あちらにいる鬼のレビュー・感想・評価
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未だ行ならず
163本目。
ブラックパンサー観ようと思ったけど、長さに躊躇し、こっちにしたけど、ブラックパンサーより、ちょっと短いだけだけど、まあいっかと。
これも作家の映画で、この方達の考える事は特殊過ぎて分からない。
で、あの方がモデルになってるのも知ってたし、どういう人生を歩んだかも、何となく把握。
波乱万丈なんだろうけど、出会う前が描かれてないから、それでチャラなのかなと思ってしまうし、大人の映画なのかと思うけど、ちょっと自分には思うけど、お前もいい年だろうと、自分にツッコミ。
まあ面倒な事は避けるし、考えない主義だから、俺には向いてない作品かな。
でも最後に少しでも、幸せな気分で劇場を後に出来ればと思ったけど、そういう感じでもない。
未だ行ならずです。
お坊さんって肉や魚を食べられないっていうけど、鰻、食べられないのね。
ダメだ。共感できないまま終わってしまった。白木と言う、自分の罪業に一切の後悔をもたないろくでなしに溺れた、みはる。そのみはるも、まずまずのクズにしか見えない。愛という言葉をつかえば、なんでも許されるとでも思っている開き直りが、自分には耐えられない。
他人の物(旦那という意味で)を好きになってしまうことを責めたりしない。それを欲することも仕方がない。「不倫はいけないこと」は理解しているけど、それが人間だとも理解している。だけど、そういう関係になってしまう時でさえ、一抹の負い目を感じるものではないか。しかも、出家してさえも、愛欲を捨てきれない未練がましさ。そしてその一連の二人の行動を赦す妻の、"ずるさ"。世の中にこういう関係があることを否定はしない。愛は溺れるものだし。だけど、さもそれを美しいものと、世間に公にして憚らない破廉恥さに、共感の欠片も湧いてこない。鰻?お前ら、好きなだけ食っとけよ、って思った。
【性に奔放で、思う存分に生きた男女の作家の関係性の変遷を描いた作品。今作を観ると、改めて寺島しのぶさんと、豊川悦司さん及び広末涼子さんの凄さを感じた作品である。結局女性が一番強いのであるなあ・・。】
ー ご存じの取り、今作で描かれるみはるは、情念でペンを取ると言われた故、瀬戸内寂聴さんであり、白木は、晩年まで女好きで知られ、数々の女性と同衾したと言われる故、井上光晴である。
それにしても、白木の妻(広末涼子)を含めて、凄い濃密な関係性である。-
◆感想
・今作では、男女のSEXシーンが多数描かれているが、殆どのシーンで、猥雑感はない。
みはると、白木が性欲を満たすためにSEXを行っているわけではないからであろう。
二人は、人としての繋がりを身体を重ね、相手の体温、重みを感じる事で、得ようとしたのであろう。
・白木の妻が、夫の浮気を知りながらも平静を保っている姿。常人には俄かには理解出来ないが、白木が妻の文才を買っていた事に、自分の存在意義を持っていたのだろうと、勝手に推察する。この辺りの微妙な心の機微を、広末さんが絶妙な表情で演じている。
・だが、みはるは”このままだと、情念及び白木の家庭を壊しかねない”と感じ、出家するシーン。前段階でみはるの髪を白木が風呂で洗ってあげるシーン。
この二つのシーンは今作では、胆のしーんである。
”女性の髪を優しく洗ってあげる男性って、魅力的ではないだろうか”
私は、無いです・・。
・そして、総てを察して白木の行動を赦す、白木の妻。
彼女はみはるの剃髪式を知り、”貴方が行ってあげた方がいいわ・・。”と言う。
その後、二人は馴染の鰻屋で鰻を食べるのだが、妻が”もう、あの人は食べられないのね‥。”と言う言葉を聞き、涙を流す白木の姿。
豊川悦司さんの畢生の演技であると思ったシーンである。
・十数年が過ぎ、臨終が近い病院のベッドに横たわる、白木の脚を出家したみはると、妻が揉むシーンも印象的である。正に、二人は、同士ではないだろうか・・。
<今作は、赦されざる不倫をどのように捉えるかが、評価の分かれ目であろう。
私は、不倫は許されざる行為と思っているが、実際に井上光晴と、瀬戸内寂聴氏は、今作で描かれた行動を取っている。
女性がどう感じるかは分からないが、男から見ると叱られるのは重々承知の上で”アレだけ、好きな事をして、最後は愛する二人の女性に看取られた白木って、何とも幸せな男だなあと”感じた作品であるとともに、結局強いのは女性なんだよなあ、と思った作品でもある。
あ、勿論、私は家人一筋である・・。>
■2022年11月12日 追記
・イロイロと考えて(時代状況も鑑みて)、評点を4.0から3.5に変更しました。悪しからず。
・レビューに大きな瑕疵がありました。御指摘頂いた方々、ありがとうございました。
本当の主役は…
荒野さんの小説とても繊細で好きです。
今回は親の不倫関係を娘が描くという難題に取り組まれ、小説家の方は世の中のシキタリなど超越したところで書かれているのだな、と改めて思いました。
寂聴さんの人物像に関しては、熱狂的なファンもいながら、仏を冒涜してるとか、自分のしたことを棚に上げて他人に指南できるのか、など一定のアンチの人もいますね。
この映画で、出家した動機は不倫関係を清算したいため、となってますが、それでまたアンチが増えそうです。例え最初の動機がそうであれ、出家前に少しは仏教の勉強をされたのではないか。また出家後も修行の様子が一切無く、彼女の説法に心酔している方々はどう思われたのかなと、少し気になりました。
(井上さんの談話で、寂聴さんご自身も不倫問題だけでは無く、何故出家したのか判然としないとのことでした。更年期も関係あったかもっと。映画でもその場面がありました。)。
どなたかも仰っていましたが、そこを深掘りしないのは、この映画の主役は寂聴さんでなく、井上さんのお母様だったということでしょうか。それで何となく腑に落ちました。
トヨエツさんの好演が際立ってました。
三つ巴の鬼
決して不倫を擁護する映画ではないですが、このタイミングでこの映画を作った意味を考えると、かなり攻めた問題作だと思えます。
性や倫理から解放された愛の選択であり、
文学の犠牲者への弔いでもあると感じました。
アップの表情で語るシーンが多く、それに応える役者がまたすごい。
ガッツリ演技を堪能しました。
素晴らしいシーンの数々は予告編としても切り取られています。
風呂のシーンには感情が掻き乱されて泣けました。
そして、アップではない海辺の後ろ姿。
むしろここのロングショットを活かす為にアップを多用していたのか!と思えるほど。
ぜひご堪能いただきたい。
でも、一番のお気に入りは自転車の二人乗りでなびくスカート!
ドレープが計算されている衣装で、これまでの相手には感じなかった心のざわめきが表現されていました。
ここに至るまでの出会いのシーンがまた素晴らしい。
白木とその妻の笙子と長内は同類。
愛と快楽の狭間で人を傷つけたり自分が傷つけられたり…その体験から絞り出す珠玉の一編の為なら、どんな犠牲も厭わない。
生身の人間同士の業に身を投じながら、主観と客観に脚色を加え小説として昇華させる。
全てはその為だけに。
文学に魅了され、人の心を無くした三つ巴の鬼に感じました。
荒井晴彦さんの脚本は人間の性と業を真正面から描いていると感じます。
いつも、愛だけに収まらないセックスシーンが胸を打ちます。
孤独な心の癒しや慰めだったり、自己肯定だったり現実逃避だったり。そして時には闘いだったり。
更に本作では歌がキーポイントになっていて、当時の空気感を色濃く表すと同時に、
現代の風潮へのアンチテーゼにもなっていたと感じます。
ラストシーンも歌っていたのでは??と思うのですが。いかがでしょうか?
もし歌っていたのだとしたら、不要だからカットしたのでしょうが、ちょっと聞いてみたかったです。春歌だったらすごいな。
あと、音楽にすごく違和感があるシーンがいくつもあったのですが、重くなりすぎないように逆張りにした…とか??
意味があってその曲にしたと思うので、引っかかりました。
#あちらにいる鬼
これ、、誰得の映画??
初めてオンライン試写会で映画を見せてもらった。
前知識なしの状態で見た。瀬戸内寂聴さんがどんな人かなどはほぼ知らず、“瀬戸内寂聴さん=なんでかは知らないけどなんか有名な女のお坊さん”くらいにしか認知してなかった。
オンライン試写会、感想を投稿する前提での視聴とのことで、催促のメールが来るので感想一応書くけど、自分の感想を見た誰かがこの映画を見たい!って思わせるようなこと書ける自信が全くない。これだけは最初に断らせて欲しい。私の今の人生経験値がこの映画を見るのに足りな過ぎるだけなのかもしれない。でも自分ではどうしようもできないので、申し訳ないけどこのまま書いていくことにする。
まず、登場人物がみんなクズだった。なんで??ってくらい。不倫とかが今よりも許されるというか、黙認されてた時代背景なのかもだけど、普通に見てて気分悪かったし、見るに耐えなくて途中で見るのやめようかなって何回も思った。
瀬戸内寂聴さんのことよく知らなかった私が見て、こんな人だったのかってドン引きだったし、知らない方が良かったとすら思った。だから、瀬戸内寂聴さんが亡くなったあとの今、その人の評価を下げるかも知れないこの映画を公開していいのかな。少なからず私みたいに感じる人はいるだろうし、この映画は誰得なんだろうって本当に疑問だった。
俳優さんたちは完全にクズな人物を違和感なく演じてたって意味で上手いんだと思うけど、仕事選んだ方がいいんじゃない?、が素直な感想だな。この映画で、実際に髪の毛剃って体張ってるって言われてもなぁ、ちょっとついていけないかな。
同世代の人にはお勧めできないです。しがない女大学生の感想でした。
良かった
最初、あまりにも破天荒な白木篤郎の振る舞いに呆れ果てましたが、豊川悦司さんが演じることによって色気があるチャーミングな人に見えてきました。
激しさや複雑な思いを胸に秘めながらも、お互いの存在をリスペクトしている妻も愛人も素敵でした。
同じ人を愛した事で独占する事は叶わなかったけれど、そこまで深く愛せた事は羨ましくもありました。
夫の理不尽な振る舞いに耐え忍び、大きな愛で包む妻を演じた広末涼子さんも素敵でしたし、激しい感情を自分でも持て余している様な寂聴さん演じる寺島しのぶさんも素敵でした。
特に、尼になる為に髪を剃るシーンは寂聴さんと寺島しのぶさんが完全に重なって涙が出てきました。
瀬戸内寂聴の出家前の恋愛が赤裸々に
全く(タイトルの事は)知らず視聴。瀬戸内寂聴みたいだなーと思って観終わってから調べたら、、、
やはりそうでしたか。
なんとも切ない、昭和の、大人の恋愛物語でした。
好き放題に野良犬のようにあちこちで浮気する旦那(豊川さん)、それを辛抱強く耐える奥さん(広末さん)は凄いし、現代ではあり得ない神のような女性でした。
主人公であり浮気相手(瀬戸内寂聴さんがモデル)の作家(寺島さん)もまた悲しかった。
最後はケジメをつけるべく出家しお坊さんに。。。
最後は泣けました。。
奥さん、寂聴さん、皆んなでご飯食べるシーンや、二人で見送るシーン。
そしてタクシーの中の寺島さんの表情。→これにエンディングテーマ浜田真理子さんの恋ごころが加わり号泣でした→後を引く。オンライン視聴だった為、ラストシーンだけ10回はリピートしたと思います(笑)
この映画、本当にお勧めです。
是非色んな大人の方に観て欲しいです。
業の強いイメージのある瀬戸内晴美が寂聴になった時、少なからず驚いた...
業の強いイメージのある瀬戸内晴美が寂聴になった時、少なからず驚いたけど、豪の強いが上なのだろうなと思っていました。
映画を見てわかりやすい道筋だったので納得しました。
映画ゆえに多少美化されてドロドロさは陰を潜めていたけど楽しめました。
寺島しのぶは品があります。顔が以前に増して尾上菊五郎に似てきています。
ひとつ気になったのはエンドロールの役者の名前の順番でした。
あ、そういう感じだったんだ、 と思った 晩年のおばあちゃんキャラし...
あ、そういう感じだったんだ、
と思った
晩年のおばあちゃんキャラしか知らなかったけど、
ちょっと好きになった
最後の一言は泣けました。
令和では中々厳しい情景ですが、昭和に実際にあった事。それぞれの人の描き方とキャストが良かったと思いました。ジェンダーではなく、どこに主観を置くかで見え方が違うのでしょうけど、私は寺島さん演じる寂光の最後と一言で泣けました。
一体何を見せられているのかわからないほど、
理解できない世界ですが、ホントなんだから仕方ない、というところか。
昭和描写がいまいち没入感がないなあ、とかつまんないことが気になった作品でした。
寺島さんの散髪シーンが一番の見どころ。
じょりじょりさっぱり、気持ちいい。
オンライン試写会感想
映画.comさんのオンライン試写会で鑑賞。
不倫、三角関係を描いているのに、ドロドロしすぎてない濃厚なヒューマンドラマ。理解しがたい部分もあるがこれは本人たちのことで外野がとやかく言う必要はないのかも。2時間19分と少し長めですが圧倒的なキャスト陣の芝居に終始夢中でした。
共感できなく。。
原作は読んだことがあり、ストーリーにあまり共感出来ないのは承知の上で鑑賞。寺島しのぶさんのラブシーンが、「欲情する昭和の女=ちょっと悲しげ」的な姿でピッタリ、マキエマキさんという写真家の作品みたい。瀬戸内寂聴像としては大成功だと思いました!美しいかどうかは別として。。(失礼)
鬼は誰?
2022年10月10日
映画 #あちらにいる鬼 (2022年)鑑賞
原作者 #井上荒野 の父である 作家 #井上光晴 と #瀬戸内寂聴 の不倫を基にしている
執筆の際に瀬戸内は協力を惜しまず、「モデルに書かれた私が読み傑作だと感動した名作」と絶賛したらしい
器が大きい人だ
一方、井上は単なるエロおやじ
プロ奥さんと小悪魔大人女子
これはトヨエツ氏じゃなかったらどんなふうにに見えたんだろう、と思うくらいダメの境地に達した男を中心に、美女二人がそれぞれ彼に首輪をして紐をつけて引っ張りも離しもせず冷静にもっている感じ。
奥さんの冷静さがすごかった。プロ奥さん。
トヨエツさんなら仕方ない、の気持ちで観てたけど、あれ実在の人物なら一体どのくらい男前な人だったのかしら。
(とにかく『愛してると言ってくれ』が大好きだったので、あの頃の彼へのトキメキがまだ消えない40代です)
いくつになってもトキメキは必要だなと思いました。
人間らしくていい。
寺島しのぶさんを撮りたくて作った映画だとアフタートークで監督がおっしゃってましたが、本当に彼女の可愛い魅力が満載でした。
目がすごーく印象的な人だなと改めて思った。
ずるくて優しい男を取り合う女子たち、大人女子にオススメの映画です。
昭和の力強さの中で生きた彼女たちの生き様の凄さ
時代を映す鑑のような激動と欲動。全編通して憎悪を感じず、思うがままに生きていた人たちの有様を特と食らう感覚。少し恐ろしく、飲まれそうな雰囲気を厳かに受け取る。
単なる情事と侮れず。時代を造るカリスマ的な存在の言葉に溺れ、愛を求めて顧みないことがある種の美徳とも呼べる時代。そんな中で重なっていく2人と、その妻を描く作品。
断片的に「子宮作家」と呼ばれたり、言葉にある救いと少々面白い言動がカリスマ的な魅力へと繋がっていた瀬戸内寂聴さん。そんな彼女がモデルの、衝撃的な破天に色付けをしながら肉を持った作品と言える。時代的に考えられないほど愛に溺れ、優劣の中に浸った力強さは、昭和の馬力を感じさせる。その中にある確かな愛は2時間少々の厳かな雰囲気で彷徨う。
ただ、そこへの造詣が深くないとなかなか難しい。奔放で掴めない人間模様をなぞりながら、作品の愛に食らいついていく。濡れ場の多さに驚きつつ、大人たちの生き様に息を呑む。いや、呑まれるといったほうが近いかもしれない。
主演は寺島しのぶさん。丸坊主で衝撃的な姿を前々から感じていたが、作品の中で必要不可欠なピースだったのだと腑に落ちる。そして、想像以上に“静”な人間だったことに驚く。自由が奔放なことを指すわけではないのだと受け取った。同時に、広末涼子さんの方が“動”を持っているとさえ感じる。受動的に傷つけられていく中で何を持って生きているのか、余白に答えを求めてしまう。豊川悦司さんの敵わない感覚もカリスマらしさを感じ、凄く良かった。
昭和の人たちの力強さは、時代の強さを蓄えた結果なのだろうと感じる。そんな中で愛を追い求めた姿は、紛れもなく時代の一端だった。
めくるめく人生絵巻
今年の5月に『99年生きて思うこと』の瀬戸内寂聴さんを観たあとなので、色んな意味でとても不思議な気がしました。また原作者は父親の不倫を題材にしたというのがこれまたスゴいです。
お母さんの感覚も常識の斜めどころか遙か上を行っているようで、広末涼子さんの演技にも注目していたのですが、このお母さんも書く人だったのですね。
寂聴さんが愛人で、その関係を断ち切るために出家したという話しはよく知られているのですが、今回久しぶりにモテまくるトヨエツを見るのも楽しみにしていたのですが、結局なぜこんなに女たらしのくせにモテるのかはこの映画を見てもよくわかりませんでした。なんなら寝るときもお風呂に入るときもメガネをしているのでちょっとツッコミたくなったり。
そしてこの中で一番輝いていたのは妻役の広末涼子さんでした。
舞台挨拶のコメントも堂々としていて見かけによらず大物振りを発揮、長い長い3人の関係の果ての最後の病室シーン、皆が知っている寂聴さんまんまの寺島しのぶさん、一方表に出る事のなかった妻を演じた広末涼子さんがあまりにも素晴らしくて心が震えました。
この3人の物語を中心に、当時の学生運動や三島由紀夫割腹事件、あさま山荘事件などの生々しい映像、昔のバスやテレビなども興味深かったのですが、この寂聴さんがあの寂聴さんへ続くのだと思いながらも、どうしても妻の方に心が持っていかれたのは、もしかすると作者がいちばん書きたかったのは母(妻)のことなのかもしれないと思ったり、当時はかなりセンセーショナルだっただろうそれぞれの人生絵巻、見応えがありました。
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