愛する人に伝える言葉

劇場公開日:

愛する人に伝える言葉

解説

フランスを代表する名優カトリーヌ・ドヌーブと「ピアニスト」のブノワ・マジメルが共演し、ガンで余命宣告を受けた男とその母が穏やかに死と対峙していく姿を描いたヒューマンドラマ。

人生半ばにして膵臓ガンを患ったバンジャマンは、母クリスタルとともに、名医として知られるドクター・エデのもとを訪れる。ステージ4の膵臓ガンは治せないと告げられ自暴自棄になるバンジャマンに対し、エデは病状を緩和する化学療法を提案。エデの助けを借りながら、クリスタルはできる限り気丈に息子の最期を見守ることを決意するが……。

主人公に愛情を寄せる看護師を「モンテーニュ通りのカフェ」のセシル・ドゥ・フランス、主治医のドクター・エデを実際にガンの専門医であるガブリエル・サラが演じる。監督は「太陽のめざめ」のエマニュエル・ベルコ。2022年・第47回セザール賞でマジメルが最優秀主演男優賞を受賞。

2021年製作/122分/G/フランス
原題または英題:De son vivant
配給:ハーク、TMC、S・D・P
劇場公開日:2022年10月7日

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(C)Photo 2021 : Laurent CHAMPOUSSIN - LES FILMS DU KIOSQUE

映画レビュー

3.5季節が巡るように訪れる人生の最期

2022年10月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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ニコ

4.0最後の瞬間をどう生き抜くかを真摯に見つめる

2022年10月16日
PCから投稿

終末医療を題材にするということは、少なからず死と向き合うことを意味する。作り手にとっても、観客にとっても、それは一見、暗くて長いトンネルのように思えるが、この映画が静かに胸を揺さぶるのは、いかに死ぬかではなく、最後の瞬間を「どう生きるか」を描ききっているからだろう。それは決して孤独な戦いではない。ドヌーヴ演じる母もいれば、実際の医師のガブリエル・サラ演じる主治医、看護師たちがいる。それからブノワ・マジメル演じる主人公の「演技講師」という職業もまた深みをもたらす。若い俳優の卵たちに「いかに自分を解放して役を生きるか」を情熱的に教える彼の姿は、まさに自身がありのままに生命と向き合おうとする投影であり、なおかつ後進へ残すことのできる遺言にさえ思えてならない。そして何より医師の言葉が力強い。それは気休めではなく、空虚な希望でもなく、最後の瞬間を生き抜く知恵と覚悟と勇気をもたらしてくれるかのようだ。

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牛津厚信

4.0余命を生きる

2024年8月7日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

悲しい

単純

主人公(ブノワ・マジメル)はがんで余命宣告を受ける。 主人公を溺愛する母(カトリーヌ・ドヌーブ)は献身的だが、息子の人生にいろいろと影響したらしい。 主治医(ガブリエル・サラ)は名医で、無理な治療はせず、不安に苛まれる患者への対応に重心を置いていた。 亡くなるまでの一年間を描いているが、無理な展開はなく、納得できる生き方で感動を呼び起こしている。

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いやよセブン

3.0自分の死期と死生観にも思いが至る

2024年5月13日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

余生をより良く生きるためには、やはり知った方が良いのでしょうか。自分の死期というものは。 案外、「知らぬが仏」で、知らない方が充実した人生を送れるものでしょうか。 たぶん、告知を希望しなかったとしても、周囲(家族、知人)の言動から、きっと自分の余命限られていることは、うすうす気がついてしまうことでしょうけれども。 評論子も若年・壮年だった頃は、考えてもみなかったことですけれども、「後期高齢者」になるまでは今暫く時間があるとしても、そろそろ人様からは老年と言われる年代になると、「今まで生きてきた時間」よりも「これから生きていく時間」の方が明らかに短いことは、疑う余地のないところです。 そのことに改めて思いが至ると、壮年にして余命を宣告されたバンジャマンの「生き様」か、胸に迫るようでした。 彼は俳優養成所(?)の講師として、すなわち自身も俳優として、それまで幾多の「他人の人生」を演じてきたこととは思うのですけれども。 しかし、いざ降りかかってきた自分の運命(尽きようとする命脈)は、なかなか受け入れることができない―。 その「辛さ」「苦しさ」は、並大抵のものではなかったと推察します。 そして、そういう彼の姿からは、観ている「こちら側」の死生観をも問われているように思われました。 その「痛み」ということでは、佳作としての評価が適切な一本であると思います。評価子は。 (追記) <映画のことば> 自分の死期は、誰にも分からない。 本作としては、いささか「脇筋」なのかも知れませんけれども。 しかし、只者ではないと思いました。パンジャマンの主治医であるエデ医師は(演じているのが実際のガン専門医であるようですけれども。)。 そして、彼は、物腰や立ち居振舞い等(など)から推すと、どうやら、この病院の院長先生の役どころのようです。 入院患者により良いケアを提供するためとあらば、患者の家族(パンジャマンの母親であるクリスタル)そっちのけで、院内にプロの(?)ダンサーを招き、イベントを開催して、それで入院患者たちを心底から楽しませるー。 その上で、専門家(医師)としての自信に溢れ、患者やその家族に安心感すら与えていた―。 彼の姿は、それだけでも、感動ものだったとすら思います。評論子は。 上掲の映画のことばのとおり、人間、いつ、どこで、どんなふうに最期を迎えるかは分からないのですけれども、自分の最後にもエデ医師のような医者に当たって欲しいと思 ったのは、評論子だけではなかったことと思います。 (追記) <映画のことば> 患者は、愛する人々と穏やかに最期を迎えるのが、いい。 そして、隠しごとのないこと。 最近、相続に関して「愚行権」という言葉を聞きました(読みました)。 相続で、相続人である子どもたちに継がれる立場の親(被相続人)としては、その財産を浪費することなく、少しでも多く相続人へ引き継ぐのが「最後のお役目」なのかも知れないのですけれども。 もちろん、それが故に警察に捕まったり(刑事事件)、損害賠償金を支払うはめに陥ったり(民事事件)しては元も子もないのではありますけれども。 あくまでも触法しない限りでは、(いわゆる幸福追求権の一つとして憲法13条で保障されている?)愚行権の行使として、評論子の場合はそれが、旅行三昧になるのか、映画三昧になるのか(映画はそんなにお金がかからないか?)、今はまだ歯を食いしばってフルタイムで働いてはいても、余生くらいは、推定相続人様であらせられる子どもたちにも「隠しごとなく」、愚行を楽しめればとも思いました。

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