エゴイストのレビュー・感想・評価
全256件中、141~160件目を表示
本当のエゴイストは母でしょう
まず、この映画を観て「時代が変わったなぁ」というのが、一番の感想です。
こういう題材の作品が、一流の俳優さんや映画製作者によって、本当に丁寧に作られ、それが一般公開されて、様々な人達が特別な思いで観に来る。異性愛以外の形を、もっと知りたいと真摯な気持ちで、足を運ぶ人が普通に増えたからこその、この映画の誕生と感じました。
全編が自然で、それは大切に繊細に描かれていましたが、性描写の部分は特に印象的でした。
異性愛者が愛し合い、高みに達する姿と、同性愛者のそれに、一体何の違いがあるのかと、静かに、そしてパワフルに問いかけられた思いです。
それにしても、タイトルのエゴイストとは、一体誰を指してのことなのか、と考えていましたが「あ。この人ね」と、最後のショッキングな終わり方で見えた思いです。
自分も子(息子)を持つ母なので、そんな自分とも重ねて見てしまいましたが、そもそも自分の体調のせいで子供に進学を断念させ、お金を工面させてきたあの親は、一体どんな顔をずっとしてきたのかと思いました。
高校を中退させた我が子に、自分の経済負担まで背負わせ、それだけの金銭がどこから発生しているのか、知らん顔を決め込める母親だからこそ、最後は浩輔のことを「息子です」と、病室の人に話して、帰ろうとしている彼に、「帰らないで」と拘束するなんてことが、できたんでしょうね。
息子のみならず、他人の浩輔まで縛りつけてるシーンの只中で、突如画面が切り替わり、エゴイストの文字が浮かび上がって、終了。
私にとっては「この人ですよー、表題の人は」と言われたようにしか、思われませんでした。
龍太を死なせたのは自分だと、泣いて謝る浩輔に、もしもこの母親が自分の責任と罪を認めていたのなら「この子を長年酷使した私が、息子を死に追いやった。謝るのはあなたじゃない」と、悶絶するほど泣いて詫びて後悔をする筈だと感じました。
龍太を死に追いやったのは、浩輔ではなく、負担を息子にかけ続けた母親ですね。
とはいえ、阿川佐和子さんの演技と存在感は、とても素敵でした。
今まで観てきた邦画の中で、多分この映画が一番好きです。
リアルとファンタジーと...
映画館で見るべき作品だというのはCMですぐに分かったので見に行きました。
期待以上に良かったです。
リアルとファンタジーと古さを感じた。
これ以降は批判に感じるかもしれませんがファッション紙の編集者がテントハウスに住んでいる設定は早々にリアルではなく
一方で支払う金額は10万だったりテントハウス住んでたらもっと払えるよね。とこのあたりは残念ですね。
話の展開が良く鈴木亮平さんの演技が素晴らしかった。ぐっと引き込み早い展開も違和感なく話に入っていてける。
売りに関してはあー聞いたことあるなって感じですがこの設定に古さを感じたが龍太の家には貧困のリアルが描かれているが
売りやるには年齢行き過ぎてないかなと思ったり。
リアルでない部分とファンタジーの部分が入り混じってます。
浩輔のコンプレックスと尽くしても尽くしても認められなかったり最後に認められたり
だんだんと話の展開はすすみます。
終わり方も良かったです。
その先は分かるでしょ?といった演出はとても効果的でよい作品でした。
あと隣りに座ってたゲイがクスクスずっと笑っててうるさかったわー(笑)
これが映画の醍醐味
経済的強者だからこそできること
前半の内容こそ「BL漫画でよくある展開」ではあるのだが、後半からの展開が完全に予想外だった。てっきり「わたしはロランス」のようにカップルが揉めた末に別れる話だと思っていた。性的描写が多いので子供には見せられないが、全体を通したテーマは恋愛映画としてわりと普遍的なもので、映画館では思ったより幅広い年齢層が観に来ていた。
面倒を見たいという親の元に生まれること、また相手の親の面倒を積極的にみたいと思えるパートナーと出会えることということは、それだけで恵まれているということなのかもしれない。
その一方で、浩輔の行いは立派に見えるが、これは彼が経済的強者だからこそできる愛情表現であり、例えばレズビアンカップルにそれが可能なのかといえば、まだまだ男女の賃金格差も大きい世の中では、よほど成功しているバリキャリの女性でない限りは難しいだろう。個人差はあるが、一般的にはゲイカップル>ヘテロカップル>レズビアンカップル、の順で経済格差は開いてくる。保守層であるトランプ大統領がLGBTに歩み寄りを示したのも、主な支持基盤である富裕層におけるゲイカップルの影響力に配慮したからである。
結婚した女性が義理の親の介護をするのは当たり前、と押し付けられる一方で、結婚できないゲイカップルが相手の親の面倒を見ることは美談として描かれる。
女性が相手の親の面倒をみるは、果たしてここまで感謝されてきただろうか?
もしゲイカップルが普通に結婚できるようになった場合、相手の親の面倒をみるかみないかで揉めたり、自分の親の面倒の面倒をみたいのに義実家の親を優先させなければならなくなったり、あるいは相手の親の介護のためにキャリアが閉ざされたりして苦しむ男性の問題がクローズアップされてくるのかもしれない。今まで女性だけに押し付けられてきた介護問題が、高齢化や少子化で女性だけでなく独身男性が高齢の親の面倒を見るようになってようやく「社会問題」とされたように。
浩輔と龍太は経済格差のあるカップルだが、もし浩輔の父親が倒れた場合、龍太は経済援助はできない。ではトレーナーの夢をあきらめて介護できるのか?経済的に浩輔の世話になっていたのだから、自分の母親の世話より浩輔の父親の世話を優先しろと言われたりしないのか?多くの女性は経済的に男性に依存してるゆえに義実家の介護を強いられてきた。
そもそもなぜ龍太と母親は貧困家庭なのに公的支援を受けられないのか、日本のシングルマザーの6割が貧困世帯だといわれるが、本来は売春したりパートナーに経済的に依存したりして解決すべき問題ではないはずだがそこが見えなくなってしまっている。
日本で世に出ている「LGBT作品」といわれるもののほとんどがGとTを扱ったものであることに対しては警鐘を鳴らしたい。LGBTだから必ずしも被差別属性であると考えてしまうと、男女差別の構造を見えなくするからだ。フェミニズム関連の書籍が最近ではLGBTばかりを扱っている風潮にも疑問を抱く。Gは関係ないし、BとTの半分は身体男性なのでフェミニズムの範疇ではないからだ。
ただただ「普通」の映画だった。
普通の人同士が、普通の恋愛をする、ただただ「普通」の映画だった。
パーソナルトレーナーとその利用者が仕事を通じて出会い、互いに魅力的だなと思ったからそれが恋愛になり、相手の仕事のことで問題があったり別れの危機もあったが乗り越えて愛になる。なんてこともない、普通の恋愛の話だと思う。
そうやって親密になったあとで、もし結婚していれば、稼いでいるほうが多く出して生活費を支援(折半)することも普通だし、お金を出し合って車を買うことも、きっと普通だ。
強いて言えばその相手を早くに突然亡くしたことは普通ではないかもしれないが、それも誰にでも起こり得る可能性があることだろう。
もしも結婚した相手が亡くなれば、体の調子が良くない義理の親の面倒を見たいと思うのは普通のことだし、一緒に住みたいと考えるのも普通のことだ。
この愛し合った2人もその親との関係も、異性同士だったらもっと普通のことだと思えたのだと思う。
そう思えない理由は、今の日本ではこの2人が婚姻関係を結ぶことができず、相手の親の病院でも「家族」「親戚」とは名乗れない「他人」になってしまうからではないだろうか。彼らがゲイであるからという理由だけで。
この映画を見ている間ずっと、「この2人が異性同士だったらどうなっていたのだろうか」と考えてしまっていた。それが失礼なことであるとわかっていながらも、もし異性出会ったら何も不自然でも不自由でもなかったし、「普通」に生きていけたのだと思ってしまった。
この2人のような物語が、ただの「普通」の物語にいつかなったらいいと、今は思っている。
そこにある恋愛とエゴについて
男性同士のラブシーンは見慣れないものがあった。初めの頃のラブシーンの流れが、他人行儀なところがあってそこで泣いてしまった。そのあとの展開の流れが美しくわかりやすく、でも自分の存在を謝るところが余計に切なくて、表に出さないことが当たり前で、泣かせようとはしてないのに泣いてしまった。つらかった。私も多分、彼と同じ行動をしながら、自分の口座の残金を見つめると思う。
キラキラしたBLはございませんが、製作陣の愛が詰まっております。
この作品はキラキラしたBLではなく、ゲイの世界をデフォルメせず描き、鈴木亮平をはじめ製作陣の愛が伝わる作品。
俳優の所作、ゲイが好みそうなコンテンツ、実生活での苦悩などゲイの世界を忠実に再現し完璧に描かれていた。
まず鈴木亮平の演技にはあっぱれの一言。
浩輔を演じるにあたりゲイや浩輔という役に寄り添い理解し、相当努力し演じているのが観てわかる。
