カムイのうたのレビュー・感想・評価
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北海道の自然はそのままの姿で。
文字を持たず文化を独特の節で歌うユーカラなどを用い口頭伝承してきたアイヌ民族。そのユーカラを初めて文字として残した実在の女性の物語。
この作品でユーカラの持つ意味や意義を知りました。島田歌穂さんのユーカラが素晴らしかったです。主人公のモデルとなった知里幸恵さんは差別を受けながらも、学びたいという気持ちを持ち続け後世に素晴らしい財産を遺した強くて聡明な女性で、演じた吉田美月喜さんの凛とした姿がとても合ってました。
ただ雄大な自然や動物の映像がなんかファンタジーみたいな世界観でこの作品には合わなかったと思います。ここはちょっと残念でした。
さてアイヌ民族と言えば同化政策によって結果的に数を減らしてしまったというのが一般的な見解で、私もそうだと思っていたし、そう習ったと思うんですけど、一方では数を減らしてしまったのは感染症が原因で、同化政策によってむしろ近代的な生活を送れるようになったという考えもあるってことをこの作品がきっかけで初めて知りました。北海道に行くことがあれば資料館とか足を運んでみたいなと思います。
多くの人に観てほしい素晴らしい作品
月曜の午前中の上映でしたがクチコミの高さの為か広めの席はほぼ満席でした。菅原浩志監督が手がけたアイヌをめぐる素晴らしい歴史劇です。アイヌ民族というだけで理不尽な扱いを受ける中、アイヌ民族の伝承文学を翻訳して後世に残した知里幸恵をモデルとした実話ベースの作品です。オープニングから北海道の美しく厳しい大自然が素晴らしい。悲しい事ですが開拓という名の侵略。先住民からの略奪と搾取、言語や文化を廃止させ民族同一化を図る。世界の歴史は略奪と征服の歴史であり文明の発展とともに世界規模で行われ、今でも一部の非民主主義国では行われています。日本でも北海道のアイヌや沖縄の琉球民族で行われてきました。本作でもこういった史実を元に悲しくも文化と民族に誇りを持って生きる人達とそれを助けようとする素晴らしい人々が描かれています。吉田美月喜 さん、望月歩 さん、島田歌穂 さん、清水美砂 さん、加藤雅也さん、皆さんとても素晴らしいお芝居でした。少しだけ不満はテルの状況時の駅のホームのシーンと兼田教授と小嶋教授の揉み合いのシーンの映像的演出は安っぽくて不要でした。
”カムイ”映画で知るアイヌの歴史
先日観た「ゴールデンカムイ」に続いて、”カムイ”繋がりで本作「カムイのうた」を鑑賞。ゴルカムはアイヌ文化を詳細に取材した上でエンタメに仕上げているけど、本作は実在のアイヌ民族の女性である知里幸恵をモデルに、彼女の19年という短い人生をドラマ化したものでした。時代的にも、ゴルカムは日露戦争直後の1900年代後半以降のお話を描いていましたが、知里幸恵は1903年生まれで1922年に亡くなっているので、ほぼ同時期のお話ということになります。
ただ映画の主人公は、知里幸恵という名前ではなく、”北里テル”と名付けられており、また「ユーカラの研究」や「アイヌ文学」などの著作があるアイヌ文化研究の第一人者であり、知里幸恵を東京に呼び寄せた言語学者の金田一京助も、”兼田教授”として登場していました。この辺り本名を使わなかったのは、フィクションを交えているという部分もあるでしょうが、知里幸恵の弟で、後に言語学者となり北海道大学の教授にもなった知里真志保が登場していないことや、作中アイヌの墓を荒らして遺骨や装飾品を盗掘させ、研究材料にしていた登場人物である東京帝大の”小嶋教授”や、アイヌ差別をする教師や軍人にも、恐らくはモデルとなった実在の人物がいるであろうことが影響しているものと勝手に推測したところです。
ところでゴルカムと本作を立て続けに観て思った疑問が、アイヌの人たちの名前って、いつから日本式になったんだろうか、ということ。1903年生まれの知里幸恵にしても、本作の主人公である北里テルにしても、日本式の「苗字+名前」となっていますが、アイヌの口承文芸の伝承者であり、北里テルの育ての親である彼女の叔母は、”イヌイェマツ”として登場しました。因みに”イヌイェマツ”のモデルとなり、1875年生まれの知里幸恵の叔母の名前は金成マツ、アイヌ名・イメカヌというそうです。アイヌ名がイメカヌ、日本名が金成マツなので、本作ではイヌイェマツにしたんですね。
で、ちょっとネットで調べてみると、明治政府がいわゆる”壬申戸籍”制度を施行した1872年以降、アイヌの人達も戸籍に編入されて行き、その過程で氏姓のないアイヌの人達に対して”創氏改名”が推進(強制というべきかな)されたようです。なので、金成マツ(イメカヌ)が生まれた1875年頃は、まずはアイヌ式の命名がなされ、その後戸籍を作ったために金成マツという名前が出来たのではないかと推察されます。ただ本作の登場人物であるイヌイェマツは、あくまでイヌイェマツであり、日本式の名前は登場しませんでした。創氏改名前後の端境期に生きたアイヌの人達は、アイヌ名で呼ばれることが多かったんでしょうかね?
