CLOSE クロースのレビュー・感想・評価
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大好きだけど大好きじゃない
レオは期末の休暇を幼馴染のレミとたっぷり過ごし、新学年を迎えた。新しいクラスで友達が増え、その誘いでスポーツチームに参加したりTVゲームを始めたり、交友関係や興味が広がって行く…というと日本でも春の学校あるあるで、保護者からすれば歓迎するような成長の兆しとも言える。
しかし、レオが新しい生活に傾倒するのはレミとの仲の良さをクラスメイトに揶揄われた反動も含んでいる、というのが本作の哀しいところ。兄弟のように生活していた親密さにレッテルを貼られ、スルーしきれずに行動で証明しようとするレオの年相応の未熟さとそこで生じるレミとのすれ違いが胸に痛い。
思春期につるむグループの面々が入れ替わるのは我々の学生時代にもよくあることで、それで多少ギスギスした経験がある人も少なくないだろう。だからこそレオの後悔も、レミの痛みも、誰かが決定的に悪くなくても悲劇が起こる哀しさがよく理解できる。
悲劇に対してフィクション的な都合の良さが与えられないリアリズムが非常に現代的で、観客がその余韻をどう処理するかで評価が二分しそうな作品だった。スクールカウンセリングのシーンで出てくる「感情はその人のもの」という言葉が印象的で、劇中の問題を象徴していた気がする。
言葉にできないような心情を、視線で語るレオが妙に心に残る
セリフがなく、表情と情景で語るような場面が多い映画だった。
恋人のような付き合い方をしていた少年2人が、関係性をからかわれたり、新たな人間関係ができる中で、次第に疎遠になっていく。
それが許せない少年達は大喧嘩をして、その直後・・・・といった話。
誰もが子供の頃に経験があるような話だが、普通はだんだん疎遠になって、ただの友達か他人になっていくが、この映画ではある意味決着をつけてしまう。
残された者は立ち直っていくしかなくて、少年は乗り越えられる未来が見えているが、母親はどうだろう?と思ってしまった。
レオのことは許せていたが、息子レミの行動をどう思い、どう心の整理をつけるのか?
表情だけの描写では私にはわからなかった。
うつくしくてかなしい。
相手に感じる親しみが、性欲を孕んでいるかが恐らくまだ未分である二人の話。
レオとレミという13歳?の男子で、新学期から中学生。
レオが主人公なのかな。毎日一緒に遊んで毎日一緒に、時に同じ布団で眠り、学校でも一緒にいる。
幼子と母親のような、身体接触を伴う親密さは、13歳の同級生たちには異質に見え、
二人は付き合ってるの?と女子たちにからかわれ、レオは必死に否定する。
レオ自身にレミへの性的な興味などがあるかは、全くわからない描き方だった。
ただ、”ふつうの男らしさ”を身に着けなければ、という圧力は感じていたようで、
レミを遠ざけ、男らしさを補強?するためのツール的に、アイスホッケーを習い始める。
クィアなものへの忌避ではなく、集団からの阻害を忌避したいように見えた。
そこはよくわかる。集団内で異質であることを受け入れるには、13歳は幼すぎる。
四十路の今では自らの異質さに抵抗がない私も、13歳のころには”みんなといっしょ”という安心を、心底欲していたもの。
レオのアイスホッケーのような努力を、私だって必死でやっていたもの。
”みんなといっしょ”が欲しくて、バレーボールやってたもの。
一方レミは、集団内での異質さに無頓着なんだと思う。オーボエが得意で、一人っ子。お母さんがすごくおおらかで素敵な雰囲気の人だった(レオの父母・兄がだめってことではない)。
レオへの親しみに、性的要素があったかは定かではない。こちらもその点は未分な気がした。
自らの異質さに無頓着でいられる、ある種の強さは、13歳が持っているのが珍しい類だと思う。
レオにとっては、考えられないことで、そのまんまでいようとするレミと対立してしまう。
結果、レミは、自死する。
この展開は、全く予想しておらず、辛かった。
レミが儚くなって、レオは当然ショックを受けているけど、そのショックが自分がレミを拒絶したからという
罪悪感であることは、誰も気付いていないし、誰にも言えない様子だった。
レミの両親は、時間がたっても悲しそうだし、自分も悲しい。
一心同体と言えるレミとレオが、小さな対立を経て一人と一人になることは、思春期の必要な成長なので、
対立自体は避けようがなかったと思う。
レオの拒絶は、結構強かったは強かったけど、レオが悪いわけではない。異質さを恐れることも自然なこと。
イニシエーションが一生の傷みたくなってしまって、つらかった。
そして、レミを死なせないことはできなかったのだろうか、としばらく思い悩んだ。
もちろん虚構であるし、実際のレミはいないけど。
レオはどんどん自分を罰し、最終的には、レミの母親に、きっとレミは自分のせいで死んだことを伝える。
レミの母に、話したくてでも言えなくて、家に行き、職場に行き(新生児室のナースだった)、家に送ってもらう
途中で話をし、森の中で苦悩をぶつけて受け止める。後半とてもよかった。
レオのおうちは、花卉農家で、多分香料を作るための花らしく、収穫は花部分のみベニバナみたいに摘み取る。
美しい花畑と夕空のなかを、まだ一心同体だったレオとレミがごっご遊びをしながら駆け抜ける風景も美しく、心に残った。
2023年TOP10入り
首都圏?では7月に公開され、ここ広島で
やっと公開された期待の作品。
オープニングですぐ心を鷲掴みにされる
美しい光景🌸🌷🌼🌷🌸🌷🌼
少年少女の揺れ動く感情と
誰にでも起こりうる小さなすれ違いで
人は居とも容易く傷つき壊れてしまう。
12歳の少年には耐えられなかった中傷
12歳の少年には理解できなかった距離感
どちらの少年も間違ってはいないのだけれども
2人とも選択肢を大きく間違えてしまった。
息子の親友を我が子のように
可愛がっていたからこそ
レミの両親は何も告げずに去って行ったのも
切ない。
とにかく2人の仲睦まじい姿と
葛藤と成長していく様がいいのです。
レオ役のエデン・ダンブリン
レミ役のグスタフ・ドゥ・ワエル
本作で映画デビューを果たしたとのこと。
とても初演技とは思えません。
これからがとても楽しみな若手俳優爆誕です㊗️
少年の全て
少年の青春と喪失と罪の意識と訣別(成長)の物語。些細ないさかいで大切な友達が死んでしまう。自立か自殺か。依存を失くした友達は自殺してしまう。レオは喪失感を埋め、罪の意識から逃れようと様々なことに打ち込もうとするが、そう簡単には行かない。レオとレミの母親の心情が巧みに表現できていた。レオが告白し、レミの母が拒絶はするが、最後には受け入れ、そして訣別が訪れる。少年は乗り越えて成長し、自立していく。ラストシーンでじんわり来た。ドカーンとは来ないところもこの作品の品格なのであろう。
美少年のレオを観賞する作品か
13歳のレオとレミは、学校だけでなく放課後も一緒に過ごすほどの親友だった。しかし、2人の親密な間柄をクラスメイトにからかわれたことで、レオはレミへの接し方を変え、そっけない態度をとるようになった。そのせいで気まずい雰囲気になり・・・てな話。
何を描きたかったのか、考えながら観てたが、イマイチ理解できず終わった。
レミは自殺だったのだろうが、あれくらいで死ぬのを是として良いのか?世界には戦下で友や兄弟、両親を失ったりしても逞しく生きている子供はたくさんいる。
レオは違うのだろうが、レミはゲイだったのか?
