識に人生の時間の限りを読み取った瞬間にうまれる価値観みたいなものがよくあらわれていたように思うのです)などの数々だ
私がそのなかでも印象的だったのは、病院から帰宅した浩輔が、妙子が土産に持たせたおかずを温めようとするシーン
浩輔がテーブルに置いたその容器を大事そうに手のひらで包んだ姿があった
これは浩輔の〝エゴ〟が、相手を本当に大切に思う気持ちを積み重ね相手に伝わる温度をもった証し
与えるだけの愛がいつしか龍太と妙子からも与えられる愛になって通じてたことがわかる、自然と溢れるような所作が心を打つ
誰にでもいつか訪れる死
そこへ向かう途中、愛する人に出会う
心が震えるような愛を覚え、相手の現実に寄り添いたいと心底考えるようになる
それは、自分の時間、自分の収入、自分への利益やみかえり…そういったものを天秤にかけずに、まっすぐに相手に差し出したい気持ち
単なる好きだという気持ちを越えて大切におもうことだとおもう
それが通じ合ったとき〝エゴ〟は
もはや〝エゴ〟と呼べない
そしてそこから先にある結果がどうであれ〝代償〟ではなくなるのだ
それどころか、その経験は得たことはかけがえのない意義を人生にもたらすのだと思う
浩輔の〝エゴ〟で始まった関係も、光を遺し、温かい記憶の中できっと生き続けることが、あの時重ねた手や、気心の知れた親友に囲まれる姿から伝わってきてなんだかとても嬉しかった
もう一つ、さりげなく見守り、弱ってるときにはあったかい夕飯を作って泊まっていけと言ってくれる浩輔の父さんの存在の大切さがあることも私たちは知っている
余韻のこる帰路、小学校の教室に先生の習字で「思いやり」って書いてあったのを思い出した
そうだ 世の中を嘆く前に一人一人ができること
家庭、地域、学校…まずは小さな単位に目をむけること
2度目のタイトルがもたらしたように、そこにはかならず〝エゴ〟を越えた温度が伝わる
そして社会は、誰もが平等に自分らしく生きていける権利を、
誰かの生きづらさにさらりと手を差しのべ、目を配れる環境と教育への取り組みを、と切に願う
素晴らしい演技力に魅了された
自伝的小説を映画化したヒューマンドラマ。地味なストーリーで共感できるような内容では無いが、主演の鈴木亮平を中心に出演キャストの演技力が素晴らしくスクリーンに引き込まれた。さらにドキュメンタリータッチの映像による描写が、繊細な心の葛藤をより一層引き立てているように感じた。
2023-25
「君の名前で僕を呼んで」と比べるなら・・・
自分をエゴイストと思っている人は決してエゴイストではない
物語は単純なのに心揺さぶられる圧倒的な展開に思わず涙してしまいました。
以下は、エゴイストのタイトルについての一つの解釈です。
まず結論。利己(我欲)を顧みない全き利他(愛)などありえない。だから、普通それをエゴとは呼ばない。それなのに自らのエゴ(だと思っているもの)を責め続ける浩輔の真摯で痛々しい姿に観るものは心動かし、我々に愛につての観念を揺るがして深い感動を生む。
エゴイストとは誰なのか。まず、思いつくのは、主人公浩輔のエゴ、龍太を引き留めたが故に、結果として無理をさせて彼を死へと追いやってしまったことや、果たせなかった母への償いとしての龍太の母妙子への援助も、自分勝手な思いの押し付けと言えないことはない
しかし、観客にはその思いはあまり共感されないし、映画はそのようには描かれていないと思う。
実際、龍太は浩輔と短くても、これまでになかった幸せな日々を過ごしたのであり、妙子も浩輔によって、(龍太の遺品を処分出来る迄)息子の死を克服出来たかのように見える。
ただひとり物語の中で自分のエゴを一番意識しているのは一人称で語られる浩輔本人なのだ。 だからエゴイストは客観的なものではなく、浩輔の内面にある主観的なものとなる。
劇中何度も浩輔は、 ごめんなさい と謝罪する。
そして亡き母親にストレートに生まれてこなかった事を(龍太が母親に自分がゲイである事を悟られた時と同様に)常に詫びている。
周囲に合わせる事も出来ず、愛する人達からの期待にもこたえられない、その責めは全て自分がゲイであることに帰する。ゲイである自分は自分勝手なエゴイストだという思い。しかし、自分は変えられない。ブランド物の服を鎧と称して自嘲的に強がる姿は、自分をしてさらにその思いを強くさせる。 その悲しみ。
冷静に自分の内面を見つめながらも、浩輔の屈折した思い込みこそがエゴイストでした。
でも作者(或いは監督)の意図は、それを否定することにあった。
今回すでに故人である原作者高山真氏のブログを読んでみた。
お姉言葉の独特の感性で軽快にしかも鋭く日常を語る中に、自己愛についての言及があった。
作者は自己愛に溺れる自分を卑しいと軽蔑しながらも、それをいとおしむ感性を持ち合わせた真摯で内省の人だった。
物語は後半、浩輔は自分の母を妙子に重ね合わせ世話をすることで亡き母への償いをする。
だが、その後ろめたさを感じているからこそ、浩輔は他人から息子かと尋ねられても否定し続けるのだが、最後の最後で妙子に、 えぇ自慢の息子です と答えてもらえる。
この瞬間、浩輔は救われエゴイストではなくなり、物語は終わる。
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