因みにゴルカムのヒロインであるアシリパは、”不死身の杉元”に出会った1900年代後半において10歳から12歳くらいの年齢なので、1890年代後半の生まれと推測されます。従って、イヌイェマツと違って完全に戸籍制度が広まってから生まれたと思われる訳ですが、依然としてアシリパという名前でした。これまたネットで調べると、彼女の日本名(戸籍名)は”小蝶辺明日子”というのだそうで、そういう意味では戸籍制度が広まった後も、アイヌ名を名付ける習慣が一定程度続いたということなのでしょうか。
ただ1903年生まれの知里幸恵には、(ネットで調べた限り)アイヌ名がないようなので、徐々にそうした習慣がなくなっていったと解釈するのが妥当なのでしょうかね。
長々と映画の本筋から離れたことばかり書きましたが、勉強が出来た北里テルは、”土人学校”と呼ばれたアイヌ民族のための学校から女子職業学校に進学しますが、周りの差別にも遭って大変な苦労を強いられます。そんな中、アイヌ研究をする兼田教授がテルの下を訪れ、口承で伝えられた「ユーカラ」などの詩を文字に起こし、さらには和文に翻訳する作業を行います。幼馴染の一三四と恋心が芽生えるも、やがて東京の兼田教授の家に招かれて執筆を続けるテル。ようやく原稿が仕上がり、本の出版が決まった直後にテルは病死してしまうという悲しいお話でもありました。
本作の主題としては、アイヌ民族にこういう人がいたんだという記録映画的な側面を土台に、アイヌへの言われなき差別の実態を訴えた社会派的要素もあるものでした。また、作中イヌイェマツが唄う「ユーカラ」は、島田歌穂の歌唱力もあって非常に美しい曲であり、そうしたアイヌ文化を紹介する役割も担っていたと思います。
そうした点において、本作の意義は高く評価するものですが、肝心の物語性において、今ひとつ平板だったかなとも感じたところ。折角実名ではなく作品オリジナルの名前を使い、ある意味フィクションも織り交ぜていることを明示しているのだから、例えばテルと一三四との恋バナをもっとクローズアップして膨らませるなどしたら、もっと幅のある作品になっていたんじゃないかなと思いました。
さらに付け加えるとすれば、せっかくアイヌの話を映画化したのだから、アイヌ出身の役者さんを起用したらもっと良かったんじゃないかと感じたところですが、適役となる方がいらっしゃらないんですかね?
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
魂の翻訳
文字を持たないアイヌ民族が神々の神話や英雄の伝説を歌にして口頭伝承してきたユーカラを日本語約した女性、知里幸恵をモデルにした話。
成績優秀で女子職業学校に通い始めた北里テル(知里幸恵)と家族達を中心に、当時のアイヌと和人の関係やユーカラ翻訳についてみせていくストーリーで、鎌田教授のモデルは金田一京助ですね。
奴隷のように扱われたり、墓泥棒をされたり、壮絶なイジメがあったり、当時はそれが当たり前とされていたアイヌに対する問題をみせるけれど、蔑んでみている人は今でも一定数いるし、世界をみたって人種差別はあちこちでありますからね…。
根拠無く人を蔑み迫害して悦に浸る人達は、それこそ自分が無知で無能であることを曝け出す恥ずかしいことだと気付いて欲しいけれど、そんなことにも考えが及ばないからたちが悪い。これは映画と直接は関係ないですね(汗)
そんな状況下アイヌ語研究者の兼田教授が女学校を出た才女でユーカラを歌える叔母のイヌイェマツのもとにやって来て、テルに感心感嘆する様はみていて無性に涙が…。
実話ベースではあるけれど、ドラマとしても温かさあり哀しさありととても面白かったし、ユーカラやアイヌ文化、そして当時の差別に興味を抱かせるとても素晴らしい作品だった。
天命が言葉を紡ぎ、後世の基礎教養は、蓋された教育をこじ開けて生まれていく
2024.1.29 京都シネマ
2024年の日本映画(135分、G)
アイヌの伝統ユーカラを翻訳した知里幸恵をモデルに、その半生を描いた伝記映画
監督&脚本は菅原浩志
物語の舞台は大正6年の北海道
