かつて鋳物作りで栄えた埼玉県川口市の南東部、荒川の支流・芝川沿いに多くの町工場が立ち並ぶ領家の地で、幼少期を過ごした画家・井上文香さんが描いた絵本『青の時間』。この絵本との出会いが、映画の企画につながったという。映画の舞台を架空の町“十函(とばこ)”としつつも、本編の大半は荒川の支流・芝川沿いに位置する領家で撮影したが、途中、黒川幸則監督とプロデューサーの黒川由美子氏が拠点とする東京都多摩市関戸のカフェバー「キノコヤ」の周辺および店内で撮影したシークエンスを挿入している。
私自身多摩市在住でありキノコヤも何度か訪れたことがあるので、キノコヤの前の通りが映ってすぐに気づいたが、両方の地を知らない人が本編を観たら、十函の一部として自然に受け入れるのではないか。川口市領家と多摩市関戸という、一見無縁の2つの土地が違和感なく繋がって見える要因の一つには、川沿いに位置するという地形上の共通点があるように思う。
私は川口市を訪れたことがなく領家についてもまったくの無知だったが、グーグルマップでこの町を見て、関戸との類似点に気づいた。第1に、支流の芝川が荒川に合流する場所にほど近い領家の位置関係が、多摩川水系の大栗川が関戸のキノコヤの前を通ってほどなく本流に合流するのとよく似ていること。第2に、領家のやや西に鎌倉街道中道(なかつみち)が通っているが、多摩市関戸も鎌倉街道上道(かみつみち)が通り抜ける。調べてみると、領家も関戸も古い時代からの街道筋であり、荒川や多摩川に橋が架かる前は舟で渡る必要があったことからもまず宿場町になり、やがて地場産業が栄え(関戸界隈は八王子と同じく養蚕業)、1960年代以降は首都への急激な人口流入によりベッドタウン化していった。歴史的にこんな類似性を持つ2つの離れた土地が、映画のカット編集によってさらりと繋がっているのがなんとも感慨深い。
主人公のサカグチはあてもなく川沿いの町を彷徨い、人と出会い、言葉を交わすが、架空の町の設定であってもロケを行った土地の歴史や記憶がそこはかとなく漂っている。歴史という大きな時の本流に繋がりつつも、流れがよどむ湾処(わんど)と呼ばれる地形のように、映画の中に閉じ込められた緩やかな時間に身を委ねるのが、この“すなば”での正しい遊び方なのかもしれない。