あちらにいる鬼 : インタビュー
豊川悦司、女たちから愛された作家の“孤独な感じ”を体現 廣木隆一監督と語る井上光晴像
作家・井上荒野が自身の両親である作家・井上光晴と妻、そして瀬戸内寂聴の三角関係をモデルに描いた同名原作の映画「あちらにいる鬼」が公開された。タブー視されがちなテーマではあるが、登場人物それぞれの突き抜けたキャラクターと優しさ、大人同士の新しい人間関係がドラマチックかつ深い愛を持って描かれる。寂聴さんをモデルとした主人公みはるの恋人役で、作家の井上光晴がモデルの白木篤郎を演じた豊川悦司と廣木隆一監督に話を聞いた。(取材・文/編集部 写真/間庭裕基)
人気作家の長内みはる(寺島しのぶ)は戦後派を代表する作家・白木篤郎と男女の仲になる。一方、白木の妻・笙子(広末涼子)は夫の奔放な女性関係を黙認することで平穏な家庭を守りつづける。みはると白木は作家同士として不倫関係以上のかけがえのない存在となるが、みはるの出家の決断により、3人の関係に変化が訪れる……。
豊川にとって「やわらかい生活」(06)、「娚(おとこ)の一生」(15)に続き3度目の廣木監督作、寺島しのぶとは「やわらかい生活」をはじめ、その他の映画ドラマでも数度共演している。原作と題材のセンセーショナルさもさることながら、日本映画界をけん引する俳優、監督の久々の顔合わせも話題を集めている。
豊川「廣木さん、寺島さんと、また仕事ができることの喜びが強かったです。久々にやっとこの組み合わせできたな、と。だから一も二もなくやりたいということでお引き受けしました」と豊川。廣木監督も「『やわらかい生活』から何年かたっていますし、もう一度、豊川さん、寺島さんおふたりとやれる機会が僕もすごく嬉しくて」と双方が長年の信頼感を明らかにする。
みはる、寂光役の寺島は、劇中で実際に剃髪も行った。「寂光役はもう彼女しかいないと思いました。そして、彼女はその期待に以上の取り組みを現場でされていて、改めてリスペクトして、素晴らしい女優だなあと、尊敬し直しましたね」
妻の笙子を演じた広末涼子とも久々の共演となった。「昔ご一緒したことがあって、それから彼女もすごく大人になっていて、いろんな経験をされて、それを演技に落としこんでいる感じがありました。特に今回は、とても深い印象を受けましたね。広末さんに黙って座っていられると、自分が自然と井上光晴みたいな気分になるようで、なんか外に行って自転車にでも乗ってこようかな……と思ってしまいましたね(笑)。(笙子としての)存在感がものすごくありました」
昨年99歳で逝去した、瀬戸内寂聴さん。晩年の穏やかかつ天真爛漫な姿の僧侶の姿からは想像できないような愛の苦悩を経験し、出家前は瀬戸内晴美の名で小説を発表していた。彼女の最後の恋愛相手が、作家の井上光晴だ。被爆者や被差別部落など日本社会が抱えた問題をテーマにした作品を発表する傍ら、自ら立ち上げた「文学伝習所」で、小説家志望の人々に講義を行った。そんな文学に対する真摯な姿勢とは別に、家庭を持ちながらも奔放な女性関係に耽溺していた。
廣木「実際の豊川さんには、愛人と奥さんの間で……という白木のようなことはないと思うんです。だから逆にその豊川さんにない部分を見たくて、なにかやってもらえたらなと。そうしたらもう、笑っちゃうくらいに抜群でしたね」
自己矛盾を抱え、嘘つきではあるが、誰にでも優しくサービス精神旺盛。才能があり芯の強い女たちに愛された井上の化身である白木を、豊川が色気たっぷりに体現した。
「男と女の在り方とはどんなものなのか? そんな疑問を大人が大人に対して問いかけているような映画になるような気がします。覚悟のいる物語ではあるけれど、その世界に飛び込んでみようと思いました」とセットビジットの会見で意気込みを語った豊川。「井上光晴さんの小説を少し読んで、原一男監督の『全身小説家』を観ました。廣木監督から、『この映画はフィクションの方が良いと思ってます』と話があったので、実録ということからは割と離れて……と考えて」役作りに臨んだ。