和人の職業学校に進学したアイヌ民族の北里テル(吉田美月喜、幼少期:茅本梨々華)は、アイヌというだけであらぬいじめを受けていた
彼女は叔母のイヌイェマツ(島田歌穂)のもとで暮らしていて、叔母は村の人気者だった
イヌイェマツはアイヌが代々口承してきたユーカラの伝統者で、テルも彼女の歌を聴いて育ってきた
村には、幼馴染の一三四(望月歩、幼少期:石谷彪真)がいて、彼は先祖の墓を荒らす不届きものを捕まえようと躍起になっていた
だが、その被害を町の駐在・矢野(清水伸)に訴えても、遺族が被害届を出さないとダメだと追い返されていた
ある日、東京からアイヌ研究者の兼田教授(加藤雅也)がイヌイェマツのユーカラを聴くためにやってきた
彼は熱心にユーカラを書き留め、列車の時間を忘れて没頭していた
やむなく一泊することになったが、テルがイヌイェマツのユーカラを受け継ぎつつあることを知った兼田は、ユーカラの日本語訳をしないかと持ちかける
そこでテルはローマ字を学び、ユーカラを書き留めて、それを日本語に直す作業を始めた
当初は直訳していたが、次第に「日本語の音感と言葉の意味」に注意を向けるようになり、やがては作業場を東京に移すことになった
テルが東京に来てまもなく、蓄積した疲労が病魔を顕在化させてしまう
ある雨の日に倒れたことを境にテルの体調は悪化を辿り、心臓病の診断が下って、結婚不可と言われてしまう
その知らせを受けた一三四は悲しみに暮れ、テルはこれが天命とばかりに、ユーカラの日本語訳に没頭していくのである
映画は、ユーカラの再現と、テルが書き記した書籍の序文が引用され、その短すぎる人生を克明に描き出していく
アイヌの事情にさほど詳しくなくても分かる内容になっていて、細かな再現度とクオリティが高い作品になっていた
感動的な演出がほとんどないのに自然と頬を伝う涙は、心の底に響く何かがあるからだと思う
アイヌの言語を残そうとする兼田とは対称的に、墓を荒らして装飾品を手に入れる帝国大学の小嶋教授(天宮良)のように誇張されたキャラクターもあるが、実際にはもっと過酷なものがあったように思える
学校教育でほとんど避けられてる歴史ではあるものの、このような作品を通じて訴求する意味はある
『ゴールデンカムイ』のようなエンタメ作品を入り口として、音楽的素養を伝える本作のような作品が増えていくことで、先人が蓋をしがちな不都合な歴史というものは基礎教養になっていくのかもしれません
いずれにせよ、本来は別の日に鑑賞する予定が前倒しになったり、映画館に着いた時には入荷待ちだったパンフレットが鑑賞後には店頭に並んでいたりと、不思議な縁がある作品だった
作品自体のクオリティも高く、ナレーションの引用などで情景を描写していくのも良く、フクロウがインパクトになっていたと思う
ユーカラは叙事詩として、アイヌの歴史、世界観、風習を示すものだが、翻訳化させていても、歴史を重ねていくうちに進化していくものだと思う
作品に対する熱意と敬意を感じる作品なので、鑑賞機会があるならば足を運んでも良いのではないだろうか
銀の滴(しずく)降る降るまわりに
カムイのうた
大阪十三にある映画館「第七芸術劇場」にて鑑賞 2024年1月28日(日)
パンフレット入手
アイヌ人女性 知里幸恵(ちりゆきえ)(1903年(明治36年)6月8日-1922年(大正11年)9月18日)19歳)のドキュメンタリー
ユーカラ(英雄叙事詩)などの口承文芸作品を記録し、その日本語訳をアイヌ民族として初めて行った。
当作品では「北里テル(吉田美月宮)」
和人(わじん)によってアイヌ人差別と迫害の日々を余儀なくされていた。
生活の糧であった狩猟、サケ漁が禁止され、住んでいた土地が奪われたり、アイヌ語が禁止されていたのです。
同じ民族ではないという理由だけであった。
幼いころから和人と同じ学校に通うことを禁止され、土人学校と呼称される学校でアイヌ語を禁止され日本人として同化教育をうけてきたテル。
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学業が優秀であり女学校を受験し優秀な成績となるがアイヌということだけで不合格となる。