その後もレオのアップでホッケーしたり、サッカーしたり、雪合戦したり、授業を受けたり、植え込みの手伝い、などのシーンが細切れで続き、そしてソフィと車に乗ってる時に降ろされ雑木林での抱擁。
刺さる人には涙腺が緩むらしいが、もう少し分かるようにしてほしいし、もっと厳しい現実は世界にいくらでも有るとしか思えない。
説明のないこういう文学的な作品が高評価だと、映画をレビューする気力が失せてしまう。
個人的には合わなかった。
心臓の音
まるで絵画のような映画である。
どのシーンを切り取っても絵になる、美しい作品。同時に思春期である主人公の葛藤が、複数の絵で物語られている。行間が多く、特にラスト辺りは睡魔に襲われるが、他の作品では味わえない居心地の悪さが本作にはありました。
どんなホラーやグロ描写が激しい映画よりも、こういう子どもが悩み、苦しみ、辛い表情をする映画のほうが見てられない。何故、一心不乱に生きる子どもがこんな思いをしなきゃいかんのか。2人とも、絶妙な演技をしていて、胸がぎゅーっと苦しくなる。よくよく考えてみれば、レミはレオのせいで自殺を測ったとは思えず、もしそうならレオはあまり悪くないんじゃないかとも思う。ただ、そんなことを部外者が言っても仕方ない。実際のところ、どうだったのかが分からないのが辛いのだ。
こういう映画を見ると、自分に置き換えてしまう。
だから、余計に苦しいんだと思う。この世から去ってしまってからの描写が、本作すごく長いため、かなりキツイ。ハッキリ言うと、苦手だ。救いようのない物語だし、衝撃的な展開があるわけでも無い。じっくりと時間をかけて主人公・レオの心に迫る。先程も言ったように、絵になるシーンが多くてとても美しい作品ではあるのだけど、映画となると物足りないように思えた。
見る年代によって結構感じ方が変わりそう。
いい映画と言われることはよく分かるんだけど、感情移入してしまうがあまりにいい映画とはとても言えない。ん〜、自分に向いてないな笑
子供から大人への別れの物語
異性であるか同性であるかに関わらず、ただ親友という濃密な関係性が成立するのは幼少期のみで、いつしか「性」というものを意識せざるを得なくなる。
13歳のレオ(エデン・ダンブリン)とレミ(グスタフ・ドゥ・ワエル)の2人は何をするにも一緒の兄弟のような存在。レオはレミの家族と夕飯を食べたり泊まるのが日常だ。
それがある日、同級生に「付き合っているのか」とからかわれ、レミは何とも思わないが、レオは距離を置いてしまうようになる。
そして、2人の友情には決定的な別れが訪れてしまう・・
本作で昨年のカンヌ国際映画祭グランプリを受賞したルーカス・ドン監督は、2人の少年の細かい感情の変化や家族のやり切れない気持ち、学校の対応などを決して感情的にならず静かに繊細に描いていく。
LGBTQやダイバーシティなどは今の時代の創作の大きなテーマと言えるが、今作はそうしたテーマを扱いながらも、誰もが幼少期を振り返った時に抱く後悔の念にも訴えることで、多重的なテーマを描くことに成功している。
それは、大衆の目や社会規範を意識し純粋な子供から大人の入り口に立ったレミに自分を重ね合わせられるからだろう。
演技未経験でレオ役に抜擢されたダンブリンの少年と大人の雰囲気を併せ持った演技と美しさが際立っている。
その瞬間を焼き付ける監督の手腕も素晴らしい。
レミやその母親の抑えた感情表現や過度な演出を排した静かで丁寧な表現がリアルで染み入る。
絶望的な内容ではあるが、暗さだけではなく生きていく希望のようなものも見えてくる作品だ。
凄く丁寧に描かれた青春映画。
トランスジェンダーの主人公がバレリーナを目指す姿を描いた「Girl ガール」のルーカス・ドン監督の長編第2作。
気になった前作と意味ありげ(に見える)なポスターに牽かれて鑑賞しました。
で、感想はと言うと…良い。
少年の友情と互いの感情のすれ違いと後悔を丹念に描いているが、もうそれそれはこれでもかとばかりに丁重な描き方で上映時間をたっぷり使っている。
なので痒いところまで手が届いた感はあるけど、惜しむらくは少し丁重に描き過ぎで物語の起伏が少し単調になっている感があるのと、観る側の解釈の隙間がない感じがしなくもない。
だけど、多感な少年期の葛藤と言うか、想いや感情と言った一筋縄でいかないものを丹念に丹念に描いているのは見事と言うしかない。
特に必要以上な起伏を付け足さなかったのも個人的には好感が持てる。
この辺りの描写がホント上手いんですよね。
中学生ぐらいの男の子は子供であっても、何処か大人な側面と言うか、そこにスライドしていく多感な時期であり、今まで口に出していても、それがとある切っ掛けから出せなくなってしまうことなんかがあるんですよね。
親友なんて言葉で括らなくても仲が良いのは普通であっても、それがいざ言葉にするとこっ恥ずかしい。
ましてや、それを周りにからかわれると余計に過剰反応で振る舞ってしまう。
大人だったら軽くスルー出来てしまうようなことでも、過敏に反応して、必要以上の誤解と透かしをしてしまい
“いやいや、そうじゃないんだよ。実は~”なんて袋小路に入ってしまう。
そんな小さなすれ違いによる誤解が悲劇を生んでしまう。
青春のすれ違いと言う言葉では括れないくらいに周囲に影を落としてしまうことが重く深くのし掛かるんですよね。
正直ポスタービジュアルからもっとLGBTQ的な問題に根付いたテーマかと思ったけど、凄く青春と友情な作品で驚いた。
第95回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされただけでなく、様々な賞を受賞したのも頷ける。
こういう作品を鑑賞出来たことで鑑賞の幅が広がった感じで嬉しく思います。
派手さは無いけど、丁寧に描かれた良作でお薦めです♪
近いままで遠くへ行けるのか
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会話に明確な答えを求めなくても済む環境を作る。アイロニーと情緒の中で、長い時間をかけてわかりあっていた
嘲笑と葛藤の中で成長する、自動的に言葉、コミュニケーションが変化し、昔からの愛情は疎遠になっていく
新しい加護の元で生きる背後には、一抹の不安、そして無関心のような表情が流れていく
どこかで帰るべきだったのか、最後まで問いかけている。
忘れられない物語
見慣れたレミの部屋に一歩踏み込めば、仔犬がじゃれあうような2人の時間が戻る気さえした。
けれど、空っぽのリビングにのこる哀しみは逃れられない現実をガラス越しにつきつける。
レオにはそれがしっかりわかったはず…。
痛む胸の奥を尖る爪で鷲掴みにされる感覚は、いつものように飼い犬がレオを出迎えなかったときの嫌な予感と結びついた。
時の癒しを待てない苦しみに、今できることをレミの両親は考え記憶から存在を消そうとした。
それが夫妻の今を楽にする手段であり、息子が大好きだったレオの未来をも助けることだと。
そして息子同然にレオを大事にしていたからこそ何も告げずに。
ーーーーー
ある日クラスメイトにひやかされ、レミとの距離を気にするようになったレオ。
間もなく何かを求めるようにアイスホッケーに夢中になる様子と感情を振り切り家業の手伝いに没頭する姿がこれでもかというくらい反芻される。
それらの上達ぶりや気力、作業の内容と風景からみてとれる季節の推移には、時の経過と共に逞しさを増すレオの姿があり、レミとの時間を意図的に減らし自分に集中しようとしているのがわかる。
