CLOSE クロースのレビュー・感想・評価
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アイスホッケーでマッチョになろう
*以前にアップした内容が勝手に削除されたので、一部固有名詞を修正して再投稿。
ヒョロヒョロと長い手足の美少年レオとレミは、世界的にも他に類を見ない性犯罪で話題の日本の芸能事務所のジジイでなくても目を瞠ってしまう。ルーカス・ドン監督の前作はトランスジェンダーのバレエダンサーの話で、めっちゃ痛いクライマックスにすべての男性器持ちが失神しかけたが、その主人公といい今作のふたりといい、役者選びが絶妙すぎる。
怪物・星川君なんかより、レミに対する友愛の情を初っ端から飛ばし続けるレオに嫌な予感はしたわけだが、トクシック・マスキュリニティと言うには無邪気な気持ちの反動によるその結果を、12歳の子どもが背負う姿を見るのがツラすぎる…。
多くの場面が顔のアップかバストアップ、セリフも最小限で、表情と態度で心象を語ってくる。なので、レミの母ちゃんがレオに渡した水に毒でも入れてんじゃないかとドキドキしたが、さすがに違った。
#36 誰のせいでもないけど
主人公は自分の取った行動にずっと悩み続けるのだろう。
そもそも毎日泊まりに行くような仲が異常なのであって、からかわれなくてもいつの日か自然に離れて行くのが幼馴染ってものでしょう。
レミが何故命を絶たなきゃいけなかったかは誰にもわからない。
でもレオ1人のせいではないことは明らか。
ベトベトしてる。
一旦以下のようなレビュー書いたんですけど、思い返すとちょっと違うかもと思えてきた。
この映画で誰が悪いかって言ったら、やっぱり「あんたたちつきあってるの?」てクスクス笑う女子たちや「やーい女ー」みたいに体ぶつけて嫌がらせする男子たちってことになると思うんだけど、男同士くっつくだけでゲイと決めつける視線は自分の中にもあって、以下の自分のレビューなんかはひょっとしたら上の女子や男子と同種のものを含んでるのかもしれないですね。
この映画は、人の行動にラベルを貼ってをとやかく言いたがる、軽々しいんだけどいやらしくて深刻な悪意が何かを殺した、という映画で、自分の見方はちょっと殺す側に寄ってたのかも。
まあそれでもやっぱり男同士くっつきすぎて違和感はえるんだけどね。それはそれとして、その向こうで描こうとしてるものが、以下のレビュー書いたときはわかってなかったかもしれない。
あの少年のカメラ目線は、そういうとこに気づかない自分のような人たちを見てたのかもしれないと、思い当たった次第です。
***
中盤までは、それでもなかなか見応えある映画だと思っていたのだけど。
花畑を走る映像とか、おおー!って思ったし。
しかしだんだん、ベトベトした感じが気になって醒めてしまった。
シンプルに男同士くっつきすぎだし。
少年同士とか、兄弟とか、、あーこれ監督そういう趣味の人だろ、て、監督がゲイの人だとか予備知識なかったけど見ててそう思ったら、案の定そうらしく。。
別にそうい趣味自体が悪いというんではないけど、この映画のそれは、なんというか、わざとらしい気がした。
だいたい、ゲイだとかそうでないとか、重要は重要かもしれないが、そんなに決定的に本質的なことではないのでは?
大なり小なりそれをテーマに物語を描くとして、そこに人間としての普遍的な痛みや切なさや喜びや、そういうものが浮かび上がるからドラマになるんであって。
この映画は変にそれを押しすぎというか、ストーリー上は別にはっきりゲイってわけでもないのに、あの少年同士のモチャモチャは・・・、あれほんと単純に、趣味でそういうのが撮りたかったってだけなのでは?
わざとらしいという意味では、カメラワークも、終始アップにしっ放しっていうのが狙いすぎで鼻につくというか、見てて飽きるし、疲れる気がした。
たまに主人公があからさまにカメラ目線になるのも、どんな意図なのか知らないけど、ただ違和感を感じるだけで、あまりプラスになるものを感じなかったし。
途中からそんな感じで興味が失せてしまったので、主人公の本当の思いがどこかできっとあらわになると思って、それだけ待ってたのだけど、それも中途半端なまま終わってしまって・・・。
あれだけ小出しにして引っ張った割には、全然掘り下げ不足だったんじゃないですかね?
映像は美しいし、主人公の少年もルックス最強でめちゃくちゃ魅力あるし、母親たちの抑えた演技も素晴らしくて、まあいいところもたくさんあったんですけどね。
それもひっくるめて自分としては、夢中になれるような映画ではなかったかなー。
さほど深くはない。期待し過ぎた。
ストーリーも、描こうとしてる心情も、ごくシンプル。それを1時間40分の作品にするためにどう肉付けするのか、なにかポイントを絞って深堀りして描くのか、それともサイドストーリーを挟むのか。本作はどちらでもなく、淡々と似たようなシーンの繰り返しで時間を使っている。それらは「子どもの日常を描く」という役割を担ってはいるが、やや冗長。特に、くり返し出てくる主人公の部活(アイスホッケー)のシーンは、一定の役割を果たしつつも中途半端で退屈。あまりにも何度も出るので、「予算少なくて、1日でこの場所でたくさんシーン撮らなきゃいけなかったのかな」などと考えてしまった。
全体的に狭い画角のカットが多く、広い絵が少ないため、見ていて息苦しく、緩急がなく感じる。監督の狙いなのか?登場する大人たちが、みんなきちんと大人らしく振る舞っている描き方が欧州っぽかった。
大好きだけど大好きじゃない
レオは期末の休暇を幼馴染のレミとたっぷり過ごし、新学年を迎えた。新しいクラスで友達が増え、その誘いでスポーツチームに参加したりTVゲームを始めたり、交友関係や興味が広がって行く…というと日本でも春の学校あるあるで、保護者からすれば歓迎するような成長の兆しとも言える。
しかし、レオが新しい生活に傾倒するのはレミとの仲の良さをクラスメイトに揶揄われた反動も含んでいる、というのが本作の哀しいところ。兄弟のように生活していた親密さにレッテルを貼られ、スルーしきれずに行動で証明しようとするレオの年相応の未熟さとそこで生じるレミとのすれ違いが胸に痛い。
思春期につるむグループの面々が入れ替わるのは我々の学生時代にもよくあることで、それで多少ギスギスした経験がある人も少なくないだろう。だからこそレオの後悔も、レミの痛みも、誰かが決定的に悪くなくても悲劇が起こる哀しさがよく理解できる。
悲劇に対してフィクション的な都合の良さが与えられないリアリズムが非常に現代的で、観客がその余韻をどう処理するかで評価が二分しそうな作品だった。スクールカウンセリングのシーンで出てくる「感情はその人のもの」という言葉が印象的で、劇中の問題を象徴していた気がする。
言葉にできないような心情を、視線で語るレオが妙に心に残る
セリフがなく、表情と情景で語るような場面が多い映画だった。
恋人のような付き合い方をしていた少年2人が、関係性をからかわれたり、新たな人間関係ができる中で、次第に疎遠になっていく。
それが許せない少年達は大喧嘩をして、その直後・・・・といった話。
誰もが子供の頃に経験があるような話だが、普通はだんだん疎遠になって、ただの友達か他人になっていくが、この映画ではある意味決着をつけてしまう。
残された者は立ち直っていくしかなくて、少年は乗り越えられる未来が見えているが、母親はどうだろう?と思ってしまった。
レオのことは許せていたが、息子レミの行動をどう思い、どう心の整理をつけるのか?