1917年(大正6年)、アイヌとして初めて和人と同じ女子職業学校に入学。しかし学校での日常は理不尽な差別といじめの日々であった。
幼い時から共に育ったアイヌの青年一三四(ひさし)(望月歩)は、テルの苦しみを自分のことのように感じ苛立ちを隠せない
「なんで俺たちが差別されなきゃいけないんだ。アイヌに生まれただけで」 テル「同じ人間なのにね」
テルの伯母(イヌイエマツ)はアイヌの口承文芸ユーカラを歌い聞かせ語った「お前の身体ん中にあるユーカラは、なんぴとも奪うことは出来んのだあ。みんなカムイが見てて下すってんだ」
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ある日東京からアイヌ語研究の第一人者である兼田教授(加藤雅也)がユーカラを聴きに伯母を訪ねてきた。
テルに兼田は「ユーカラはアイヌ文化の雄大な叙事詩で、優れた伝承文学です」と言った。差別と迫害の中で育ってきたテルにとってその言葉がテルに気づきをもたらす。
「アイヌであることを誇りに思っていいのですか?」兼田は大きく頷きながら、アイヌ語と日本語が流暢なテルに、ユーカラを文字で残す事を進めるのだった。
「あなたが書けば、アイヌの心を伝ええることができる」
兼田から送られてきたノートにアイヌ語をローマ字でつづり、テルの感性で日本語に翻訳していく作業が始まった。
その出来栄えは、兼田が想像していたものを遥かに超えていた。本格的に出版物にしようと、テルを東京に呼び寄せる。
そんなテルを励ましながら心配そうに見つめる一三四は自分の将来をテルに打ち明けるのだった
「俺は差別されないアイヌになる。そしてアイヌの誇りを取り戻す」そして東京から戻ってきたら、一緒になろう想いを伝えた。
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ユーカラの翻訳は順調に進むが、19歳になったテルの心臓に病魔が襲い掛かる。
医師からは「結婚はできない」と言われ、涙を流しながら一三四に手紙を書く。
一三四は東京へ向かう。だが到着したときは、すでにテルは他界していた・・・
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追加情報 2024-5-21
この作品に登場する[兼田教授]は「金田一 京助」(1882-1949)です
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上映は終了となるが拍手喝采となっていて、舞台挨拶まで続いた
これは異例のことである!
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舞台挨拶
望月歩さん、菅原浩志監督、佐藤文泰さん(東川町副町長)
この作品は、3年かかったそうです。
北海道の風景や野生動物は、すべて撮影したものを使用しているとのこと
ユーカラの翻訳は今もやっている。
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映画館は満員となり「立ち見」まで
アイヌの話でここまで観客が集まるとは。
おそらくですが大反響の「ゴールデンカムイ」の漫画や映画に登場するアイヌの女の子「アシリパ」の影響かと(笑)
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じつは30年くらい前に、大学生だった頃に北海道へよく一人旅をしていました。最初の目的は登山でしたが、先住民族「アイヌ」に興味を抱くようになりました。
旭川郊外にある「アイヌコタン」へ訪問したことがございます。
50歳くらいの男性で、白いひげを蓄えておられて、やや堀の深い姿でした。笑い上戸な人。
予約せず、初対面なのに、とってもフレンドリーでびっくりしました。相手がどこのだれかがわからないのに。
気が付いたらアイヌの民族衣装を着ていて、記念写真!
知里幸恵著「アイヌ民謡集」読んだことがあります。
「銀の滴(しずく)降る降るまわりに 金の滴(しずく)降る降るまに」ではじまる・・・あまりにもその美しさといったら!
アイヌをもっと知りたくなる
予告の切ない雰囲気に惹かれ、アイヌ民族への興味もあって公開2日目に鑑賞してきました。実は公開日には、舞台挨拶付き上映があったのですが、職場の都合で行けなくて本当に残念!監督のお話を聞きたかったです。
ストーリーは、大正期の北海道の学校で、理不尽な差別といじめに遭っていたアイヌの娘・北里テルが、アイヌ語研究の第一人者である東京の兼田教授と出会い、彼の強い勧めでアイヌの叙事詩ユーカラを文字に起こすことになり、その日本語訳に生涯を捧げる姿を描くというもの。
本作は、ユーカラを日本語訳した実在の人物・知里幸恵さんの人生を描いたものであることを鑑賞後に知りました。ユーカラというものも、恥ずかしながら本作で初めて知りました。その日本語訳作業がいまだに続けられていることから、その量の膨大さも推し量られ、長いものは何日もかけて語られるそうですが、文字をもたないアイヌがそれを口頭で伝承してきたことは驚愕です。
また、アイヌの人々が蔑まれ迫害を受け、いわれのない理不尽な扱いに辛酸をなめ続けてきたことの一端を垣間見ることができました。土地も言葉も奪われ、学校では差別といじめ、街では好奇と侮蔑の目に晒され、先祖の墓も荒らされ、人としての尊厳さえ奪われていたことに大きな憤りを感じます。それでもなお生きて、誇りを取り戻そうともがく姿が本当に切ないです。
そんなアイヌの人々に寄り添い、アイヌの誇りを力強く訴え、奪われた遺骨を力づくで取り戻す兼田教授の姿が熱いです。後で調べたら、これは金田一京助先生がモデルのようで、言葉に対する並々ならぬ思い入れに合点がいきました。
他にも、北海道の雄大さと自然の厳しさを感じられる美しい映像もよかったです。懐かしのロビンちゃんこと島田歌穂さんが情感豊かに謡いあげるユーカラも圧巻でした。先日の「ゴールデンカムイ」に続き、ますます北海道に行きたくなりました。
ただ、知里幸恵さんの功績を讃えるという点では意義があり、とても勉強になる作品ではありますが、感動に涙するという場面はあまりなかったです。これは勝手な推測ですが、実際にはもっと酷い差別や迫害があり、アイヌの怒りや悲しみや苦しみはこんなものではなかったのではないかと思います。そうであるならば、それをもっと生々しく描き、この事実が歴史に埋もれることのないように、私のような無知な人間に強く訴えかけてほしかったです。
主演は吉田美月喜さんで、目に力のある演技が印象的です。脇を固めるのは、望月歩くん、島田歌穂さん、清水美砂さん、加藤雅也さん、天宮良さんら。中でも、加藤雅也さんの熱い思いが伝わる演技が素敵です。
ゴールデンカムイでは無い方のカムイ
子供の頃、北海道に住んでいたので、アイヌ民族や屯田兵とか、子供の頃に学校でも習いました。
アイヌの方々は、自然と共に生きて、ネイティブアメリカンと同じようにカッコいいイメージです。
差別があったことは知識として知っていますが、映像になるとかなりキツいですね。本当はもっときつかったかもしれませんが。
所々、ちょっと無理な演出過多という所もありますが、北海道の自然や動物など、映像美も良かったです。
映画全体としては、ちょっと古臭い演出はありますが、全体的に良かったです。
BGMとエンディングががもっとアイヌっぽいと良いのですが。
聞いた事のないお名前でこの映画のみのクチコミ★5がありますので、愛されている作品なのだと思います。
★4か3.5か迷いつつ、バランスを見て3.5とします。
ゴールデンカムイと同時期に公開は意図的なのか、偶然か、ゴールデンカムイの時代から10年後の話でした。公開されている映画館が遠いいので観るか迷いましたが、ゴールデンカムイの直後なので鑑賞を決めました。まったく違う作風ですが、北海道愛はありますね。
いろいろと描写不足ではないかというそしりは免れないものの…
今年45本目(合計1,137本目/今月(2024年1月度)45本目)。
(ひとつ前の作品「サイレントラブ」、次の作品は「ミッション・ジョイ 困難な時に幸せを見出す方法」)
ナナゲイさんで見てきました。満席かつ立見席も満席(舞台挨拶がある回は概してこうなりやすい)というのが印象的でした。
史実通りの展開を取りつつもなぜか氏名は変わっている(ご遺族の方の許可をいただけなかったか、取れなかった?)ものの、実質的な意味において史実ものという解釈でよいのだろうと思います。
その立場に立つと、この映画で述べたかったことであろう「当該主人公の生い立ちから没するまでの功績など」に関しては完全に描写されているものの、それ以外の部分、つまり、アイヌ民族に対する直接的・間接的差別についての描写がなく(なお、この映画はなぜかしら国土交通省が後援という変な映画)、何に気を使ったのか(配慮したのか)というのが不明な部分が多々あります。
もっとも「当該主人公の生い立ちを描く」という観点で見る限り傷はないに等しいので、どう見るかは個々個人かなり判断が分かれると思います。ただ、数少ない「アイヌ民族を扱う映画」として、こうした「直接・間接的差別の実態」についての描写が少なかった点については、それもそれで配慮を欠いているのではなかろうか…といったところです。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.3/映画の描写ではアイヌ民族がなぜ北海道(蝦夷)に住むようになったのか理解しがたい)
・ この描写では、あたかも明治維新以降の富国強兵の一環で強制移住させられた等の解釈が取れそうですが、実際にはかなり前から在住しており、和人(日本人)との戦闘もそれよりも前には起きていることです(コシャマインの戦い(1457)、シャクシャインの戦いほか)。
