私だけ聴こえる 劇場公開日:2022年5月28日
解説 耳の聴こえない両親から生まれた耳の聴こえる子どもたち「コーダ(CODA=Children Of Deaf Adults)」にスポットを当てたドキュメンタリー。ドキュメンタリー作家・松井至が監督を務め、15歳という多感な時期にいるコーダたちの3年間を追う。学校では“障がい者の子”として扱われ、ろう者からは「耳が聴こえる」という理由で距離を置かれるコーダたち。そんな彼らが唯一ありのままの自分を解放できるのが、年に一度の「CODAサマーキャンプ」だ。キャンプを終えた15歳の子どもたちは、自身の進路を決める大切な時期に入る。「ろうになりたい」という欲望に突き動かされ、聴力に異変を感じるナイラ。ろうの母から離れて大学へ行こうと葛藤するジェシカ。音のない世界と聴こえる世界の間で居場所をなくしたコーダたちが、揺らぎながらも成長していく姿を描き出す。
2022年製作/76分/G/日本 配給:太秦
オフィシャルサイト スタッフ・キャスト 全てのスタッフ・キャストを見る
× ※無料トライアル登録で、映画チケットを1枚発行できる1,500ポイント をプレゼント。
2022年11月23日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
ネタバレ! クリックして本文を読む
映画『エール!』『コーダ あいのうた』でも取り上げられた、耳の聴こえない両親から生まれた耳の聴こえる子どもたち。 コーダ(CODA)とは、Children Of Deaf Adultsの頭文字。 日本のドキュメンタリー作家・松井至は、東日本大震災に伴う大津波の生存者のなかに耳の聴こえない人々がおり、彼らに津波の襲来を伝えたのが、彼らの健聴の子どもたちだった、ということを知る。 取材に同行していた外国人女性から、米国に多くのコーダたちがいることを知り、コーダたちの生き方、苦しみ、その後の人生などを撮ることにした・・・ といったドキュメンタリーで、作家視点から映画の紹介を始めたわけだが、映画の多くは多感な時期にいるコーダたちの様子が中心。 映画後のシンポジウムの内容を加味しながら書き進めます。 当初、監督が製作した「資金集めのためのショートフィルム」は、センチメンタルな音楽がつけられ、コーダ=不幸な存在、というイメージを強調しすぎていたようで、映画の被写体となるコーダの少女から完全にシャットアウトされそうになったという。 それでも、少女と交流するうちに、彼女自身も自分の内側に抱えている物事を外に発信したいという思いがあり、彼女のアイデアを尊重して撮影を続けていった、という。 他のコーダたちにも同じアプローチをすることで、彼ら彼女らの心が開かれ、映画としては生き生きとした映像の集まりとなった。 特に、一人の少女が、自分の生い立ちをベースにして物語を創造し、クラスメイトの前で発表するシーンは印象深い。 また、米国にはコーダたちが集う「コーダ・キャンプ」というサマーキャンプがあり、その1週間のキャンプのときだけ、自らの悩みや思いを仲間たちに解放できるようで、キャンプのエピソードでの彼ら彼女らを写した様子も素晴らしい。 翻って、コーダという存在は聾者という少数派の中の更なる少数派で、少数派であることの苦しみは、他の少数派と比べても、深いものがあるのでしょう。 映画では、監督ほかによる第三者のナレーションは使われておらず、コーダたちから出る言葉で綴られています。 それは、言葉だけでなく、手話などの身体表現コミュニケーションも含まれ、饒舌とも豊穣ともいえます。 そのほか、興味深かったのはコーダたちが暮らす家庭の様子。 耳が聞こえない=無音の環境、と思っていましたが、音が聞こえないゆえに生活音には無頓着。 なので、炊事などの家事では、食器などがぶつかり合う音がすさまじい。 ま、なるほどというえば、なるほどなんですけど。
2022年9月26日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