これをレオの成長の過程として喜び終わらせることができなかったのは、対比のように、内向的なレミが置いてきぼりにあったような孤独や嫉妬に苛まれ弱っていく姿があったからだ。
たわいもない会話にのせ夢や希望が明るく響いていたオーボエの音が、頭の中でいつしか調を変えてどんよりと曲がりくねり2人の気まずさを代弁しているようだった。
レミにとってそれは、唯一の親友と空想に浸って遊ぶ無邪気な日々への不本意な決別。眠れない夜にやさしい創り話をしてくれる〝友と時〟を突然封印されたも同然なのだ。
しかし、レオはレミを嫌いになったわけではない。
ただ自分の中にあるつかみどころのない気持ちに対応できず、それを誰かに悟られたくもなかった。
だからレミと離れレミのことを〝考えないで没頭できる時間〟がレオには必要だったと思う。
だが、レミのピュアな気持ちは、それを理解するには少し幼すぎたのかも知れない。
あれだけそばにいたレオの目に自分がうつっていない…
手の届かない世界にいってしまいそうなレオ…
そんなレミの焦りと口数が減ったレオがある日のケンカを引き起こし気まずさに囚われたまま別れを迎える。
レオとふたつの家族を襲う哀しみ。
それはどんなにどんなに辛かったことか…。
それから1年。
前にも増して自分を奮い立たせるようなレオがいた。
ソフィの職場に向かうレオはもうこどもの表情ではない。苦悩を経験し決意を持った雰囲気は、ソフィにすぐ状況を悟らせたが彼女は冷静を保つ。
この時を待っていたから。
しかし、レオを送る車内で聴いた言葉に、それまでこらえていた複雑で素直なソフィの感情が爆発、レオを車から追い出してしまう。
我に返ったソフィがレオを追う雑木林での緊迫。
追いつかれた時、ソフィに責めたてられても当たり前だと感じていたから抵抗する為にレオは棒を持っていた?
…そう初めは感じたのだが、むしろ自分を傷つけようとしていたのではないだろうかと思う。
慣れ親しんだソフィの気持ちが痛いほどわかるだけに、彼女の前で自らの罪を罰するために。
それをわかったソフィはレオをすかさず抱きしめたのだと思う。
レオも十分に苦しんだことを知り、自他共に疑い責めた日々からやっとレミの死を受け入れることで赦しの境地に辿りついたようにみえた。
そして冒頭に書いたレミの両親の選択がある。
ーーーーー
思春期のすれ違いのやるせなさをふと思い出させる苦い経験は、多くのおとなたちにある。
けれど、ここまでの衝撃。
その先にあった〝死〟というものがそれを増したのは明らかだ。
彼らのいつのまなざしも頭から離れず、だけど言葉にできず、ようやくの今日。
気がつけば半月、長い時間探し物をした気分だ。
まだ迷いながらも触れてみようと思ったことがあるからだ。
小学生のときに、友人のお兄ちゃんが亡くなった。
彼が6年生になる前日。
夕闇が迫る山手に向き、ひとり自転車をひく彼の姿があった。
父の車の座席から偶然みかけた私はいつもと違うその雰囲気だけをぼんやり見ていた。
それが翌朝に知る悲しみになるともわからず。
そして、今も同じ季節になると、不思議にみえた彼の姿を目で追う幼い自分を空から眺めるようにみる。
なにもできなかった自分の記憶が、どうしようもなかった淡い悔いを重ね塗りし無意識に弔っているのだと思う。
それが思春期頃からのクセになった。
一家はしばらくして引越した。
それからのことはわからない。
友人や家族のかなしみは時が忘れさせてくれたのか。
それもわからない。
でも、せめてそう信じたい。
そして彼がいたことは覚えていたい。
これは私の忘れられない物語。
レミとレオそして彼らを見守った家族に出会いなおさらそう思うのだ。
絶望が連れ去りのこしていくもの。
修正済み
大人になるとは鈍感になること