「今回演じるにあたって、初めてしっかり向き合ってみると、なかなかやりがいのある人だったというか(笑)。調べてみると、もう、すごいなと。でも、彼は、本当はとても臆病な人だったのかなっていう思いが根っこにあって、それを演じる時に一番大事にしました。自分の本心や気持ちに気づいて欲しくない人だからこそ、彼はいろんなパフォーマンスをするし、それが苦にならない。そう感じました。それが井上さんの生い立ちからくる部分なのかは、なかなか難しくて分からないんですけれど」
廣木監督は「すごく孤独な感じがあるんですよね。僕はご本人にお会いしたことはないですが、豊川さんが演じる白木は、孤独で、俺のことを見てほしいっていうのを感じさせてくれた。だから、本当にそういう人だったのかなって思えましたよね」と豊川の表現した白木を絶賛する。
それぞれその瞬間は真面目に女性たちと向き合い愛を求める白木。その発言や佇まいから見え隠れする“孤独な感じ”が彼の魅力でもあった。
豊川「やっぱり、役として1カ月弱過ごした人なので、なんかお前の孤独感わかるよ……という感覚はありましたね。だから、あんな行動に出ちゃったんだろ、みたいな(笑)。上から目線というわけじゃないですが、同性から見ると、そういう印象はありますよね。そしてそれは多分、彼の魅力でもあると思うんです。もっと俯瞰で見ちゃうと、ちょっと滑稽な感じもするんですけど、本人はいたって大真面目っていうね」
廣木「それは、この映画のトーンでもありますね。みなさんもう亡くなっていますが、二人の女性たちが、井上光晴さんの人生の生き証人だったんです。だから彼女達がその関係でいい、って言うなら別にいいと思うんです。なかなか今の風潮じゃ難しいでしょうが、もっと個が大事にされている時代には、それはそれでいいじゃんみたいなことだったと思います」
男女の業を描いた作品ではあるが、登場人物それぞれが自身の務めを果たし、何かを達観したような爽やかなラストに仕上がっている。
豊川「完成後、やっぱり廣木さんの映画だな、って思いましたね。こんなドロドロな話でも、やっぱり映画として、物語として、ご自分の味付けで出来上がってくるのは廣木マジックだなあと。こういう題材ですが、観た後に腑に落ちるような感じがある」
そんな廣木の作風を「例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』みたいな物語って、ものすごく高価で、豪華な装丁のハードカバーなんかが似合うような気がするけど、廣木さんの手にかかると『罪と罰』も読みやすそうな文庫本になる。それで手に取って読み進めると、あ、これ意外にすごく重くて深い話だってわかるというか。手に取るときに気張らなくていい傑作、そういうイメージがありますね」と表現する。
「嬉しいですね」と廣木監督。そして、今作の撮影後、改めて豊川の役への向き合い方に感激したというエピソードを披露する。「『やわらかい生活』でも髪の毛を洗うシーンがあって、そして今回もあるのですが、それが僕の中ですごく名シーンになった。髪の毛を洗う仕草とか、その他いろいろのすべて豊川さんのチョイスで、それが映画の中で効いていて。いつも、カットの合間合間はずっと一人でいらっしゃるので、ずっとそういう演技について考えてるんだろうなって。それがやっぱりすごい」
コロナ禍の影響もあり、生前の寂聴さんには会えなかったという。「ぜひ会いたかったですね。この映画をやると決まった時期に、体調を崩されてしまって。じゃあ、ちょっと良くなってからにしましょうって言っていたら、会えなくなってしまった。是非感想を聞いてみたかったですね」と廣木監督。
豊川は、井上光晴さんがご存命だったら?との質問に「自分が演じたその人がそこにいたとしたら、とてもじゃないけども恥ずかしくて会えませんね……」「でも寂聴さんにはお会いしてみたかったです。当時のこの映画の世界の話を聞きたかったし、お話がとても面白い方と伺っているので、それ以外にも『僕ってどう見えましたか?』なんて、聞いてみたかったですね。そしたら、『え? あなたが井上?』なんて返されそうです(笑)」と笑う。
廣木監督も「僕も『監督、しっかりしなさいよ!』なんて言われてしまいそうです(笑)」と、唯一無二のドラマを残した先人たちに様々な思いを馳せながら、その愛の物語をスクリーンに投影すべく再構築した日々を振り返っていた。