表情だけの描写では私にはわからなかった。
うつくしくてかなしい。
相手に感じる親しみが、性欲を孕んでいるかが恐らくまだ未分である二人の話。
レオとレミという13歳?の男子で、新学期から中学生。
レオが主人公なのかな。毎日一緒に遊んで毎日一緒に、時に同じ布団で眠り、学校でも一緒にいる。
幼子と母親のような、身体接触を伴う親密さは、13歳の同級生たちには異質に見え、
二人は付き合ってるの?と女子たちにからかわれ、レオは必死に否定する。
レオ自身にレミへの性的な興味などがあるかは、全くわからない描き方だった。
ただ、”ふつうの男らしさ”を身に着けなければ、という圧力は感じていたようで、
レミを遠ざけ、男らしさを補強?するためのツール的に、アイスホッケーを習い始める。
クィアなものへの忌避ではなく、集団からの阻害を忌避したいように見えた。
そこはよくわかる。集団内で異質であることを受け入れるには、13歳は幼すぎる。
四十路の今では自らの異質さに抵抗がない私も、13歳のころには”みんなといっしょ”という安心を、心底欲していたもの。
レオのアイスホッケーのような努力を、私だって必死でやっていたもの。
”みんなといっしょ”が欲しくて、バレーボールやってたもの。
一方レミは、集団内での異質さに無頓着なんだと思う。オーボエが得意で、一人っ子。お母さんがすごくおおらかで素敵な雰囲気の人だった(レオの父母・兄がだめってことではない)。
レオへの親しみに、性的要素があったかは定かではない。こちらもその点は未分な気がした。
自らの異質さに無頓着でいられる、ある種の強さは、13歳が持っているのが珍しい類だと思う。
レオにとっては、考えられないことで、そのまんまでいようとするレミと対立してしまう。
結果、レミは、自死する。
この展開は、全く予想しておらず、辛かった。
レミが儚くなって、レオは当然ショックを受けているけど、そのショックが自分がレミを拒絶したからという
罪悪感であることは、誰も気付いていないし、誰にも言えない様子だった。
レミの両親は、時間がたっても悲しそうだし、自分も悲しい。
一心同体と言えるレミとレオが、小さな対立を経て一人と一人になることは、思春期の必要な成長なので、
対立自体は避けようがなかったと思う。
レオの拒絶は、結構強かったは強かったけど、レオが悪いわけではない。異質さを恐れることも自然なこと。
イニシエーションが一生の傷みたくなってしまって、つらかった。
そして、レミを死なせないことはできなかったのだろうか、としばらく思い悩んだ。
もちろん虚構であるし、実際のレミはいないけど。
レオはどんどん自分を罰し、最終的には、レミの母親に、きっとレミは自分のせいで死んだことを伝える。
レミの母に、話したくてでも言えなくて、家に行き、職場に行き(新生児室のナースだった)、家に送ってもらう
途中で話をし、森の中で苦悩をぶつけて受け止める。後半とてもよかった。
レオのおうちは、花卉農家で、多分香料を作るための花らしく、収穫は花部分のみベニバナみたいに摘み取る。
美しい花畑と夕空のなかを、まだ一心同体だったレオとレミがごっご遊びをしながら駆け抜ける風景も美しく、心に残った。
2023年TOP10入り
首都圏?では7月に公開され、ここ広島で
やっと公開された期待の作品。
オープニングですぐ心を鷲掴みにされる
美しい光景🌸🌷🌼🌷🌸🌷🌼
少年少女の揺れ動く感情と
誰にでも起こりうる小さなすれ違いで
人は居とも容易く傷つき壊れてしまう。
12歳の少年には耐えられなかった中傷
12歳の少年には理解できなかった距離感
どちらの少年も間違ってはいないのだけれども
2人とも選択肢を大きく間違えてしまった。
息子の親友を我が子のように
可愛がっていたからこそ
レミの両親は何も告げずに去って行ったのも
切ない。
とにかく2人の仲睦まじい姿と
葛藤と成長していく様がいいのです。
レオ役のエデン・ダンブリン
レミ役のグスタフ・ドゥ・ワエル
本作で映画デビューを果たしたとのこと。
とても初演技とは思えません。
これからがとても楽しみな若手俳優爆誕です㊗️
少年の全て
美少年のレオを観賞する作品か
13歳のレオとレミは、学校だけでなく放課後も一緒に過ごすほどの親友だった。しかし、2人の親密な間柄をクラスメイトにからかわれたことで、レオはレミへの接し方を変え、そっけない態度をとるようになった。そのせいで気まずい雰囲気になり・・・てな話。
何を描きたかったのか、考えながら観てたが、イマイチ理解できず終わった。
レミは自殺だったのだろうが、あれくらいで死ぬのを是として良いのか?世界には戦下で友や兄弟、両親を失ったりしても逞しく生きている子供はたくさんいる。
レオは違うのだろうが、レミはゲイだったのか?
その後もレオのアップでホッケーしたり、サッカーしたり、雪合戦したり、授業を受けたり、植え込みの手伝い、などのシーンが細切れで続き、そしてソフィと車に乗ってる時に降ろされ雑木林での抱擁。
刺さる人には涙腺が緩むらしいが、もう少し分かるようにしてほしいし、もっと厳しい現実は世界にいくらでも有るとしか思えない。
説明のないこういう文学的な作品が高評価だと、映画をレビューする気力が失せてしまう。
個人的には合わなかった。
心臓の音
まるで絵画のような映画である。
どのシーンを切り取っても絵になる、美しい作品。同時に思春期である主人公の葛藤が、複数の絵で物語られている。行間が多く、特にラスト辺りは睡魔に襲われるが、他の作品では味わえない居心地の悪さが本作にはありました。
どんなホラーやグロ描写が激しい映画よりも、こういう子どもが悩み、苦しみ、辛い表情をする映画のほうが見てられない。何故、一心不乱に生きる子どもがこんな思いをしなきゃいかんのか。2人とも、絶妙な演技をしていて、胸がぎゅーっと苦しくなる。よくよく考えてみれば、レミはレオのせいで自殺を測ったとは思えず、もしそうならレオはあまり悪くないんじゃないかとも思う。ただ、そんなことを部外者が言っても仕方ない。実際のところ、どうだったのかが分からないのが辛いのだ。
こういう映画を見ると、自分に置き換えてしまう。
だから、余計に苦しいんだと思う。この世から去ってしまってからの描写が、本作すごく長いため、かなりキツイ。ハッキリ言うと、苦手だ。救いようのない物語だし、衝撃的な展開があるわけでも無い。じっくりと時間をかけて主人公・レオの心に迫る。先程も言ったように、絵になるシーンが多くてとても美しい作品ではあるのだけど、映画となると物足りないように思えた。
見る年代によって結構感じ方が変わりそう。
いい映画と言われることはよく分かるんだけど、感情移入してしまうがあまりにいい映画とはとても言えない。ん〜、自分に向いてないな笑
子供から大人への別れの物語
異性であるか同性であるかに関わらず、ただ親友という濃密な関係性が成立するのは幼少期のみで、いつしか「性」というものを意識せざるを得なくなる。
13歳のレオ(エデン・ダンブリン)とレミ(グスタフ・ドゥ・ワエル)の2人は何をするにも一緒の兄弟のような存在。レオはレミの家族と夕飯を食べたり泊まるのが日常だ。
それがある日、同級生に「付き合っているのか」とからかわれ、レミは何とも思わないが、レオは距離を置いてしまうようになる。
そして、2人の友情には決定的な別れが訪れてしまう・・
本作で昨年のカンヌ国際映画祭グランプリを受賞したルーカス・ドン監督は、2人の少年の細かい感情の変化や家族のやり切れない気持ち、学校の対応などを決して感情的にならず静かに繊細に描いていく。
LGBTQやダイバーシティなどは今の時代の創作の大きなテーマと言えるが、今作はそうしたテーマを扱いながらも、誰もが幼少期を振り返った時に抱く後悔の念にも訴えることで、多重的なテーマを描くことに成功している。
それは、大衆の目や社会規範を意識し純粋な子供から大人の入り口に立ったレミに自分を重ね合わせられるからだろう。
演技未経験でレオ役に抜擢されたダンブリンの少年と大人の雰囲気を併せ持った演技と美しさが際立っている。
その瞬間を焼き付ける監督の手腕も素晴らしい。
レミやその母親の抑えた感情表現や過度な演出を排した静かで丁寧な表現がリアルで染み入る。
絶望的な内容ではあるが、暗さだけではなく生きていく希望のようなものも見えてくる作品だ。
凄く丁寧に描かれた青春映画。
トランスジェンダーの主人公がバレリーナを目指す姿を描いた「Girl ガール」のルーカス・ドン監督の長編第2作。
気になった前作と意味ありげ(に見える)なポスターに牽かれて鑑賞しました。