役や設定への徹底的な追求がカメレオン俳優と呼ばれる由縁なのだろうと実感した。
また色白で吸い込まれるような綺麗な目をしている宮沢氷魚の儚げな存在感が龍太そのものでとても良かった。
ストーリーも龍太の死をきっかけに、妙子への母親を重ねた親子愛に変化したのは意外性があり楽しめた。
ただ全編通して胸が締め付けられ苦しかった。(←良い意味です)
浩輔の愛は龍太や妙子にとっては必要不可欠なものでたしかな愛だったかもしれないが、自分にとっては重くのしかかるエゴであって、観ていて心が苦しくなった。
エゴと愛は紙一重であり、受け取り手によって変わるもの。
周りがどう思おうと龍太や龍太の母が愛だと感じれば間違いなく愛なのだ。
タイトルで身構えたが、、、
悩みつつ直球に愛を投げ続ける映画でした。悔いのないように日々を過ごそうと思わされて、少し視界が明るくなるようなじんわりした元気をもらえました。
あと、私は何が他と違うのかが具体的にはわからないものの、映画評を見ると同性愛の人達にとってもリアルに描かれた恋愛描写として画期的とのこと。沢山の人達が勇気を持って正義を貫いてくれたお陰で、この素晴らしい物語を多様な人達と分かち合えることに感謝。
エゴと愛、相反する言葉と思いきや根本は同じ。
最近、映画鑑賞に新鮮味が感じられなくなってきたのですが、そのマンネリを見事に打ち消してくれました。冒頭5分で既に面白く、その後のベッドシーンは面食らいました。「虎狼の血2」で鈴木亮平さんのファンになりましたが、ネクストステージへ裸一貫で立ち向かう役者魂に心打たれました。
各シーンのカメラワークはワンカットが基本で、しかも小さな所作一つ一つを追うことでうねりを帯びた映像になっていて興味深かった。特にベッドシーン。デリケートな部分の際を狙ってくるので、下手なアクション映画を見るよりもハラハラドキドキ。
映画は徹頭徹尾、演技していないかのような芝居が続き、登場人物が自分の連れの様に感じてきます。この感覚は漫才に重なる部分があると思います。漫才は「2人の究極の立ち話」と言いますが、それくらい不自然さがなく、芸の目指すところなのかなと想像します。
そして本作はタイトルの「エゴイスト」という言葉について問いかけてくれました。エゴって愛の反対語だと認識していましたが、劇中の浩輔の行動を見てエゴだと思う人はいたでしょうか?浩輔はその生い立ちから孤独を抱え、その孤独を龍太への恋で埋め合わせます。また、その龍太を通して母親孝行の埋め合わせも行います。さらに龍太を失った消失感も加わり、更なる埋め合わせを龍太の母親に捧げます。字面で表すとエゴに見えるんですが、私の知っているエゴとの決定的な違いは「嫌味がない」っていう点です。浩輔自身、自分の行動が愛だという自覚がないところに余計エゴを感じさせません。
浩輔にはお金というツールがあり、それを嫌味なく振る舞える浩輔自身の誠意と知性(フィルター)がありました。自然と湧き上がる感情は人のエネルギーです。それがエゴで終わるか、愛に変換できるかは個人の力量次第です。自分が好きになった人やモノに対して、少しでも愛という結果に落とし込める様になりたいものだと思わされました。
ふとリアルの生活に目を向けると、日々触れているメディアには沢山の人のエゴに溢れています。対人関係でもエゴな部分が見えてくると気が重くなります。けれどそれは人にフォーカスし過ぎているから負に作用しているだけで、その人達が作ったモノやサービス、作品やパフォーマンスだけに目を向けると、そこからは作り手達の愛が伝わってきます。
映画としても観賞後の思考遊戯にも充実感を与えてくれる最高な一作だと思います。
響いた反面
当事者なりに思ったことをコメントしていきます。