耳の聴こえない両親から生まれた耳の聴こえる子どもたち、コーダ、について15歳の数人の3年間を追ったドキュメンタリー。 学校では障がい者の子として異質に扱われ、ろう者からは耳が聴こえるとために距離を置かれるコーダたちにとって、唯一ありのままの自分を解放できるのが、年に一度のコーダサマーキャンプだった。そのなかで、15歳の子どもたちは、進路を決める時期を迎えるが、ろうになりたい、という欲望により聴力に異変を感じたナイラ。ろうの母から離れて大学へ行こうとするジェシカなど、居場所をなくしたコーダたちが、悩みながら成長していく様を映した作品。 監督の舞台挨拶の回を観賞した。 なぜ、日本人監督がアメリカで映画を作ったのだろうと思っていたら、解説の中で、あるきっかけからコーダの映画を作ろうと思い、アメリカでコーダを探して映画を作ったとの事。 まだ日本では対象者がなかなか探せなかったのが大きな理由だったようだ。なるほど、と納得した。 コーダがろう者になりたいという気持ちを持っている事に衝撃を受けた。耳が聞こえるのに聴こえないようになりたいとは・・・。 つまり、それほどコーダたちはどこに居ても居場所が無いんだな、っていう事に悲しくなった。 コーダあいのうた、という作品を観てから知ったコーダという言葉だが、持ってる(正常な聴力を)方が悩むという事なんだと知れた。 凄く勉強になった。観て良かった。
2022年9月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
東日本大震災で津波の恐怖を知ったアシュリー。大声で「逃げろ!」と叫んでもろう者たちには聞えない。聴者たちにはわからない苦労。災難があらためて心に刺さる。東北を訪れていたコーダのアシュリーが積極的に体験談に耳を傾ける。途中、アメリカのドキュメンタリー映画だと勘違いしてしまいそうになったけど、これは日本の映画。 ウィスコンシン州で毎年12日間開かれているコーダ・キャンプ。日頃から、ろう者の両親からも疎まれ、学校へ行っても違った人種のように疎外感をおぼえる彼らコーダ。友達もなかなか出来なく、このキャンプだけが同じ境遇の若者たちと交流を深め、楽しい12日間を過ごすのです。ずっとこのままでいたい・・・と呟く彼ら。 幼い頃から家族と手話で会話して、外では手話通訳として活躍する。それが当たり前の人生なんだと思っているのに、普通の聴者たちからは距離を置きがちにされてしまう。そして、それぞれのコーダの若者たちが「ろう者になりなかった」と漏らし、聴者を生んだろう者の親も悲しむという。ここが『コーダ あいのうた』の肝でもあったから、またこのアカデミー賞作品賞の映画を観て確認したくなるのです。 全体的に真摯に彼らの心の内を探った内容によって、自分の認識の甘さを痛感させられた。そして『コーダ あいのうた』が特別な家族ではなく、主人公の心の変化もリアルだったんだと感じてしまう。これは多くの人に観てもらいたいドキュメンタリーでした。 タクシー運転手経験も10年以上経った私kossy。視覚障がい者も聴覚障害者もお乗せしたことがありますけど、ろう者が行き先を伝えるのはメモに書かれた住所。「そこを右、そこを左」と伝えるときは肩を叩いてくれたりする。今ではカーナビもついているので楽になったけど、ないときはこんな感じでした。UDドライバーの研修は受けたけど、ほとんどが車椅子客と視覚障がい者だったなぁ・・・それにしても、日本語タイトルは「聞く」ではなく「聴く」になっていることも考えさせられた。
2022年8月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ネタバレ! クリックして本文を読む
「コーダ あいのうた」を観て 「コーダ」と呼ばれる子供たちの事を知りました。 この作品は、コーダのことをもっと知るためにびったりの 作品なのかと思い、鑑賞することに。 上映時間は短め。 1年に1回、コーダの子供たちが集まって 1週間程度のキャンプをするようです。 それに参加したメンバーの中から数名を取り上げて ・キャンプでの姿 ・日常の生活 ・抱える悩み などが紹介されていく内容でした。 また、参加したメンバーの親(=ろう者)から見た ・子供たちへの期待 ・将来への不安 ・子供を手放せないという本音 も紹介されます。 親のエゴ (いつまでもそばに居て欲しい) 子供の葛藤 (いずれは親と離れて暮らしたい) そんな本音の部分がちらほらと垣間見えます。 そういう点では、「コーダ」を理解する上で 見ておいた方が良いドキュメンタリーなのかな と そんな風に思う作品でした。 ◇ 「コーダ あいのうた」 でも 「ろう者の親」 を支えるのは 「健聴者の子供」 でしたが 「子供」 とは 「未成年」の子供でした。 何年たっても「親子関係」は変わらない訳ですが どこかのタイミングで、いずれ「子供」は親から離れていく それが現実なのかなぁ と 観終わえてからその辺りが気になっています。 ☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで