ノースマン 導かれし復讐者のレビュー・感想・評価
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無駄にグロい
イーサン・ホーク、ニコールキッドマン、アニャテーラージョイというキャストにつられて?観てしまったという方もおられると思いますが。
(個人的にはやはりイーサンホークは良かった)
とにかくダークファンタジーというジャンルになるのかな?無駄に流血、内臓、首跳ねが辛い。
ファンタジーシーンが安っぽい。
主人公に魅力がない。
というところ。
けっこうよかった
もしかして照明を使わず、ろうそくや焚火の光で撮影しているのかと思うほど、夜が暗い。今、タクティクスオウガリボーンというゲームをしていて、魔法使いやドラゴンや鳥人間が出てきたらそのままゲームの世界だと思うのだけど、それらは出ず剣と鎧と奴隷が出る。魔女みたいなのはいる。
当時の人々の生活や文化は図り知れないのだけど、それをリアルに再現しようとしているようで、美意識が徹底している。野蛮で今とは全く常識が違う。人権など全く関係なくて、恐ろしい。頭がよくて勇気と行動力があって、腹が座っている人が強いのは今と一緒だし、怖い女がいるのも同じだ。
「ワルキューレ」とか「指輪」とか
鑑賞前の興味・関心は大きく二つ。
一つは
〔ウィッチ(2015年)〕
〔ライトハウス(2019年)〕で、
小さな共同体の「内部崩壊」を描いた『ロバート・エガース』が
より大きな(とは言え、実際は縁戚間の諍いだが)スケールの物語りを
どう料理するのか。
もう一つは、
叔父に父を殺され、母は奪われたとの境遇の主人公は
実在したと言われる北欧伝説上の人物
且つ、『シェイクスピア』の〔ハムレット〕の元ネタとも言われるプロット。
類似の設定は
〔コナン・ザ・グレート(1982年)〕
〔コナン・ザ・バーバリアン(2011年)〕でもあり
(しかも主人公は何れもマッチョ)、
「コナン」の評価はダメダメな一方、本作が高い理由。
ちなみに鑑賞日時点では、
IMDb:7.1
Metascore:82
と、わけても評論家筋の支持が高め。
筋立ては極めて直線的。
領民にも慕われた(二つ名を持つ)バイキングの王『ホーヴェンディル(イーサン・ホーク )』が
弟の『フィヨルニル(クレス・バング)』に殺され
王権は奪われる。
王子であった『アムレート(アレクサンダー・スカルスガルド)』は
一旦姿を隠し、身を窶し、復讐の機会を伺う。
神話だけあり、
多くの怪異が主人公を助けた末に悲願は達せられ、
王権は所有者の血筋に戻される。
この世のものならぬ援助が多くあることこそ、
主人公が正統であることの証。
この時代臣下に慕われる要素は、
単純に戦に強いこと。
先の王は多くの町や村を襲い、略奪し、殺害し、焼き尽くし、
生き残りは男も女も奴隷として扱うことが理。
そこには本来であれば多くの怨恨が絡み合うはずも、
王族のそれだけが取り上げられるのは、
本来的には矛盾。
とは言え「英雄譚」なのだから、
致し方はないところか。
一方で、そこに散りばめられた諸々は
血生臭くも美しい。
監督は規模の大小とは関係なく、
持ち前の透徹した映像美で描く。
時としてオペラを観ている感覚にもとらわれ、
なるほどこれは、高評価が得られよう。
また、肉親同士の葛藤や王や王妃の裏の顔も暴き出し
人間ドラマとしても秀逸。
とりわけ王妃の動機は「Frailty, thy name is woman」にも関連し、