何気ない一言がこんなにも誰かを傷付け、取り返しのつかない結果を産んでしまう恐ろしさ…
オトナの入り口に立ち、さぁこれから!という時に投げつけられた一言の重さ。
その不用意な一言に傷付き、自分や大切な人を傷付けてしまう残酷さ。
「大人になる」とは、たぶん、鈍感にならざるを得ないことなのだろう。
レオはこの先、一生癒えない傷を抱えて生きていくのかと思うと、やるせない気持ちでいっぱいになった。
夏の花畑を駆け抜けたように、傷ついても傷付けられても、この先も駆け抜けていけますように。し人生の美しさを知り、傷だけを見るようなことなく、駆け抜けていく強さを持てますように。
これは全ての傷を持つ誰かの物語。
いつかの傷の痛みに耐えられない時は、是非。
喪失を経験した人々の選択
なんとなくどちらかが自殺することは察していたけど、思ったより呆気なさすぎて全然序盤すぎて驚いた。しかしこれは"レミがレオに傷つけられる物語"ではなく、"レオ含めたレミの周囲の人間が喪失をどう経験し生きていくかの物語"だからなのだと気づき、ハッとした。
それはつまり、この映画は「思春期特有の曖昧な関係性故の危うさ」と、「少年時代における喪失」、そして何よりも「取り残された人がどう生きていくのか」をテーマに描いたのだと言える。これは恐らくレミに関しても同じでレミの行動は、レオに「取り残された」と感じた故のひとつの答えだと言える。
環境が変化するに連れて、何も気に留めず慣れ親しんだ服や鞄、自分の振る舞い、家族や友人の言動など何もかもが気になって、そして誰かを傷付けてしまう。それは誰にでもある事で、誰のせいでもない。それが分かっていても自分のせいだと思ってしまいたくなる感情は罪というよりも責任に近い。
ラストシーンにて、自分の罪を告白したレオ、そしてレオを抱き締めたレミの母はそれぞれレミの喪失を受け入れる。レミの母は、家を引っ越して「忘れる」という方法で前へ進もうとし、そしてレオは(別の友人や兄でレミの喪失が生んだ間隙を埋め合わるという選択ではなく)レミとかつて駆け抜けた花畑で立ち止まり振り返って「痛みを抱えながら生きていく」という選択で前へ歩み出す。
喪失は不可逆的な事実であり、その苦しみや悲しみは何かで埋め合わせられるものではない。それでも生きようとする人々の姿はとても儚くてどうしようもなく非力でだからこそ美しいのかもしれない。私自身の過去における少年期の喪失を思い出して辛い気持ちになりつつ、それでも見てよかったなと思える映画だった。
「なぜ?」を追い求めてしまう
少年時代の友情はとても容易に築かれ、だからこそとても脆く儚い。私も小学生時代に遊んでいた友達とは疎遠になってしまった。本作のレオとレミみたいになにかのクラブに属してしまうとそちらの友人関係が優先されてしまうのは世の常だ。
でもさすがにあの2人のような親密で近い関係性だったら簡単には崩れない気もする。だからこそ2人が疎遠になっていく過程が切なすぎた。大人になっている今だから、「そんなことで」と思えるが、彼らにしたら大問題だ。
私は小学生時代にクラスメイトが自殺したことがある。転校してきた子で、友人もできて楽しく過ごしていたように見えたが再度親の転勤で転校することになった矢先、自ら命を落とした。他の土地では友人ができなかったが、私の地元で初めて友人ができたらしい。当時の私は「なんでそんなことで?」と驚くことしかできなかった。そう、自殺した者の周りはどうしてもその死の「なぜ?」を追い求めてしまうし、その気持ちを理解することは難しい。
本作の中でも、レオと観ている私達だけがレミの死の原因に思い至る。あの出来事が関係している!と。ギブスをつけるときのレオの涙もそう。レオと観ている者だけが理解できる描写がとても巧みだった。
