さかなのこのレビュー・感想・評価
全375件中、101~120件目を表示
この内容で、この尺はつらいかな。
さかなくんの半生をのんが男という設定で演じた作品。
女優だけれどさかなくんのキャラにはぴったり
ということでのんを起用したということなんでしょうか?
でも、正直、違和感がありました。特に、学生時代のパート。
リアル感がまったくなく、ドタバタ喜劇のよう。
しかも、おもしろくない。本人出演も不要だったんじゃないかな。
働いてからのパートも、正直退屈でした。
こんな感じでの2時間越えはきつかったです。
たくさんの人に愛されているさかなくんのキャラクター
が伝えきれてないように感じました。
不思議ちゃん
冒頭で『男か女かは、どっちでもいい』と表示された瞬間から観客の混乱が始まる。後から色々と都合よく理由付けはできるだろうけど、男の設定である主人公をのんにキャスティングしてしまったから、こんな面倒な表示をする羽目になったんだろうなぁ。
主人公が男だからこそ、地元の不良と交遊が芽生えたり、幼馴染みのシングルマザーがアパートに転がり込んだのは事実。
そこを『どっちでもいい』と言われても … 。
少なくとも女優じゃなく男優が演じていたら、最初からこんな面倒な説明は無かったハズだから。
主人公があまちゃんの天野アキに見えなくもないけど、のんの好演は認めざるを得ない。
エンディングで主人公が子供たちと坂道を走ってるシーンで、一人の子が転んで倒れて起きあがれないままなのが気になる。
何人かの子は演技をやめて倒れた子のそばで立ち尽くしてるのに、淡々と撮影が続いているのには違和感。
横道世之介が好きな人は、今作も好きだと感じるかも
「魚道」は茨の道だけど、楽しい。
常に魚のことばかりを考えているみー坊を演じたのんの、その偽りのないクリアな眼差しが、自分が知ってる「サカナくん」のイメージと重なった。キャスティングの妙。
強烈な「好き」を原動力に、幼年期から学生時代、そして社会に出てからと、様々な失敗と挑戦と出会いを経て、「サカナ博士」という夢に少しずつ近づき、社会の中で自分の居場所を見出していくみー坊。
時にバカにされ、時に「普通」という軸からの逸脱を指摘されながらも、全く意に介さずに、一切ぶれることなく「魚道」を突き進むことができたのは、間違いなく彼女を全肯定してくれた母親の存在だろう。彼女の存在がなければ、どこかで父親に緩やかに矯正されていただろう。
全肯定と矯正、そのどちらとも親としての愛情に裏付けられるものだが、向かうべき方向性は真逆。
子の一つの「好き」を認め、育む。
そんな当たり前の大切なことだけではなく、そこを進む時に生じる、シビアな面も描いてるところに、この作品の良識を感じる。
見つけてこわそう
今また「あまちゃん」の再放送がオンエアされている。最初の放送当時は1日に3回くらい見ていたので(時を経た再放送に多少の改変があったとしても)嬉しい限りである。
本映画では防潮堤の先から海に飛び込むあまちゃんのシーンがオマージュされているし、何せキャストがすでにあまちゃんの劇中番組、さかなクン本人役と天野アキ役の能年玲奈が共演した「見つけてこわそう」そのまんまである。ギョギョギョのジェジェジェである。
私の携帯電話では(‘j’)(‘jj’)(‘jjj’)が今でも変換できるのはどうでもいいが、ともするとコミカルなイロモノ、企画モノで終わってしまいそうな体裁の本映画は立派な文芸作品であった。
特に一人暮らしを始めたミー坊の描写は秀逸と思った。陳腐な言葉ではあるが抒情的で水彩絵の具で描いたような「水」の印象すら感じられる表現であった。
さて、もうね、さかなクンの秘ヘアが拝めてしまうだけで遠くまで個展を見に行っちゃうファンからするとありがたや!である。
天然をえがく難しさ
業界には天然なのか天然キャラなのか──の命題があるが、たいがいキャラなので、じっさいの天然の問題はそこ(真偽)ではなく天然が似合うのか似合わないのかの問題になろうかと思う。
(映画やドラマを撮影しているこちら側(カメラ側)には夥しい数の人たちが居る。そのような緊迫した環境で仕事をしている人が天然というのは無理がある。)