主人公の葛藤は「To be, or not to be」に繋がる。
脚本も練り込まれている。
北欧神話だけあり、
「ワルキューレ」や「ノルン」「オーディン」等の名称の頻出も特徴的。
それにしても我が国産のゲームやアニメ、コミック、ノベルスは、
こうした出典を良く学んでいるのだな、と
異なる側面でも感心してしまう。
まぁまぁでした😑
劇的に盛り上がるわけでもなく
誰が死んでも 特にどうってこともなく
感情移入ができないと
結局一年後には忘れてしまいそうな作品です。
ベン・ハーやトロイやグラディエーターは今でも良かったなぁと改めて思い起こさせられました。
役者さん達は流石でしたけどね✨
なんか轟音シアターの音響に誤魔化された感覚です。
あと、コメントたまにいただくのですが
なぜか返信の際、送信ボタンクリックしても反応しません😥
問い合わせてもなんの音沙汰も無いです。
ですので返信できませんのでご了承くださいませ(涙)🙇♂️
正直、グロイだけで面白くないです
正直、グロイです。欲望のおもむくまま略奪・殺戮が行われる時代のお話です。
主人公が親の仇うちを誓うと言ったってねえ、お互い様でしょ、あんたら惨いことしてまっせ・・
今から千年以上も前の時代を今の基準で測ることはできないということは
理解しますが、話自体面白くないです。
みどころは、アニヤ・テイラー・ジョイのお尻でしょうか・・
北欧神話に詳しければ、もっと楽しめたかも…
先に観た「パーフェクト・ドライバー」がおもしろく、勢いに乗って本作をハシゴ鑑賞してきました。予備情報はなくキービジュアルだけで、屈強な男が悪の親玉を叩きのめすような話かと予想していましたが、そんな甘っちょろい話ではなかったです。
ストーリーは、9世紀の北欧のとある国で、父オーヴァンディル王を叔父フィヨルニルに殺され、母も連れ去られた、幼い息子アムレートが、父の復讐と母の奪還を誓って祖国を脱出し、バイキングの一員となって数年が過ぎた頃、仇のフィヨルニルがアイスランドにいることを知り、奴隷に紛れてそこに乗り込んでいくというもの。
簡単に言えばそれだけで、北欧で繰り広げられる復讐劇という、それ以上でもそれ以下でもない話です。曇天のもと、荒涼とした凍てついた大地、暴虐の限りを尽くすバイキング、彼らに売買されて労働を強いられる奴隷と、気分が沈むような暗い映像が終始映し出されます。当時は本当にこのような非人道的な行為が日常的に行われていたのかと思うと、恐ろしくなります。しかし、これが復讐に向かう重苦しい雰囲気を醸し出し、じわじわとお膳立てしている感じは悪くないです。
また、途中の会話に北欧神話に基づくと思われるオーディン、ヴァルハラ、ヴァルキリー等が出てきたり、預言者が登場してスピリチュアルな空気を醸したりと、当時の人々の信仰、思想、風習、人生観等を描こうとしているようで、その雰囲気が伝わってきたのはよかったです。北欧の方が観たら、本作の根底に流れるものにかなり共感できるのかもしれません。
とはいえ、北欧神話に疎い自分には、本作で描く世界観や当時の宗教や信仰のもつ意味が十分に汲み取れず、単なる復讐劇としか映らなかったのは残念です。また、さらわれた母へのこだわりが強すぎて、終盤で明かされる母の思惑も途中で読めてしまい、ストーリー的にも魅力は薄かったです。というわけで、北欧の自然や雰囲気を存分に感じさせてもらえたものの、作品としておもしろかったかと問われると、ちょっと微妙な感じでした。
