「綾野剛は素晴らしいけれど・・脚本がダメダメ」カラオケ行こ! クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
綾野剛は素晴らしいけれど・・脚本がダメダメ
綾野剛、凄いとしか言いようがない。コメディ基調の作品において、男の可愛らしさを難なく表現出来る様を観るだけで価値あります。スラリと伸びたスリム体型に優男と強面の変幻自在。まるで彼のための役と思ったら、どうやら原作者も彼を意識して描いたとか、役者冥利に尽きますね。おまけに激しいヘッドバンギングで熱唱される歌唱が上手いのか下手なのか、微妙な案配が圧巻です。
成田狂児、これが彼の役名で、端からぶっ飛んだ設定の絵空事を血と肉で造形してゆく、実は難役でしょう。まして相手は撮影時多分15歳の齋藤潤君、もろ中学生なんですね、綾野の息子の年代。これが少年愛的ニュアンスに陥らないところは評価すべきでしょう。こんな男の色気駄々洩れで、一人前の男なんざ、彼の他は小栗旬くらいしかいない。よりコミカル側ならば綾野しかいない。
肝心なのは相手役の齋藤潤君ですが、無垢でクソ真面目、ラストの熱唱で観客を虜にさせる作戦は大成功でしょう。失礼ながら主役の場合華に欠け気味な芳根京子が脇に周り、ほんわかムードを醸し出しいいじゃないですか。朝ドラ「ブギウギ」で主人公の理解ある上司を演じ好感度アップの橋本じゅんから、やべきょうすけ、思わぬところで加藤雅也、そして親分北村一輝と、ちょっと勿体ないレベルの起用です。
原作は漫画ですが、近頃の邦画は割とどころか結構多いですね。オリジナル脚本よりも既にとんでもない刊行数のコミックスでしっかり客がついている漫画原作の方が確実に集客が見込めますから。しかし漫画がベースになると、もとより絵コンテ同然の原作があるわけで、風貌のみならず描写のアングルまで実写においては無視出来ずってジレンマがある。画のない小説等なら監督の思うままですが、漫画原作はそこがネックでしょう。
私は漫画原作もまるで存じ上げず、ただ新作映画として鑑賞したまでです。その上で、本作を気に入られた方も多数いらっしゃるでしょうが、御免なさい私には前述の役者に関して以外はまるでダメでした。お気に入りの山下敦広が監督でしたのに残念至極。なにより脚本がホント出鱈目、観客を自然に落とし込む努力がまるでない。原作漫画では無理なくとも実写にする以上細工が必要なのは当然でしょ。
ヤクザと中学生の関係性、親や教師は一切絡まず話も拡がらず、変声期のポイントも弱く、歌唱の指導もいい加減、常にヤクザ側が上位の立ち位置を維持するために子供にまで手を出した、と言う欺瞞が拭い切れない。フツーでしたら、少年を介して歌唱指導を乞うのは芳根京子になるべき。なのに敢えてそうしなかったのは、色恋抜きの少年の成長を通じヤクザの成長をも描きたかったのでしょう。仔細をキチンと押さえていれば傑作になったかもしれないのにね。
原作ありは難しいですね。自分も少し物足りなくて、監督独特のギャグとメインの女の子の不足が要因と思いました。ラスト近くの「あれは現実だったのか?」も今ひとつじんと来ませんでした。
いえ、この話のゴールは「ヤクザの歌唱力向上」でも「変声期問題の解決」でもなく「少年が誰かのために歌う」なのでこれでいいんですよ。
序盤で先生が「足りないの愛だ」という発言をしてるシーンでテーマが確定します。テーマが確定した段階でヤクザの彼は最初から「誰かのために心を込めて歌ってる人」というゴールにいるので、ヤクザは成長するキャラではなく少年を導くキャラに該当すると分かります。
つまり「ヤクザの歌がうまくなる」は映画のゴールではないので、音楽の先生が介入するなどの技術的すぎる指導があるとストーリーの辻褄が合わなくなります。少年の歌唱指導が適当なのもそれが理由です。
変声期問題は、それを気にせず少年がヤクザのために歌えば解決するので深掘りする意味はないと感じました。
また、大人が絡むと少年を保護しにいく余計なシークエンスが必要になるのでこれも不要かと。