たとえばビビアン・スーは天然が似合う人で、公ではかならず片言な日本語を話した人だった。元来知的なひとが天然を装ったキャラクターで通すことを戦略的愚直と呼ぶ。
戦略的愚直は謂わばお化粧であって良いも悪いもないが、戦略的愚直を達成するためにいちばん重要なのは愛らしい見た目だろう。天真爛漫な印象だと更にいい。ビビアン・スーの戦略的愚直はバレなかった。
のんも戦略的愚直をつかう人だと思う。
すなわちこの映画は天然キャラで売っているのんが本物の天然のさかなくんを演じた映画で、はまり役だったし、さかなくんをのんに配役した時点で7割がた完成したような映画だった。
とはいえ善意に委ねすぎで、終始気恥ずかしかった。
さかなくんの人柄で加点、のん人気で加点、さらに善良な人々が善良なことをする雰囲気が加点し、なんていうかこの映画を認めないと適応障害を認めない──かのような巧い立脚点を持ってしまっている。ほのぼのな空気感によって(言うなれば)映画そのものが戦略的愚直に便乗しており、世評も全般的に賞賛だった。
しかし(個人的には)つまらなかった。演出も気恥ずかしさが目立ち巧いとは思えなかった。
ちなみにホンモノの天然とはカスパーハウザーのような人物だと思う。純粋と同義で且つ社会を全く知らない。
だから“天然”を描くばあい言動や行動を白痴のように見せざるをえない。両手を挙げギョーと叫んで飛び回る様子が白痴ではなく“天然”に見えることが俳優のんの強みだった。絵を描いているとき絵の具が顔や服に飛散している超ベタ描写がサマになってしまうのものんならではだったろう。“天然が似合う”とはそういう意味だ。
(あえて情味のない言及をしてしまうと見た目の助け無かりせばブン殴られるようなものを天然と言う。つまり天然とは周囲の人々の容認やスルーによって成り立つ。そこにつっこみや茶々を入れない状況を含めて“天然”と言うのです。)
ただし、この映画から“社会に適用できなくても好きを突き詰めよう”といったメッセージを受け取るのは勘違い。すごく特殊な人のことを、すごく特殊な人が演じた映画だった。
一緒じゃなくていい
お魚大好きミー坊が、お魚博士への第一歩を踏み出すまで。
超自然体の“のん“のミー坊役へのハマりっぷりに
驚く映画だった。
お魚博士・さかなクンの自伝映画です。
ミー坊という主人公を女性の“のん“が演じた利点。
とてもプラスに働いたなと感じます。
さかなクンという【ちょっと世間からズレてて、不思議な存在】
何故にそれ程までに《魚が好き》なのか?
ミー坊・イコールさかなクン、ではないし、
さかなクン・イコール・ミー坊でもない。
そこが絶妙なバランスで、“のん“の若々しさと、
中性的で《好きなことしかしない》感じがとてもマッチしてる。
《好きなことなら夢中》
それが仕事になる、その幸福に成功例、だと思います。
それにしても本物の「さかなクン」を幼女誘拐を疑われる不審者、
《ギョギョオジサン》にしてしまう大胆な発想。
「さかなクン」が本者の不審者に見えて来て、
「ごめんなさい、さかなクン🙏」
・・・可哀想だよ、ちょっとメゲた!!
ミー坊の家族もヘンテコだ。
子供のミー坊が穫った「タコさん」
お父さんが、頭を引きちぎって、岩にたたきつけて、
「こうすると美味くなる」
焚き火で焼いて皆んなに振る舞って、美味しく戴く。
高校生になったミー坊。
防波堤で釣り糸を垂れている。
「ミー坊新聞に俺らのこと書くな!!」
因縁つけるスクーター乗りのヤンキー総長(磯村勇斗)
対抗ヤンキーのカミソリモミ(岡山天音)
そこへ割り込む狂犬(柳楽優弥・・・小学校の同級生のヒオだ!!)
ヤンキーの喧嘩がコミックだ!!
その上でミー坊に感化されて魚好きになる描写が、面白い。
飛び跳ねてる釣れたての鯵(あじ)さん。
頭を落とすと、3枚におろして刺身にしてしまう。
ピチピチ跳ねる尻尾がリアルで、ギョギョギョとして、
目を疑った。
殺生をして美味しく食べること。
この2つは共存するのだろう。
《殺生は美味しく食べることで、供養される》
食べることは可哀想ではないのだ。
徹底して母親はミー坊の魚好きを肯定して応援する。
さかなクンも演じる“のん“も、
好きを貫いている。
通じるものがあるのだろう。
お母さん(井川遥)すごいね!
ちょっと《はみ出してて》《魚を好き過ぎて》・・・
(言っちゃイケナイことだけれど、)
(ごく軽い発達障害みたいなミー坊)
その子を丸ごと認める包容力。
ラストでお母さん、実は魚が○○○だった。
衝撃の告白に笑うより泣けてきた。
後半、感動してなぜか涙目で観ていた。
総長(磯村勇斗)・・リーゼント可愛い!
カミソリモミ(岡山天音=ミー坊のアオリイカを食べて寿司屋に)
熱帯魚屋(宇野祥平=海人、ウミンチュ、沖縄でTシャツ買ったっけ)
モモコ(夏帆=小学校の同級生でシングルマザー)
モモコの娘(ミー坊の予備軍)
ヒオ(狂犬)=柳楽優弥(小学校の同級生。後にテレビ局員)
ミー坊を取り巻くみんなが素敵だ。
好きを貫くことの幸福
一魚一会
さかなクンの座右の銘
演じてる俳優が皆んな幸せそう
周りの人に恵まれて、
周りの人を明るくするミー坊。
勇気と幸せを貰える映画だった。
好きに勝るものはなし
芸は身を助く
はい。良く私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
今更ながらのレビューでございます。
本年度はのんちゃんの主演映画が3本公開されました。(一本は兼監督)色々有りましたがクリエイターの方々は、「このまま、のんを埋れされるわけにはいかねえ!」
もう地上波は関係ない!のんは銀幕(昭和の言い回し)のスターでいい!吉永小百合とか小林旭とか高倉健とか・・
古いよ‼️
失礼しました。映画の話しにします。
この映画はさかなくんの自伝を元にしています。しかし主演はのんちゃん。冒頭のテロップで・・・
男か女かは どっちでもいい
けだし名言。今時は分けることが意味がない。色で分ける(男は白、女は紅)のも意味がない。まして合戦ってね、戦うなよ!大晦日のあの番組。言いませんが。
エライ方は伝統があるとか言う。やんわり注意しますが・・・
おい!じじい!お前の考えはクソだ‼️
失礼しました。ごめんなさい。
ミー坊(西村瑞季)はお魚が大好き。小学生の頃から。ミー坊は特にタコが大好き。わかります。タコって不思議だし。なにより美味しい。
私が小さい頃に光瀬龍さん原作の漫画「ロン先生の虫眼鏡」にタコが出てくるですね。それで夜中に上陸してさつまいもを盗む話しがあるんですね。
ロン先生(光瀬龍)は眉唾だと思っていたが、実際に目撃したんです。
そもそもさつまいもを食べるのかとか、なんでそれを知っていたのかとか、危なすぎじゃないのかとか・・・
タコは知能が高いって言うけどどのくらいなんでしょう。
閑話休題、そしてミー坊は周りの人たちの善意に恵まれました。・・・って恵まれ過ぎだっちゅうの‼️
ミー坊(さかなくん)は今や大学の先生だよ。いやいやイラストを描いていただけなんですけどね。元は。
芸は身を助く、または好きこそものの上手なれ。
実話ベースなんで致し方ないんですが、劇中の不審者(さかなくん本人)
知らない大人の部屋に入ってはいけません!
お母さんも止めろよ!
男か女は、どっちでもいい!
いやね今時だからね。野暮なのは承知ですが。でもほんわかした気分になれるのは、のんちゃんのおかげかなあ・・・
お付き合い頂きありがとうございました。
人々がのん以外考えられないと言う映画
つごう6回見ました。あべのアポロでの舞台挨拶付き試写会から始まり、集中して9月中に4回、ポストカードをほしくて1回、副音声目当てで1回
見事に日本アカデミー賞優秀主演女優賞に選ばれたので、ここに書いてなかった感想を書きます。
テレビ局主体の大手配給会社の有利な映画賞として有名なこの賞に、民放地上波からハブられてる(元能年玲奈こと)のんさんですからね。選ばれただけでも大事件でしょう。
さて
出てくる人達すべてが愛らしいですよね。子役の子たち、ミー坊の家族、ギョギョおじさん、高校生時代のヤンキーチーム、先生たち、大人になってからの、水族館の人、歯医者さん、海人さん、ぱるる(笑)、ヒヨ、総長、カミソリ籾
色々賞レースで映画がでてるけど、この映画が1番笑えて元気が出るのは間違いない。
そして、Youtubeで見た人全員言ってる「のんさん以外考えられない」
凄い映画だよ。
ありのまま
好きに勝るものなし! そして、のん炸裂!!
僕は、かねてからさかなクンを尊敬している。
世の中に「すごい人」はたくさんいるけれど、さかなクンはその中でも突出した人だと僕は思う。
あの突き抜けかたはどうだ。さかなクンという存在は、ある意味、ロックでありパンクである。
さて、『さかなのこ』。
とても楽しい映画だった。
最初、主人公がのんさんだと聞いてちょっと違和感があったけれど、観て納得。中性的に脚色することで、より物語にひろがりができたように感じた。
本作のどこまでが、さかなクンが実際に体験したことかはわからないが、そんなことはこの映画の本質には関係ない。
この作品が成功しているのは、一にも二にも、のんを主役に据えたことによると言ってよいだろう。
のんの透明感、清潔感、ユーモラスな雰囲気……余人をもって代えがたい。天性の役者だという気がする。
三者面談のシーンや高級レストランでの食事のシーンが感動的だった。
「ありのままの自分」を認めてくれるお母さんや友だち、素敵です。
変わってたって、変人だって、なんだっていいのだ。
世間に迷惑をかけなければ、いや、多少迷惑をかけたって、好きなことを貫いて、やりたいことをやっていけばいいのだ、と勇気をもらった。
「好きに勝るものなし」を燃料に、ブレークスルーしたさかなクン。
あなたには一生をかけて取り組める「好きなこと」がありますか?
これは好みの問題ですが‥
(ネタバレですので鑑賞後に読んで下さい)
これは好みの問題ですが、さかなクンがモデルの少し変わった主人公のミー坊(のんさん)のどこかメルヘンに肯定された世界観を観客として肯定できるかがこの映画の肝だと思われました。
もちろん個人的にも面白さはあったのですが、自分の世界に留まってそこから世界を解釈していく描き方は、かえってミー坊の凄さを損ねているようにも感じました。
だからと言って例えばミー坊と周りとのズレや家族の離婚など、もっとリアリティある厳しい描き方をすればこの映画が必ず良くなったとも限りません。
最終的には好みの問題になります。
狭い世界に留まって肯定する邦画の問題は個人的には改善された方が良いと思われているので、しかし、のんさんの演技など他の見るべき点も多かったのでこのような点数となりました。
私はこの作品には良い観客ではなかったのかもしれません。
その点は申し訳なかったと思われました。
やっぱり、のんは良いなぁ。
2本立て2本目。高評価だが私的には乗り切れず。 主人公のんが男役を...
2本立て2本目。高評価だが私的には乗り切れず。
主人公のんが男役を上手くはこなしているが、性別なんてどっちでもいい、と近年の風潮に媚びるテロップにやや不快感。実際にさかなクンは両性なの?
さかなクンの自伝だよなと思ったら、本物登場で混乱。でもやっぱりのんがさかなクンだよね。てな訳で、なんか全てがあまりに作りものっぽくなりすぎた。だいたい高校の友人がそこかしこに絡んでくるわけないわな。不良登場あたりからなんだか嘘くささ全開。
好きなことがある素晴らしさを描いているのはいいが、もうちょっと真実を大事にして欲しかった。
のんも干されまくって久しいけれど、本作でも海に突入しまくり等、体当たり演技、頭が下がります。ヤクザな事務所忖度はやめ、彼女を使ってやってください(笑)
私たちはみんな、どこかおかしい
さかなクンの映画だけど、のんの映画でもある。
のんは「ここまで来た」のだと、素直に感服しました。
井川遥や柳楽優弥、岡山天音など、沖田監督のキャスティングも素晴らしいので、ぜひ、多くのファンに見てほしい。
自分の個性に素直であること、そして好きなことに傾注するということは、他人から見たら、おかしく見えることがある。「さかな好き」もミー坊の域まで達すると、引かれるかもしれない。
しかし、他人から見たら、おかしい自分も、内省すれば素直な譲れない自分自身である。そこに自信を持って立てる人は少ないが……。
のんの演技(演技ではないのかもしれない)は、その当たりのピュアな自分自身を、痛ましくなく、愛する自分として表現している。これは、誰にでもできることではない。
男と女、どうでもいいと冒頭に言い切るところに、仕掛けがあるのだろう。のんは実に美しい女性だが、ジェンダーを超えるとはどういう営みかを提案しているような気がした。
いろいろな過程にいる人(つまり私達)に勇気を与える作品。
のん、さかなクン、監督もでかした!
天才!
全375件中、101~120件目を表示