主演はアレクサンダー・スカルスガルドで、鍛え上げた肉体で復讐に燃えるアムレートを演じています。共演のアニヤ・テイラー=ジョイは、強く美しいオルガを好演。脇を固めるのは、ニコール・キッドマン、イーサン・ホーク、ウィレム・デフォーら。でも、上映中はウィレム・デフォーに気づきませんでした。
ロバート・エガースって映画
色のない映像、どんよりした曇り空、雨、泥濘、不衛生感、不快な音響などなどロバート・エガースの大好きなシチュエーションを漏らす事なく盛り込んだハムレットのモデルとなった北欧神話の映像化。
父親の復讐を試みるもスカされ、正義や大義を見失いつつもshow must go onで心の整理ができないまま破滅の道を辿らざるを得なかった悲劇、と言う意味では面白く観ることができた。
一方、得体の知れない儀式や人間によるものか神によるものかよくわからない所業(馬が空飛んだり、双子を言い当てたり)などある程度の(何かの?)リテラシーが無いとわかりにくい部分も多く、意図された設計通りの楽しみ方は出来なかったような気がして少し残念なところもあった。
主演のアレクサンダー・スカルスガルドや敵役のクレス・バングなど北欧出身の2m近い長身の役者やニコール・キッドマン、アニャ・テイラー=ジョイなど美しい白人女優を起用し雰囲気づくりはさすがだと思った。
個人的にはせっかくなのでビョークにもっと活躍の場を与えて欲しいと思った。
上映時間長すぎ。
人の命に価値がない時代
2023年劇場鑑賞16本目。
昔の復讐劇ということくらいの情報で鑑賞。
まぁとにかく野蛮。通りすがりに遊びで弓で射殺したり、面倒だから人を燃やして捨てたり、よく分からないからとりあえず殺しとこうとか、もうそんなシーンばかり。復讐もやろうと思えばすぐできるのに、預言通りのシチュエーションにこだわるもんだから尺が伸びる伸びる。主人公の父よりなんの罪もないのにあっさり殺される人たちがかわいそうすぎて(主人公も殺してるし)この人たちの復讐は誰がするの?と思ったら全然感情移入できませんでした。
父の仇
「ヴァルハラ」と聞くと「東京リベンジャーズ」のバルハラ(芭流覇羅)を思い出すこの時代
時代や衣装で「ゲーム・オブ・スローンズ」みたいな話かと思ったら、野茂英雄ばりの真っ向勝負な話だった
とにかく主人公がど直球野郎
話も結構ダルく、途中出てきた野球とラグビーを足したようなゲームが唯一の笑いどころか⁉
ツッコミどころも満載で、エンドクレジットでイーサン・ホーク、ビョーク、ウィリアム・デフォーが出ていることを知ったのが、一番の個人的ツッコミ
北欧の英雄譚だが若干マカロニ・ウェスタン風味? 咆哮を上げ続ける筋肉ダルマのハムレット!!
実は映画館にちょっと早く着いてしまって、始まる1時間前から外の通路に座って仕事をしたりしていた。すると……劇場のなかからひたすら、
「ぬおおおおお!!」「ぐおおおおお!!」
と、男たちの上げる雄たけびが、えんえん漏れ聞こえてくるじゃないか(笑)。
おいおい、いったい中で何が起こってるんだ??
なんか狼とか狒々のディスプレイ(求愛の遠吠え)みたいなんだけど。
観る前から、ずいぶんと気分があがってしまいました……!
で、実際に最後まで観ての第一印象。
北欧神話とか、『ハムレット』とか、『コナン・ザ・グレート』とか、いろいろ言われてるけど、実際に観た感覚で言えば、いちばんノリが近いのは、マカロニ・ウエスタンなんじゃないの? これ。
てか、じつはロバート・エガース監督がいちばんやりたかったことって、「残酷ウエスタンの進化形」を模索することだったのでは?
だって、音楽が途中から、マカロニそのまんまなんだもん(笑)。
ヴィヨンヴィヨンとアイヌのムックリみたいな音が混ざってきた時点で怪しかったが、ワルキューレみたいなのが白馬で疾駆するシーンでかかった曲が、あまりにモリコーネ臭くて大爆笑。
ヴァイキングの民族楽器だったり、何かの吠え声だったり、妙なヨーデルみたいなスキャットだったりをサンプリングしてくる作り方自体が、まさにモリコーネを踏襲しているのに加えて、ジャンジャカジャンジャンというリズムどりもそっくり。しかもパンフでは一切言及が成されていないから、これはもう確信犯だ。
話の展開も、たしかに『ハムレット』や『コナン』も父親の復讐に親族を討つ物語だが、父親の仇を討つのはマカロニでもいつもやってることだ。かつての彼女が相手の女になってるパターンも頻出する。で、女が実はかつての悲劇で主導的な役割を果たしているってのも定番。
奴隷のふりをして相手の懐に潜入するとか、すぐに暗殺できるのに特定のシチュにこだわって計画を引き伸ばすとか、下手を打って両手縛られて吊るされて拷問されるとか、無理やり最後は一対一の決闘に話を持っていく(決闘場所も指定される)とか、全部俺、マカロニ・ウエスタンで観たことあるよ(笑)。
逆に、マカロニ・ウエスタンをやると言わずに、北欧の英雄伝説をやるとの触れ込みで、黙ってその祖型だけ生かして作ると、こんな映画に仕上がるんだなあ、と感心しきり。
出だしから、いきなり噓っぽいカラスの飛翔シーンとか、演劇的なカメラ目線でくわっと振り返るお母さま(ニコール・キッドマン)とか、総じてリアリティを追求している画面のなかに、作為性の強いネタ感たっぷりの画面が交錯して、なんだか狙い目のわかりにくい映画だなあ、と思っていたのだが、これが「マカロニの変奏」だと思えば、映画全体に漂う「ネタ感」「あざとさ」「雑駁さ」も十分理解できる。
あえて北欧が舞台なのに、ヴァイキング語以外はみんな「英語」しゃべってるっていういい加減な感じも、この映画の淵源に「マカロニ」があると考えると、なんとなく得心がいくというものだ。
ー ー ー ー
「敢えて英語でしゃべる」理由としては、『ハムレット』との影響関係も考慮すべきだろう。
全体的に登場人物のダイアログが持って回った文語調、詠嘆調で、演劇がかっているというのもそうだし、舞台じみた大仰な身振りや、真正面から役者を捉えるカメラワークも、本作の根底に『ハムレット』の祖型があることと無関係ではない。
そもそもパンフによれば、ロバート・エガース監督は、かつて舞台俳優として『ハムレット』の主役を張ったことがあるのだ。凝り性のエガースのことだから、そのとき『ハムレット』については徹頭徹尾調べ尽くしただろうし、もちろん台詞は今でも全部諳んじられるはずだ。
そんな彼が、主演兼プロデューサーのアレクサンダー・スカルスガルドから、北欧神話の映画化という腹案を持ちかけられたとき、「アムレート」の英雄譚を素材にすれば、『ハムレット』を骨格に映画が作れるとひらめかなかったはずがない。
『ハムレット』を祖型の一部とすることで、『リアリティ×ファンタジー』という相反する要素の「かすがい」として、舞台性、演劇性を導入する決断にも大きな説得力が生じる(とくに幽霊の介入)。
その結果として、「おいおい、ハムレットのほうが水に飛び込むのかよ!」みたいなくすぐりも入れられるしね。あと、ウィレム・デフォーの演じる「道化」が、序盤できわめて重要な役割を果たすのも、いかにもシェイクスピアらしいと、個人的には思う。
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『リアリティ×ファンタジー』という点では、リアリティ寄りのシーンでカラー撮影、ファンタジー寄りのシーンではモノクロ撮影が取られていたのは、比較的わかりやすい色彩の使い分けだった。
これで思い出したのが、辻佐保子先生の名著『中世絵画を読む』。
この本は、中世(まさにこの映画の舞台になった時代も含まれる)のキリスト教絵画において、現実世界を描く際はポリクロミー(多彩)を用いる一方で、現実世界とは次元を異にする超越的な世界を表現するために、不可視世界の異次元化を示す技法として、モノクロミー(単彩)が用いられていた事実を、詳細な事例から明らかにした美術研究書だ。
その関連で、辻先生はタルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』のほか、マーティン・スコセッシや、ウッディ・アレン、ジャック・ドゥミなどの「モノクロとカラーの使い分け」についても言及している。
シネフィルであり学究肌のエガースが、中世における「モノクロミーのもつ象徴的意味」を知らないはずはないし、タルコフスキーやウッディ・アレンが「モノクロ・パート」に持たせた意味性についても当然知識があるだろう。彼はそのあたりをちゃんと念頭に置いたうえで、本作の「仕掛け」を考えたのだと思われる。
実際、現実と地続きのように見えても、いつの間にか異界に呼び込まれているというシーンが本作には散見され、このとき「画面がカラーかモノクロームか」というのは、状況を認識する一助となるはずだ。
ただ、個人的には、ファミリーツリーの描写にしても、ワルキューレ(?)の描写にしても、本作のSFXがらみのシーンは、どれもみな妙にちゃちいというか、作り物くさすぎるというか、本作全体のテイストとイマイチしっくり合っていない印象が強かった。もう少しなんとかならなかったものか、と率直に思ったことを付け加えておく。
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冒頭に「男の雄たけびの話」を書いたが、実際、終盤になると、主人公も叔父さんも、ひたすら体育会系みたいに怒鳴り合っていて、観ていてちょっと笑ってしまう。
よくラガーマンとかが顔向き合わせて吠えてるアレね(映画でヴァイキングたちはハカみたいな踊りも踊る!)。
あれは、動物どうしのマウンティングのようなものだ。
あるいは、発情期における「どちらが強い雄か」を示すためのディスプレイのようなもの。
結局、本作は「男と男」という以上に、「雄と雄」との対決の物語なのだ。
アムレートは、ヴァイキングの仲間になってからは、「ベオウルフ(熊×狼)」と名乗り、狼の毛皮を背中にまとっている。実際、アレクサンダー・スカルスガルドはインタビューで、「アムレートは狼と熊を組み合わせたようなキャラクターです。だから僕は熊みたいにならなければいけなかった」と述べている(叔父役のクレス・バングとともに、十分に説得力のある素晴らしい筋肉美を築き上げていて、本当に感心した)。要するに、彼は半分「けだもの」のような存在だ。
これは、物語の根幹にかかわる問題である。
なぜなら、本作のプロットの中核は、「群れの若い雄が、自分の狙う雌のパートナーである群れの第一位の雄(アルファメール)を追い落として殺し、さらには彼が雌に産ませた彼の遺伝子を継ぐ子どもたちをも皆殺しにする」、という「獅子の子殺し」――「動物のロジック」に支配されているからだ。
アムレートがしきりに口にする、「家族のつながり」とか、「血のさだめ」というのは、具体的になんのことかというと、要するに「遺伝子の継承」の話をしていると考えればいい。
叔父が、あえて謀反に際してアムレートを殺そうとしたのも、そういうことだ。
アムレートもまた、父王の「遺伝子」を次代に遺したい。
そのためには、叔父のみならず、叔父の「遺伝子」まで根絶やしにする必要がある。
だから、彼は積極的に、叔父の長子をその手をかける。
その後、いったん逃亡して、オルガと出帆する間際までいっておいて、なぜ彼はわざわざアイスランドに戻る必要があったのか?
それは、オルガのなかに父王―自分の「遺伝子」が宿ったことを知ったからだ。
叔父を残したままでは、必ずや叔父の血族が、草の根をわけても「アムレートの遺伝子を継ぐ子供たち」を「根絶やし」にせんと追ってくることが、アムレートには「わかっていた」からだ。
それは、まさに人というより、動物の論理。
でも、動物にとっては、当たり前のロジック。
「平家は、頼朝を生かしておいてはならなかった」――そういうことだ。
ー ー ー ー
その他、観ていて思ったことをつらつらと。
●ヴァイキングが村落を襲って殺しまくるシーンは、本作でも最高の見せ場で、素晴らしい仕上がりだった。ちょうど最近読んだケン・フォレットの『大聖堂 夜と朝と』の冒頭で、イングランド沿岸部の村をヴァイキングの一団が襲って掠奪と殺戮の限りを尽くす様子が活写されるのだが、まさにそのシーンの映像化そのままといった感じだった。カメラワークやアングル、殺陣の生々しさには、黒澤明の『七人の侍』からの影響を色濃く感じとることができる。
●ついこの間、『LAMB/ラム』を観たばかりなので、またアイスランドの特異な自然景を堪能できる映画が出てきて、なんか流行ってるのかなあと。アイスランドは、ニュージーランドと並ぶ映画ロケ地大国であり、その現実離れした光景は、宇宙ものや近未来ものでも何かと重宝されている。
今回は、すり鉢状の山に囲まれた村落(『ラム』とよく似てる)のほかにも、荒涼とした海岸景や、活火山の火口付近の地獄めいた風景を楽しむことができて良かった。
あと、やっぱりアイスランド系とかスカンジナビア系は、顔立ちにヴァイキングっぽい個性が間違いなく残ってるなあ、とひげ面の男たちを観て思いました。
●世間的には『コナン・ザ・グレート』との類似を指摘する声が大きい印象があるが、個人的には、優秀な新人監督が何本かクセの強い犯罪ものを撮ったあと、唐突に北欧神話に材を採って、男の闘いと復讐を描く史劇に挑んだ、という意味では、ニコラス・ウィンディング・レフンの『ヴァルハラ・ライジング』を猛烈に彷彿させる映画だと思う。
配役の傾向だとか、結局「英語」で話させている点とか、撮り方の方向性とか、主人公の「奴隷」という身分設定など、両作にはかなり似かよった点が多く、エガースがこの映画を意識している可能性は十分に高い。ただ、徹頭徹尾なんの話なんだかさっぱり理解不能だった『ヴァルハラ・ライジング』と比べれば、100倍『ノースマン』は分かりやすい映画に仕上がっているけど。
●『ウィッチ』でも、『ライトハウス』でも、舞台は17世紀だったり19世紀だったりしたものの、あからさまに「中世」的(ボッシュ・ブリューゲル的)な暴力と汚猥の世界を描こうとしてきたロバート・エガースが、ついに本物の「中世」に手を伸ばしたんだなあ、という印象も強い。
なので、似たような「中世へと傾斜する」芸風をもつアレクセイ・ゲルマンの『神々のたそがれ』とは、殺伐とした肉弾戦の在り方や、グロテスクな残虐描写、主人公の暴力無双を追い続けるようなカメラワークにおいて、影響関係はきわめて顕著であるように思われる。
全体に愉しめたし、出演陣はみな素晴らしかったが、SFXのダサい感じと、展開の若干適当な感じ、それと終わり方の微妙さが少し気にはなったか。
まあこの映画は、マカロニの発展形として、あまり気負わずにときどき爆笑しながら観るのが一番正しい見方なのかもしれない。
長いけど面白い
想像してたよりずっと良かった。マーベル系っぽいと思ってたら、日比谷シャンテあたりでやりそうな渋めだった。
キャストの顔がすぐ覚えられず、話しも少し難しく理解してついていくのにちょっと苦戦したが、父の仇を討つ物語で面白い映画だった。
時間はまあまあ長いので、集中力勝負。途切れて飽きる人と、最後まで夢中に行っちゃう人で分かれそう。
野生…
それなりの予算で好きなことしました!って感じ。
心情はわりとセリフで説明してくれるスタイル。お母さん、そんなに全部息子に言わなくても…。
もっと残酷かと思ったらそこまででもなかった。
ビョークが出てたの気づかなかった。巫女かな。
奴隷の人たち「自由だ」って言われてもあんな寒い国でどうしたらいいのやら…。winter is coming!
溶岩のそばで裸で戦ってるので危ない!と思った。
何の救いもない悲劇
「ライトハウス」のロバート・エガース監督作。
9世紀末から10世紀初頭の北欧を舞台に繰り広げられる重く暗い復讐劇。
王である父を叔父に殺され母を連れ去られた少年。
叔父を殺し母を連れ戻すことだけを思い生きた。
叔父と母に再会し父の正義が揺らいだ。
復讐の意味が曖昧になった。
何の救いもない悲劇となった。
いや〜、これは重かった。
重過ぎて観るに辛かった。
救いが欲しい今日この頃です。
今週の本命にはなると思うけど、かなりの知識が要求されるので注意…。
今年29本目(合計682本目/今月(2023年1月度)29本目)。
この映画、ひとつの分野だけでなく、かなりの分野の知識が総合的に問われる、「総合的理解」が一つのカギになるかな…といったところです。そもそもが作話の範囲だからです。ただ多くの方が書かれているように、「北欧神話のあらすじ」「当時のイギリスと騎士等はどう扱われていたか」等の知識がないと結構厳しいです。特に前者、神話に関することは、映画では結構詳しく出てきます。何かしらファンタジーRPGをやっているかどうか、だけでもかなり違います。
出てくる字幕も実にマニアで、聞いたこともないような単語がいくつか出てきます。英語を聞き取るしかないですが、普通に英検1級、準1級レベルの単語の話をするので結構きついです。
少なからずの方が「量が多すぎて何がなんだか…」という字幕で押されてしまったのではないかな…といったところです。それはある程度想定できそうな気がします。かといって、私がいつも書くように「最低限これだけ」というのだっていっぱいありすぎるし…。せめて、何でもいいので「北欧神話入門編」くらいなものを読んでいるかいないかだけでもかなり違う印象かな、と思います。
規模的にも今週の本命作になることは間違いないと思いますが、一方で理解の難しい映画であることも事実です。いろいろな知識を要求される「知的な枠」として数回見ることが想定されているのかな…と思うくらいです。
日本で一般的に暮らしている方だと、程度の差はあれ、あの映画を完全に理解しきろうと思うと無理がくるし、どこかではつまります。それを埋めるのは字幕の聞き取りなどになりますが、そこも難しい(英検1級レベルの単語ばっかり出てくる…)という特殊な映画です。
ただ、日本に「忖度」することなく、母国語でバリバリ、「当地としては常識扱いなのだろう」とも思える映画を作ったのは良かったなと思います。そしてこれに低評価をつけた方は、「なるほど、そういうことが映画の裏にあるのか」ということを学ぶ、そういた「正の連鎖」があると良いな、といつも思っているところです。
減点に関してはとくに見いだせないのでフルスコアにしています。
ロバート・エガース節炸裂
個人評価:4.0
石碑に刻まれたかの様な、北の大地の骨太な物語。それを豪華キャストで存分に味わう事ができる。まるで1200年熟成されたワインの様な味わいだ。
アムレートの歩き方や、あの背筋が引き締まった背中。しっかりとヴァイキングのたたずまいを感じる。さすがターザンを演じた役者だ。
物語の下地にキリスト教への反撃、土地の風土や寓話を感じられ、本作もロバート・エガース節が炸裂である。
いつの時代も女性は強く、男は翻弄と死守を辿る。まるで魔女の手に掛かった様に。
過去作ウィッチから、大人になったアニヤがそこにいるのがなんとも感慨深い。
ずっと音が鳴り続けていた映画
ハムレットとニーベルンゲンの指輪とベンハーとミッド・サマーとマクベスが混交した北欧神話だったのか?出演俳優を楽しみにしていた。アニヤとイーサン・ホークはわかりました。ビョークとウィレム・デフォー、わからなかったー!
おまけ
評価と全く関係なく思ったのですが、この映画を子どもと一緒に見たらどうなんだろうかなあと思いました。というのは怖かったり残酷な場面が多かったからです。日本でこの映画はPG12(12才未満は親など大人の助言が必要な映画ー大人の同伴が必要か不要かは知らないです)、ドイツではFSK16(見ていいのは16才以上)です。映画のレイティングシステムの基準や成立背景は国によって異なるので一括りにはできないとは思います。
昔、「ロード・オブ・ザ・リング」が流行っていたとき、日本では何歳の子どもも見ることができるのでドイツ人がとても驚いていたのを思い出しました。殺戮シーンなど残酷な場面がある映画はドイツでは子どもに見せてはならないんだよと聞いてびっくりしました。「ロード・オブ・ザ・リング」のドイツでの年齢設定を調べたら、FSK12、extended editionはFSK16となってました。
一方で、原作小説の『指輪物語』はドイツでとても人気があってよく読まれていたから、大人のドイツ人にとって映画化はすごく嬉しそうだったことも思い出しました。
期待した程ではなかった
自分はキリスト教系とか北欧神話とかよくわからないもんで、ずっとはてなマークが浮かんだまま。特に笑う場面も感動的な場面もなく。音と映像美だけで「どうだ!大作だぞー!」って見せてくる感じだけど、そんなことで騙されるほど甘くない。
全115件中、81~100件目を表示