(減点0.2/北海道旧土人保護法に対する解釈が何も存在しない)
・ アイヌ民族に対する直接的、間接的差別は色々な形で存在しましたが、間接的差別として存在した法として「北海道旧土人保護法」があります(完全廃止されたのも平成1桁というかなり最近のこと)。
この法は差別的な内容を含んでいたのみならず、そもそも論として日本民法と矛盾するような謎の規定が存在し、この部分については何らか触れてほしかったです(後述)。
(減点なし/参考/舞台挨拶でのトークショー)
・ この映画は東川市(旭川市に接する)の協力があり、その関係者の方もトークショーに出ておられたのですが、限られた時間(15~20分)という中で細かい話をするのは難しいとしても、東川市への移住促進の話やお誘いなどをするのは「場違い」に思えます(1時間もあるなら話は別だが、こうした理由もあいまって「質問コーナーがなくなる」という状態になるのは変)。
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(減点なし/参考/北海道旧土人保護法と旧民法(帝国民法)の矛盾)
・ 同法は、建前上はアイヌ民族に対する差別意識、差別的政策があった一方で、実際にそれを推し進めた結果、土地を失ったり経済的に詰まる当事者が続出したためにできた法律です(明治32年成立)。
この法は土地の無償給与などを定めた法ですが、一方で当事者がそれを売ったり賃貸したりという「利益をあげる行為」を防ぐため、民法の物権の大半を除外する特別法の位置づけで「留置権、先取特権の目的となることなし」(原文のまま、現在の漢字表記に修正)といった記述があった法です。
しかし留置権、先取特権は「法定担保物件」といって条件を満たせば当事者の意思と関係なく成立するものです(この意味で質権や抵当権と異なる)。当然、当時のこんなマニアックな行政法規を知っている国民などごく少数なので、当事者との土地のやり取りは一定数存在したと思われるところ、同法に触れます。この点、特別法であり強行法規と解される同法が優先適用されるのか、当事者との真の同意があればそれが優先されるのかが怪しく(判例はまるで存在しない)、また、当然このようなマニアックな行政法規を知っている人が当時どれだけいたのかも怪しいため、錯誤無効(当時。現在は取消し。95条)が(条件を満たせば)主張できるのか等、民法上怪しい点がかなりあり、こうした点に何ら触れていない点は、アイヌ民族が「経済的差別をどれだけ受けていたのか」という点が不明であり、こうした点に140分近い尺を取りつつ何も触れていないのは、ちょっとそれもそれでどうなのか、という気がします。
ゴールデンカムイの星【3・5】を考慮するとこの星なのだ❗️【個人的感想にすぎない】
イヤイヤ ゴールデンカムイも本作も 両方とも 良い作品です それは相違ない
ただ ゴールデンカムイが娯楽に振り切っている良さ
に比し こちらは 人間ドラマ 苦難の歴史
アイヌの方々にとっては両作とも 好感カモ🦆です。表裏一体作品。こちらはヒューマンドラマ
骨太。若干名画座上映系統ではあるけども、新作一般映画館上映にも十分耐えうる普及作品 力作
頑張れぇ、負けるなよ と・・
実在の人物 知里幸惠さん 1903 1922
学校に入れず、辛うじて入れた学校でも理不尽な・・
そして 本土から来た 和人の酷さ 歴史
あっ❗️風景の描写に関しては 本作の方が ゴールデン より 雄大で正確な北海道です。
アイヌの叙事詩というか口承文学の 文書化 よく頑張ったねぇ❗️
主人公役の吉田美月喜さん
素晴らしい 2つの歌声を披露した お久しぶり 島田歌穂さん【単に私が演劇ミュージカル観ないだけです】
コレまたお久しぶりの清水美砂さん【昔ワシの好み😍面影が懐かしい】
が盛り上げて 人間ドラマを昇華させてくれている
しかしワシ的には 主人公の幼馴染で密かな恋心の ひさし 役の望月歩さんの リアル無念感が胸を打った❗️
でもね 個人的な感想にすぎないけど
結局 全部持ってったのは 帝国大学教授兼田教授【実際には金田一京助】役の 加藤雅也さんの熱血漢ぶりだった❗️
だって偏見と差別に満ちた 和人 の中で 唯一のアイヌ理解者 決して自らの価値観を曲げず
主人公を後押し は 観ていて 大共感なのだった。偏屈だけども 偏見なく本質を捉えられるある意味人格者
「ワシもこういう人になりたかった」って観ててマジ思った❗️
オスカー・シンドラー 杉原千畝 的な・・【ただし 全然別の話ですよ❗️あくまで例示】
ユーカラはよくわからないけど 厳しいけど 優しい大自然の中で育まれた素晴らしい伝統👍と思う
よくわからないけど 北海道においてはアイヌの方々の方が先輩なのだから 敬意があって然るべきだと思うよ。
と滅多にない優等生ヅラするジジイであった。
俺も北海道住んでた割に アイヌの方々への理解が浅いの反省した。実際 地名とか アイヌ由来のが多いからね
映画公開を記念して コミック発売中 本物の「アイヌ神謡集」は高尚かもしれないけどコミックなら・・
【基本 ネタ元は 有料🈶パンフです。】写真文化首都 旭川近くの東川町が 力こぶ💪
あぁ無情…
実話を基に作られた話。
ざっくり100年ぐらい前の話で、日本に限らず欧米でも人種差別があったのだろうが、今観ると、すごくいたたまれる。
そういう気持ちになるのは、社会が成熟して、それだけ教育が行き届いたことで、差別は悪だという感情を醸成できた結果なのだろうか?
当時に生きたとして、劇中の兼田教授の言に耳を傾け、同じ感覚になれたかのだろうか?
同じように差別をしていたかも…?
学校の教育者が積極的ではないにしろ、平等に扱おうとしていたことが、少しだけ安心したが…。
アイヌに限らず、古来からの文化が継承・保存されることを願わずにいられない。
評価の分かれる映画だと思います
アイヌ語は文字を持っていない、持たなかったのでアイヌ語は近代化に適応することが出来ず消滅してしまうのは仕方が無いことだと思っています。映画の中で「ユーカラは素晴らしい、後世に残さねばならない」と主張されますが、文字として記録を残せなかったために消滅したものは、ユーカラの他にも多数あったでしょう。「だから何なのよ」で終わってしまいます。それを「言葉を奪われた」などと言われても、ちゃんちゃら可笑しい。亡びくべきして亡んだだけです。
でも、評価の分かれる映画を作ると言うことは素晴らしいことだと思います。この映画を作ったと言うことだけは評価します。観客も結構入っていました。
知里幸恵の文章の美しさ
「アイヌ神謡集」を著し、19歳の若さで亡くなった知里幸恵の生涯を描いた作品。知里幸恵のことは、いつか映画化されないものかと思っていたが、今回、写真の町・東川町が中心となってついに実現したことを、素直に讃えたい。
映画の中では、「土人・臭い」といった差別や偏見、和人への同化政策、墓泥棒まがいの遺骨収集、さらには厳寒の漁場での強制労働など、アイヌ民族が被った、目を背けたくなるような苛烈な差別と過酷な境遇が、しっかり描かれている。今更ながら、平成の時代まで「旧土人保護法」という差別的名称の法律があったことを思い起こす。
そうした中で、知里幸恵(作中では北里テル)が金田一京助(作中では兼田教授)と出会い、アイヌ文化がいかに優れているかを聞かされ、アイヌ民族としての誇りを取り戻すシーンには、胸が熱くなる。映画のプロローグとエピローグで朗読される、幸恵が「アイヌ神謡集」に書いた美しい序文が、幸恵の命をかけた願いと、この映画のテーマを、すべて言い尽くしているように思う。
出演者では、島田歌穂が光る。劇中のユーカラやエンディングテーマの美しさは、彼女ならでは。加藤雅也も研究一途な感じが出ている。
主人公と幼なじみの若手二人の演技は今ひとつで、二人の関係性の描写や展開もぎこちなく感じられるなど、作品としての完成度は十分とは言えないが、こうした作品が制作され、広く一般劇場で公開されるのは素晴らしいこと。多くの人に観てもらいたい。
カムイのうた
映画を観るまでは、知里幸恵さんのお名前とアイヌ神謡集を書かれた方という認識しかありませんでした。
しかし、この映画を観て彼女たちアイヌの知識の豊かさ尊さそして苦しみの一部分をを知りました。
美しい雄大な北海道の景色とその中で生きるアイヌ。同じ人間として祖先が犯した罪に心が痛みます。この映画は難しい壁を乗り越え作られた作品だと感じます。
これは、北海道に住む、いや、世界の全ての方々にお勧めしたい映画です。
初日、映画館に溢れる人を見てこんなにも多くの方々の待ち望んでいた映画なのだと深く感銘致しました。素晴らしい映画でした。
カムイのうたを観た感想
カムイのうたを観て、私が特に印象に残っているのは、鎌田先生がアイヌ民族は文字や記録を使わずに、ユーカラを通して大事なことを受け継いでいると、講義をしているシーンとテルの母が校長先生とお話しをするシーンで、校長先生が言った「無知が生む偏見」という言葉です。アイヌ民族が差別を受けている理由について、あまり考えたことがありませんでした。倭人達は、生活様式や言葉、身体のつくりが自分達と違うというだけで、訳もなく差別をしてきたのだと思います。なので特に差別に意味や理由はないのではないかと考えました。劇中、倭人もアイヌも同じ血が流れている人間だとあったように、違いはあれどみんな同じ人間で優劣をつけられるものではないので、鎌田先生のように自分と違う人達を知ることが大切だと感じました。
ユーカラとバイオリンなどの楽器の音が融合しているシーンがあって鳥肌がたちました。
カネトの音楽劇でも出てきた「銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに」が劇中に出てきて、知っているフレーズがあって嬉しくなりました。
映画を観てアイヌについて、もっといろんなことを知りたいと思いました。
たくさんの人に見てほしい映画です。
「私たちは何も許されなかった」
そのキャッチコピーの意味が映画を通して、いろいろな場面で伝わりました。
アイヌ民族について、知っているつもりでいたこと、差別や同化政策とはどんなものなのかということ‥‥改めて考えさせられる映画でした。
無知が生む偏見や差別は現代にも通じる課題です。どの年代の人にも知ってもらいたい、見てもらいたい映画だと思いました。
日本映画史に残る作品
美しく、素晴らしい映画でした。
この映画を観てそのあとの感想は千差万別になることは間違いないでしょう。
なぜならこの映画に収められているテーマは多岐に渡るからです。
差別や貧困、紛争、人類愛、師弟愛、家族愛、人間愛、映像美、喜怒哀楽、言語文学、自然愛、教育、数えたらきりがない。
文化的価値の高い作品だということは現状の海外での受賞状況をしれば納得です。
劇場のパンフレットに記載されていた海外での受賞数をみて驚嘆しました。
是非、上映期間中に映画館に足を運んでもらいたいと思います。
なぜなら、あなたがこの映画を見に行ったならば、いたるところの観客席から小さくすすり泣く声、微笑む声、物思いにふける音無き声を聴くことができるからです。それは、かけがえのない素敵な時間を共有することができ、この映画はそのような体験ができる数少ない映画のひとつだと思います。
何せ映像が美しいので
小さなお子様と一緒でも、ご高齢の方と一緒でも友人とでも、一人で行っても映画を楽しめることは間違いないです。
同じ時間と記憶を共有できるチャンスです。
このような映画に出会えて感動、感謝です。
とても良い時間を過ごすことができました。
ありがとうございます。
少女の生き様
アイヌ民謡集を命の限り書き綴り民族の誇りを後世に伝えた知里幸恵さんの物語
差別されながらもこんなに聡明で必死に生きた女性がいたとは驚き
映画は自然豊かに壮大に描かれています。
低予算なのに一年あまりで作り上げたことにこれまた驚
号泣とまではいかないがホロリとする場面あり
島田歌穂さん当然といってはなんだけど、演技上手だったなあ
加藤雅也さん、吉田美月喜さんも
民族としての矜持
観ていて、自然と頭が下がる思いでした。
徹底した和人(シャモ)への同化政策の荒波のなかでも、民族の尊厳を失わず、文字を持たなかった自らの民族の文化を後世に伝承する事業に、文字どおり心血を注いだ彼女の生きざまに。
涙こそ流れませんでしたが、それは、作品の完成度の問題ではなく、彼女のアイヌとしての矜持の高さに、胸はいっぱいにはなるものの、泣く余裕、暇(いとま)すら与えられなかったというのが、正直なところでしょうか。
決して「演技派」と称されるような著名な俳優さんばかりが結集して製作されている訳ではないのですけれども。
しかし、上映に先だってあった菅原監督の舞台挨拶にもあった通り、民族の問題を取り上げた作品の故に、当初に監督が想定していた人物からは出演の辞退が相次ぎ、その一方で、アイヌの方々からは「和人(シャモ)のお前に何が分かって、どれ程の作品が撮れるのか」と、これまた相次ぐ取材の門前払いを食わされるなど、幾多の困難を乗り越えて撮影が続けられ、遂に完成にまでこぎ着けた作品であるためか、どの俳優さんも、それぞれの役柄を一生懸命に演じる気持ちがスクリーンから溢れて伝わるようで、とても好印象がありました。
アイヌ文化の発掘・振興に19歳の(文字どおりに短い)生涯を捧げた知里幸恵を描いた一本として、彼女と縁(ゆかり)の深い近隣市が、作品の完成を記念して開催した特別試写会の選に当たったので、劇場公開に先駆けて鑑賞することができた一本になります。
試写会の「特別」の冠に決して負けていない、素晴らしい作品(佳作)であったと思います。評論子は。
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