結局、レミの死の真相はハッキリしないままだ。付き合ってるんじゃないかと同級生にからかわれたことも、レオとは違う別の感情をレミは感じていたかもしれない。レオに対するレミの感情は最後まで明らかにはならなかった。だから、これは観ている私達だけが妄想できる領域なのだ。このへんの描写も巧みだった。
セリフではなく、表情や雰囲気で物事を伝えようとする映画や、観ている者に判断を委ねる映画はあまり好きではない。でも、心を揺さぶられてしまった映画を低く評価することもできない。
Drop
自分は同性を好きになった経験は無く、異性に好意を抱きながら生きてきました。近年、LGBTを取り扱った作品は多くなり、その作品を見て様々な勉強をしたりしているのですが、今作は少女の一言によって親友同士の絆が揺らいだ、という一味違うエッセンスが加えられた作品になっていました。
兄妹のように仲の良いレミとレオ、互いの家に泊まりに行ったり、一緒に食事を取ったり、一緒のベッドで寝たりと、これだけ見れば親密な関係性なので、カップルなの?と質問されても仕方がないと思います。
その関係性が疑われて、ちょっとだけ嫌になったレオがレミを突き放すような行動を取ってしまいますが、それが原因で喧嘩をしてしまい、離れ離れになってしまい、挙げ句の果てにレミは自殺を…という前半のアプローチから、後半はレオの葛藤が強く描かれていました。
ただ近い時期に上映された「怪物」と主題が似ており、どうしてもそちらと比較してしまったので、少し見劣りしてしまったかなと思います。
「怪物」が一緒になれないのなら死ぬしかないという最終選択を選んでしまった作品だったのに対して、今作は衝動的にレオが自殺してしまったというのが強く映ってしまい、同性愛というテーマを扱う作品にしては、命の扱い方が少し軽いかなと思ってしまいました。
レオを演じたレオン・ダンブリンくんの儚い表情が素晴らしく、こんなにギリギリな感情を表現できるなんて、彼は将来とんでもない役者になるんじゃないか、今から楽しみな俳優さんです。
良い作品だとは思うんですが、少しパンチが足りないかなと思いました。そういえば「わたしは最悪。」の脚本の方が監督を務めていたというのを後から知って、そういえばそれもハマって無かったわ…と勝手に納得しました。
鑑賞日 8/3
鑑賞時間 18:30〜20:20
座席 G-1
ストーリーは良いが
本作のストーリーは思春期の少年の気持ちを描いた良いものですが、レミの死や最後のレミの母へ打ち明けるシーンは、もうちょい掘り下げて欲しいモヤモヤ〜っとした感じがした
日本でリメイク作品がでたらかなり興味深い
セリフで語らず表情で語る感動作品!
主役の男子2人が仲良くて それをクラスのちょっと意地悪なやつらにからかわれて
微妙な関係に徐々になっていって・・・
て内容なんだけど 普通会話で色々説明しがちな部分を
極力セリフを言わないで表情と間で感動させる手法を使っていてその演出が秀逸!(一部の日本映画とか悪く言いたく無いがあり得ないような状況説明のバカみたいなセリフを無駄に言ってて寒気が走るような作品結構あります)
まず誰しもが昔体験したであろう(男子はあると思う)ふざけてるうちにどんどん本気になってガチ喧嘩とか めちゃくちゃ仲が良かった友達といつの間にか遊ばなくなってたという懐かしい感覚を最初は味わいつつ
女子同士 男子同士の仲良しってどこからが友達で
どこからが恋愛対象かって難しくないですか?
友達と仲良くしたらダメなのか?
仲の良い友人の事は普通に好きなのは当たり前だけど
それってホモなのか?レズなのか?仲良し過ぎたらダメなのか? この微妙な境界線はどこ?線引きは具体的にどこですればいいのか? いったいそれってなんなん?て話ですから単純な内容ではありませんよ!
主役の友人が〇〇するんだけど(ここ普通なら〇〇シーン絶対にあります)まずバスが学校に着く時に父兄が学校に集められていて今から体育館で説明があるってなってなにか変だし友達今バスに乗って無いし不安だぞって表情が良くて主人公がバスから降りないで自分の母親がバスの中に来て体育館に行くよって言ってからの母親のあの表情と間が天才的で あそこで詳細を言わないんだけど母親のリアクションで全てを語っているのがまず凄くて(ゴジラの監督がこのシーンを演出したら母親が〇〇ちゃんは自殺したのよ〜って号泣しながらめっちゃ大声張り上げますよ絶対に)そこからは色んなバリエーションの涙腺刺激ポイントが多数襲いかかってきて 人によっては中盤以降から終わるまでずっと泣き続けてしまう人がいるでしょうってくらい泣けるシーンが散りばめられていて ある意味ずっとクライマックスのRRRに近いってくらいずーっと感動ポイントが続くのが神がかってました! あと日本映画の怪物とアプローチは違うけど 大きな部分では共通するテーマになっていて 見比べるのも面白いと思いますし 被害者と加害者の対話って部分は対峙って作品にも近くて 今年見た傑作のクロースと怪物と対峙は 同じようなジャンルの人間ドラマだなあと思いました!
あと予告のイメージだと 2人の関係が徐々に離れて行くのがメインと思いきや かなり早い段階で〇〇して
そこからの話がメインになっていてイメージと少し違いましたが逆に良かったなあと思いますし
主人公も 友人の母親もお互い核心部分の話をしたいんだけど中々その話に行けない微妙な感じの表情が絶妙で(言いたく無いがここの部分〇〇映画とかだったら葬式の直後くらいに アンタ息子の死んだ原因知ってるよね!なんか言いなさいよ!って詰め寄ったりするのが用意に想像できる)死んだ息子の母親が会話の流れで遺書が無くて 母親も直接の〇〇の原因が分からないまま時間が経過しているのが分かってくるのが見ていてキツかったですね!
主人公も自分が原因で〇〇した罪の意識はあるけど学校は普通にあるし休んでいいよと言われるけど学校行って現実逃避でアイスホッケーに没頭して忘れようとするけど徐々に耐えられ無くなって行く様子も上手く描かれていて
友人の母親にその事を話さないとダメだ!どうする?
って場面のやり取りの演技が神過ぎます(実際3回会いに言ってやっと3回目でやっと言えた)
それとキャスティングですが友人の母とか兄貴とか凄く良かったです。
一気に抑えていた感情が決壊する場面やら 主人公が友達に会いたいって思っているのを兄貴に素直に話して兄貴が何も言わないでよしよしってするシーンや 友人の父がみんなで食事している場面で徐々に泣き崩れていくシーンや友人の母親に主人公が家に会いに行く場面など中盤以降は重要なシーンだらけである意味本当にずーっと見せ場感動ポイントが続きまくりなので見終わった後の余韻がヤバくて この作品の評価が異常に高いの納得ですね。
特に腕を骨折してギプスをされながら主人公が泣くシーンの泣いてる真意とか考えると うわーって思ってしまいますしね!
という訳でカンヌで客が一番泣いた作品てのも納得なんだよなあ!
考察部分が無くてわかりやすく演出が秀逸で役者の演技が上手く内容も良く欠点がほぼ無いので(これを逆に上手くまとめ過ぎって言う考え方もある)年間トップクラスの作品です!(考察部分だらけで核心部分を隠してるから見た人の半分以上が一番重要な部分に気づかないアフターサンとは真逆の作りなのが面白いです)
タイトルなし
息を飲む映像と展開。二人の少年もいい。でも、ゲイではなくても親密な男性関係を揶揄したヘイトクライムで、母親に謝罪もなく、陶酔的な自己正当化で終わっており、後味が良くない。彼女に告白できなかったら、きっと彼は歪んだままの人生を送っただろうから、とても心配だったけど、やはり中途半端なので心配。女っぽいと言われ、アイスホッケーという男性性への反動形成。でも、これは普遍的な男性性の原型でもある。骨折は、比喩になってるけど、自傷行為
死の欲動であり、回復のはずがない。回復として描いているところにすでにこの映画の欺瞞があるだろう。それにしても、グループカウンセリングしても、何も出てこないところ、日本と変わらない。皆知ってて当然なはず。あんたらが差別発言したんだよ。
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