で、感想はと言うと…良い。
少年の友情と互いの感情のすれ違いと後悔を丹念に描いているが、もうそれそれはこれでもかとばかりに丁重な描き方で上映時間をたっぷり使っている。
なので痒いところまで手が届いた感はあるけど、惜しむらくは少し丁重に描き過ぎで物語の起伏が少し単調になっている感があるのと、観る側の解釈の隙間がない感じがしなくもない。
だけど、多感な少年期の葛藤と言うか、想いや感情と言った一筋縄でいかないものを丹念に丹念に描いているのは見事と言うしかない。
特に必要以上な起伏を付け足さなかったのも個人的には好感が持てる。
この辺りの描写がホント上手いんですよね。
中学生ぐらいの男の子は子供であっても、何処か大人な側面と言うか、そこにスライドしていく多感な時期であり、今まで口に出していても、それがとある切っ掛けから出せなくなってしまうことなんかがあるんですよね。
親友なんて言葉で括らなくても仲が良いのは普通であっても、それがいざ言葉にするとこっ恥ずかしい。
ましてや、それを周りにからかわれると余計に過剰反応で振る舞ってしまう。
大人だったら軽くスルー出来てしまうようなことでも、過敏に反応して、必要以上の誤解と透かしをしてしまい
“いやいや、そうじゃないんだよ。実は~”なんて袋小路に入ってしまう。
そんな小さなすれ違いによる誤解が悲劇を生んでしまう。
青春のすれ違いと言う言葉では括れないくらいに周囲に影を落としてしまうことが重く深くのし掛かるんですよね。
正直ポスタービジュアルからもっとLGBTQ的な問題に根付いたテーマかと思ったけど、凄く青春と友情な作品で驚いた。
第95回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされただけでなく、様々な賞を受賞したのも頷ける。
こういう作品を鑑賞出来たことで鑑賞の幅が広がった感じで嬉しく思います。
派手さは無いけど、丁寧に描かれた良作でお薦めです♪
近いままで遠くへ行けるのか
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会話に明確な答えを求めなくても済む環境を作る。アイロニーと情緒の中で、長い時間をかけてわかりあっていた
嘲笑と葛藤の中で成長する、自動的に言葉、コミュニケーションが変化し、昔からの愛情は疎遠になっていく
新しい加護の元で生きる背後には、一抹の不安、そして無関心のような表情が流れていく
どこかで帰るべきだったのか、最後まで問いかけている。
忘れられない物語
見慣れたレミの部屋に一歩踏み込めば、仔犬がじゃれあうような2人の時間が戻る気さえした。
けれど、空っぽのリビングにのこる哀しみは逃れられない現実をガラス越しにつきつける。
レオにはそれがしっかりわかったはず…。
痛む胸の奥を尖る爪で鷲掴みにされる感覚は、いつものように飼い犬がレオを出迎えなかったときの嫌な予感と結びついた。
時の癒しを待てない苦しみに、今できることをレミの両親は考え記憶から存在を消そうとした。
それが夫妻の今を楽にする手段であり、息子が大好きだったレオの未来をも助けることだと。
そして息子同然にレオを大事にしていたからこそ何も告げずに。
ーーーーー
ある日クラスメイトにひやかされ、レミとの距離を気にするようになったレオ。
間もなく何かを求めるようにアイスホッケーに夢中になる様子と感情を振り切り家業の手伝いに没頭する姿がこれでもかというくらい反芻される。
それらの上達ぶりや気力、作業の内容と風景からみてとれる季節の推移には、時の経過と共に逞しさを増すレオの姿があり、レミとの時間を意図的に減らし自分に集中しようとしているのがわかる。
これをレオの成長の過程として喜び終わらせることができなかったのは、対比のように、内向的なレミが置いてきぼりにあったような孤独や嫉妬に苛まれ弱っていく姿があったからだ。
たわいもない会話にのせ夢や希望が明るく響いていたオーボエの音が、頭の中でいつしか調を変えてどんよりと曲がりくねり2人の気まずさを代弁しているようだった。
レミにとってそれは、唯一の親友と空想に浸って遊ぶ無邪気な日々への不本意な決別。眠れない夜にやさしい創り話をしてくれる〝友と時〟を突然封印されたも同然なのだ。
しかし、レオはレミを嫌いになったわけではない。
ただ自分の中にあるつかみどころのない気持ちに対応できず、それを誰かに悟られたくもなかった。
だからレミと離れレミのことを〝考えないで没頭できる時間〟がレオには必要だったと思う。
だが、レミのピュアな気持ちは、それを理解するには少し幼すぎたのかも知れない。
あれだけそばにいたレオの目に自分がうつっていない…
手の届かない世界にいってしまいそうなレオ…
そんなレミの焦りと口数が減ったレオがある日のケンカを引き起こし気まずさに囚われたまま別れを迎える。
レオとふたつの家族を襲う哀しみ。
それはどんなにどんなに辛かったことか…。
それから1年。
前にも増して自分を奮い立たせるようなレオがいた。
ソフィの職場に向かうレオはもうこどもの表情ではない。苦悩を経験し決意を持った雰囲気は、ソフィにすぐ状況を悟らせたが彼女は冷静を保つ。
この時を待っていたから。
しかし、レオを送る車内で聴いた言葉に、それまでこらえていた複雑で素直なソフィの感情が爆発、レオを車から追い出してしまう。
我に返ったソフィがレオを追う雑木林での緊迫。
追いつかれた時、ソフィに責めたてられても当たり前だと感じていたから抵抗する為にレオは棒を持っていた?
…そう初めは感じたのだが、むしろ自分を傷つけようとしていたのではないだろうかと思う。
慣れ親しんだソフィの気持ちが痛いほどわかるだけに、彼女の前で自らの罪を罰するために。
それをわかったソフィはレオをすかさず抱きしめたのだと思う。
レオも十分に苦しんだことを知り、自他共に疑い責めた日々からやっとレミの死を受け入れることで赦しの境地に辿りついたようにみえた。
そして冒頭に書いたレミの両親の選択がある。
ーーーーー
思春期のすれ違いのやるせなさをふと思い出させる苦い経験は、多くのおとなたちにある。
けれど、ここまでの衝撃。
その先にあった〝死〟というものがそれを増したのは明らかだ。
彼らのいつのまなざしも頭から離れず、だけど言葉にできず、ようやくの今日。
気がつけば半月、長い時間探し物をした気分だ。
まだ迷いながらも触れてみようと思ったことがあるからだ。
小学生のときに、友人のお兄ちゃんが亡くなった。
彼が6年生になる前日。
夕闇が迫る山手に向き、ひとり自転車をひく彼の姿があった。
父の車の座席から偶然みかけた私はいつもと違うその雰囲気だけをぼんやり見ていた。
それが翌朝に知る悲しみになるともわからず。
そして、今も同じ季節になると、不思議にみえた彼の姿を目で追う幼い自分を空から眺めるようにみる。
なにもできなかった自分の記憶が、どうしようもなかった淡い悔いを重ね塗りし無意識に弔っているのだと思う。
それが思春期頃からのクセになった。
一家はしばらくして引越した。
それからのことはわからない。
友人や家族のかなしみは時が忘れさせてくれたのか。
それもわからない。
でも、せめてそう信じたい。
そして彼がいたことは覚えていたい。
これは私の忘れられない物語。
レミとレオそして彼らを見守った家族に出会いなおさらそう思うのだ。
絶望が連れ去りのこしていくもの。
修正済み
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