知人が出ていることもあり、前半はフラットな状態で観ることができました。後半は私の恋人が数年前にパワハラに遭い、自尽しました。その点、ストーリーと自らの経験が重なってしまい、終始涙が止まりませんでした。鈴木さんがZeroのインタビューでお話をされていました。ゲイというだけで「オネエ」ではない、ただ「異性愛者」に寄せてしまうと、原作者のストーリーと合わなくなる。とお話をされていて役作りの大変さや一見、完全に異性愛者だけど、本当は恋人がいるなどと言ったことも十分にあり得ます。また既婚者だけどバイの可能性もある。この映画が監督やプロデューサー陣、俳優陣が真剣に向き合って創り上げた一本だと当事者ながら感じました。ただ前半のヌードシーンの多用や詳細な描写などは不快に思えました。
映画を通じて、展開する必要があったのか。甚だ疑問です。また昨今、マイノリティーを演じる場合、当事者が演じる場合が諸外国では多いそうです。しかし鈴木さんの顔の表情など相当創り込まれていました。ただもう少しオネエ感を削ってもよかったかな。このコメントを読んでいる方々に伝えたいのはゲイ=オネエではないということです。普通の見た目。喋り方や仕草も異性愛者と変わらない男性が大半です。第三者からみたメディアが作り出した少しステレオタイプのゲイ映画でした。ドリアンがいながらも、そこが徹底されてないのは残念でした。また個人の感想のためご了承ください。
愛とは、エゴとは。
体の重ね方は人それぞれで、そこに込められているものが何なのかも人それぞれ。そこにセクシャルなんぞ関係ない。
ファッションで武装していた人が、大切な人にあげた色味がシンプルな服を着て、
彼が続けていたことを守りたくて同じことを続け、時間すら閉じ込めるように冷凍庫へ閉まっていた人が、一人静かな部屋で食べ、
愛が何なのか分からないと言った人が、細く弱くなった手を握り、
辛いことばかりだった世界が、彼によって救われた。
自分を縛っていた物事の対を一つ一つ優しく、愛で結んでいくような映画だったんじゃないだろうか。
エゴとは一体何だろうね。
音がとても良い作品でした。
彼の中学時代の話はおそらく原作だともう少し描かれているんでしょうか。もし、映画でももう少し描かれていたらと思いつつ、あまり説明的に見せられても違ったんでしょう。
関係ないとは思うけど、浩輔さんがふとした時に鼻でよく呼吸をするなと思っていて時々苦しそうで、だげどエンドロールの最後、ゆっくり呼吸をするような息が聞こえて、なんだかホッとしました。
色んな愛の形
エゴにも色々あるんだね。
俺がこんなに愛しているんだから、全部は無理だけど少しくらいなら金もだせるから‥中途半端な金で相手の生活スタイルを変更させ、朝も晩も過酷な労働してるの知りながら、そこら辺は無頓着に頑張れよとか言って、自分は宝物を得た上、母親も巻き込んで良いことしている的な幸せいっぱいの気持ちになって‥周りも皆んな幸せだよねは、やっぱりエゴイストか‥。いろんな意味で深いよなー。面白かったで終わらない。あと引くわ。鈴木亮平も宮沢氷魚も気負いのない自然な演技で、清潔感があって、綺麗で、凄く素敵だった。脱力。
夜へ急ぐ人
愛とはなにか
カメラワークの揺れで途中退席……
宮沢氷魚と鈴木亮平のラブシーンは美しいだろうなという期待を胸に映画館に行きました。確かにとても美しく撮れているし、2人の俳優さんの爽やかさもあって、2人の関係は自然と受け入れられるものでした。
ただ1つ残念だったのは映像が揺れ過ぎていて、三半規管の弱い私はほぼ最初から映像を見続けることができず、目をつぶって音を聞くのみ、大きな話の転換の場でついに途中退席してしまいました。気象状況による気圧の変化もあったのかもしれませんが『カメラを止めるな』以来の途中退席となってしまいました。最後まで見ていないので、どこかでまた見る機会があれば見るかもという気持ちです。
「エゴイスト」の意味は全体を俯瞰できていないので不明のまま。見ている途中で思ったのは、これがもし男同士じゃなくて宮沢氷魚が女だったらかなりチープな話になるのだろうなということでした。いや、もし鈴木亮平が女だったらかなり突飛な話に……と具合悪い中、妄想しましたがこれもそこまで。最後まで見てから採点したかったです。
カメラが揺れる映画は、事前に告知をしていただけるとありがたいです。次回は酔い止めの薬持参で一番後ろの席で見るか、家の小さい画面で見ることにします。
可愛い
劇中めまいが。。
全256件中、141~160件目を表示